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2021/4/15

聖徳太子1400年御遠忌が開白 太子ゆかりの寺院勢ぞろい 和の心 世界へ伝える


御詠歌が響く中、御廟への階段を上がる近藤住職ら 聖徳太子の御廟所である大阪府南河内郡太子町の叡福寺(近藤本龍住職)で10日、聖徳太子1400年御遠忌大法会が開白した。初日は僧俗合わせて約250人が参列、仏教や和の精神を日本に根付かせた偉大なる功績を敬い感謝した。来月11日までの1カ月にわたり、ゆかりある宗派・霊場会の親修法要や関連行事が続く。

 雲一つない快晴の下に御詠歌の声が鳴り響き、境内を近藤住職をはじめとする聖徳太子御遺跡霊場会寺院の僧侶が練り供養した。出仕したのは四天王寺・大聖勝軍寺・道明寺・西琳寺・野中寺・橘寺・金剛寺・法輪寺・朝護孫子寺・平隆寺・大安寺・広隆寺・六角堂・中山寺・鶴林寺・斑鳩寺・西方院。宗派を超えて太子が尊崇されていることが示された。(続きは紙面でご覧下さい)

2021/4/15

曹洞宗大本山總持寺祖院 江川貫首親修で落慶法要 能登半島地震から14年 伽藍復興


江川辰三貫首の親修で営まれた大般若転読 2007年3月25日に発生したマグニチュード6・9の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市。そのシンボルともいえる曹洞宗大本山總持寺祖院(輪島市門前町)で6日、伽藍の修復落慶法要が江川辰三貫首の親修により営まれた。鬼生田俊英宗務総長をはじめとする全国宗侶や工事関係者ら約100人が参列。9月の開創700年慶讃法要を迎える準備がここに整った。

 発生時刻の朝9時41分、境内で金沢市在住の書家・阿部豊寿氏が黒板に金色の墨で「禅」と書き、続いて長さ10㍍、幅2・5㍍の巨大和紙に「完全復興」と力強く大書し奉納した。阿部氏は「人は祈ることや手を合わせること、あるいは他人の支えによりどんな難局も乗り越えることができると信じております」と語り、「禅の里」である輪島市門前町がますます発展することを願った。

 大般若経の転読の声が修復された大祖堂に鳴り響いた。守護神の三宝荒神には荒神真言で報恩。江川貫首は垂示で全国の寺院・檀信徒・関係者の力添えで復興が果たせたことに感謝。「本山と祖院は一体であります。これからも常に数限りない方々の信仰のよりどころとしてあり続けます。護持発展のためになにとぞご協力を頂きたく、よろしくお願い申し上げます」と述べた。

修復された境内で「完全復興」と大書する阿部氏 乙川暎元・震災復興委員会統監(大本山總持寺監院)は、この14年の間に伊東盛熈監院や横山敏明監院ら、再建に尽力した人々が亡くなったことに思いを馳せた。神奈川県横浜市の大本山總持寺と輪島市の祖院が一体となり活動をしていく将来を見据え、「願わくば能登半島、輪島市の信仰の一助になればそれに勝る幸せはありません」と語った。

 祝辞で梶文秋市長は、震災発生後に祖院の僧侶が懸命に被災者支援のボランティア活動をし、市の復興支援に協力したことを回想。「自分のことを差し置いても人のために尽くす祖院の皆様の姿に心を打たれました」と感銘を語った。梶市長は、「祖院の復興なくして市の完全復興なし」との気持ちで市の「完全復興宣言」を控えており、この日の午後に営まれた市主催の復興式典で宣言した。

 鈴木永一・總持寺祖院監院は「静寂の中に高くそびえる七堂伽藍の中に佇む時、皆様がたのご恩を決して忘れることはありません」と感謝し、永遠の祈りと安らぎの場としていきたいと抱負を語った。

