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2022/1/20

展望2022 水平社100年と現代の人権 ネット化で姿を変える差別 和歌山人権研究所理事・本願寺派僧侶 小笠原正仁氏


 全国水平社が結成されて今年3月で100年となる。被差別部落の若者たちが、被差別者が解放されていく、あるべき社会を求めた一歩であり、その宣言は現在もなおみずみずしい響きといまだ重い課題を我々に提起している。

 この宣言を宗教者として深く受け止めねばならないのは今や当たり前のこととなっているが、当時はそうではなかった。水平社の活動に対して、宗教者=仏教者として反応したのは浄土真宗本願寺派の大谷尊由の『親鸞聖人の正しい見方』である。これに対して西光万吉が中外日報紙上、『業報に喘ぐ』で反論した。『宣言』が、求めるものは真の解放とそのための「社会改造」である。つまりは「熱と光を求める」新しい秩序に基づく「革命」の呼びかけでもある。恩恵的な「臣民の権利」ではなく自律的な「人の権利」の享受できる社会をめざしたのである。これに対して、本願寺派は、門信徒に信仰と社会変革の無関係であることを諭す。

 国家神道による祭政一致国家である明治政府は、仏教を民衆教化のための手段としていた。それは江戸時代以来、「将軍」が「ミカド」に替わってもなんら変わりない。西光のいう『業報に喘ぐ』は、社会の批判原理たりえない本願寺派にとって不都合な真実であり、それゆえにフーコーのいう「パレーシア」であった。西光の言説は、真理として、既成秩序を脅かすのである。『正しい見方』では、仏教は「社会改造」とは無関係で、「法悦」の内に個人生活を送ることであるというのであるが、結局、社会秩序がどうあれ、どのような処遇も不平を言わずに受け取れというのである。それは個人の「因果応報」なのだから。これは真理の言葉ではなく、秩序維持のための言葉であり、支配者の言葉を代弁しているに過ぎない。つまり政治なのである。

 それから20年を経て、1945年、日本は敗戦を迎えた。水平社の求めた権利は憲法によって保障された。しかし、その基本的人権の規定が部落差別解消に力を発揮したわけではない。

 部落差別解消に力を発揮したのは解放運動であった。運動は、差別のために低位に置かれた状態の改善を求め、社会への啓発と教育を求めた。政府は、そのための施策を行ったが、人権侵害への刑事罰を適用する立法は躊躇した。その後、関連事業法は延長を打ち切られた。そして、同和問題は終わったという声がささやかれた。

 憲法の表現の自由は差別の自由ではない

 それから20年が経過し、ネット社会が拡大する中で、差別もその姿を変えていった。そのために人権三法と呼ばれる、民族差別、障害者差別、部落差別を解消するための法律が制定されたが、それもつい最近である。ヘイトの差別当事者であっても、「それまでは差別がなかったから法律の必要がなかった」とは言わないであろう。それが現状なのである。

 差別への法的手続は、可罰性のない不法行為、つまり民法上の不法行為に限定される。これを差別禁止法として可罰性を付与することについては、表現の自由を根拠に反対する憲法学者がいるが、その憲法学者が学んだ欧米では人権侵害は犯罪なのである。彼らが何に忖度しているのか見当がつかないが、日本の表現の自由は今や差別の自由の根拠となってしまった感がある。

 戦後、宗派において同朋運動が推進される中でも、「伝統的教学」は継承され、社会変革への道を閉ざしてしまう、「因果応報」による自己責任論は、現在もなお生きている。新自由主義者が口にする「最新」の自己責任論は、日本では「因果応報」によって受け止められているのである。コロナ差別のような「新しい差別」も同じ差別構造によって再生産され、処罰されることもない。

 ところで、このコロナ禍で世界は新たな局面を迎えている。距離を置くことが求められる多くの分野でDX(デジタル・トランスフォーメーション)が加速している。これは、単にパソコンやスマホで仕事や手続きをするということだけではなく、メタバースという仮想現実の世界が作り出され、そこで現実の個人情報と結びつけられたアバターとして我々は存在することになる。

 メタバースでは事業者が王となる。グーグルかフェイスブック(Meta)か、いずれの王国にしても、アバターはサービスを受けるが、王の支配に服しなければならない。宗教界のDXもこの洗礼を受ける。そして飲み込まれる。新たな王に対し、「正しい見方」か「業報に喘ぐ」かを示すことになるだろう。その時に、私は、教えが我々に示しているのは、真理(パレーシア)であるということを忘れずにいたい。

 おがさはら・まさひと/昭和31年(1956)大阪生まれ。関西大学大学院博士課程中退。日本法制史。大阪芸術大学非常勤講師。浄土真宗本願寺派僧侶。元基幹運動推進中央相談員。(一社)和歌山人権研究所理事。(財)同和教育振興会理事、㈱阿吽社代表取締役。

2022/1/20

1.17阪神淡路大震災27年法要


辻井会長(中央)を大導師に読経供養した 神戸市佛は垂水区の継孝院で 一瞬一瞬の命を大切に 
 阪神淡路大震災から27年が経過した17日、神戸市佛教連合会による物故者追悼法要が垂水区の臨済宗相国寺派継孝院で営まれた。辻井定宏会長(西区・天台宗太山寺)を大導師、善本秀樹副会長(須磨区・浄土真宗本願寺派順照寺)、西蔵全祐副会長(東灘区・高野山真言宗理性院)を脇導師に、般若心経、重誓偈、自我偈を読誦。約50人の参列者が焼香し、犠牲となった6434人に哀悼の誠を捧げた。

