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2017/7/20
映画「明日へ―戦争は罪悪である」完成 反戦僧侶、現代に蘇る

1映画ちらし.jpg完成した映画のチラシ 大戦中、「戦争は罪悪である」と断じ、国家と大谷派当局から処断された僧侶の竹中彰元(1867―1945)。彼をモデルとした映画「明日へ―戦争は罪悪である」が完成した。映画には同じく大谷派の反戦僧侶、植木徹誠(1895―1978)も登場。戦時体制に抗した仏教僧が、安保法制と共謀罪に揺れる現代に蘇った。各地で試写会が行われている。

 企画したのは憲法や平和問題を扱った「日本の青空」シリーズを製作した小室皓充氏(「日本の青空」製作委員会委員長)。真言宗智山派の僧籍を有し、反戦僧侶に関心を持ち続けてきた。「仏教界では、戦争協力の面が強調されることが多い。こうした反戦僧侶がいたことは仏教界にとっても自信になるのではないか」と語る。

 映画はドキュメンタリーではなく、創作である。竹中は「杉原良善」として登場し、植木の名前はそのまま。舞台は、竹中と植木の出身地である岐阜や三重ではなく、瀬戸内海の小島だ。「竹中と植木の二人が出会った記録はありません。同じ時代で地域的にも近い。もしかしたら会っていたかもと想像を膨らませました」

 杉原良善和尚を大河ドラマ「真田丸」で高梨内記役を好演した中原丈雄さん、植木徹誠役を歌手・俳優として活躍する上條恒彦さんが演じる。監督は藤嘉行氏。

 映画は2015年の安保法案に反対する国会前デモのニュースに触発された老落語家が、デモに参加しようとするところから始まる。老落語家が少年だった老落語家の背中を押したのが杉原良善和尚だった。その杉原和尚にどんな過去があったのかをたどっていく。軍人や警官の前でも「戦争は罪悪である」と繰り返す杉原和尚。そこに行き着の心境の変化は見どころの一つだ。

 特定の教団名や本山名は登場せず、あくまでも反戦僧侶の内面を描く。植木徹誠の存在も見逃せないが、少しだけ登場する息子の植木等のシーンは、どこかホッとさせる。

 劇場公開はしていない。小室氏は「地域仏教会の研修会や映画会などを企画した際には、ぜひ声をかけてほしい」と呼びかける。問い合わせは製作委員会(電話090―3316―8747、小室)まで。

2017/7/20
比叡山宗教サミット30周年にメッセージ③貧困固定化に先進国の消費―鬼丸昌也(テラ・ルネッサンス創設者)

「ほら、こんなものをつくれるようになったんだ」と、満面の笑顔で見せてくれた、練炭を入れて煮炊きに使うコンロ。職業訓練で学んだ溶接技術で、このコンロをつくったのは元少年兵。場所は、アフリカ・コンゴ民主共和国東部地域。この地域は、希少鉱物(レアメタル)や貴金属などの資源をめぐって、戦闘が続いています。彼は10代で武装勢力に入隊、その後、脱走し、テラ・ルネッサンスが実施する自立支援の一環として、溶接技術訓練を受講したのです。

 そんな彼のもとへ、さまざまな武装勢力から、勧誘がありました。すると、元少年兵は、次のような回答をしたそうです。「お前らのところへは行かない。今は、村の人々や教会から依頼された溶接の仕事が忙しいんだ。誰がすき好んで戦いたいと思うのか」。まさに、彼の言葉が、紛争やテロの原因を言い表しています。

 貧しさは、若者から将来への希望を奪い去ります。希望のない若者たちに、テロリストや武装勢力は、資金や大義名分など、さまざまな手法で、彼ら彼女らを勧誘し、兵士として育て上げるのです。つまり、真に平和を実現するためには、戦争に反対するだけではなく、貧困を生み出す社会構造そのものにメスを入れねばなりません。まずは、必要以上に、モノを大量に消費し、廃棄する生活習慣こそ改める必要があります。途上国の資源を、安く大量に、先進国が消費し続け、貧困を固定化する構造を支えているのは、私たちでもあるのです。

 ここに、人々を教導する宗教者の役割があります。祈りや伝道を通じて、人々の生活にコミットしている宗教者だからこそ、世界の貧困と私たち先進国の営みがつながっていることを提示し、自ら生活を少しずつ変えていこうと提唱することができるのではないしょうか。比叡山宗教サミットでは、宗教者自らが、自身の影響力を自覚し、人々と共に、大量生産・大量消費・大量廃棄の生活を改め、どのように持続可能な社会を構築していくのか、大いに議論していただきたいと強く願っています。

2017/7/20
比叡山宗教サミット30周年にメッセージ②「普通の人たち」の目線で―ケイト・ストロネル(原子力資料情報室)

 比叡山宗教サミット30周年、おめでとうございます!

