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2017/4/20
智山青年連合会全国結集・日光で家康公に謝恩 史上初、他宗の正式参拝と法要

①智青連結集.JPG輪王寺大猷院で「家康公御位牌」を前に追善法要 真言宗智山派・智山青年連合会(伊東永人会長)の第54回全国結集が13・14両日、「世界遺産 日光の社寺」がある栃木県日光市で開催され、200人超が参加した。現在の智山派にとって最大の恩人の一人である徳川家康公に報恩謝徳の祈りを捧げるため、家康公を東照大権現として祭る日光東照宮を正式参拝。位牌を奉安する天台宗日光山輪王寺で追善法要を厳修した。江戸時代から400年続く日光の社寺の歴史の中で、他宗による正式参拝と大人数の法要は今回が初めてだという。

 豊臣秀吉による紀州・根来山攻めの難を逃れ、各地を流転しながら根来寺内にあった塔頭寺院・智積院の再興を志していた玄宥僧正に慶長6年(1601)、徳川家康が京都・東山七条の地を寄進。現在まで繋がる智山派と総本山智積院の歴史はこの時から始まり、玄宥僧正は派祖として尊崇されている。こうした厚恩を改めて心に銘記するため、今結集の大会テーマは「謝恩~東照大権現を拝む」となった。

 平成27年に四百回忌を迎えた徳川家康。伊東会長(栃木・持寶院) は参拝前、現在の世界情勢を念頭に置きながら「戦乱の世を鎮め、天下泰平の世を築いた家康公の平和を願う気持ちを心に刻みたい」と語った。

 初日に日光の社寺を参拝。青年僧侶一行は表参道から陽明門をくぐって東照宮の拝殿・本殿に向かい、正式参拝の儀を執り行った。伊東会長が玉串を神前に供えるなど神式で拝礼。続いて山上の奥社に上がり、家康公墓所である宝塔前で法楽。般若心経や光明真言に続き、「南無東照大権現」と唱和した。

 東照宮の齋藤禎一・総務課長は、「正式参拝の後、御宝塔の前で皆様が(家康公に)心を寄せるというのは東照宮始まって以来のこと。仏教も神道も平和を祈り願う心は同じ。今日は有意義な一日になった」と述べた。

 次に一行は、二荒山神社で法楽。茨城県から参拝に来ていた男性は、「私は70歳だが(大勢の僧侶の神社参拝は)初めて見た。良い日に来た」と喜んだ。大勢の外国人参拝客も、法螺貝の音を響かせながら練り歩く僧侶の姿を珍しそうに見守っていた。

 そして一行は、江戸幕府3代将軍家光公の廟所・輪王寺大猷院(たいゆういん)へ。本殿へと進列し、「家康公御位牌」の前で「東照大権現理趣三昧追善法要」を厳修した。

 輪王寺の鈴木常元・教化部長は、「大人数の声明が気持ち良く、圧倒された。宗教・宗派を超えた(神仏習合の)聖地である日光にふさわしい法要だった」と感想。柴田昌典・同寺所化は「今月20日は家光公の祥月命日。その日に近い時期にお経をあげてもらえたことが大変嬉しい。智山派と天台宗の交流の一環となり、私もいい勉強をさせてもらった」と話した。今結集の石本隆芳・実行委員長(栃木・明星院)は、「東照宮様、輪王寺様に特別にお計らいいただき、このような歴史的な参拝と法要が実現できた」と感謝を述べた。

 2日目は市内のホテルで、特別講演「智積院と徳川家康」(坂本正仁・大正大学特任教授)「日光山の信仰―家康以前と以後」(鈴木教化部長)が行われた。

2017/4/20
熊本地震から1年 佛教大学で追悼の灯

②佛教大 熊本地震 追悼キャンドル.JPG犠牲者の人数と同じ225本のLED灯や走馬灯の光が夕闇を照らす中、焼香する学生たち 熊本地震の発生から1年となった14日、京都市北区の佛教大で、追悼のキャンドルがともった。地震による犠牲者の人数と同じ225本のLED灯や、蓮の花が浮かび上がる走馬灯の光が夕闇に揺れる中、学生や教職員が復興を願った。