 祖院は完全に倒壊した坐禅堂をはじめ、山門や大祖堂など18棟が甚大な被害を被った。復興に要した資金は約40億円。

2021/4/15

宗教者核燃裁判 第2回公判 原告宗教者 核燃サイクル停止を要求 当たり前の理論で勝負 


公判後に光明寺で報告集会が行われた 仏教、キリスト教などの諸宗教者約240人が原告となり日本原燃株式会社を相手取り、青森県六ケ所村の原子力施設(再処理工場)の運転差止を求めている「宗教者核燃裁判」の第2回公判が8日、東京地裁(千代田区霞が関)で開かれた。原告は原発事故の危機的被害や安全性の問題を主張し、核燃料サイクル事業は「未来世代のいのちを貪っている愚かな行為」と訴えた。

 地裁前での集会では原告団事務局の長田浩昭氏(兵庫県、真宗大谷派法伝寺)が裁判母体となった「原子力行政を問い直す宗教者の会」が「もんじゅ」が初臨界を迎える93年に結成されたことにふれ、「当初からプルトニウム利用を問題とし、課題としてきた。この不正義に声を上げ続けていこう」とアピールした。

 公判では原告側の井戸謙一弁護士が答弁書に反論。再処理工場の安全性について、被告代理人が絶対の安全性は望めないため内在する危険性が顕在化するおそれが一定程度に低減していると主張。これに対して、再処理工場の事故が起これば原発以上に重大で広範に被害が及ぶことから、「通常人が万が一にも事故は起こらないと確信を持ちうるというレベルの安全性が必要」と主張した。

 原告の片岡輝美さん(福島県、日本キリスト教団若松栄町教会信徒)による意見陳述では、原発事故で子どもたちが育つ環境が放射能に汚染された苦しみや、再処理工場の稼働や事故で「未来のいのちを滅びの道に引きずり込むかもしれない危険性を次世代に渡すことに耐えられません」と語り、「核燃料サイクル事業を手放さないことは、この時代の富を享受している者たちが未来世代のいのちを貪っている愚かな行為」と断言し、事業廃止を求めた。

 この訴えに対して被告側は本件と関係ない陳述を制限するよう意見。これには河合弘之弁護士が再処理工場停止を求める理由に結びつく内容であり、「何を陳述するかは原告の自由だ」と反論した。

 公判後は神谷町光明寺を会場に報告集会を開いた。原告共同代表の中島哲演氏(福井県、真言宗御室派明通寺住職)は「超危険・超浪費・半平和をキーワードに『もんじゅ』のことを語ってきたが、再処理工場はこれに輪をかけたようなもの。再処理工場ストップまで頑張りたい」と挨拶した。共同代表の岩田雅一牧師(青森県、日本キリスト教団八戸北伝道所)は体調不良で欠席した。河合弁護士は「彼ら(被告側)は宗教者かどうかは関係ないという立場だが、僕らはそれこそが大事であり、再処理施設を止めなきゃいけない理由だ」と改めて強調した。2014年に福井地裁で大飯原発の運転差し止め判決を出した樋口英明元裁判長も参加。「原発の及ぼす被害はとてつもなく大きい。だから事故発生確率を抑えるため安全にしないといけない。しかし原発も六ケ所も地震に弱い。だから止める。当たり前の話だ。この当たり前の理論で勝負しないといけない」と今回の裁判でも鍵となる「樋口理論」に言及し、「最高裁で勝ち切らないといけない」と激励した。

2021/4/8
大本山永平寺 南澤道人貫首が晋山開堂 問答で只管打坐説く


修行僧が担ぐ輿に乗り山門へ向かう南澤貫首 福井県永平寺町の曹洞宗大本山永平寺で2日、南澤道人第80世貫首(93)の晋山式が執り行われた。修行僧らと問答した南澤貫首は道元禅師が示した禅の真髄を伝え、只管打座の徹底を説いた。

 梵鐘の音を合図に塔頭・地蔵院を出発。修行僧らが担ぐ輿に乗った南澤貫首は太鼓が鳴り響く中、唐門をくぐり山門へ進んだ。自身の境地を表す法語を述べ、『無門関』に記される「大道無門」を語った。その後、佛殿、土地堂、祖堂、承陽殿と巡拝し、各堂で法語を捧げた。

 法堂で晋山開堂に臨み、須弥壇に上堂し説法を開始。8人の修行僧と問答を繰り広げ、修行の意味などを問われると、「古仏現成」など道元禅師の教えを示しながら、只管打座を徹底するよう説いた。仏法の奥義を聞いた修行僧たちは「吉祥、吉祥、大吉祥」と喜びの声を上げ立ち去った。

