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2024/9/19
共生特集 農から考える地球環境 東京農大名誉教授・日本財団特別顧問 板垣啓四郎氏に聞く 「食・農・環境」は1本と考えよう
いたがき・けいしろう/1955年鹿児島県生まれ。東京農業大学卒業後、イギリス・レディング大学食品・農業経済学部へ客員研究員として留学。東京農業大学助教授、教授を経て、2020年に定年退職し名誉教授。その後(公財)日本財団特別顧問となり、現在に至る。専門は農業開発経済学。博士(農業経済学)。 昨年、国連のグテーレス事務総長は、地球温暖化は「地球沸騰化」になったと警告を発し対応を迫ったが、今年も異例の暑さとなった。他方でロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ・ガザ地区の戦争が続いている。地球温暖化に加え、こうした戦争は世界の農業にも大きな影響を及ぼしている。全世界が約束した持続可能な開発目標(SDGs)を含めて、「農」から考える環境と平和について東京農大名誉教授の板垣啓四郎氏にインタビューした。
――今夏の暑さは地球規模のようですが、農作物にはどんな影響を与えているのでしょうか。
経済追求が土壌にしわ寄せ
板垣 地球温暖化によって、産業革命以来、平均気温は1・8℃の上昇。このままでは今世紀末には2・2℃まで上がると予測されている。
地球温暖化の影響は高緯度地方ほど大きく、赤道周辺はそうでもない。高緯度地方は世界の穀倉地帯にあたり、北半球ではカナダ、アメリカやロシア、ウクライナなど。南半球ではオーストラリアとニュージーランド。ブラジルは高緯度ではないが、農業大国。温暖化の影響で今年大洪水が発生し、天候不順が続いたため、一部の農産物が不作となった。身近な輸入品ではオレンジ果汁がブラジルから入ってこなくなった。そのためファストフード店ではオレンジジュースの販売を休止したところもある。
気候変動に加えて土壌の荒廃が起きやすくなっている。高温で風が強かったりすると農地は乾燥し劣化する。化学肥料は、速効性はあるけれども頼りすぎると農地が硬化し、土中に空気や水が入らず、表土はより一層乾燥する。禾本科作物だけでなくマメ科作物などを輪作していかないと土壌の肥沃度は回復しない。効率性や低コストといった経済性を追求した結果が、土壌にしわ寄せされているといえる。
温暖化が進めば寒冷地は暖かくなるから作物ができるという楽観論もある。ロシアが一つの事例であるが、国土の一部を除きそれほど農地は豊かでない。栽培する作物の種類が増え生育期間は延びるかもしれないが、ロシア南部では逆に高温によって不作になる可能性もある。
一方で困った問題は、肥料の原料となるカリウム、尿素、リン鉱石などがロシアに集中していることだ。ロシアは肥料を製造し輸出しているが、その原料も輸出している。肥料をつくるのに原料を融解し粉状にしなければならないが、その過程で多くのエネルギーを使う。たまたまロシアは天然ガスが豊富だからでそれができた。ところが、ロシアがウクライナと戦争したばかりに世界的に肥料の原料および肥料の輸入が制限されている。そのため肥料価格が高騰し、世界の農業に深刻な影響を及ぼしている。
「水の輸入国」日本
――かねてから「水」問題が指摘されていますが。
板垣 アメリカでは地下水の水位がどんどん下がり、汲み上げるのにコストがかかる。アメリカの穀倉地帯である中西部は主にトウモロコシや大豆、小麦などを栽培しており、またここは世界有数の肉牛飼養地帯でもある。肉牛は大量の水を必要とする。1㌔の牛肉をつくるには1万5千㍑の水が要る。飲む水のほかにエサとなる飼料の栽培にも大量の水を使う。牛は比較的体温が高いため、気温の高い状態が続くと炎症を起こしやすい。それを避けるため牛に放水したりする。これも相当な量になる。
日本にとってオーストラリアは最大の牛肉輸入国。ここでもアメリカと同様に大量の水が使われていることに変わりはない。日本は水が豊富に存在するが、世界から見れば、「水の輸入国」でもある。
――アフリカで農業開発支援プロジェクトに携わっていますが。
板垣 SDGsが掲げる17の目標の第1に掲げられているのが「貧困をなくそう」、第2が「飢餓をなくそう」。それだけ世界的に切実な目標であるが、コロナ禍の間に飢餓人口は逆に増えてしまった。飢餓というのは絶対的な栄養の不足。アフリカの場合、4人に1人が栄養不足の状態にあり、非常に緊急性を帯びている。しかも人口が現在14億弱だが、10年後には24億になる。そのときの世界人口は90億近くになる。その4分の1がアフリカの人口、さらにその4分の1が飢餓線上にあり、いかにアフリカで食料が不足しているかが分かる。
エチオピア、ソマリア、ケニア、コンゴ、カメルーン、中央アフリカ、ナイジェリア等が特に深刻で、やはり経済的に貧しい国、紛争が多い国々に顕著に現れている。最近ではフーシー派が台頭するイエメンでも食料不足が深刻です。
日本の農業分野に対する国際協力は、途上国の中でアフリカを中心に行われているが、日本のODA(政府開発援助)予算は年々減少してきている。政府予算の多くが防衛費などにまわされ、現在ではODA予算が最も多かったときの半分ぐらい。できるだけ民間セクターの力も借りて国際協力を担ってもらおう、という方向に舵をきっている。
アフリカ農業支援
アフリカの国際農業協力では、日本は4つの柱でもって進めている。1つめはコメ増産技術の向上、2つめは栄養改善、3つめは売れる農業、4つめは気候変動対策。かれらの主食はイモやトウモロコシだが、国によってはコメがだいぶ出回ってきた。コメは貯蔵が利くし、調理が簡単なので好まれている。栽培には水稲もあれば陸稲もある。しかしながら、陸稲作は収量が上がらない。日本は水稲作、陸稲作ともに技術支援してきた結果、比較的よい成果が出ており、支援している国から高い評価をいただいている。
