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2017/9/21
〈共生特集2017〉 活動レポート

遠州仏教積善会・浜松仏教養護院 セーフティネット100年超 教誨活動を淵源に弱者救済 救護施設から看取り施設まで

 100年以上もの間、セーフティネット一筋に取り組んできたのが静岡県浜松市の寺院だ。社会福祉法人遠州仏教積善会(中区鴨江)は、日本の保護司制度の祖とも言われる実業家の金原明善が1880年に僧侶に依頼して静岡監獄所で教誨活動を始めたのを淵源とし、1913年に臨済宗方広寺派大本山方広寺の中に「遠州積善会」を設立、21年に現在地に移転された。理事・評議員には宗派を超えて7寺院の住職らが名を連ねる。遠州①.JPG慈照園ロビーの仏間にて、左右田雅子園長と泰丈理事長

 戦前は受刑者の教誨、出所者の社会復帰支援が行われたが、戦後の日本全体が困窮していた時代には生活保護法に基づく更生施設「慈照園」として再出発。慈照園は現在では同法にいう「救護施設」となっている。

 「救護施設の知名度はほかの保護施設に比べ高いとは言えません」と解説するのは左右田雅子園長。生活保護法の定義では「身体上又は精神上著しい障害があるために日常生活を営むことが困難な要保護者を入所させて、生活扶助を行うことを目的とする施設」で、経済的な問題を含め生きるのが困難なすべての人に門戸を開き、健康で安定した生活を営めるようにする施設だ。

 慈照園には現在、精神障がい者を中心に45人が入所している。園内は自由時間がたっぷりあり、文化・スポーツのクラブ活動も活発。大会での入賞経験者も多い。もちろん、社会復帰を目的とする施設なので賃作業もある。お菓子の箱作りや、自動車の部品のバリ取りなど、平日は1日4時間の作業。みな、おそろいのユニフォームを着て真剣な表情だ。賃金は人によるが1カ月で2千円から8千円ほどで、昔に比べると収入は低くなっているとのことである。生活保護や障がい者年金を受けている人が大半ではあるが、社会復帰は楽ではない。ここ5年間の退所者のうち、就労しアパートで独り暮らしを始めたのは12人。

 平均入所年数は5・2年。10年以上暮らしている人もいる。雅子園長は「自分らしく生きられなかった時間が長かった人は、立ち直るまでの時間も長くかかります。けれど落ち着くと本当にいきいきとする」と語る。長く暮らすうちにこわばった心も打ち解け、笑顔と安寧を取り戻すのだ。(続きは9月21日号紙面をご覧ください)

樹医・山本光二氏に聞く 樹に生かされて 故・山野忠彦氏に師事 樹木の治療は人間と同じ 長い寿命に応じた人材養成も

 日本で初めて「樹医」を名乗り、多くの老木や巨木を治療し、蘇らせてきた人物がいる。山野忠彦氏(1900―98)である。山野氏に師事し、そのDNAを受け継いだのが日本樹木保護協会の代表樹医、山本光二氏(64)。北海道から沖縄まで全国をまわり、老木・古木を蘇らせてきた。協会のある大阪府交野市の山満造園を訪ねた。
 ………………………
 山本氏には、山野氏と出会った時の印象深いエピソードがある。それは初めて関わった木であり、初の共同作業でもあった。山本氏が20代前半。40年以上前である。

 場所は大阪。

 「大阪府立大学と大阪市立大学、それに大阪府と大阪市の4者が集まってね、この木は助からんとかやっている。そこに山野先生が入った。大学の先生と行政担当者こぞって、寿命だから仕方がない、助からんと。この木に関わるとあなたの経歴に傷がつくので、やめた方がいいですよとおっしゃる人もいた。それに対して山野先生は、何を言ってんねん、この木を治さなければ、樹医を名乗っている意味がないやないかと言われた。大きく出たなと思いましたね」①はながら摘みこぶ、ツル調査1.jpg樹木を調査する山本氏

