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2025/7/10
インド最高裁 7月29日最終審理 提訴から13年、ブッダガヤ大菩提寺管理権を仏教徒の手に 原告は佐々井秀嶺師 南天会、全日仏に申入書提出
南天会の佐伯氏(右)から全日仏の富岡国際部長に申入書が手渡された ブッダ成道の聖地であるインド・ブッダガヤ大菩提寺の管理権返還を求めてインド国籍の佐々木秀嶺師がインド最高裁に提訴しているが、今年5月、インド最高裁が7月29日を最終審理日とし、延期はしないと通告。これを受け6月30日、佐々井師を支援する南天会や在日インド人仏教徒らが東京・芝の増上寺会議室で集会を開くと共に、申入書を全日本仏教会(全日仏)に提出した。
集会では、南天会事務局の佐伯隆快氏(真言宗醍醐派僧侶)が佐々井師の運動と連動した裁判の概要を報告した。1949年施行のブッダガヤ寺院法は管理委員会9名の内、インド国籍のヒンドゥー教徒と仏教徒は各4名だが、管理委委員長となるガヤ地区長官はヒンドゥー教徒と規定され、実質的にはヒンドゥー教徒が優位となっている。
佐伯氏は「インド憲法を起草したアンベードカル博士が1956年、ナグプールで仏教に改宗し、それからインド仏教徒は増え続けている。そのインド憲法には、憲法制定以前の法律を審査する違憲審査制がある。ブッダガヤ寺院法は1949年の法律であり、インド憲法に反するのではないかと訴えている」と述べ、裁判の根源にアンベートカルの精神があると解説した。
佐々井師は1992年からブッダガヤ大菩提寺の返還運動を開始。2012年にはブッダガヤ寺院法の無効をインド最高裁に提訴。南天会は日本国内で裁判費用を集め送金してバックアップ。2018年には全日仏に最初の申入れをしたものの、進展はなかった。
7月29日がインド最高裁の最終審理日だが、佐伯氏は「この日すぐ判決が出るのか、別の日に出るかわからないが、良い状況にあると思っている」と手応えを語った。(続きは紙面でご覧ください)
2025/7/10
WCRP円卓会議 行動・平和構築・生命尊重・赦し― 東京平和プロセス推進
円卓会議に参加した宗教者ら(1日) 世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)国際委員会、同日本委員会、国連文明の同盟(UNAOC)三者による第3回東京平和円卓会議は紛争地域のロシアとウクライナ、ミャンマーをはじめインドやトルコなど12カ国から約120人が参加(オンライン含む)し、1日から3日まで都内のホテルで開催された。中東情勢の急激な悪化によりイスラエルとパレスチナの宗教者は参加できなかったが、宗教者の行動を強く促す「東京平和プロセス」の推進を確認し合った。
ロシアによるウクライナ侵攻から7カ月後の2022年9月に紛争当事国の宗教指導者が東京に参集し、1回目の円卓会議が開かれた。2回目はハマスがイスラエルを攻撃し双方の応酬から4カ月後の2024年2月に開かれ、イスラエルとパレスチナの宗教指導者も出席した。
今回は、「戦争を超え、和解へ」をテーマに「ロシア・ウクライナ」「イスラエル・パレスチナ」「ミャンマー」の3紛争地域に絞って準備を進めてきたが、直前にイスラエルとイランの紛争が勃発した。そうした中で迎えた円卓会議の開会式で、日本委の杉谷義純会長(天台宗)は暴力が増大し、多くのいのちが犠牲になっている世界情勢を憂いながら「このような悲劇を一刻も早く止め、人々が平和と安心のうちに生きていく世界の実現を目指すのが、この東京平和円卓会議の目的である」と明言した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/7/10
日蓮宗 沖縄と広島で終戦80年法要
炎天下の中、祈りの題目を唱えて行脚する青年僧 日蓮宗では、終戦80年の節目の今年、各地で戦没者を追善供養する法要を営んでいる。6月5日、東京都大田区の大本山池上本門寺(貫首=菅野日彰管長)で宗門法要を執り行ったのを皮切りに、沖縄(23日)と広島(30日)で戦争犠牲者の慰霊と平和への祈りを込めた法要が厳修された。
