2019/1/1
2019年新春エッセイ 社会実践重んじる日本仏教を世界へ 村山博雅(WFBY世界仏教徒青年連盟会長)

昨年11月、日本で開催されたWFBY世界仏教徒青年会議世界大会。社会実践を重んじる日本仏教を世界へ発信する機会となった。写真は、閉会式で大会仏旗を返還する全日本仏教青年会。WFBY会長として、仏旗を受け取る村山会長(中央右)。 昨年11月、仏教界における平成の締め括りに相応しく、公益財団法人全日本仏教会により世界仏教徒会議世界大会が盛大に日本で開かれ、過去最大規模の全日本仏教青年会全国大会が世界大会記念事業として開催されました。大本山總持寺における、国内外約900名の代表参加者が集った記念法要と、5000名を超える一般来場者を数えた全国大会は、仏教離れが叫ばれる昨今にもかかわらず、日本仏教のパワーを再確認させてくれました。終末期医療、自死、震災などに焦点を当てた世界大会シンポジウム「慈悲の行動―生死の中に見出す希望―」は、日本仏教最大の特徴である「密接に社会に寄り添う日本仏教」の重要性と可能性を広く発信し、「仏教×SDGs」をテーマにした複合的フェスティバルとなった全国大会は、「世界平和」と「持続可能な社会」を考える貴重な機会を作り上げました。

 さて、日本全国の仏教宗派と仏教団体、一般団体が共に協力して作り上げたこの度の大会を振り返って一番印象深く思うところは、通俗性を伴いながら社会化を果たしてきた日本仏教の特殊性が持つ、大きな潜在能力についてです。ご存じの通り現代は、国際的にも仏教の社会性や将来性が危ぶまれる時代を迎えています。その話を聞いて私たちは日本仏教が一番その危機にあると考えがちですが、実は逆に海外の仏教信者の方々は日本仏教の特徴に希望を見出そうとしているのです。

 日本の僧侶は、海外では考えられないスタンスで社会に参画しています。例えば、自然災害をはじめ、自死、貧困、人権等に関する社会問題の支援に対し、少なからず俗世と乖離した僧侶としてではなく、俗世で共に悩む一個の仏教者として活動するということです。国際的には特殊であり、私たちにとって当たり前であるこの日本仏教の特徴は、宗教性に留まらず純粋に社会に必要とされる仏教を確立すると共に、仏教に関わりのない一般団体や一般企業と普遍的に協働する仏教を構築する礎になり得ます。

 実はこの特徴が、これからの仏教に求められる一つの重要な姿であるという潮流が現に海外でも沸き起こっており、多くの新しい仏教団体が生まれつつあります。僧侶自身が世間一般と同じ環境で同じ目線で共に苦悩し共に喜ぶという在り方に、仏教に対する新しいニーズと魅力を開発する力があるのではないかという希望が、古くよりその伝統を持ち続ける日本仏教への大きな期待に繋がっているのです。

 この度の世界大会では多くの成果が上がりましたが、何よりも、社会実践を重んじ密接に世間に寄り添い続ける日本仏教を、明確に世界に発信する勝縁を得たことが最大の成果と言えるでしょう。戦争、紛争、テロ、飢餓、貧困、環境、エネルギー、その他多くの地球規模の課題が山積する世界において、日本が国際仏教界と共に果たすべき役割は、さらに軽視すべきものではないと考えています。新しい年を迎え、世界より大きな期待を頂く日本仏教が、将来に向けて何を成し遂げ、どのように歩んでいくべきなのか、仏教徒としての最大の希望を携えて、共に考えて参りたいと思います。

村山博雅(むらやま はくが)昭和46年(1971)生まれ。47歳。大阪府出身。曹洞宗洞雲寺住職。慶應義塾大学環境情報学部卒。愛知学院大学大学院仏教学博士課程前期修了。曹洞宗大本山永平寺僧堂本科修了。全日本仏教会国際交流審議会委員、世界仏教徒連盟日本センター運営委員、日本仏教青年会理事長、世界仏教青年連盟WFBY副会長などを歴任した。2016年にWFBY会長代行に就任し、2018年に日本人で初めてWFBYの会長に就任した。

