最新記事
2025/12/3
広島大学仏教青年会120周年式典 被爆経て復興、平和継ぐ 他分野に有為の人材輩出
音楽法要で学生らが献灯・献華し合掌 (一財)広島大学仏教青年会の創立120周年記念式典が11月23日、広島市中区のホテルで開催され、卒業生や関係者ら約100人が集まった。禅宗と浄土真宗の研鑽を柱に紡いできた、仏教による人間形成の歴史を再確認。被爆地から世界に向けて平和を訴えた、先人の行動と願いを継承した。
音楽法要を勤修し、仏教讃歌を全員で合唱。記念事業推進委員長の松田正典・広島大学名誉教授が表白を奉読し、広大仏青の歴史を辿った。
広大仏青は明治38年(1905)、広島高等師範学校の西晋一郎教授(倫理学者)が学生を集めて開いた「日曜坐禅会」に始まる。同年5月27日、「学生仏教研究会」として発会した。
優れた指導者に恵まれ、有為の人材を輩出してきたが、戦後に一時途絶。細川巌・福岡教育大学教授(広島師範学校助教授)の指導と共に東京・九州両大学の法人格を持った仏青に学び、昭和45年(1970)に本格復興するに至った。
松田氏は、「この120年は人類史上類を見ない激動の時代だった。原爆投下は人類滅亡のトリガーを意味する」と憂慮。昨年、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の創設者が広島高等師範「禅学会」で参禅を積んだ仏青メンバーの森瀧市郎・広島大学教授であることに触れ、被爆し爆風によるガラス片で右眼を失明しながらも原水爆禁止運動に邁進し被爆者援護法の成立に尽力した生涯を敬慕した。広島師範学校に着任した翌年に原爆に遭い、すぐに仏青学生を動員して被爆者支援に奔走した細川氏の活動にも言及した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/12/3
駒込学園100周年祝賀会 建学の精神「一隅を照らす」 次代に応じて活かす
上野精養軒で挙行された100周年祝賀会 天台宗の宗門校、駒込学園(東京都文京区、末廣照純理事長、河合孝允校長)が創立100周年を迎え、11月26日に上野精養軒で記念祝賀会を開いた。天台宗や教育関係者、同窓会や保護者、教職員などが出席して100周年を祝し、建学の精神「一隅を照らす」の意義と学園の歩みを分かち合った。
1925年(大正14)に旧制駒込中学校として設立認可されてから100周年を迎えた同学園。末廣理事長は建学の精神とする伝教大師最澄の教え「道心ある人、一隅を照らす人、まさに国の宝である」に言及。その意味を「自分が求める道を真摯に生きていくこと」「自分自身が自分のいる一隅を輝き照らすこと」と説き、昭和100年と重なる学園の歩みにおいて「常に建学の精神に立ち返り学園の在り方を求めてきた」と披瀝。「これからの50年100年も激動の時代が続くと予想されるが、時代に応じて建学の精神を活かす揺るぎない教育を展開する覚悟」と決意を表した。
江戸期の上野寛永寺にあった勧学講院を濫觴とする駒込学園。河合校長は「江戸・東京の皆さまから学問所として支持され永続できた理由は心の教育にあった」と宗門校の強みを述べた。先人が積み重ねた「汗と努力、子どもたちへの熱情」に思いを寄せながら、教育環境が変化する現代においても「子どもたちがなりたい自分になる可能性を最大限に保証する学園作りを推進したい」と意欲を示した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/12/3
世連日宗委 核廃絶と平和の希望 次世代に 念法眞教大会に500人
宗教界重鎮の全会一致拍手で宣言文を採択 世界連邦日本宗教委員会(会長=田中恆清石清水八幡宮宮司)は11月26日、第44回世界連邦平和促進全国宗教者・信仰者念法眞教大会を大阪市鶴見区の総本山金剛寺で開催した。日谷照應日本宗教連盟理事長、出口紅大本教主ら宗教界の重鎮をはじめ約500人が参加。「将来への希望―若い世代に託せることとは」のテーマのもとに、宗派を超えて祈りを捧げ、宣言文を採択した。
