2018/8/9
事件風化 カルト増加の中で③ オウム死刑囚13人執行
利用される「宗教学者」 問われる宗教研究の姿勢
宗教社会学者・上越教育大学大学院助教 塚田穂高氏

 

かつてのオウム真理教南青山総本部 「遅れ」を取り戻したい。何とか追いつきたい。そうもがいている間に、大きなドアが閉ざされてしまった。7月6日・26日のオウム真理教事件13死刑囚の刑執行。私がわずかながらも、面会し、意見を交わし、法廷でその声を聴いた彼らはもういない。

 事件時は中学2年、「ポストオウム世代」の私は、二重に「遅れ」て来た。一つは、大学院進学時には麻原(彰晃)地裁公判も終わっていたという点。もう一つは、事件前後に複数の「宗教学者」がオウムを見誤り醜態を晒していた(と後で知った)という点だ。

 その後の宗教研究では、「カルト問題」研究が櫻井義秀らによって切り拓かれた。オウム研究も(私も関わった)『情報時代のオウム真理教』『〈オウム真理教〉を検証する』(ともに宗教情報リサーチセンター編、春秋社)などによって足場が整えられてきた。
 あらためて、オウム事件と宗教研究について体験と事例を踏まえて考えたい。

 2012年に特別手配の3人が逮捕され、裁判が再開された。今しかないと思い、地裁から傍聴券の列に並んだ。傍聴できたのは20回超。一部だ。それでも私にとってほぼ最初で最後のオウム法廷は、貴重な経験だった。

再開オウム法廷

 傍聴の列には、実に粘り強くオウムを追い続ける人びとがいた。メディア、ジャーナリストはもちろん、弁護士、家族、信者、支援者、そして一般人のウォッチャーら。宗教研究者は見かけなかった。彼ら・彼女らには多くの「知らない」ことを教えてもらった。
 法廷では、「宗教学者」が言及されたり、登場する場も何度かあった。

 「教団に好意的な宗教学者の島田(裕巳)さんにでも見にきてもらうか」(2014年1月28日、東京地裁・平田信公判、杉本繁郎無期懲役囚の証言)。第7サティアンのサリンプラントを発泡スチロールの神像などで宗教施設と偽装した際のことである。

 「島田さんを攻撃することで世間の同情を買う情報操作だから」(同年2月19日、同公判、被告人質問)。地下鉄サリン事件前日、教団が疑われないための陽動作戦として、同氏の元自宅マンションの入口に爆発物を仕掛けた事件で、井上嘉浩死刑囚が語ったという動機である。

 自分たちの犯罪・問題から目を逸らさせるための「宗教学者」の利用。しかも、周りの傍聴者は、それに特に疑問も持たずに耳を傾けていた。

 オウムが対抗文化的な土壌に育ったことは確かだが、そうした対抗性に、メディアは消費コンテンツとしての魅力を見出し、知識人は自らの優越性(「自分は彼らを理解できている」)を無批判に寄託したことが、その問題性を見過ごし、肥大化させたのだと総括できよう。

 「“狂気”がなければ宗教じゃない」(中沢新一)、「(オウム批判は)ああ、またか、という思い」(山折哲雄)、「オウム真理教はディズニーランド」(島田裕巳)なども、結局は「~と言われているけど実は…」式の変奏である。これらを、宗教学や社会学、人類学などの姿勢・方法の問題に帰してよいかは慎重になりたい。だが、そこには「逆張り」の魔力があり、それが広く効力を持ったのである。

 いや、これは過去の問題では済まされない。現に、後継団体の幹部や麻原子女を「インタビューしてみた」「ゲストに呼んでみた」式の批判的検討なしに取り上げる例は枚挙に暇がない。

 あるいは大学の授業でオウム問題を扱う際、映画『A』(森達也)を見せて、「異常」だと思われている「カルト」信者の日常の姿から「意外と普通なんだ」といった気付きを与える(だけの)ような例もあるという。

