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2025/2/6

WCRP日本委 7月、3回目の東京円卓会議 理事会 評議員会 声明文の実行具合を確認


 (公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会は1月31日、東京・立正佼成会法輪閣でオンラインを併用して理事会(議長=戸松義晴理事長)と評議員会(議長=杉谷義純会長)を開き、人事をはじめ4月から始まる2025年度の事業方針や予算等を審議し、承認した。3回目となる東京平和円卓会議は7月1日から3日まで行われることが決まった。

 新年度事業方針では、戦後80年、原爆被爆80年、国連創設80年の節目を迎え、阪神淡路大震災30年でもあることを踏まえて、「この重要な年にこそ宗教者による対話を深め、協力・連携することを通して苦難に直面している人々に寄り添い、安心・平和な社会実現をめざして事業を展開する」と展望した。

 その重点事業が東京平和円卓会議。2022年9月と2024年2月の過去2回の会議には、ロシア、ウクライナの戦争当事国の宗教指導者のほか、イスラエル、パレスチナ、ミャンマー、コロンビア、ハイチなど紛争や対立を抱える国と地域の宗教者が参加し、具体的な行動を明記した声明文を採択した。

 第3回会議は、声明文がどの程度実行できたのかを報告し合い、その上で課題や次なる行動を検討する予定。そして「一時的な平和会議ではなく継続的な実践を意識した平和プログラムの実践をめざす」と位置付けた。過去2回同様、紛争当時国の宗教指導者らが参加する。(続きは紙面でご覧ください)

2025/2/6
全日仏新年懇親会 大阪大会に向け機運高める 能登復興支援も継続


ポスターを掲げ招致挨拶を述べる府佛役員一同 (公財)全日本仏教会(全日仏)は1月29日、京都市内のホテルで新年懇親会を開催した。9月の全日本仏教徒会議大阪大会「無量の『いのち』―すべてのいのちを慈しむ」の成功に向けて加盟団体一同で機運を高めた。また、復旧が進まぬ能登半島など被災地の復興支援も引き続き行っていくことも確認された。

 能登半島地震犠牲者のための黙祷に続き、伊藤唯眞会長(浄土宗総本山知恩院門跡・浄土門主)が挨拶。「災害を受けられても乗り越えようと頑張っていらっしゃる皆さま方が道を進んで、復興を一日でも早く遂げていただけるよう、私たちも応援を申し上げたい」と被災地を励まし、仏天の加護を祈念した。小松一幸財務部長が支援状況を報告。救援基金は1月25日時点で約2341万円が寄せられており、「寄託先については支援検討会議で協議させていただく」と引き続きの支援を呼びかけた。

 全日仏副会長・大阪府佛教会会長の村山廣甫氏ら、大阪府佛役員一同が登壇し仏教徒会議の招致挨拶。村山氏は80年前の少年時代に大阪空襲で焼け野原になった故郷、そこから疎開した京都での生活を振り返って「無量のいのちを慈しむ世界に今、なっているでしょうか」といのちの尊さを強調。「万博では『いのちのデザイン』と言っており、それも素晴らしいことですが、無量のいのちという宗教家としての大きなテーマをこの大阪から発信したい」と力強く宣言すると拍手が沸き起こった。(続きは紙面でご覧ください)

2025/2/6
築地本願寺宗務長に竒山明憲氏


 浄土真宗本願寺派築地本願寺(東京都中央区)の宗務長に竒山(はやま)明憲氏が就任した。1月29日付。東京仏教学院長も兼務する。竒山新宗務長は1954年11月生まれ。大阪府高槻市の信楽寺住職。

 前任の中尾史峰氏は昨年12月に総局に入っており、後任が定まるまで宗務長を兼務していた。

2025/2/3
東京国立博物館 大覚寺開創1150年記念展 重文障壁画123面や五大明王像などを一挙公開


威厳と迫力のある五大明王像 真言宗大覚寺派大本山大覚寺(京都市右京区)が令和8年に開創1150年を迎えることを記念した特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」が21日、東京都台東区の東京国立博物館平成館(上野公園13-9)で始まった。重要文化財の障壁画123面を一挙公開する他、平安後期の仏像の最高傑作とされる「五大明王像」など圧巻の内容だ。