桶屋良祐念法眞教燈主を導師に、一山僧侶が出仕し世界平和の祈りの法要を厳修。桶屋燈主は挨拶で「託す私たちが、託される若い人から、『託してほしい』と言われる人になる。それを目指す日になればありがたいと念じています」と語り、宗教者が神仏の導きに沿って生きる自覚の大切さを述べた。田中会長は山口誓子の句「全長のさだまりて蛇すすむなり」を紹介し、先人の知恵を元とした確かな前進が宗教者の使命だとした。
麗澤大学特任教授で政治評論家の江崎道朗氏が「皇室と終戦80年」の題で講演。1945年、敗戦と占領に真摯に向き合った昭和天皇や、敗戦の日に学習院初等科6年生でありながら「明治天皇のやうに皆から仰がれるやうになって、日本を導びいて行かなければならないと思ひます」と綴った上皇陛下の姿、令和元年5月1日に即位後の朝見の儀で「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たす」と誓った今上天皇という3代の姿を感涙しつつ紹介。「皇室を孤立させてはいけない」と、宗教者がより深く皇室を尊びその心を若い世代に託すよう呼びかけた。
閉会式では横山照泰比叡山延暦寺長臈が宣言文案を読み上げた。戦後70年の山梨大会で核兵器廃絶と恒久平和の実現を目指すと宣言したが「10年の歳月を経た終戦80年、いまだに、世界平和の実現には至っていません。しかしながら、私たちは世界平和への希望を捨てるわけにはいきません。歩みを止めることはできません」とし、若い人たちに明るい希望を託すよう邁進するとして満場の拍手で承認となった。
2025/12/3
日蓮宗・ハワイ日蓮宗別院 終戦80年ハワイ慰霊法要
不戦の誓い新たに 日米両国の戦没者を追悼
真珠湾に沈んだ戦艦アリゾナの真上に建つアリゾナ記念館で追悼式を挙行。参列者が海に献花した 終戦80年にあたる今年は、各宗派や地域仏教会による慰霊法要が各地で営まれている。日蓮宗(田中恵紳宗務総長)とハワイ日蓮宗別院は11月14日、米国ハワイ州ホノルルの同別院で全日本仏教会(全日仏)協賛・日蓮聖人門下連合会の協力の下、終戦80年慰霊法要を執り行った。真珠湾にある慰霊施設アリゾナ記念館でも慰霊法要を挙行。日米両国の戦争犠牲者を追悼し、不戦の誓いを新たにした。現地のハワイ仏教連盟各寺院、日本からの参列者など約70人が参集した。
同別院での慰霊法要は田中総長を導師に営まれた。日本から渡航した全日仏の日谷照應理事長、日蓮門下連合会の田中壮谷国柱会賽主、本門法華宗、法華宗(本門流)の各僧侶、元外務副大臣・元防衛副大臣の中山泰秀氏の他、在ホノルル日本国総領事館の長徳英晶総領事、ハワイ仏教連盟各宗派寺院僧侶ら現地の関係者も参列し、日米両国の戦没者を追悼した。
同別院には、1941年の旧日本軍の真珠湾攻撃で戦死した日本兵65人の英霊簿が納められている。近年、米国側犠牲者2390人の英霊簿も追加。すべての戦没者の慰霊に努めてきた。
法要は、同別院の池永英清別院主任と日蓮宗全国声明師会連合会の濱田壽教会長が副導師を務め、参列者全員が香を手向け、祈りを込めた唱題で追悼。回向文で田中総長が真珠湾攻撃の戦死者・犠牲者に思いを寄せ、英霊簿に記載された日本人65人の名前を読み上げた。(続きは紙面でご覧ください)
2025/12/1
『原爆の図』丸木夫妻と仏教思想を追う レポート(上)
高野山で描いた「水」と「火」 丸木俊 北海道の生家 善性寺には美術室
80年前の8月、原爆が投下された直後の広島に入り、地獄そのものの様相をつぶさに描いた絵画「原爆の図」。日本画家の丸木位里(いり)・洋画家の丸木俊(とし)(赤松俊子)夫妻共作による大作シリーズは、現在に至るまで世界中に原爆の悲惨さを伝える。広島出身の位里は安芸門徒であり、俊が北海道雨竜郡秩父別町の真宗興正派善性寺に生まれたことはよく知られている。仏教界に残る「原爆の図」、そして夫妻の仏教思想を追った。
