2019/8/15・22
全国戦没者追悼式 7千人が冥福祈る


標柱を前に戦没者を追悼する両陛下 74回目となる令和最初の全国戦没者追悼式が15日、東京都千代田区の日本武道館で開かれた。天皇、皇后両陛下のご臨席の下、全国の戦没者遺族や安倍晋三首相ら各界の代表者など計約7千人が、先の大戦で命を落とした約310万人の冥福を祈った。

 「終戦の日」の戦没者追悼式典に初参列した天皇陛下は、上皇さまが昨年新たに加えられた「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」など、ほぼこれまでの表現を踏襲して平和への思いを綴られた。

 一方で、疎開など戦時を知る上皇さまの「深い反省とともに」との表現を「深い反省の上に立って」とするなど、戦争を経験していない世代として誠実に表現を改め、平和への思いをお言葉に込められた。

 安倍首相は、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この誓いは昭和、平成、令和の時代にも決して変わることはありません」と述べ、「世界が直面している様々な課題の解決に向け、国際社会と力を合わせ全力で取り組んでまいります」と語った。

 東部ニューギニア戦線で父を亡くした戦没者遺族代表の森本浩吉さん(77)は、「遺児たちは散華された父たちの享年の2倍半を超す年齢を迎えましたが、父への尊崇と追慕の気持ちは変わることがありません」と述べ、広大な戦域で眠る遺骨について「一柱でも多く、一日でも早く、祖国に帰還が叶いますことを遺族は強く望んでいます」と国による遺骨収集を加速することを訴えた。

 各界代表による献花では、宗教界を代表して日本宗教連盟の岡田光央理事長(新日本宗教団体連合会理事長・崇教真光3代教え主)が献花した。

2019/8/15・22
平和願う思い、民族や国の境なし 日蓮宗千鳥ヶ淵法要 墓苑と共に歴史刻む


墓苑の六角堂内で営まれた戦没者慰霊・立正平和祈願法要 日蓮宗(中川法政宗務総長)は15日、今年60周年を迎えた東京都千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で戦没者追善供養・世界立正平和祈願法要を執り行った。中川総長は表白で「諸霊に報いる道は、無念を晴らすにあらず。命を賭して祈り求めし、安穏なる平和世界をこの世に築き上げること」と述べ、戦没者の供養と祖願である立正安国・世界平和を祈念した。

 法要は、中川総長が大導師を務め、東京4管区各宗務所の沖真弘所長(東部)、茂田井教洵所長(西部)、長亮行所長(南部)、肉倉堯雄所長(北部)を副導師に厳修された。

 千鳥ヶ淵法要は、小松浄慎総長以来、宗務総長が大導師を務め、挨拶は局長や部長が務めてきたが、元号が令和となった今年は中川総長が宗門を代表して挨拶を行った。

 日蓮宗は墓苑が創建された昭和34年(1959)から毎年8月15日に法要を営んでおり、「終戦記念日の午前中という本当に大切な時間を頂戴している」と感謝。「平和を願う思いに民族や国という境目はなく、万人が望み願うもの。戦争を知る方々が少なくなる今日、戦争の悲惨さや恐ろしさを次世代へ正しく語り継ぐことは現代を担う私たちの使命」と平和への思いを新たにした。

 (公財)千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会の古賀英松理事長は、創建以来法要が執り行われていることに「日蓮宗の皆さまの戦没者慰霊に対する熱意と志に敬意を表したい」と感謝。今年、墓苑と奉仕会が60周年を迎えたことにも触れ、「戦没者団体と遺族会の皆さまが高齢化し、孫やひ孫へと受け継がれている。先の大戦の記録が忘れられないように、次の世代に継承していきたい」と慰霊奉讃に努めていくとした。

 宗門寺院が菩提寺だという春日部市から訪れた男性(88)は「朝、歳のせいで身体がだるかったが、戦没者のことを思ったら休んでいられないと思った。特別な日に多くのお上人が供養してくれていることに感激した。来てよかった」と語った。

