シリーズ原発と僧侶 柏崎編

【真言宗豊山派清瀧寺住職/官親房氏(故人)】

 最終的には7基の原発を有する世界最大の原発基地になろうとしている柏崎市(編注:1997年に7号機が稼働開始)。ここで原発誘致の話が出たのは、あの田中角栄氏健在の頃。地元、柏崎市の真言宗豊山派・清瀧寺住職の官親房氏さんに、“ぼんさんと原発”の関わりを報告してもらう。理屈ではわかっていても、現実に立ち向かうのは……

 柏崎は世界最大の原発基地にいつの間にやらのし上ってしまった。“のし上ってしまった”と書いたが、実際は左様ではなくお上(かみ)の予定通りに着々原発基地は造成されており、天下の形勢に変化がみられないというのが愚僧の現実的観察である。
 愚僧は原発の前に、「航空防除」に就いてまず反対をした。虫の死ぬクスリを空から一斉に撒くのは、これは農民の怠惰である、と地元の「柏崎日報」に書いた。
 農地解放は本来的に自作農創設が基本になっており、各自が所有した田圃を“各自”が耕作し営農するのが建前であり、個の作業を“天下”の大空から一斉に撒き散らすことは作業の管理化といえばそれまでだが、個人で小規模づつ防除をすれば、虫の死方もちがうと航空防除の弊害を訴えたのである。
 航空防除は天に向かってツバを吐く行為だと論じたのである。稲には効能があったろうが、薬剤が小川に染みついてホタルが全然みられなくなったり、すでに自然の変化おおばあに云えば“破壊”がはじまっていたのである。
 新聞の反響は、百姓もしないボーズが何をこく、笑わせるナで問題にならなかった。オレ達が作った“米”をお寺さんの本尊さんに上げるのだぜ、百姓の米づくりにけちをつけるナという“御意見”であった。
 山の谷に井守のすむ小さい田圃があった。耕作前に石灰窒素を撒くと井守の真ッ赤な腹が出て血の池になる。
 柏崎はこれはという産業のない静かな町で、かつて田中角栄先生は自衛隊を持ってくるというハナシがあったが、“原発様”が進出してこられるニュースにかわった。
 これは僥倖だと胸の内を勘定した人もいたし、原発はコワイぞと反対に警戒した御仁もいた。話によれば当時の市長と田中さんの間で、原発メリットの原発三法等についてすでに具体的な打合わせがあったとかきいている――
 愚僧も自分なりにベンキョウし、先輩の小浜市の中島哲演さん、真言友の会の小室裕充さんらと交友をふかめ、いろいろと御指導を頂いた。
 ふけばとぶような草庵の主が、急にでかいことを申してもなんにもならない。ヒンシュクを買うだけで、いや、眼中に入らないのが実態である。
 ひとりでダメならふたり、さんにんと仲間をつくっていって力を蓄えることがまず第一だと思う。ぼんさんの“良心”にかけて“同志”を増やしていくことである。
 理屈は分っていても、愚僧の近辺のお坊様はみなお偉方ばかりで、お上(かみ)がなさろうとする“御政道”に背叛する非常識、バカはめったにいないのである。内心、原発は恐いゾと思えば思う程、要心ぶかくなって「国策ですから、協力しなくちゃ」と、口を濁すのである。