 午後6時過ぎ、礼拝堂前に「4・14」の形に並んだろうそくに明かりがともされた。寺のお下がりを溶かし、学生が作り直したろうそくを使った。書道史の永尾秀則教授が書いた「熊本復興」の書や、「絶対に忘れない」などの学生の寄せ書きを、キャンドルの光が照らした。寄せ書きは被災地に送られる。

 焼香台から走馬灯へ向かうLED灯でつくられた道は、復興の願いが届くようにと熊本に続く道をイメージした。「南無阿弥陀仏」と称えていた4年生の福嶋俊介さん(21)は、「亡くなった人の極楽浄土への往生と、被災地に阿弥陀さまの護念があるように願った」。在家出身の福嶋さんは僧侶を志し、同大で学んでいる。

 礼拝堂内では28日まで、被災地の写真約50枚のパネルを展示。昨年8月に益城町の避難所で学生と教職員30人余りが実施したボランティア活動の様子なども伝えている。復興支援に携わった4年生の兼田靖さん(21)は神戸市出身で、小学生から阪神淡路大震災を伝える教育を受けてきたといい、「発信することが大切。風化させてはいけない」と話した。

2017/4/20
足立区・善立寺 伝説の棋士を縁にお寺で追悼碁会 高尾名人・藤沢女流名人が指導

⑤善立寺で碁会 (1).JPG藤沢プロによる指導碁の様子 東京都足立区の日蓮宗善立寺(新倉典生住職)で9日、プロ棋士の高尾紳路名人(九段)、18歳で女流本因坊・女流名人の藤沢里菜三段など囲碁界のスター棋士やアマチュア強豪勢が集い「碁会」が開催された。

 伝説の棋士、藤沢秀行さん(2009年死去)の三男で、昨年10月に亡くなった嘉浩さんの追悼を込め、妻の晶子さんが企画。詰碁の本をいつも手元に置き、アマチャンピオンにもなった嘉浩氏を偲び碁盤を囲んだ。

 若き女流棋士として活躍する藤沢さんは秀行さんの孫にあたり、高尾名人は秀行門下の一人。碁会は武宮正樹九段、剱持丈八段など、錚々たる顔ぶれが揃った。友人と囲碁クラブを開いているという酒井浩さんは藤沢さんから指導碁を受け、「テレビでしか見られないような方ばかりです。仲間にお土産話ができました」とご縁に感謝の言葉。日本棋院調布支部の支部長を務める菊池忠浩さんは「なぜそこに石を置くのかという物語がある。石が語るんですよ」と囲碁の魅力を熱っぽく語った。

 秀行さん、嘉浩さんは共に、新倉住職が葬儀を執り行った。これが縁でお寺での碁会が企画された。午前中には法要も営んだ。「お寺ならではの清浄な空気のなか、安らぎながら、のびのびと楽しんでもらえた」と晶子さん。信長、秀吉、家康に仕えた囲碁の名人で法華宗の僧侶だった本因坊算砂に代表されるように仏教と碁には深いつながりがある。晶子さんは「お寺は古来の歴史や文化を継承して繋いでいける場。お寺で囲碁が広まれば良いですね」と話した。

2017/4/13
仏教主義学校連盟 東京立正で花まつり 12校520人が参加

②仏教主義の花まつり (1).JPG参加者全員で花まつりの歌を斉唱した 仏教を建学の精神とする東京・神奈川・埼玉の中学高等学校17校が加盟する仏教主義学校連盟(澤田幸雄会長)は8日、東京都杉並区の東京立正中学校・高等学校で花まつり降誕会を開催した。今年で53回目。生徒520人が参加し、お釈迦さまの誕生をお祝いした。

 今年は鶴見大学附属中学高等学校、淑徳中学高等学校、横浜清風高等学校、駒沢学園女子中学高等学校、世田谷学園中学高等、宝仙学園中学高等学校、芝中学高等学校、駒澤大学高等学校、千代田女学園中学高等学校、駒込中学高等学校、立正大学付属立正中学高等学校、東京立正中学高等学校の12校が参加した。澤田会長(東京立正中学校高等学校校長)は開式にあたり、釈尊の教えから「今の自分を、一日一日を大切に生きること」を挙げて、「お釈迦さまの教えを勉強し、私たちの暮らしに活かしていきましょう」と呼びかけた。

