最新記事

2025/1/25
訂正とお詫び

 1月23日号の昭和100年企画「みんなで選ぶ仏教者100人」記事中、川橋範子氏の所属を「国際日本文化研究センター・客員教授」としていますが、「南山宗教文化研究所・客員研究員」の誤りでした。本人への確認なしに過去の所属を記載してしまいました。訂正してお詫びします。

2025/1/23
展望2025 寺院経営の未来と課題 現代の苦に向き合っているか 中島隆信・慶應義塾大学商学部教授


 『神は妄想である』の著作で知られるR・ドーキンスによれば、仏教は宗教よりも人生哲学と呼ぶにふさわしいとされている。実際、私たちの苦しみの多くは、「○○でなければ厭だ」という執着から生じているのだから、「何事も程々にせよ」という釈迦仏教の教えは生き方の指針となり得るだろう。

 だが、この教えを広めるには、それを会得する方法が必要となる。なぜなら、世俗の人々には日常の生活があり、修行や瞑想に明け暮れることができないからだ。

 そこで考え出されたのが、仏や経典の偉大な力を引き出す祈祷、自力での会得を目指す坐禅、さらには仏の慈悲にすがって往生を目指す念仏などで、それぞれが仏教各宗派の教えにつながっている。

 だが、江戸時代の檀家制度により仏教寺院が住民の戸籍を管理する幕府の出先機関になったことで、宗派の教えは檀家にとってどうでもよくなり、寺院も檀家の無宗教性をよいことに葬儀/法事の請け負い業者として生計を立てるようになった。そして、このシステムは寺院経営の安定化と信者獲得競争の回避につながったといえる。

 ただ、各宗派が提唱する解脱方法には、開祖当時の時代背景に基づく裏付けがあった。実際、平安末期と現代とでは苦しみの原因も違って当然だ。にもかかわらず、仏教界はそうした世の中の変化に対応することなく、江戸時代以来の葬式仏教に依存してきた。この危機感の欠如により、檀家のお寺離れに抜本的な解決策を打てずにいる。このまま放置されれば、やがて観光寺院と一部の檀家寺を残し、ほとんどの寺院は日本国内から消えることになりかねない。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/23

天台宗 100歳 大樹座主の讓職発表 93歳 藤光賢探題 2月上任

藤光賢次期座主 天台宗(細野舜海宗務総長)と総本山比叡山延暦寺(獅子王圓明執行)は10日、令和3年(2021)11月に史上最高齢で就任した大樹孝啓天台座主(100)が2月1日に譲職(退任)すると発表した。同日、藤光賢次座探題(93)が第259世座主に上任(就任)。滋賀県大津市坂本の滋賀院で午前11時から上任式を営む。座主伝燈相承式(延暦寺晋山式)は6月10日午前10時半から厳修。祝賀会は同日午後1時半から京都市内のホテルで開催する予定。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/23
阪神淡路大震災30年 ドラム缶の鐘を新調 芦屋市西法寺 被災者支援の象徴


支援に尽力した先代の思いを継ぐ上原住職 阪神淡路大震災から30年目の17日、兵庫県芦屋市の浄土真宗西法寺(上原大信住職)では、2代目となる「ドラム缶の鐘」の撞き初めが行われた。震度7の芦屋市で、倒壊を免れ地域住民の避難所となった西法寺。その際、境内にあったドラム缶で簡易風呂を作ったり、焚き火を行っていた。いわば被災者支援の象徴がドラム缶だ。

 初代のドラム缶の鐘は2003年に本堂の建て替えを行った際、震災を忘れないために作った。実際に被災者支援で使っていたドラム缶は脆くなって撞くことが難しいため、同じタイプの缶を探して加工。20年以上撞いたことでやや傷みもありこのほど新調した。

 撞くと、「グヮン」という音が響く。17日早朝(発生時刻)の追悼法要には約100人が参列し撞いた。上原住職は30年前は17歳で、西法寺の出身ではないため当時の体験はないが、だからこそ「震災のことはずっと伝えていかなければいけないと思います」と話す。

2025/1/23

阪神淡路大震災30年 神戸市佛教連合会 語りと一絃琴で追悼 


「しあわせ運べるように」を追悼演奏した須磨琴 阪神・淡路大震災で数多くの寺院が被災した神戸市佛教連合会は17日、兵庫県神戸市須磨区の真言宗須磨寺派大本山須磨寺本坊客殿で追悼法要を営んだ。善本秀樹会長を導師に、市内各区仏教会の会長が随喜して超宗派による読経。客殿本尊阿弥陀如来に回向し、物故者6434人の安らかなることを念じた。