2019/1/1

鼎談「平成仏教・宗教30年史」 釋徹宗氏・大谷栄一氏・西出勇志氏

阪神淡路大震災の復興作業(1995年撮影 神戸市中央区) 天皇陛下の退位=発言を契機に特例法が制定され、平成は31年(2019)4月末で幕を閉じ5月1日から新元号となる。平成期の30年は何があったのかを検証するため、「平成仏教・宗教30年史」を企画し、宗教学者・宗教社会学者・ジャーナリストの3氏に鼎談をしていただいた。主に、仏教・宗教文化の現象、社会活動、研究(アカデミズム)の3点を柱にしながら、自由に語っていただいた。自然災害が相次ぎ、オウム真理教事件は宗教不信をもたらした。9・11米国同時多発テロ事件以降はイスラームへの関心が高まった。そうした中で宗教は様々な場面で社会に深くコミットしていた。そのことも今回の鼎談で示された。またこの30年間の仏教タイムス紙面に掲載された記事見出しの一部を別枠で掲載した。各人の30年史の参考になれば幸いである。(鼎談進行/構成 編集部)

 ――この30年を振り返ると3氏とも平成7年(1995)3月のオウム真理教の事件が大きい出来事だと指摘されました。事件前の1月には阪神淡路大震災が発生した。一年のうちに大災害と大事件という二つの現象が起きた。

釋徹宗氏(相愛大学教授)  阪神淡路大震災で各教団が社会貢献に目覚めた。この年はボランティア元年です。東日本大震災の時にいち早く各教団が動けたのは、阪神淡路以降の蓄積があったから。例えばお寺はメンバーシップ(檀信徒)で運営されているのでメンバー内の取り組みには一所懸命。それが阪神淡路大震災に遭遇し、メンバー外にも目を向けるようになった。当時はまだまだ稚拙だったし、神戸という都市だったこともあり、宗教者の活動が高く評価されたり、取り上げられるケースはそれほどありませんでした。

 その後の中越地震や能登半島地震などで蓄積ができて東日本で動くことができた。西出さんが話されたように伝統教団が高く評価されるようにもなった。寺院がソーシャルキャピタルとして公共性を示し得たからだと思います。

 大谷 宗教の公共性ですが、オウム真理教事件もまた宗教の社会的役割や公共性とは何かが問い直される機会になったと思うんです。また2008年に施行された公益法人改革関連3法が議論される中で、宗教法人の公益性や公共性がテーマにのぼりました。つまり阪神淡路大震災、オウム真理教事件があって、2000年代初頭の公益法人見直しが取り沙汰されてから公益性・公共性が問題にされるようになった。それが今も続いていると思います。

西出勇志氏(共同通信社編集委員) 西出 明治から続いた公益法人制度の改革が始まったのは平成14年(2002)から。日本宗教連盟や全日本仏教会、新宗連(新日本宗教団体連合会)が財団法人から公益財団法人へと移行を模索する中でシンポや研修会がたびたび開かれました。それまでは税金をどうするのかといった、どちらかというと不特定多数の公益というよりも教団益や団体益を考えた研修が多かった。それが公益法人制度改革議論で、宗教団体として公益性について話し合わなければいけないね、という気運が盛り上がったのは事実ですが、とってつけたような感じは否めなかったですね(笑)。

  東日本大震災前年の2010年は伝統仏教批判の年だったんですよ。その前年の09年あたりから生まれる人よりも亡くなる人が上回った。この頃「終活」という言葉も生まれ、2010年には流行語大賞に選ばれた。日本の場合、お葬式に200万円くらいかかり、世界の平均からみても突出していた。なぜ高額なのか。葬式・戒名・お墓だということで、伝統仏教が批判を浴びた。それが大震災後には手のひらを返したように変わる。寺院が公共性を示したからであって、社会が求めているのは公共性かとお坊さんも気が付いた。