成福院摩尼宝塔に掲げられた「原爆の図―水」 「原爆の図」の番外編ともいうべき絵が意外な場所にある。和歌山県伊都郡高野町の高野山真言宗成福院の「摩尼宝塔」の中に掲げられているのだ。作品名は「原爆の図―水」と同「火」。「原爆の図」連作15部の中にはカウントされておらず、寸法も小さいが、原爆の炎で黒焦げになり苦しむ民衆、助かりたいと水を求めて飛び込み死んでいった哀れさは、まさに「原爆の図」と共通する主題だ。1959年に成福院で制作されそのまま奉納されたという。
本紙7月17日号で報じたように摩尼宝塔は先代住職の上田天瑞氏がビルマ戦線で散華した兵士のために建立した供養塔で、原爆とは直接関係はない(ただし上田氏のビルマ慰霊に協力したウ・ヌー首相は反核論者として知られていた)。
仲下瑞法住職(金剛峯寺検校法印)は「夫妻が高野山にお参りに来た際にこのお寺を宿坊として3カ月ほどお泊りになられ、上田大僧正と意気投合したというのでしょうか、ここで絵筆をとってお礼に贈られたものと聞いています」と話す。
原爆で友人を失った人が摩尼宝塔のこの絵を見るために毎年参拝していたエピソードが『高野山摩尼宝塔創建二十周年記念誌』に残されている。「小さい子どもが見ると泣いてしまうこともありましたね」と仲下住職は言う。それだけ力のある絵ということだ。
原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)学芸員の岡村幸宣氏は、夫妻の高野山訪問について具体的な理由はわかっていないとしつつ「しかしこの時期に成福院で原爆の絵を描いたのには大きな意味があったと思います」とする。この3年前の1956年、位里の母で画家としても活躍していた丸木スマが強盗に襲われ殺害されていた。「その供養というか、心の救いになったのではないでしょうか」(続きは紙面でご覧ください)
2025/11/27
全日本仏教会 次期会長に持田日勇法主 副会長6人、うち2人が女性
(公財)全日本仏教会(全日仏)は20日、京都市下京区の聞法会館でオンラインを併用して第49回理事会を開催し、第37期の会長・副会長の推戴を満場一致で決定した。同日、同所で行われた記者会見で日谷照應理事長と和田学英事務総長が公表した。任期は来年4月1日から2年間。
次期会長に日蓮宗の持田日勇氏が決まったが、日蓮宗からは金子日威氏(第15期)、藤井日光氏(第26期)以来、3人目となる。
副会長6人のうち2人が女性。沢田教英氏(西山浄土宗管長)と2度目となる東伏見具子氏(全日本仏教婦人連盟会長)。女性が複数選任されたのは初めて。過去の女性副会長には山本杉氏(第17期、全仏婦)、二條恭仁子氏(第25期、全仏婦)、鷹司誓玉氏(第31期)がいる。
2027年の第48回全日本仏教徒会議東京大会(法人設立70周年記念大会)もこの会長・副会長で迎える。なお来年6月の評議員会で新たな理事が選任されたのち、新理事長・事務総長が決定する。
第37期会長・副会長は以下の通り。
会長=持田日勇・日蓮宗総本山身延山久遠寺法主
副会長=武田圓寵・天台真盛宗総本山西教寺貫首・同宗管長
副会長=沢田教英・西山浄土宗総本山光明寺法主・同宗管長
副会長=松村隆誉・真言律宗総本山西大寺長老・同宗管長
副会長=小澤憲珠・東京都仏教連合会会長、浄土宗大本山増上寺法主
副会長=山下俊茂・福岡県仏教連合会事務局長
副会長=東伏見具子・全日本仏教婦人連盟会長
2025/11/27
京都華頂大学が募集停止 幼稚園と高校は存続 少子化や共学化志向で
浄土宗の宗門関係学校である京都市東山区の京都華頂大学・華頂短期大学は20日に記者会見し、2027年度以降の学生募集を停止すると発表した。13日に開かれた㈻佛教教育学園(田中典彦理事長)の理事会で決定していた。少子化に直面したための苦渋の決断だ。
華頂短大は㈻華頂学園により1953年に設立された。「華頂」は浄土宗総本山知恩院の山号。京都華頂大学は短大の一部を改組して2011年に設置された。いずれも女子大で、これまでの卒業生3万2千人は教育・保育・福祉などの分野で活躍している。