 今回のサミットでは分科会の一つのテーマは「核廃絶と原子力問題を考える」ということで、宗教者(神道)として、また核・原子力問題を扱うNPOで勤務する研究者としてメッセージをお送りします。

 この30年間はまさに「核の時代」でした。冷戦終結後も核兵器は廃絶されるどころか、インド、パキスタン、北朝鮮が核兵器の保有を宣言しました。「原子力の平和利用」の名の下で建設された原子炉は核兵器生産に使われ、またチェルノブイリと福島では巨大で悲惨な事故が起きました。こうした事実は原発が「平和的」にはなりえないことを証明しています。

 7月7日に国連が「核兵器禁止条約」を122カ国の賛成で採択しましたが、核兵器保有国と日本を始めとする核の傘の国々の多くはこの条約交渉に参加しませんでした。それでもこの条約の成立は歴史的な出来事です。去年5月にオバマ米大統領が広島で語った、日々の平和な暮らしを望む「普通の人たち」の心を表す出来事だからです。政治的には条約不参加という選択もあり得ることです。しかしそれはオバマが言う「これ以上、戦争が起きないことを望んでいる」「普通の人たち」の価値観とは全く相容れません。

「普通の人たち」の常識や希望と、政治の言説のギャップは原発問題でも強く生じています。東京電力福島第一原発事故の原因は未だ解明されず、多くの人々が苦しんでいます。「普通の人たち」はそうした中での国内原発の再稼働を当然拒絶しています。さらに政府が推進する原発輸出はとんでもないと考えています。自分たちが経験した苦しみを、他の人には絶対経験してもらいたくはないと思うことは「普通の人たち」の常識でしょう。広島と同じく「過ちは繰返しませぬから」という気持ちは「普通」でしょう。

 このギャップを埋めるには宗教者の役割が極めて重要です。核・原子力問題における人間の本来の望みを今後ともさまざまな形で訴えて下さい。

2017/7/20
比叡山宗教サミット30周年にメッセージ①千里同風―栗原正雄(臨済宗妙心寺派宗務総長)

 昨年9月18日から20日までの3日間、ご縁をいただき妙心寺派管長猊下に随伴しイタリア・アッシジで開催されました第30回「世界宗教者平和の祈りの集い」に参加いたしました。1986年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の呼び掛けによって「世界平和のための祈り」がアッシジで行われてから30年、再び第1回の場所に戻り、世界遺産でもあるアッシジの聖フランチェスコ聖堂に多くの宗教指導者が集い祈りを捧げた記念大会でした。

 会議中に座談会があり、そこで嶺興嶽管長猊下が平和スピーチをされました。その概容は、終わりなき戦争により無辜の人々が尊い命を奪われていること、核兵器や原子力の脅威が増加していること、この二つの事柄を憂い、それを踏まえて三つのことを述べられました。

一、本来、平和と人々の心の安らぎを目指す宗教が、ともすれば戦争の引き金になり争いを助長し、自ら協力してきたことへの深い反省(懺悔) 

二、まず自らの心の中に平和の砦を築くこと、そこから真の平和が実現する  (自覚)

三、他を思いやる温かい心、慈悲心を見失わず、平和な社会の実現のために努力精進を続ける決意  (誓願)

 座談会のテーマが「対話と平和」でしたが、言語も文化も異なる人々が集い、平和な社会の実現を願いとともに語り合えた有意義な時間でした。

 この度、そのアッシジの精神を受け継いだ比叡山宗教サミットが京都で開催されます。「千里同風」という言葉がありますが、アジアの風も欧米の風も、同じ風であります。

 地球に住む人々が争うことなく幸せに暮らせる平和な社会になるように、ともに清風を感じる30周年記念大会になりますよう心から祈念いたします。

2017/7/20
真言宗大覚寺派宗会 「大覚寺カフェ」参拝者増加につながらず見直し

 真言宗大覚寺派の臨時宗会が7日、京都市右京区の大本山大覚寺で開かれ、同寺を発信する企画「大覚寺カフェ」の見直しが発表された。伊勢俊雄宗務総長は、「方向転換する。吉本側と新しいアプローチの仕方を話し合っている。効果が見えなかった」と説明し、方向性を改める方針を示した。