 須磨寺も本堂や護摩殿の損壊や塔頭寺院の倒壊など甚大な被害を受けたが、そんな中でも100人以上の犠牲者の遺体安置所としての役目を引き受けた。小池弘三管長は「これから先、この日を迎えることができなかった方の思いも自分の思いとして、繋ぎ合って、語り合って、良い世の中としていくのが私たちの務めではないでしょうか」と挨拶。矢坂誠徳兵庫県仏教会会長、和田学英全日本仏教会事務総長も来賓として挨拶を述べた。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/9・16合併号

展望2025 僧侶の資質向上と再教育 21世紀劈頭宣言を直視せよ! 「愚者」自覚し「共生(ともいき)」世界を 豊岡鐐尓・前浄土宗宗務総長


 浄土宗では、もはや4半世紀前となるが、21世紀を迎えるにあたり、浄土宗21世紀劈頭宣言を発したことはご存じのことと思う。「愚者の自覚を」「家庭にみ仏の光を」「社会に慈しみを」そして「世界に共生(ともいき)を」である。

 これは浄土宗宗門人、特に僧侶に向かって発したもので、僧侶自身、その義務、使命を理解し、ことに当たれということで、僧侶たるものその本分を忘れるなというもの。今自分が僧侶として生きていると胸を張って言えるようにということでもある。

 通常、僧侶とは、言うまでもないが「出家して仏門に入った人」であり、我が浄土宗的に申し上げれば、宗祖法然上人の心を心としてそれを理解し、喜び、そしてほかの人に伝える人である。伝え方には様々あるが、多くは寺院に所属し、檀信徒を相手にあらゆる方法でこれを行っている。

津波被災地での念仏合唱に心打つ

 宣言を発してから10年目、宗祖法然上人800年大遠忌を、一宗挙げて行おうとしていた時、あの東日本大震災大津波が発生、当時私は一宗議会議員であったが、浄土宗が何が出来るのか、何とか行動しなければ、と思っていた。結局、何も出来ずにいた時、浄土宗の僧侶十数人が、東北の海岸に集まり津波に遭遇し帰らぬみ魂に向かってお念仏の合唱をしたという記事を読み、心を打たれたものである。何ということもなく特に取り上げて言うものではないかもと思うが、浄土宗の僧侶として、今出来ることをしたのではないかと納得した。

 その年の秋、浄土宗では、宗務総長選挙が予定されており、浄土宗劈頭宣言の心をより発信しようと、浄土宗が社会のために役立たなければと考え、同じ意見を持つ同志の協力を得て、「僧侶の資質向上」「意識改革」を目指して取り組んだものである。

 しかしながら、言うのは易く、実行は大変であった。僧侶の意識とは、それぞれにあるが、浄土宗1万人の住職、それぞれに持っているもので十人十色。僧侶の資質といっても質にはそれぞれあるということであった。

一宗でできることは?

 自分自身、考えが浅かったと言うしかないことが、残念ながら真実であった。我が宗では、僧侶になるには、大学またはそれに準ずる施設で単位を取得し、最終的には、総大本山で実施される「加行」で3週間の修行を修了すれば僧侶となれる。その後はそれぞれの道があるが、大部分は全国に7000カ寺ほどある寺院に入り、そこに所属する檀信徒を相手に、葬儀、法事をすることがほとんどである。

 僧侶として、自分自身を高め、まわりの信頼を得る方法はそれぞれで、宗門が「これだ」と方針を決められるものではない、ということである。一宗が出来ることは、僧侶自身が「学びたい」と考えた時、それに対応出来るようにしようというのが、せいぜいであった。宗門としてこれが必要と思ったら、研修会を実施し、それに参加してもらうことぐらいであった。総本山の協力を得て研修施設を作り、そこに参加してもらうのが良いと考え、開設するのがやっとであった。

 今、振り返ってもはずかしいが、よく理解が出来ていなかったということである。21世紀劈頭宣言を発し、僧侶の意識つまり自覚する心はそれぞれで、持っている資質は申し分ないが、向上させるのは自覚によるものである。「僧侶の意識改革」「資質向上」と大上段にふりかざした公約も、自分の力に限界を感じたものである。

力及ばず

 ではどうすれば良いのか? 浄土宗には、全国に総本山と7つの大本山がある。浄土宗の教師が、それぞれの自坊で檀信徒教化に努力している時、それぞれの総大本山が受け入れ態勢を持っていただけることが大切と考える。

 一方、浄土宗宗務庁は、寺院経営上さまざまな悩みにぶつかった時、トラブル等が生じた時、それに対応出来る組織であれば良い。

 本務職員はそれぞれに教育を受けており、参拝者に対応する力を持っている。
 宗務庁の職員は、寺院のあらゆるトラブルの解消に向けて勉強をしている。
 彼らの協力を得て、浄土宗の生き残りを計らなければならない。

 今一度、「愚者の自覚を」そして「世界に共生(ともいき)を」
力及ばなかった老人の愚痴である!