「しかしながら、近年の急激な18歳人口の減少や女子の共学志向の高まりなど、社会的環境の変化は極めて厳しく、ここ数年は入学者が定員を下回る状況が続いております。このため、新学部・新学科の設置などあらゆる方策を講じてまいりましたが、今後の持続的な運営を見通すことが困難」とし、募集の停止に至ったとしつつ、在校生にはこれまで同様に学生生活を支援していくと約束している。また、短大附属幼稚園ならびに華頂女子高等学校は存続する。
なお、2002年に㈻華頂学園は㈻浄土宗教育資団と合併し、2009年には㈻佛教教育学園に名称変更している。
光華女子大は共学化 京女大は女子大宣言
京都の仏教系女子大はほかに、真宗大谷派系の京都光華女子大学と浄土真宗本願寺派系の京都女子大学がある。光華女子大は来年4月より男女共学化。幼稚園から大学・大学院までの全ての設置校において男女一貫教育を実施できる体制に移行するほか、大学名を「京都光華大学」に変更予定。あらゆる価値観を持つ人々がともに輝く社会の実現に向けた人間教育をし、男女の隔てなく全ての人間を対象とする仏教精神の原点に立ち戻るためとしている。
京女大は今年7月、竹安栄子学長名で「女子大宣言」を発表し、「創立以来の建学の精神に基づき女子大学であり続ける」「女子大学という環境だからこそ、性差にとらわれることなく、一人ひとりが対等な関係の中で学び合い、自立した“人”として成長することを可能にします」としている。
2025/11/27
日本香堂 盆フォト2025 入賞15作品を発表 最優秀賞は「迎え火」
最優秀賞に選ばれたhiroさんの「水辺に灯る迎え火」 薫香メーカーの日本香堂(本社=東京都中央区、土屋義幸社長)は今夏にSNSで募集した「お盆っていいなフォトコンテスト2025」の受賞作品を発表した。応募総数1307件の中から最優秀賞、優秀賞、日本香堂賞など15点の作品を選出した。
「お盆」の行事や里帰りをして過ごす家族との時間。心温まるお盆の風習を多くの人と共有、共感しようと始まった「盆フォト」。Xとインスタグラムで「お盆っていいな」という瞬間の写真とエピソードを投稿してもらう。昨年に続き2回目となる今年は、応募期間の7月1日から8月24日の間に1307件の作品が集まった。
最優秀賞(1人)に選ばれたのはhiroさんの「水辺に灯る迎え火」。愛媛県伊予郡松前町大間地区のお盆の伝統行事で、〈板に乗せた麦わらに火をつけ下流まで引っ張って、故人の霊を迎えます。毎年、特別な思いで見させていただいてます〉とエピソードと共に投稿された。迎え火と夕暮れの色が重なる美しい光景をおさめた。
優秀賞のあっくんパパさんの「元気に里帰りをご報告!」 優秀賞(3人)には、あっくんパパさん「元気に里帰りをご報告!」、文さん「貫禄ある背中」、バルディビアさん「久しぶりの父に」。このほかにも日本香堂賞1人、さだきち&青雲くん賞10人の合計15作品が選出された。
最優秀賞の賞品はオリジナルクオカード5万円分と銀座らん月特撰国産黒毛和牛A5ランクすき焼きセット2万円相当(4人前)、優秀賞賞品はオリジナルクオカード2万円分と銀座らん月すき焼き折詰1万円相当(4人前)。入賞者には日本香堂の商品など豪華賞品が贈られる。
特設サイトでは入賞作品15点をはじめ、みんなが投稿した「盆フォト」も見ることが出来る。
2025/11/27
智青連 特攻隊員だった祖父の手記 映像化した副住職が講演
「記憶を記録する」というテーマで話した内田氏 真言宗智山派・智山青年連合会の「戦後80年戦没者慰霊法要」(千鳥ヶ淵戦没者墓苑)が営まれた6日、法要前に東京都港区の別院真福寺で講演会が開かれた。特攻隊員だった祖父の手記を基に短編アニメーション映画「飛べなかった燕」(日本大学芸術学部映画学科の卒業作品)を制作した映像作家の内田寛崇氏(27・東京都北区・大満寺副住職)が、「記憶を記録する」と題して話した。
内田氏の祖父で先代住職の内田永(えい)明(みょう)氏は、大正大学2年生の20歳の時に学徒出陣。陸軍航空隊に配属された。特攻隊に志願してから撮った遺影を示した上で、「昭和56年8月16日に58歳で亡くなった祖父には、一度も会ったことがない」と明かし、「祖父は戦争の話をあまりしなかったそうだが、私にはその沈黙がずっと疑問だった。何を封じていたのか。祖母がタンスから出してきた祖父の手記『生と死の谷間』を、高校3年生の夏に読んだことがスタートになった」と振り返った。