 ――オウム真理教事件後、宗教法人法改正がありました。また1995年は終戦50年でもありましたので、各教団とも戦争責任に言及したり、平和メッセージを発表したりしました。

  その辺は大谷さんにぜひうかがいたいテーマですね。ぼくが大学院生の頃は近代仏教の研究は数えるほどしかなかった。

大谷栄一氏(佛教大学教授) 大谷 戦争責任の問題ですが、宗教情報センターのサイトで研究員の藤山みどりさんによる「宗教界の歴史認識~戦争責任表明とその後」で、教団がどのようにして戦争責任を告白してきたかをまとめています。日本では、日本キリスト教団が1967年に教団として初めて戦争責任を表明するんですが、その後はなかなか出てこなかった。それが戦後50年あたりにカトリックや仏教各宗派が戦争責任であるとか、不戦決議を表明していく。戦争責任を含めて戦時中の日本仏教教団が何をしてきたのかという研究は、先駆的なものはいくつかありますが、なかなかできなかった。それは第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)がまだ歴史化していなくて、センシティブな問題でした。それが少しずつ歴史化され研究されるようになった。皇道仏教研究は従来ほとんどできなかったけれども、最近ようやく研究が進んできた。

西出 結局、当事者が存命だと言いにくいというのはあります。ジャーナリズムの世界をみていても、戦後70年になってようやく表に出てきたというのがあるんです。作戦を立案した人たちは鬼籍に入っていますが、前線の兵士たちが語り出す。NHK特集「告白~満蒙開拓団の女たち」では、性接待というとてもつらい経験をした当事者が語り出した。死ぬ前に語り残しておこうということです。

 大谷 戦争責任で興味深いのは、戦後50年とか、戦後70年も関係すると思いますが、大逆事件に連座した曹洞宗の内山愚童や真宗大谷派の高木顕明が教団の中で復権していることです。大谷派の竹中彰元のように戦時中に反戦的な言動をしたり、部落差別に反対した僧侶が注目されてきたのも戦争責任との関連で提示されてきたと個人的に思っています。(続きは紙面をご覧下さい)

2019/1/1
仏教ゲーム 気軽にスマホで楽しむ 理論や仏像解説も本格化

「マーシフルガール」をプレイするオタク男性 もはや年代を問わず日常生活には欠かせないスマートフォン。時間さえあればどこでもポチポチ…もちろんゲームだって楽しめる。そんなスマホのゲームで仏教に親しむ人が増えているのはご存じだろうか。
     
 2018年9月にリリースされた「マーシフルガール」は初期仏教の教えを学べるビジュアルノベル型ゲームだ。といっても鹿爪らしい説教が垂れ流されるわけではない。美少女キャラクターが法句経や四諦八正道、欲望の愚かさなどをかみ砕いて教えてくれるのだ。

 舞台は2037年の日本、主人公は30代男性の工学技術者。高度な知性を備えた介護用アンドロイドを開発したが、会社と折り合わず現在は無職。趣味はアイドルの追っかけ。そんな主人公が開発した介護用アンドロイドはなぜか「悟って」おり、執着の愚かさや観察の重要性を主人公に説いてくれるのだ。このアンドロイド、オタク層(記者含む)のハートをがっちり掴むメイド服である。着せ替え機能もある。

 「蜘蛛は自らが作った網に住み、獲物が罠にかかるのをじっと待っていますね? しかしそのために自らが作った網の上から一歩も外に抜け出すことが出来ずにいるのです。それは眼、耳、鼻、舌、身に囚われた他の生命もまた同じなのです」
 
 こういった初期仏教の思想が美少女から語られていく。軽妙なギャグも交えるのでスラスラ読める。物語は後半、主人公の母の介護・葬儀の話になる。葬式仏教にやや批判的な文章も出てくるなど、少々耳の痛い面もあるが、「人を悼む」とは何なのかを、アンドロイドを通じ考えさせられるのには感動を覚える。
 