オウム中

 後継団体のひかりの輪(代表・上祐史浩)に対しては、「宗教学者」が「オウム真理教の危険性と問題点を自己反省的・総括的に批判」(鎌田東二)・「(オウムに対する)反省が、きわめて真摯かつ徹底した仕方で行われている」(大田俊寛)などと同集団が望むような「お墨付き」を与えている。

 その上祐は、教団で殺害現場に立ち会っていたのを今日まで隠していたことが明るみに出た。それで「反省」も「総括」もあったものではないが、「利用」されに向かう「宗教学者」の姿は同型反復である。

 われわれは「オウム後」ではなく、「オウム中」にまだいるのかもしれない。「救いがない」、だろうか。だが、そうした過去と現在の実態と問題に向き合わないかぎり、前には進めない。「宗教」と「宗教研究」との関わり方が問われている。死刑執行で終わり、ではない。確定した裁判記録を基礎資料に、共同・連携して考究を続けたい。  (敬称略)
 ………………………
つかだ・ほたか/昭和55年(1980)、長野市生まれ。東京大学大学院博士課程修了。博士(文学)。著書に、『宗教と政治の転轍点』(花伝社)、『徹底検証 日本の右傾化』(編著、筑摩書房)など。

2018/8/9
比叡山宗教サミット31周年 今こそ共生思想の共有を! 

平和の鐘が響く中、黙祷が捧げられた 超宗教で世界の恒久平和を祈る比叡山宗教サミット31周年「世界平和祈りの集い」が4日、滋賀県大津市の天台宗総本山比叡山延暦寺・一隅を照らす会館前広場で開催された。約900人が参加し、宗教・宗派を超えて神仏の導きによる平和行動の実践を誓った。
 
 主催者を代表して、杜多道雄宗務総長が開式の辞。世界規模で頻発している異常気象による自然災害にふれ、「かねてより地球環境に対する人間の横暴さが問題となり、異常気象の根底には地球温暖化の影響が指摘されているにもかかわらず、一部先進国のエゴにより、対策は遅々として進んでいない」と批判した。


 さらに「世界各地で武力紛争やテロが頻発し深刻かつ大規模な人権侵害はやむことはなく、暴力や憎悪の連鎖が続いている」と懸念。「自国第一主義が世界を揺るがし、新たな分断線が引かれ始めている」とし、宗教の垣根を越えた世界の宗教者による「共生の思想の共有」の必要性を訴えた。

 第53回「天台青少年比叡山の集い」に全国から参加した小学6年生から中学生の約280人が、舞台中央の地球儀に平和や災害復興などの願いを込めて折り鶴を奉納。続いて森川宏映天台座主を大導師に、延暦寺一山住職が出仕して平和祈願法要を厳修した。

 森川座主は平和祈願文を奉読し、昨年の30周年記念の「集い」で打ち出されたメッセージ「多様性を認め共に生きる」を強調。平和を実現するには、世界中の人々が「良き友人になることが近道である」と述べた。

 各宗教の代表11人が登壇。午後3時30分、天台青少年とワールドピースベル協会の代表者が文殊楼横鐘楼の「世界平和の鐘」を打ち鳴らし、参加者全員が起立して黙祷を捧げた。

 次いでローマ教皇庁諸宗教対話評議会議長の故ジャン=ルイ・トーラン枢機卿の平和メッセージを、教皇庁駐日特命全権大使ジョセフ・チェノットゥ大司教が代読。世界仏教徒連盟のパン・ワナメティー会長のメッセージも披露された。

 次代を担う青少年が「平和への思い」を発表。立正佼成会の西田友希乃さん(高3)は「私にとっての平和とは、みんなが笑顔でいること」とし、「(戦争で)どれだけの笑顔が失われたのか。(戦争が)どれだけの人を孤独にさせたのか。体験していない私でさえ、戦争の恐さが想像できる。『私たちが平和でいるのは幸せなことである』と多くの人に伝えられる活動に参加したい」と述べた。

