最新記事
2025/4/3
花まつり 寄稿 君島彩子氏 美術と出会った誕生仏
誕生仏に反映された美的価値 戦後は復興と平和のシンボルに
釈尊降誕会といえば「誕生仏」をご本尊に、参拝者が甘茶を灌いでお祝いするのが日本の「花まつり」の光景として定着している。日本書記にも「灌仏会」の記述があるほどで、古来より受け継がれてきた伝統の行事である。その主役ともいえる「誕生仏」もまた、時代ごとにその姿を変え、時に新たな価値が付加されながら伝承されてきた。君島彩子氏の寄稿から古今の「誕生仏」に触れてみよう。
現在の東大寺の仏生会における釈迦誕生仏像(東大寺提供) 釈尊が産まれてすぐに立ち上がり7歩歩いて、両手で天と地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えた姿をかたどった仏像を「誕生仏」と呼ぶ。灌仏会(仏生会や降誕会とも)の本尊とされるため、多くの寺院に誕生仏が伝わっている。灌仏会では誕生仏に香水または甘茶を注ぐ儀礼がおこなわれ、多くは青銅に鍍金を施した金銅仏である。誕生仏は長い歴史の中で、釈尊の誕生を祝した儀礼で使用され、重要視されてきた。
造形性を重視
明治初期、欧米をモデルに美術や文化財といった概念が日本にも導入され、仏像は美術史の中に位置づけられた。誕生仏にも美術的な価値観が反映され、その造形性が重視されるようになった。近代から現在に至るまで、誕生仏の造形的な規範のひとつとなっているのが、東大寺に伝わる国宝の《誕生釈迦仏立像》だ。通常の誕生仏の倍以上の大きさがあり、肉づきのよい身体、胸や腕にあるくびれ、柔らかな表情で幼児らしい姿は天平時代の作風を現在に伝えている。この誕生釈迦仏立像は、現在、東大寺ミュージアムをはじめ博物館等に展示されることも多い。一方、東大寺では4月8日の仏生会で、大仏殿正面に国宝の誕生釈迦仏立像の複製を納めた花御堂が設置され、参拝者が甘茶をかけることが可能だ。目で鑑賞するだけでなく、甘茶をかけ、参拝することで釈尊の誕生を祝う儀礼に参加できる。
仏教に追い求めたアイデンティティー
明治期には誕生仏にも美術的な価値が見出されるが、さらに大正期に入ると、彫刻家の表現の発露として彫刻作品としての誕生仏が模索された。多くの青年が仏教の中に自己のアイデンティティーを追い求めた大正期、西洋的美術教育の基礎にある裸体表現と仏像の造形が結びつき仏像風の彫刻が多数制作された。その中で注目されたのが釈尊の母である摩耶夫人の姿である。こうして摩耶夫人の姿が裸体で表現されるようになったのだ。前近代にも法隆寺伝来の《摩耶夫人および天人像》や、摩耶寺の《摩耶夫人立像》のように摩耶夫人と産まれたばかりの釈尊を表現した像は伝わっているが、決して数は多くない。さらに摩耶夫人の姿を裸体で表すことは前近代の仏像ではありえないことだった。
大正以降の誕生仏を表した代表的な彫刻作品に、1926年の第7回帝展に出展された三木宗策の《降誕》、そして1929年に行われた構造社展に出品された陽咸二の《降誕の釈迦》がある。三木の《降誕》は、摩耶夫人のイメージを古代インドに求め、半裸で豊満な胸や装飾など随所にインドのグプタ朝の彫刻の影響が見られる。そして脇の下から釈尊が生まれる瞬間を見事に表現している。陽の《降誕の釈迦》は、聖母マリアとキリストの姿を連想させる構図で、デフォルメされた身体と、足へかかる布は写実的であるなど独自の造形理解が見られる一方で、摩耶夫人の腕に抱かれる幼児の釈尊は仏像のイメージを反映している。
戦死者の冥福祈る新たな仏像の造像
しかしこのような自由な表現の仏像風彫刻は日中戦争の開戦とともに制作されなくなる。そして戦後、戦死者の冥福を祈り新たな仏像が作り出された。その中には数奇な運命を辿った誕生仏もある。名古屋市の平和祈念施設である平和堂(千種区平和公園)には、常滑の陶彫作家である柴山清風が1950年頃に制作した陶製の《釈迦誕生仏像》が保管されている。空襲によって破壊された名古屋市の復興の指揮をとった名古屋市復興局長、田淵寿郎は、戦後の復興計画で道路用地などの確保のため、市内278寺院の墓地を東部丘陵地へ移転し、広大な平和公園の整備をおこなった。そして田淵は、平和公園の中央に、中国から送られた千手観音像を安置した平和堂を募金によって建設しようとした。