とよおか・りょうじ/1941年8月生まれ。早稲田大を卒業後、78年まで東京12チャンネル(現テレビ東京)で勤務。1994年から宗議会議員。2011年から2019年まで宗務総長(2期)。宗務総長時代、「僧侶の資質向上」を掲げ知恩院内に研修施設を開設した。自坊は三重県伊賀市の念佛寺。

2025/1/9・16合併号

願いの一字は「慈」 慈しみを向ける1年に


鈴木氏による揮毫で発表された願いの一字「慈」 (6日・増上寺)  (公財)仏教伝道協会(BDK)が公募した「願いの一字コンテスト2025」の漢字が「慈」に決まり、6日に東京都港区の浄土宗大本山増上寺で書家の鈴木猛利氏の揮毫で発表された。

 願いの一字は昨年10月から12月の約2カ月間で集まった100字(昨年は82字)の中から選ばれた。

 「慈」の字は、思いやりの言葉と行いという意味があり、特定の人に対してでなくすべての人びとに友情をもつことを意味している。世界各地で戦乱が続く現状にあって、家族友人だけでなく、すぐ隣にいる人にも「慈しみ」の気持ちを向けていく一年になることを願い選ばれた。また仏教でいう「慈悲」の本源的な意味を多くの人に知ってもらいたいという願いも込めて選定された。「慈」の他にも「和」「平」など平和を願う文字の応募が多数あった。

 揮毫した鈴木氏は「ゆっくり優しく、温かに書いた。字を書く時には気持ちを込めることがとても大事。慈とはどういうことなのか考えながら1年を過ごしていきたい」と話した。

 増上寺執事の渡辺裕章法務部長は「仏教は大慈悲なりと言います。慈しみの中には戦いも人を騙すこともない。慈しみの輪を自分一人から始めて、隣の人へ広げ、世界がこれに覆われたら本当に良い年になる」と願った。

2025/1/9・16合併号
「繫紡心」平和を紡ごう 年賀式で比叡山から発信


垂示を述べる100歳の大樹座主 天台宗総本山比叡山延暦寺の年賀式が8日、滋賀県大津市の延暦寺会館で行われた。年頭恒例の比叡山から発信する言葉は「繋紡心」で、思いやりや感謝の心が人を繋いでいき、平和な未来を紡いでいくことを願う意味が込められた造語。その言葉通りに宗門高僧のほか政財界などから約400人が参拝し、心を繋紡した。

 満100歳の大樹孝啓天台座主が法楽の導師を務め、般若心経や山家学生式を奉読。一隅を照らす精神を改めて仏前に誓った。大樹座主は「世界ではロシアのウクライナ侵攻が止むことなく、能登半島地震は日常生活を一瞬にして奪いました」と心を痛め、現代社会の道徳の荒廃などを憂慮。「まさしく末法の世の中ですが、伝教大師の『忘己利他』のお言葉を世界中にお届けしたい」とし、人々が心を寄せ合って戦争をなくす繋紡心を説いた。

 祝賀会では獅子王圓明執行、細野舜海宗務総長の挨拶に続いて、延暦寺法燈護持会会長の鳥井信吾氏が挨拶。大阪商工会議所会頭でもある鳥井氏は、今年は関西万博の年であり、伝教大師最澄1200年魅力交流委員会でも多くの学生の万博への参加を調整中と報告。一方で「政治も経済も非常に不透明で、ポピュリズムが蔓延しフェイクニュースが飛び交っている。今こそ伝教大師の言葉を思い起こすべき」とし、道心ある人を国宝と為す宗祖の生き様が現代において肝要だとした。

 三日月大造知事が乾杯を発声。秋の国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会に多くの参加を呼びかけ、繋紡心あふれる世の中を期待した。

2025/1/9・16合併号
令和大蔵経へAI活用 大正大蔵経100年/SAT設立30年記念国際シンポ

仏教研究や人文学研究におけるAI活用を討議したシンポ SAT大蔵経テキストデータベース研究会は12月21日、東京都文京区の東京大学山上会館で『大正新脩大蔵経』刊行100年と同研究会設立30年を記念した国際シンポジウム「生成AIと仏教研究」を開催した。