原発と“異分子”
 国策というのは大事である。善男善女が協力を惜しんではならないのは当たり前の“モラル”であって、いやかつて日本帝国は聖戦の名のもと、アジアの侵略を遂行してきた消し難い体験をもつ。
 デモクラシーがどれだけ育ったかは未知数としても、いまの大衆は昔ほど馴らされていない。原発に反対が起きてもフシギでないし、運動にぼんさんがいてもめくじらを立てる必要もないのであるが、実際は違うのである。
 愚僧は地元の小さな新聞に月2、3回程度、駄文を投稿していたが、原発に対するかんがえも発表した。1部、80円の新聞を50部買ってその都度あちこちへ配った。こっちから勝手に選んで郵送する一種の“自慰行為”で返事など当てにしていない。亡くなられた中野好夫、市川白弦氏等から頂いた励ましに田舎坊主は勇気を得た。
 また、後で管長になられた正大学長に、地域での反対運動について質すと、それは、あんたの個人のモンダイですから、自分の良心に従っておやりなさい、という御尤もな“指導”であった。
 数年前、長岡で本庁のお偉方が来られた時、最後に懇親会になり顔みしりのボスが「お前、まだ、ゲンパツやってンか」と、あわれみのお言葉を賜った。
 ロ事件が起きてもへっちゃらで、いや、角栄先生は大量得票をして新潟3区を有名にする。反権力の大会があり、加藤登紀子が歌ったりして愚僧も参加した。
 ほんの一部、他県在住の僧侶とつきあいはあったが、近辺に生活する方々との連帯運動は全然ダメであった。原発反対と言葉に出すことより、周囲ではあれは“異分子”だ、そっとして置けといういたわりのフンイキが段々と濃厚になり、いや、しらじらしい批判のまなこが感じられたのである。
 檀家のみなさんには慎重にハナシをしたつもりだ。原発は人類と共存できないからやめろ、という表現でなく、御存知の通り、まかりまちがえば大変なことになるシロモノだから、これ以上増やすことに対して“人間”はマジメにかんがえなければならぬと――
 草庵の隣り組10戸の家をみてもほとんど農家であるが、日曜百姓以外は土方に出て働いている人がかなりいる。○○組に属していて、おおむね会社は原発工事に関連している。
 原発がおっかないことは重々承知であるが、いま、取るカネも、おまんまのタネも大切なのである。廃棄物、放射能も分るが、いま、手に取るカネが先なのである。人間が自分の首を締める論法が理解できても、それは先の先のことで俺の知らンことだという利己主義。
 アメとムチというが、1号機からここ迄進捗すると目立って周辺がよくなり、立派な施設が増えて柏崎はみちがえるように変貌してきた現実。誘致した市長さんの評価が高まるのもむべなるかな。原発に不安のない方はいないと思うが、さし当たり国策――体制に便乗する妙味に浸かっている会社、善男善女もおおいのである。

原発より玉体の安穏を
 柏崎編最終回から申すと、愚僧の原発反対は途中にして挫けてしまったのである。別に反対を中止した訳ではないが、眼の色を変えて大仰に叫ぶことを止めたのである。“諸般の事情”周りのフンイキに向って強引に立向かう気力が抜けてしまった。阿呆らしくなってきたのである。
 愚僧が書いていた反権力的文章が地元の新聞に活字にならなくなったことが、まず第一である。特に原発に関しては一方的に批判するものはボツになった。地元新聞は東京電力から広告料を貰っていたし、大新聞と同じ面積の啓蒙広告が掲載されるようになった。原発に基づく内容は御用新聞とは云わないが、載せないのが常識であろう――
 週に2、3回シンパイ事相談に市役所へ出かけたが、いつも市役所職員組合事務所の前を足早に通り抜けた。革新政党の寄合に出席しなくなっていった。
 原発反対を“慎む”ようになったのは、己れの宗教的信念が、行動が希薄になっていったことである。脆弱に落ちたことは苦々しきかぎりである。原発反対の議論をやっていると、愚僧はニヤニヤして拝聴しているが、内心、自嘲的虚無感に埋没している。不愉快千万である。
 真言のぼんさんはやはり、玉体の安穏を祈念して、アリガタイ「四恩」を説いていたほうが間違いないようだ。お上のなさる国策に対して反対、つべこべいうのは愚の骨頂で、いや、はみ出た異分子は檀家のみなさんから色目にみられる。
 原発の補償金がぼっと入り漁師さんはあわてたが、大層立派な仏壇を買って法事をした。般若湯が利き、原発反対だとバカは云えぬのである。
 とまれ、宗教者として原発と共存できないという信念、頑なな「信仰」がなければ、なまじ反対だとみえをきるべきでない。軽率のそしりを免れぬ。
 檀家に万事依存する小寺は、宗教的信念より、常識的寺門興隆が“健全”である。いまのぼんさんはおしなべて健全性に秀でており、政治的判断、おんみ大切は極めて健康的だ――地球がどうなろうと知ったことでないのである。“天皇制”を尊ぶことが、お上のなさることを遵奉することが身の安全保障に繋がる妙味はないのである。
 とび上りの危険なぼんさんが1人、2人居ても既成のしっかりした宗団黙殺し淘汰していくのに手間はかからない。何しろ、あ・うんの呼吸が合っているのだから、異端者は消えていくすじみちになっている。
 いま、意気さかんに原発様のお通りである。然し、30年余もすれば炉心の寿命がくる原発に町はゴーストタウンと化して、広大な地にエネルギー最先端の墓場ができる。放射炉が抜かれたとしても、広域の死の町が居残ることになる。
 愚僧は、一旦、原発が大変なことになる予想に対して、“生き仏”を大事にする宗教集団が先を争って反対運動に参加するかと思ったが、いやはや、全く、自分のかんがえは葬り去られたのである。
 僧侶の立派な姿勢を勉強した次第である。望みなし。
 合掌。


――――佛教タイムス1990年3月5日号、3月25日号、4月5日号掲載