 辻井会長は、東日本大震災をテーマにした連続テレビ小説「おかえりモネ」の主人公・百音(宮城県の離島出身、震災をたまたま免れたことで深い葛藤を覚える)と自分を重ね合わせ、「当時、私はサラリーマンをしていました。会社に行かなければならないと思って、お寺や檀家さんの事は何もできなかった。その時は仕事が一番だと思っていましたが、何年か経つと、檀家さんのために働くべきだったのではないだろうかと後悔いたしました」と回想。

「今ある命も明日にはどうなるかわからない、一瞬一瞬を大切にしないといけない」と語り、震災の記憶を継承していく大切さも強調した。(続きは紙面でご覧ください)


昨年同様、仏教会関係者のみで厳修 長田区仏は西代寺で営む 供養の心 次世代へ
 全51カ寺から成る長田区仏教会主催の震災犠牲者追悼法要が17日午前、神戸市長田区の東寺真言宗西代(にしだい)寺で厳修された。導師の木田亮仁会長(同寺住職)は「親を失い子を亡くし、夫を亡くし妻と別れる無念、親族を失う悔やみ、誠に愛別離苦の涙、禁じ得ず」と「追悼の文」を読み上げ、供養の心を幾世代にもわたって伝えていくと誓った。

 同法要は震災発生翌年の平成8年から始められ、毎年多くの檀信徒らが参列。だが今年も昨年同様、コロナ禍に鑑み、仏教会地区役員や関係者のみの約30人で営んだ。

 木田会長(62)は法要後の挨拶で、「(1月17日、私どものお寺も(本堂・庫裏全て)全壊し、その下敷きとなって先々代(名誉住職)のおばあさんが亡くなった。その光景は今でも覚えている」と胸中を吐露。「皆さんもそれぞれ、17日の震災体験があると思う。個々の体験をいろいろな所で語っていただき、仏教会としては回向の心を伝えていきたい」と呼びかけた。

 最も甚大な被害を受けた地域の一つである長田区。区仏教会の寺院も被災する中、震災発生翌年には西代寺の仮本堂で追悼法要を営んだ。(続きは紙面でご覧ください)

2022/1/20
御朱印でALS研究支援 岐阜市弘峰寺 医療進展難病克服祈願


志納金500円。迫力のイラストは信徒筆 全身の筋肉が徐々に動かなくなっていく難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)。日本全国で約1万人の患者がいるが、その発症のメカニズムや根治法などは未解明である。そんな中、岐阜市の高野山真言宗弘峰寺(田村昌大住職)では御朱印を通じた研究支援を行っている。

 「医療進展難病克服」と祈りが込められ、本尊・不動明王を大迫力かつ魅力的にイラスト化した御朱印。この志納金(1枚500円)が、神経細胞研究の第一人者である宇理須恒雄名古屋大学客員教授が主宰するALS解析プロジェクトに寄付される。田村住職によると「知り合いの仏壇屋さんからこのプロジェクトを教えてもらいました。私の身近にもALSの患者がいたので、ぜひこれは支援しなければと思って始めました」とのこと。イラストは信徒によるもので、事情を説明すると快く協力してくれた。

 「仏教の教えに鑑みても、やはり人々が元気に暮らせることが一番大切なことではないかと思います。たくさんの人を幸せにするために少しでも医療・健康に関わる人を支援できたら」と田村住職。ALSだけでなく、コロナ医療者支援の御朱印も授与しており、こちらは愛西市の浄土宗大法寺と協力してすでに540万円以上を日本赤十字社に寄付している。節分が終わって2月上旬からは郵送受付も再開する予定だという。問い合わせは同寺(☎058―245―6621)へ。

2022/1/13

展望2022 僧侶育成と資質向上への課題 お寺生まれに必要な「使命感」 僧堂教育の前に師匠は弟子教育を 岩手県奥州市曹洞宗正法寺 盛田正孝山主に聞く


 僧侶の育成と資質向上の課題について述べよ、とのテーマを頂きましたが、私にそれを言える資格はない。資質の向上は本人の自覚の問題です。それに僧侶の育成ですから、自分のことは棚に上げて話すしかない。

選べない宗教

 まずは在家から出家した人とお寺に生まれた人がいる。在家から出家した人には、「発心」があるわけですが、お寺の子にはそれがない。ここに大きな問題がある。在家出身者は宗教を選び、師匠を選んで出家する。本来であればこのように宗教を選ぶことができるはずなのに、お寺の子は現実には選べない。そして発心があろうとなかろうと現実問題として僧侶資格を得てお寺をやっていくのが当然として育つ。

 また、曹洞宗には1万5千カ寺弱ある。家族4人として食べていけるお寺が4割あるかどうかという報告を受けたことがある。ということはそれ以外のお寺は兼業となる。そうしなければお寺を維持できない。そうなるとお寺のことは後回しになる。仮に、兼業で、どちらに重点を置くかと言えば、兼業になります。するとお寺では、お葬式と法事、お経が中心とならざるを得ない。

 そういう中で、在家から出家した人が持つ発心や道心に代わるものがお寺の子に果たしてあるのかと考えたとき、それは「使命感」だと私は思っている。すなわちお寺に生まれた意味を自問し見出し、使命を自覚していくことです。その使命は文字通り、命を使うという意味。このいただいた命を何のために、誰のために、どのように使うかということです。

