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仏書・良書に親しむ
秋の読書特集2016

『週刊佛教タイムス』2016年10月20日号の秋の読書特集では、20の仏教書・宗教や信仰をテーマにした書籍をご紹介しました.
(各書評は紙面でご覧ください)

・大谷光淳『ありのままに、ひたむきに』PHP研究所
・森岡清美『真宗大谷派の革新運動―白川党・井上豊忠のライフヒストリー』吉川弘文館(評=山本伸裕
・大下大圓『密教―大楽に生きるワザ』日本評論社
・『新版檀信徒宝典 読んでわかる浄土宗』浄土宗出版
・ノーマン・ワデル著/樋口章信訳『売茶翁の生涯』思文閣出版
・水野さや『韓国仏像史―三国時代から朝鮮王朝まで』名古屋大学出版会
・南直哉・来住英俊『禅と福音―仏教とキリスト教の対話』春秋社
・『寺報に使える素材集 イラスト&テンプレート集』本願寺出版社
・ビハーラ医療団編『妙好人、浅原才一を読み解く』ノンブル社
・平岡昇修『耳から覚えるサンスクリット』山喜房佛書林
・黒瀬智圓著/府越義博編訳『現代文 大笑小笑―説教譬喩集』国書刊行会
・田代俊孝『親鸞思想の再発見』法藏館
・藤田庄市『修行と信仰―変わるからだ 変わるこころ』岩波書店
・大谷派児童教化連盟編『仏教ハンドブック―』東本願寺出版
・竹村牧男『ブッディスト・エコロジー―共生・環境・いのちの思想』ノンブル社
・西園寺昌美『つながり合う世界』白光出版
・関根康正ほか『社会苦に挑む南アジアの仏教』関西学院大学出版会
・『禅の風 第45号』曹洞宗宗務庁
・『ソナエ 2016年秋号』産経新聞出版
・「真乗」刊行会『真乗―心に仏を刻む』中公文庫

妻木靖延『図解 ここが見どころ!古建築』学芸出版社
光井渉『日本の伝統木造建築―その空間と構法』市ヶ谷出版
天野正樹『法隆寺を科学する―法隆寺和銅移建論』白馬社

評=中山章(建築家)

 以前「古いお寺はどれも同じように見える!」と言った建築士(1級建築士)がいた。驚かれるかもしれないが、珍しいことではない。残念ではあるがその建築士は正直なのである。たしかに日本建築は木造ばかりで、寺院であればその形のバリエーションも多くはない。よほど興味をもって見ないと、どれも同じように見えてしまうことも頷ける。古建築の中で文化財に指定されるような建物は「文化財・建造物」と呼ばれ、その研究は建築史家や文化財保存技術者など、専門家が行うものであり、普通の設計士や建築技術者には縁遠いものであった。古建築や建築史についての本も同様である。法隆寺ほか.jpg

 しかし時代は変わる。今や仏像好き女子や、歴史好き女子が注目される時代である。日本の古建築も法隆寺以降1300年の歴史を重ねてきた。放っておくにはもったいない。そろそろ古建築マニアの登場も望まれる。
今回紹介する3冊の本にも、そういった時代の変化を感じ取ることができる。3冊中2冊は専門家ではない著者によるものであり、他の1冊も新たな建築的視点で書かれたものである。

『図解 ここが見どころ!古建築』は初心者向けではあるが、今までの建築ガイドブックとは一線を画している。その理由は、著者がいわゆる古建築・建築史の専門家ではなく、設計を生業とする建築士であることが大きい。冒頭の建築士とは異なり、古建築に精通した建築士も稀に存在する。著者が実際に案内役を務めた見学会を基にし、図版は全て著者の手書きでわかりやすく描かれた労作である。

 見学しやすい建物が選ばれ、それぞれの建物の「見どころ」をピックアップすることで具体的に学べるようになっている。専門用語には全て振り仮名がふられ、読者への配慮も行き届いた古建築入門書である。

 さて、古建築の入門後、その全体像も知りたくなった方におすすめの本が『日本の伝統木造建築―その空間と構法』である。明治29年の古社寺調査以来、西洋建築史同様に日本建築史も「様式史」が主流であった。また歴史研究の常として、その進展とともに時代が細分化され、研究者も専門領域に分割された。結果として「通史」への興味が薄れ、日本建築の全体像が見えにくくなっていた。

 反して、戦前から継続されてきた国宝・重要文化財の建造物修理報告も出そろい、古建築の構築方法も解明された。著者は建築史・文化財建造物の専門家だが、今までの様式史には限界を感じていたようである。この本の特徴は日本建築の空間を構成する「構法」に注目したことである。この「構法」という用語も建築学の中では新しい概念である(施工方法を示す「工法」の方がより一般的である)。新たに「構法」というテーマでつくられた日本建築の本は、今までの歴史書とは異なり、写真の他に断面図や架構図も豊富に掲載され、古建築を立体的に見せてくれる。今さらではあるが「この本が学生時代にあったなら」と思わずにはいられない。

 最後に『法隆寺を科学する―法隆寺和銅移建論』である。これは少し解説を加えないと分かり難い。日本建築史に詳しい人には「法隆寺の再建・非再建問題はとうの昔に決着していたのでは!」と思い、専門外の方には「日本最古の法隆寺が再建されていたのか?」と疑問がわくであろう。実は「法隆寺再建・非再建論争」は日本建築史上、最も有名な論争なのである。

 再建論の論拠は「日本書紀」の天智九年(670)四月三十日条にある「夜半之後 災法隆寺 一屋無余、大雨雷震」との記述である。それに対し、主に非再建論を唱えたのは建築史家であった。その物的論拠として、現存法隆寺の建築様式と基本寸法(高麗尺)が、600年代初期の古式によるというものであった。