沖縄戦の犠牲者を悼む「沖縄慰霊の日」の6月23日、沖縄県那覇市の日蓮宗琉球山法華経寺(伊東政浩住職)で田中恵紳宗務総長を導師に立正平和祈念法要が営まれた。約150人の青年僧による慰霊行脚も行われた。法要や行脚に日蓮宗だけでなく全日本仏教青年会(全日仏青)や世界仏教徒青年連盟(WFBY)も加わり、沖縄から宗派を超え、世界の仏教徒と連帯して慰霊と平和の祈りを発信する機会となった。
被爆証言者として講演した廣中氏 広島県広島市の本山國前寺(疋田英親貫首)で6月30日、広島県宗務所(鹿内要秀所長)管内の寺院・檀信徒でつくる護法会の広島原爆死没者追善供養並立正安国世界平和祈願法要が厳修され、270人が参列した。法要後は導師を務めた田中総長らが檀信徒と共に平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花、供養塔で焼香した。
法要に先立ち、東京での宗門法要でも講演した福山市妙法寺の総代でNPT(核拡散防止条約)再検討会議派遣団の一員を務めた廣中正樹氏(86)が被爆体験を話した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/7/10
能登・大本山總持寺祖院 高円宮妃久子さまが参拝 お手植えの木が復興の希望に
鋤を手に渡辺監院とともに植樹された久子さまと承子さま 高円宮妃久子さまと長女承子さまが1日、能登半島地震被災地の石川県輪島市と七尾市を訪問され、被害を受けた曹洞宗大本山總持寺祖院(輪島市)も参拝された。境内では「ヤマボウシ」をお手植えされ、復興の希望となるよう願いが込められた。
昨年の太祖瑩山禅師700回大遠忌の際に大本山總持寺(横浜市鶴見区)に参拝されたのに続いて、祖院に足を運ばれた。
門前町の住民たちが久子さまを出迎えた。植樹されたのは山門をくぐってすぐの放生池のほとり。大本山總持寺の渡辺啓司監院とともに久子さまと承子さまが鋤を手に土をかけられた。焼香された大祖堂へ向かう参道では、被災を気に掛けられ被害や復興の状況について聞かれたという。
渡辺監院は「大きな被害を受けた開山の地をお見舞いくださり、大変ありがたいことです。門前の人たちにとっても励みになったと思います。お手植えの木が復興の希望となるよう願っています」と話した。植樹には花を咲かせる木が選ばれた。
祖院は2007年の能登半島地震で被災。14年かけて復興を遂げたが、昨年の地震でも建物41棟すべてに被害が及んだ。昨年末に国登録有形文化財の大祖堂や仏殿、山門、回廊、経蔵など16棟が重要文化財に指定され、復興に弾みがついた。
現在、2034年春の工事完了を見込む復興計画を進めている。4月には通常拝観を始め、修行僧の受け入れ再開も目指している。
2025/7/7
提言 今こそ考えるべき 介護事業とお寺の親和性 上田二郎・税理士兼僧侶(元マルサ)
葬儀の省略化が止まらない。筆者は通夜の省略化は必ず葬儀の衰退を招くと警鐘を鳴らしてきたが、もはや都内の斎場では通夜がない葬儀プランが主流になり、いよいよ寺院は消滅の危機にあるように思える。
税理士である筆者の目線からすると、観光や祈祷で潤う一部の大寺院以外の檀家寺に明るい展望は見えない。それでも檀家がある限り、そう簡単に廃寺にする訳にもいかず、次世代に継承させることもできずに頭を抱えている住職も多いのではないだろうか。
宿坊経営やホテルと一体化した本堂の建立などは、立地条件が良い極めて限られた寺院にしかできない。副業で寺院を支えるなどとは簡単に言えるが、サラリーマンになってもいつ葬儀が入るか分からず、自由に休暇を取れるような会社があるのか。リモートワークの副業で稼ごうにも、仏教系の大学卒の僧侶にそのスキルがあるのか。
そもそも副業で伽藍を維持するのは不可能で、檀家離れが進む現状に本堂の修繕費などの勧募金は期待できず、多くが伽藍の朽廃とともに消滅していく運命なのだろう。
日々悩みながら筆者が考えた寺院の生き残り策の一つは介護施設の運営だ。すでに実践している寺院もあるが、大きな寺院が中心になって介護施設を運営し、近隣寺院の後継者などを雇用すれば若手僧侶も利用者と日常的に接することができ、ホスピタリティーなど僧侶としてのスキルを活かすことができる。