 大覚寺カフェは、よしもとクリエイティブ・エージェンシーとの共同プロジェクトで、京都市出身の芸人を起用して2015年に開始。2年目の昨年から、芸人やアイドルグループを追加し、企画を拡充させていた。

 しかし、昨年度の参拝者数は前年度から約13・5%減少。約18万8千にとどまった。吉本側との契約は4年間で、初年度に4千万円を投入。以降、毎年2千万円ほど投資していることから、複数議員から大覚寺カフェの効果を疑問視する声が上がった。

 谷亮弘議員から認識を問われた竹原善生教務部長は、昨年度に嵯峨・嵐山周辺を訪れた人が前年度から約1180万人減ったとの京都市の統計を提示。参拝者数の減少に関し、観光客数減少の影響を挙げる一方で、大覚寺カフェの効果については、「十分な費用対効果が得られたとは言えない」とした。

 大覚寺カフェを見直す意向を示した伊勢総長は、「参拝者の増加につながっていない。(今年を含む)残りの2年は方向転換し、より効果的な方策をとりたい」との考えを語った。大覚寺カフェのホームページは6月末に閉鎖。現在は終了を告げるアナウンスが表示される。(続きは紙面でご覧ください)

2017/7/13
九州北部豪雨 被害相次ぐ 各教団、状況把握と救援活動へ

 福岡・大分・佐賀・長崎各県で発生した九州北部豪雨災害で、各宗派・教団では被害状況の把握を進め、救援活動に入っている。主な動きは以下の通り。

【天台宗】
 10日時点では、豪雨が集中した九州西・東の両教区から寺院の被害は報告されていない。

【高野山真言宗】
 福岡県朝倉市杷木の普門院(才田亮舜住職)では近くの沢が決壊し、本堂床下、聖天堂内に土砂が流入。境内の池や車も泥で埋まった。才田住職は避難所と寺を往復しているが、大量の土砂は重機でしか除去できない状況。寺に至る道路も住民の通行しか認められていない。8日、宗務所社会人権局は職員を派遣。宗派の災害救援拠点で食料などを備蓄している同市内の高野寺(鐘ケ江尊明住職)で福岡宗務支所役員らと今後の対応などを協議。才田住職の案内で普門院の被災状況を視察した。
 同宗は10日、義援支援金の受付を開始。福岡支所や朝倉市ボランティアセンター、被災地NGO恊働センターと連携して情報を収集し、救援活動を行う予定(10日現在)。

【真言宗智山派】
 長崎県壱岐市で6月30日から7月1日に降った大雨で、同市の1カ寺が裏山で発生した土砂崩れにより本堂が全壊した。寺族に被害はなかった。

【真言宗大覚寺派】
 福岡県朝倉市の準別格本山南淋寺で、境内に土砂が流入する被害があった。

【浄土宗】
 大分県日田市の大超寺で、本堂屋根瓦がずれて雨漏りするなどの被害があった。

【浄土真宗本願寺派】
 11日午前9時現在で、福岡教区の上下組1カ寺で雨漏り被害。大分教区の玖珠組2カ寺、日田組4カ寺、岡組1カ寺に本堂雨漏り、境内地へ土砂流入、川の氾濫による山門流出、石垣の崩壊等の被害があった。
 6日に社会部災害対策担当で情報収集し、福岡、大分、佐賀、長崎教区に被害状況の確認。福岡教区に見舞タオルを送付。
 7日、総局会議で福岡、大分教区に見舞金各50万円の交付を決定。被災寺院へ総長名で見舞電報を随時打電した。社会部同担当職員が見舞い及び状況視察のため福岡、大分教区へ出向。8日に同職員が福岡、大分教区災害対策委員会へ見舞金を持参した。

【真宗大谷派】
 日豊教区の大分県などの3カ寺で、本堂や庫裏で床上・床下浸水の被害があった。付属幼稚園でも床上浸水があった。福岡県内の1カ寺で、本堂の雨漏りがあった。
 6日に災害救援本部を設置し、7日の会議で被害が報告されるとともに、本山御影堂・阿弥陀堂の前に救援金箱を設置することが決まった。

【日蓮宗】
 宗務院災害対策本部が情報収集中。佐賀県西松浦郡有田町の法元寺(中野学遠住職)では6日午後8時頃、土砂崩れにより庫裡の天井が外れ、墓地も一部埋まるなどの被害が出ている。