 同墓苑は、先の大戦の海外戦没者の遺骨を納める「無名戦没者の墓」として創建。今年も新たに926柱が奉安され、5月現在で37万69柱の遺骨が収骨されている。

2019/8/15・22
念法眞教 青少年信徒が北方領土研修

樺太を望む「氷雪の門」前で戦争殉難者を追悼する研修生 念法眞教(大阪市鶴見区・総本山金剛寺)の第33回「念法青少年による北方領土視察研修旅行」が4~10日、北海道内各地で開かれた。中学3年生から大学生までを中心とする研修生41人と僧侶ら計約50人が、各自の信仰に基づいて日本の近現代の歴史観と国家観を学習。道内に残る戦争の記憶を実地踏査し、「平和の礎を築いてくれた人々の死を決して無駄にしない」決意を共有した。

 43キロ先の沖合にサハリン(旧樺太)を望む日本の最北端・宗谷岬。研修団は6日、ロシア(旧ソ連)との国境の街・稚内市を訪問し、稚内念法寺(松下芳友住職)で工藤広市長と面会した。

 工藤市長は「当時、40~50万の日本人が樺太に渡り、暮らしていた。戦後、稚内市にも引き揚げ者5千人超が定住した。樺太と稚内市の歴史は切っても切れない。樺太にとって、8月15日は終戦記念日ではない」と説明。一方で「国境の街」として未来志向の日露交流の重要性も強調し、「この25年、サハリンの若者を招待して日本の文化や経済を学んでもらっている。今年は2人来ている」と話した。

 研修団は7日、宗谷岬に近い浜にある「念法眞教開祖小倉霊現大僧正日本最北端御巡錫記念碑」に参拝。全員で宗谷海峡と日露国境を望みながら、「戦争とは急に起こるものではなく、普段の生活の中でまかれた争いの種がいつしか大きくなって起こる。親先生は大自然の恵みに感謝し、人々と仲良くすることを願って教えを説かれた」 ことを胸に刻んだ。

 8日には、北方領土4島で2番目に大きい国後島がはっきりと見える羅臼漁協を訪問。川端達也副町長は、「北方領土は私たちの祖先が開拓した日本固有の領土。ソ連軍に不法に占拠されてから74年が経つ。何とか早期に解決し、高齢化が進む元島民が自由に故郷に行けるようになることを願っている。皆さんには北方領土のことを家族や友だち、周りの人たちに知らせていただき、返還運動の輪を広げてほしい」と要請した。

 研修団は元島民の証言を聴いた後、北方領土返還運動の発祥地・根室市へ。返還運動やロシア人島民との交流に携わっている地元住民らと懇談し、日露領土問題の最前線を体感した。

2019/8/15・22
本願寺派 護持口数の目標数緩和へ 賦課基準見直し中間答申


 4年に1回の賦課基準見直しにあたり、浄土真宗本願寺派の宗門財政構想委員会(霍野廣紹委員長)は8日、各教区の護持口数を5%の範囲で弾力的に調整できるなどとする中間答申を出した。賦課基準改定年にあたる2020年度に実施されれば、各教区の護持口数は2006年の目標数設定以来、実質的に初めて緩和される。

 財政構想委は、10年間の長期計画「宗門総合振興計画」の一環で設置。この日、宗務所(京都市下京区)で開かれた宗会議員らが参加する同計画推進会議で協議された。
今回の見直しでは、要望が多かった護持口数の調整を行い、ほかの要素は現状のままとした。答申書では、過疎化や少子高齢化などの進行で教区内でも寺院間に格差が生じているとし、教区全体の護持口数を5%の範囲で調整できるとする方針を示した。これにより、5%を下限に減らすことも可能となる。

 さらに、解散や合併、被包括関係の廃止で減った寺院の護持口数もそのまま減じる方向性も提示。これまでは寺院が減っても、目標数を下回らないよう教区内で負担していた。減った寺院数は、現行の護持口数が設定された2006年にさかのぼって減算。新寺建立の場合は加算する。また、他教区へ編入した寺院についても加減の調整を行う。

