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新緑読書特集2022

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『週刊佛教タイムス』2022年5月19日号の新緑読書特集では、16冊の仏教書・宗教や信仰をテーマにした書籍をご紹介しました.



プラダン・ゴウランガ・チャラン 著 『世界文学としての方丈記』 法藏館
吉田政博 著 『戦国期東国の宗教と社会』 吉川弘文館
アラ・ノレンザヤン 著 『ビッグ・ゴッド』 誠信書房
栗原俊雄 著 『東京大空襲の戦後史』 岩波新書
語り・花垣ルミ 絵・鶴岡たか 『五八年後の原爆』 日本機関紙出版センター
ひろさちや 著 『一遍を生きる』 佼成出版社
総本山金峯山寺 編 『新 蔵王権現入門』 国書刊行会
小正路淑泰 著 『堺利彦と葉山嘉樹』 論創社
櫻井義秀・平藤喜久子 編著 『現代社会を宗教文化で読み解く』 ミネルヴァ書房
島村一平 著 『憑依と抵抗 現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム』  晶文社
馬場紀寿 著 『仏教の正統と異端 パーリ・コスモポリスの成立』 東京大学出版会
小助川元太・橋本正俊 編 『室町前期の文化・社会・宗教 『三国伝記』を読み解く』 勉誠出版
三浦宏文 著 『サブカル仏教学 序説』 ノンブル社
鍋島直樹 著 『自死をみつめて』 本願寺出版社
ユリイカ臨時増刊号 『総特集 瀬戸内寂聴』 青土社
欒 殿武・柴田幹夫 編著 『日華学堂とその時代 中国人留学生研究の新しい地平』 武蔵野大学出版会


新緑読書特集2022の書評の一部をご紹介

『世界文学としての方丈記』 プラダン・ゴウランガ・チャラン 著 法藏館

 「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」―。このあまりにも有名な一文から始まる鎌倉初期の随筆『方丈記』は、仏教の無常思想を日本人の心の原風景として定着させた日本文学史上最高傑作の一つとされる。同時に日本が開国した近代以降、様々な言語に翻訳され、世界文学としての地位も揺るぎないものにしてきた。

 本書は、主に英語文化圏での受容過程を考察。19世紀末から20世紀初頭の世界史の中に『方丈記』を位置付けようとする、初めての試みである。

 歌人として活躍した後に出家し隠遁生活をおくっていた鴨長明は、自身が経験した天災・飢饉・人災からなる五大災厄から有為転変の人の世の儚さを説き、仏道生活の中に理想の境地を見出そうとした。長明が示した日本的無常思想は、日本人の思考体系の背骨になっていると言っていい。

 そこでまず、日本国内での受容史を概説。明治期までの流れを辿る。

 西洋人として最初に『方丈記』に強い関心を抱き、学生だった夏目漱石に英訳を依頼した東京帝国大学教授のディクソンを、「『方丈記』が世界文学への仲間入りをするための基礎を築いた人物」と評価。この時に漱石がディクソンに提出した英訳と文学思想論を分析し、「若い頃の漱石の思考に関して新たな光を当てる重要な資料」と指摘する。

 漱石は、「従来とは異なる西洋のロマン主義的な自然文学作品として『方丈記』を解釈」。漱石とディクソンを通して海外に紹介された『方丈記』の受容は、「自然崇拝者としての長明像」を継承しながら展開していった。

 そして漱石の英訳から11年後、紀州那智で隠栖しながら自身の境遇と長明の隠遁生活を重ね合わせていた南方熊楠が、英国人ディキンズとの共同で『方丈記』を翻訳。初の完全な外国語訳として刊行され、『方丈記』の海外普及を一層促進した。

 インド出身の著者は、なぜこれほどまでに『方丈記』に惹かれたのか。「冒頭文から思い浮かぶ無常思想に無知であったとはいえ、子供の頃よく耳にしたヒンズー教の昔話と類似するテーマでもある。心のどこかにぼんやりとした形で覚えていたものに似たものを、思いもかけず海外文化の中に見つけ、それに引き込まれてしまったようだ」。ここに『方丈記』が世界文学となったもう一つの理由がある。(四六判・360頁・価3850円)