 緊張感ある議論を見守っていた山本青年。ここから山野樹医との二人三脚が始まった。「それで、こうしなさい、ああしなさいと教えられ、分からないから言われる通りにやった」と振り返る。「よし、これでいい」と山野氏が声をかけた。翌年、実をつけ、葉も大きくなった。「山野先生も、『見ろ、こんなに元気になるんや』と」

 元気になったこの木は大阪市天王寺区にある五條宮境内の神木で、樹齢500年の公孫樹(いちょう)である。「木は6分の1ぐらいしか生きていなかった。ほかはみな枯れていた。木というのは皮(樹皮)が付いているところで生きている。ほかは皮がない。おそらく戦争の時の空襲で焼けたんでしょう」と山本氏。木が自ら治っていくことを体験したのだった。

 父親の影響もあったが大学では農学部に進み、学んだことを生かせる仕事をとこの道に入った。「木を助けるとは何を言ってるの、という感じ。枯れたら薪にすればいいじゃないか、傷んだら植え替えたらいいというのがこの業界。木を助けなければいけないというような発想が世の中にもなかった」

 それだけ恩師山野氏との出会いは大きかった。「パイオニアですね。常人では計れない。一言で言えば変わり者。だから強烈な味方もいるけれど、敵も多かった。発言はストレートですからね」と苦笑する。
 日本樹木保護協会として1300本以上を治療してきた。山本氏も全国を駆けめぐっている。

 岐阜県のあるお寺から、赤い実を付けるモチノキが弱っているという相談をうけた。「実を付けると木が弱るので、青いうちにもいじゃう。それを3年ぐらい続けた。住職さんからハガキが届いて、あなたがお越しになるのをお待ちしております、という内容。良くなったと書いていない。ドキッとして、枯れてしまったなと頭を抱えた。どんな顔して行こうと思いながら山門を入ったら、青々と茂っている木があるじゃないですか。住職さんが小走りでやってきて、良くなりましたよと。ホッとしましたね。うれしかったですね」

 こうしたエピソードには事欠かず、緑の豊富な寺社からの依頼も多い。
 樹医は資格制度のある樹木医とは異なる。 「ペーパーテストに合格し、スキルが一定基準に達すると樹木医として認定せざるを得ない。そうするとその人のハートの部分、木に対する思いや助けようという願いは関係ない。一番の違いはここかな」と話す。樹医は資格制とは異なり、山野氏と山本氏が確立した治療技術を理解し習得していなければならない。何よりも木への愛情が問われる。そのため樹医は10人ほどに過ぎない。(続きは9月21日号紙面をご覧ください)

宮城県 福祉の地域資源を活かす 東海林良昌氏(浄土宗雲上寺)×高橋悦堂氏(曹洞宗普門寺) 「ケアむすび」介護者をサポート 「とめっくりーず」顔の見える関係構築へ 

 超高齢化社会をむかえ、地域での医療・福祉が課題となる中、宮城県で青年僧侶が地域での役割を模索しながら取り組みを進めている。

 浄土宗雲上寺副住職の東海林良昌氏が代表を務める「介護者サポートネットワーク・ケアむすび」は、仙台市・塩竃市・石巻市で隔月に「介護者の集い」を開催する。「介護は突然始まり、いつ終わるかわからず、また突然終わることもある。そんな中で孤軍奮闘する。一人でそれを受け持てば、過重な負担がかかる」(東海林氏)。そんな介護当事者の孤立を防ぎ、悩みやストレスを分かち合う場を提供するのが「ケアむすび」だ。
④ケアむすび.JPG雲上寺で開催される集いの様子。中央は東海林氏
 
 「集い」には5~6人が訪れ、車座になって語り合う。このほか、面談、メールやFAXでの個別相談も受けている。東海林氏、臨床仏教師をはじめとする数人の僧侶、社協の職員、カウンセラーらが会に携わる。「問題を解決するのは難しいです。その中でも今の状況をこらえていけるような動機の一つになれれば」

 介護を終え、「あの時こうしてあげれば…」「あの医療の選択で良かったのか」と自分を責める人もいる。東海林氏は「グリーフ(悲嘆)を語る場所がなかなかない。そういう時に、僧侶がいてグリーフワークに関わっていく」とその役割を話す。