 天台青少年代表の加藤良明君(中3)は、「人の助けになれる自分になるために、ボランティア活動に(積極的に)参加しながら学んでいきたい」と抱負を語った。

 青少年2人の情熱を受け止めた全日本仏教会の戸松義晴・事務総長は、ベトナムの高僧ティク・ナット・ハン師の言葉を引用して「平和は日々の積み重ね。困っている人がいたら助けたいという気持ちを持ち続けていく(ことが大切)」と応答。「平和の祈り」を行動に移していくために、全員で改めて黙祷を捧げた。

 司会者が、「平和のために祈ることは、平和のために働くこと、そして平和のために苦しむことですらある」という比叡山メッセージを朗読。小堀光實延暦寺執行は閉式の辞で、全参加者に両隣に座った人と手を繋ぐよう求め、「これからも平和のために頑張りましょう!」と強く呼びかけた。

2018/8/9
被爆地蔵の顔 西から東へ 「子育て」が縁つなぐ

やさしい表情の子育て地蔵 広島原爆の直撃を受け、胴体は粉々になったが顔だけが辛うじて残った石仏「子育て地蔵」。それが祀られているのが東京都目黒区の日蓮宗常圓寺(古河良晧住職)だ。今年も原爆忌の6日、慰霊法要が営まれた。檀信徒のほか、被爆者も数人参加。回向文には「核兵器廃絶」の誓いも織り込まれ、題目を唱えて立正安国の世界の実現を願った。

 この子育て地蔵は、爆心地間近100メートルに建つ浄土宗西蓮寺(広島市中区)に祀られていた。よだれ掛けを奉納すると子どもが丈夫に育つという伝承もあり、市民に親しまれていた。原爆投下後、西蓮寺住職の香月崇海氏はお寺の復興の傍ら子ども会活動をいち早く始め、広島市児童文化会館の設立も手掛けた。

 1947年、児童文化会館の上棟式のために、英字新聞「ニッポンタイムズ」記者だった村山有氏が広島市を訪れた。詳しい事情は不明ながら、これをきっかけとし、香月氏が村山氏に、原爆の悲惨さを伝えるために渡したのではないかとみられている。

 村山氏は、世界に初めて「ピカドン」という言葉を発信したジャーナリストであり、日本ボーイスカウト連盟の幹部として、スカウト発展にも尽力した人物。

 目黒在住だった村山氏はしばらく自宅に安置していたが、やがてやはりお寺で祀るのが良いと考えたのか、常圓寺前住職の古河俊良氏に供養を託した。俊良氏も、目黒のボーイスカウトの役員をしていた記録が残っている。その縁があったのだろうと、子息の古河住職は推測する。

被爆した「子育て地蔵」に手を合わせる古河住職 毎年8月6日に行われていた供養がやがて世間に知られるようになり、1987年以来、目黒区内の被爆者団体「萌友会」が主催して法要が行われている。被爆体験を語り継ぐ場にもなっていたが、高齢化により今年から休会。しかし「原爆の被害のことは、ずっと伝えていかなければならない」と決意した古河住職は、寺の主催として行うこととした。

 当時、広島一中の2年生だった小西清治さん(萌友会会員)は「私も年なのでいつまで来られるかわかりませんが、こうやって続けていってもらえるのが本当にありがたい」と感謝する。投下された日は宮島で勤労動員をしていたため、命だけは助かったという。

 古河住職は「広島のことは、東京から遠いから今一つピンとこないのかもしれない。原爆供養をするお寺は都内ではほとんどないのでは」と語る。6月の米朝会談や、昨年のICANノーベル平和賞受賞などで核兵器廃絶への機運が高まっていることを喜びつつも、被害の記憶を伝えていく活動が大切だと強調する。古河住職自身も、児童館で子どもたちに、原爆の被害や子育て地蔵の来歴をスライドで伝える活動を行っている。地蔵堂にはそんな子どもたちが奉納した千羽鶴がたくさん掛けられている。