 大本山總持寺(横浜市鶴見区)の江川辰三貫首や乙川暎元監院、鬼生田俊英宗務総長、河合永充永平寺町長ら参列者が祝辞を読み、永平寺の小林昌道監院が謝辞を述べた。

 式後に行われた記者会見で南澤貫首は「ご開山さまの教えを修行僧たちと一緒に行じ、命ある限り勤めたい」と決意を語った。修行僧との問答を振り返り、「それぞれ表現の違いはあるが、みな同じ問い。只管打座ということで本来の自己を確立すること、そして善悪無記を挙げた。煩悩と向き合いどう生きていくか、身体と心で受け止めていってほしいと伝えた」と述べた。

 卒寿を迎えて貫首に就いたとあって元気の秘訣を尋ねられ、「食事は腹八分で、やりたいこともある程度慎む。自律自戒を心掛け、良い生活習慣を確立する。その中で本当の自由を味わっていけるような生活が、結局は長生きの秘訣なのでは」と話した。

 感染防止策で宗内関係者だけに参加を制限するなどし、参列者は山内僧侶と合わせて約300人に絞られた。08年の福山諦法前貫首(88)の晋山式では、約2500人が参列した。

 南澤貫首は1927年生まれ。長野県出身。47年に得度した。駒澤大専門部仏教科を卒業後、永平寺に安居し、長野県千曲市の龍洞院住職に就任。永平寺監院、札幌市の中央寺住職などを歴任し、2008年に永平寺副貫首に就任。福山前貫首の退董に伴い、昨年9月に貫首に就いた。

2021/4/8

法隆寺で聖徳太子御聖諱 和国の教主に仏恩報謝

 
輿によって運ばれる太子七歳像と南無仏舎利 奈良県生駒郡斑鳩町の聖徳宗総本山法隆寺(古谷正覚管長)で3~5日、聖徳太子1400年御聖諱法要が営まれ、全国から太子を讃仰する僧侶約450人をはじめ仏教徒が参集。日本仏教最大の恩人に篤く報恩感謝した。新型コロナウイルス感染症を鑑み、遠方の太子信者のために朝日新聞社の協力でインターネットによるライブ配信も行われた。

 太子の命日にあたる3日(旧暦2月22日)、午後0時半を回った頃に東院伽藍から練り供養が始まった。法要の本尊となる「太子七歳像」(平安時代)と、太子が2歳の時に東を向いて合掌し「南無仏」と唱えた際に手のひらからこぼれ落ちたと伝わる一粒の「南無仏舎利」が輿によって西院伽藍の大講堂まで運ばれた。鬼や鳥の面を付けた伎楽人や舞人が雅楽の音色と共に桜咲く境内を行進し、一帯は古式ゆかしい飛鳥時代の雰囲気に包まれた。舞人は五重塔の前で舞を奉納。鳥に扮した子どもたちがかわいらしく踊る「迦陵頻の舞」も大講堂前舞台で披露された。

ゆかりの寺院が集って営まれた法華・勝鬘講(3日) 開白にあたる法華・勝鬘講法要では、古谷管長が「神分」と「表白」を読み上げ、諸仏・神々に対して世界平和と疫病退散を祈った。法隆寺と並ぶ聖徳太子創建寺院の四天王寺からは加藤公俊管長が慶讃文を読み上げ、「和国の教主」として国を守ってきた遺徳を讃えた。出仕した僧侶は法隆寺と隣の中宮寺(聖徳宗)のほか、奈良県の達磨寺(臨済宗南禅寺派)、橘寺(天台宗)、兵庫県太子町の斑鳩寺(天台宗)、大阪府太子町の叡福寺(真言系単立)で、ゆかりの寺院から宗派を超えた法要となった。各宗管長や大本山法主、立正佼成会や神社界からの焼香があった。

 2日目の法華・維摩講法要では法隆寺と興福寺・東大寺・薬師寺・西大寺・唐招提寺で構成される「南都隣山会」の僧侶による法要が営まれた。法隆寺で隣山会全山が揃った法要は初。5日の結願である管絃講を終え、太子七歳像と南無仏舎利は再び東院伽藍に遷座。準備にあたっていた大野玄妙前管長が2019年10月に急逝し、コロナ禍に悩まされながらも、100年ぶりの御聖諱法要は無事に円成となった。