 では、何を為すべきかと言えば、お釈迦さまの教え、両祖(道元禅師・瑩山禅師)の教え、禅の教えを伝えていくのが使命であり、その使命を果たすには勉強も修行もしていかなければならない。そこで初めて修行僧の育成という課題に向き合うことになる。

 僧侶だけではない。色濃く残っている檀家制度の中で、檀家さんもお寺を選べないし、お坊さんも選べない。選べない檀信徒のことを考えたら、自分はどうすべきか。僧侶自身が自覚や使命をもっていなければならないんです。けれども、中々そこまでは言えない。自分のことを棚上げして、というのはそういうことなのです。

ペースメーカー
 
 僧侶育成に関してですが、誤解を恐れずに言えば、私は育成する意識は低いのです。どういうことか。僧侶は自然に育つものだと思っているからなんです。ただしそれには条件があって、私が一緒に修行するというのが前提なんです。これから始まる托鉢も、坐禅も一緒にして、応量器で共にお粥を食べる。僧侶育成で重要なのは何かと問われれば、私は共に歩むことだと思っている。

 一例をあげると、マラソンのペースメーカーですね。ラビットと言われてますが、あの存在に近い。ラビットは選手の少し先を走って、自分が外れても一人で走って行けるなと思えたら引いていくわけです。この例えが良いか悪いかは別にして、そういう意識なんです。修行を共にしながら、一本立ちできるとわかったら、引いていく。もちろん、「行持軌範」や「清規」に基づいてカリキュラム通りにやっていけば、ある程度育つというのは百も承知です。その上で、どう工夫し寄り添っていくかなのです。

 修行僧はだいたい1年か2年で僧堂を去っていく。この期間は根っ子を作るだけなんです。道根=道を歩む根っ子を養っているさなかに、修行が終わったという感覚で僧堂を下りる。確かにそれで一定の作法を身につけ学業を修め教師資格は得られる。でも禅僧として未熟であることに変わりはない。根っ子を養っていけば、幹が育ち葉が出て花が咲き、果実がなる。「石の上にも3年」ということわざがあるように、3年間修行道場にいたら、何が大事か、何のために修行しているのかが、教わらなくてもわかってくる。人が育つ、あるいは育てるには時間がかかるのです。

超世代の安居

 中には師匠たちは自分では教えられないため僧堂にすべてを任せる傾向がある。教育の前に養育があるように、子どもが社会に出て困らないように最低限度のことは親が家庭で教える。それと同じ。師匠である父親が、僧堂に入る前の弟子(子ども)をきちんと教育すること。衣の着方、袈裟の掛け方、応量器の使い方、お拝の仕方など最低限度の基本は教えておいてくださいとお願いはしている。僧侶育成には師匠による弟子教育が不可欠です。

 正法寺専門僧堂は再開単して5年ほど経ちます。資格取得のために安居する人のほか、有資格者の短期間安居も受け入れている。その中には老僧もいます。われわれの世界の良いところは70~80代の老僧と20~30代の若者が一緒に修行し話が出来ること。そこで世代間の価値が伝承され共有される。普通、70~80歳の話を子どもや孫はまともに聞かないし噛み合わない。それが80代の老僧と修行僧が話をする。本山僧堂ではここまではできないけれども、地方僧堂ではこれができるのです。こうした経験は若い僧侶のその後の人生にも影響を与えるはずです。(談)

 もりた・しょうこう/昭和19年(1944)生まれ。駒澤大学大学院修士課程修了。平成18年から5年間、大本山總持寺後堂を務める。曹洞宗布教師養成所主任講師、師家養成所主任講師などを歴任。平成26年から曹洞宗における元「第3の本山」とされる古刹、正法寺(岩手県奥州市水沢黒石町)の第59世山主。併設する正法寺専門僧堂堂長。栃木県野木町の満福寺を兼務。

2022/1/13

立正大学次期学長に寺尾英智氏


寺尾次期学長 (学)立正大学学園は、吉川洋学長の任期満了に伴い、11月29日開催の理事会で仏教学部教授の寺尾英智氏(64)を第35代学長に選任した。任期は2022年4月1日から2025年3月31日までの3年間。仏教学部教授が学長に選任されるのは、第25代学長を務めた渡邊宝陽・特別栄誉教授以来となる。

 寺尾氏は1980年に立正大学仏教学部宗学科を卒業。同大大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了後、同大仏教学部宗学科助手に就任。その後、身延山大学仏教学部専任講師、助教授を経て2011年に立正大学仏教学部教授に就任し、仏教学部長、同大日蓮教学研究所所長を歴任した。

 学会・学外等の活動では、日本印度学仏教学会や日本宗教学会で理事・評議員を務めるほか、東京都品川区や千葉県市川市の文化財保護審議会委員などを務める。

 専門は、日蓮教団史、日本仏教史。博士(文学)。日蓮宗綜合財団奨励賞(2007)、日本印度学仏教学会賞(1998)、望月学術賞(1997)などを受賞。著書に『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』(雄山閣出版)、『日蓮信仰の歴史を探る』(山喜房佛書林)などがある。