 人文学研究におけるAI技術の活用や仏教典籍のデジタルアーカイブなど、人文学研究の未来像について話し合われた。

 同研究会の共同代表を務める下田正弘・武蔵野大学教授は、「大正新脩大蔵経の歴史とSATの将来」について発表。仏教典籍発展の歴史やSATの成果を振り返り、今後の展望も語った。

 刊行から100年が経過した『大正新脩大蔵経』は、資金面や人材面の課題によりこれまで改訂が進んでいなかったが、「DXやAIが改訂事業を可能にしてくれた」とし、『大正新脩大蔵経』から「令和大蔵経」を編纂する構想を披露。現在、SATでは7種の大蔵経画像データを参照でき、同時に参照することにより大幅に作業の効率化が可能という。「過去からどれほど多くの方が関わってブッダの言葉を継承してきたのか。その努力による継承のプロセスに私たちもいる」と話した。

 SATデータベースの開発に関わってきた永崎研宣・慶應義塾大学教授が「令和大蔵経」に向けた新技術を説明。画像からテキストデータを読み取るOCR技術の精度が高まっており、既存のテキストと比較することでさらに正確性を上げることができるとした。

 大向一輝・東京大学大学院准教授は、人文学研究におけるAI活用の現状を解説。岩田直也・名古屋大学准教授が西洋古典に特化したAI「ヒューマンテクスト」を紹介し、AI技術の横断的な活用が議論された。

 総合討議では、こうした技術の進歩により、「AIを使って一次、二次の文献にあたり論文ができてしまう。すでにある人文学の論文のフォーマット自体を見直さなくてはいけないのではないか」との提起もあった。

 当日は、海外の研究者も多数参加。日英同時通訳による開催となった。翌日は海外研究者の発表も交え、仏教研究のデジタル化や国際的な協力体制・研究環境の整備についてシンポジウムが開催された。

 なお今シンポを後援団体の1つである(公財)全日本仏教会(全日仏)は大蔵経運営事業として公益目的事業に位置付け、運営をサポートしてきた。

2025/1/9・16合併号
能登半島地震から1年 高齢化と人口減の中で 被災地寺院レポート② 寺院復興に行政の補助を 公益性の評価方針に課題


豪雨で倒壊した岩倉寺の住居。防災ヘリで救助された 大地震と豪雨の二重被災の中にある石川県最北部の寺院の復興は、地域のお寺ならではの公益性の発信と、少子高齢化地区からのさらなる人口流出への対応を迫られるものとなる。これらは全国共通の最重要課題であり、奥能登の寺院再興への取り組みは縮小社会に入る日本の仏教の未来を決める歩みと重なる。

 日本海を望む山中にある岩倉寺(輪島市町野町)では元日の地震で伽藍に壊滅的な被害が出たが、隣接する住居での生活は何とか可能だった。一二三秀仁住職(55)と両親はここに留まり、両親は完成した仮設住宅に移る準備に着手。そんな矢先の9月21日、未曾有の豪雨災害が発生した。

 「午前7時過ぎから雨の勢いが増し、1時間後には経験したことのない豪雨になったので、1階の母に『崖から一番離れたソファーにいて』と声をかけた。私は2階にいたが、9時40分頃に3秒ほどの轟音がして吹っ飛ばされた」(一二三住職)

 倒壊した1階部分が50㌢しかなく、「母はもうだめか…」。外に飛び降り探したが、返事はなかった。ぬかるんだ土砂に埋まった足を抜こうとしていると、再び土石流が起こった。家の中に戻り、崩壊した階段部分へ。「『お母さん!』と呼んだら反応があった」。午前10時10分、携帯電話から救助を要請した。

 午後5時頃、消防隊が下の駐車場に到着。だが二次災害の危険性が高く撤退命令が出された。「ヘリも飛べないという連絡が、私の携帯に来た」。一二三住職は母親の側を離れず、「僕の名前をずっと呼んでいるので、『疲れるから、そんなに声上げんな。ここにいるから』」と励まし続けた。

 消防隊5人が来たのは翌朝7時半。一二三住職が「母はここ」と示した2階の床を隊員がチェーンソーで切ると、「ピンポイントでそこにいた」。約23時間後の8時15分に救出。午前11時の防災ヘリで、母・良子さんは病院へ。幸いにも3週間程の療養で退院できた。