柴山清風「釈迦誕生仏像」の原型と考えられる仏像(大善院蔵・筆者撮影) 平和公園に誕生仏
平和公園には平和堂に先立って灌仏堂が建設され、清風が制作した釈迦誕生仏像が安置された。灌仏堂では平和堂建設の募金を集めるため小さな仏像の販売が行われた。そして毎年4月には灌仏式や稚児行列などが行われていた。さらに、この釈迦誕生仏像を動物園の象の上に乗せられ、名古屋市内を練り歩いたという証言もある。
しかし伊勢湾台風などの影響で、平和堂は募金だけでは建設できず、名古屋市の公共事業として完成。宗教的な儀礼は一掃され灌仏堂も廃止され、かつて多くの人々が手を合わせた釈迦誕生仏像は、現在は見ることもできない状態だ。常滑市の大善院には田淵の旧蔵で、平和公園内の灌仏堂に安置されていた釈迦誕生仏像の原型と考えられる像が安置されている。信仰対象として制作されているため造形的に大きな逸脱はなく、衣紋の表現などは東大寺に伝わる国宝の誕生釈迦仏立像を参照し、さらに身体の表現はより生身の人間に近い姿となっている。
君島彩子(きみしま・あやこ)和光大学講師。1980年東京都生まれ。大正大学大学院修士課程修了、総合研究大学院大学博士後期課程修了。博士(学術)。専門は仏像を中心とした物質宗教論、宗教美術史。著書『観音像とは何か』など。
※紙面には三木宗策「降誕」(耕三寺博物館所蔵)、陽咸二「降誕の釈迦」(宇都宮美術館所蔵)の写真も掲載されています。
2025/4/3
花まつり企画 誕生仏の世界
釈尊降誕を祝い、誕生仏に甘茶を灌ぐ花まつり。各地で見られる誕生仏は造られた時代や場所により様々な特徴を持っている。像高80㌢もある大きな誕生仏や、通常とは逆に左手で天を指す誕生仏、最古とも言われる誕生仏はピースしているようにも見えて、どれも興味深い。特徴ある誕生仏を紹介する。(紙面では9体をご紹介しています)
岡崎市・胎蔵院 昨年建立 像高80㌢
「子どもや女性に親しんでもらえるように」とつくられた。子どもの姿にこだわった お釈迦さまの生まれた姿を表すため、誕生仏は基本的に小さい。ところが、浄土宗西山深草派胎蔵寺(愛知県岡崎市保母町)の誕生仏は像高約80㌢のビッグサイズ。台座は1㍍ほどある。昨年の花まつりに合わせて建立された。
生まれた姿といっても成人のような外形が多い中、同寺の誕生仏は子どもの容姿そのもの。「保母」の山号や「胎蔵」の寺号が伝えるのは、子を宿したまま亡くなった女性の供養のため建立されたという縁起だ。本堂には子宝や安産の功徳をもたらす秘仏・准胝観音菩薩像も安置される。
「子どもや女性に親しんでもらえる寺にしたいと思っています」と同寺の誕生仏の由来を話す野村宗臣住職。自らデザインも考えた。広く知ってもらおうと、当初は石造として日本一の大きさを目指したが、今の形に落ち着いた。「写真を撮りに来る人が増えました。気軽に参拝してもらえたら」と話している。
大牟田市・通玄寺 左を天 中国式の尊像
黄檗宗通玄寺所蔵の誕生仏 誕生仏は、釈尊が生まれた際に右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と唱えたという説話にちなみ、その姿を表した仏像。一般的に右手を上げ、左手を下げている像が多いが、稀に左手を上げた誕生仏も存在する。
福岡県大牟田市の黄檗宗通玄寺(金子衛三住職)には左手を上げた誕生仏がある。金子住職は「当山に古くから安置されている誕生仏です。残念ながらいつ頃造られたものか正確なことは分かりません。当山が1700年代に建立されたことや、細部に見られる特徴などから16世紀から17世紀頃の中国式の仏像ではないかと思われます」という。
左手を上げた誕生仏には中国式のものが多いとも言われ、「黄檗宗は特に中国の文化を色濃く残している宗派です。周りの地域の黄檗宗寺院にある仏像も明から清の時代のものが多いそうです」と宗派や地域と誕生仏の縁起に思いを馳せる。