2022/1/13

後七日御修法 今年も厳戒態勢下で厳修 世界のコロナ終息祈る


開白上堂の進列を合掌しながら見送る園児ら(8日) 鎮護国家・五穀成就・国土豊饒を祈る真言宗の最高儀式・後(ご)七日(しちにち)御修法(みしほ)(主催=真言宗各派総大本山会〈各山会〉)が8日、京都市南区の総本山教王護国寺(東寺)・灌頂院で始まった。大覚寺派大本山大覚寺の尾池泰道門跡が大阿闍梨(大導師)を務め、真言宗各派の高僧14人が供僧として国家・国民の安泰や世界平和、コロナ禍の終息を祈願。14日の結願まで、7日間二十一座にわたる熱祷を捧げる。

 8日の開白には、天皇陛下の御衣を奉持した宮内庁京都事務所からの勅使4人が参向。別當の伊勢俊雄・大覚寺執行長と総務の砂原秀輝・教王護国寺執事長、局長の菊入諒如・各山会事務局長が小子坊の門前で出迎えた。
 御衣を菊の御紋の入った唐櫃に奉安して灌頂院へ。御衣伝達式が厳かに営まれた。宮内庁の勅使は11日の中日にも焼香参拝。14日の結願にも参向し献香する。

 正午から開白上堂。御修法に出仕する高僧らが本坊から灌頂院へと続く参道をゆっくりと練り歩くと、参道の脇では僧侶や参拝者らが合掌しながらお練りを見送った。東寺保育園の園児らが、元気よく「なむだいしへんじょうこんごう!」と繰り返し唱和。境内に疫病退散を願う祈りの輪が柔らかく広がった。

 開白前々日の6日、政府は再び感染者数が急増に転じ始めた沖縄・広島・山口3県に「まん延防止等重点措置」を適用する方針を固め、9日に開始。御修法期間中も全国各地での感染拡大が報じられ、政府や自治体から新種のオミクロン株への警戒が呼びかけられた。

 昨年に続き厳戒態勢下での御修法厳修となったが、出仕者には事前にPCR検査を実施し、期間中はPCR検査を受けた人以外は東寺本坊への出入りを禁止するなど対策を徹底。例年賑わいを見せる定額位の中日参拝や外部からのお見舞いも昨年同様に自粛とし、極力外部との接触を避けるための措置が取られた。

2022/1/13
立正佼成会「御親教」式典 即是道場、日常生活が修行 庭野会長 家庭からの実践説く


今年の書き初め「素心」と「和言」のもと新年の法話を述べる庭野会長 立正佼成会(庭野日鑛会長)は7日、東京・杉並の大聖堂で新年恒例の「御親教」式典を挙行した。今年は庭野光祥次代会長が挨拶し、法華経に基づいた信仰と人生の在り方を独特な表現で紹介した。庭野会長は大乗仏教の観点から日常生活が修行であるとして「即是道場」を示した。式典の模様はオンラインで配信された。

 式典では次代会長を導師に読経供養。法華経方便品と如来寿量品を読誦した。教団を代表して國富敬二理事長が年頭挨拶を行った。元旦に会長夫妻と次代会長夫妻と共に大聖堂屋上から初日の出を拝し、「今年の太陽の光は例年以上に温かく感じられた」と和やかに報告した。さらに庭野会長が説いてきた簡素と斉家を踏まえながら「私は省くものは省き、大事なものを見極めながら楽しく精進させていただきたいと思います」と自身の決心を披瀝した。

新年挨拶を述べる庭野光祥次代会長〝人生を法華経し、法華経を人生する〟
 続いて國富理事長から新年挨拶の依頼を受けたという次代会長が登壇した。新型コロナの感染拡大以降、基本構想として掲げてきた「惜しみなくつながる」の在り方が一変したと嘆息。そして立正佼成会の「佼」の字を繙きながら、「人と交わることをもっと丁寧にしたい。それによって何が成就するのかを大切にしたいと思っています」と表明した。

 次代会長はまた、「法華経を生きている人とご縁を結ぶことができる。それが佼成会の一番の魅力だと思います」と強調し、「人生を法華経し、法華経を人生する。そんな私たちでありたい」と独特の言い回しで信仰の在り方を口にした。
 庭野会長は法話の冒頭、前日からの雪景色が残っていることにふれ、「私は雪国(新潟県十日町市菅沼)に10年いましたから、お正月に雪があるのは当然と思ってきた。今日はお正月のような気分」と懐かしんだ。

 今年の書き初めは「素心」と「和言」。庭野会長は「心を大切にしたいと思い」この字にしたと説明。「素には白いという意味がある。地位や名誉、年齢など世間的な着色に染まらない。人間そのものの純真な心を素心という。そういう心で色々なものを見たり聞いたり学んだりしたい」と自らの抱負も。「和言」は和やかに言うことで、特に家庭での実践を促した。

 次代会長が「佼」や法華経に基づいた信仰について述べたのに対し、庭野会長は大乗仏教の観点から仏道修行を概説。「日常生活が仏道修行であり、それが同時に仏の衆生救済の活動」と述べ、即是道場の考えを改めて提示した。(続きは紙面でご覧ください)

2022/1/13

延暦寺年頭式 「大悲万行」を発信

 
忘己利他の心の大切さを説く大樹座主 天台宗総本山比叡山延暦寺(滋賀県大津市)で8日、年頭式が営まれた。僧侶、檀信徒、国会議員ら約250人が大樹孝啓天台座主に拝謁。今年も1年、宗祖伝教大師の一隅を照らす精神で過ごしていくことを誓った。