 式典では東京立正中学校高等学校の聖歌隊が献灯し、四弘誓願を生徒全員で斉唱。鶴見大学附属中学校高等学校洋舞部による散華の舞で花御堂を荘厳して、三帰依文を唱和した。

 澤田会長、後援団体の東京都仏教連合会(東仏)の新倉典生事務局長、加盟学校教員、生徒の代表が灌仏して釈尊の誕生日を祝福した。

 来賓として東仏の新倉事務局長が挨拶。米国によるシリア空爆、各地で起こるテロなどにふれ、「どのような理由や主張があっても、他人のいのちを脅かすような行為は決して許すことはできない」と述べ、「自分のいのちと同様に他のいのちも敬い、思いやりの心で接していく」という仏教の教えに「寛容の気持ちが宿る」と説示。花まつりを縁に「利他」の心を育むことを願い「世界の平和につながっていく」と語りかけた。

 東京立正中学校3年生の奈良仙子さんが奉讃文を読み上げ、釈尊の教えにならい「私たちも自分の努力で自らの人生を作り上げる」と誓った。最後に参加者全員で「花まつりの歌」を歌って締め括られた。

2017/4/13
第41回正力松太郎賞決まる 教覚寺少年会・れんげ国際ボランティア会

①教覚寺4.jpg教覚寺少年会の様子 全国青少年教化協議会(全青協)が主催し、仏教精神に基づいた青少幼年の育成や社会教化に尽力してきた個人・団体に贈られる第41回「正力松太郎賞」の本賞に教覚寺少年会(静岡県静岡市/代表=南荘宏・浄土真宗本願寺派教覚寺住職)と認定NPO法人れんげ国際ボランティア会(熊本県玉名市/代表=川原英照・真言律宗別格本山蓮華院誕生寺貫主)が選出された、7日に発表された。40歳以下を対象にした青年奨励賞は該当者がなかった。報告会・表彰式は6月1日、東京都港区の東京グランドホテルで行う。

 教覚寺少年会は1915年の設立以来、門信徒や地域の子どもたちの健やかな成長を念願し、5代にわたって約100年間、日曜学校を実践。現在は花まつりや子ども報恩講など仏教行事に合わせた集いを月に一度行うほか、10代の会、光輪会(20代から30代)、女性の会、壮年会、覚寿の会(75歳以上)等、世代を超えて子どもと関わるための取り組みを行っている。仏教情操の涵養と心の潤いを供する一役を担ってきた長年の地道な活動と、地域社会への貢献が高く評価された。

 れんげ国際ボランティア会は1981年にカンボジア内戦による難民支援を目的に発足。曹洞宗の「シャンティ国際ボランティア会」と行動を共にし、難民キャンプでの移動図書館の巡回、図書の発行など、文化・教育支援を実践。タイ、スリランカ、インド、ミャンマーなどの国々で、貧困や差別といった厳しい状況に置かれた人々に対して支援を続けている。各地に建設した学校数は57校で、昨今では学校建設をきっかけとした農村開発を実施している。

②ミャンマ-学校建設.jpgれんげ国際ボランティア会によるミャンマーでの学校建設 昨年の熊本地震では、震災緊急・復興支援として、募金活動やボランティアの宿泊のバックアップ、子どもたちの学習支援等、現地が必要とする支援に取り組んでいる。

受賞者のコメント

サンガの中で…南荘代表
 代々、子どもの時の宗教情操教育が重要との思いで続けてきました。子どもたちにお寺に来てもらうには、門徒をはじめ地域の協力が必要です。地域では子どもからお年寄りまで、様々な世代の方々がお寺に集まります。こうしたサンガがなければ、少年教化の活動はできません。
 核家族が中心の現在、お父さん、お母さん世代への働きかけも重要です。家庭の後押しがなければ、子どもはお寺に来ないからです。魅力を感じてもらえるよう、これからも地道に活動を続けていきたいと思います。