増水の川で九死に一生

 裏山は、頂上から大きく崩落していた。母親が救出された頃、自衛隊48人が救助応援で寺を目指していたが、一二三住職は消防隊長に「助かったし、もう来なくてもいいのでは」と提言。その30分後、自衛隊が上がってくる予定だった山道が轟音と共に崩れ去った。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/9・16合併号
昭和100年企画 みんなで選ぶ仏教者100人 思い出深い仏教者群② 48人回答、111人を選定


 昭和100年企画「みんなで選ぶ仏教者100人」は最終的に48人から回答があり、111人の仏教者を選定していただきました。意外にも特定の人物にそれほど集中せず、幅広い昭和仏教者となりました。

 全体的には実際に面識があったり交流したり、直接学恩に預かったりと近い人物を選ぶ傾向がみられました。もちろん、埋もれていた存在に光を当ててくださる方もいらっしゃいました。 

 ご協力頂いた皆さまに感謝申し上げます。(詳細は紙面をご覧ください)

2025/1/1
新春エッセイ 忘己利他 杉谷義純・世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会会長/京都・天台宗妙法院門跡門主


 元旦の朝は心が少し改まった気がします。その新鮮な気持ちをできるだけ長く保ちたいものです。

 世界は、内外とも昨年来激動の中を推移しております。まずウクライナ戦争は北朝鮮軍がロシア軍に加わり、新たな展開を見せようとしています。一方、イスラエルとハマスの戦争は、シリアの突然の崩壊によって中東全体の問題になろうとしています。

 他方、国内政治は、自民党(与党)の過半数割れによって不安定な状況になっています。そんな中で米国の新トランプ政権の動向や、不況下の中国の巻き返し、ブリックスなどの新興国家の動きが、世界平和にも大きな影響を及ぼしていきそうです。

 しかし、そのような中で、昨年暮れの日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞は、特筆すべきことでありました。今日まで被団協の皆さまが自らの命を削りながら、核の廃絶を訴えて来られたその姿は鬼気迫るものがあり、また偉大でした。WCRPは被団協の活動をずっと支援してきましたが、国連で私が世界の宗教者を代表して核廃絶を訴えた時も、被団協の代表も核がこの世に存在してはならないことを強く訴え、各国代表にインパクトを与えていました。そして今回の受賞は、核のタブーを国際常識にすべく、大きな役割を果たしました。

 さて今年は、阪神淡路大震災から30年を迎えます。私はその時、天台宗の宗務総長をしており、すぐさま救援のため兵庫県へ飛びました。街道筋はすでに警察、消防などの関係車輌で渋滞なので、丹波で車を仕立て迂回して行きました。中型のトラックには物資と共に水を容れたタンクも積みましたが、重量オーバーで山道を走るうちにパンクするなどの失敗もあり、思い出になっています。

 この阪神淡路大震災の年は、今では日本のボランティア元年と言われていますが、その後東日本大震災の経験を経て、日本のボランティア活動は目を見張るほど成長しました。東日本大震災といえば大津波で空前の犠牲者を出しましたが、宮城県石巻市の大川小学校の生徒のことが忘れられません。そぼ降る雨の中、校舎の前で慰霊の読経をしました。校庭に地震直後集まったところを、津波が近くの川を遡上してきて、84人が犠牲となりました。全くの想定外で悲しい出来事でした。

 ボランティアの人々は、災害に遭い苦しむ被災者の姿にじかに接し、救援活動をします。まさに「忘己利他」(伝教大師の言葉)の行であり、相手の目線に立ちその苦しみを受け止める同事の心がなければ長続きしません。その意味で戦後80年、原爆の被災者が背負ってきた苦しみに対し、日本のボランティア活動にかかわってきた人々の心が、共鳴する時機も到来しているのではないかと思われます。

 平和は永遠に課題であり、それは引き寄せるものではなく、平和へ向かって努力するその姿の中にあるものだと思います。その努力とは、荷車を押して山道を行くのと同じで、手の力を緩めれば、荷車は下ってしまいます。しかしボランティアで培われた心は必ずや輪を広げ、大きくなっていくでしょう。



 すぎたに・ぎじゅん/昭和17(1942)年10月29日生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。大正大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。早くから大学仏青、仏教青年会で活動。天台宗では宗議会議員、同議長を経て平成5年(1993)から宗務総長(一期)。比叡山宗教サミット実行委員会事務局長(1986)を務めた。

 またWCRP軍縮安全保障国際委員会委員長時代の平成16年(2004)、国連NPT(核不拡散条約)再検討委員会総会(ニューヨーク)で宗教代表として核廃絶を提言した。WCRP日本委員会事務総長、理事長などを歴任し、昨年6月、日本委員会会長に就任。平成29年(2017)、京都・妙法院門跡門主に。著書に『はじめての法華経』『平和への祈り』(ともに春秋社)など。