 年頭式で発表される「比叡山から発信する言葉」は10回目。今年は「大悲万行―すべての行いは大悲から」で、大樹座主による書き初めが会場に掲げられた。「大悲とは、仏さまが常に人々を見守り、苦しみを取り除き安心を与えて下さる御心のこと。私たちにも具わる仏心に目覚め、利他の行いに努めましょう」という意味だとしている。

 大樹座主は菩薩僧の育成のために六行(六波羅蜜)の大切さを強調。「布施の最初は和顔愛語、究極の目標は忘己利他であります」と述べ、その心で過ごせば「人間界だけでなく自然界に対しても畏怖の念を抱き、共生することで環境問題にも解決の道が開けます」と、すべての生きとし生けるものに平和をもたらす要諦を説いた。

 阿部昌宏宗務総長は挨拶で、「コロナの静まりを見ながらですが、全国の檀信徒や一般の方々にこのお山に足を運んでほしい」と期待。比叡山宗教サミット35周年の集いにあたり、世界平和への願いを発信する意気込みも見せた。サントリーホールディングス副会長の鳥井信吾氏、滋賀県知事の三日月大造氏、四天王寺管長の加藤公俊氏も挨拶した。

2022/1/1
新春エッセイ 「霊気満山 隅々に生きる力」 佐藤秀仁(真言宗智山派大本山髙尾山薬王院貫首)


高尾山山頂から望む元旦のご来光。薬王院では毎年迎光祭を営む(写真=薬王院提供) 私の祖母は修験行者で高尾山でも修行をしていました。そんなご縁もあり、父は先々代御貫首山本秀順大僧正の弟子となり薬王院に勤めていました。

 昭和49年、高尾山麓の髙楽寺に父が入寺。板橋区に開いていた道場から家族で移り住みました。しかし父はその5年後に病気で亡くなります。小学生だった私と母が遺されました。この時、山本大僧正が私の成長を「待つ」と言って、お寺を兼任して下さったのです。高校を卒業してすぐに僧侶となった私は、山本御貫首と先代の大山隆玄前御貫首に恩返しの思いでお仕えしていましたので、こうして山主になるなど想像すらしておりませんでした。

 一昨年7月、大山前御貫首がご体調上の理由でご勇退を決断されました。その後、10月に保管していた後任住職選定の書状を開封して後継を選定するための儀が、成田山と川崎大師の御両山お立ち会いの元で行われることになりました。私は執事として準備をし、後席の手配もして当日を迎えました。歴史の変わる瞬間に立ち会うつもりで、端の席に加えさせてもらいました。ところが発表されたのは私の名前。「頭の中が真っ白」とはまさにこのこと。朦朧としてしまい、後席のこともあまり覚えていません。

 どうしようか思いあぐね、眠れずにいたある日、お山の中腹にある歴代山主の墓所へ向かいました。立ち並ぶ大きな杉の木を眺めていたら、ふと思ったのです。「この杉は嵐も大雪も雷も山火事も戦も超えて、根をしっかり張って大きな杉になった。でも最初からこうじゃない。苗木や若木の時もあった。その中でしっかり生きてきたからこうして大樹になったのだ」。そして「自分もそうではないか」と感じることができたのです。

 「高尾は大衆の山」と大山前御貫首はよく口にしていました。修行や参拝、デートやスポーツなど色々な目的と気持ちで多くの方が登ってこられます。でも山を下りた皆さんの気持ちは「あぁ、すっきりした」と共通しています。昼間はとても賑やかな高尾山ですが、朝晩には霊山に戻ります。冬のこの時期のご来光は、大自然の営みの厳かさがあり、言葉にできない感動があります。自然に頭が下がり、手が合わさる。あらゆる信仰、神仏が生まれた根底ではないのかと思います。

高尾山山門には日本遺産認定の横断幕が掲げられている。「霊気満山 高尾山ー人々の祈りが紡ぐ桑都物語」とある。桑都はかつて養蚕業が盛んだった八王子を指す 令和2年(2020)6月、東京で唯一の「日本遺産」に認定され、「霊気満山 高尾山」と称されました。「霊気満山」は山本御貫首の言葉。朝のお勤めの時に立ち込める霧は、仏さんの力が目に見えて現れる、それが満ちたお山であることを指して「霊気満山」と仰いました。

 高尾山は生命の力に満ちています。パワースポットともてはやされますが、それもそのはずで、ここには小さな草も木も鳥も虫たちも、樹齢500年を超える大きな杉まで様々な生命が息づき、与えられた生命を精一杯ひたむきに全うしています。霊山の空気は、懸命に生きる生命の力の現れです。深く呼吸をして、心と体全体でこの力を受け止める。そうすればみなさんの人生や、生活の隅々にその生きる力がいき届きます。私は参拝者にそう呼びかけていますし、自分自信がそれを強く感じています。

 高尾山で得られる一番の御利益は生きる力。困難な時代だからこそ高尾山を多いに活用して下さい。

さとう・しゅうじん/昭和45年(1970)生まれ。八王子市・真言宗智山派高楽寺住職。平成2年(1990)に薬王院に入山、教務部長を経て令和2年(2020)に貫首に就任。多摩少年院教誨師会副会長、八王子保護司会高尾分区保護司などを務める。
 