栄養改善では、既存の作物に不足しがちなミネラルとかビタミンを含む品種を開発している。また従来の調理法では穀物や野菜などの栄養素が十分に留まらないため、栄養を保持する調理法を教え、また燃料を効率よく使うためにカマドの改良も指導している。日本で行っている食育が現地でもショクイク(Shokuiku)として受け入れられ、食生活の改善が実践されている。
売れる農業というのは、農家が自ら市場を調査して何が売れそうな農産物なのか、何が高く売れそうな農産物なのかを確かめてから、計画的に作物を栽培し販売するというものである。これまで買い手である商人の言い値に販売を任すままであったが、生産者側も交渉して価格を決められるようになり、その結果収入が増えていって農家から喜ばれている。
気候変動対策は、灌漑施設を改善して水を圃場へ安定的に供給するとともに、土壌に有機物や堆肥を投入、被覆作物を圃場に植え付けし、また輪作などの作付体系により、土壌の乾燥を防ぎ、土壌を豊かにし、さらに二酸化炭素など温室効果ガスの大気への放出を抑えるための技術支援である。
農業が環境・資源を保全
――農業と環境は密接につながっています。両立するには。
板垣 日本の食料自給率(カロリーベース)は38%とかなり低い。その一方で、食料・農産物の輸出に力を入れている。インバウンドの効果もあって日本の食事=和食に対する評価が高まり、ここを輸出に向けた商機としている。しかしながら、輸出品目は極端に片寄っている。サシの入った牛肉、ウイスキー、リンゴなどの果実、水産加工品など。言い換えれば、不足する原材料を海外から輸入し加工して輸出しているのが実態です。
栽培している作物によって異なるが、稲作就業者の平均年齢はおよそ75歳。この人たちがリタイアーしていけばはたして後継者はいるのだろうか。耕作放棄地はさらに増えていくだろう。彼らに代わって農業法人に引き継いでもらうという政府の方針はあるが、このままでは米価が低いのでコストを十分に補い切れず、収益が上がらなければ、新規の就農者も増えず法人もまた農業を諦めるかもしれない。日本人のなかには、食料は安くて当たり前という感覚がある。食料価格が少しでも上昇すればすぐに政府が悪いとする。
しかし農業(林業・水産業含む)によって、環境や資源が保全され、景観が維持され、農村の文化や伝統も守られている――というように考えなければならない。農業をコメなど農産物の量や価格だけで判断するのではなくて、農業が営まれる背後にある環境の側面にも貢献しているといったように目を向けてもらいたい。そういう観点から農業をもう一度見直し、コメや農産物の量と価格は妥当なのか、持続可能な農業で環境の保全と共生できているのか。すなわち「食・農・環境」を一本にして考えて欲しいのです。
2024/9/19
共生特集 浄土真宗本願寺派 外から見えぬ被害、未だ復興せず 能登町・松岡寺でボランティア① 門徒が活躍 本紙記者も体験
軽トラ本願寺号に廃棄家具を積む川井氏と粂氏 北陸の浄土真宗本願寺派寺院は能登半島地震で甚大な危機に陥っており、宗派の公式発表によると、8教区513カ寺(加えて直轄寺院である別院6カ寺)に被害があった。発災直後から総局の指示で状況の調査が始まった。あわせて京都の宗務所から第1次復旧支援隊が石川県に入ったのは1月4日。同月8日には金沢別院(金沢市)に「能登半島地震支援センター」(以下、センター)が設置され、本格化した。
センターは現在まで、被災寺院の整備や炊き出しといった直接支援だけでなく、全国から寄せられた物資の分配、ボランティアの受け入れなどコーディネート業務にあたっている。9月8日、記者は鳳珠郡能登町の松岡(しょうこう)寺(波佐谷真充住職)における、災害ゴミ搬出ボランティアに参加した。
前日夕方にセンターに入った。参加者は川井周裕センター長、記者、それに女性ボランティアの3人だけだという。正直、少ないと思ったが「ゴールデンウィーク以降はボランティアはずいぶん減りました。被災地の情報の報道もあまりされていませんから」と川井氏は話す。センターではボランティアのための長靴やヘルメット、手袋などが十分に用意されていた。衣服や食料などの支援物資の箱も積まれている。
ボランティアはセンターに無料で宿泊することができる(寝具を提供。風呂・食事はなし)。金沢別院も本堂や山門など被害が大きかった中で受け入れに奔走している。泊まる広間のテレビには金沢市内で行われた復興マルシェの短いニュースが映ったが、能登の様子は流れなかった。11時に消灯。
翌朝7時半に2台の車で出発した。記者の乗った車を運転したのは一般ボランティアの粂亜希子氏。愛知県西尾市の教蓮寺の門徒で、この日で被災地入りは13回目。「困っている人が周りにいたらやっぱり助けるんじゃない?自分もいつ困るかわからないんだよ…お寺の日曜学校で、どうしてボランティアするの?と聞いてきた子にはそんなことを言いましたね」と話す。のと里山海道(高速道路)を北上し能登町へ。約130キロ約2時間半の道のりだ。「これでもずいぶん早く着くようになったんですよ」と粂氏。冬から春、道が悪かった時期には4時間半かかったため、朝5時半に出発したのだという。ちなみに、途中のパーキングエリアには本願寺派門徒が出している特産品の店もあり、帰り道に「爆買い」で支援することもあると教えてくれた。(続きは紙面でご覧ください)
2024/9/19
共生特集 立正佼成会 月に一度のあおぞら図書 関係人口で地域盛り立ても