経年劣化のため、天を指していた指がなくなってしまったが、誕生仏はガラスケースに入れ本堂で大切に安置している。「いずれにしましても、長きにわたり当山や地域の方々を見守り続けてきた仏像です。これからも変わることなく大切にしていきたいと思っております」と語った。
湖南市・善水寺 花まつりに特別公開
東大寺の誕生仏に似た姿の善水寺の誕生仏(写真=善水寺提供) 奈良時代の和銅年間に開創された滋賀県湖南市の天台宗善水寺(梅中堯弘住職)には国宝の本堂をはじめ、多くの寺宝が伝承されており、「金銅釈迦誕生佛」(重文)もその一つ。通常は非公開だが毎年5月5日に開催する「花まつり」に特別公開している。
天平年間(760年頃)の造像で、像高は23㌢ほどの金銅仏。同じ天平時代に作られた国宝の東大寺「銅造誕生釈迦仏立像」に非常によく似た姿で密接な関係があったと言われている。「右の手のひらを天に挙げているのが特徴です。東大寺は特別に大きくて47・5㌢。善水寺の誕生仏はちょうど半分ほどの大きさです」と梅中住職。
25年ほど前に途絶えていた花まつりを再開させ、誕生仏の特別公開も始めた。子どもの日に合わせ、灌仏用の誕生仏を置いた花御堂を置く。「小さなお姿」の誕生仏の公開には気も配りながら、地域の人々が訪れているという。この期間のみ特別公開を今年も行う。会期は4月29日から5月5日、時間は午前9時から午後4時まで。
2025/4/3
天台宗審理局 加害住職に「罷免」処分 性加害審判 師僧の大僧正、懲戒なし
女性僧侶の叡(えい)敦(ちょう)氏(50代)が14年間に及ぶ性暴力被害を天台宗に告発し、男性僧侶2人の僧籍剥奪を求めた問題。宗内の司法機関・審理局は3月27日までに加害住職(60代)を「罷免」処分、その師僧である大僧正(80代)を「懲戒に該当しない」とする審判決定を出した。通知を受け取った叡敦氏側の発表でわかった。
被害者の叡敦氏が求めていたのは、最も重い懲戒処分である「擯斥(ひんせき)」(僧籍剥奪・除名)。今回下された「罷免」はその一つ下の処分で、現在住持している寺院の住職を解任されるという内容。叡敦氏代理人の佐藤倫子弁護士は、「審判結果は大変残念。大阿闍梨(大僧正)について不当なのは言うまでもないが、加害僧侶の『罷免』も、住職としての地位を失うだけであり、他の寺の住職にはなれる。住職としてでなければ、僧侶として今の寺で働き続けることも可能な処分であり、軽きに失する。また、審判の場で叡敦さんが直接審判員に言葉を届けることなく結果が下されたことも、大変残念に思う」とのコメントを発表した。
懲戒審判は2審制。被申立人の加害住職には審理決定から20日以内に不服申立と再審請求を行う権利があり、4月中旬がその期限。懲戒当事者以外では宗務総長にも不服申立の権利が付与されているため、叡敦氏側は3月28日に細野舜海宗務総長宛てに不服申立を求める嘆願書を送った。
審理局長が局員全11人の中から選定した3人(非公開)の審判員で構成する第一次審判所の審判会(同)は、滋賀県大津市の宗務庁で開かれ、1月24日・2月27日・3月24日の3回で結審。審理局は三権分立による独立機関であるため、審判結果が出るまで「審判会がどのくらいの頻度で何回開かれるのか、どのような審理がなされているのかなど、私たちも一切わからない」(宗務庁総務部)。
加害住職と並んで僧階最高位の大僧正までもが懲戒審判の結果を待つことになった前代未聞の審理は長期に及ぶと予想されたが、意外にもスピード結審。以下の規定が今回適用されたかどうかは不明だが、懲戒規程第七条には懲戒事犯該当者の処分の「軽減又は免除」の条文があり、その中に「七十五歳以上の者」という適用除外の項目がある。
叡敦氏側は、4日午後1時半から東京・永田町の衆議院第二議員会館で会見を開く。
2025/4/3
東京地裁 旧統一教会に解散命令 法人格喪失 民法上の不法行為は初