2022/1/1
日蓮宗 新総長に田中恵紳氏 750遠忌見据え体制構築へ 明和会から小松氏以来12年ぶり 


田中恵紳新総長 日蓮宗は12月15日、中川法政宗務総長の任期満了に伴う新宗務総長を選出する第119臨時宗会を東京都大田区池上の宗務院に招集し、和歌山県蓮心寺住職の田中恵紳議員(明和会)を新総長に選出した。田中新総長は宗祖750遠忌に向けた準備に着手することや、コロナ禍で苦しみの中にある人々に寄り添う宗門の体制を構築することを表明。20日には認証式が執り行われ、田中内局が発足した。

 11月の宗会議員選挙において宗政会派の明和会が議会(45議席)の過半数にあたる23議席を獲得。今宗会では、明和会議員の一人が病気加療に伴い止む無く欠席したため、議場の勢力が同数(明和会22議席、同心会22議席)になり、総長選出選挙は波乱含みの展開となった。

 開会式後、昼過ぎまで本会議が開かれず中川総長の退任挨拶の後、時間延長動議が出された。午後7時頃に本会議が再開。総長選挙が行われたが、44票中、田中議員22票、中川総長22票の同数のため決せられず、再び議事進行が中断した。午後8時半頃に再開し、再投票の結果、田中議員42票、白票2票で田中議員が新総長に選出された。

 中川総長は退任の挨拶で御降誕800年事業や、加行所の開設中止などコロナ禍での運営を振り返り協力に感謝。就任時から掲げた〝強い日蓮宗〟にも触れ「世の安穏を求める私たち僧侶に安穏はありません。この4年間に私が問い続けた日蓮宗の強さという命題が、この先も常に宗門の中で問い続けられることを願います」と話した。

 田中新総長は、「いまだ終息の気配を見せないコロナ禍にあって、社会も人心も確実に新しいフェーズに移ろうとしている。人々の悩み、苦しみ、悲しみに寄り添いながら、ともに歩むための宗門の体制を早急に構築しなければなりません」と語り、加えて10年後の2031年に迎える宗祖750遠忌の準備に着手することも表明した。

 認証式が20日に宗務院で行われ、田中内局が正式に発足。田中新総長は、「これまでの12年間の議員経験で学んだのは、宗門運営は誰がやるかではなく、何をやるかが大切だということ。何をやるか、皆さんとしっかり共有してやっていきたい」と抱負を語った。

 田中新総長は昭和35年2月28日生まれ。61歳。千葉大学工学部卒。立正大学仏教学部宗学科卒。宗会議員4期目。明和会前会長。中川内局で総務部長、委員会では管長推戴委員会、制度研究委員会などで委員を務めた。加行所第初行成満。

2022/1/1
大谷大 次期学長に一楽真教授

   
一楽次期学長 大谷大学(京都市北区)は12月16日、次期(第29代)学長に文学部真宗学科の一楽真教授を選出した。任期は4月1日から2026年3月31日までの4年間。

 一楽次期学長は1957年9月16日生まれの64歳。大谷大学文学部真宗学科卒業、同大学院修士課程修了、博士課程満期退学。1989年に同大助手となり、以後講師、助教授、教授を歴任した。『親鸞の救済論』で博士(文学)。著書『シリーズ親鸞 親鸞の教化』(筑摩書房)など多数。石川県小松市の宗圓寺住職。

2022/1/1

全日仏広報委員会 社会との意識のズレ討論 お寺と檀信徒 その関係性を問う


 全日本仏教会(全日仏)の広報委員会が12月8日、京都市内のホテルを会場にリモート併用で開催され、報道陣を含めて約30人が参加した。㈱寺院デザインの薄井秀夫代表が「コロナ禍の先に見えるもの—全国生活者意識調査『コロナ禍と仏事(2021年)からの一考」をテーマに発表。戸松義晴・全日仏理事長と対談するなどし、様々な問題点を洗い出した。

 薄井氏は自社で行った意識調査の最新データに基づき発表(調査結果は同社HPから無料でダウンロード可)。コロナ禍を通して供養の意識が高まっている一方、葬儀などの儀式の簡素化を望む傾向も一層高まっていると指摘した。さらにコロナ禍で急激に広まったオンライン儀式に対して、反発を持つ人が増えていることが判明したと話した。

 「お寺と人々の間にある意識の大きなズレ」として、「①お布施②檀家制度③儀式」を挙げ、「〝なぜ供養の気持ちが仏教儀礼に結びつかないのか〟を問うべき」と提言した。

 戸松理事長は、「お布施の問題は永遠の課題かもしれないが、1月に全日仏が公表する調査の中で『お布施額の決め方と納得の度合い』も調べた」と報告。「半数近くが自分たちでお布施額を考えて納めている現状がある。そういう方々の満足度は高いが、そうでない場合は満足度が下がる」と一端を明かし、「〝お布施はお気持ちで〟は無責任という批判に対しても、こういうデータを基に考えていきたい」とした。

 薄井氏は、「その宗派の教えに帰依して檀家になっている人がどのくらいいるか。檀家さんは教えでお寺と繋がっているわけではない」とも指摘。「都市部では菩提寺を持たない人が6~7割いる。そういう人たちは自由に選んでいくのでは」と見通した。

 ある宗派の担当者は閉会後、「お布施への不満も仏教儀式に意味を見出せない人が増えているのも、僧侶一人ひとりの力量不足が何よりも大きいと思う。檀家にお布施や儀式の意味を堂々と話せる力量が今一番必要なのではないか」と分析。「宗派としても研修会の拡充などを考えていきたい」と話した。