 嵯峨天皇(786~842)の離宮として建てられ、「旧嵯峨御所」とも呼ばれる大覚寺。貞観18年(876)に皇女・正子内親王の願いで寺院に改められ、来年で1150年を迎える。

 過去に京都国立博物館で大覚寺の展示が2回あったが、東京では初となる。重要文化財に一括して指定を受けた同寺に伝わる約240面の障壁画のうち、計123面を前後期で展示。総長約22㍍の華やかな襖絵「牡丹図」(狩野山楽筆・17世紀・重文)は寺外初の全18面を公開する。

 宗祖空海と天皇家ゆかりの明王信仰を伝える本尊「五大明王像」(明円作・平安期1177年・重文)も東京では5体そろって展示されるのは初めて。

 刀剣ファン垂涎の大覚寺に伝来する太刀「薄緑」(膝丸)と北野天満宮の太刀「鬼切丸」(髭切)を展示。数々の伝説に彩られた「兄弟刀」を一度に観る貴重な機会。

 後宇多法皇が空海への思慕の念を綴った国宝「後宇多天皇宸翰 弘法大師伝」や皇統と法流の護持を願った国宝「後宇多天皇宸翰 御手印遺告」など大覚寺の深淵で雅な歴史を語る名宝・寺宝が一堂に会する。

 3月16日まで。一般2100円(当日)。問い合わせはハローダイヤル(☏050―5541―8600)。

2025/2/3
大本山總持寺新春展 「皇室と總持寺」開催中 綸旨や恩賜品から交流辿る


伏見宮文秀女王遺愛の菊紋香炉 横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺で、宝蔵館「嫡々庵」の新春展「皇室と總持寺」が開かれている。歴代天皇の文書や恩賜品など約35点から皇室と總持寺の交流を跡づける。

 皇室と總持寺の関係は、後醍醐天皇の勅問に太祖開山瑩山禅師が答えたことから始まったと伝わる。その後1322年に紫衣の着用を認め、官寺に定めるとした綸旨が下された。転写された「後醍醐天皇綸旨写」(江戸期)をはじめ、第1部「天皇家と總持寺のご縁」では歴代天皇の文書を中心に展観する。

 双方が並んだ後陽成天皇(1571~1617)と後光明天皇(1633~1654)の綸旨の用紙に注目すると、色の違いに気がつく。綸旨はいわゆる再生紙の「宿紙」を使用する慣例があり、白紙をあえて墨染めすることも多かったという。前者は原料紙の墨の色が強く、繊維のむらも確認できる。一方、後者の色は薄く均一に染まっている印象だ。高田信敬館長は「時代が下って宿紙を使う必要がなくなっても、似せた紙を作るところに伝統が感じられる」と解説した。

 第2部「皇室ゆかりの品々」では、天皇家や宮家の美術工芸品が鑑賞できる。皇族出身の最後の尼門跡、伏見宮文秀女王(1844~1926)遺愛の菊紋香炉は、昨年の瑩山禅師700回大遠忌に参拝された高円宮妃久子さまの焼香でも使用された。菊紋は、中心にがくが施された親王家所用の14葉裏菊となっている。最後の第3部のテーマは「皇族を伝称筆者とする古筆切」。

 2月28日まで。一般300円。休館日は木・金曜日。問い合わせは同庵(☏045―581―6065)。

2025/1/30
展望2025 人口減少社会と多文化共生 
在日ベトナム仏教信者会会長 ティック・タム・チー氏に聞く
四無量心で人間同士の交流を


 2011年の東日本大震災から、困っている在日ベトナム人を助けるための支援活動を行ってきました。コロナ禍では仕事を解雇されたり、帰国出来ずに困窮する大勢の在日ベトナム人から連絡がありました。在日ベトナム仏教信者会と大恩寺で支援活動「幸せの贈り物」として次の8つの慈善事業を行いました。1食糧支援、2人道相談支援、3お葬式支援、4保護支援、5帰国支援、6仕事に繋がる支援、7大恩寺農浄園支援、8お念仏を通じた精神的な支援。賛同してくれるベトナム人、日本の企業、僧侶や一般の方からも多くの支援をいただきました。