文部科学省が請求していた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の解散命令について東京地裁(鈴木謙也裁判長)は3月25日、教団を解散する決定を出した。法令違反が解散の理由になるのはオウム真理教、明覚寺に続き3例目。民法上の不法行為が根拠となるのは初めて。
宗教法人法では、「法令に違反し著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」や「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」がある場合、裁判所が解散を命令できると定めている。
旧統一教会をめぐっては、高額献金や霊感商法などの問題で、2023年10月に文科省が同法に基づき解散命令を東京地裁に請求し、今年1月に審理が終了。解散命令の根拠となる同法の「法令違反」に民法の不法行為が含まれるのか裁判所の判断が注目された。
これに先立ち、文科省が7回にわたり教団に質問権を行使したものの、多数の項目で回答を拒否したとして過料を科すよう求めた裁判で最高裁が3月3日、民法上の不法行為も宗教法人法の「『法令に違反』する行為に当たる」との判断を示していた。
今回の東京地裁の解散命令の決定では、「勧誘行為によって類例のない膨大な規模の被害が生じた」と認定し、教団が主張する2009年のコンプライアンス宣言後も被害申告が続いていると指摘。被害は少なくとも1559人、計約204億4800万円に上り、教団は不十分な対応に終始しているとして、「解散を命ずることはやむを得ない」と判断した。
教団側は解散命令の決定を受けて同日、「判決内容を重く受け止めつつ、東京高裁への即時抗告を検討していく」と声明を発表。「刑事事件を犯していない宗教団体が解散されるとなるならば、民主主義国家として、法治国家としてあり得ない」と今回の決定を批判した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/31
花まつりに花のメッセージカードを 世界に広がれ「花おくり」 京都の浄土宗僧侶が企画
カードを持つ河村さん㊨とザッキーさん 花まつりにはお花のメッセージカードで大切な人に感謝の思いを伝えよう―そんな「花おくり」の取り組みを京都市伏見区の浄土宗大光寺副住職の河村英昌さんが始めた。河村さんは㈱神社仏閣オンラインの代表として、宗派を超えて仏教界・宗教界を盛り上げるさまざまなイベントを企画しており、これもその一環だ。
灌仏会・仏生会などの法会は古くからあるが、それを「花まつり」と呼ぶようになったのは大正時代にドイツにいた日本人留学生が「ブルーメンフェスト」(花まつり)として誕生仏を花で飾ったのが始まり(諸説あり)。いわば言葉の「逆輸入」に着目した河村さんは、今度は花まつりにちなんで大切な人に花と感謝の言葉を贈るイベントを発信し、日本中ひいては世界中に広めていきたい、と考えた。
伏見区の旧知の美容師ザッキーさん、宮城県岩沼市に住むアーティストのハンナさんと、花まつりを世界に広める意気が投合。「花おくり」の第一弾として、ハンナさんのカラフルで温かいイラストに誕生仏を配したメッセージカードを作った。カードには彦根城の墨跡などで有名な書家・前田鎌利さんが「天上天下唯我独尊」という力強い揮毫を記す。「前田さんは世界に響く書家です」と河村さん。
このカードで誰に言葉を贈るか。河村さんは「いつも好きにやらせてくれている家族全員に感謝を伝えたい」。ザッキーさんは「両親へ。母の日や父の日にプレゼントとかはしますが、なかなか伝えられなかった感謝の言葉を改めて贈りたい。あと、姪っ子にも」と照れ笑い。もちろん、家族だけでなく恋人、恩師などに贈っても喜ばれるだろう。
カードだけでなく、LINEに登録することで、ハンナさんが描いた花の画像とメッセージを大切な人に贈れるサービスも提供。カード(500円)の注文は神社仏閣オンラインのホームページで。
2025/3/31
花まつりデザイン入賞作品展開催 仏教伝道センタービル 4月8日まで