 製作はアプリ製作グループのRhinocerosHorn(ライノセロスホーン)。短期出家をテーマにしたゲーム「森の聖者」や、出版社のサンガとコラボしたアルボムッレ・スマナサーラ長老のカレンダーアプリ「日めくりブッダの教え」をリリースしてきた。

 代表の漁一吉氏は20歳の時に神経症になり、苦しい日々を送ってきた。「当初は、キリスト教やキリスト教文学に救いを求めたのですが、相変わらず苦しい状態が続きました。しかし30歳ごろ、スマナサーラ長老の『自分を変える気づきの瞑想法』という本をきっかけに仏教を学び始めてからは、心が軽くなってきたのを感じ、それからどんどん仏教にハマりました」と語る。仏教アプリを開発することで、自分自身の仏教の学びも深めた。
 
 「マーシフルガール」の主人公はオタク男子。そこでオタクに仏教が訴えかけるものはと漁氏に聞くと、「私はゲーム業界でプログラマを沢山見てきましたが、主人公は典型的なプログラマ気質の人間だと思います。ゲーム業界には当然ながらオタク気質の人が多いですが、プログラマ気質のオタクには、仏教の持つ論理的な面が特に響くと思います」とのこと。

 現在はサンガと共同でスマナサーラ長老の読誦アプリを開発中。近日中にリリースとのことでこちらも期待できそうだ。(続きは紙面でご覧ください)

2019/1/1
修行は修行者を増上慢にする? 修行に意味はあるのか

修行の危険性について考えた遠寿院の修法研修会 千葉県市川市の日蓮宗遠寿院荒行堂(戸田日晨伝師)は12月11日、第38回修法研修会を同寺で開催した。フォトジャーナリストとして宗教取材を手がける藤田照市氏が「修行は危険。何の意味があるのか―宗教修行の現場を歩いて」と題して講演した。取材を発端に40年以上にわたる自身の山岳修行経験を交えながら「修行が増上慢の修行者を作り出していないか」と疑問を投げかけた。

 藤田氏は、自身が気づかぬ内に増上慢に陥り行中に滑落した経験や、宗教に関連した暴力や虐待、死亡事件化した事例にも触れ、修行の危険性に言及。修行は「宗教者の増上慢を余計増長させる」「修行が金銭的な収入源となっている」と指摘し、「修行が世間を欺くのに最適なツールになっている」と分析した。

 伝統教団の場合においても、曹洞宗僧堂での暴力事件や日蓮宗加行所で死亡者が出た問題を振り返り、「その中にいると気づかないが、世間全体から見れば〝宗教はやはり危ない〟と敬意とは反対の見方をされている」と警鐘を鳴らした。

 修行は、「人格を陶冶し慈悲心を高める」ものとされるが、「修行により人間が〝魔〟と化す」場合もあると指摘。実際、オウム事件の取材で、信者幹部が親族の死にも「悲しみが入ってこなかった。修行が進んでいると思った」と述べたことや、サリン散布を指示された者が「これは修行だからと言われ、心が軽くなった」ことを紹介した。

 宗教側からは、「修行者は世俗倫理を超えている」と〝聖〟の部分を強調されることもあるが、「形は宗教的でも、行をやって宗門内の地位を上げ、金銭・地位・権力を高める。それが世俗とどう違うのか」と問いかけた。

 一方で、仏教には元々〝魔〟に陥らないための教えがあるとし、「開経偈や懺悔文は、実はすごいことを言っている。毎日唱えることの意義を考えてほしい。この日常的内面化ができていないから魔になる」と説明。過酷な修行以上に日常の中にある〝家行〟での教えの実践が重要だと説いた。

 現在、遠寿院では同寺荒行堂の改革に着手し、修行道場について議論する「行堂研究会」を設けて具体策を検討している。藤田氏は外部の識者として参加しており、戸田伝師との対談では、修行組織のあり方も議論した。