図書館ホールを活用した遊びスペースでボール投げに興じる子どもたち 東京都杉並区和田にある立正佼成会附属佼成図書館は昭和28年(1953)に開館。70周年を迎えた昨年5月から新たな取り組みを始めた。それが「あおぞら図書」である。普段は静寂なロビーは子どもたちの声が響き、ボール投げや輪投げなどに興じる。来場者は子どもたちだけではなく、幅広い年齢層に及んでいる。
佼成図書館が主催し、地元町会と自治協力会が協賛するあおぞら図書は、毎月第3土曜日の午前10時から午後2時までだが、夏休みの8月は25日の日曜日に開かれた。絵本をはじめ書籍が置かれ、読み聞かせも行われる。この日は特別に視聴覚ホールで地域のフラチームが出演し、練習の成果を披露した。
注目は鉄道模型(Nゲージ)。およそ2㍍四方のテーブルの上にレールが敷かれ、各種の車両が走り回る。これを目当てに、マイ電車を持参する親子もいる。レールの内側にあるジオラマをよく見ると立正佼成会本部周辺である。
あおぞら図書の“仕掛け人”は橋本雅史教団常務理事。中央学術研究所長などを兼務する。
「関係人口という考えがあります。『ソトコト』編集長の指出一正さん、『東北食べる通信』編集長の高橋博之さんが7年ほど前に唱えました。人口減少が続いている島根県の山奥に多くの若者が行くようになり、徳島県や和歌山県田辺市でもそうです。例えば、月曜から金曜までは都市圏で働き、週末は田舎で過ごすというものです。ただ過ごすのではなく、道路の補修など高齢者ではできないことを自分事として作業する。立正佼成会は関係人口の考え方を採り入れることが出来るのか。それが最初の問題意識でした」
蔵書数20万冊の図書館。専門書・宗教書も豊富。しかし活用されているとは言い難い。さほど地域社会に知られていない――。そんな状況を打開して「佼成図書館のファンクラブ」をどう作るか。橋本氏の基本方針は明解だ。▽お金をかけない、▽他者からアイデアをいただくのではなく自分たちが考えできることをする、▽生き生き、ワクワク、みんなが喜ぶこと、▽もちろん安全第一、というものだ。
2年後に閉園が決まっている府中佼成幼稚園の園長でもある橋本氏は、子ども用の椅子や遊具、絵本などを運び入れた。「すべてタダです」と橋本氏は笑う。人気の鉄道模型も橋本氏の私物。利用されていることに本人も目を細める。
橋本氏がこんな企画があるよ、とあるグループに声をかけところ、「平均85歳」の女性たちが「手伝いたい」と手を挙げた。読み聞かせをしていると、「元気をもらえる」と彼女らの生きがいにもなっている。(続きは紙面でご覧ください)
2024/9/19
共生特集 曹洞宗 〝杖〟のような存在に 自死者供養の会が17年目
茶話会の準備をする僧侶たち 自死者の遺族や知人が思いを分かち合う自死者供養の会「祈りの集い」が7日、東京・芝の曹洞宗檀信徒会館で営まれた。教団がグリーフケアの場を継続して設けるまれな取り組みは今年で17年目を迎えた。
祈りの集いを始めたのは2008年。国内の自死者数が年間3万人を超える状態が続いていた時期だった。「社会とつながり役立ちたい」との思いで立ち上げ、宗教者が向き合うべき問題として残された人たちの支えとなっている。
毎年2回、3・9月の彼岸の頃に開催。北海道から九州の広い地域から参加がある。宗教・宗派は問わず、法要は曹洞宗の作法で執り行う。半数ほどは宗門の信徒でないという。コロナ禍に申し込み者のみ視聴できるオンライン配信を開始し、遠方の人や高齢者も参加しやすくなった。
総合研究センターと宗務庁の職員が主体となって営んでいるが、管区教化センターや宗務所、一般寺院など希望する僧侶も研修を受けた上で参加している。取り組みが広がってほしいとの願いもある。
この日は約30人が来場し、約100人がオンラインで参加した。参加者は位牌のほか腕時計や財布、衣服、キーホルダーなどの遺品を持参する。当日に来られない人のために預かった手紙なども祭壇に供え、亡き人へ祈りを届けた。法要後には僧侶も加わって茶話会を開き、悲嘆を分かち合う時間を過ごした。手紙などは集いに関与する僧侶が寺院で供養し、お焚き上げしている。
「大事な人を自死で亡くす悲嘆が消えることはないのかもしれない。だから、必要なときに寄りかかってもらえる“杖”のような存在になれたら」と、2008年の初回から集いに携わる同センター未来創生研究部門主任研究員の久保田永俊氏は継続の重要性を強調する。「死は誰もが迎え、死別の悲しみは誰もが直面しうる。普段通りに接することも大切なことです」と話す。
20年近くの歳月を経る中で「巣立つ」人もいる一方で、高齢で来られなくなった人もいて、時には異変を感じ取ることもある。なるべく特別視しないよう心がけるが、個別に交わす手紙の文中に違和感があったときには僧侶から連絡することもある。
親族ではない恋人や友人などは法事に呼ばれない場合があり、そうした関係者からの求めもあって参加者は遺族に限定していない。LGBTQの当事者もいる。中には葬儀や法事も十分な形で行えなかったり、自責の念を抱え込んでいたりする遺族もいる。
久保田氏は「悲嘆を表出できない人をどうやって受け止めるか。安心して悲しむことができるように、宗教者が受け皿となれるよう努めたい」と語った。
2024/9/19
佐賀空港オスプレイ訴訟 地元住職意見陳述 「中立」は戦争への加担
民間空港である九州佐賀国際空港(佐賀空港、所在地=佐賀市)に輸送機オスプレイを配備する陸上自衛隊駐屯地が建設されつつある中、九州住民による反対運動が広がっている。7月28日には住職を含む245人が原告となり、国を相手どって駐屯地建設工事の差し止めを求める訴訟が提訴された。今月6日には第1回口頭弁論が佐賀地裁で開かれた。
