仏書・良書に親しむ
春の新緑読書特集2019

新緑読書特集 掲載広告




『週刊佛教タイムス』2019年5月16日号の新緑の読書特集では、24冊の仏教書・宗教書やDVDをご紹介しました(各書評は紙面でご覧ください)。


・新藤透『図書館の日本史』勉誠出版 評者=小林敬和(元読売新聞文化部部長)
・岩田真美・中西直樹編著『仏教婦人雑誌の創刊』法藏館
・島薗進『ともに悲嘆を生きる―グリーフケアの歴史と文化』朝日新聞出版
・堀江宗正編『宗教と社会の戦後史』東京大学出版会
・宮城泰年・田中利典・内山節『修験道という生き方』新潮社
・高台寺監修・結城わらゑ作画『アンドロイド観音が般若心経を語り始めた』かもがわ出版
・多田實動『伊勢神宮と仏教―習合と隔離の八百年史』弘文堂
・佐藤孝之『近世駆込寺と紛争解決』吉川弘文館
・宇野弘之『国家Identity人命救助論序説』山喜房仏書林
・高橋尚夫『維摩経ノートV』ノンブル社
・露の団姫『みんなを幸せにする話し方』興山舎
・乗浩子『教皇フランシスコ』平凡社
・丹羽宣子『〈僧侶らしさ〉と〈女性らしさ〉の宗教社会学』晃洋書房
・入澤崇『ジャータカ物語』本願寺出版社
・藤谷宗澄・槙尾亮順編著『現代在家十善戒・授戒作法』東方出版
・樋口強『がんでも働きたい』佼成出版社
・今井雅晴『六十七歳の親鸞』自照社出版
・早川顕之『「いのち」の輝き』永田文昌堂
・那須英勝・本多彩・碧海寿広編『現代日本の女性と仏教』法藏館

令和時代に近代天皇制を考える―14歳で即位した明治天皇、象徴天皇の先駆大正天皇、戦前をひきずった昭和天皇、慰霊の旅を続けた明仁天皇

岩井忠熊・広岩近広『象徴でなかった天皇』藤原書店
島薗進『神聖天皇のゆくえ』筑摩書房
辻田真佐憲『天皇のお言葉―明治・大正・昭和・平成』幻冬舎
半藤一利・保阪正康・井上亮『平成と天皇』大和書房
原武史・三浦しをん『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと』KADOKAWA

 5月1日から「令和」という新元号に移行した。4月1日の発表以来、メディアやネットで明仁天皇(上皇)と美智子さま(上皇后)の足跡が繰り返し報じられ、新元号になってからは今上陛下が報道の中心となった。
 今年に入ってから天皇や元号に関する書籍の刊行も相次いだ。その中から5冊を取り上げたい。専門的な研究書というよりも、比較的分かりやすいものを選んだ。

◇ ◇

 明治天皇14歳、大正天皇32歳、昭和天皇25歳、明仁天皇(現上皇)55歳、今上天皇59歳。それぞれ即位時の年齢である。振り返ると明治天皇が14歳で即位というのは、国家制度の設計者たちには都合が良かったのかも知れない。
 『象徴でなかった天皇』はそれを示唆する。著者の岩井氏は歴史学者だが、水上特攻隊に属し九死に一生を得た。戦前の教育と軍隊を体験した岩井氏は多くの詔勅を暗記させられた。「詔勅は天皇が公に意思を示す文書の総称で、詔書、勅書、勅語などがある。明治政府と軍部は天皇の権威に頼り、天皇の名のもとに詔勅を乱発したといっても過言ではない」。代表的な詔勅には教育勅語や軍人勅諭がある。
 本書は明治期に絞った天皇論であり、日清・日露戦争以前の海外派兵や自由民権運動の弾圧などに天皇が利用されていく様子が理解できる。また明治天皇は日清・日露の戦争に反対だった。特に日露戦争については御前会議では威厳を保つも、内廷にもどると涙したという。勝利すると「御稜威」(天皇の威光)が強調されていく。