 介護と言っても、病気の種類や人間関係など様々な要因で状況は異なり、一般化することができない。「葬儀の前につながることがより大事だ」と思うようになった。ただ新たな活動を始めるだけでなく、「普段の教化活動でも、意識を向けることで気づけることがあると思う」とも指摘する。

 臨床宗教師として活動する高橋悦堂氏(栗原市・曹洞宗普門寺副住職)は、高齢者や障がい者のデイサービス、病院や在宅クリニックなど地元の様々な医療・福祉施設で活動している。8月26日に仙台国際センターで開催されたがん患者支援の24時間チャリティ「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2017みやぎ」の実行委員長も務めた。

 臨床宗教師の産みの親である故・岡部健氏(医師)は「看取り文化の再構築」を提言した。「そこに必要なのは医療や介護の力だけなくて宗教者の力。だからこそ、医療介護業界と宗教者が協力するというのをイメージしたんだと思います」と高橋氏。

 「宗教者が地域にどうやって関与できるのか」と試行錯誤をしながら活動する中、地元で医療や介護に携わる若手10人と「とめっくりーず」も立ち上げた。栗原市と登米市に住む看護師、薬剤師、ヘルパー、福祉ネイリスト、自衛隊員らがメンバーで、その目的は「みんなが安心して楽しく暮らせる登米栗原をつくる」こと。最初の活動として9月22日に「ケア・カフェ」を開催する。

 過疎化や高齢化の課題がある中で、若い世代が中心となって医療・福祉を入り口に町の将来を考えたいと集った。「医療・介護で今よく言われるのが顔の見える関係性づくり。いざ連携という時に、どこにどんな人がいるのかが分からなければ連携できない。その関係性ができたら次は腹の見える関係性、そしてお坊さんを含めた地域資源をどう活かしていくかを考えたい」と展望する。(その他の共生レポートは9月21号紙面をご覧ください)

2017/9/21
日本宗教学会公開シンポ「歴史のなかの大学と宗教研究」 近代宗教学と宗門教学に葛藤 仏教学「教団による教団のもの」 

 日本宗教学会第76回学術大会の公開シンポジウム「歴史のなかの大学と宗教研究」が15日、文京区の東京大学で開催された。明治38年(1905)、世界的にも早い時期に宗教学の講座が東大に開設されて以降、各大学で広く学術的宗教研究が進展。西洋の科学的研究法を導入した近代宗教学が、日本の宗教に与えた影響などを議論した。①日本宗教学会.JPG近代宗教学の黎明から今後の展望まで討議した

 鶴岡賀雄・東大教授は、「近代日本の大学における宗教研究の性格とその変遷」のテーマで提題。東京帝国大学宗教学講座の初代教授、姉崎正治が提唱した「宗教学とは宗教の現象事実を研究する学」で「一宗一派に偏るものではない」という定義を振り返り、現在まで続く宗教学研究の最低限の原則として「自己の信じる特定の宗教が最高であると主張し、論証し、宣揚することを目的とする研究は慎むこと」を挙げた。

 東大をはじめ各帝国大学で宗教学研究が行われるようになるが、大正7年の大学令による拡張期に入ると大学として認可された私学の旧専門学校でも研究を開始。仏教系でも各宗門がそれぞれの学林を宗教系大学に組み替えたが、「西洋由来の批判的な科学的研究に対して、伝統的な宗門の教えを西洋文明、帝国大学の権威のもとにどう関わらせるのか、という葛藤が生じた」と分析した。

 コメンテーターの林淳・愛知学院大学教授は、日本宗教学の特質を提起。「西洋では宗教学と仏教学が一体化していたが、日本では仏教教団があるから仏教学を分離した。日本の宗教学は仏教学を失ったままスタートせざるをえなかった」と述べ、「近代日本の仏教学の受容は、仏教教団による、仏教教団のためのもの」だったと位置付けた。

 島国である日本の文化や宗教は、「ガラパゴス化する」と指摘。「日本独自の儒教や陰陽道、神道、かくれキリシタン、鎌倉仏教、修験道などの日本の宗教をどうやって普遍化するかが近代の知識人の課題だった」とした。