 約6万人分の食糧を配布し、住まいを失った方のために大恩寺と3カ所のシェルターを開き、約2千人を保護しました。その中には妊婦の方もいました。お寺の近くで畑をお借りして、自給自足ができるように野菜を育て始めました。地域の方から農作業を教えてもらい、収穫した野菜は困窮者にお分けしています。農作業を通して地域の方と交流でき、自尊感情や思いやりの心も育まれます。互いに支え合う優しい社会を作る一助になっていると実感しています。

お参りしやすいお寺を

 今は相談者の数は落ち着きましたが、人間関係や言葉の問題等でトラブルになるケースもあります。お寺への連絡で一番多いのはお葬式の依頼です。死因は事故や事件、自殺や病気、過労死など様々です。日本に来て慣れない環境で無理をするのでしょう。若い人が亡くなってしまうのはとても辛いです。
上手くいかずに落ち込んでいる時にお寺にお参りしたいベトナム人の仏教徒はたくさんいます。ベトナム寺院は11カ所ありますが、今は北海道から沖縄までベトナム人はいるので、お参りしやすい日本の寺院が増えたらいいなと思います。

 どんな支援ができるのか、と以前、日本の住職の奥様に質問されたことがあり、ベトナム人のお参りの仕方を教えました。本堂にあがり、お線香に火を点け、仏様にお願いする言葉を唱え、香炉にお線香をさす。人間界ではどうしようもないことを仏様の世界に預かってもらうんです。お参りするだけで安心感が生まれます。希望するベトナム人がいたら是非お参りをさせてほしいです。

国内で海外布教

 私も日本の僧侶たちと交流が増え、東京の吉水岳彦先生のお寺(浄土宗光照院)をはじめ埼玉や栃木のお寺にも、ベトナム人の信者がお参りする姿が見られます。お参りして楽しかったという実習生の方は大勢いるんですよ。フェイスブックなどでお参りに行けるお寺の情報はすぐに共有されています。日本の各宗派には海外布教の部門があり、海外に拠点もあると思いますが、国内にいる外国人に布教すればそれも海外布教になります。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/30
大谷専修学院 次年度の学生募集中止 内部対立と混乱が深刻化 ベテラン職員異動を契機に


京都市山科区にある大谷専修学院 真宗大谷派(木越渉宗務総長)は12月25日、複数ある教師養成機関の中で全寮制(1年間)による「念仏のある共同生活」を行っている大谷専修学院(京都市山科区)の2025年度学生募集(本科・別科)を中止すると発表した。「学院の運営体制を整える必要があるため」としている。だが関係者によると、令和5年(2023)4月に就任した佐野明弘学院長とベテラン職員2人との間で起きた昨年8月の人事異動命令に至る深刻な対立が主な原因だという。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/30
阪神・淡路大震災30年 NPOアース 発災時刻に希望の鐘 震災の教訓語りつぐ


神戸の街を一望できるヴィーナスブリッジで行われた追悼の集い NPО法人「災害危機管理システムEarth」(アース、理事長=石原顕正・山梨県日蓮宗立本寺住職)が主催する「阪神淡路大震災 市民追悼のつどい」が17日、神戸市内で開かれた。7年ぶりとなる早朝追悼のつどいでは、発災時刻の午前5時46分に「神戸・希望の鐘」を鳴らし、追悼の祈りを捧げた。