 夢殿では秘仏の国宝・救世観音像が特別公開された(5月18日まで)。また大宝蔵殿では国宝3点・重文40点を含む特別展「法隆寺の信仰と宝物」を開催(6月30日まで)。拝観した奈良県在住の男性(70代)は「法隆寺には何度も来ているけど、仏像も五重塔も何度見ても感動があります。今日の法要も一生の思い出になりました」と手を合わせた。

2021/4/8
ミャンマー国軍の資金源絶て! 宗教者ら外務省前で抗議

 
外務省前で行われた集会には宗教者、在日ミャンマー人が多数参加した ミャンマーで2月1日に起きた軍事クーデターから2カ月となる4月1日夕刻、アーユス仏教国際協力ネットワークなどの国際協力や環境NGOが呼びかけて、東京・霞が関の外務省前で集会が行われた。日本政府に対して経済的関係を断つ行動を求め、外務省に要請書を提出した。「国軍の資金源を絶て!」と書かれたボードやキャンドルを手にした宗教者やNGO関係者約200人が集まった。この内、在日ミャンマー人約100人も参加し、犠牲者を追悼し、平和と民主主義を求める行動を訴えた。

 日本政府はミャンマーに対する多額の経済援助を行っており、その一部が国軍に利益をもたらしていると言われている。アーユスの枝木美香事務局長は「日本に暮らす私たちもミャンマーの在り方や暮らしに深い関係があり強い影響を及ぼしていることを自覚しないといけない」と促し、呼びかけ団体の一つであるメコン・ウォッチの木口由香事務局長は日本政府に対し「要求はシンプル。きちんと調べてください。そして国軍との関係を切ってください」と求めた。

 共同要請書は「ミャンマー国軍を利する日本政府の経済協力事業を直ちに停止するよう求めます」とし、新規の対ミャンマー支援は『緊急・人道支援』以外は実施しないと国際社会に表明すること、国際協力機構(JICA)が現在実施している対ミャンマーODA事業について全て支援を一旦停止し、事業の実施が国軍に経済的利益をもたらしていないか早急に調査することなどを求めている。

 集会に参加した在日ミャンマー人の女性は「2カ月たったが、日本政府の具体的な行動は見られないし、多くの日本国民に知られていないのが現状です。ミャンマーで起こっていることをメディアを通す以上にわかってもらうためにもこうした集会が必要」と訴えた。

2021/4/1

花まつりに食を考え、食をアピール 曹洞宗大本山總持寺 五十嵐典座に聞く 食べるだけが「食」にあらず 作る側といただく側 お互いに尊敬を


典座の五十嵐徹通氏 「食」をテーマにした今年の花まつり特集。真っ先に浮かぶのは禅宗寺院の典座である。そこで100人超の修行僧がいる曹洞宗大本山總持寺(横浜市鶴見区)で典座を務める五十嵐徹通氏(51)に取材した。食や食育、そして僧堂での食事などについてうかがった。

 まずは僧堂では、花まつりにちなんだ食事はあるのかを尋ねると、五十嵐氏は「特別な料理はありません」とあっさり回答。「誕生仏に甘茶を注ぐ花御堂を総受付に置くのですが、昨年はコロナのため、出しませんでした。今年もどうなるか」と顔を曇らせた後、本題について話し出した。

 「『食』はとても大きなテーマです。毎日のことですから、動物として自分の身やいのちを支えるものである一方で、コミュニケーションの場であったり、生活のリズムを刻むものであったりします。とはいえ、私自身が修行中の身なので、これだという明確なものは申し上げにくいのです」

生産者への思い

 五十嵐氏はサラリーマンを経て30代に入ってから總持寺に安居し典座寮へ。修行を終え郷里(山形)に戻ってから再び上山したのは平成26年(2014)9月。坪川民主典座のもとで副典を務めた後、典座となった。典座寮には6人ほどの修行僧がいて、五十嵐氏の指導のもと1回150人分を日に3度作る。