 フロアから中野毅・創価大学教授が発題。「明治以降に新宗教が多く誕生するが、一番勢いがあったのが天理教」として天理教の中山正善・第2代真柱が東京帝大の姉崎教授のもとで学んだことを挙げ、「これにより天理教を合理的な教義に改革していった。宗教学の大きな成果だった」とした。

 信仰者として宗教学を学んできた自身の体験も回想。「自分の信仰を相対化し、広い視野で見直すことができた。日本の宗教学の発展のためには様々な新宗教から研究者を集める、もしくは新宗教の発展のために宗教学が尽力することが大事」と持論を展開した。

2017/9/21
本願寺派 規模縮小して千鳥ヶ淵法要 台風18号で諸行事中止も 石上総長が「平和宣言」奉読

 浄土真宗本願寺派は18日、東京都千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で第37回千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要を関係者で営んだ。台風18号の接近に伴い、参拝者の安全確保と会場設営の関係で諸行事は中止となったが、今年も平和の鐘を鳴らし、石上智康総長が「平和宣言」を奉読した。②本願寺千鳥ヶ淵 (1).JPG関係者のみで営まれた追悼法要後、六角堂から退堂する石上総長〈中央〉と安永宗務長

 非戦の誓いを新たにする「平和の鐘」が鳴り響くなか、石上総長、安永雄玄・築地本願寺宗務長が入堂。初めに石上総長が「平和宣言」を奏上した。この中で、今なお続くテロリズムなどの暴力の頻発、経済格差・社会的な不平等、少数者への差別といった平和の課題を列挙。「私たちの自覚されていない愚かさ、排他性をもった自己中心的なあり方こそが、社会に不平等を、差別を、孤独を生み出している」としたうえで、「仏さまのお覚りの真実をよりどころとして、『平和』な社会が構築されるよう歩み続けていかなければなりません」と誓いを述べた。

 安永宗務長を導師に法要を営み、正信念仏偈を読誦。その後、参拝した関係者らが焼香した。

 台風18号の影響で例年行われていた、宗門関係学校の生徒による作文の朗読や仏教讃歌の斉唱などは直前になって中止が決まった。当日は台風一過で晴天となり関係者での勤行を行うことになったが、毎年のように千鳥ヶ淵に参拝している門信徒も数名訪れたほか、午前中には前日に行われた「平和フォーラム」や「平和の集い」に参加した教区の団体参拝もあった。

2017/9/14
大学仏青連合が初の合宿 首都圏の仏教系・一般大学から60人 青年の主張で熱弁も

 昨年、首都圏の仏教系大学・一般大学の仏教青年会サークルで結成された「大学仏教青年会連合」の初の合宿が7・8の両日、東京都大田区池上の日蓮宗宗務院を中心に開催された。「世界仏教瞑想の旅」をテーマに学生ら約60人が参加し「智慧と慈悲」を深めた。
江川さん①.JPG国際禅布教への思いを語る駒大の江川さん
 顧問の一人、蓑輪顕量東京大学教授は昨年タイのチェンマイで開かれた「青年仏学検討会議」に世界中の仏教青年700人近くが来場したことに圧倒され、同じことを日本でできたら良いと思ったことがきっかけだったと挨拶した。

 初日の瞑想はタイ、バングラデシュ、台湾佛光山といった海外の僧侶の実践指導のほか、臨済禅、日蓮宗の唱題行、インド哲学に基づくヨーガを実体験した。宿泊は宗務院に近い本山大坊本行寺で、朝は日蓮聖人御臨終の間において勤行に参加した。

 2日目は、福島市に置かれている曹洞宗復興支援室分室主事の久間泰弘氏が、行茶や子どもの悩みの電話相談など東日本大震災復興支援活動を報告。「他者に寄りそうことは困難であると体感した活動者は私自身を含め少なくない。しかし、だからこそ身を置いて活動する大切さも学んだ」と、慈悲の実践を促した。秦さん②.JPG就職活動が仏教に向かう転機になった早大の秦さん

 大学仏青らしく「青年の主張」コーナーも。駒澤大学2年生の江川正司さんは、5月にフランスで行われた曹洞宗ヨーロッパ布教50年行事に参加したことを報告し、欧州に布教の種を播いた故・弟子丸泰仙師を鑽仰。カトリック信徒が坐禅するために禅道尼苑へ何年も通うことに驚いたという。