 アースは、阪神淡路大震災を機に石原理事長が1997年に設立。支援活動の中で、2001年から神戸の被災者と共に発災時刻に行う追悼集会や誰もが参加できる市民追悼式を共催してきた。しかし、現地の実行委員の高齢化により発災時刻の集会は18年、追悼式は20年に幕を閉じ、以後は石原理事長の自坊で追悼行事を行っていた。

 今年は発災から30年の節目にあたり、現地の市民の協力により「忘れられようとしている震災の教訓を伝え続け、今を生きる人々の集える機会」として、早朝追悼の集いや5年ぶりとなる市民追悼式の開催に至った。

 夜景スポットで知られる諏訪山ヴィーナスブリッジ(中央区諏訪山町)に集まった市民たちは、発災時刻に合わせ石原理事長が撞く「神戸・希望の鐘」の音と共に黙祷。読経が響く中、眼前に見える神戸の街からも呼応するかのように鐘の音などが聞かれ、参加者も希望の鐘を撞いて犠牲者の冥福を祈った。

 午前10時からは、同区下山手の兵庫県中央労働センターで市民追悼式が開かれた。毎年共に追悼式で共演してきた琵琶奏者の川村旭芳氏とアースの僧侶メンバーが「声明と琵琶による音楽法要」を営み、最後に参加者が希望の鐘を撞いた。

 石原理事長は、震災の翌年から始めた仮設住宅での慰霊祭やこれまでの追悼の集いを回想。「15年目の時に、震災の教訓が風化しないように鐘を皆で撞くことで震災を語り継ぎ、亡くなった方の慰霊にもつながればと願って希望の鐘を鋳造した」と振り返り、今後も震災の教訓を語り継いでいくと話した。

2025/1/27
終戦80年対談 戦禍と祈りの記憶
宮城泰年氏・本山修験宗総本山聖護院門跡門主 × 村山博雅氏・世界仏教徒青年連盟会長
脅しでなく理想を掲げよ 日々の祈りが平和の原動力に


聖護院門跡(京都市左京区)で語り合った宮城氏(右)と村山氏 今年で終戦から80年となる。仏教者は戦争協力を反省し、平和を祈ってきた。しかし、軍備増強や武器輸出が進められ、「新しい戦前」との警鐘に不安が漂う。戦争体験者は少なくなり、戦禍の記憶は遠い過去となりつつある。一方で世界各地で紛争は繰り返され、国内外で平和から遠ざかる現実が横たわる。当時を体験した宮城泰年氏と祈りの記憶を継ぐ村山博雅氏が語り合った。仏教者は平和な世界へ向けて何ができるのか。この節目に、国際活動にも携わる僧侶の対談を通して考える。

――今年で終戦から80年です。どのような気持ちを抱いていますか。
 村山 私は戦争を知らない世代ですが、地元だけでなく地上戦があった沖縄や南洋で慰霊を続けています。決戦の舞台となったサイパン島では、昨年に陥落から80年を迎えました。玉砕を期した最後の総攻撃「バンザイ突撃」が行われた7月7日に、仏教者の代表として慰霊祭を営みました。知事ら現地の人たちも毎年参列するほか、昨年はカトリックの大司教も初めて参加し、神仏基の諸宗教による祈りを捧げました。

 宗教者の祈りに意味はあるのか。そう疑問が投げかけられることがあります。しかし私は、祈りこそが平和な社会を形づくる原動力になると確信しています。そう信じるきっかけの一つが祖父の祈りの実践にあるかもしれません。

 祖父は旧陸軍航空部隊の軍人でした(村山竹甫氏。陸軍航空士官学校出身、中佐。戦後に大阪市天王寺区の曹洞宗吉祥寺に住持)。敗戦時、クアラルンプールで教育飛行隊部隊長を務めていて、インドネシアの無人島レンパン島に抑留された。1946年7月の帰還まで、部下とともに漁や農耕をして生きのびたといいます。

 復員後、戦前から心に決めていた僧侶となりました。サイパン島など南方各地を何度も巡拝し、遺骨の収集にも努めました。境内には遺骨を安置する観音像を建立し、供養していました。