入選作品20点を展示中 東京都港区の仏教伝道センタービル1階ロビーで21日から、全日本仏教会(全日仏)主催の花まつりデザイン大賞の「入選作品展」が始まった。お釈迦さまの誕生を祝う「花まつり」を広く社会に知ってもらうための作品展で4月8日(土日除く)まで開催している。主催は(公財)仏教伝道協会。
全日仏の花まつりデザイン大賞は釈尊の誕生を祝う絵画作品を募集し、入選作品をポスターや絵葉書にして寺院等に頒布している。今回の展示では158点の応募の中から選ばれた入選作品20点(大賞4点・佳作16点)を展示。右手を天、左手を地に向けた誕生仏をはじめ、白象や蓮の花など、降誕会のモチーフを色鮮やかに描いた作品が展示された。
同協会伝道部の福本良之助課長は「すべてのいのちへのリスペクトが溢れている。絵は言葉がなくても通じるものがあるので、世代や国を超えて多くの人に見てほしい」と話した。
会場の仏教伝道センタービル玄関には色鮮やかな花壇を設え、灌仏ができる花御堂や今年の願いの漢字「慈」の揮毫を展示。野生司香雪画伯の釈尊絵伝「降誕」の展示のほか、平等院(京都市)の神居文彰住職が「釈尊絵伝」を解説するDVDも放映されている。後援団体である全日本仏教婦人連盟から「花の種」、大和証券株式会社からサクマドロップスが提供され、来場に頒布された。
2025/3/27
築地本願寺 竒山明憲宗務長に聞く 目指すのは「先意承問」の人 興味本位でもいい 若い人が立ち寄る寺に
今年1月に就任した竒山宗務長 築地本願寺(東京都中央区)の宗務長に竒(は)山明憲氏(70)が1月29日付で就任した。「誰かと間違っているのでは」と、選出の知らせを聞いて驚いたという竒山新宗務長。浄土真宗本願寺派の首都圏拠点を担う重責にも、「近寄りにくいお寺じゃないと知ってもらえたら」と構えずに臨む。
昨年5月の「長嶋茂雄デー」。ファンである巨人軍の試合観戦のため上京した際に築地本願寺にも参拝したが、「そのときはまさかこんなことになるとは思いもしなかった」と話す。
自坊のある大阪府から荷物を積んだマイカーを運転し、築地本願寺へやってきた。15年前に妻に先立たれた後、両親も見送った。身一つで動けたこともあり、「役に立てるのであればと思い切った」。
首都圏の拠点として、安永雄彦元宗務長によって様々な改革が行われてきた築地本願寺。後任の中尾史峰前宗務長を引き継ぎ、運営方針は基本的に踏襲する考え。「私としては、まずは興味本位でも一歩境内に入ってもらえるようにできたら、仕事の一つは達成したようなもの。そして特に若い人たちに気軽に阿弥陀さまの前に座ってもらえることを目指したい」(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/27
妙智會教団 宮本惠司會長誕生 「雲外蒼天」胸に精進努力
会員代表から花束を受け取る宮本會長 妙智會教団は20日、東京・代々木の本部大講堂で「宮本惠司先生會長就任式」を挙行。2千人を超える会員が新會長の誕生と、数え70歳の古稀を祝った。法嗣から三代會長に就いた宮本會長は表白で「この五濁悪世の全世界を救うため、會長として修行して参ります」と力強く宣言した。
休日とあって家族連れなどで溢れた大講堂。新會長は表白の中で、「法を継いだ者として宮本ミツ會主さま、宮本丈靖大導師さまの歩まれた道を突き進むため、妙智會教団を原点に返します」と自らに使命を課した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/27
立正佼成会 庭野会長 米寿祝う集い開幕 毎月20日開催 11月まで全8回
会員に近い距離で行われた庭野会長との「お祝いの集い」 立正佼成会の庭野日鑛会長の米寿を祝う本部代表参拝「お祝いの集い」が庭野会長の満87歳の誕生日の20日、東京都杉並区の同会大聖堂で始まった。庭野会長の間近で教会の代表者がそれぞれ趣向を凝らしたお祝いの言葉を述べ、長寿を祝った。会員の熱烈なお祝いを受け、庭野会長は少し照れながら、「ありがとうございました」と感謝した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/24