 仏教はもはや日本やアジアだけのものではなく世界中の人に開かれなければと国際布教の必要性を語り、「葬儀や先祖供養、御祈祷で人々に安心してもらうのはとても大事なこと。それと同時に仏教や禅宗の本質に戻り、人々と歩むことも僧侶としては欠かせないと実感しました」と熱弁をふるった。

 早稲田大学4年生で、広告代理店に就職が決まっている秦正顕さんは、真宗興正派寺院の長男として生まれた。大きな期待を浴びながら育てられてきたが「仏教はよくわからない、お寺を継ぎたくない」と敷かれたレールの上を歩きたくなかったという。

 しかし、就職活動が転機となり遠ざけていた仏教を改めて勉強すると愛別離苦など思想が「生き物のように自分の中に入ってきた」。仏教は間違いなく今の人々に伝わるべきものだと確信したが「まだ、僕にとってなくてはならない存在ではない」と率直に告白。一方でこれからも勉強して、社会の荒波の中で仏教を体得し自分の言葉で仏教を語れるようになった時にお寺に戻ろうと思っていると夢を語った。

 仏教講談の名手、神田蘭氏が西行法師と樋口一葉を主人公にした講談を披露。巧みな話芸に法話へのヒントを多くつかみ取った。最後はバングラデシュ僧侶のジュティ・ラキット氏が導師となって結願法要が営まれた。

 顧問の佐久間秀範筑波大学教授は「企画や準備、当日の進行など学生が本当に一生懸命やってくれた。来年も開催予定です」と手応えを口にした。青年会連合は、東大・早稲田・慶応・東洋・武蔵野・駒澤・立正・大正の8大学の青年会が正式参加しており、今合宿には京大、筑波の学生も個人参加した。

2017/9/14
興正寺問題 名古屋地検が家宅捜索 元住職を背任容疑で聴取

 名古屋市昭和区の高野山真言宗別格本山・八事山興正寺の梅村正昭元住職が、80億円もの寺有財産を外部に不正流出させたとされる問題。名古屋地検特捜部は12日午前7時半、宗派から除名(僧籍剥奪)された元住職が「不法占拠」を続ける寺務所や元住職の自宅をはじめ、複数の関係先の家宅捜索に入った。元住職と息子の梅村昌寛元副住職には任意同行を求めるなど、強制捜査を開始したことが関係者への取材でわかった。背任容疑で元住職から事情聴取を進めているとみられる。

 宗派の特任住職(添田隆昭宗務総長)側は昨年9月、梅村元住職が中京大学への寺有地無断売却(平成24年)で得た138億8千万円の多くを、自ら選任した元責任役員らと結託して寺外に流出させたとして、元住職と元責任役員らを背任・横領罪で名古屋地検に刑事告訴。以来、「空前絶後の〝寺有財産の横領による寺院乗っ取り〟の手口の全容解明」(宗派関係者)を期待してきた。

 寺有地巨額売却の意図

 梅村元住職側は裁判で、隣接する中京大学に138億8千万円で売却した寺有地(6万6358㎡)について、「同大の敷地として50年にわたって貸していた」として、「管長の許可を受けるべき不動産の処分は、境内の土地の処分であり、境外地として大学に賃貸しており、半永久的に境内地として使用することができない土地がこれに含まれると考えていなかった」と弁明。過失行為に過ぎないと反論した。

 だが中京大学からの借地料収入は年間3億円で、利益率は売却収入138億8千万円の約2・16%に及ぶ。宗派関係者は、「売却するよりも賃貸していた方が寺院運営にはプラスになると判断するのが普通だ」として売却意図を疑問視。実際、売却収入の多くを息子である元副住職や元責任役員の関係会社などに流出させていたことが国税局の税務調査で発覚したことから、「最初から架空契約を結んで、寺有財産を山分けするつもりだったのは明らかだ」と憤る。

