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仏書・良書に親しむ
春の新緑読書特集2017

『週刊佛教タイムス』2017年5月18日号の新緑の読書特集では、22冊の仏教書・宗教や信仰をテーマにした書籍をご紹介しました(各書評は紙面でご覧ください)。

・〈編者に聞く〉川口智康編『深草元政『草山集』を読む―近世初期学僧のことばと心』勉誠出版
・〈著書を語る〉船山徹『梵網経―最古の形と発展の歴史』臨川書店
・赤池一将・石塚伸一編著『宗教教誨の現在と未来』本願寺出版社
・佛教史学会編『佛教史研究ハンドブック』法藏館
・勝山市編『白山平泉寺―よみがえる宗教都市』吉川弘文館
・高橋尚夫『維摩経ノートⅠ』ノンブル社
・矢野治世美『和歌山の差別と民衆』阿吽社
・五木寛之・本田哲郎『聖書と歎異抄』東京書籍
・あそかビハーラ病院編『お坊さんのいる病院』自照社出版
・関沢まゆみ編『民俗学が読み解く葬儀と墓の変化』朝倉書店
・東隆眞『この道をゆく』北國新聞社
・清水眞澄『戦国時代と禅僧の謎』洋泉社
・金龍泰著・蓑輪顕量完訳・佐藤厚訳『韓国仏教史』春秋社
・浄慧『中国仏教と生活禅』山喜房佛書林
・保坂隆『空海に出会った精神科医』大法輪閣
・金剛大学仏教文化研究所編『地論宗の研究』国書刊行会
・中村潤一『風説じがげ旅』日蓮宗新聞社
・村田夕海子『ぼくのおまいりがながーいわけ』仏教伝道協会
・『お東さんのぬりえブック』東本願寺出版

新緑読書特集 掲載広告
ノンブル社.jpg吉川弘文館.jpg佼成出版.jpg浄土宗出版.jpg
自照社出版.jpg曹洞宗.jpg東本願寺出版.jpg勉誠出版.jpg
法藏館.jpg朝倉書店.jpg方丈堂.jpg
本願寺出版.jpg法音寺.jpg
日本教文社.jpg白馬社.jpg
ソナエ.jpg

大澤武司『毛沢東の対日戦犯裁判』中央公論社
内村琢也『東亜連盟運動と石原莞爾』春風社
坂井田夕起子『誰も知らない「西遊記」』龍溪書舎

中国3冊.jpg 田中角栄首相が中国を訪れ、周恩来首相と握手を交わしたのが1972年9月。この日中正常化から45年を迎える。一方、日中仏教懇話会を前身とする日中友好宗教者懇話会が設立されてからこの5月で50周年となる。日中交流は2千年に及ぶが、戦前・戦中・戦後の日中関係は動的であり、その史実を考えるうえで示唆深い3冊を紹介する。

 まずは大澤武司著『毛沢東の対日戦犯裁判』(新書判・260頁・価860円+税)。副題に「中国共産党の思惑と1526名の日本人」とあるように、BC級戦犯の裁判や処遇について記述したものだ。厳しい判決が予想されたが、意外にも死刑判決はいっさいなかった。毛沢東率いる中国共産党が中華人民共和国を樹立するのが1949年10月。それ以前は蒋介石の国民党が実権を握っていた。蒋介石時代の戦犯裁判では140人が刑死し、病死などを含めると175人に及ぶ(『世紀の遺書』)。毛沢東の新中国にとって人道的な面で国際社会に訴える力をもっていた。

 これだけ見ても極めて寛大な判決であったことが理解できる。管理面においても手厚く遇されていた。その管理所では「認罪」教育による思想改造が行われていた。そうした中から自らの残虐行為を認め、「但白(告白)」するようになった。こうした体験者たちが日本帰国後、中国帰還者連絡会を組織。仏教者がかかわった中国人俘虜殉難者の遺骨送還にも参加していった。

 内村琢也著『東亜連盟運動と石原莞爾』(A5判・388頁・価5000円+税)は、日蓮主義の影響を受けた石原莞爾が推進した運動を取り上げている。宗教社会学の論文ではあるが、歴史的な検証も多く、いくつかの事実を発掘する。東亜連盟運動は多民族主義的であり、日本のみならず中国・満州・朝鮮半島にも支部を持っていた。本書では1934年から46年までの運動を仔細に辿っている。終戦直後は「活況」を呈したものの、GHQの命によって解散にいたった。

 注目したいのは中国との関係である。戦争末期の1945年3月から4月にかけて蒋介石の意を汲んだ幹部が来日し、日中和平を試みた。「繆斌(みょうひん)工作」である。繆斌は中国の東亜連盟協会会長に就任した経歴を持つ。また後に南京政府首班となった汪精衛(汪兆銘)も東亜連盟の理解者だった。来日した繆斌は和平案を提出して日本政府に働きかけるものの、受け入れられなかった。繆斌は戦後間もなく漢奸第一号として銃殺された。

 前2著は昨秋発行だが、坂井田夕起子著『誰も知らない「西遊記」』(四六判・266頁・価3000円+税)は4年前の発行である。戦時下の南京で発掘された玄奘三蔵の頭頂骨が埼玉県の慈恩寺に安置され、台湾に分骨されているのはよく知られている。それに留まらず、同じ埼玉県の鳥居観音、大阪・岸和田市の靖霊殿、青森・弘前市の忠霊塔と青森市の薬王院、兵庫・篠山市の小林寺、そして奈良・薬師寺に分骨されているのだ。玄奘三蔵は死してなお遺骨が旅を続けたことになる。

 玄奘の遺骨は 汪精衛政権下の南京で発掘され、日本人僧侶をはさんで日本にもたらされた。終戦後に台湾に分骨されるが、日本と中国、台湾の3国間には緊張と対立といった関係があった。日本が中国人俘虜殉難者の遺骨問題を抱えていた当時、中国仏教協会は1952年日本に仏像を寄贈。中国と台湾は「遺骨」をめぐってお互いにけん制しあっていた。視点を換えれば、「遺骨」が戦後の3国関係を規定しているのだ。

 このように日中関係は紆余曲折ありながらも正常化以前から交流があった。中国からの帰還者、東亜連盟のメンバー、それらを架橋するように中国人俘虜殉難者の遺骨送還を主導した仏教者たちがいた。そうした歴史を踏まえながら新たな日中(仏教)関係の構築を期待したい。
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※2016年「秋の読書特集」はこちら