 私は戦争を体験していません。しかしながら祖父の祈りを受け止め直し、自分事として継いでいくことはできると思っています。社会に祈りをどう展開するのかという課題も考えながら、終戦80年の節目に心からの祈りを捧げるつもりです。

思考力を奪う戦争

 宮城 平和な社会にとって、祈りは大切だと私も考えています。

 聖護院の3代前にあたる師岩本光徹門主は日露戦争に出征しました。戦争に関して一切話されませんでしたが、よく聞かされたのは廃仏毀釈のことでした。修験の徒として耐えかねたのでしょう。平和が脅かされるときは権力側の圧力が伴うものです。

 私が生まれたのは、満州事変の発端となる柳条湖事件が起きた年です。得度は終戦の前年でした。いつ死ぬかも分からない状況だったから、父(宮城信雅氏。宗務総長にあたる修験宗総務を務めた)は僧侶の一人として死なせようとしたのかもしれません。戦争へ行くべくして生まれてきた。しかし、戦地へも行かず勉学にも身が入らない。そんな少年時代でした。

 戦時中、横文字はご法度でした。野球をしていてうっかり「ストライク」なんて言うと、げんこつが飛んできました。藁人形を竹で突く訓練では「10人で一人を殺せ」と教え込まれました。あるとき疑問を口にしたことがあったのですが、教官室へ連れていかれて指揮刀でめった打ちにされました。

 私にとって平和とは、戦争が終わってものが自由に言えるようになったことです。終戦後も食糧不足は続き、それどころではなかったこともあって、そう実感できるようになったのは大学に入ってからだったように思います。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/27
昭和100年企画 みんなで選ぶ仏教者100人 思い出深い仏教者群ー③ 上位は有馬実成、中村元、松原泰道の3人


 昭和100年企画「みんなで選ぶ仏教者100人」には48人から回答が寄せられ、合計111人の名前があがった。戦後世代の回答者が多いこともあるが、昭和仏教者のほとんどは昭和20年代以降から平成期に活躍した人たちだった。

 集計したところ、上位にあがったのは仏教NGO開拓者の有馬実成、世界的な仏教学者の中村元、優しい言葉で仏教を説いてきた南無の会会長だった松原泰道の3人。それぞれ5人が取り上げた。

 次いで3人の支持を受けたのは7人。そのうちの一人は尼僧。2人が選定したのは23人だった。残る88人は単独の選定である。

 1回目(1月1日号)掲載後、複数から回答が寄せられた。機会を見て紹介したい。
 複数から選定された仏教者は以下の通り。

 5人が選ぶ
 有馬実成  昭和11年(1936)~平成12年(2000)
       曹洞宗僧侶。国際NGOシャンティ国際ボランティア会(旧曹洞宗国 際ボランティア会)創設者の一人。開発理論に仏教の視点を活かした。
 中村元   大正元年(1912)~平成11年(1999)
       東大退官後、財団法人東方研究会(現公益財団法人中村元東方研究所) を設立。仏教を研究したい人と学びたい人を結びつける場ともなった。
 松原泰道  明治40年(1907)~平成21年(2009)
      宗派にとらわれない南無の会会長として全国で講演活動を展開した。『般 若心経入門』はベストセラーで現在も読み継がれている。

3人が選ぶ
 市川白弦  明治35年(1902)~昭和61年(1986)
       仏教者の戦争協力を問う。代表的著書に『仏教者の戦争責任』。
 小島賢道  明治31年(1898)~平成7年(1995)
       曹洞宗僧侶。尼僧として初めて宗議会議員を務めた。
 鈴木大拙  明治3年(1870)~昭和41年(1966)
       国際的な禅学者。英語で仏教を発信した。
 瀬戸内寂聴 大正11年(1922)~令和3年(2021)
       天台宗僧侶・作家。岩手・天台寺での青空説法には県外参加者も。
 沼田惠範  明治30年(1897)~平成6年(1994)
       ミツトヨ創業者。仏教伝道協会を通じて『仏  教聖典』の普及に努めた。
 丸山照雄  昭和7年(1932)~平成23年(2011)
       日蓮宗僧侶。社会問題に仏教の立場から取り組む。
 山田恵諦  明治28年(1895)~平成6年(1994)
       天台座主としてしばしば海外渡航したことから「空飛ぶお座主」とも。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/27
書評 ホーム社 超少子・超高齢社会の日本が未来を開く 長谷川敏彦 鎌田東二 著