「祖父の手記は、『私は戦争という体験の中で特攻隊という死の宣告を受けた…』という書き出しで始まる。それまで戦争を過去の悲惨な出来事としか思っていなかったが、戦時中を生きた祖父の孫と自覚した時、戦争は自分の血に流れている記憶だとわかった」 (続きは紙面でご覧下さい)
2025/11/25
比叡山全域の僧墓を調査 南光坊天海の墓塔を発見 法藏館『総覧』著者 小川善明氏に聞く
15年をかけて『比叡山延暦寺僧墓総覧』を完成させた小川氏 仏教書出版の老舗・法藏館(京都市下京区)はこのほど、天台宗の総本山である比叡山(滋賀県大津市)の全域三塔十六谷に点在する僧墓2500基を初踏査した『比叡山延暦寺僧墓総覧』(B5判・全3巻・総1228頁・価9万3500円)を刊行した。著者は在野の研究者で京都市伏見区在住の名墓探訪家・小川善明氏(76)。15年の歳月をかけて全墓に参り、埋もれていた墓も発見するなどした上で全墓碑銘を翻刻した。写真と共に、全墓塔に番号を付した自作の地図等を収載。登叡は650回にも及び、これまで不明だった、徳川家康の懐刀・南光坊天海の墓塔も発見した。
比叡山には東塔に5カ所、西塔に5カ所、横川に6カ所の谷があり、かつては「三千坊」と呼称。それぞれのエリアで多様な行が営まれ、特色のある教学が生み出された。
日本仏教史に燦然と輝く比叡山の行と学。だがそれらを担った僧侶たちの事績を窺い知ることができる墓碑に、文化財としての保存や研究の光が当てられることはなかった。
骨墓と供養塔
小川氏は延暦寺一山の住職に各塔頭の墓の場所を尋ね、山内の谷々を隈なく歩いて墓を探し、地図を作って一つずつ書き入れていった。墓は主に江戸時代のもので、遺骨を埋葬した骨墓と供養塔が混在。多くは供養塔だった。「中々見つからず、人跡が絶えて道がない場所にある墓も少なくなかった。スズメバチに刺されたり、イノシシに出くわしたりもした。傾斜がきつくて、谷に落ちそうな所もあった。約350基の墓が落下して溜まっていた所も全て調査した」(続きは紙面でご覧ください)
2025/11/20
神奈川県仏教会成道会 和尚さん10分法話ぐらんぷり
5宗派5人が競う 川崎大師職員 渡部純哉氏が最優秀賞に
トロフィーを手に喜びを語る最優秀賞の渡部氏 神奈川県仏教会(佐藤功岳会長)の成道会が12日、川崎市の真言宗智山派大本山川崎大師平間寺で営まれ、同仏教会初の試みとなる県内の僧侶が〝心に響く法話〟を競う「和尚さん10分法話ぐらんぷり」が開催された。最優秀賞には、川崎大師職員の渡部純哉氏、優秀賞には天台宗正福寺住職の奥村良玄氏が選ばれた。
出場したのは渡部氏、奥村氏、祝覺道氏(浄土真宗本願寺派光輪寺副住職)、笠龍桂氏(臨済宗建長寺派東学寺住職)、望月昌光氏(日蓮宗善正寺住職)の5宗派5人の僧侶。約90人の来場者が一人10分の法話に耳を傾け、最も心に響いた法話をした僧侶を一人だけ選び、投票した。
最優秀賞の渡部氏は「むかしばなしと成道会」をテーマに法話を披露。昔話には何らかの教訓が含まれているが、「子どもの頃から『浦島太郎』だけは何の教訓があるのか分からなかった。しかし、大人になって分かった」と笑いを誘い、『浦島太郎』を釈尊が悟りを開いた過程と比較して成道会の物語に見事に変換。成道会は「お釈迦さまがなぜ人に苦しみがあるのか全てを解き明かした日」と仏教の教えとは何かを強く印象づけた。
次に得票数の多かった優秀賞の奥村氏は「見えない世界を信じて」をテーマに、会場を法事の場に見立てて法話を披露。亡くなった母を思ってカラオケで歌った歌詞に涙した自分の経験を語った上で、実際に歌詞を歌って解説。大切な人とも浄土で会える「俱会一処」の教えを説いた。
同仏教会の菅原節生副会長は「本当に一人ひとりが特徴のある話をして下さった。これだけの和尚さまの話を一度に聞ける。こんなにぜいたくなことはない」と感謝。来年以降も「皆さんの意見を取り入れながら、今後も行事を工夫していきたい」と展望した。