この訴訟は先行して4人の漁業者・地権者が差し止めを求めた裁判との併合審理となっている。原告の共同代表の一人である藤岡直登氏(佐賀市・浄土真宗本願寺派真覚寺住職)は意見陳述で、仏教界がかつてのアジア太平洋戦争で侵略戦争に協力し、門信徒を死地に赴かせつつ教団を維持してきた歴史を振り返り、「その反省・記憶は風前の灯」と危惧。2014年に集団的自衛権を政府が容認したことをはじめ、防衛予算の増加、沖縄などでの軍事基地新増設などを挙げ「その大きな動きの一つとして佐賀の地元でオスプレイ基地がいま着々と造られている」と強く問題視した。
藤岡氏は、他の僧侶から寺は政治的に中立でなければいけないという声も聞いたというが、「中立」を口実に沈黙することは「大きな動きを支えつつのみ込まれること」だとし、4人の地権者(陳述書によるといずれも真宗門徒)を孤立させてはならないとの思いから提訴したと裁判官に告げた。
藤岡氏は真宗遺族会会員で、長く平和運動に取り組んできた。原告共同代表には日本バプテスト連盟牧師の野中宏樹氏も加わっている。国は12月6日の次回期日で反論する予定。
佐賀空港へのオスプレイ配備は安倍政権下の2014年に小野寺五典防衛大臣が古川康知事に計画を告げたことから始まる。中国の軍事力の増大等を理由に島嶼部防衛のための兵器増強を企図する政府と、赤字が続く空港側の思惑が一致したとみられる。昨年6月に駐屯地は着工され、住民の反対運動は加熱。佐賀空港駐屯地に配備される予定のオスプレイが暫定配備されている千葉県木更津市でも、墜落事故や低空飛行による家屋の損傷を危惧する声がある。
2024/9/19
念法眞教 開祖生誕139年祭挙行
お祝いの歌を熱唱する園児たち 念法眞教は9日、大阪市鶴見区の総本山金剛寺で開祖小倉霊現初代燈主(親先生)の「ご生誕139年祭」を挙行した。全国の支院主管者や専従教師、各地の信徒ら約1700人が参拝。桶屋良祐燈主を導師に法堂で「報恩お誓いのお勤め」を営み、来年4月1日に開白する立教100年大祭に向けて親先生への報恩行となる現世界極楽浄土実現への精進を誓った。
親先生の御影の前で、僧侶と信徒が心一つに阿弥陀経を読誦。念法眞言、念法開祖御宝号を力強く唱和して祝祷を捧げた。
続いて記念式典。明治19年9月9日の重陽の節句という「9=苦」が「3つもある」日に生まれた開祖の言葉「世の中の全ての人の苦を取るために生まれてきたと思っている」を再確認し、「久遠実成阿弥陀如来の応現身」として年間300日以上全国を巡教した親先生の足跡を胸に刻んだ。
支院主管者代表5人が、親先生にケーキのプレゼントを順番に贈呈。手渡された桶屋燈主が開祖御影の宝前に届けた。
桶屋燈主は、親先生の言葉「私の姿が見えなくなっても、永遠に念法信徒を守り、幸せになってほしいと願っている」を紹介。「念法信心の同行二人」を説き、「来年は立教100年、親先生は140歳」と述懐した。
念法幼稚園の園児代表66人が登壇。「親先生、お誕生日おめでとうございます」の言葉と共に園児2人が桶屋燈主に親先生へのプレゼントである輪飾りを手渡し、全員で元気よく「お祝いの歌」を合唱した。桶屋燈主からは「親先生からのプレゼント」として、園児たちにお菓子が贈られた。
女性修道生9人がご詠歌踊りを奉納。本山教区コーラス隊のリードで、参拝者全員が「親先生を讃える歌」を熱唱した。
一宮良範教務総長は立教100年大祭のスローガン「おかえりなさい、本山へ」を挙げ、大勢の参拝を呼びかけた。
午後は立教100年に向けて体験発表を実施。当日の様子はモバイル金剛寺で全国配信した。
前日にはコロナ禍以来5年ぶりに前夜祭を開催。法堂内に櫓を組み、約400人が念法音頭や念法小唄から成る念法踊りで太鼓や鉦を叩きながら法悦に浸った。
2024/9/19
亀岡市仏 ゲームで災害時の判断学ぶ 「風水害24」で体感 命が助かる方途 シミュレーション
市仏の防災活動を話した満林会長 「防災の日」の1日、京都府亀岡市のサンガスタジアムで防災研修ゲーム「風水害24」の体験会が行われた。主催はさまざまなゲームのファシリテーター資格を持つ乾昌志氏が代表を務める「JOY&JOIN」。亀岡市仏教会会長の満林晃典氏(曹洞宗真福寺住職)もゲスト参加し、同会の災害への取り組みを語った。
風水害24は慶応大学特任教授の筧裕介氏が代表を務める(特活)イシュープラスデザインが開発した、大型台風が接近する直前の24時間にどのような行動をすれば自分と周りの命が助かるかをシミュレーションするゲーム。農家や愛犬家などから自分の役割を選び、「家の補強をする」「ハザードマップを手に入れる」「テレビで情報を得る」など選択肢を組み合わせ台風が通り過ぎるまでを生き延びるミッションだが、土砂崩れや避難所でコロナが発生するなどのイベントが続発する。スタート時に100点ある体力がゼロになるとゲームオーバーだ。記者も初対面の女性とチームを組んでプレイしたが、農家の役割を選んだため河川敷にあるビニールハウスの補強に向かって失敗、良かれと思ってやった行動で体力が減ってしまうアクシデントが発生。シビアなゲームだ。
風水害24をプレイする様子 自力で逃げられない認知症高齢者や障がい者を助けるかどうかも問われる。助けるにこしたことはないが、無理に助けようとして自分が死んで共倒れになる危険性もある。あるプレイヤーは「声をかけたのに助けられなかったことが心残りです」と感想。乾氏は「そういうモヤッとした気持ちになり、災害の時にどうしたらいいか考えさせられるのもこのゲームの特徴です」と話した。
ゲーム後には満林氏が講話。市仏は昨年10月に亀岡市と、今年3月には同市社会福祉協議会と防災協定を結んでおり、いくつかの寺院は実際に避難者を受け入れた実績もある。満林氏は能登半島に行った際、「市の人から亀岡市は一番に水洗トイレを持ってきてくれましたね、と言われた。能登では未だに水が貴重」と振り返り、市仏でも井戸水を災害時に提供できる取り組みに動いているという。「井戸水を飲むのはハードルが高いが、生活用水になら使える」。