 常圓寺は先代の頃から子どものための活動に熱心だった。西蓮寺、村山氏、そして常圓寺という、子どもを育てた人たちが「子育て地蔵」を繋ぎ、原爆の被害を伝える。

2018/8/2
潜伏キリシタン 世界遺産登録に寄せて
忘れてはならない為政者へのまなざし 
共同通信社編集委員  西出勇志氏

長崎・外海の出津集落にある出津教会。世界遺産登録後、多くの人々が訪れている ユネスコの第42回世界遺産委員会は7月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界文化遺産に正式登録した。250年にわたる禁教下、信仰を密かに保持・継承してきたのが潜伏キリシタンであり、その関連遺産に「普遍的価値」があると世界が認定したことになる。国内の世界遺産は22になったが、キリスト教に関する遺産はこれが初である。

 1549年にザビエルが日本にもたらしたキリスト教は、17世紀初頭に徳川幕府によって禁制とされた。幕府は発見・摘発・予防のため絵踏、訴人褒賞、寺請制度、五人組、さらに改宗した元キリシタンやその子孫である「類族」の監視も実施した。密告を中心に周到に整備された統治のシステムを知ると、心理を巧妙に突いて人間の弱さを抉り出す為政者の深謀に慄然とする。事実、あまりにも多くの殉教者、棄教者が出た。それでも幕府の目をかいくぐって保持する組織が各地に組み立てられ、信仰は代々密かに継承された。

 1865年、浦上の潜伏キリシタンが居留地の外国人向けに建てられた大浦天主堂を訪れ、フランス人神父に信仰を告白した。世界宗教史上の奇跡と言われる「信徒発見」である。自覚的になったキリシタンの行動によって信仰が顕在化し、幕府は1867年に浦上の秘密教会などを急襲、大規模摘発を行った。

 明治政府も禁制を踏襲する。浦上のキリシタン約3400人が流罪となり、配流先で改宗を迫られて拷問などを受けた。これが「浦上四番崩れ」である。欧米歴訪中の岩倉使節団が各地で批判を浴び、政府が禁制の高札を撤去したのは1873年。つまり、世界遺産の対象となったキリシタン潜伏は明治6年に終了することになる。

 潜伏キリシタン遺産は、遠藤周作の『沈黙』の舞台となった長崎・外海地方にある出津集落、五島の頭ケ島集落、島原の乱で知られる原城跡、熊本・天草の崎津集落、そして現存する国内最古の教会で国宝の大浦天主堂など12の資産で構成される。キリシタンは人目を避けて住まざるを得なかったため、資産は離島や沿岸部でも特に交通が不便な場所にあり、過疎化が進行した土地が多い。資産を地域で維持し、観光資源としての活用や巡礼対応のためには諸々の整備が必要だろう。同時に、世界遺産と、地域の人々の祈りのための静穏な空間を両立させることも大きな課題となる。(続きは紙面でご覧ください)

2018/8/2
事件風化 カルト増加の中で② オウム死刑囚13人執行
井上さんは私だったかもしれない 誰もが罪を犯し得る
真宗大谷派僧侶・シンガーソングライター 鈴木君代氏

 井上嘉浩さんに東京拘置所と大阪拘置所で十年にわたり、面会を続けてきました。オウム真理教の事件報道を通して、嘉浩さんの存在を知りました。京都で生まれ育った私は、同じように悩みを抱えた一人の人間として、道ですれ違っていたかもしれない人だと強く思ったからです。誰もが、現実社会の中で苦悩を抱えて生き、どれほど願っても出遇えない苦しさ、押し寄せてくる不安感、共に生きたいのに生きられない孤独感と共に在ります。しかし、人はどんな人に遇ったかという出遇いによって一生が決まるものです。