 藤田氏は修行組織のあり方について「師を選ぶこと、選ばれることの重要性」を挙げ、同時に「器にあらざる者を弟子にすることは、師も自分の悟りを遠ざける。本当の修行の厳しさは師と弟子の出発点にすでにある」と提起。戸田伝師は、明治以降に伝統的な師と弟子の関係性が失われたのではないかと述べ、「近代合理主義を行堂から排除しようと思っている。合理主義に〝近代〟がつくと損得の概念が大きく関わる。これをどうするかが僧堂でも荒行堂でも大事だと遅まきながら実感している」と応答した。(続きは紙面をご覧ください)

2019/1/1
全日仏人権セミナー 死刑を多角的に議論 被害者の立場も研修

セミナーに参加した4氏。右から小川原氏、柴田氏、江川氏、戸松氏 全日本仏教会(全日仏)は12月11日、東京・築地本願寺で人権セミナー「死刑廃止を考える」を開催した。死刑廃止派と存置派の弁護士とこの問題に詳しいジャーナリストを招き、遺族感情や人権上の立場などから多角的に死刑制度の是非を議論した。約50人が参加した。

 日本弁護士連合会(日弁連)の死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実現本部事務局長の小川原優之弁護士がまず死刑制度の現状について説明。内閣府世論調査(2014年11月)では国民の8割が「死刑もやむを得ない」との考えを示しているが、やむを得ないと考える人でも「将来的には死刑を廃止してもよい」と回答した人が4割いることから、必ずしも死刑存置が国民全体の大半の意見ではないと述べた。

 10月7日に日弁連代表団がバチカンに赴き、ピーター・タークソン枢機卿を通じてフランシスコ教皇に、日本国民に対し死刑廃止メッセージを求める親書を渡したことも報告。ローマ教皇庁は2018年8月に改訂されたカテキズムに「死刑はいかなる状況でも容認できない」と明記している。

 死刑存置派で、日弁連の犯罪被害者支援委員会事務局次長を務める柴田崇弁護士は日本の法制上、「犯罪被害者給付金支援法」以外に犯罪被害者を守る仕組みが欠如している点を論じた。同法は被害者遺族に約3千万円~320万円が国から給付されることを定めるが、保険金や賠償金が入ると給付金は減額されてしまう「国が個人間の賠償を吸い上げるシステム」と欠陥を指摘。ノルウェーやスウェーデンの「犯罪被害者庁」のように国が加害者の支払う賠償金を立て替え払いする制度の成立が被害者保護に重要になってくるとした。

 冤罪問題に詳しいジャーナリストの江川紹子氏は「死刑が執行されると法務大臣に抗議声明が出されることがあるが、法務大臣の気持ちで執行できたりできなかったりするのは困る。私はむしろ(死刑判決を出した)裁判所に抗議すべきだと思う」と指摘した。

 その上で「無期懲役と死刑の間にあまりにも差がありすぎる」としつつ、小川原弁護士らが死刑の代替案として考える「仮釈放なしの終身刑」についても、死刑と変わらないほど人道的に問題のある刑罰ではないかと疑義を示し、「執行猶予付き死刑」を提案。死刑判決後、一定の執行猶予期間を模範囚として過ごせば無期ないし数十年の懲役に減刑されるというシステムで、「すでに中国では導入されている。これは仏教の考えから来たものだとされています」と述べた。(続きは紙面をご覧ください)

2019/1/1
東北大学大学院 「死生学・実践宗教学」新設 2019年4月スタート

 東日本大震災後に心のケアを提供する「臨床宗教師」を養成してきた東北大学で、2019年4月より大学院文学研究科に「死生学・実践宗教学」専攻分野が新設される。

 2012年から実践宗教学寄附講座を設けて東日本大震災の被災者支援として公共空間で心のケアを提供する宗教者「臨床宗教師」を養成。研修修了者は181人を数え、多くの宗教者が医療・福祉施設などの現場で活動を始めている。龍谷大学、上智大学などの大学機関でも養成講座が開設され、2018年には全国組織(一社)日本臨床宗教師会による資格認定制度もスタートした。