 急速に進む少子高齢化のなかで、医療や介護、福祉、そして心のケアは、喫緊の課題といえる。それは、これからの日本社会をどのように構想、構築していくかという、きわめて大きなテーマにつながっている。

 本書は、医療、宗教というフィールドで専門の枠にとらわれず、縦横に研究と実践を続けてきた長谷川、鎌田両氏の壮大かつ貴重な対談である。

 長谷川氏はアメリカで医師としての修業を積み、帰国後は医療行政にも携わり、数々の政策立案や提言を行ってきた。現在は未来医療研究機構の代表理事を務める。

 一方の鎌田氏は、神道を軸に日本の宗教文化を独自の視点から研究してきた。自然保護などの活動やスピリチュアルケアの問題にも取り組みながら〈神道ソングライター〉〈ガン遊詩人〉として歌い、吟じている。

 対談は、それぞれの人生の歩みを振り返りつつ進んでいく。両氏に共通するのは、今は時代の大転換期であり、あらゆる面で従来の社会システムスは立ち行かなくなっているという認識だ。

 医療、介護、福祉といった分野でいえば、日本は、近い将来〈超少子超高齢〉の本格的な〈多死社会〉となる。そこで求められるのは、病気を治し、寿命を延ばすだけでなく、日常的な動作の回復など〈生活の質〉を重視する総合的な社会システムづくりだという。(続きは紙面でご覧ください)


2025/1/25
訂正とお詫び

 1月23日号の昭和100年企画「みんなで選ぶ仏教者100人」記事中、川橋範子氏の所属を「国際日本文化研究センター・客員教授」としていますが、「南山宗教文化研究所・客員研究員」の誤りでした。本人への確認なしに過去の所属を記載してしまいました。訂正してお詫びします。

2025/1/23
展望2025 寺院経営の未来と課題 現代の苦に向き合っているか 中島隆信・慶應義塾大学商学部教授


 『神は妄想である』の著作で知られるR・ドーキンスによれば、仏教は宗教よりも人生哲学と呼ぶにふさわしいとされている。実際、私たちの苦しみの多くは、「○○でなければ厭だ」という執着から生じているのだから、「何事も程々にせよ」という釈迦仏教の教えは生き方の指針となり得るだろう。

 だが、この教えを広めるには、それを会得する方法が必要となる。なぜなら、世俗の人々には日常の生活があり、修行や瞑想に明け暮れることができないからだ。

 そこで考え出されたのが、仏や経典の偉大な力を引き出す祈祷、自力での会得を目指す坐禅、さらには仏の慈悲にすがって往生を目指す念仏などで、それぞれが仏教各宗派の教えにつながっている。

 だが、江戸時代の檀家制度により仏教寺院が住民の戸籍を管理する幕府の出先機関になったことで、宗派の教えは檀家にとってどうでもよくなり、寺院も檀家の無宗教性をよいことに葬儀/法事の請け負い業者として生計を立てるようになった。そして、このシステムは寺院経営の安定化と信者獲得競争の回避につながったといえる。

 ただ、各宗派が提唱する解脱方法には、開祖当時の時代背景に基づく裏付けがあった。実際、平安末期と現代とでは苦しみの原因も違って当然だ。にもかかわらず、仏教界はそうした世の中の変化に対応することなく、江戸時代以来の葬式仏教に依存してきた。この危機感の欠如により、檀家のお寺離れに抜本的な解決策を打てずにいる。このまま放置されれば、やがて観光寺院と一部の檀家寺を残し、ほとんどの寺院は日本国内から消えることになりかねない。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/23