衆生済度の浄業…川原代表
 伝統ある賞をいただき、信者さんに支えられ37年間活動を続けられたことが、有り難いとしみじみと感じています。信者さんは「一食布施」(一食を抜いた分をお布施する)などをして支えてくれ、その信仰を継続してくれました。
 NPO法人の原点には大乗仏教の精神があると私は思っています。私たちが行ってきた難民支援などの国際協力は「衆生済度の浄業」を現代社会のなかで具体的な活動にしたものです。NPOとしての取り組みではありますが、宗教活動の一環としてやっています。

2017/4/13
日蓮宗が沖縄・平和祈念堂で世界立正平和祈願法要  一昨年の広島、昨年の長崎に続き

日蓮宗沖縄法要.JPG平和祈念堂で営まれた法要。沖縄戦の犠牲者約20万人の安寧を祈った(11日) 日蓮宗(小林順光宗務総長)は11日、アジア太平洋戦争における激戦地・沖縄県糸満市の平和祈念公園内平和祈念堂と那覇市の法華経寺で「沖縄戦戦没者追善供養・世界立正平和祈願法要」を厳修した。小林総長が就任以来続けてきた平和法要は一昨年の広島、昨年の長崎に続きこれで一つの区切りとなったが、総長は今後も平和運動・法要を続ける意欲を示した。

 沖縄の彫刻家・山田真山氏(1885~1977)が全戦没者の追悼と世界平和を願って制作した12メートルの平和祈念像の下に大曼荼羅を安置。導師の小林総長、副導師の濵田義正九州教区長たち、それに式衆の宮崎・鹿児島・沖縄県各宗務所の教師らが入堂。方便品・自我偈・神力偈を読誦した。

 総長は追悼文で、約20万人の沖縄戦犠牲者の安寧を祈り、立正平和実現のため活動していくと語った。続いて日蓮宗加行所の工藤堯幸伝師ら修法師による木剣加持が行われた。参列者は約200人。たまたま訪れた一般の来場者も法要に驚きながらも一心に手を合わせていた。

 小林総長は挨拶で、日本軍が戦争遂行のために民間人までも徴用し、戦争の巻き添えになって悲惨な最期に至らせたことに哀悼の意を捧げた。

 アジア太平洋戦争における日本の戦没者310万人のうち、海外で倒れた240万人にも思いを寄せ、「すべての遺骨が帰国しないうちは戦後はまだ終わらない、終わってはいけない」と宣言。これからの平和運動の方向性を示した。副導師を務めた森下恵裕宮鹿沖宗務所長は「いかなることがあろうともいのちを奪ってはならない」と挨拶で述べた。

 その後、那覇市の法華経寺(日沢是良住職)に移動し、再び小林総長を導師に立正平和祈願法要を営んだ。同寺は「ありったけの地獄戦」で焦土と化した地にある。法華経の法灯が消えようとしていたところに初代の故・鹿糠堯順氏が単身渡航し1975年に開山した。日沢住職は総長らに感謝しながら、オスプレイが飛び交い一般道路を米軍の戦車が走る現在の沖縄を憂慮し、今後も怨親平等の心で祈り続けると語った。

 宮崎県・上行寺檀家の石永辰秋さん(89)は兄の喜助さんを沖縄戦で失った。「兄は遺骨も戻ってこなかったんですよ。だからこの法要に参加できて感無量です。平和な世の中にしてほしいといつも願っています」と、兄の写真を首にかけながら語った。

2017/4/5
浄土系アイドル「てら*ぱるむす」 花まつりライブで1期生卒業

①花まつり てらぱるむす.JPG1期生メンバーの5人。前列左から早勢至帆、弥勒ミライ。後列左から文殊たま、観月花音、普賢あまね 仏教の既成概念を取り払い新しいご縁をつくる無料誌『フリースタイルな僧侶たち』の創刊で知られる池口龍法住職(36)の浄土宗龍岸寺(京都市下京区)から誕生した浄土系アイドルグループ「てら*ぱるむす」。「煩悩多き衆生(ファン)と共に修行せよ」と阿弥陀仏から命を受け、身近に仏教を感じてもらおうと歌って踊って伝えてきた1期生5人が、結成から5カ月を経て4月8日に同寺で開かれる「花まつりライブ」で卒業する。この間の修行の手応えを彼女たちに聞いた。