2017/9/14
大谷派宗議選 全65議席決まる 名古屋、高田、日豊で選挙戦

 任期満了に伴う真宗大谷派の宗議会議員総選挙は11日に期日を迎え、定数65人の顔ぶれが決まった。届け出締め切りの8月30日までに現職50、新人17、元議員1の計68人が立候補した。30選挙区のうち選挙戦となった3選挙区で同日、投開票され、名古屋は現職3人と新人2人が当選し、新人1人が落選。高田は現職と新人の2人が当選、現職1人が敗れた。日豊でも現職と新人の2人が当選し、現職1人が落選した。任期は17日から4年間。(続きは9月14日号紙面をご覧ください)

2017/9/7
京都・本山佛光寺 戦没者の遺骨で造像した「御骨仏」を66年間安置 制作者は不明

⑦佛光寺 御骨仏.JPG寝殿に安置される阿弥陀如来像の御骨仏 戦争で亡くなった人の遺骨で造られたとされる「御骨仏」が、京都市下京区の真宗佛光寺派本山佛光寺に安置されている。戦没者に阿弥陀如来と深くご縁を結んでほしいとの遺族の願いは、66年経った今も大切に伝えられている。

 太平洋戦争以降、門徒らの戦没者が増えた。佛光寺は戦時中の措置として院号法名を授け、作った位牌を寝殿の両脇に設けた壇に安置した。
戦後、戦没者の遺族から遺骨が佛光寺に持ち込まれるようになった。その無念が受け止められ、荼毘に付した位牌の灰とともに、粉状にした遺骨で御骨仏が造られたという。「本山で追悼してほしいとの願いに応えたのだろう」。元宗務総長で西徳寺(東京・台東区)の大谷義博最高顧問(80)は、そう伝え聞いたと語った。

「殉国者位牌荼毘法要」は昭和24年(1949)4月11日に執行。それから2年後の同26年4月8日に開眼法要が営まれ、寝殿に安置された。像高は約50㌢。制作者は不明だ。佛光寺職員によると、約20年前に御骨仏に手を合わせたいと訪れた人がいたという。

 櫻井佛像彫刻工房(京都市中京区)の仏師・櫻井覺山代表は御骨仏の写真から、遺骨をまぜた石膏を盛り重ねたのではないかと推測する。両手以外は仏師の作ではないようで、古典的な衣紋から判断すると、手本とした仏像を模して造られた可能性もあると分析した。

 現在、浄土宗一心寺(大阪市天王寺区)が遺骨で御骨仏を造ることで知られるが、櫻井氏は仏像と遺骨には密接な関わりがあると指摘する。古来、胎内に遺骨などを納めた仏像は多くあり、櫻井氏も補修を依頼された鎌倉初期の仏像の頭部から、毛髪や骨と見られる炭が出てくる経験を何度かした。櫻井氏は、「こうした例は数えきれないほどある。人の魂を弔うためにも仏像は造られてきた」と話した。

 佐々木亮一宗務総長(73)は、渋谷惠照門主(92)も折に触れて御骨仏を気にかけていると述べ、「教団は当時、遺族の悲しみに寄り添う方法を模索したのだろう。伝えられてきた思いを大切に守っていきたい」と語った。惠照門主の夫で29代門主の真照上人は、「南太平洋戦没者慰霊団」として太平洋戦争の激戦地サイパンやグアムを巡拝している。奥博良元宗務長の記録によると、サイパンで亡くなった人の遺骨が佛光寺に安置されているという。

2017/9/7
印度山日本寺・北河原公敬第6世竺主(東大寺長老)の晋山を祝う 宗教福祉事業の認知を呼びかけ

①国際仏教興隆協会 北河原竺主 晋山祝賀会 .JPG聖地ブッダガヤ復興に協力を呼びかける北河原公敬竺主公益財団法人国際仏教興隆協会は4日、京都市内のホテルで今年1月にインド・ブッダガヤの印度山日本寺第6世に就任した北河原公敬竺主(東大寺長老)の晋山祝賀会を開催した。近年、日本寺の存在や同協会が現地で行っている宗教福祉事業について知らない人が増えていることから、北河原竺主は「より多くの人々に日本寺を知ってもらえるよう努力していきたい」と抱負を述べた。