2025/1/1
オピニオン 多死社会 櫻井義秀・北海道大大学院教授 高齢化2025年問題 林住期の人々と「縮充」の仏教へ


社会の2025年問題

 団塊の世代が後期高齢者となることで日本人口の20%が後期高齢者となる。認知症高齢者や独居高齢者が増加し、医療費・年金・福祉の社会保障費の増大に財政が対応できなくなることが予想されるが、政府や自治体は選挙結果を恐れて増税を言い出せず、国民は見せかけの所得を増やす減税策や給付金を掲げる政党に投票している。

 そればかりではない。介護や医療従事者、保育士や教師など長時間労働とストレスを強いられる職種で人手不足が顕在化し、農林水産業や自営業をはじめ、後継者不在は全業種の半数に及ぶ。

 私は札幌駅から10キロ離れた住宅地に居住するが、最寄りの地下鉄駅まで片道2キロを歩く。運転手不足と地域高齢化による乗客の減少によってバス路線が廃止されたからである。吹雪や大雪の日には覚悟が要る。コンビニも閉店し、足のない高齢者は生協の宅配サービスに頼るしかない。このような現実が全国各地でもう生じているのである。

 人口減少社会の根本原因は、少子化と移民の少なさだが、手当できる時期を逃してしまった。子育て支援は全世帯の20%にしか届かず、未婚者を結婚に導くことはない。男性30%、女性20%の生涯未婚率はさらに上昇しているので、2040年に日本は高齢化率が40%に迫ることになる。最低賃金や物価が韓国・台湾より低い日本に働きに来る外国人は今後さらに減少するだろう。空前のインバウンドは、日本が何でも安いから生じている。

 もはや縮小する超高齢社会日本であることを覚悟して社会を再デザインするしかない。

高齢社会を再定義する

 私は近年アクティブ・エイジングの研究を始め、社会福祉先進国の北欧をモデルとせず、社会保障の遅れを家族・地域・伝統文化で補完するアジア諸国から学ぼうとしている。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/1
オピニオン 多死社会 濵名雅一・東京都葬祭業協同組合理事長 東京都23区火葬場 民間企業が寡占 行政が整備を


民営が多い特殊な状態

 東京23区内の火葬料金の際立った高さが、新聞等でも報道されています。この2年あまりで段階的に値上げされ、現在の9万円(一般的な最上等)は、近県都市の7~15倍。当該住民ならば無料という自治体もあり、「東京では死ねない」といった記事も散見されます。その背景には、全国で99%が公営の火葬場に対し、東京23区内9カ所の火葬場のうち7カ所が民営で、容易に値上げができる寡占市場という特殊性から、「火葬は事業か公共サービスか」といった問題提起も生じています。

 東京23区内7カ所の民営火葬場のうち、6カ所は東京博善という民間企業が長年にわたり運営しています。昭和23年に「墓地、埋葬等に関する法律」(墓埋法)が制定され、火葬場等の運営主体は「原則として市町村等の地方公共団体が行い、それが難しい場合は宗教法人、公益法人が経営主体となり許可を受ける」と定められたものの、既に経営実績のあった東京博善は制限を受けませんでした。同社の既得権益に対して23区行政側が長年放置し、今日に至っているのです。その間に公益法人へ移行の指導もなく、民間企業のまま見過ごした事実は、行政の監督不行届きといっても過言ではありません。さらに問題なのは、東京博善が印刷出版業の廣済堂HDの傘下になり、火葬場を廣済堂という一民間企業が運営しているという現状です。墓埋法の下、民間火葬場があっていいのか。他地域の火葬場はほぼ公営ですので、問題点は明白です。

 近年は廣済堂HDに中国系企業が資本参入し、火葬事業の域を超えた葬祭関連ビジネスに積極参入していることを、TVやネットCMなどでご覧になった方も多いかと思います。さらに東京博善の併設斎場では、宗教者を呼ばない葬儀が、全国平均よりも高い割合を占めている、という情報もあるようです。

葬送文化伝承が課題に

 15年前、日本の死亡人口は100万人を超え、現在は150万人に達しています。このうち、葬儀式を執り行わない人が半数近くとなり、周辺事業(墓、仏壇、位牌等)の縮小化も顕著です。現在、墓石業者の売上の約半分が「墓じまい」だそうですが、これは商売の一時しのぎに過ぎません。