 こうした取り組みを踏まえて新設される「死生学・実践宗教学」では、広く現代の超高齢多死社会における生と死を取り巻く切実な諸課題に実践的に応える道を探求。宗教の知見を学問的に探求するとともに、心のケアに関わる人材養成に取り組み、多職種の連携・協働によって成り立つ社会の実現に貢献することを目指す。

 大学院前期課程(修士課程)は2年間。死生学、宗教学、心理学等の関連科目を履修し、実践領域としてスピリチュアルケア、グリーフケア、死生観、スピリチュアリティ等を学ぶ。修了には修士論文の提出が必要。実習科目を選択し、修了した者は、日本スピリチュアルケア学会「スピリチュアルケア師(専門)」の受験資格、宗教者の場合は日本臨床宗教師会「認定臨床宗教師」申請資格を得ることができる。

 大学院後期課程(博士課程)は3年間。実習科目を選択した者は臨床におけるリーダーを目指すことができる。

 実践宗教学寄附講座は引き続き設置され、宗教者以外にも開かれた履修証明プログラム(社会人講座)で、臨床宗教師・スピリチュアルケア師の養成も行う。

2018/12/13
2018年回想 寺我、宗我で未来の展望欠いていないか

全日本仏教青年会ではSDGsについてのシンポも開かれた(11月10日撮影)自然災害と温暖化
 明治維新から150年、平成30年という節目を迎えたこの一年はどんな出来事があったのか。記憶に残っているのは相次いだ自然災害であろう。4月の島根県西部地震、6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨、9月の台風21号の列島縦断、同じく北海道胆振東部地震。これらにより寺院も多くの被害を受けた。その上今夏の猛暑は異常だった。気象庁によると今年7月23日には埼玉県熊谷市で観測史上最高となる41・1度を記録した。

 地震などの自然災害は予測しがたいが、地球温暖化は温室効果ガスが原因とみられている。3年前に締結されたパリ協定では、世界の気温上昇を産業革命以前と比べて2度以下を目標としている。2度を超えると異常気象によってさまざまな事態が起きるとされている。また1・5度以下にしなければ小さな海洋島諸国は水没してしまうため、こうした国々は1・5度以下を訴えている。

 『温暖化地獄』の著者である山本良一東京大学名誉教授(工学博士)は、本紙のインタビューに次のように答えた。「温暖化は人類が排出している毎日1億トン近いCO2(二酸化炭素)が主原因。目標を達成するには仏教的な分析が有効です。四諦の教えです。つまり原因を分析し、原因を取り除くこと。原因は、CO2を含む温室効果ガスの大量放出なのですから、これを取り除かないといけない」(9月20日)

 山本氏はかねてから倫理面からのアプローチを主張してきた。そこには期待と嘆きが交錯している。「この20年をみると、日本は変化を嫌う民族性というか、大きなチャンスに挑戦する力が、他の国や民族に比べて非常に弱い。目先のことばかりで、長期的に物事を考えられない。一番残念なのは倫理の力が弱いこと。例えばドイツは、倫理面からも論理面からも自然エネルギーにシフトした。日本人は、30年40年後の孫の代の地球がどうなるのかと深く考えていないのでは、と思わざるを得ない」(同)

10月、本願寺派僧侶らによる電力会社「TERA Energy(テラ・エナジー)」の設立が発表された。再生可能エネルギーを中心としており今後が期待される。複数の宗教法人が実行しているソーラー発電量をまとめた「宗教太陽光発電所」サイト(http://rse-greenenergy.org/)もある。原発や化石燃料によらないエネルギーの創成は、寺院も可能になったわけである。