 途中経過は省略するが、昭和14年、今の法隆寺西院伽藍南側の普門院内に「若草伽藍」の遺構が発見されたことで一応の決着をし、現在の法隆寺は若草伽藍焼失後、700年代初期に再建されたということで表向きは決着したはずであった。

 しかし、建築の研究者側には「二寺併存説」などがくすぶり続けてきた。これ以上の種明かしは控えよう。明治以来続くこの大論争に新たな論点を提示したこの著者も、古建築・文化財の専門家ではない。いわゆる大手ゼネコンの技術者である。技術者であればこそ、専門家が見逃した建築の合理的な常識が見えている。落雷で木造建築が跡形もなく燃えるなどはあり得ないのだ。そろそろ専門家だけの時代は終わるのかもしれない。
…………………………
『図解・ここが見どころ!古建築』(A5判・124頁・価2000円+税)/『日本の伝統木造建築』(B5判変形・168頁・価2400円+税)/『法隆寺を科学する』(A5判・171頁・1700円+税)

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法藏館.jpg東方出版.jpg吉川弘文館.jpg
佼成出版社.jpg浄土宗出版.jpg曹洞宗.jpgノンブル社.jpg
方丈堂.jpg本願寺出版社.jpg
東本願寺出版.jpg産経新聞出版.jpg
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大澤武司『毛沢東の対日戦犯裁判』中央公論社
内村琢也『東亜連盟運動と石原莞爾』春風社
坂井田夕起子『誰も知らない「西遊記」』龍溪書舎

中国3冊.jpg 田中角栄首相が中国を訪れ、周恩来首相と握手を交わしたのが1972年9月。この日中正常化から45年を迎える。一方、日中仏教懇話会を前身とする日中友好宗教者懇話会が設立されてからこの5月で50周年となる。日中交流は2千年に及ぶが、戦前・戦中・戦後の日中関係は動的であり、その史実を考えるうえで示唆深い3冊を紹介する。

 まずは大澤武司著『毛沢東の対日戦犯裁判』(新書判・260頁・価860円+税)。副題に「中国共産党の思惑と1526名の日本人」とあるように、BC級戦犯の裁判や処遇について記述したものだ。厳しい判決が予想されたが、意外にも死刑判決はいっさいなかった。毛沢東率いる中国共産党が中華人民共和国を樹立するのが1949年10月。それ以前は蒋介石の国民党が実権を握っていた。蒋介石時代の戦犯裁判では140人が刑死し、病死などを含めると175人に及ぶ(『世紀の遺書』)。毛沢東の新中国にとって人道的な面で国際社会に訴える力をもっていた。

 これだけ見ても極めて寛大な判決であったことが理解できる。管理面においても手厚く遇されていた。その管理所では「認罪」教育による思想改造が行われていた。そうした中から自らの残虐行為を認め、「但白(告白)」するようになった。こうした体験者たちが日本帰国後、中国帰還者連絡会を組織。仏教者がかかわった中国人俘虜殉難者の遺骨送還にも参加していった。

 内村琢也著『東亜連盟運動と石原莞爾』(A5判・388頁・価5000円+税)は、日蓮主義の影響を受けた石原莞爾が推進した運動を取り上げている。宗教社会学の論文ではあるが、歴史的な検証も多く、いくつかの事実を発掘する。東亜連盟運動は多民族主義的であり、日本のみならず中国・満州・朝鮮半島にも支部を持っていた。本書では1934年から46年までの運動を仔細に辿っている。終戦直後は「活況」を呈したものの、GHQの命によって解散にいたった。

 注目したいのは中国との関係である。戦争末期の1945年3月から4月にかけて蒋介石の意を汲んだ幹部が来日し、日中和平を試みた。「繆斌(みょうひん)工作」である。繆斌は中国の東亜連盟協会会長に就任した経歴を持つ。また後に南京政府首班となった汪精衛(汪兆銘)も東亜連盟の理解者だった。来日した繆斌は和平案を提出して日本政府に働きかけるものの、受け入れられなかった。繆斌は戦後間もなく漢奸第一号として銃殺された。

 前2著は昨秋発行だが、坂井田夕起子著『誰も知らない「西遊記」』(四六判・266頁・価3000円+税)は4年前の発行である。戦時下の南京で発掘された玄奘三蔵の頭頂骨が埼玉県の慈恩寺に安置され、台湾に分骨されているのはよく知られている。それに留まらず、同じ埼玉県の鳥居観音、大阪・岸和田市の靖霊殿、青森・弘前市の忠霊塔と青森市の薬王院、兵庫・篠山市の小林寺、そして奈良・薬師寺に分骨されているのだ。玄奘三蔵は死してなお遺骨が旅を続けたことになる。

 玄奘の遺骨は 汪精衛政権下の南京で発掘され、日本人僧侶をはさんで日本にもたらされた。終戦後に台湾に分骨されるが、日本と中国、台湾の3国間には緊張と対立といった関係があった。日本が中国人俘虜殉難者の遺骨問題を抱えていた当時、中国仏教協会は1952年日本に仏像を寄贈。中国と台湾は「遺骨」をめぐってお互いにけん制しあっていた。視点を換えれば、「遺骨」が戦後の3国関係を規定しているのだ。

 このように日中関係は紆余曲折ありながらも正常化以前から交流があった。中国からの帰還者、東亜連盟のメンバー、それらを架橋するように中国人俘虜殉難者の遺骨送還を主導した仏教者たちがいた。そうした歴史を踏まえながら新たな日中(仏教)関係の構築を期待したい。
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