2022/1/1
日蓮宗鎌倉布教拠点落慶 宗祖布教の聖地に建立 


落慶した鎌倉「日蓮堂」。「立正安国」の扁額は地元の日蓮宗神奈川二部管区が奉納した 日蓮宗は12月9日、神奈川県鎌倉市の日蓮聖人辻説法跡隣接地に建立した鎌倉布教拠点「日蓮堂」(小町2ー355ー1)の落慶式を執り行った。御堂内には、日蓮宗総本山身延山の霊木を使用した日蓮聖人辻説法尊像が安置され、疫病や災害に苦しむ人々のために正法を説いた日蓮聖人と出会える。檀信徒、未信徒を問わず日蓮聖人を広く知ってもらい、時空を超えて日蓮聖人と向き合える施設を目指している。

 落慶法要では、中川法政宗務総長が導師、鎌倉布教拠点建設委員会委員長を務める地元の楠山泰道・神奈川県第二部宗務所長が副導師を務めた。御堂の中央に安置された「日蓮聖人辻説法像」に向き合い、村山智洋・修法導師が裂帛の気合で開眼修法を行った。

 「日蓮堂」建立に尽力した関係者に中川総長が感謝状を贈呈。設計を担当した建築家の椎名純氏、施工を担当した松井建設株式会社の松井隆弘・代表取締役社長、日蓮聖人御尊像の彫像を担当した柳本伊佐雄・身延山大学特任教授らに感謝状が手渡された。

 鎌倉布教拠点建設用地は平成21年に小松内局で取得。以降、渡辺内局、小林内局を経て宗祖御降誕800年の正当にあたる今年、内局3代にわたる浄行が遂に形になった。

 中川総長は土地取得から12年の歳月を思い「まさに万感胸に迫る思いです」と述べ、関係各位に感謝。「私たち日蓮宗教師の誓いは、宗祖日蓮大聖人が声の限り法華経をお説きになられた750年前と変わることはございません。唯一心に、妙法蓮華経、妙玄題を以ってこの娑婆世界に生きる一切の衆生を救うことを、今一度この地においてお誓い申し上げます」と日蓮聖人布教の聖地で祖願達成を改めて誓った。

 「日蓮堂」の隣にある辻説法跡地を所有する国柱会の田中壮谷賽主は「辻説法跡地と日蓮聖人が結びつかない人もまだ多い。立派な日蓮堂が落慶し、本会としても我々の本文である一天四海皆帰妙法の成就のために、この辻説法跡地を世界平和の発信基地として皆さまと協力してやっていきたい」と語った。

辻に立ち法華経を説く日蓮聖人を再現した尊像 「日蓮堂」は、延床面積121・57平方㍍。「日蓮聖人辻説法像」を奉安する六角堂と本山妙本寺が奉納したケヤキの一枚板で作られた臨滅度時の木版題目碑がある展示ホールで構成されている。

 設計した建築家の椎名純氏は「通常、日蓮聖人像は台座に乗り高いところにあることが多い。六角堂は一対一で聖人像と向き合いやすい建物を意識しました。六角堂の中央に立つと、自然と聖人と向き合って話ができる。時空を超えて日蓮聖人と向き合っていただければ」と話した。

鎌倉駅から徒歩5分の場所にあり、鶴岡八幡宮へと続く若宮大路から一本入った小町大路沿いにある。周辺には日蓮聖人を開山に仰ぐ日蓮宗最古の寺院である本山妙本寺、佐渡流配よりもどった日蓮聖人が鎌倉での布教の拠点にした本山本覚寺など日蓮宗寺院も多い。寺院と辻説法跡地、「日蓮堂」、地元の神奈川県第二部管区との連携も今後期待される。(続きは紙面でご覧ください)


2022/1/1
鼎談 「コロナ2年の仏教界ー法事、葬儀から祈りまで」


 仏教界においては少子高齢社会の中で、葬儀の簡略化や法事の減少、会葬者の減少などがすでに進行していた。それが新型コロナウイルスの感染拡大防止、3密回避という観点から加速した。緊急事態宣言とまん延防止が繰り返されたこの2年、仏教界は何を学んだのか。法事や葬儀ばかりではなく、感染の初期から始まった疫病退散の祈りや困窮者支援はどうだったのか。またオンライン化が一気に進んだ。こうした現象が寺院や仏教界にどんな影響を及ぼしたのか。住職兼医師の倉松俊弘氏、宗教社会学者の髙瀨顕功氏、寺院コンサルタントの薄井秀夫氏に鼎談いただいた。今回の経験を次世代にどう活かすか―。(進行・構成/編集部)

―コロナ禍の葬儀や法事などについて発題いただきました。最初に檀信徒の状況や対応から始めたいと思います。

倉松 家族だけの葬儀というのは確かに増えました。県外の親戚にはご遠慮いただくように檀信徒にお願いし、法事も普段なら30~40人ぐらいですが、十数名にしてくださいとお伝えした。できるだけ地元の人だけにした。少しでも感染リスクを避けるためです。檀家さんに迷惑をおかけしましたが、メリットもあると思っています。

髙瀨 昨年(20年)4~5月の葬儀は本当に参列者が少なかった。広い式場に10人ぐらい。それでも夏ぐらいに戻ってきた。地域を越えた移動ははばかられましたが、地域内であればそんなに気を遣っていませんでした。地方の場合、移動が自家用車だったことも大きい。一方、大都市は公共交通機関が一般的なので会場に集まるだけでなく、移動自体のリスクがあると思われていた。現在は、分散型の弔問により、儀式への参加者は少ないけれども、会葬者数はほぼ戻ってきているのではないかというのが葬儀社の方のお話でした。