 浄土宗の十夜法要にちなみ、僧侶や学生らが10日間のアートイベントを寺院で催す「十夜フェス」で、昨年11月、てら*ぱるむすは龍岸寺の企画として誕生した。グループ名は、「寺」に1兆の単位「テラ」を掛け、手のひらを意味する英語「palm」から合掌するイメージを表している。何兆もの生命体が住む地球上で、手をとって暮らしていこうとの仏教的な願いが込められる。

 5人の菩薩が顕現するという設定で、メンバーは京都府と滋賀県の芸術系大学の2、3年生。勢至、文殊、観音、普賢、弥勒の菩薩にちなんだ名前を持つ。衣装は紫、白、赤、黄、緑の仏教の五色をテーマカラーに、各菩薩を表現する。

仏教へのアプローチに

 勢至菩薩担当のリーダー、早勢至帆(はやせしほ)の愛称は「せっとん」。雲に乗って迎えに来たメイドを表す紫の衣装をまとう。笑いを振りまく盛り上げ役で、大学では油彩を専攻。寺社建築が好きで、仏教を学べるかもとアイドルの誘いを引き受けた。十夜フェスでの「デビュー法要」はネット上で波紋を呼んだが、「アイドルにこだわるわけじゃないけど、仏教に近づく新しいアプローチになったかも」と語る。

 小学5年生のころ、おてんばな性格を心配した父に連れられ寺で体験修行。そのときの厳しいイメージで寺にとっつきにくさを感じていたが、アイドルをやって変わった。「厳格で難しい寺やお坊さん像はなくなった」。この冬に参拝した三千院(京都市左京区)で1時間近く仏教談義を交わした僧侶から、「今の時代のやり方がある。仏教は堅苦しくなくていい」とアドバイスをもらった。

 もんちゃんと呼ばれる文殊たまが着る白の衣装は、知恵を司る文殊菩薩が乗る獅子を表し、袖にたてがみが巻き付いている。朗らかな性格とギャップのあるクールな顔立ちから頭脳派役に抜擢。大学では写真を専攻し、自らを表現する機会にしようと参加した。これまで仏教系高校出身の父と仏画の番組を一緒に見るほかは、年回忌や墓参りでしか仏教との縁はなかった。

 歌や振り付けの練習で龍岸寺に通ううちに、「関係ない用事でも遊びに行って、みんなで騒ぐ場所」になった。最初はバチが当たると思っていたが、池口住職の話を聞き、勉強するうちに抵抗感は和らいだ。「私が学んだ仏教のいい所を広げられたら嬉しい」

仏教を楽しんで!

 いつも笑顔のムードメーカー、観音菩薩担当の観月花音(みづきかのん)はグループのセンターだ。赤色の帯からは、千手観音を表す手が伸びる。大学ではグラフィックデザインを専攻。高校までインターナショナルスクールに通い、日本語を独学で学習した。学校に日本語を話す生徒はほとんどいなかったというが、日本語能力試験で最上級に合格した努力家だ。

 カトリックで、寺に入るのも生まれて初めての経験。「私自身がおもしろいと思ったように、見に来てくれた人も仏教を楽しんでもらえたら」と持ち前の明るさで周囲を笑顔にしてきた。

 宗教に触れるのは教会に通った中学生のとき以来で、この活動で宗教の多様性を知った。「いろんな宗教を信じている人がいる。その心を傷つけたくないから真剣な気持ちだった」と笑顔から一転、表情を引き締めた。

「へんきち」こと普賢あまねのテーマカラーは黄色。普賢菩薩が乗る白象をイメージしたしっぽや牙がある衣装と螺髪のような「仏教ツインテール」が目印だ。大学では油彩を専攻する。

 小学生のころにカトリックの洗礼を受けた彼女は、「ほかの宗教を差別しないウェルカムな雰囲気」と仏教のイメージを新たにした。「池口さんの寺にカトリック、イスラムの人が来る」のを見てきた。「よりよく生きようとする理念は同じ」と当初抱いた寺への戸惑いは消えた。