避難所に茣蓙と坐蒲を持ち込み簡易坐禅スペースを作るアイデアも。「避難所で坐禅なんてやってる暇があるのか?と言われるかもしれませんが、さっき風水害24をやってみてどうです?地に足がつかなかったでしょう?」と気づかせ、そういう時にこそ坐って心を落ち着け、限られたリソースの中で何ができるかを考えるべきだとした。
2024/9/12
仏教と社会のつながり学ぶ 武蔵野大の学生が刑務所訪問 教誨の現場をフィールドワーク 教誨師を選択した仏教者に触れる
府中刑務所庁舎 浄土真宗本願寺派の宗門校・武蔵野大(東京・有明)が開講する仏教と社会のつながりを探る授業で、1年生の18人が3日、宗教教誨の現場となる府中刑務所(東京都府中市)を訪れた。実際に教誨が行われる教誨室などを見学し、教誨師からも話を聞いた学生たちは、分け隔てなく受刑者と向き合う仏教者の姿勢に触れた。
授業は「仏教三昧フィールド・スタディーズ」。同大では主体的な学びや実践力の強化に向けて学外学修を行う必修科目があり、国内外で実施される約70の授業から選択できる。「仏教三昧」はその一つで、受講者が抽選になるほど人気があるという。名刹や美術館を訪れて仏教文化に親しむほか、教誨師の営みを通して仏教の社会実践を学ぶ。
来年に巣鴨から移転して90年を迎える府中刑務所は収容定員2668人の国内最大の刑務所で、再犯者や外国人など現在1700人弱を収容する。学生たちはこの日、調査官から現状の説明を受け、刑務所が抱える課題についても考えた。
約2割が高齢者
受刑者数は人口減の影響もあってほぼ右肩下がりだったが、昨年から増加に転じ今年も増加傾向にある。外国人が370人近くを占め、専門の国際対策室が約20カ国語で対応している。ほとんどは初めての入所となるが、累犯者が多い日本人の入所回数は平均5回。最多は25回の受刑者もいる。
暴力団排除条例施行以前の2000年前後には約7割に上った暴力団関係者は約4割に減少。そのため、現在は多数を占める高齢者や疾患のある受刑者向けの運営に切り替わっている。受刑者の約2割が高齢者で、最高齢は95歳。精神疾患や身体疾患で医療上の配慮が必要な受刑者は約7割いる。
受刑者一人あたりの収容費用は年間約300万円。医療費も国費から支出されている。受け入れ先のない出所者の再犯率は6割以上で、2人に1人が再び刑務所に戻るという。再犯を繰り返し、通算50年以上入所する今は高齢者となった受刑者もいる。
調査官は「批判もあるだろうが、出所後の住居や職を探すなど社会復帰の手立てに力を入れている」と話した。
東本願寺の厨子を安置
生体認証が必要な扉が解除され、学生たちは高さ4㍍の塀の向こう側に入った。通常の参観コースとは異なり、特別に教誨室へ向かった。仏教と神道、キリスト教の3部屋がそれぞれ別に設置されているのは珍しい。
10畳以上の広さがある「仏教教誨室」は畳敷きで、部屋中央にテーブルと一対の椅子が置かれていた。仏壇には阿弥陀如来像が安置されている。同行した府中刑務所教誨師会の田澤衛会長(港区・本願寺派広称寺住職、東京都教誨師会会長)は「刑務所が用意した仏さまではありません。真宗大谷派の志ある教誨師によって持ち込まれました」と説明した。部屋の脇には坐禅用の坐蒲が積まれ、禅宗の教誨師が使用している。「神道教誨室」は天理教の教誨師も利用。祭壇が設けられ、「神道」と書かれた扁額が掲げられていた。(続きは紙面でご覧ください)
2024/9/12
日蓮宗現代宗教研究所・中央教研 仏教は戦争を抑止できるのか 戦争協力検証し人間の本質問う 諌暁や常不軽精神重要
戦中や現在の日本仏教のあり方が問われたパネル討論 日蓮宗現代宗教研究所(現宗研、赤堀正明所長)は5・6の両日、中央教化研究会議を東京都大田区の宗務院で開催した。「仏教から戦争を考える」をテーマに取り上げ、国際政治学や仏教宗派の戦争協力、仏教は戦争を止められるのか、という観点からパネル発表が行われ、終戦80年目を迎える来年に向けて宗門のあり方も議論された。
国際政治学者の池上萬奈氏(立正大学非常勤講師)が「国際政治から見た戦争とは」と題してパネル発表。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエル・パレスチナ戦争の歴史を解説し、国際法の「強制力がない」「内政不干渉」の2原則を説明した上で、戦時中の中立国を例に「戦争をしないと宣言すれば、どこも攻めてこないというのは、あまりにも楽観的」とした。
一方で、大国の意向が反映される理不尽な国際政治の現実において、軍事力や経済力といった国力(ハードパワー)だけでなく、多くの国から信頼される文化や国民性で他国を惹きつけるソフトパワーの重要性を指摘。「個々人の力が大きなソフトパワーを生み出す、そこに仏教やお題目の力もあるのではないか」と提起した。
「近代以降の日本仏教諸宗派の戦争に対する立場と主張について」と題して発表したジャーナリストの鵜飼秀徳氏(浄土宗正覚寺住職)は戦中における各宗派の植民地政策の中での大陸布教や戦闘機・軍艦の献納、従軍僧の派遣など戦争協力の歴史を振り返った。
今でも寺院に残る戦時戒名や顕彰碑など寺院の戦争の痕跡を辿りながら、「なぜ慈悲を説く仏教教団が戦争協力をしたのか」を究明。明治維新の神仏分離令と廃仏毀釈まで遡り、「いきなり戦争協力したのではなく、連綿と続く権力構造の中で、各教団が立ち直るために新政府にすり寄るようになった」と指摘した。