【臨済宗妙心寺派】
 寺院への被害は10日現在では報告されていないが、調査継続中。宗派HPでお見舞い文を掲載するとともに、土砂災害の危険を呼びかけている。

【曹洞宗】
 宗務庁福祉課が情報収集に当たっているが、11日時点で甚大な報告はない。6日にはウェブサイト上に「お見舞い」の文書を掲載した。

【立正佼成会】
 福岡県久留米市の久留米教会が管轄する朝倉道場では、付近を流れる河川が氾濫、泥流と流木が道場の玄関前まで流れ込んだ。敷地を囲むブロック塀が倒壊し、泥水が道場内に浸入した。北九州支教区や被災地を包括する教会では今後、会員の安否や被災状況の把握に努めるとともに支援活動について検討していく。

2017/7/13
悉曇傳幢会・梵書展 松本和上と門下の作品 一堂に
慈雲流講習会10年の成果 21~31日 東寺食堂を会場に

 無造作に並ぶ筆の中から取り上げた大ぶりの一本を硯で整え、半切に向き直った。息を潜めるように口を一文字引き結び、松本俊彰和上(94)はよどみなく静かに筆を走らせ、瞬く間に真言を紡ぎしたためた。慈雲流悉曇(しったん)の継承者、松本和上を阿闍梨とする講習会「悉曇傳幢会」が10年の節目を迎えた。今月21日から記念に開かれる梵書展に向け、松本和上は自坊の真福院(三重県津市)で準備を進めていた。①梵書展 松本俊彰和上.JPG書に臨む94歳の松本和上(6日、真福院)

 悉曇学を大成した慈雲尊者(1718~1804)がその道場とし、再興した高貴寺(大阪府河南町)に松本和上は昭和7年、9歳で入寺。住職の伎人慈城和上を師と仰いだ。5歳で警察官の父を亡くした松本和上は、子のいなかった師僧のもとで、「師弟の厳然たる距離はあったが、精神的には親子のように育った」(松本和上)。旧制大阪府立富田林中学校を卒業した。

 慈城和上は昭和18年9月末に死去。百カ日法要を営んですぐ翌年1月に松本和上は出征した。高貴寺の後任住職に就いた兄弟子の高志浄観・弘川寺住職の弟子となり、復員後、「高貴寺の小僧なら梵字が書けないと恥をかく」と慈雲尊者から相承されてきた悉曇が皆伝された。「3年間、筆を離すな」と言いつけられた。

 奈良県との県境、大洞山麓を走る伊勢本街道の棚田が美しい山村・三多気。「三多気の桜」で知られる桜並木が続く約1・5キロの参道を進み、石段を上がった先の山門をくぐると、真福院がある。高野山専修学院を修了後、昭和24年に住職を拝命した。高志住職の言葉を胸に、「しっかり流れを受け継がないと断ち切れてしまう」と休みなく筆を執り続けた。

 サンスクリットを表記する文字、悉曇は4~6世紀にインドで発達し、中国を経て伝来した。書道の文化と交わり、芸術としても高まった悉曇は現代日本にのみ伝承される。高貴寺に伝わる慈雲流、中天相承悉曇を学び継ごうと、長楽寺(兵庫県香美町)の五十嵐啓道住職らが松本和上の門を叩いた。

 「広く世に出せたら」と五十嵐住職は講習会を計画し、当時85歳だった松本和上が引き受けた。平成20年に東寺で始め、これまでに192人が学んだ。1期4年を修了した87人が伝承者の印可を受けた。松本和上の諱弘幢から一字とり、2期目に悉曇傳幢会を設立。3期目に入り、活動はますます盛んになっている。

 寺の中で限定的に口伝されてきた悉曇を習い、五十嵐住職は目から鱗が落ちたという。「百聞は一見に如かず。目の前で見ると、筆の運び方が通常の書道とまったく異なる」と初心を振り返る。「松本和上は非常に柔軟な考えの持ち主。ぜひ指導を受けてほしい」

 松本和上は今展で、仏教の展開を示す作品を準備した。釈尊や十大弟子から始まり、法を継ぐ八祖大師に至り、浄土門の極楽へと向かう言葉を綴った。来場者に身近に感じてほしいと、干支の守護本尊の真言も出展する。門下生の作品約70点と合わせて展示する。

 悉曇を3年間続ければ、「腹に入ってくる。座りの良いところに落ち着く」と松本和上は言う。“建立”と表現する書に臨み、「そこに仏さまがこもり、良いことが起きますようにと願う。一筆三礼の心を失わないように」と噛みしめるように語った。

 梵書展は21~31日、京都市南区の東寺食堂で開く。松本和上は21日に書の実演を行う予定。問い合わせは同会事務局・長楽寺の五十嵐住職(電話0796―95―0009)まで。