WCRP理事会 ミャンマー地雷で緊急声明 暴力停止へ円卓会議で討論
(公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(戸松義晴理事長)は14日、京都・北野天満宮を会場にオンラインを併用して第51回理事会を開き、「ミャンマーにおける地雷被害急増に対する緊急声明」を採択した。ミャンマーのチャールズ・ボー枢機卿(WCRP/RfP共同会長)の来日にあわせて開かれた円卓会議で、NGOから地雷被害の深刻さが報告されたことを受けて提案された。また7月の第3回東京平和円卓会議でもミャンマー問題に重点を置くことが決まった。
ボー枢機卿はミャンマー国軍のクーデターから4年にあわせて2月初旬に来日。背景にはロシアとウクライナの戦争、イスラエルとパレスチナ(ハマス)の紛争に隠れて国際社会の関心が薄れていることがある。受け入れの日本委はメディアとの会見、政府および国会議員との折衝、ミャンマー支援に取り組む国連機関と市民団体との円卓会議を企画した。
その円卓会議で地雷廃絶日本キャンペーンが報告。地雷死傷者数が1003人(2024年報告)に上り、世界最多となった。緊急声明では、「無差別に一般市民や子どもたちを殺傷し、四肢を損壊させ、その後の人生を大きく変えてしまう残忍かつ非人道的な兵器」と指摘。そして160余の国や地域が加盟している対人地雷禁止条約に、米国やロシア、中国などが加盟するよう強く訴えている。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/20
オウム事件30年・考 仏教界・宗教界は何をなし 何をなし得なかったか?
死刑でマインドコントロールの証明が困難に 楠山泰道氏(日蓮宗大明寺住職・日本脱カルト協会顧問)
30年経っても、この問題はまだ全く終わっていない。相変わらず後継団体には若者が入り続けています。あの事件はオウムの責任ではないという陰謀論とともに、麻原や弟子たちを死刑にしたことにより、麻原が最終解脱者として神格化されたまま、後継団体のアレフがいまだに麻原信仰を続けているのです。
後継団体は10年程前から、オウム事件以降控えていたサマナ(オウム真理教の出家信者)制度を復活させ、アパート等で共同生活しながら修行する出家制度が脈々と受け継がれています。大学の先生の名を使い、科学的医学的な呼吸法なども教義に取り入れ、SNSやボランティア等の若者受けのするものを利用して入信させる。事件を知らない若者がいまだにマインドコントロールにかけられている。そのために今も苦しむ親が生まれ、相談が寄せられています。
この問題は30年間、何も解決されていない。その理由は大きく2つあります。一つには、死刑執行という問題。麻原の死刑はやむを得ないとしても、弟子を一緒に死刑にした。マインドコントロールによって事件に関わった者の心理状態や、マインドコントロールが解けた際のショックなどが解明されないうちに処刑がなされてしまった。
二つ目は、マインドコントロールの立証について検証・研究がなされてこなったという問題。法律でマインドコントロールを認めなかったために、逆に法律がカルトを助長することも生まれた。例えば旧統一教会の問題であれば、解散命令に対し信教の自由を主張し、保護にも拉致監禁だと訴え人権が主張される。
マインドコントロールを証明できる者たちを死刑にしてしまったがために、最前線である現場では、法律とマインドコントロールの狭間でカルトに入った若者を助けることができない。
宗教者に何ができるのか。何をなすべきか。やはり宗教教育がなされてこなかった。学校本来の人間教育の中で、宗教教育ができていればカルトの予防もできたのでないか。それを宗教家が主張してこなかった。宗教離れが進むほど、実は社会が壊れていくのです。
世界的に見ても宗教教育をやらないのは日本だけだそうです。ただ宗教宗派を超えてこの問題を学ぼうという若い人も出てきている。若い宗教者に期待したいと思います。
2025/3/20
オウム事件30年・考 仏教界・宗教界は何をなし 何をなし得なかったのか?