 5%の調整に関しては、見直し初年度に設定。「目標数の設定で硬直化していた護持口数を弾力化」(宗務当局)させることが狙いで、一律減とする目的でないとしている。この日の会議に参加した議員からも、「一律に減らすと捉えられかねない。しっかり説明して進めてほしい」との意見があった。

 見直し案は、8~10月にかけて行われる公聴会で総局らが全教区を巡回し、住職らに説明した上で意見を集める。来年3月の各教区会などを経て、同年4月から実施される見通し。(続きは紙面をご覧下さい)

2019/8/8

比叡山サミット32周年 軍縮後退を危惧、対話を強調

 
平和の鐘が響く中、黙祷が捧げられた 超宗教で世界の恒久平和を祈る比叡山宗教サミット32周年「世界平和祈りの集い」が4日、滋賀県大津市の天台宗総本山比叡山延暦寺・一隅を照らす会館前「祈りの広場」で開催された。約900人が参加し、宗教・宗派を超えて神仏の導きによる平和行動の実践を誓った。

 杜多道雄宗務総長は開式の辞で、「誰もが求める平和だが実現は容易ではなく、暴力や憎悪の連鎖が続いている」と憂慮。特に「今月2日に冷戦後の核軍縮の支柱となった米露の中距離核戦力全廃条約が失効し」、軍縮の気運が後退したことを危惧した上で対話による相互理解の重要性を強調した。

 第54回「天台青少年比叡山の集い」に全国から参加した小学6年生から中学生の約250人が、舞台中央の地球儀に平和や災害復興などの願いを込めて折り鶴を奉納。参加者全員が、比叡山メッセージ「平和のために祈ることは、平和のために働くこと、そして平和のために苦しむことですらある」を共有した。

 森川宏映天台座主が登壇。「イタリア・アッシジでの世界平和祈りの集いの精神を継承して」比叡山から世界に「慈悲の心」を発信してきた比叡山宗教サミットの取り組みを振り返り、「共に祈ること」から「世界の恒久平和」を実現すると誓った。

 各宗教の代表者11氏が登壇。午後3時30分、天台青少年とワールドピースベル協会の代表者が文殊楼横鐘楼の「世界平和の鐘」を打ち鳴らし、参加者全員が起立して黙祷を捧げた。

 次いでローマ教皇庁諸宗教対話評議会議長のミゲル・アンヘル・アユソ・ギクソット司教と、世界仏教徒連盟のパン・ワナメティ会長(タイ)から寄せられた平和のメッセージも披露された。

 次代を担う青少年が「平和への思い」を発表。花園中学高等学校1年生の和田真琴さんは、「戦争について学ぶ」ことと「普段の生活の中で幸せを実感する」ことの大切さを強調。禅の教えから、「世界が平和になるために、私たちがお互いに幸せになる道を探さなければならない」と述べた。

 天台青少年代表の貴船新太君(中3)は、「自分がいかに平和に守られているか」と自問。紛争地帯で暮らす子どもたちに思いを寄せ、「少年兵という言葉が世界から消えることを願う」と語った。

 宗教者を代表して教派神道連合会の宍野史生・扶桑教管長が、2人の情熱を受け止めて応答。「宇宙船地球号の操縦桿を青少年に委ねる」ために、「神仏を信じ互いの違いを認め合い、共に進む道を開く」ことを約束した。

 参加者全員で「世界の人々と仲よく暮らそう」と「平和の合い言葉」を唱和。閉式にあたり、小堀光實・延暦寺執行が全参加者に両隣に座った人と手を繋ぐよう求め、「これからも世界の平和を共に祈ることを約束しよう!」と強く呼びかけた。