「不謹慎」は偏見

 56億7千万年後からやってきた弥勒ミライは、緑色に光る未来的な衣装だ。大学ではイベント企画などを学び、最初はプロデュース側で関わるはずだったが急きょ弥勒菩薩に。アイドル好きの「ドルオタ」で、「生きてるうちにアイドルになれると思ってなかった」と目を輝かす。母方の実家はキリスト教会で、宗教は身近だった。お盆などに仏教行事を営むものの、仏教自体の印象は薄かった。

 ネットで不謹慎だと批判されたときに、「別にいいんじゃない」と池口住職。「池口さんを見てると、大丈夫な気がしてくる」と仏教の雰囲気に惹かれるようになった。「不謹慎という認識が仏教への偏見だと分かった」。「アイドルと宗教は似ている」と感じている。そう思う理由を考え中だ。

 池口住職はオリジナル曲「ニルバーナ恋バーナ」を作詞。「仏教の入り口は日常にある。幸せな瞬間を仏教の言葉と結びつけた。日常を元気に過ごしてもらえたら」との思いを込めた。メンバーは仏教を知ろうと、法話が聞きたいと言ってくるという。「今までにない展開。若い人が積極的に関わってくれている。予想以上の反響があった」と話す。

 龍岸寺で3月29日にミュージックビデオの撮影があり、その後もメンバーらの要望で法話。その中で池口住職は、無数の生命体のなかで生きていると視点を変え、執着から離れることを教えるのが仏教だと語り、「その視点に立つという目的に向かう手段はいろいろあっていい。宗教や宗派は手段の一つ。アイドルがその一つでもいいのではないか。てら*ぱるむすの活動に期待したい」と声援を送った。

2017/4/5
花まつり特別企画 在日外国人コミュニティの花まつり

①南和寺の花まつり.jpg誕生仏に華の水を注いで祝福(南和寺) 年々日本でも増えている在留外国人。その大半は近隣のアジアの国々から、留学生や労働者として訪れる。多様な文化を持つ彼らを理解するためには「宗教」と「習慣」の理解が必要不可欠だ。例えば、最近はイスラム教徒に配慮した食事「ハラール」の認知も広がっている。

 一方で、中国、ベトナム、ネパールなど在留外国人の多くは仏教国出身。そうした意味では日本人にとっても宗教的な共通点があると言えよう。では、彼らは日本社会でどのように「仏教」とつながり、これから迎える「花まつり」を過ごしているのだろうか。ベトナム、チベット、スリランカ、ラオス、台湾、韓国、それぞれの在日社会の花まつりをレポートする。

ベトナム仏教・南和寺(埼玉県越谷市) 関東近郊から600人参加

 近年、日本に在留する外国人で最も増加しているのがベトナム人。そんな彼らにとって、日本で最初のベトナム寺「南和寺」が埼玉県越谷市のしらこばと水上公園に隣接した場所にある。住職のティック・ヌ・トーン・ターン尼をはじめ、トーン・ディン尼、クワン・チー尼の3人がお寺を守っている。

 南和寺は2006年に在日ベトナム人が寄付を寄せ合って開院した日本で最初のベトナム寺。本堂と集会所がある。トーン・ターン住職はベトナムにもお寺があり、日本とベトナムを行き来している。

 年間5回行われる大きな催しの中の一つが5月に行われる「仏誕会」。この日は関東近郊を中心に、日本で暮らす600人の在日ベトナム人が集い、お釈迦さまの誕生をお祝いする。華やかなお祭りの日とあって、日本人の友人を連れだっての参加者もいる。

 仏誕会ではみんなでお経をあげ、僧侶の法話を聞き、ベトナムの民族衣装アオザイを身にまとった女性信徒が舞踊を奉納する。「日本の花まつりと内容は同じだと思います」と話すのは、1年2カ月前に来日したクワン・チー尼。日本での灌仏は甘茶を使うが、ベトナムでは色とりどりの花びらを散らせた水を誕生仏に注ぐのだという。宝前の飾りを含めて、全体的に色合いが鮮やかで、まさに祝祭日。当日はベトナム料理なども振る舞われて賑わう。(続きは紙面をご覧ください)

