シリーズ原発と僧侶 富山編
【真宗大谷派林照寺住職/堀部知守氏】
“原発半島”能登の付根、富山県西砺波郡福岡町(編注:現在の高岡市)の真宗大谷派林照寺住職で宗議会議員(編注:現在は共に引退)の堀部知守氏から。寺報に原発の恐怖を描いた顛末は…。
私が原子力発電に疑問を持ち出してから十余年になる。この原発との関わりが私の信仰上の大きな転換点であった。信仰の転換とは勿論私の人生総体の転換であることは言うまでもない。
1966年、今から約30年前に茨城県の東海村に日本における原発1号機が建設され発電が開始された。当時原発は夢と希望の新エネルギーとして国も、電力会社も、マスコミもそろって安全で完璧なエネルギーだともてはやした。我々国民の側も、その一方的な情報を盲信し、なんら疑いをもたず迎え入れた。
それから数年後、原発の危険性に気付いた人々が、四国電力伊方原発1号機の建設差し止め訴訟を開始した。私も友人が担当弁護士だと知り、準備書面等を送ってもらい、勉強を始めた。
当時は本屋でも、図書館へ行ってもほとんど資料もなく、大学の専門の学者を訪ねたり、被曝労働者に実態を聞いたりした結果、原発の危険を知り、生物と原発は共に在る事のできないものであると確信した。
とはいっても小さな田舎の寺の住職にできることはあまりない。寺から門信徒さんむけに『帰り道』と名付けた、発行部数200ほどのささやかな寺報を出していたので、そこに「原子力発電所の恐怖」のタイトルで原発の危機について書いた。
だれお読む人もいないだろうと思っていたところ、これが何と大騒ぎになったのである。地元の電力会社もひそかに、能登半島に原発を作ろうと計画していた時でもあり、まず寺へ、その電力会社の重役さんが訪ねてきた。二度と原発反対などと言ってほしくないとの申し入れである。
私は安全性を強調なさるなら質問に答えて欲しいと質問するのだが、その重役さんは原発に対する知識があまりないらしく、国が安全だという以上安全なのだの繰り返しである。
その後今度は、電力会社へ勤務していた義兄と私の姉がどなり込んで来た。義兄はもし弟(私)を説得できないなら子会社へとばすと上司から言われたらしく、恫喝と哀願の二本立てでせめてくる(私が原発反対をやめると言わないので、しばらくして本当に子会社へとばされた。お陰で今でも姉夫婦とは絶縁状態である)。
第三段は、門信徒の中で、電力会社関係の人々が寺と縁を切り出した。そのような流れの中で私も苦しんだが、同時にたかが200部程の寺報ぐらいでこれだけあわてるのだから、結論は原発がいかに危険なものであるかを物語っている訳だし、その危険性を人々に知らせたくないのでマスコミも抱き込みガードを固めているということである。
思えば寺の住職とは、むずかしい仏教語を使って門信徒を決して原発反対などの社会の問題に巻き込まず、死後の安心を教育していればよいと世間も考えているし、その方が生きやすいに違いない。しかし、それでは住職自身の生涯はあまりにも空しくないか。子のため孫のためと説教するのなら、せめて子や孫の生命を根こそぎ破滅させる原発を問題にすべきではないだろうか。
差別で動く原発労働者の実態は
原発を問題にする時、今、世間では、事故が起きるか起きないかの一点で論議されていると思う。
もちろん、チェルノブイリ級の事故が日本の原発で発生したら、数年間で日本は人間の住めない国になってしまうことは明らかである。ならば事故が起きなければ良いという事になってしまい、日本の原発はソ連の原発とは型が違うから絶対安全なのだと、国や電力会社は力説する。
日本人は何処か昔からお上の言う事には従順である。どれだけ権力からだまされ、裏切られても黙って従う事が美徳だと教育され続けてきたわけだから仕末が悪い。民衆が自覚的にその事を問題にしはじめるのを、我々僧侶も天皇を頂点とした縦割りの差別社会の中でぬくぬくと、恩寵主義的仏教をおしつける事によって目覚めさせないようにするために積極的に手を貸してきた歴史があり、今もその役割を果たしている。
原発を問題にすることによって私自身転換を成し遂げたと前号で書いた。すなわち安全かどうか以前に、原発は人間を差別的に扱わねば成り立たないものだと言いたいのである。
具体的に申し上げようと思う。一昨年(編注:1988年)の5月、我々部落差別を学ぶ仲間数人で、原発と被差別部落の関係を調査するため、福井県のA原発のすぐ近くにある被差別部落を訪ねた。
国道から岬に向かって約4キロメートル行くと100戸程の被差別部落がある。以前は突き当りに大きな岩山があって行き止まりだった。部落の人々は漁業権も与えられず、細々と家内工業で生計をたてていた。