兵器の献納では資料を交え、浄土宗が戦闘機に「明照號」、日蓮宗は「立正報国號」と名付けた事例を紹介。「特攻機に宗祖の大師号を付け、言わば〝法然号〟と名付けていた。阿弥陀様の像やお題目が置かれ、お題目の下に特攻機が突っ込んでいった」と各宗派の協力体制を繙いた。
現宗研の赤堀所長は「人はなぜ戦争をするのか」と題して発表。アインシュタインとユングの書簡を手がかりに、思想家ロジェ・カイヨワや心理学者のフロイトの戦争への見方を紹介し、戦争が人間の本能に根差す行為であるとして、「仏教は戦争の原因となり得るか」「仏教は戦争を止めることができるか」を考察。
ロシアのウクライナ侵攻や戦前の日本の状況などを見ながら、人間の善悪や帰属意識によって唱えられる正戦論を社会学者ユルゲンスマイヤーのコスモス(秩序だった意味の体系)思想から説明し、「社会主義や民主主義に限らず、秩序だった意味の体系を人々に提供する宗教も戦争の原因になり得る」と危惧した。
その上で、「人間に闘争を好む本性があるからこそ、同時に相反する慈悲の心が発揮されるのが釈尊と宗祖が説く仏教」と説示。釈尊と宗祖に共通する為政者に仏教を説き続ける「諫暁」や敵であっても敬う「常不軽」の精神の重要性を語った。
パネル発表や登壇者の討論を受けた分散会では6グループに分かれて議論が行われた。2日目の全体会議では、来年の終戦80年に向けて宗門のあり方を問い直し、声明文を出すべきではないかとの意見も見られた。
2024/9/12
パイプオルガン演奏しガザ地区の平和を願う イスラエル出身 ガザヴィさん 立正佼成会大聖堂に響く
大聖堂7階で演奏するガザヴィさん イスラエル生まれのキリスト教徒(カトリック)でエルサレムのフランシスコ会聖地特別管区首席オルガニストのヤクーヴ・ガザヴィさん(35)の演奏会が7月下旬から9月上旬にかけて開かれた。6会場のうちキリスト教会が5カ所。唯一仏教施設で行われたのが東京・杉並の立正佼成会大聖堂。8月31日夕、紛争が続くパレスチナ・ガザ地区の平和を願うパイプオルガンの音色が響き渡った。約700人が聞き入った。
ガザヴィさんを招へいした認定NPO法人聖地のこどもを支える会の井上弘子理事長がコンサートの趣旨と活動について説明。30年程前に聖地で物売りをする子どもたちに出会い、その子どもたちを支援しようと設立されたのが同会だが、戦闘に直面し「なんとかガザを平和にしたい」という思いから企画した。
大聖堂にカトリックの音楽が響き渡った ガザヴィさんは4階から演奏場所の7階に移動。ポール・フェイ作曲の「プレリュード(前奏曲)」を皮切りに、予定の5曲とアンコール1曲を次々に演奏。本尊・久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊と共に参加者たちはパイプオルガンの響きを五感で聞き、感じ取った。
演奏後、挨拶したガザヴィさんは、「まずはヒロコさんにありがとう」と今回の来日とコンサートに尽力した井上理事長に感謝。続けて立正佼成会と参加者に「ホントウニアリガトウゴザイマス」と日本語で謝意を伝えた。
ガザヴィさんはさらに、「昨年10月7日に戦闘が始まりましたが、じつは何十年も前から続いているのです。ガザは人道危機に直面しています」と吐露。一方で「人質となった方々が早く家族の元に帰れることを願っています」と拘束されているイスラエル人の解放も主張し、支援を要請した。
ガザヴィさんは何度も来日し、東日本大震災ではボランティアとして活動した経験もある。
今回の大聖堂での演奏は、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の役員だったカトリックの髙見三明大司教が立正佼成会を紹介したことから実現した。
2024/9/5
エンディング産業展2024 ニーズの多様化を実感 光り墓、前方後円墳、資産コンサルなど 9宗派僧侶による合同法要も
僧侶による合同法要 葬儀・埋葬・供養・相続などの終活産業に関する専門展「エンディング産業展2024」(主催=東京博善)が8月28日から29日まで、東京ビッグサイト(江東区有明)南展示棟で開催され、2日間で計約1万3千人が来場した。
今年は174の企業・団体が出展。34本の専門セミナーやイベントが開かれた。初日は、新型コロナウイルスや能登半島地震の犠牲者を供養する合同慰霊法要が(一社)仏教情報センターの9宗派僧侶によって営まれたほか、俳優の石田純一さんの生前葬も行われ、注目を集めていた。
セミナーの一つ「僧侶のためのエンディング産業展見学ガイドツアー」では、講師の薄井秀夫・寺院デザイン代表と僧侶参加者らが出展ブースを巡り、最新の動向を探った。
同展は今回で10回目。葬儀や仏壇、墓石などを扱う企業の出展が多かったが、薄井氏によると「今は多様化が進んでおり、葬儀や墓石もどれかがメインストリームになることはあまりない。その代わり、カテゴリーを超えた企業の出展が増えている」という。(続きは紙面でご覧ください)
2024/9/5
宗門系大学サバイバル 佛教大学編 伊藤真宏学長に聞く 法然になれ 熱いうちに打てば学生に響く
日本に仏教系大学は多数あれど、「佛教」と大学名に入れている四年制大学はただ一つ、佛教大学(本部=京都市北区)だけだ。明治元年(1868)に浄土宗総本山知恩院内に設置された勧学院を淵源とし、1913年設立の佛教専門学校など組織は変遷しながら昭和24年(1949)に新制大学として発足した。定員80人の仏教学部仏教学科だけの単科大学だった佛大は、現在、市内に2つの拠点キャンパスと3つのサブキャンパスを持ち、通学生・通信生を合わせると1万1千人を超える大型大学に。そんな中で僧侶養成の意義は何なのか。伊藤真宏学長がユーモアもふんだんに交えて語った。