 嘉浩さんは高校二年生の時、深い悩みの中でオウム真理教に入会し、真摯に道を求めたからこそ、教団の要職を任されていました。高校生まで住んでおられた場所が私の家の近くで、直感的に同じ場所にいたかもしれないと思ったと同時に、私もまた苦悩の中で体調を崩して人を求め、寺院を訪ね歩き、たまたま親鸞聖人の仏教に生きる人に出遇えたことで、道を歩ませてもらっていましたから、事件を知った時には他人事には思えませんでした。出遇った人が違っていたら、私が拘置所にいたはずでした。ですから、アクリル板の向こうにいるのは、私だったかもしれないと思いながら、ただ遇い続けてきました。この出遇いは、とてつもなく重い問いを私に与えてくれました。

 私たちは、面会室の二十分という限られた時間で、現状を語り合い、互いの体調を思いやり励まし、それぞれ学んできた仏教や、私が送った本の本願念仏の教えについて会話を続けてきました。最初に面会した時には、社会の作り上げたイメージとはほど遠い、16歳のままの優しく純真な人柄にふれて驚いたことを覚えています。そして23年の間、罪の重さに苦悩し懺悔され続けた真実の姿をこの目で見てきました。その存在は、人間に生まれた限り、誰の中にもある闇を見つめさせ、「どんな人も殺してはならない、殺さしめてはならない」(『法句経』)と仏教が証する世界を私に示してくれました。

 誰もが、被害者になることはあっても加害者になることはないと思っています。人を殺すような悪人は、自分とは違う人間で、死刑になって当然だと考えます。しかし親鸞聖人は、「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいをもすべし」(『歎異抄』)と仰っています。人間は、縁が整えば誰もが罪を犯し得る存在なのです。(続きは紙面でご覧下さい)

2018/8/2
名古屋・興正寺 添田特任住職が辞任

自力での運営再建の道を選んだ興正寺 名古屋市昭和区の高野山真言宗別格本山・八事山興正寺の責任役員3氏が7月上旬に添田隆昭特任住職(同宗宗務総長)の「解任要望書」を宗派に提出した件で27日、大阪市内に宗派の司法機関・審査委員会が招集された。責任役員会の同意を得ずに独断で、住職の地位等をめぐって係争中だった元住職側と「裁判外和解」をした責任などを理由とする「解任要望」だが、審査委員会は「興正寺に損害を与えたとは言えない」として棄却した模様だ。だが同一人物が宗務総長と特任住職を兼職することで生じる著しい「利益相反」状態を解消するため、「特任住職辞任」という結論に至ったようだ。

 審査委員会の通告書を受け取った添田総長は、後日開かれた内局会の議を経て特任住職をすでに辞任したとみられる。宗派から興正寺への貸付金5億6千万円の回収に加え、元住職が在職時に行った寺有地売却に伴う礼録5億4千万円の納付を同寺に求めるに際して生じる利益相反状態を解消した形だ。これで宗派は完全に興正寺の運営から手を引くことになった。

 一方、特任住職辞任を受けた興正寺責任役員会は、次の住職を速やかに選出しなければならない。現状では、特任住職の名代として実務に当たっている西部法照主監が推される可能性が高い。

 宗派主導の運営正常化をわずか2カ月余りで自ら断ち切り、自力での運営再建という厳しい道を選んだ興正寺。その意思は檀家総代である責任役員3人(全員)の賛成で決められたが、これまで共に興正寺正常化運動に携わってきた多くの檀信徒や地域住民には知らされていなかったようだ。檀信徒の一人は、「宗派のおかげでここまで来られた。興正寺はまだ〝ヨチヨチ歩き〟の状態。これから本格的に宗派の指導や助力が必要だったのに」と憤る。今も添田特任住職を慕う声は多く、一部には特任住職続投を要望する動きもある。