天台宗 100歳 大樹座主の讓職発表 93歳 藤光賢探題 2月上任

藤光賢次期座主 天台宗(細野舜海宗務総長)と総本山比叡山延暦寺(獅子王圓明執行)は10日、令和3年(2021)11月に史上最高齢で就任した大樹孝啓天台座主(100)が2月1日に譲職(退任)すると発表した。同日、藤光賢次座探題(93)が第259世座主に上任(就任)。滋賀県大津市坂本の滋賀院で午前11時から上任式を営む。座主伝燈相承式(延暦寺晋山式)は6月10日午前10時半から厳修。祝賀会は同日午後1時半から京都市内のホテルで開催する予定。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/23
阪神淡路大震災30年 ドラム缶の鐘を新調 芦屋市西法寺 被災者支援の象徴


支援に尽力した先代の思いを継ぐ上原住職 阪神淡路大震災から30年目の17日、兵庫県芦屋市の浄土真宗西法寺(上原大信住職)では、2代目となる「ドラム缶の鐘」の撞き初めが行われた。震度7の芦屋市で、倒壊を免れ地域住民の避難所となった西法寺。その際、境内にあったドラム缶で簡易風呂を作ったり、焚き火を行っていた。いわば被災者支援の象徴がドラム缶だ。

 初代のドラム缶の鐘は2003年に本堂の建て替えを行った際、震災を忘れないために作った。実際に被災者支援で使っていたドラム缶は脆くなって撞くことが難しいため、同じタイプの缶を探して加工。20年以上撞いたことでやや傷みもありこのほど新調した。

 撞くと、「グヮン」という音が響く。17日早朝(発生時刻)の追悼法要には約100人が参列し撞いた。上原住職は30年前は17歳で、西法寺の出身ではないため当時の体験はないが、だからこそ「震災のことはずっと伝えていかなければいけないと思います」と話す。

2025/1/23

阪神淡路大震災30年 神戸市佛教連合会 語りと一絃琴で追悼 


「しあわせ運べるように」を追悼演奏した須磨琴 阪神・淡路大震災で数多くの寺院が被災した神戸市佛教連合会は17日、兵庫県神戸市須磨区の真言宗須磨寺派大本山須磨寺本坊客殿で追悼法要を営んだ。善本秀樹会長を導師に、市内各区仏教会の会長が随喜して超宗派による読経。客殿本尊阿弥陀如来に回向し、物故者6434人の安らかなることを念じた。

 須磨寺も本堂や護摩殿の損壊や塔頭寺院の倒壊など甚大な被害を受けたが、そんな中でも100人以上の犠牲者の遺体安置所としての役目を引き受けた。小池弘三管長は「これから先、この日を迎えることができなかった方の思いも自分の思いとして、繋ぎ合って、語り合って、良い世の中としていくのが私たちの務めではないでしょうか」と挨拶。矢坂誠徳兵庫県仏教会会長、和田学英全日本仏教会事務総長も来賓として挨拶を述べた。(続きは紙面でご覧ください)

2025/1/9・16合併号

展望2025 僧侶の資質向上と再教育 21世紀劈頭宣言を直視せよ! 「愚者」自覚し「共生(ともいき)」世界を 豊岡鐐尓・前浄土宗宗務総長


 浄土宗では、もはや4半世紀前となるが、21世紀を迎えるにあたり、浄土宗21世紀劈頭宣言を発したことはご存じのことと思う。「愚者の自覚を」「家庭にみ仏の光を」「社会に慈しみを」そして「世界に共生(ともいき)を」である。

 これは浄土宗宗門人、特に僧侶に向かって発したもので、僧侶自身、その義務、使命を理解し、ことに当たれということで、僧侶たるものその本分を忘れるなというもの。今自分が僧侶として生きていると胸を張って言えるようにということでもある。