 「典座寮の修行僧に、『あなたにとって食とは何ですか』と聞いてみました。生きるために必要なものとか、初めて大変さを身をもって考えるようになりました、といった返答がありました。それまで包丁なんか握ったことはなくて、やってみて初めてわかる部分があるのです」

 總持寺で参拝者に提供される精進料理の一例(写真=大本山總持寺提供)「それに食は、いただくだけが食ではありません。作る側の食があるのです。道元禅師の『典座教訓』や『赴粥飯法』に記されていることは、まさにそのものです。『典座教訓』には食を作る側の心得、『赴粥飯法』は食をいただく側の作法など。それを習得中の修行僧ですから、作って、食べてと両方の側に立てば、その答えは見つかるのかなと思っています」

 最近はグルメ番組が多い。圧倒的に食べるシーンだ。五十嵐氏は、食や食育においては両方の視点が重要だと指摘。禅宗での食事の際の言葉である「五観の偈」の一番である「一(ひとつ)には、功の多少を計り彼の来処を量る」を唱えた。

 五十嵐氏はこの意味について、「何もしなければ食事はのぼりません。ここにあるお茶一つとっても、運んでくれる雲衲さんがいて、遡ればお茶の生産者さんがいてと多くの人たちの手を経てここに来ているわけです。そうしたことに思いをめぐらし、感謝していただきましょうという偈なのです」と解説する。

一生懸命作る

 道元禅師が中国にわたり、老典座から修行の基本を学んだように、僧堂生活に欠かせない精進料理を作るのも修行である。「どうしたらおいしくできると思うか」と修行僧に尋ねると、だいたい味付けに関する回答があると五十嵐氏。でもそうではないという。

 「一生懸命作ったものは形に出る。形が悪くてもいいんです。それがいただく側にも伝わり、おいしいと言ってくれるのです。よく精進料理は、作る側も、いただく側もお互いに敬う気持ちがないといけないと言っています。今どきの言葉でいうとリスペクト。多少焦がしても、どうしたのかなとか、忙しかったのかなと思えば文句も出ずにいただける。作る側も、なんで残すんだとは思わずに、どこか体調でも悪かったのかなとか。そのようにお互いにリスペクトし合うとおいしくいただけるのです」

 こうした指導のたまものか。五十嵐氏はあるエピソードを話した。修行僧の中には動物性タンパク質にアレルギーを持つ人がいる。そうしたものが入っている調味料を使わないようにしようよ、と作る側の修行僧が提案した。「ここにもお互い敬う心がある。いい心構えだなとみていました」と優しく笑った。

 形よりも一生懸命調理する姿勢は相手に伝わり、さらに作る側といただく側を分けずに、互いに尊敬し合う心が大事だと五十嵐氏から学んだ教訓である。

2021/4/1

花まつりフード 京都大原記念病院グループ 4月は〝花まつり〟献立 


春の色彩と見閣を大切にした4月の行事食「花まつり」 洛北・大原にあるリハビリテーションを中心に展開する京都大原記念病院グループでは、四季折々の風情を感じさせる食事を大切にしている。特に歳時記をテーマにした毎月の行事食には、様々な工夫が凝らされている。もちろん、4月の献立は「花まつり」だ。

 4月8日の「花まつり」と言えば桜。「昨年は、普通のお食事ができる方の花まつりの献立は、桜の塩漬けを混ぜたきれいな桜色のごはんをはじめ、桜餅の餡の着物を着せた蒸し魚に、ほうれん草のおひたし、それにお吸い物。デザートは旬のイチゴをお出ししました。調理師さんに頑張ってもらっています」
 管理栄養士の安達洋子さんはそう話し、「皆さん、配膳され、ふたを開けると、その色彩に〝うわぁ〟って感動されます。〝きれいやね〟〝えらいごちそうやね〟〝美味しかったわぁ〟って。春らしさを感じてもらっています」と微笑む。

 『古今和歌集』に代表される季節感が今も息づく千年の古都、京都。四季の移ろいを愛でる丁寧な暮らしは、心の安らぎにもつながる。

 「たとえば1月の行事食はお正月のおせち料理。3月はひなまつり。5月は葵祭で12月はクリスマス。入院生活では朝昼晩の3食を楽しみにしている方が多い。病気を治す、リハビリを頑張る―。それにはしっかり食べないといけない。それなら楽しみながら食べていただきたい。栄養科ではそう考え、季節感を大切にしています」(安達さん)