 審査委員会は午前10時半から始まり、午後3時前に終了。午前中には責任役員3氏、午後には添田特任住職の事情聴取が行われた。責任役員3氏は本紙の取材に「私たちからは何も話せない」としつつも、「言うべきことは言った」と回答。揃って会場を後にした。添田総長も「審査委員会は秘密会だ。私から話すことは何もない」とした。

2018/8/2
創価学会が靖国に提灯奉納 ネット騒然 みたままつりに

多くの提灯の中の下側に「創価学会」が見える 先月13日から16日まで開催された靖国神社の「みたままつり」に創価学会が提灯を奉納しネット上で騒然となっている。弊社記者が撮影した提灯群の中に創価学会名の提灯が映っていたことが確認できた。

 ネットでは「信じられない」「謗法厳戒を忘れたなれの果て」などの言葉が登場。初代の牧口常三郎会長は「国家権力と対決した創価の厳父」(創価学会HP)であり、2代戸田城聖会長も「宗教・思想の統制を図る軍部権力に検挙・逮捕され、2年余の獄中生活を強いられた」(同)と紹介されている。それが同会にとり軍国主義の象徴ともいえる靖国神社への奉納。

 ある学会ウォッチャーは「謗法だけでなく、戦前の弾圧を体験してきた創価学会は靖国神社に対しては政教分離問題もあって厳格な態度であった。池田大作名誉会長の長期不在が続き、原田稔会長はじめ現体制は自民党寄りになっている。それが靖国神社への提灯献灯に至ったのではないか」とみる。

 公明党に詳しい元国会議員秘書は「中国がこれをどうみるか。公明党も創価学会も中国に近い。公明党は首相の靖国参拝を黙認していたが、本来は反対だったはず」と創価学会と中国政府の関係を注視する。

 本尊、会則、会憲制定など創価学会は近年立て続けに変化を見せている。靖国神社への提灯奉納もその流れなのか。

2018/7/26
事件風化 カルト増加の中で①
オウム死刑囚死刑執行 弟子たちの語り カルト対策に重要
日蓮宗僧侶、脱カルト協会顧問 楠山泰道氏

7月6日、オウム真理教の死刑囚13人のうち7人が執行された。オウム問題が再燃しだしてもいる。改めてこの問題やカルト問題に関わった人たちに取材し、あるいは寄稿いただく。オウム事件は現代社会に何をもたらしたのか――。

 麻原彰晃(本名・松本智津夫)はじめ6人の弟子の死刑執行。第一報を耳にした時、日本の法律はカルト問題をよく認識していないと痛切に感じました。担当大臣を含めてカルト問題を深く考えていない。だから麻原と6人を一緒に死刑にできたのだと思っている。もし分かっていれば、あんなことはしないはずです。日本はカルト問題の先進国なのに、法律的には全然整備されていない。

 つまり、マインドコントロールは法律自体では裁けなかった。マインドコントロールにかかっている弟子たちが、教祖の指示に従ってあれだけの事件を起こしてしまった。指示した人間と、指示された人間が同じ土俵の上で死刑にされていいのか、ということです。同時に彼らが語っているメッセージはまだ途中ではないのか。井上(嘉浩)君にしても中川(智正)君にしても、例えばテロ問題の対策を原稿にしたり、井上君は自分はこんなことをするために宗教に入ったわけではないんだと後悔の念と経緯をノートに書いたりしている。

 こうした問題が二度と起こらないための予防という意味で、彼らが語るメッセージはいたって重要なのです。それをしない限り、日本のカルト問題、テロ対策は後手後手にまわっていくんだろうなと思っています。

 彼ら弟子たちは真っ直ぐに麻原についていった人間たちです。その根底には宗教観や救いといったものがあり、それが麻原の恣意的な解釈によってポワという形が作られてしまった。当然、彼らは自分を疑いながらもそうしなければならない境地に立たされたと思う。そのあたりは解明されなければならないし、彼らの言葉は重要です。少なくとも残りの6人は死刑執行すべきではないし、もっと専門家が面談し聞き出せる環境整備が求められます。