『戦国期東国の宗教と社会』 吉田政博 著 吉川弘文館

 戦国時代の仏教は衰退期だった、という見解がある。特に時衆(時宗)については宗祖一遍の行動から逸脱し、大名など権力者にこびへつらったという厳しい批判もされた。しかし本書は戦国期の僧侶らがいかに権力とつながり、時に緊張関係を孕みながらも、地域に教線を拡張していったかを論証している。

 「戦国期駿河国における時衆の動向」は、有力大名の今川家が支配する駿河の一花堂長善寺が、藤沢の遊行寺の焼失に伴い遊行上人が留まる本山格寺院になったこと、さらに様々な学僧を輩出し宗学だけでなく国文学の世界でも大きな影響を及ぼしたことを論じる。駿河は京都からの下向貴族が多くおり、時衆寺院を中心にした一大文化サロンが形成されたのだ。駿河は著名な連歌師宗長が止宿したほか、今川氏最後の当主氏真が連歌狂だったことはよく知られているが、その駿河の重厚な連歌文化の基層は時衆が担っていたのである。ただし、今川氏の仏教政策により時衆寺院が廃絶され臨済宗などに改められたこともあり、その関係は単に「蜜月」とも言い難いようだ。

 戦場で供養や伝令の役を務めた僧侶は陣僧と呼ばれたが、「戦国期の陣僧と陣僧役」は時衆僧侶がこの陣僧として戦場を駆け巡っていたことを示す。時衆が得意とした連歌は戦場でも興行され、かつ戦勝祈願もその場で行われていた。智略をめぐらし合戦の平和交渉役としても活躍する。陣僧は大名から賦課される重要な役割だったが、交渉に失敗すれば耳や鼻を削がれたりもするなど過酷でもあった。そのため寺院は可能な限り回避しようとした。また一方の大名は免除を条件に寺院を支配下に置こうとしたというのも、厳しい乱世の現状が見て取れる。

 著者は東京都板橋区の学芸員。「中世武蔵国における浄土宗の展開過程」では領主・板橋氏と浄土宗の深い結縁を指摘し、「武蔵国豊島郡における熊野信仰の展開」では同地の名刹・南蔵院(現在は真言宗智山派)の前身を熊野先達南蔵坊と比定し、篤い熊野信仰を持っていた領主豊島氏と密接な関係があったことを論じる。こうした郷土史の成果も収録している。

 このほか富士信仰、本山派修験、高野山信仰、有馬や草津の温泉信仰の展開を研究。大名が宗教利用を図る乱世下、僧侶がしたたかともいえる布教をしているのは面白い。地道な史料調査に基づく本書は中世仏教研究の確かな一里塚である。(A5判・304頁・価1万1千円)



 『現代社会を宗教文化で読み解く』 櫻井義秀・平藤喜久子 編著 ミネルヴァ書房

 日本の宗教現象を表した言葉に「ボーン・シントー、マリー・クリスチャン、ダイ・ブディスト」(born Shinto, marry Christian and die Buddhist)がある。生まれたら神道、結婚はキリスト教、死んだら仏教というわけだ。生死を含めて人生の節目にはこうした宗教的側面が関わっている。

 自覚は薄いものの、日本人はさまざまな宗教文化に接している。一口に宗教文化と言ってもその範囲は広い。本書では、神道、仏教、キリスト教、イスラーム、ジェンダー、スピリチュアリズム、カルトなどを素材として以下の10章で構成。

 第1章「日本の神々はどう描かれてきたのか―聖なるもののカタチ」平藤喜久子氏、第2章「葬式仏教の時代は終わったか―葬送・墓制・死生観の日本史」櫻井義秀氏、第3章「宗教は性別を問わないか―ジェンダー」猪瀬優理氏、第4章「宗教は自分らしさを奪うか―戒律」八木久美子氏、第5章「宗教は会社に指針を与えるか―経営」岩井洋氏、第6章「宗教と世俗はどう共存しているか―都市化のなかの宗教」三木英氏、第7章「宗教とツーリズムはなぜ結びつくのか―スピリチュアル・ツーリズム」山中弘氏、第8章「キリスト教は社会運動をなぜ支援するのか―リベラリズム」伍嘉誠氏、第9章「カルト宗教はなにが問題なのか―人権と公共性」櫻井氏、第10章「宗教文化をどう捉えなおすか―認知宗教学」井上順孝氏。