佛大は開学100年の2012年(山極伸之学長時代)に10年先の目標を掲げた「ビジョン2022」を発表した。その基本方針の第一にあるのが「本学のこれまでの歴史と伝統を踏まえながら、困難な社会状況にあっても、その力を十分に発揮することのできる優れた浄土宗教師の養成につとめます」との一文だ。優れた浄土宗教師の養成は達成できたか。「もちろん、うちの大学を出てすぐに超一流の、世の中の指導者的な僧侶になっているとは思いません。しかし、いずれ超一流の僧侶になれるように4年間の学びの中で根源的な素養は与えられていると思います。卒業して10年後、30年後、あるいは棺桶に足を入れた後でも、檀信徒や一般の人から『あのお坊さんに出会ってよかった』と思ってもらえるように種を撒いているわけです」と、自信をのぞかせる。
「私はよく、学生には『法然さんになれ、なれへんのなら真似だけでもせえ』と言っているんですよ。法然さんの言葉なり行動なり、形だけでも身につけろと」。末法の困難な時代、どんな人でも救われることを示すために浄土宗を開宗した法然上人は、確かに現代でも僧侶の理想像だ。「私たち僧侶のやることは、人を救うという一番困難だけどやりがいのある仕事だ。他の職業と比べても、これほど色々な才覚やテクニックを学ばなければできない仕事はない。これをやりがいを持ってやれるチャンスが君たちにはある…こんなことを言うと、鉄は熱いうちに打てという言葉のように、確かに学生には響いて、わかってくれるんですよ」と相好を崩す。
一方、師僧すなわち親世代にはやや辛口。伊藤学長も寺院生まれだが「浄土宗の問題として、自分の子どもに自分のお寺を継がせることが大きな弊害になっているのではないか」と指摘する。「世襲だと、檀家さんは『住職に子どもがいるからこの寺は安泰だ』と思ってしまうし、そうなると寺の維持も甘く考えてしまう。師僧(親)だって、子どもが跡を継いだら財産も引き継がれて安心だ、となって甘えてしまう。そのように『家業』を継ぐ形になるのは寺の継承とは違う気がします。(良い後継者でないなら)息子であっても寺を継がせない、という覚悟も師僧に必要ですよ」とのこと。生まれた寺でなくてもどこに行っても通用する僧侶こそ、現代に求められているのだろう。(続きは紙面でご覧ください)
2024/9/5
高野山大学 中国・清華大学と提携 高野山フォーラムを共催へ
清華大学を訪れた添田学長(左から5人目)ら 和歌山県高野町の高野山大学(添田隆昭学長)は8月20日、中国・清華大学からの申し出を受けて同大と包括提携を結んだと発表した。清華大学は中国共産党の習近平総書記や胡錦濤前総書記らの出身校。
和歌山県が2021年、清華大学との包括交流を開始。昨冬には和歌山市で記念シンポジウムが開かれ、添田学長もパネラーとして参加した。
その後、基調講演を行った清華大学日本研究センター主任の李廷江教授が高野山大学を訪問。添田学長が弘法大師や高野山の歴史、高野山大学大学院で博士の学位を取得した徐東軍講師(清華大学卒業生)を紹介するなどしたところ、李教授は高野山大学が毎夏、東京大学先端科学技術研究センターと共催している高野山会議に強い関心を示したという。
今年に入り清華大学から県を通して高野山大学に「高野山論壇(フォーラム)」の共催が提案されたのを受け、添田学長が7月24・25日に岸本周平県知事、和歌山大学の本山貢学長らと共に訪中。添田学長は北京市の清華大学で、オンラインも併用して「日中交流史上の巨人 空海」をテーマに基調講演を行った。
翌日、添田学長の帰国を追うように清華大学共産党委員会の邱勇書記と李教授が来日。高野山大学で両大学提携の覚書に署名した。
清華大学の覚書には、高野山会議を念頭に「密教の聖地高野山には深い共生精神が根付いており、宗教・科学・芸術など多分野の学者や実践者を惹き付けている」と明記。高野山大学側は清華大学を「国際的な文化・芸術・教育と産業イノベーションの交流・協力を積極的に推進してきた」と評価している。両大学は共通認識として、「高齢化や環境破壊などの現代的課題に対処すべく、国境を越えた学際的な高野山フォーラムを開催し、未来の世界を共に構想し世界に発信する」と表明した。
添田学長は、「日中両国を代表する東大と清華大は自分たちにはない知恵が高野山にあると考えている」と指摘。「両大学は千年超の蓄積がある密教の智慧の継承者が本学であることを知り、共にその智慧を現代社会の問題解決に生かしていこうとしている」と語った。
2024/9/5
特別読切 最初の特攻死は浄土宗開教師の子息だった! 法政大出身 学徒特攻隊の第1号か 大和隊隊長 久納好孚
久納好孚(法政大学『学び舎から戦場へ』より) 5月下旬、曹洞宗僧侶でエスペランティストの齋藤秀一師の顕彰活動や反戦僧侶の発掘に努めている名古屋・龍潭寺の別府良孝住職から問い合わせメールが届いた。「久納好孚(くのうこうふ)師を御存知でしょうか?」「〇〇寺様(所在知略)朝鮮支院で得度なさったようです。/浄土宗のラゴです」とある(「ラゴ」は釈尊の子どもを示す羅睺羅(ラゴラ)に由来し、僧侶の子どもという意味)。参考書籍として大野芳著『神風特別攻撃隊ゼロ号の男』をあげ、最初期の特攻隊員であるらしかった。それから同著を古書店から購入し、久納好孚(1920~1944)の取材に着手した。
特攻隊が正式に組織されるのは昭和19年(1944)年10月20日。場所はフィリピン。特攻隊の生みの親、大西瀧治郎中将が同月17日、マニラに赴任した。役職は第一航空艦隊司令長官。アメリカ軍のレイテ侵攻を受けて翌18日にはそれに対応するため「捷一号作戦」が発動された。すでに戦局は劣勢状態にあり、大西長官は翌19日に航空機による体当たり攻撃を企図し、参謀たちに打ち明けた。19日夜から20日未明にかけて人員を含めて決まった。隊名は「神風特別攻撃隊」。それまでも体当たり攻撃はあったが、特攻隊と称されるのは、これ以後となる。本居宣長が詠んだ歌〈敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花〉から、敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊で編成された。