真面目な子が
 子どもがカルトに入ってしまうことで親や家族、今回の死刑囚の親や家族には言葉にならないぐらいの苦しさ、悲惨さがあります。彼らは真面目で、真っ直ぐで、不器用ですが、生き方次第では日本を背負っていくような人たちですよ。それがある日突然、カルトに入ってしまい、その結果がテロ犯罪に手を染め、そして死刑執行。親の心情は言葉にならないですね。サリン事件の犠牲者遺族や被害者もまた突然のことですから、言葉にならない辛さを何年も抱えてきた。双方の人たちの苦しみや悲しみをどうやって癒し、救っていくのか。これも宗教の仕事だろうと思います。(続きは紙面でご覧下さい)

2018/7/26 仏教伝道文化賞決定 本賞に西村惠信氏、沼田奨励賞にみうらじゅん氏

西村氏㊧とみうらじゅん氏 (公財)仏教伝道協会(木村清孝会長)は、第52回仏教伝道文化賞・沼田奨励賞の選定委員会を開き、仏教伝道文化賞に西村惠信氏(84、花園大学名誉教授、元学長)、沼田奨励賞にみうらじゅん氏(60、漫画家・イラストレーター)を選定したと発表した。

 仏教伝道文化賞は国内外を問わず、仏教関連の研究や論文、美術や音楽、仏教精神を基に活動する実践者など、幅広い分野で仏教精神と仏教文化の振興と発展に貢献した人物や団体を顕彰。また、今後の仏教伝道を通じた文化活動の振興が大いに期待できる人物や団体に沼田奨励賞が贈られる。

 西村氏は昭和8年(1933)生まれ。滋賀県東近江市の臨済宗妙心寺派興福寺前住職。1960年に米国ペンデルヒル宗教研究所に留学し、キリスト教を研究。京都大学では宗教哲学を専攻した。その後、花園大学、教授、学長、㈶禅文化研究所所長などを歴任。長年にわたり国内外で禅の思想と文化の研究・普及に尽力し、その成果を分かりやすく伝えた功績が評価された。

 奨励賞のみうらじゅん氏は漫画家、作家、イラストレーター、ミュージシャン等、多分野で活躍。マイブームやゆるキャラなどの命名者としても知られる。子どもの頃から仏像好きで、紀行文『見仏記』(いとうせいこう氏との共著)などで仏像ブームを牽引。若い世代へ仏教精神を発信した功績が評価された。

 文化賞300万円、沼田奨励賞200万円が贈られる。贈呈式は10月4日に東京・芝の仏教伝道センタービルで執り行われる。

受賞コメント

西村惠信氏 宗教交流も

 夢にも考えていなかった受賞ですので非常に驚き、喜んでおります。推薦してくれた方にただ感謝あるのみです。私はキリスト教や仏教の他宗派の方々との交流を続けてきましたが、こうした活動を評価してくれたのだと思います。

 終戦後、旧制中学校で米国の宣教師から英語を教わり、そこでキリスト教を布教されました。反感を覚えましたが、その後、米国留学のチャンスを得てキリスト教を学ぶことができました。バチカン公会議が行われてからは各国で話す機会もでき、他宗教の方々との交流が続いています。これからは対話がより大事な時代です。宗教者は様々な宗教を知らなければなりません。

みうらじゅん氏 啓示を受け…

 思い返せば小学生時代、突如マイブームの啓示を受け〝仏像〟の魅力にハマリ、将来は僧侶に成るべく仏教中学に入学。仏教のクールな生きてく上での覚悟を知って益々、ファンになりました。以来、まだ、その素晴らしさに気付いていない、特に若者に向け、どうにか伝わらないものかと著作や講演で笑いを交えながらやってきました。
 
 この度、何かの縁あってこんな立派な賞を頂戴することになり、誠にありがとうございます。驕ることなく今後も精進していく所存です。