2019/8/8

原爆の残り火、京都を出発 宗教者ら火を吹き消す

火をともに吹き消そうと呼びかける宮城門主 原爆の残り火「平和の火」を携え、自転車で各地を巡るNPO法人「アースキャラバン」(京都市、代表・遠藤喨及浄土宗和田寺住職)のピースサイクリングが広島原爆の日の6日午前、京都市左京区の浄土宗檀王法林寺(信ヶ原雅文住職)を出発した。滋賀・愛知・岐阜の各県で平和を祈りながら目的地の長野県を目指す。

 同寺で毎年開かれる原爆や戦争の犠牲者を追悼する「京都平和の集い」で出発式が行われ、宮城泰年聖護院門跡門主が「私たちが業として持つ心の中の怒りの炎を一緒に吹き消してほしい」と参拝者に呼び掛け、「平和の火」を吹き消した。

 アースキャラバンはエルサレムなど世界各地を回り、今年3月にはバチカンを訪問。謁見を果たしたフランシスコ・ローマ教皇が、平和への祈りを込めて火を吹き消している。

 集いに駆け付けた広島で被爆した花垣ルミさん(79)=京都市北区=は当時を思い出しながら、「74年前のこの時間、あたりは死体だらけだった。8時15分を迎えると今も本当につらい」と、涙を流しながら出発を見送った。

 ピースサイクリングに参加するためにオーストリアから来日し、バチカンにも同行したミリアム・シュミッツホッファーさん(12)や京丹波町立和知中学3年の東昌一郎さん(15)、一昨年に長崎から東京まで平和の火を自転車で運んだ被爆2世の本岡晃浩さん(32)ら4人が交代で走る。 

 最初の目的地は滋賀県近江八幡市。市役所訪問後、観音正寺で平和イベントを開いた。後日、真宗大谷派高山別院(岐阜県高山市)なども訪れ、各地の宗教者や市長が火を吹き消す予定だ。

 遠藤住職は「今日は原爆が投下された特別な日。思いをはせ、その気持ちを各地に届けてほしい」と話した。

2019/8/8
特別攻撃隊(特攻)開始から75年 フィリピンから沖縄戦へ㊦
特攻 その悲惨さを語り継ぐ寺院


佐賀・吉野ヶ里町 西往寺 癒やしの場 最後の時間過ごす
出撃前の特攻隊員が滞在した書院(西往寺提供) 鳥濱トメさん(1902~92)は「特攻の母」として知られる。鹿児島の知覧基地近くの富屋食堂の女将として、若き特攻隊員たちの面倒を見てきた。

 ほかにも「特攻の母」がいた。佐賀県吉野ヶ里町の浄土宗西往寺(南悦朗住職)の南壽賀さん(平成5年、90歳で死去)である。現住職の祖母にあたる。壽賀さんの娘たちも一緒に特攻隊員の世話にあたった。そもそもなぜ西往寺が特攻隊員の施設になったのか。(続きは紙面をご覧下さい)

京都・舞鶴 明教寺 特攻隊員の生家 最近、軍隊日記を発見
 かつては日本有数の軍港として、戦後は引き揚げ船到着の港町としてその名を知られた京都府舞鶴市。現在は海上自衛隊が置かれている。その舞鶴市に、海軍特別攻撃隊(特攻)の第一陣となった敷島隊の隊員、谷暢夫(のんぷ)(享年20)が生まれ育った浄土真宗本願寺派明教寺がある。

 現在の谷公人住職は、暢夫の甥。父親(英夫前住職・故人)が暢夫の弟にあたる。同寺にはハガキや写真、新聞切り抜きなど暢夫に関する多くの資料が残っている。谷住職によると、取材の訪れる人もその量の多さに驚くという。(続きは紙面をご覧下さい)