〝オウム〟は再び登場する 高橋隆岱氏(元仏教情報センター理事長・高野山真言宗正光院住職
オウム真理教がなぜ歴史に登場したのか。バブル経済などの社会変化や新新宗教の台頭といった時代背景があっただろう。だが、既存の価値観に反発し、救いを求めた特に若者たちの関心を引く魅力があった。
どんなものかと、自坊から近かった南青山の本部へ足を運んだ。密教を説く彼らの話は確かに目を見張るものがあった。仏教に対する知識が深かったという事実は、僧侶としては忘れてはいけないことだ。
仏教情報センターでは当時、その他の宗教団体にまつわる相談が多く、オウムに関してはほとんど寄せられなかった。相談が舞い込んだのは、坂本弁護士一家殺害事件が起きた頃だった。
入信した子どもを持つ親たちが、脱退の説得をしてほしいと訪れた。仏教の専門家として僧侶に助けを求めたのだ。尾行がつくこともあったため、場所を変えながら話し合いを重ねたが、結果的には力になれなかった。
そして地下鉄サリン事件の当日。私は彼岸の棚経で横浜にいた。オウムだ、とピンときた。本当にやったのかと愕然とした。
何とかできなかったか。残されたのは無力感だった。オウムは、私たち既成教団の限界を突き付けたのではなかったか。それは社会で機能しているかという問いに等しい。凶悪事件を引き起こした異質なものを相手にする必要はないと、蓋をしてはいけない。
信仰と宗教は区別しなければならない。救いを求めた彼ら一人ひとりの信仰は純粋だったはずだ。それが宗教という政治を帯びた仕組みともなる。信仰が宗教に掠め取られるとき、“オウム”は再び登場する。
あれから30年。私たちは刻々と変わる社会に、信仰者としてコミットできているだろうか。
2025/3/20
オウム事件30年・考 仏教界・宗教界は何をなし 何をなし得なかったのか?
若者たちの苦悩を直視してきのか 神仁氏(全国青少年教化協議会執行理事・臨床仏教研究所所長)
かつてのオウム真理教の南青山総本部(1995) オウム真理教による地下鉄サリン事件から3月20日で30年。この間もカルト問題は後を絶たない。各種メディアで特報されているものの仏教界・宗教界の意見はほとんどみられない。仏教界・宗教界はこの間、何をなして何をなし得なかったのか。仏教者・宗教者の声を集めた。
事件当時のオウム真理教やカルトに対する認識
この件については、当時の宗教学者や関係者の批判にも繋がるためコメントは控えたい。
とは言え、自身の宗教観の中では、これまでにしばしば発言してきたように、「金銭」「超常現象」「奇跡」等を表立って標榜する団体は、擬似宗教団体あるいは偽宗教団体とみなしてきた。一方でオウムが出家主義を標榜している点が、若者たちの心を打ったとも認識していた。
事件後の30年、カルト問題を含めて仏教界は対応できたのか。また仏教界にどんな課題を突きつけたのか
仏教教団は一部の人間を除いて、常に「無関心」を装ってきたと受け止めている。「オウムは仏教ではない」等と、火中の栗を拾わないことにより「保身」を図ってきた感は否めない。オウムやカルトの問題に関わる宗教者は「異端」とさえ評されてきた経緯もある。
それが故に、当時の事件を知らない20歳前後の学生が、後継団体のアーレフ等に入信してしまう現況を作り出している。
令和を前にして、幹部の死刑が執行されたことにより、仏教界のみならず日本社会全体がこの問題に一応の終止符を打ったと感じているのではないか。しかしながら、有能な若者たちがオウムやその他の議論ある団体に入信していく心の奥底や環境要件について詳細な分析がなされていない以上、遠からず同様の問題が生じることは避けられないだろう。