そうは言っても介護施設の運営は簡単ではない。地域によって通所介護型と訪問介護型のどちらが良いのかなど、マーケティングを怠れば倒産する。(続きは紙面をご覧ください)
2025/7/3
曹洞宗宗議会 再開発でコンサルと契約 費用に補正予算5千万円 倫理規程案は継続審査
演説する服部総長 曹洞宗の第147回通常宗議会(小林孝道議長)が6月23~27の5日間、東京・芝の檀信徒会館で開かれた。東京グランドホテルの跡地再開発で、服部秀世宗務総長はプロジェクトマネジメントを担当する企業インデックスコンサルティング(東京・虎ノ門)と業務委託契約を結んだと発表した。契約の費用として5千万円の補正予算を組んだ。
東京グランドホテルは老朽化や業績不振により2027年3月末をめどに閉業する方針で、宗務庁分館など周辺の土地を含め所有不動産の再開発計画を進めている。
服部総長は、インデックス社は内局が推薦した3社の中から選ばれ、6月の責任役員会で契約が承認されたと説明。「曹洞宗所有不動産再開発推進委員会」の委員に加わり、同月に最初の意見交換を行った。契約の費用として、同委員会の予算を5千万円増額する補正予算案が提出された。
服部総長は今後について「ホテル事業の廃業時期を含め、適宜修正を加えることも視野に入れ、再開発を推進していきたい」と話した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/7/3
東京都仏教連合会総会 新会長に増上寺の小澤法主 防災協定の報告も
挨拶する小澤会長 東京都仏教連合会は6月23日に浅草ビューホテル(台東区)で総会を開催。令和7年度から新会長に小澤憲珠・浄土宗大本山増上寺法主が推戴されたことが報告された。任期は2年間。休止状態だった荒川区仏教会の再発足も報告された。
総会に出席した小澤会長は自坊の極楽寺が八王子市にあり、前々会長の山田一眞氏(高野山真言宗金剛院)と「親しくお付き合いをさせていただいた」と述べ、「会長の責務をお引き受けすることになったが、皆さま方のお導きをいただきながらお務めしたい」と抱負を述べた。
総会では令和6年度の事業・決算報告等を承認。令和7年度の事業計画・予算報告も承認された。
その他、島田昭博氏(本郷)が東京都と東京都宗教連盟(都宗連)が今年4月28日に結んだ防災協定締結について報告。防災力向上のための連携協力に関する防災協定で、宗教法人が災害時の一時滞在施設や避難所、緊急車両の駐車スペースなど、どういった支援ができるか情報提供を行い、今後詳細を決めていくと説明した。
2025/7/3
第42回韓日・日韓仏教文化交流大会 「持続可能な交流」目指す
釜山市・梵魚寺 2年後、第1回大会から半世紀 「因陀羅網」で共生和合
法要会場に向かう眞愚会長(右)と藤田会長 第42回韓日・日韓仏教文化交流大会が6月17日から20日まで、韓国・釜山の曹溪宗梵魚寺で開催された。2年後に交流50年を迎えることからテーマを「韓日・日韓仏教交流、新たな50年に向けて―持続可能な交流」とした。挨拶や学術講演会などでは過去を踏まえつつ未来を展望する発言が多数寄せられた。共同宣言では国交正常化60年にあたり、民間交流組織としての両国仏教の役割を再確認した。主催の韓日仏教文化交流協議会(眞愚会長・曹溪宗總務院長)から約120人、日韓仏教交流協議会(藤田隆乗会長・川崎大師平間寺貫首)から約40人が参加した。
中心的行事は18日。午前は梵魚寺大雄殿前で世界平和祈願法会が営まれた。両国挨拶では、眞愚会長は華厳経の「因陀羅網」を引き合いに、「韓日仏教交流の今後50年は、この因陀羅網の真理を悟り全てが共生と和合の道へ進んでいかなければならない」と述べた。一方、藤田会長は不穏な世界情勢を俯瞰した上で、「両国仏教界が未来を見据えた交流のあり方を模索し、現代社会を永く善導するべく意見を交わす好機」と今大会を位置付けた。
法要後、全日本仏教会の伊藤唯眞会長(浄土門主)の祝福メッセージを日谷照應理事長が代読。「世界平和に対する仏教の役割は大きいものがある」とし、両国仏教徒の活動に期待を込めた。(記事全文は紙面をご覧ください)
2025/7/3
念仏と笑い声でナムアミダブツ 巣鴨・眞性寺で百万遍大念珠供養