神奈川・厚木市 西福寺 戦争を知る最後の世代 供養欠かさず
本堂に子犬を抱いた少年特攻隊員の写真(雑誌グラビア)を飾る宮澤住職 大正大学元教授の宮澤正順氏(文学博士・浄土宗勧学)は昭和6年(1931)生まれ。軍港が近い神奈川県横須賀市に生まれた。戦争中、長兄は学徒出陣し、現在の北朝鮮で終戦を迎え、ソ連に抑留された。3年後に帰国。次兄は前橋陸軍予備士官学校に進み、中学2年だった宮澤氏は縁故をたよって長野に疎開していた。「農家を手伝ったり、飛行場建設に行ったり、勉強なんかしない。あとは松根油作りですよ」と宮澤氏。「(二人の兄から聞いた)外地のシベリアの辛さや軍部のことも、それに内地の様子も知っているのは、私たちの世代が最後でしょう」と続けた。(続きは紙面をご覧下さい)

東京・世田谷区 世田谷観音 及川海軍大将の仏心継ぐ「特攻観音」を祀る
華頂宮家の持念仏堂を移築した特攻観音堂 東京都世田谷区下馬の世田谷観音には「特攻平和観音」が祀られている。1953年に奉安されて以来、毎月18日の観音縁日と毎年9月23日の彼岸法要に開帳され、遺族らが供養し祈りを捧げている。

 世田谷観音は元々、商売繁盛の祈願寺だった。戦前に菓子製造業として財をなした太田睦賢開山(1889~1955)が地道に土地の造成、伽藍の建立などを進め、1951年に浅草寺から聖観音菩薩像を本尊として迎えて単立寺院として出発した。睦賢開山は青年時代にはクリスチャンで、戦時中には王子稲荷神社(北区)の神職でもあったというユニークな経歴を持つ。その祈願寺になぜ、特攻観音が祀られているのか。(続きは紙面をご覧下さい)

2019/8/1

オウム13人死刑執行から1年 俳句と手記から読む中川元死刑囚の心性 藤田庄市(ジャーナリスト)

 

 坂本弁護士一家殺害事件や地下鉄サリン事件などに関与した麻原彰晃元死刑囚を含むオウム真理教の幹部13人が死刑執行されて1年が経過した。事件(犯罪)の物理的解明は進んだが、宗教的動機は明らかにされたとは言えず、課題は残された。オウム真理教をウオッチし法廷にも通い続けたジャーナリストの藤田庄市氏が、医師でもあった中川智正元死刑囚の手記から麻原教祖の深部に迫った。

 
 2018年7月6日に6人、同26日に7人。オウム真理教事件死刑囚13人の大量処刑から1年が経った。
 
 同房の蛾と引越しの蕎麦ゆうげ
 (『ジャム・セッション』第5号、2014年)
 中川智正元死刑囚(執行時55歳。以下、中川)の句である。房替えの時、前の房にいた蛾が荷にまぎれてついて来た。その日の夕食は奇しくもソバだった。中川の拘置所暮らしは未決囚の時期を含め22年間、続いた。

「失踪」の母が帰りし寒の里
(同第13号、2018年)
 面会に通い続けた母親も認知症に罹る老齢の身となった。その母を案じながらの句であろう。昆虫や小動物をユーモアまじりに観察し、母親を思い遣る。本来の中川は優しい男だった。

 一方、中川は教団時代に麻原彰晃教祖一家の「お世話係」のトップであり、麻原の侍医だった。麻原の日常を見聞し、知る立場にいたのである。裁判は被告の罪状を決める場であるから、犯行に関すること以外は基本的に排除される。そのため裁判から、オウム真理教の姿と事件の真因をトータルに知ることはできない。それを補うべく、以下、中川が残した手記から麻原に関する一部を、引用に徹する方向で稿を埋めてゆきたい。

 麻原彰晃の社会的イメージはむさ苦しく不様であるというのが通り相場だった。だが中川は、彼が感じた麻原の強烈なカリスマ性をこう書き残している。 


日常的にも教祖
 「教団内での麻原氏は、教祖としての威厳を保ち、信者の掌握から教団の運営に至るまで卓抜した能力を発揮していました。私は麻原氏の日常生活を知っていましたが、信者の前だけ教祖を演じていたのではなく、日常的にも教祖でした。それだけでなく、あの頃の麻原氏にはこの生命体は何年生きているのだろうと思わせる底知れぬ部分がありました。彼の生まれは私より7年上です。しかし、麻原氏に接していると、時折、この人物は何百年・何千年と生きているのではないか、と感じてしまうのです。私はそんな麻原氏をすごく恐く思いました」(同第7号、2015年)