 東の比叡山、西の北山に囲まれた自然豊かな大原は、朝夕のほど良い寒暖差のある気候や清らかな水で育つ京野菜の生産地としても有名。京都大原記念病院グループではできる限り地産地消を心がけ、地元の季節の食材を用いるようにしている。

 さらに大原は京都の中でもとりわけ、千年の仏教文化が根付いている地域でもある。「例年、花まつりに合わせて、特別養護老人ホームに三千院のお坊さんが来てお話をされ、その後、利用者の皆さんが甘茶かけをしたりしていました」と回想。「皆さん、毎回楽しそうに花まつり行事に参加していました。コロナ禍で今はしていませんが、終息したら再開を検討するつもりです」と話す。

2021/4/1

花まつりフード 山梨県身延町 幻の郷土菓子「おしゃかこごり」 


妙経寺でつくられたおしゃかこごり(写真=妙経寺提供) 山梨県の北部と南部で花まつりの際に食べられていた幻の郷土菓子「おしゃかこごり」をご存知だろうか。公益社団法人山梨県栄養士会のホームページによると、昭和30年頃まではそれらの地域にある各寺院で灌仏会のお供えものとして作られていたが、今ではほとんど見られなくなった。幻の花まつり料理、いや花まつりスイーツだ。

 実は現在でも灌仏会で檀信徒とともに「おしゃかこごり」を作っている寺院がある。山梨県身延町の日蓮宗妙経寺(筒井治稔住職)だ。今年はコロナ禍のため「おしゃかこごり」作りは中止にしたが、筒井住職は「今でも花まつりの午前中に作り、午後の法要でお供えして、その後に皆で分けています」。

 作り方を筒井住職に聞くと、主な材料は、正月の鏡餅をとっておき乾燥させバラバラにしたもの、節分の時の豆、米粉、砂糖、熱湯。非常にシンプルな上、花まつりまでの年中行事で使う食材を無駄なく使い切る知恵が込められていた。

 まず餅を揚げてアラレにする。次に米粉に砂糖を混ぜ、好みの甘さに調整して熱湯を回し入れてこねる。適度な硬さになったら団子にして最後にアラレ餅や豆を加える。ただし、「あまりきれいな形にするのではなく、お釈迦さまの頭の様に、ある程度ゴツゴツした感じに仕上げる」のがポイント。

 地域によって作り方や材料は違うが、お釈迦さまの頭をイメージしたゴツゴツとした見た目は共通する。味は「甘いお団子なのですが、柔らかいけど、堅いところがあったり」と面白い食感だ。ちなみに「こごり」とは〝固まり〟を意味するという。

 ぜひ一度、幻の花まつりスイーツを作ってみてはいかがだろうか。

2021/4/1
臨済宗妙心寺派 次期総長に野口善敬氏


野口善敬氏 臨済宗妙心寺派の次期宗務総長選挙は3月26日に開票され、野口善敬候補(現教学部長)が1295票、上沼雅龍候補(現総務部長)が1177票を得て野口候補が次期宗務総長の当選者となった。栗原正雄現総長の任期は5月25日までで、野口内局の認証式は翌26日に行われる予定。(続きは紙面でご覧下さい)

2021/4/1

大本山成田山新勝寺 岸田照泰貫首が入山


事業遂行などの決意を語った岸田貫首 千葉県成田市の真言宗智山派大本山成田山新勝寺で3月28日、岸田照泰・中興第22世貫首(66)の入山式が執り行われた。

 本尊不動明王の縁日のこの日、岸田貫首はこれまで住職を務めた筆頭末寺・圓應寺などを巡拝。本山に戻ると大本堂へ進み、本尊に法楽をあげた。先師墓地では香を手向け、歴代貫首に入山を奉告した。(続きは紙面でご覧下さい)

