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秋の読書特集2017

秋の読書特集 掲載広告
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『週刊佛教タイムス』2017年10月19日号の秋の読書特集では、27の仏教書・宗教や信仰をテーマにした書籍をご紹介しました.

(各書評は紙面でご覧ください)

・親鸞聖人750回御遠忌記念『シリーズ親鸞』東本願寺出版(名畑崇『歴史のなかの親鸞』/小川一乗『親鸞が出遇った釈尊』/狐野秀存『釈尊から親鸞へ』/寺川俊昭『親鸞の仏道』/一楽真『親鸞の教化』)
・石川好監修/程麻・林振江著/林光江・古市雅子訳『李徳全―日中国交正常化の「黄金のクサビ」を打ち込んだ中国人女性』日本僑報社
・大谷哲夫『道元「宝慶記」全訳注』講談社
・小谷みどり『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓』岩波書店
・中西直樹『近代西本願寺を支えた在家信者―評伝 松田甚左衛門』法藏館
・大菅俊幸『慈悲のかたち―仏教ボランティアの思考と創造』佼成出版社
・島津毅『日本古代中世の葬送と社会』吉川弘文館
・苅田澄子文/中川学絵『だいぶつさまのうんどうかい』アリス館
・相澤貞順『岩宿遺跡の発見者―人間“相澤忠洋”を語る』ノンブル社
・木下浩良『戦国武将真田一族と高野山』セルバ出版
・石原慎太郎『巷の神々』PHP出版
・細谷亮太・徳永進ほか『看取るあなたへ』河出書房新社
・田中等『ハンセン病の社会史―日本「近代」の解体のために』彩流社
・野口法蔵『オンマニベメフン―「生きる」意味を求めて』七つ森書館
・羽田守快『最強の守護神聖天さま』大法輪閣
・高橋勇夫『新装版 仏典百話』東方出版
・宮澤佳廣『靖国神社が消える日』小学館
・佐藤博信『日蓮宗寺院の歴史と伝承』山喜房佛書林
・白波瀬達也『貧困と地域―あいりん地区から見る高齢化と孤立死』中央公論社
・ビハーラ医療団編『ビハーラと「歎異抄」による救い』自照社出版

栗原康『死してなお踊れ―一遍上人伝』河出書房新社
桜井哲夫『一遍 捨聖の思想』平凡社
今井雅晴『日本の奇僧・快僧』吉川弘文館

 戦争・政争・貧困や、経済事件に果ては愛欲のもつれと、四方八方行き詰まったかのような世の中。「まるで鎌倉時代のよう」と言うのもあながち大げさでもないかもしれない。そんな中、今年に入って新刊・復刊で一遍(1239~89)に関する書籍の版が相次ぎ話題を提供している。何もかも捨て去り、ただ南無阿弥陀仏の名号に生き抜いた遊行上人一遍に憧れる人が増えているのか。現代人に聖の重さと熱さと爽快さを訴えかける。

 アナキズムの研究で近年注目される政治学者、栗原康氏(東北芸術工科大学非常勤講師)による『死してなお踊れ―一遍上人伝』(四六判・256頁・価1600円+税)はきわめて異色の一遍伝である。なにしろ文章がこうだ。「フオオオ、フオオオオオオ。ごっちゃごちゃの、ぐっちゃぐちゃになって、ケダモノみたいになっておどってしまえ。そうすりゃ身分もかっこうも関係ない」。全編にわたってこの調子で、著者と一遍との距離感はゼロである。しかしこれがかえって、愛欲と執着に苦しみ出家して、名号で差別なく絶対に救われると確信し、全裸になって踊り狂った一遍の姿を活写する。著者はまさに一遍の遊行に、鎌倉アナキストの爆発を見てとっているのだ。

「おどりは圧倒的に間違っている。なんの役にもたちやしない」と断言。実際生活する分には踊ってたら仕事なんてできない。しかしピョンピョン飛び跳ねるその無駄なエネルギーの浪費が、人間の肉体と精神の限界を超え、仏の声を聞くことにつながるという指摘はダンス論としても興味深いものだろう。

①一遍本3冊.jpg 著者が敬愛する長渕剛へのオマージュが至るところに出現するのには要注目(「泣いてチンピラ」の一節が特にお気に入りのようだ)。ところで著者が全く畑違いの仏教書を執筆することになった動機は「おわりに」に描かれており、これが失礼ながら抱腹絶倒なので必読。政治も恋愛も恐ろしいと痛感する。

 うってかわって正統派なのが桜井哲夫氏(東京経済大学教授)の『一遍 捨聖の思想』(新書判・256頁・価860円)である。著者はフーコーなどフランス現代思想を専門とする社会学者だが、栃木県足利市の時宗真教寺住職でもある。一遍思想が他の浄土教と比してどのくらい革新的だったかを解き明かす。

 前半は浄土教の成立から一遍に至るまでの仏教史で、第3章で一遍と時衆・時宗教団の歩みが概説される。「信不信をえらばず、浄不浄をきらわず」という、信じていなくても救いがあるという特異な確信が一遍の教えの根幹だった。「社会的身分差別も男女差別も宗教上の穢れも習俗的な穢れもすべて乗り越えて札を配るというラディカルな立場」は、未だ差別が蔓延する現代でも人々の胸を打つ。

 第4章では『一遍上人語録』に出てくる文章を精読する。「ただ愚なる者の心に立かへりて念仏したまふべし」「をのづからあひあふときもわかれても ひとりはおなじひとりなりけり」。こういった言葉には、賢しらな教理哲学も、徒党を組んだ馴れ合いも離れて阿弥陀如来を求める尊さがある。能所一体、すなわち称えている私と阿弥陀如来が一体化するために一心不乱に念仏せよ。それまでの浄土教では救われなかった人にさえ、一遍はこの思想で救いの確証を与えたのである。

 今井雅晴氏(筑波大学名誉教授)の『日本の奇僧・快僧』(四六判・204頁・価2200円+税)は1995年に講談社現代新書から出されたものの復刊。アウトサイダーとして人々の心に不思議な感動をもたらした僧侶の小伝集である。道鏡に始まり、西行、文覚、親鸞、日蓮、一遍、尊雲(護良親王)、一休、快川、天海の10人を取り上げる。

 一遍に関しては性欲の問題やみんなで踊って念仏することでのエクスタシーに着目して論じている。「『捨てること』の快感。物欲・性欲の悩みや、これらに対する執着の結果生まれる堕地獄の恐れ。一遍はすべてから解放された。本心から気分がよくないわけはあるまい」。まさに快僧。そして著者は世襲・檀家制度や家庭のしがらみにとらわれた現代仏教界にも、こういった快僧が出現することを待望している。

 今後も一遍本の発刊は各社から続く模様。2019年は時宗二祖真教の700回大遠忌であり、『時宗辞典』『時宗入門』などが宗門から出版される予定だという。

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