乃木の殉死

 明治天皇の威厳は崩御後さらに高められていく。それは乃木希典の殉死が大きく作用している。『神聖天皇のゆくえ』によれば、日露戦争の旅順要塞攻略で多くの戦死者を出したため乃木希典の評価は割れていた。それが殉死後に「乃木賛美」に流れ、「軍国美談」が作られていく。「乃木将軍の軍国美談は、皇道を掲げる大正維新や昭和維新の運動の基礎となる神聖天皇崇敬の欠かせない一部となっていった」と分析する。
 先の大戦で日本人の戦争死者は310万人とされ、アジア太平洋戦争では1900万人と推定される。なぜこれだけ多くのいのちが犠牲にならなければならなかったのか。そこには「神聖天皇への崇敬」があったとし、それが極端になっていく一つの転機が、まさに日露戦争・明治天皇の死・乃木希典の殉死だった。以後「明治天皇の神格化が進む」ことになった。
 大正天皇については病身であったことは確かだが、「遠眼鏡事件」のように誤った天皇像が流布されてもいる。明治天皇とは異なり「文人肌」(保阪氏)で、漢詩の創作に優れていた。『平成と天皇』『天皇のお言葉』『皇室、小説―』でもそれは一致している。大正天皇は皇太子時代、地方をまわった時に土地の人たちと気軽に言葉を交わしている。「もし、長生きして健康だったら、いまの天皇(上皇)のような象徴天皇的な天皇になっていたかもしれないですね」(井上氏)というほどだ。
 しかし病弱ということもあり、皇太子(昭和天皇)が摂政となり、天皇としての仕事は取り上げられていく。原氏によると大正後期に世界史的に君主制が崩れていったことも背景にあり、「若くて健康な皇太子を前倒しで摂政にすることで、病弱な天皇はいわば押し込まれた。政府というのは、システム刷新のために天皇個人の意思を平気で犠牲にする冷徹な面もある」と語っている。
 昭和天皇は在位63年に及ぶが、20歳で摂政についた時代を含めると68年に達する。終戦までの前半はまさに動乱の時代だった。二・二六事件に批判的で、自ら鎮圧に立とうとした。このエピソードはよく知られているが、「真綿にて首を締むる」行為だとまで言い残している。天皇と軍部(特に陸軍)の間に深い溝があったことがうかがえる。
 また敗戦前年10月、フィリピンで初めて特攻隊による体当たり攻撃を開始し、それなりの戦果をあげた。これを聞いた昭和天皇は「そのようにまでせねばならなかったか。しかし、よくやった」と述べた。「褒め称えた」(辻田氏)ような内容であるが、そうでもなさそうだ。「そのようにまで―」は「国家の主権者としての天皇」であり、「仁慈にあふれる」言葉だった。後者の「よくやった」は「大元帥としての天皇」の発言だという(保阪氏、半藤氏)。

神話の温存

 敗戦を経て新憲法下で象徴天皇制が始まった。「朕」が「わたくし」になり、「勅語」が「お言葉」になるなど天皇の言葉が「劇的に変化した」(辻田氏)。一方で「人間宣言」によって「神聖天皇を天皇自らが否定」(島薗氏)したとされる。しかし英語草案で「日本人は神の子ではない」という箇所が「天皇は現御神ではない」と書き換えられたことによって、「もとの意味を巧妙に書き換え(つまり天皇が神の子孫である可能性を残し)、神話と伝説の温存を図った」(辻田氏)。少なくとも昭和天皇には戦前の天皇像が残されていたわけである。
 昭和天皇の後をうけて明仁天皇が即位し、平成30年の歴史を刻んでいく。災害地では被災者に寄り添い、沖縄や南洋諸島などかつての戦地では深い祈りを捧げるなど慰霊の旅をしてきた。これらは「天皇の象徴的行為」(2016年8月8日のビデオメッセージ)と位置づけられよう。明仁天皇は近代象徴天皇の第一世なのかも知れない。この姿勢は皇太子時代を経て、今上天皇に受け継がれている。
 最後に元号について。「令和」が発表される前、考案者とされる中西進氏が、藤原書店のPR誌「機」(2019年1月号)のコラムでこんなことを述べている(『象徴でなかった天皇』に挟まっていた)。「日本人は国歌を『君が代は』と歌う。すなわち元号を廃止すれば、国歌は大きく根拠を失う」。つまり、元号と国歌は不可分という指摘である。中西氏はこれを意識して考案したのだろうか。

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