 私たち葬儀社も含めて、儀礼文化を今後どのように伝承すべきか。(続きは紙面をご覧ください)

2025/1/1
オピニオン 剃髪の意義 森香有・曹洞宗僧侶 僧侶のジェンダー問題 女性にとって高いハードル


 曹洞宗ではSDGs(持続可能な開発目標)の推進を掲げ、2021年に「SDGs推進委員会」が設置されました。私も委員の一人として、SDGsの目標にも掲げられている「ジェンダー平等」を検討するためのアンケート調査「男女平等に活躍できる曹洞宗を目指す」に携わりました。設問の1つに「現在、曹洞宗における教師の男女比は97:3です。極端に女性教師数が少ない原因は何であると思いますか」がありました。一番多い回答は「剃髪への抵抗感」(16%)。次いで「後継者に男性が選ばれること」(14%)、「女性教師ロールモデルの少なさ」(13%)、「寺院女性が活躍しにくい曹洞宗の体質」(12%)でした。

「保つ」ことの難しさ

 国際布教師として米国の曹洞宗国際センターに赴任していた折に、ジェンダーに関するアンケート調査に携わった経験を踏まえて思うのは、女性にとっての剃髪のハードルの高さの「中身」については、ほとんどの人が知る機会がないということです。「剃髪」自体はさほど難しいことではありません。難しいのはその姿を保つことです。

 渡米するまではずっと東京で暮らしていました。剃髪姿でいると、周囲から向けられる好奇の視線にどう反応してよいのか分からず、少しずつ身を削られていく感じがありました。お寺から出ると、剃髪している女性は異質過ぎて、社会のどこにも馴染めない。男でもなく、女でもない。LGBTが世間から注目され始めた当初、当事者の方にインタビューを受けたことがありましたが、マイノリティという共通点で互いに共感を持ち、尼僧は社会から見ても、宗門から見てもマイノリティの存在であるということがようやく理解でき、もやもやとしていた自分の立ち位置が明確になりました。

 剃髪という僧形に対して敬いの心を向けて下さる方もいて、ありがたいと思う反面、姿だけで判断されることに抵抗を感じ、髪を伸ばしていた時期もありました。「剃髪に抵抗があるのは男性僧侶も一緒だよ」と言われたこともありましましたが、それにはとても同意できず、その一言は剃髪について自分はどんなことを感じてきたのかを考え直すきっかけになりました。

 出家するまでは、普通の女子大生として生きていたので、剃髪に関してはそれまでの自分と、出家した自分との折り合いをなかなかつけることができずに葛藤の多かった二十代を過ごしました。それでも僧形を保ってこられたのは、これまでに出会って共に坐り、学んだ、素晴らしい師や仲間がいたからこそでした。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/1
オピニオン 剃髪の意義 黒木啓宗・黄檗宗僧侶 仏道修行と毛髪 男女別なし 出家者の自覚の発露


 黄檗宗における剃髪の意義付けについて、宗制や細則などに明記されたものは見受けられませんが、禅堂入堂時には「剃髪必須」、得度式、安居会参加時には「原則剃髪」が慣例化されているようです。

 また、一部では師僧遷化時、満中陰までは剃刀を使わない(髪や髭などを剃らない)という慣わしが今も残っているようです。

 別の観点から見ますと、黄檗宗歴代祖師方の中にも、有髪であったり、髭を伸ばされておられるご様子の頂相なども残されております。

 さて、自身の髪型につきまして、五十歳手前で在家から出家得度を望みはじめた頃は、スーパーロングヘアでした。幼い頃は母の意向により、その後も自身の意向として、ほぼロングヘアで人生を過ごしてきましたので、長髪であることは、ある種のアイデンティティの一つであったのかもしれません。

 また、師僧からは、出家得度するに際し、現段階では髪を剃らなくてもよいと告げられておりました。

 その剃髪不要の判断背景としまして、当時、黄檗宗大本山萬福寺の寺務員として勤務しながらの出家得度でしたので、禿頭で寺務服着用という違和感や他の職員方などへの影響具合などを鑑みてのご判断であろうかと推察しておりました。

毛髪に未練なし

 然しながら、自身としましては、得度=剃髪と認識しておりましたので、剃髪する事に躊躇もなく、周囲のご了承を得られるのであれば、禿頭で寺務服着用でも一向に構わぬ心持ちでしたが、やはりそこは懸念ありとされ、結局、短髪で落ち着きました。

 そもそも出家得度をするということは、家族を捨て、これまでの世俗の生活を捨て、道を行じるための妨げになる事物から遠ざかり、仏道修行に邁進することだと認識しておりましたので、毛髪に執着や未練を感じることはありませんでした。