2021/4/1

日蓮宗 宗立谷中学寮が閉寮 半世紀にわたり人材育成


谷中学寮最後の日に学寮前で記念撮影も行われた 50年にわたり日蓮宗教師養成の一翼を担った東京都台東区の宗立谷中学寮(菅野龍清寮監)の閉寮式が3月24日、設置寺院の浄延院で営まれた。日蓮宗管長で28年間2代目寮監を務めた菅野日彰・大本山池上本門寺貫首は「50年はあっという間でしたが、涙あり、汗あり、喜びあり、悲しみあり。数々のエピソードは卒寮生諸君の胸の中に生き続けている」と万感の思いを語った。

 日蓮宗の宗立学寮は、日蓮宗僧侶を目指して立正大学に通う学生が、大学1・2年を東京都杉並区の堀ノ内学寮、3・4年を谷中学寮で過ごし僧風教育の下で団体生活を行う。谷中学寮は宗祖降誕750年慶讃事業の一環として昭和46年(1971)に開設され、約700人の人材を宗門に送り出してきた。(続きは紙面でご覧下さい)

2021/4/1
第45回正力賞決まる 表彰式は6月1日都内で


 仏教精神による青少幼年育成に尽力している個人・団体を表彰する(公財)全国青少年教化協議会(全青協)主宰の第45回「正力松太郎賞」本賞に上村正剛氏(埼玉県さいたま市・真言宗智山派彌勒密寺住職)と(一社)タンダバハダンスカンパニィ(東京都中野区/代表=中野真紀子聖徳大学短期大学部教授)が決定した。今後の活躍が期待される奨励賞にはNPO法人日本語の美しさを伝える会(神奈川県鎌倉市/理事長=伊藤玄二郎・星槎大学教授)が選ばれた。3月23日に発表された。(続きは紙面でご覧下さい)

2021/3/25
聖徳太子1400年御遠忌インタビュー 御廟所・叡福寺 近藤本龍住職に聞く


 
近藤本龍住職 聖徳太子1400年御遠忌の今年、各地の寺院でさまざまな行事が行われる。その中でも、太子ゆかりの各宗の管長を導師に迎えてひときわ盛大に行うのが、磯長山(しながさん)叡福寺(大阪府南河内郡太子町)だ。推古天皇30年(622)に太子が没した後に葬られた御廟所である。4月10日から5月11日までの1カ月にわたり営まれる大法会の抱負を、近藤本龍住職(57)に聞いた。

―50年ぶりの大法会となります。

 50年前の1350年御遠忌では1週間にわたり、各宗の管長猊下においでいただき厳修しました。午前、午後の2部制で、それぞれ別の宗派による法要だったという記録があります。今回はそのような窮屈なスケジュールで行うのもいかがなものかと考え、普段は拝観できないお堂や寺宝の特別公開、奉納行事も取り入れて1カ月にわたる長期の大法会としました。


―準備にはどのくらいの期間をかけましたか。

 平成24年(2012)から境内整備を進め、一昨年から各宗に伺ったり、奉納行事の依頼を進めたりしてきました。昨年春からはご存じの通り新型コロナウイルスのためなかなか動きが取れなかったのですが、ありがたいことに管長猊下方にもご快諾いただき、東儀秀樹さんの講演と雅楽(4月10日)、野村萬斎さんの狂言や大槻文蔵さんの新作能(5月9日)などの奉納も快く引き受けていただけました。お参りに来る皆様も命がけ。感染症対策をしっかりとって務めさせていただきます。

―9つの宗派の管長が導師を務められるのも叡福寺ならではですね。

 昭和30年ごろまで、叡福寺は住職とは別に各宗派の持ち回りによる座主がいました。日本仏教が様々な宗派として分かれていく中でも、聖徳太子の教えを現代へ、未来へ伝えていこうという思いで各宗の方が法灯を守っておられます。今回の御遠忌も、宗派にとらわれず多くの人にご縁を結んでいただければと。

聖徳太子の御廟所―聖徳太子といえば、やはり十七条憲法ですが。

 十七条憲法は世界的に見ても最も早い時期に作られた憲法です。それは官僚に向けてのものというよりも、もっと広く人間に向けての憲法。第一条の「和を以て貴しとなす」をはじめ、人間が生きていく上での大切なことがらを示したものです。

 最近、よく言われているSDGs(持続可能な開発目標)も、ちょうど17項目の達成目標がありますね。これも、一つ一つを見ればなんてことないように思われるかもしれないけれど、社会の「和」を達成するために持続可能な社会を作ろうということでしょう。