 第2章「葬式仏教―」は古代から現在進行形の葬儀事情まで論じる。しかも話題を呼んだコロナ初期段階の持続化給付金についても経緯を簡潔に整理している。結論的には「日本の寺院仏教は『葬式仏教』から別の形態を取る新しい仏教の形に移行していくだろう」と推測する。

 圭室諦成が1963年に刊行した『葬式仏教』は「それ(明治維新)から約100年、葬祭仏教としての仏教の地位は、依然として牢固たるものである」と結ばれている。当時は高度経済成長期でもあり、櫻井氏も1970年代から80年代は「檀家総代や素封家に許されていた院号クラスの戒名もお金さえ包めば可能になった」としている。それから50~60年経た今日、葬式仏教の牢固さはなくなり、新たな形を模索する時代に入った。(A5判・292頁・価3300円)




 『東京大空襲の戦後史』 栗原俊雄 著 岩波新書

 
 終戦年の3月10日未明、米軍のB29が300機以上東京上空に飛来し、大量の焼夷爆弾を投下。一夜にして10万人が犠牲になった。一日の犠牲者としては世界最大の空襲被害となった。

 5カ月後には終戦を迎えるが、多くの孤児たちは行き場を失った。行政文書では「戦災児・浮浪児」と記録された。著者は「犯罪者」扱いだと批判し、「どうして『浮浪児』になったのかという視点は見られない」と指摘する。また運良く親類などに引き取られても虐待されるケースが少なくなかった。

 そうした空襲被害者たちが高齢になってから声をあげ始めた。全国空襲被害者連絡協議会が発足し、補償を求めて訴訟を起こした。しかし最高裁を含めて認められることはなかった。戦争被害を国民はひとしく受忍しなさい、我慢しなさい、という「受忍論」が壁となって立ちはだかった。戦後補償から漏れた民間人が提起した訴訟は、この受忍論で跳ね返された。「『受忍論』は被害者切り捨ての魔刀として切れ味を増していった」と著者は皮肉る。

 空襲被害者たちは長期にわたりPTSD(心的外傷後ストレス)を抱え、孤児ということで社会的偏見や生活苦に陥ったりした。そしてなぜ訴訟を起こすのかなどを含めて、老いた被害者たちの体験を著者は丹念に汲み上げていく。

 ロシアによる攻撃でウクライナでは多くの民間人が虐殺されたという報道が相次いでいる。戦争は非武装の人間をもターゲットにする。本書はそのことも認識させる。(新書判・214頁・価946円)



『五八年後の原爆』 語り・花垣ルミ 絵・鶴岡たか 日本機関紙出版センター

 5歳の時、広島で経験した壮絶な被爆の記憶。心の奥底に封印されていた河原の情景を58年後にはっきりと思い出した花垣さんの語りは、眼前の地獄絵図を受け止めきれなかった当時の幼心が、長じて後に全ての辛酸を吐き出そうとしているかのようだ。原爆がもたらした筆舌に尽くせぬ悲劇と同時に、戦争が子どもの心に与える傷の深さを思わずにはいられない。

 「アメリカがきらいとか、アメリカの人がいやなんじゃなくて、戦争がきらいなの」と話していたという花垣さんの母。河原で「たくさんの人が木の上で燃やされている光景」を目にして意識を失った花垣さんを必死で守ったのも、乳飲み子を背負いながら懸命に避難を続けた母だった。戦火はこうした普通の親子の上に降りかかり、容赦なく一般市民を苦しめる。

 子どもの目線で被爆体験を振り返る花垣さんの語りは、戦争がひとたび勃発すれば最も弱い立場に置かれることになる幼児の叫びそのものである。

 被爆体験者の高齢化が進む今、その声を傾聴することは平和を望む全ての大人の責務である。核兵器を未来の子どもたちに残さないために—。(四六判・60頁・価1千円)