当該問題において改めて仏教界・宗教界が苦手なPDCAサイクル(※)を回す必要性を感じる。「お寺は風景に過ぎなかった」と、当時の信者が口にしたとされる言葉は、仏教や宗教が眼目としてきた、生老病死等に伴う苦しみの受け止め方、救い、昇華を促すといった機能を果たしてこなかったことを指摘するものと理解していい。
仏教学者の中村元先生は「仏教では慈悲の理想は説くけれども、それをいかに実践すべきかということについて、仏教教団あるいは仏教学は適切な指示を与えてくれない。これは今日の仏教の致命的な弱点である−−」(「慈悲の精神」)と述べており、先の言葉と通底する。
幸いなことに近年、30~40代の若手僧侶や宗教者の中に、孤立や孤独感の受け皿となり、カルト問題のみならず社会苦に対して取り組む活動者が少なからず増えてきている(臨床仏教師の育成の目的もそこにある)。
教団や仏教者にいま問われていることは、釈尊やそれぞれの御祖師の教えに立ち戻り、現代社会の状況や背景・コンテクストに合わせた方便を尽しつつ、人々が抱える苦しみに真摯に寄り添い、共に歩んで行くことではないか。
※Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)の頭文字をとった改善方法
2025/3/20
原発被災地14年 住民全体でまちづくり中 相馬市で慰霊法要営む 豊山派福島県第2号宗務支所
相馬市にある慰霊堂での支所法要 東日本大震災から14年、今年も真言宗豊山派福島県第2号宗務支所(山岡観舟支所長)では、震災が発生した午後2時46分に合わせて相馬市の大震災慰霊堂「慈眼院」で法要を厳修した。導師の山岡支所長(双葉町・自性院)をはじめとする支所下住職ら18人が出仕。地震と津波、原発事故で失われた全てのいのちを供養し、大災害の記憶を改めて胸に刻んだ。
午後2時半から、「東日本大震災罹災者諸精霊」に供養の読経。心を一つに、光明真言や三祖御宝号を唱えて回向した。
廃炉作業が続く福島第1原発から南に約20㌔の位置にある楢葉町・大楽院の酒主秀寛住職は、「原発に近い浪江町や大熊町、双葉町でも復興が進んでいるが、帰還する住民は少ない状態」と説明。「いち早く全町避難から帰還できるようになった楢葉町でも、帰還率は7割弱(約4350人)。昨年あたりでほぼ止まった」と話した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/20
東京大空襲80年法要 大本山増上寺が出仕 小澤法主 4歳の空襲体験語る
増上寺が出仕した慰霊法要 10万人を超える死者・行方不明者を出した東京大空襲から80年を迎えた10日、東京都墨田区の東京都慰霊堂で春季慰霊大法要が秋篠宮皇嗣同妃両殿下参列のもと、浄土宗大本山増上寺が出仕して営まれた。東京都仏教連合会の各地区代表者も随喜した。
法要は増上寺の小澤憲珠法主を導師に一山式衆が出仕し厳修。石破茂首相代理の橘慶一郎官房副長官や東京都、地元墨田区の代表が追悼の辞を述べた。
小池百合子都知事は、東京大空襲や関東大震災による犠牲者を追悼しつつ、2度にわたり焦土から復興した東京の歴史に言及。「被災者、ご遺族の方々はその度に懸命に立ち上がり、今日の東京を築いてきた。私たちはこのことを胸に刻み、持続可能な都市を未来へと引き継いでいきます」と話した。
焼香では、秋篠宮皇嗣同妃両殿下をはじめ遺族代表、協賛団体代表らが香を手向けた。仏教界からも全日本仏教会や東京都仏教連合会の代表者が焼香をした。(続きは紙面でご覧ください)