 中川によると、麻原は1990年末にはほぼ失明状態だった。松本サリン事件をはじめ多くの事件を起こした94年頃には自室のソファーに座るか、ベッドに寝るかしていることが多くなったという。地下鉄サリン事件は翌95年。中川は、麻原の人を惹きつけ、従わせる恐さに思いを及ばす。

 「私は、それを見て考え込んでしまうこともあったのです。山梨の田舎のソファーに座っている目の不自由なこの人物が、千人以上の人間をいいように動かしている。その中には殺人に関わる者がいる。月に何千万とお布施を集める者もいる。何十人と入信させる者もいる。自分も必死になってこの人に従っている。ふと、この人は何者なのか、何で皆この人に従っているのか、この人の中の何が人を惹きつけているのかと考えた時、恐ろしいものがありました」(同上)
 
 宗教団体が事件を起こすと決まって「教祖インチキ詐欺師論」や「教祖を操る黒幕論」が出現する。あるいは「あれは宗教ではない」と片づける傾向も強い。それらの態度は、興味本位のみでなく視座をきっちり確立すれば有効に働く場合もある。

危険性感じる
 が、結局はそこで思考停止に陥り、教祖・教団の実相と信者の精神世界から目を逸らせ、教訓を学ぶ道を自ら閉ざしてしまう例が圧倒的だ。中川の手記を続ける。

 「私は別に、自分が逮捕されて都合が悪くなったから、こんなことを言い始めた訳ではありません。麻原氏が世間話でもするかのような口調で『お前は私を何者だと思うか』と私に聞いてきたことがあります。私は「言葉は悪いですけれども、化け物だと思います」と答えました。麻原氏は全く怒ることなく、微笑を浮かべて何もいいませんでした」(同上)。

 しかし中川は死刑囚の身になってから、麻原の微笑の奥の内面に気づいた。
 「麻原氏は膨大な説法や著書を残していますが、その中には『私を人間とみてはいけない』『自分は弟子のためにいる』『自分が救済のためにボロボロになるのは本望である』『私には苦が存在しない』などという趣旨の話があります。今から思うと、当時の麻原氏は、その頃私が考えていたよりもずっと無理をしていたのです」(『ジャム・セッション』第10号、2016年)
 
 そして、その麻原の言葉を「仏像」として信仰しているのが現在のアレフなどのメンバーであり、ゆえに彼らに「危険性やあやうさ」を感じると、中川は言い残したのだった。(文中、敬称、肩書略)

 注①『ジャム・セッション』誌は、俳人である江里昭彦の尽力により、中川と2人の同人誌として2012~19年まで14号が刊行された。なお私事ではあるが、同誌掲載の江里氏の社会評論を通じて彼への敬意が醸成されたことを、歴史的事件の余波として記しておきたい。
 
 ②中川については、拙著『宗教事件の内側』(岩波書店)、仏教タイムス   2011年11月3  日号、同12月9・15日号、2012年1月12日号、同2月16日号参照。

2019/8/1

大谷派と興隆財団が和解 「お東紛争」裁判終結 事務所やバス停など撤去

 
和解により撤去が決まった緑地帯の「東山浄苑行」バス停
 真宗大谷派(京都市下京区・東本願寺、但馬弘宗務総長)は7月29日、(一財)本願寺文化興隆財団(大谷暢順理事長)との裁判(建物明渡等請求事件・減額地代確認請求事件)で同19日に和解が成立したと発表した。東本願寺内にある財団事務所・倉庫の明け渡しや、財団が門前(大谷派所有地)に設置した「東山浄苑行」バス停の撤去などで合意。親鸞聖人の血筋である大谷家と宗派が対立し、大谷家が宗派を離脱するなどした「お東紛争」訴訟は全て終結した。