 通常、僧侶とは、言うまでもないが「出家して仏門に入った人」であり、我が浄土宗的に申し上げれば、宗祖法然上人の心を心としてそれを理解し、喜び、そしてほかの人に伝える人である。伝え方には様々あるが、多くは寺院に所属し、檀信徒を相手にあらゆる方法でこれを行っている。

津波被災地での念仏合唱に心打つ

 宣言を発してから10年目、宗祖法然上人800年大遠忌を、一宗挙げて行おうとしていた時、あの東日本大震災大津波が発生、当時私は一宗議会議員であったが、浄土宗が何が出来るのか、何とか行動しなければ、と思っていた。結局、何も出来ずにいた時、浄土宗の僧侶十数人が、東北の海岸に集まり津波に遭遇し帰らぬみ魂に向かってお念仏の合唱をしたという記事を読み、心を打たれたものである。何ということもなく特に取り上げて言うものではないかもと思うが、浄土宗の僧侶として、今出来ることをしたのではないかと納得した。

 その年の秋、浄土宗では、宗務総長選挙が予定されており、浄土宗劈頭宣言の心をより発信しようと、浄土宗が社会のために役立たなければと考え、同じ意見を持つ同志の協力を得て、「僧侶の資質向上」「意識改革」を目指して取り組んだものである。

 しかしながら、言うのは易く、実行は大変であった。僧侶の意識とは、それぞれにあるが、浄土宗1万人の住職、それぞれに持っているもので十人十色。僧侶の資質といっても質にはそれぞれあるということであった。

一宗でできることは?

 自分自身、考えが浅かったと言うしかないことが、残念ながら真実であった。我が宗では、僧侶になるには、大学またはそれに準ずる施設で単位を取得し、最終的には、総大本山で実施される「加行」で3週間の修行を修了すれば僧侶となれる。その後はそれぞれの道があるが、大部分は全国に7000カ寺ほどある寺院に入り、そこに所属する檀信徒を相手に、葬儀、法事をすることがほとんどである。

 僧侶として、自分自身を高め、まわりの信頼を得る方法はそれぞれで、宗門が「これだ」と方針を決められるものではない、ということである。一宗が出来ることは、僧侶自身が「学びたい」と考えた時、それに対応出来るようにしようというのが、せいぜいであった。宗門としてこれが必要と思ったら、研修会を実施し、それに参加してもらうことぐらいであった。総本山の協力を得て研修施設を作り、そこに参加してもらうのが良いと考え、開設するのがやっとであった。

 今、振り返ってもはずかしいが、よく理解が出来ていなかったということである。21世紀劈頭宣言を発し、僧侶の意識つまり自覚する心はそれぞれで、持っている資質は申し分ないが、向上させるのは自覚によるものである。「僧侶の意識改革」「資質向上」と大上段にふりかざした公約も、自分の力に限界を感じたものである。

力及ばず

 ではどうすれば良いのか? 浄土宗には、全国に総本山と7つの大本山がある。浄土宗の教師が、それぞれの自坊で檀信徒教化に努力している時、それぞれの総大本山が受け入れ態勢を持っていただけることが大切と考える。

 一方、浄土宗宗務庁は、寺院経営上さまざまな悩みにぶつかった時、トラブル等が生じた時、それに対応出来る組織であれば良い。

 本務職員はそれぞれに教育を受けており、参拝者に対応する力を持っている。
 宗務庁の職員は、寺院のあらゆるトラブルの解消に向けて勉強をしている。
 彼らの協力を得て、浄土宗の生き残りを計らなければならない。

 今一度、「愚者の自覚を」そして「世界に共生(ともいき)を」
力及ばなかった老人の愚痴である!

とよおか・りょうじ/1941年8月生まれ。早稲田大を卒業後、78年まで東京12チャンネル(現テレビ東京)で勤務。1994年から宗議会議員。2011年から2019年まで宗務総長(2期)。宗務総長時代、「僧侶の資質向上」を掲げ知恩院内に研修施設を開設した。自坊は三重県伊賀市の念佛寺。