16㍍の大念珠を回して無病息災を念じた 〝おばあちゃんの原宿〟東京・巣鴨地蔵通り商店街の夏の風物詩、百萬遍大念珠供養が6月24日、江戸六地蔵尊の真言宗豊山派眞性寺(鳥居幸譽住職)で営まれた。参拝者が車座になり、鉦の音に合わせて「ナームアーミダーブツ」と大合唱し、直径16㍍に及ぶ大念珠を繰りながら無病息災を祈願した。
地蔵菩薩坐像前で法要を営んだ後に、大念珠が参拝者の前に運ばれた。鳥居住職が「「心配されていた雨の心配もなくなりました。皆さまのご祈願も叶うと思います」と挨拶。諸願成就を祈願し、鉦を打ち、お念仏を称え、これを合図に大念珠回しがスタート。上下に揺らしながら念珠を回し、ご利益があるという大念珠の白い大房が回ってくると、参拝者は不調のある身体の部位などに当てがって祈願。徐々にお念仏を唱和するボルテージが上がり、夏本番のような暑さのなか、汗をかきながら大念珠を回した。
大塚から来た60代の女性は巣鴨のお地蔵さんを縁に仲良くなった女性の誘いで初めて参加。近くに座った初対面の参拝者と笑い声をあげながらお念仏三昧。「すごく楽しかった」と笑顔で汗をぬぐっていた。
鳥居住職は「梅雨時期で、今日も雨が降っていましたが、いつも法要の時には晴れ間がでる。お地蔵様の霊験を実感します」と話した。百万遍大念珠供養は江戸後期に始まった伝統行事。コロナ禍では法要のみ行い、念珠回しは中止していたが2023年に再開された。
2025/6/30
1958年 仏教者西本あつしの平和行進 37歳で事故死した先人の足跡たどる 被爆80年
寄稿・小野文珖 「宗教者九条の和」呼びかけ人・世話役
東京到着を報じる仏教タイムス(1958年8月17日)。西本は「100万人を越える参加者でした」とコメント 広島・長崎の国民平和大行進を初めて実行した西本あつし(敦)という平和活動家は、今年生誕100年を迎えるので1925年の生まれである。高知生まれの土佐っぽ。同じ高知出身の漫画家やなせたかしの描く「アンパンマン」にそっくりだという人がいる。その顔・形・性格まで似ているというのだ。西本あつしの研究家、立命館大学の本庄豊先生の講演資料に載っている写真を見ながら、納得した。歩く「アンパンマン」だったかもしれない。
敗戦後、復員した少年兵西本あつし(20歳)は、高知の少年救護院の職員として働いていたが、兄がニューギニアで戦死していることから平和問題に関心を持ち、26歳の時、戦後の平和運動の先頭に立っていた日本山妙法寺(創立者=藤井日達山主)の僧の導きから出家得度し、頭を剃り、黄色袈裟を着けて、団扇太鼓を鳴らし、内灘闘争(石川県)・妙義闘争(群馬県)・砂川闘争(東京都)に参加した。いつも基地反対デモの第一線で、ドンツクドンドンとお題目修行を実践していた。
1957年、32歳の時、師匠の藤井日達山主の随行で、スリランカ・コロンボでの「世界平和評議会」に出席し、帰途、北京に立ち寄り、藤井山主と共に周恩来首相と会見し、国際的視野から運動を見つめるようになった。この年の暮れ、僧籍を離れ、還俗し、市民の一人として、非暴力平和主義を掲げて歩き出す。
1958年6月、広島での第4回原水爆禁止世界大会に際し、広島から東京までの平和行進を提唱し、6月20日、たった一人で歩き始めた。その彼の歩みは、東京に着く頃には1万人を超え、出迎えに集まった人々も万を数えたと報道にある。別の資料には、のべ参加者は100万人とも記されている。
彼は第1回の平和行進の日記を公表している。一部は雑誌『中央公論』に掲載され、大きな反響があったという。「時の人」となり、戦後の平和運動の旗手として注目されるようになった。20日出発時の日記の一節を転記する。(続きは紙面でご覧ください)
2025/6/26
祖国台湾 母国日本 元日本兵の台湾出身戦没者慰霊碑完成 横浜市真照寺 「気軽に参拝」願いに応答 7月25日開眼
真照寺境内に建碑された台湾出身戦没者慰霊碑。周辺も整備された 祖国台湾 母国日本――太文字で刻まれた黒色の仙台石。右側には「台湾出身戦没者の方々/あなた方がかつてわが国の戦争によって尊い命を失われたことを深く刻み 永久に語り伝えます どうぞ安らかに永眠してください」と記されている。横浜市磯子区の高野山真言宗真照寺(水谷栄寬住職)の境内。4月から建立が始まった元日本兵の台湾出身戦没者の慰霊碑は、周辺整備がこのほど完了。7月25日には、水谷住職が理事長を務める世界連邦日本仏教徒協議会(世連仏)の小池弘三会長(真言宗須磨寺派管長)を導師に開眼法要を営む。