無関心でいいのか
 ここ10数年来、東日本大震災があったとはいえ、少子高齢社会、無縁社会、過疎化、葬儀・戒名問題、僧侶派遣、質の向上といった僧侶や寺院経営に直面するさまざまな諸課題が一気に噴出してきた。その背景に各教団とも将来を展望する視点を欠いていることが示唆される。

 12月に入って、水道民営化法が成立した。公共性の強い水道事業に対する懸念の声は根強い。「20世紀は石油紛争の時代だったが、21世紀は水紛争の時代になる」(1995年、当時の世銀副総裁の発言)との言葉を聞いた人は多いはず。枯渇する水資源をめぐる争いかと思われたが、そればかりではない。ジャーナリストの堤未果氏は著書『日本が売られる』(幻冬舎)の中で「公営から企業運営になった途端、水は『値札のついた商品』になる」とし、水が投資の対象となると指摘。事業者は、利用者ではなく株主優先で考えるようになるという。

 水道ばかりではなく、あらゆる分野で民営化が進行していると同書で報告し、「(日本は)貧困大国アメリカの後を追い、『今だけ金だけ自分だけ』の社会を突き進むのか。/無関心でいる時間はない」と警告する。

 民営化は仏教界とも無関係ではない。すなわち葬儀の民営化である。かつて地域社会で担われていた葬儀は、専門業者(葬儀社や石材店)があるとはいえ限定的であった。それが寺檀関係が希薄化し崩れたことによって、巨大流通業者が参入したり、僧侶派遣会社がいくつも設立されたり、お墓や納骨堂の宣伝があったり、お布施を含む葬儀費用がネットで明示されたりと商業主義的な現象が起きている。
 
 そうした流れの中でお寺や教団は寺我や宗我を根っ子とした「今だけ金だけ自分だけ」の世界に陥っていないか。

SDGsへの支援
 11月、横浜の大本山總持寺でWFB世界仏教徒会議日本大会の世界平和祈願法要と記念シンポジウムが開かれた。そこで発表された宣言の中に「私たちは、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の実現を支援します」とある。SDGsの達成年は2030年である。

 WFB大会後の会見でWFB副会長は青年僧の活躍を讃えた。日本への仏教伝来は西暦538年(552年説あり)だが、20年後の2038年は仏教伝来1500年を迎える。現在の若者や青年僧が社会の中心となる時代である。各教団はこの時期を想定して中長期ビジョンを展望してみてはどうだろうか。

2018/12/13
お寺の掲示板大賞決まる 「お前も死ぬぞ 釈尊」インパクト強く

 境内にあるありがたい教えが説かれたお寺の掲示板を顕彰する「輝け!お寺の掲示板大賞2018」(仏教伝道協会主催)の受賞作品が5日、同協会のホームページで発表された。仏教伝道協会大賞には、岐阜県願蓮寺の「お前も死ぬぞ 釈尊」が選ばれた。仏教タイムス賞など全10点が入賞した。

 応募総数約600作品の中から大賞に選ばれた願蓮寺「お前も死ぬぞ 釈尊」を投稿した「中田絢子@10com_nj」さんは「生も死も同等にあること、特別なことではなく当たり前の感覚として、自分に染み込ませたいです」とのコメントを添えている。講評では、この作品によって同賞が世間に認知されたと言っても過言ではないと述べ、「この言葉(真実)の持つインパクトはネット社会のみならず多くの人々に影響を与えました。文句なしの受賞」と評した。

 願蓮寺の石神真住職は「ありがたいことです。掲示していた時期は観光シーズンでもあり、多くの方に見ていただいたようです」と喜びを語った。受賞した言葉は真宗大谷派岐阜教区教化委員会発行誌の言葉。「実は十数年以上も前のもの。あまりに強烈な言葉で当時は物議を呼んだのではないかと思う。近年、法事や天災が続き、他人事ではなく自分もいずれはそうなのだと、心に響いた言葉でした」と話した。(続きは紙面でご覧ください)

「輝け!お寺の掲示板大賞」を主催する公益財団法人仏教伝道協会のHPはこちら