 それとこれは偶然ですが、量子力学の世界で近年、17番目の素粒子が発見されましたが、これは他の素粒子を制御する役割があるというのです。それを聞いた時、第一条の「和」を達成するために外の十六条が存在する十七条憲法を思い出さずにはいられませんでした。

―十七条憲法の教えは現代社会にも科学にも不思議に共通するものがあるということですね。

 時間はかかるかもしれませんが、そういった「和」の教え、太子の精神を世界に発信し、また次の世代にも伝えていけたらと思っています。

―ところで、50年前の1350年御遠忌のことは記憶にありますか。

 いや、まったく覚えていません(笑)。祖父(近藤本昇師。高野山真言宗宗務総長などを歴任)が叡福寺の貫首に迎えられましたが、家族は全員高野山に住んでいたので、祖父に連れられて7つの時に初めて叡福寺に来たのです。夏休みにここでカレーを食べるのが楽しみでしたね。

 私は高野山大学の卒業論文で、弘法大師の得度の師である勤操大徳をテーマにしましたが、研究するうちに弘法大師が聖徳太子をとても尊崇していたことを知りました。当時は、自分が叡福寺の住職になるとは思っていませんでしたが。平成4年(1992)に住職になって30年近くが経ちましたが、これからもしっかりと聖徳太子の御廟所をお守りしていかなければと身の引き締まる思いです。
 
 1400年御遠忌の詳細なスケジュールは叡福寺ホームページhttps://eifukuji-taishi.jp/で。

2021/3/25 佛光寺 飛鳥時代の「裂」発見 太子信仰との関わり示す


蔵の調査で発見された裂(写真右から2つ目) 真宗佛光寺派本山佛光寺(京都市下京区)で進められている蔵の調査で、飛鳥時代に織られたと考えられる「裂(きれ)」が発見され、江戸時代末期の天保12年(1841)に奈良の法隆寺から佛光寺に贈られたものだと判明した。19日に同寺で記者会見が行われ実物が公開された。今年は聖徳太子1400年遠忌にあたり、記念すべき発見となった。

 今回の調査は親鸞聖人御誕生850年などの「慶讃法会」の一環として行われた。内事蔵は門主の管理下にあり、これまで個々の収蔵物についての本格的な調査が行われたことはなかったという「聖徳太子御褥蜀江」と書かれた桐箱から、2枚の墨書とガラス板に挟まれた長辺10㌢ほどの裂が発見された(蜀江とは幾何学模様の布のこと)。京都国立博物館企画・工芸室長の山川曉氏に鑑定を依頼したところ、東京国立博物館所蔵の飛鳥時代の「蜀江錦裂」(重文)と類似した色彩・模様であることが確認された。素材や織り方の面でも、飛鳥時代の裂であることはほぼ間違いないとみられる。

 また、「佛光寺御日記」によると、天保12年10月12日に法隆寺子院の東蔵院から、法隆寺伽藍の修復のため金子200疋の寄進の依頼があり、その謝礼として「聖徳太子御褥蜀江」と平安時代の藤原頼長の日記『台記』の跋文墨書、それに素麺が送られたことが確認できたという。佛光寺は、法隆寺が元禄時代に江戸出開帳をした際に金子200疋を奉納し、また門末の西徳寺(現在の台東区に所在)が宿所などで協力したため、天保の出開帳でも同額の寄進の依頼を受けた。『台記』には聖徳太子の衣がお守りになると考えられていた平安時代の太子信仰の記述があり、今回発見された裂もお守りの意図で法隆寺から佛光寺に贈られたようだ。

 佛光寺は、「一枚の裂の発見から『御日記』を紐解くことで、法隆寺の伽藍修復に佛光寺が寄与していた事実が確認された」とし、真宗教団と法隆寺の関係解明に寄与する新発見だと今後の研究にも期待を寄せている。

 佛光寺は4月2日に聖徳太子1400回忌法要を営む(慶讃法会の一環)。これに合わせ1・2日の両日に寝殿で今回発見された裂や重要文化財「孝養太子木造」など聖徳太子ゆかりの宝物を展示。入場無料。