 大谷派は平成28年11月、財団に無償貸与してきた東本願寺(真宗本廟)内にある財団事務所と倉庫の明け渡しなどを求めて提訴。財団は同29年11月、財団が運営する東山浄苑(京都市山科区)の地代を年額1284万4千円から945万円に減額するよう求めて提訴した。財団は昭和47年、大谷派と東山浄苑底地の賃貸借契約を締結。大谷派に地代を支払っている。(続きは紙面をご覧ください)

2019/8/1
清浄華院離脱問題 吉川執事長の審決会開始 浄土宗審判長 豊岡総長を聴取へ

 

 法主人事を巡って大本山清浄華院(京都市上京区)が一時浄土宗からの離脱手続きに入った問題で、除籍などの懲戒処分にあたるとする申告を監正委員会(染井義孝委員長)に採択された同寺代表役員代務者、吉川文雄執事長の第1回審決会が7月22日、京都市東山区の宗務庁で行われた。野口竜栄審判長(東京都足立区・性翁寺住職)は、申告人の豊岡鐐尓宗務総長に聴取を行う方針を示した。申告に関して調査にあたった監正委員が外れる形で審決会が構成されるのは初めて。

 審決会は、非公開の浄土門主・法主推戴委員会での協議内容に触れるとして同寺僧侶ら傍聴人は一時退出となった。審議の結果、申告人の豊岡総長に聴取することで意見が一致。盆明けの8月中旬以降に面談が行われる見通し。

 野口審判長は「申告人と被告人を聴取したこれまでの監正委員会の調査によると、両者の主張にずれがある」と述べ、慎重に審議を進める意向を示した。監正委員会で申告が採択されたものの、審決会は処分しない決定を出すことができる。

 審判員は監正委員で構成。事案の重大性から今回、裁判官に相当する審判員の兼務を避けるため、検察官に相当する調査にあたった正副委員長3人以外の監正委員が就いた。人数も通常より増やし、5人としている。

 同寺は真野龍海前法主の再任が推戴委で認められないことに反発し、1月に宗派からの離脱手続きを開始。関係寺院からの反対もあり、中断した推戴委の再開を求めて2月末に離脱の意向を撤回した。

 吉川執事長は申告に対し、離脱を企てたことを理由に役職を解任するなど不利益となる措置を、包括法人に2年間禁止することなどを定めた宗教法人法78条に違反すると反論。不採択を求めたが、監正委員会は7月19日付で吉川執事長に採択通知を送付した。(続きは紙面でご覧下さい)

2019/8/1
真如苑 新教務長に西川勢二氏 教務長代理に宮沢健治氏

 
 真如苑(総本部=東京都立川市)ではこのほど、2001年から教務長を務めていた長塚充男氏が退任し、教務長補佐の西川勢二氏が新教務長、宮沢健治氏が教務長代理に就任したと発表した。伊藤真聰苑主のもと、今後は新体制で教団を運営していく。

 西川教務長は、昭和23年(1948)佐賀県生まれ。東京大学農学部を卒業、同大学院博士課程を経て1979年に真如苑事務局に入局。教学、国際、広報、企画部門に従事。1995年真如苑救援ボランティアSeRV(サーブ)設立に携わり、環境NPOベルデ代表、(公財)ユニベール財団評議員、教務長補佐などを歴任した。

 宮沢教務長代理は、昭和22年(1947)東京生まれ。日本大学商学部卒業後、金融系企業を経て1985年真如苑事務局に入局。財務・総務・人事部門を経て2009年より本部長、13年より教務長補佐を歴任した。また09年より(公財)伊藤国際教育財団事務局長を務めている。