「終戦80年ということもあり、テレビや新聞、海外記者など各方面から注目されて、こちらがびっくりするほどです」。クーデターで犠牲になったミャンマー人の慰霊法要やミャンマー地震被災者支援、ウクライナ避難者支援、さらにはインドや中国、ブータンなどに赴き多彩な国際的活動をしてきた水谷氏だが、今回ほど取材が相次いだことはなかった。
もともと世連仏常任理事の遠藤喨及氏(浄土宗和田寺住職)から、台湾出身の軍人・軍属の戦没者を慰霊する碑を建立したい人物がいると紹介された。それが元日本兵で横浜台湾同郷会名誉顧問の呉正男氏だった。97歳の呉氏と会い、事情を聞いた水谷氏は建立を即断した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/6/26
全仏婦総会・理事会 新理事長に本多氏 2回目の就任 社会の平和に尽力
本多新理事長 全日本仏教婦人連盟(全仏婦)は18日、東京都台東区の浄土真宗東本願寺派本山東本願寺で第13回総会と理事会を開催。任期満了による役員改選に伴い、新理事長に本多端子氏が選定された。任期は2年。4年ぶり2度目の就任となった本多氏は「社会の平和と本会の発展に力の限り精進したい」と語った。
本多氏は昭和30年(1955)生まれ。自坊は浄土真宗東本願寺派妙清寺。平成18年から全仏婦理事、令和元年(2019)から1期理事長を務めた。コロナ禍の2期4年を務めた花岡眞理子前理事長への敬意を表したうえで、昨今の政治不安や戦争が止まない世情に、「このような時代だからこそ宗教や仏教婦人の役割が重要であると深く感じる」と表明。同会の信条にある「つどいの力」をあげて、「一致団結して『仏教精神』に則り社会の平和と本会の発展に力の限り精進したい」と抱負を示した。
理事会では副理事長に遠賀令子氏(天台宗)、常務理事に前理事長の花岡眞理子氏(真言宗智山派)、梨本三千代氏(真言宗豊山派)、桶屋良法氏(念法眞教)、米田陽子氏(天台宗)、海老塚るり子氏(真言宗智山派)が選定された。
総会では2024年度決算報告書を承認。理事・監事合わせて13人全員が再任された。2025年度の事業計画及び同予算も報告され、環境、募金、被災地支援、写経運動、対アジア支援、文化講座、組織強化などの事業を展開していくことが確認された。
2025/6/26
BDK実践布教研究会 禅に学び伝道を討論
臨済宗方広寺会場 35人が禅体験 AI時代 好きにやってください
横田管長がこれからの布教伝道を講義 (公財)仏教伝道協会(BDK)は10~12日まで静岡県浜松市の臨済宗方広寺派大本山方広寺で「臨済禅師の仏道―禅の教えに学ぶ」をテーマに実践布教研究会を開催。超宗派の僧侶や坊守35人が集い、自然豊かな禅堂で食事作法や朝課、坐禅などの修行、豪華な講師陣による講話と提唱などを通して禅の教えに学んだ。
2日目には臨済宗円覚寺派の横田南嶺管長が「これからの布教伝道のあり方」と題して講話。横田管長は冒頭に「好きにやってください、好きにやるしかない」と結論を述べて講義をスタート。伝道布教の大本は「お釈迦さまの心に適うか」と示し、梵天勧請の説話を引きながら、悟りを開いた釈尊に生じた「慈悲の心」によって布教伝道が始まったと説示。
布教活動に生涯を尽くした松原泰道氏(1907~2009)と中学生の時に出会った横田管長は、松原氏がオウム真理教のサリン事件の時に「仏教の正しい布教ができていなかったことを申し訳なく思う」と話したことに衝撃と感動を受けた回想。サリンを製造した人物が筑波大学の同級生だったことから「私は禅という教えに出会った。かたや死刑に…。正しい教えに触れる機会を与えることが大事と今も強く思う」と布教伝道の重要性を強調。
日曜説教や各種坐禅会、各地での講演会や書籍の発行に加え、YouTubeやイス坐禅による布教にも力を入れている横田管長は「一人でもああ良かったと言ってくれればいい」と述べ、寺院をとりまく環境が厳しい中でも「好きなこと」を選びつつ、布教に励むよう呼びかけた。(続きは紙面でご覧ください)