 かと言って剃髪に固執するのも如何なものかと、短髪の髪が伸びたら、自分で事務用鋏を用いて切るという、中途半端なザンバラ頭で過ごしていました。
そして時は、黄檗宗の御開山隠元禅師の三百五十年大遠諱を控え、師僧の自坊がある滋賀県にて地方授戒を建壇するにあたり、尼戒頭の配役を賜る運びとなりました。

 これを機に、師僧の了解を得、年度末の3月31日に剃髪遂行に到りました。
翌4月1日より、寺務服ではなく作務衣着用にて勤務をし、その一か月後に萬福寺の寺務員としてのなりわいを終え、その一カ月後に、滋賀県地方授戒の尼戒頭としての配役を全うと相成りました。

 初めての剃髪は、授業寺の寺務所兼炊事場にて、扱い慣れぬ剃刀を用い、悪戦苦闘しながらも嬉々として遂行、師僧に仕上げをして頂きました。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/1
能登半島地震から1年 高齢化と人口減の中で 被災地寺院レポート① 檀家の一言で目が覚めた 檀家の誇りになる寺へ もう一度ゼロから頑張る


本堂に押し寄せた土砂の除去作業が続く(能登町・平等寺) 日本列島に暮らす人々が最も寛ぎ団欒する元日夕に発生した能登半島地震から1年。震災の復旧作業が緒に就こうとしていた矢先の9月21日に起こった奥能登豪雨からは、3カ月余が過ぎた。二重災害がもたらした過酷な現実を突き付けられている石川県最北部。だが、そこには懸命に前を向いて復興への一歩を踏み出した住職や寺族たちがいる。12月7・8両日、高野山真言宗能登宗務支所の川元祐慶支所長(穴水町・明泉寺住職)に案内してもらい被災寺院を巡った。

 平安時代中期開創と伝わる能登町寺分の平等寺は、建物が地震で大きく歪んでいた。上野弘道名誉住職(84)は、「家族は最初の揺れで住宅から出て避難した。平成19年(2007)の能登半島地震によく似た状況だったので、私は本堂の確認に行った。その時(午後4時10分頃)に震度7の地震が来た。仏様もお位牌も倒れ、私は動けずに呆然としていた。外にいた家内が、裏山が崩落して土砂が本堂や庫裡に押し寄せるのを見た」とその瞬間を振り返った。

 大量の土砂が建物に密着し、「高い所は4㍍近く」。二次災害の危険性があったため、「お寺の下にある空き家を借りて、1月から10月13日まで避難していた」。家族と暮らしていた住宅と蔵は全壊。平成19年の地震後に基礎を耐震化していた本堂と庫裡は中規模半壊の判定を受け、公費解体の対象になった。境内裏山の崩落で神社が倒壊し、本堂の屋根に衝突。その破損が、土石流の凄まじい威力を物語っていた。

 自身は中学校の社会科教諭、妻は高校の養護教諭として勤務。共働きで寺を護持してきた。平成元年(1989)から「十三仏とあじさい寺」と名付けて、桜や紅葉も大規模に植栽。地域の参拝者で賑わう人気の「花の寺」だったが、「この地震でゼロになった」。

 落胆は深く、「1月に金沢で檀家さんのお葬式をした時、住職と『あの土砂を見ると同じ場所でお寺を続けるのは無理かもわからんな。下に駐車場があるから、そこに小さなお寺を建てて何とかするか』と相談した」。そんな折、「親しい檀家の一人から『せっかく立派なお寺にしたのに…。何とか守れないか』と言われ、これで目が覚めた」。

 すぐに行政に陳情。急傾斜地にある境内の土砂が下の集落に流れる危険性が認められたため、県が10月から12月頭にかけて大半を除去。「まだ終わっていないが、うちのお寺は早い方。手付かずの所がたくさんある」

 現在は、本堂と庫裡を修繕しながら寺で生活。寺宝の一部は県の文化財レスキューによって町内の施設で保護され、崩れた裏山に鎮座していた高岡銅器の五尺の十三仏は土中から掘り出されるなどした。「どこまでできるかわからないが、もう一度檀家さんの誇りになるお寺にしようと頑張っている。本山や高野山大学の同窓生からの義援金、縁故のある方々からの援助に感謝している」

 9月21日の豪雨災害では、裏山がさらに崩落。本堂の一部が床上浸水したが、「横浜の徳恩寺さんが6人で駆け付けて位牌堂を直してくれた」(続きは紙面でご覧ください)