薄井 当時はウイルスがどんなものかもわからず、恐れもあったと思います。ステイホームで不要不急の外出はしないように呼びかけられた。会葬やお墓参りは不要不急なのかという問題提起はずっとありました。(続きは紙面でご覧ください)

2021/12/9・16合併号

回想2021 コロナ禍2年 見えにくい「苦」 祖師や先人に学べ 求められる「衆生と共に」


深敬
 12月5日はハンセン病患者の救済に生涯を賭した綱脇龍妙(1876~1970)の祥月命日である。没してから半世紀を超えたが、その活動は近代仏教史の中でも特筆される。

 日蓮宗僧侶である綱脇は明治39年(1906)10月、身延山久遠寺山門近くに身延深敬病院を開設した。日本人による最初のハンセン病施設である。病院名の「深敬」は所依とする法華経の一節にある「我深く汝等を敬う」に由来する。この一節は法華経の「常不軽菩薩品」に記されている。

 綱脇は若き日から常不軽菩薩を布教のモデルとしていた。と言うのも、日蓮の遺文にある「一代仏教の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」に出会ったからだ。綱脇は「『アーッ これだ、これだ!』/と、私は机をこぶしで力いっぱいたたき、座から飛びあがらんばかりに、心の底から驚喜いたしました」(『我深く汝等を敬う―綱脇龍妙自伝』)と記す。

 但行礼拝を徹底した常不軽菩薩。綱脇は65年間、ハンセン病患者と共に過ごした。常不軽菩薩と共に法華経のみに登場するのが地涌の菩薩であると仏教学者の植木雅俊は述べている(『法華経とは何か』)。不軽菩薩と地涌の菩薩は近代においても注目された菩薩であり、日蓮宗の日蓮聖人生誕800年慶讃法要では菅野日彰管長も言及した。

6月4日に営まれた伝教大師1200年大遠忌御祥当法要(比叡山延暦寺)忘己利他 
 今年はまた日蓮が学んだ比叡山を開いた伝教大師最澄の1200年大遠忌の年でもある。6月4日祥月命日には比叡山で祥当法要が営まれた。最澄に関する出版も相次いだ。本紙でも関連企画を連載した。その中で妙法院門跡の杉谷義純門主は『山家学生式』の「悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」を引用し、「伝教大師の説く利他は自分さえ忘れることにある」と忘己利他の真髄を説示した(7月1日号)。

 「忘己利他」と「一隅を照らす」は最澄思想を象徴する言葉である。この言葉は多くの人たちの原動力となり、光を与えてきた。

 さらに今年は日本仏教共通の祖とも言える聖徳太子の1400年遠忌にあたり、今年から来年にかけてゆかりの寺院で法要やイベントが行われる。十七条憲法の「和を以て貴しと為す」はあまりにも有名である。
    
四箇院
 他方、聖徳太子は敬田院、施薬院、療病院、悲田院の四箇院を建立したことでも知られる。敬田院は寺院だが、施薬院は薬局、療病院は病院、悲田院は孤児や貧病者の施設である。聖徳太子や四箇院の思想を近現代に生かして病院や社会福祉施設を設立した寺院は少なくない。

 こうして見ると、祖師たちは多くの財産を残している。もう一人、紹介したい。

 日本のNGOを牽引してきたシャンティ国際ボランティア会(SVA)専務理事だった有馬実成(1936~2000)は、活動の理念を真言律宗の祖である叡尊に見出した。叡尊は貧困にある人や病者を救うために奔走した。それは弟子の忍性にも受け継がれた。叡尊が依拠したのは文殊信仰であった。有馬はしばしばこんな言葉を口にした。

貧窮孤独
 〈『文殊師利涅槃経』に生身の文殊菩薩に会おうと思うなら慈悲心を起こせと書かれている。なぜならば、文殊菩薩がこの地上に出現するときは、必ず貧窮孤独の人々の姿となって現われるからである。貧窮孤独の人に出会い、無関心であったり、忌避したりして慈悲心を持たない人は、文殊菩薩と出会いながらもついに文殊菩薩と出会えない〉(大菅俊幸『泥の菩薩―NGOに生きた仏教者、有馬実成』)

 タイ国内に逃れてきたカンボジアやラオスの難民、困窮する東北タイの農民、大都会バンコクの劣悪な環境にいるスラムの住民、阪神淡路大震災で生気を失った避難者たち――有馬はこうした状況におかれた人たちに貧窮孤独の姿、すなわち文殊菩薩(≒仏)をみたのである。

 コロナ禍2年。各寺院や教団ではさまざまな感染対策をとりながら門を開き、活動をしてきた。まだ慎重なところも少なくないが、それぞれの考えがあってのことだろう。門を開くだけではなく、コロナ禍で貧窮、孤独にある人たちに対して、祖師や先人たちは何をしたであろうかと想像を巡らすこともまたとない機会である。

 都内で困窮者に食料支援を実施している市民団体の代表は、「実際に行ってみて驚いたのは、こんなに生活に困っている人がいるのかと。見えないところで生活に苦しんでいる人は必ずいます」と話した。母子家庭や働き口を失った人たちが多いという。

 祖師や先人の思想や実践を現代にどう蘇生させるか。「衆生と共に」ある仏教者の実践が求められている。 一部敬称略(工藤)