2017/7/13
苫駒大の移管反対 仏教専修科学生が国を提訴

 苫小牧駒澤大学仏教専修科の学生8人は10日、国(文部科学省)を相手取り、学校法人駒澤大学から学校法人京都育英館への大学設置者の変更を認可しないよう求める裁判を東京地裁に提訴した。同日、認可差し止めを求める仮処分も申し立てた。

 提訴の理由は、経営法人が変更されると住職の資格が取れなくなり、入学した意味がなくなるというもの。育英館側は今年入学した学生が卒業するまでのカリキュラムは残す方針とされるが、その後は専修科を廃止する見通しとなっている。
 学生たちは学校法人駒澤大学と学校法人京都育英館に対し精神的苦痛を理由に1人あたり約31万円の損害賠償を求める裁判も起こした。また、保護者ら約2500人による移管認可をしないよう求める請願署名も文科省に提出した。

 曹洞宗は別法人であるためこの裁判と直接的には関わっていないが、「これまで通り僧侶を育てる機関であってほしいというのが願いです」(宗務庁関係者)という。

2017/7/6
日タイ修好130年記念「タイ展―仏の国の輝き」 見逃せない第一級傑作群(伊東照司)

7タイ展 (2).jpg①「仏陀遊行像」/青銅/スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来/スコータイ時代 14~15世紀/サワンウォーラナーヨック国立博物館所蔵 この夏、日本とタイとの修好130周年を祝賀して、上野の東京国立博物館 平成館(台東区上野公園13―9)にて「タイ~仏の国の輝き~」展が開催されている。昭和62年にあったタイ美術展より、30年ぶりの来日である。

 美術展は、6世紀より19世紀までの、長い期間のタイ国の歴史を通じて、代表的な各時代の名品を、厳選し時代順に陳列している。タイ国は仏教国であるため、大半は仏教美術の仏像、仏画などが主体となる。現在の仏教は上座仏教であるが、過去にはそれのみならず、大乗仏教をも信奉された。この上座仏教は、13世紀よりスリランカより伝えられ、その当時の王国が、スコータイ王国であった。そこで、美術展の中心は、やはりこのスコータイ王朝時代(13~15世紀)であり、その古典的な仏像類がやってきた。

 この頃の傑作が、遊行仏である(写真①)。タイ民族が世界に誇った、歩いた姿の釈尊像の形を創造した。これは最もタイ的な特色をもった仏像である。頭上からは光を放出し、身体全体はやわらかくまとめあげた釈尊像を、見せてくれている。

8タイ展 (1).jpg②「ナーガ上の仏陀坐像」/青銅、金/スラートターニー県チャイヤー郡ワット・ウィアン伝来/シュリーヴィジャヤ様式/12世紀末~13世紀/バンコク国立博物館所蔵 タイ国最古の仏教美術は、ドヴァーラヴァーティー王国(6~11世紀)の時代の仏像類で、この王国を象徴した石造法輪の第一級傑作がやってきた。この王国は、中部を中心に栄えたが、同じく南部では、別の王国、シュリーヴィジャヤ帝国(7~14世紀)が栄え、その中心的な王都チヤイヤーでは、大乗仏教が信仰された。この地からの傑作が、二体来ている。一体が石造の観音立像。もう一体が、台に銘文があり、1183年作と知る蛇上に乗った仏陀像である。今回の美術展では、この仏陀像に注目している(写真②)。

 また、タイ国は、11世紀より13世紀にかけて、隣国カンボジアのクメール族の支配下にあった。この頃に造られた観音立像は見ごたえがある。身体の表面からは、多くの神々が放出し、これは「カーランダ・ヴューハ」という仏典をもとに、造られた。カンボジアの大王ジャヤーヴァルマン7世王(12世紀後半)は、この種の観音の信奉者であった。タイ国中部、ムアン・シンより発見された観音像で、ものすごい。

 また、美術展で目を引く作品は、木綿に着色された十種の本生話の絵画にある。今日の王朝、ラッタナコーシン王朝の19世紀の筆である。これは何と4メートルもある大きな絵で、驚かされる。釈尊の前世での善業の物語で、その十種を絵にした。今日の仏教寺院の内部壁面でも描かれる主題である。タイ国側は、この貴重な物語を、日本の人々にも見せようとした意図が、うかがい知られる。

 全体に見て、最近の発見物を含めて来日し、日本が大乗仏教国であることも配慮し、特に、チヤイヤーがクローズ・アップされている。けっして見のがせない、貴重な美術展である。

 会期は8月27日まで。観覧料は一般1600円。お問い合わせはハローダイヤル(電話03―5777―8600)まで。