 なお、長塚氏は教務長顧問に就任した。

2019/7/25

映画『マントー』ナンディタ・ダース監督が来日 表現の自由を貫いた生涯を描く


上映会に合わせて来日したナンディタ・ダース監督 今から70年前のインド・パキスタンで、表現の自由を貫き、社会と戦った作家マントー。その生涯を描いた映画『マントー』(2018年/インド・フランス/114分)が、4日から7日にかけて東京・大阪で開催された東京外国語大学TUFS Cinema「南アジア映画特集」(東京外国語大学南アジア研究センターほか主催)で日本初上映された。併せてナンディタ・ダース監督も来日。なぜ、いまマントーを題材にしたのか聞いた。

 サアーダット・ハサン・マントー(1912~55)は反英運動の中心地であった北インドのパンジャーブで生まれ育ち、47年の印パ分離独立の後にはパキスタンに移り住んだ。激動の時代を生きたマントーの作品は娼婦や女衒、市井に生きる人々の奥深い心理を描き、宗教間対立が深まる印パ独立の時代を切り取る「動乱文学」も残した。作品が「猥褻」との非難を浴び、パキスタンで発禁処分や裁判にかけられ、次第にマントーは酒に溺れていく。

 映画では、その生涯を描きつつ、弱い立場におかれた娼婦の姿や、動乱のなかで性暴力に遭う少女、印パ分離独立によって引き裂かれる人々を描いた彼の短編作品が、折々に挿入され、その時代とそこにいた人々、表現の自由を貫く戦いを同時に映し出す。

 いま作家マントーを撮ろうと思ったのはなぜか。ダース監督は、「私はアイデンティティ政治にずっと関心がありましたが、マントーは70年前からそれに関して、表現の自由を追求しながら作品を書いていた」。ありのままの姿をとらえる作品が「猥褻」と批判されたマントー。「何が猥褻で、何が正しいのか。誰がそれを決めるのか。非常に難しい問題ですが、このことをマントーを通して考えてほしいと思ったのです」。現代インドでも表現の自由を求める人が逮捕されたり、困難な状況にあるとし、「現代のマントー」にも勇気を届けたかったと話す。

映画『マントー』のポスター 初監督作『Firaaq』(2008年、日本未公開)では2002年のグジャラート州での宗教暴動を描いた。本作でも印パの分離独立、イスラームとヒンドゥーの対立が描かれた。「精神的にしっかりしていれば宗教は何だろうと関係ないと私は思っています。問題なのは人間が宗教を使おうとしていること。それによって色々な問題を起こしている」と指摘する。

 特定の信仰はないというダース監督だが、「私の理解のなかでは、精神的にも理論的にも仏教徒に一番近い」という。「仏教徒が持つ生活スタイル、哲学、生き方は素晴らしいと思っています。アンベードカルが不可触民の改宗運動をしましたが、仏教は人を変えようとするものではないでしょうか」。

 俳優としても性的マイノリティ、民族紛争や身分差別、男女差別など物議を醸すテーマを扱う作品に多数出演。大学時代にはソーシャルワークを学んだダース監督は、現在も子どもの権利や女性への暴力など、社会から排除される人々を支援するNGOに協力、積極的に発言し、行動する。

「女性たちの問題は数字だけでは見えてきません。インドには先進的な女性もたくさんいますが、その一方で、性暴力やDVなど、虐げられている女性たちが今もいるのです」。こうした問題を知ってもらうために活動しているという。「インドも日本も似たような状況があるかもしれません。本当のトップに行ける人は少なく、力があってもそれを発揮できない女性が少なからずいます。力ある女性がいたとしても、社会として女性の話を聴こうとする環境がなければ、女性を活かしていく社会になりません」。

 ダース監督は東京外語大と大阪大学での上映会では映画解説や来場者とのQ&Aで交流。東京外語大では9日に「現代インド女性をめぐる問題:女性として、活動家として」と題した国際ワークショップも行った。

(『マントー』の字幕翻訳は、本紙で連載『映画で観るインド』を執筆した藤井美佳さんが担当した)