10月25日朝、隊長・関行雄中尉率いる敷島隊全5機はマバラカット基地からレイテ島に向かった。米軍艦隊を発見し、250㌔爆弾を搭載した零戦は体当たりを敢行。護衛空母1隻を撃沈し、2隻に損害を与えた。予想以上の戦果だった。そのため最初の特攻攻撃とされた。そればかりではない。大野芳著『神風特別攻撃隊ゼロ号の男』(サンケイ、1980)によると、関行雄中尉が海軍兵学校(70期)出身だったことが大きな要素となった。
しかし、いくつかの刊行物は、久納好孚中尉を特攻第1号と表記する。敷島隊隊員を詳細にたどった森史朗著『敷島隊の五人』(光人社、1981)では、「事実問題として特攻第一号は久納好孚であることはまちがいない」としている。大和隊隊長の久納中尉は10月21日、セブ基地を3機で発進。「特攻攻撃の第一陣」(安延多計夫『ああ神風特攻隊』光人社、1977)とされた。途中、悪天候のために2機が帰投したが、久納機は戻らなかった。戦果は不明である。不時着や山への衝突などが考えられたため、発表も遅れた。昭和19年11月13日公表の連合艦隊司令長官の布告では、「第一神風特別攻撃隊大和隊」の最初に久納の名前が登場。特攻死とされた。24歳だった。(続きは紙面でご覧ください)
2024/9/5
大本山妙心寺 光秀ゆかりの「浴室」 修復資金をCFで募る
特別にこの浴室に入れる返礼品も 令和9年(2027)に迎える微妙大師650回忌の記念事業として臨済宗妙心寺派大本山妙心寺(京都市右京区)の各伽藍の修繕が行われるが、そのうちの一つ、重要文化財「浴室」の修復のクラウドファンディング(CF)が2日から10月31日まで行われている。
浴室は天正15年(1587)、明智光秀の母方の叔父である密宗紹儉禅師を施主として光秀の供養のために創建された、通称「明智風呂」。墓ではなく浴室にしたのは「主君である織田信長を討った逆賊という汚名を洗い流したかったから」という説もあるという。サウナのような蒸し風呂で、昭和初期までは実際に僧侶により使用されていた。しかし前回の修理から40年以上が経ち、劣化が甚だしいと苦境を訴える。
目標金額は1300万円で、限定御朱印や遠諱正当法要への招待など金額に応じてさまざまな返礼品も用意されている。詳細はCFの専用サイト「READYFOR」に設けられた特設ページで。
2024/8/29
文化庁宗務課が回答 宗教法人の指定寄付金制度 原状回復に減築・縮小含む 能登半島地震復興の一助に 申請窓口 包括宗教法人も可能
(文化庁の資料より) 大地震で滅失・損壊した宗教法人施設等の復旧のため、宗教法人が募集する寄附金が一定の要件を満たすと寄附者が税制上の優遇措置を受けられる指定寄附金制度。運用にあたり「原状回復」が条件となるが、規模を縮小した場合も対象となることが明らかになった。本紙が文化庁宗務課にメールで問い合わせたところ、このほど回答があった。
7月19日、日本宗教連盟(日宗連)は石川県七尾市で公益法人セミナー「能登半島地震の地域コミュニティにおける宗教法人の現状と課題」を開催した。その際、文化庁宗務課員が指定寄附金制度と運用方法について説明した。指定寄附金制度は財務省の所管。阪神淡路大震災(1995年)東日本大震災(2011)熊本地震(2016)に続き、能登半島地震で4度目の導入となる。ちなみに熊本地震では26宗教法人が指定寄附金制度の対象となった。
セミナーでは地元、真宗大谷派能登教務所の竹原了珠所長が報告を行い、能登半島全体が消滅可能性自治体であり、過疎と超高齢化が進行し、後継者不在の寺院も多く、寺院の復旧・復興が困難な状況にあると話した。大谷派能登教区には353カ寺ある。
復旧・復興が見通せないなか、寺院の原状回復はできるのか。当日のセミナーでは原状回復の範囲に関する発言はなかった。宗務課に問い合わせたところ今月20日、メールで「原状回復の範囲であれば減築・縮小も原則申請可である旨、財務省から回答を得ました」(宗務課法規係)との返信があった。
すなわち旧伽藍より小さいサイズでの再建計画でも指定寄附金制度の対象となる。セミナーに参加した僧侶は、「過疎や高齢化といった能登の状況は、こちら(東海地方の町)も同じ。仮に災害に遭えば現在の伽藍をそのまま復活させるのは難しい」と述べ、原状回復に減築を含めることを評価する。
セミナーで説明した宗務課員は、東日本大震災と熊本地震では申請し確認を受ける期間は2年間だったが、今回は3年間に延長。その理由として「非常に大きな傷跡を残しており、長期にわたると予想されると財務省が認めた」ことによると説明した。
運用にあたっては、▽募集金額を超えた場合には優遇の対象とならない、▽既存の法人口座ではなく専用口座が必要、▽報告など情報公開が必要――などの注意事項を提示した。
セミナーの質疑で集中的に提起されたのが指定寄附金制度を包括法人(教団本部)が窓口になって欲しいという要望だった。被災した真宗大谷派寺院の僧侶たちが相次いで発言し、より多くの人から寄附を受けるために「一末寺がお願いしても動いてくれない。できれば宗派が窓口になって欲しい」と述べた。制度上は、包括宗教法人が窓口となることは可能だ。なお宗務課によると、これまでに包括宗教法人が指定寄附金制度の窓口となった事例はないという。相談・問い合わせは文化庁宗務課法規係(☏03-5253-4111代表)へ。