金峯山修験本宗・信貞寺(大阪府東大阪市) 20年前からスリランカ人のためウェーサク

③花まつり企画 信貞寺 (3).JPG信貞寺でのウェーサクの様子大阪府東大阪市の金峯山修験本宗信貞寺(徳永瑞幸住職)では毎年5月から6月頃に日本の花まつりにあたる在日スリランカ人のための釈尊降誕会「ウェーサク」を開いている。毎年スリランカの高僧が同寺を訪れ、関西圏に住むスリランカ人約100人が集う。スリランカに好意的な日本人も20人ほどが毎年参加しているが、この時ばかりはスリランカの人々で境内が一杯になるという。

 同寺でスリランカ人のためにウェーサク祭が始まったのは、20年ほど前。徳永住職はそれ以前から日本とスリランカの仏教交流を続けており、要望を受けてスリランカの人々が主催する形でウェーサクの日に境内を開放している。

 ウェーサク当日はスリランカのテーラワーダ仏教シーヤム派仏歯寺のダンミカ・スーリヤゴダ長老が毎年来日する他、日本に滞在している他の上座部僧も同寺を訪れ、現地の形式で儀式を営む。在日スリランカ人の参拝者は境内至る所に仏旗を飾り付けるなど、積極的に参画している。

 日本とスリランカ、どちらが良いということではないが、戒律をよく守るスリランカの僧侶、その僧侶を尊敬する参拝者の姿を見るにつけ、「本当に仏教に熱心な姿に感動します。ちょっと身の引き締まる思いがしますね」と徳永住職は話す。

 釈尊像に水や食物などを捧げ供養する仏供養では、参列者一人ひとりが供物や器に軽く触れて功徳を捧げる意思を示した後、ダンミカ長老と徳永住職が仏前に捧げる。続いて、参列者から僧侶への食事の布施が始まる。(続きは紙面をご覧ください)
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 このほか、韓国仏教・在日弘法院、台湾仏教・大阪佛光山寺、ラオス仏教・在日本ラオス協会、チベット人の「サカダワ」については紙面をご覧ください。

2017/4/5
沼田智秀会長に最後の別れ 仏教伝道とミツトヨ「一筋の道」

4沼田会長の葬儀.JPG本願寺派から喪主の恵明氏(右)に弔慰が伝達された 2月16日に84歳で逝去した(公財)仏教伝道協会会長で㈱ミツトヨ相談役の沼田智秀氏の合同葬儀が3月30日、東京都中央区の築地本願寺で営まれた。仏教伝道と精密測定機器の生産・販売を世界で展開してきた沼田会長の葬儀には、仏教界、産業界から約1500人が会葬し、最後のお別れをした。

 初めに浄土真宗本願寺派からの「弔慰伝達」が行われた。法名は「惠光院釋智秀」。続いて導師の浄土真宗本願寺派東京教区教務所長で築地本願寺副宗務長の山本政秀氏と結衆が入堂した後、大谷光淳門主、大谷光真前門の御代香が焼香した。

 葬儀委員長の中川徹・㈱ミツトヨ会長は、父と比較されることも多かった沼田会長が唐時代の『貞観政要』にある「創業は易く守成は難し」を意識していたとし、「創業は易くを肯定するのではなく、守成は難しを実感された人生だったと伺っている」と回想。ミツトヨ創業80周年、仏教伝道協会創立50周年の節目を迎えた後に見せた安堵の表情を思い返し、「2つの大事業を発展させてきたことへの得も言われぬ感情がおありになったんだろう」と追慕した。

 喪主で長男の恵明氏(ミツトヨ社長)は「今年2月初旬に(父の)強い意向で、実家に親族と集まり、最後のお別れ会を持ちましたところ、安心したようにそれから4日後に亡くなりました」と家族で過ごした時間を述懐。「決して強いカリスマを持った人間ではございませんでしたが、本当にたくさんの方々から厚いご支援をいただき、仏教伝道とミツトヨという両輪を一筋の道として導くことができたのだと思う」と会葬者への深い謝意を示した。