 祝賀会には、村上太胤・薬師寺管主や狹川普文・東大寺別当、仲川げん・奈良市長など約280人が出席。村上管主は「仏教徒の一番の聖地に日本寺があるのだとご承知をいただき、2度3度お参りをしていただきたい」と念願した。狹川別当は北河原竺主の人となりを「強靭な精神力を持ち、何事にも慌てず、次のことにもしっかりと向き合う。見習うことが多い」と述べ、北河原竺主の下での日本寺の発展に期待を寄せた。

 同協会は昭和43年(1968)に宗派を超えた賛同により設立。仏恩報謝と聖地ブッダガヤを護持してきた住民への感謝を込め、困窮する人々への布施の実践として、無料の幼児保育施設や施療院等の宗教福祉事業を行ってきた。日印友好親善のため、日本の情報や仏教文化を発信する仏教学東洋学研究所(IBOS)も建設中で、10月中の完成を目指している。

 しかし、近年は日本国内での認知度の低下から支援が減り、事業継続は年々困難になっている。現地で100万人以上の診療実績がある「光明施療院」は、インド国内の法改正や財政難のため休診中だ。現在、協力団体の全日本仏教婦人連盟と協議し、新たな方向での医療支援を模索している。

 北河原竺主は、1973年の日本寺本堂の落慶法要を振り返り、「施食で人々にお菓子を配ることになっていたが、あまりの人の多さに現地のスタッフが棒きれを使って並ばせていた。それが今でも目に浮かんで」と困窮する住民の姿を回想し、涙で言葉を詰まらせた。

 聖地ブッダガヤ復興への協力を呼びかけ、自身の竺主就任については「日本寺がこういうことをしているのだと、大勢の方に知っていただく。その役目があると思っている」と身も心も引き締めた。

2017/9/7
映画『禅と骨』上映始まる 日系米国人禅僧ヘンリ・ミトワの生涯

⑥禅と骨チラシ.jpg 今月2日からドキュメンタリー映画『禅と骨』が公開された。禅とは何かを追究するストーリーではない。横浜生まれの日系アメリカ人禅僧ヘンリ・ミトワ(1918―2012)の波乱の人生を追ったものだ。だが、見終わるとタイトルの意味を納得するに違いない。

 ミトワは日米開戦前年、米国に渡った。開戦後は強制収容所で暮らし、結婚もした。日本では特高から目を付けられ、米国ではスパイと怪しまれた。

 戦後、米国に臨済禅を広めた先駆者である千崎如幻(1876―1958)から「清泉」という僧名を授かった。1961年日本に帰国し、京都の妙心寺を経て1973年から天龍寺の僧侶となった。お茶や陶芸に勤しむ風流人であり、映画製作を願った夢想家としての一面もある。

 ドキュメンタリーの途中で再現ドラマが入る。このドラマこそがミトワという人物とその時代を理解する上では欠かせない。ウェンツ瑛士が青年ミトワを好演。ミトワにとって終生意識から離れなかった母親を余貴美子が演じる。

 未来よりも過去にこだわったミトワ。その一つが家系図の作成だ。禅宗では師と弟子の法脈を記した「嗣書」を大切にする。米国在住の長男は家系図にさほど興味を示さない。ミトワにとって家系図はアイデンティティであり、禅的な「嗣書」だったのだろうか。

 過去にこだわるもう一つが童謡「赤い靴」をモチーフにした映画製作だった。童謡のストーリーに母親と自分の関係を擬したような認識がみられる(詳細は映画で確認を)。

 さらに注目したいのはミトワの「死」。看護する家族、納棺された遺体、葬儀、火葬、遺骨、天龍寺境内にある永代供養墓への納骨といった流れを正面から捉える。納骨の際には骨壺から取りだし肉親の骨と一緒に埋葬した。永代供養墓は最近の流行だが、伝統や習慣に即した儀礼は一見の価値がある。

 最後の場面で横浜タワーの横に巨大観音像が姿を現す。禅僧ミトワの願いを監督がかなえたのだろう。監督は『ヨコハマメリー』の中村高寛。127分。全国で上映中。(敬称略)