ところが今から20年前に、突き当りの岩山をブチ抜いてトンネルを掘り、その向こうに原発をたてた。部落の生活が一変した事はいうまでもない。その部落から原発へ働きに行く人々は約50人、また全国から流れてくるジプシー労働者と呼ばれる人々の民宿を始めた家が約30戸、確かに経済的には豊かになった。
原発の仕事の中で一番危険なものは、原子炉設置建屋の中へ入り、建屋内に飛び散った目に見えない放射能をふき掃除する仕事である。これはほとんどジプシー労働者が担当する。一応宇宙服のような衣は着ているものの、その人々の被曝量はその中で2、3時間働けば即死してしまうほどの量である。
1日の労働時間が数分に限られ、高賃金につられて働かざるを得ない人々が日本全体で約5万人いるといわれている。20代の若者が体内をむしばまれ、老人のような姿になっている。そんな人々に何人も会った。
また、被差別部落の人々の多くは2番目に危険な仕事をさせられている。炉内から出てきた人々の衣服を選択したり、汚染のひどい物は、ドラム缶につめなければならない。この仕事をしているのだ。これが原発最前線の実態である。
それらの人々や付近に住む人々は確かに生活は豊かになった。しかし放射能の危険におびえながらの豊かさが、真の幸せと言えるであろうか、そしてその事を知りながら黙っている我々は果して人間と言えるであろうか。
生物の異常多発 沈黙破り行動を
前号では原発は事故が起きなくても、それが存在するだけで労働者の生命をむしばみ、付近へは絶えず放射能をまき散らし、住民や自然をおびやかし続けているものだと申し上げた。もう少し原発の正体を知ってもらいたい。
日本の原発は冷却用に海水を利用しているから全部海岸にある。その近くに漁港がある事はいうまでもない。早朝、続々と漁を終えた船が帰って来る。セリが始まり、各地から買付けの車が集まってくる。それらの車の影に隠れるように1台の車が停っている。この車は港々から異常魚を専門に集荷する車である。
四国の伊方原発の近くでは、体長1メートルのイワシが発見されたと聞いた。背骨のまがった魚、尾ヒレが2本あるハマチ、目のないタイ…。電力会社は放射能のせいではないという。ではなぜ原発の近くに多いのか。
それらの異常魚は決して焼却処分にされたりはしない。前に述べた不気味な車が安く買いつけ、いずかこへ運び去って行く。たぶん切り身にしてスーパーで売られたり、カマボコや缶詰に加工されたりしているのであろう。
魚だけではない。福井県の原発銀座といわれている若狭地方の丘には乳牛が飼育されているが、牛からも異常が発見されている。顔の2つある牛、生まれてすぐ死んでいく牛、ピンク色の乳(血液が混っている)を出す牛、放射能で変色するムラサキツユ草、そして世界の原発周辺では子供達に、甲状腺ガンや白血病が多発しているという。
もっと厄介なことがある。毎日各原発から出る廃棄物は、どこの原発も満パイであるし、また、原発の寿命は30年だという。日本の原発は今から続々と寿命が来る。放置しておけばたちまち放射能が漏れ出す。毀して保管管理しなくてはならない。その保管期間は、数十万年以上なのである(プルトニウムの半減期は24000年)。
当初、日本政府は南太平洋パウロ諸島の海底に放棄しようとした。住民が猛反対して断念した。当り前のことである。現在考えている事は、青森県の六ヶ所村で、穴を掘ってうめる事である。これも地元が猛反対をしている。
何万年も閉じ込めておく容器がない。最初はステンレスの容器を考えたらしいが、時間が経つと爆発することがわかった。ガラスの容器にとじ込めるようであるが、これもいつまで持つかわからない。いずれ破れて地下水が汚染され、植物や川や海が汚れていく事は明らかである。
原発とは、事故が起きなくてもこれだけ危険なのである。チェルノブイリ級の事故が日本で起れば、数年以内に日本は人間の住めない国になってしまう。
そのような原発の実態をウスウス知りながら、僧侶はなぜ黙っているのだろうか。何を恐れているのだろうか。今の豊かな生活を失うのが恐いのだろうか。権力者からにらまれるのが恐いのだろうか…。
しかし、仏教は全ての人々の救済を説く宗教のはずである。観念的抽象論や、オカルト的加持祈祷で民衆を欺くのはもう止めよう。人間の尊厳を奪い、差別し、いのちそのものを否定する原発反対に立ち上がろうではないか。
――――佛教タイムス1990年1月25日号、2月5日号、2月15日号掲載