仕事を休んで会場に足を運んだという横浜市鶴見区在住の60代女性は、「本家のH1グランプリが好きで法話を聴きたくて来た。どの人の法話も素晴らしかった。来年もあれば、ぜひまた来たい」と話していた。
法要も含め当日の様子は、同仏教会の公式ユーチューブチャンネルで見ることができる。
2025/11/20
真言宗豊山派 兼務住職任期 3年から6年に 宗会や支所長会の要望受け
執務方針の進捗を報告する川田総長 真言宗豊山派(川田興聖宗務総長)の第166次宗会通常会(佐藤眞隆議長)が11月11・12日に東京都文京区の宗務所に招集された。兼務住職の任期を現行3年から「6年」に延長する規程変更案が承認された。この変更を含む規程変更案4件と令和6年度収支決算等の予算関連合わせて11議案が原案通り可決承認された。
これまでの宗会や宗務支所長会において、過疎化や少子化の影響が大きい地方寺院から兼務住職の任期延長を求める声があったことを受け、寺院規程の第29条1項で定める兼務住職の「3年以内の期間を限り」とあるのを「6年以内」に変更する。規定は令和9年(2027)4月1日から施行する。
川田宗務総長は「関係機関と協議を重ねてきた。期せずして時を費やしましたがようやく議案として上程する運びとなった」と述べた。吉田真澄総務部長は「3年ごとの申請や登記にかかる事務手続きが大変負担であり、延長できないかという要望が多数なされてきた」とし、制度調査会での検討を重ねてきたと経過を説明。「宗内にしっかりと周知」するため施行日は令和9年4月1日に設定した。関連して財務規程の一部も変更。兼務住職の期間が3年から6年の倍になったため、21条1項において「兼務住職任命礼録」を賦課率単位箇数(いわゆる査定箇数)一箇当たりを現行の110円から220円に変更する。住職任命礼録は現行のまま。(続きは紙面でご覧ください)
2025/11/20
田嶋隆純師顕彰会が発足 戦犯教誨師「巣鴨の父」・仏教学者・豊山派僧侶
「愛の像」前で記念法要 『わがいのち果てる日に』英訳も
「愛の像」に発足を奉告。中央が長女の澄子さん、右隣が島会長 巣鴨プリズンに収容されている戦犯から「巣鴨の父」と慕われた仏教学者の田嶋隆純(1892~1957、真言宗豊山派僧侶)の事績を顕彰し、その精神を後世に伝えようと11日、「田嶋隆純師顕彰会」(会長=島秀隆・元真言宗智山派宗務総長)が発足した。同日、隆純が世界各地の戦犯手記(701編)を集めて刊行した『世紀の遺書』(講談社)の収益を基に建立された東京駅近くの「愛の像」前で有志らによって記念法楽が営まれた。
田嶋隆純は戦前、フランスに留学し、真言密教を西洋に紹介。ソルボンヌ大学から博士号を授与されたフランス語論文「大日経の研究」は1936年、パリで出版された。帰国後は大正大学教授として教壇に立つとともに学内の要職を歴任した。自坊は江戸川区の豊山派正真寺。
終戦後、巣鴨プリズンの教誨師だった花山信勝(1898~1995)の後任に田嶋隆純が選任された。BC級戦犯が置かれている苦境に心を痛め、助命嘆願運動と戦犯の記録収集に努めた。田嶋編著『わがいのち果てる日に』(1953年刊)が長く絶版になっていたが、2021年7月に講談社エディトリアルから『わがいのち果てる日に―巣鴨プリズンBC級戦犯者の記録』として復刊。今夏には『巣鴨プリズンBC級戦犯者の記録―わがいのち果てる日に』として講談社学術文庫に入った。
文庫の解説を執筆した宗教学者の山折哲雄氏は、「一読すればわかるように当時の巣鴨プリズンにおける受刑者たちの日常の暮らしがどのようなものであったかが克明に記されている。それだけで一級の資料といっていい」と評価している。
顕彰会では、すでに『わがいのち果てる日に』の英訳に着手。同会特別相談役として参画しているインドのグルバクシュ・シン博士と妻のアンジャリ・シン博士が作業に当たっている。シン夫妻はNHKの外国語番組や飜訳、通訳面で多くの実績を有している。
同著英訳のほか、講演・執筆活動、記念碑の建立、田嶋隆純所有の宗教的・歴史的・文化的物品の保存――を計画。今後さらに具体化していくという。(続きは紙面をご覧ください)

