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2024/2/15
WCRP日本委 第2回円卓会議 19日開幕 紛争国・地域の宗教者ら参加「信頼の絆」期待


 「戦争を超え、和解へ」諸宗教平和円卓会議(第2回東京平和円卓会議)が19日、都内のホテルで開幕する。世界宗教者平和会議(WCRP/RfP) 国際委員会、同日本委員会、国連文明の同盟(UNAOC)が主催。ウクライナ、ロシア、イスラエル、パレスチナ、ミャンマー、コロンビア、ハイチ、マリといった戦争・紛争・暴力の中にある各国の宗教指導者や政府関係者およびWCRP/RfP関係者らが参加する。

 一昨年9月の第1回円卓会議では複数の紛争当事国のほか、ウクライナとロシア両正教会の指導者が出席。当事国では会うことすら困難だが、中立で安全な場で対話をすることが可能になり、出席した宗教指導者や各国政治家に好インパクトを与えた。この時の声明文では円卓会議の継続が求められ、2回目の開催につながった。

 期待される成果の1つとして「多様な宗教指導者間、また宗教者と宗教に関係のない政策立案者や平和構築者間の連帯、取り組み、信頼の絆を強める」が挙げられている。第三者を挟んだ話し合いのほか、非公式ながらの当事国同士の対話も期待される。

 主な日程は次の通り。
 ▶2月19日午後2時30分 開会式とセッション1「赦しと和解の促進に向けた現在の武力紛争への洞察と宗教指導者の役割」(非公開)アフリカ(エチオピア、マリ)、アジア(ミャンマー、アフガニスタン、タイ)、欧州(ロシア、ウクライナ)、 南米・カリブ地域(ハイチ、コロンビア)、中東(イスラエル、パレスチナ)各地域の発表と報告
 ▶午後4時30分 同2「諸宗教・各界による赦しと和解に向けたアプローチ」(公開)アフリカ、ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカ・カリブ海の各地域事務総長発表
 ▶20日 都内観光・宗教施設訪問など(非公開)
 ▶21日午前 グループ討論ほか(非公開)
 ▶午後2時30分 閉会式、声明文発表(公開)

2024/2/15
曹洞宗大本山總持寺 復興の願いを込め 「福は内」響かせる


大祖堂で豆まきを行った石附貫首や山口もえさんら 横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺で3日、4年ぶりに一般参拝者を受け入れ、盛大に節分会追儺式が営まれた。能登半島地震の被災地復興への願いを込め、石附周行貫首をはじめゲストで参加した山口もえさんや佐々木健介さん・北斗晶さん夫妻らが、「福は内」の掛け声とともに約千人の参拝者に豆まきを行った。

 法要では、事前に応募で集まった福男・福女79人が裃姿で参列。石附貫首が経典を繰って生じた清風によって功徳を受け取り、厄災消除を祈願した。法要後に石附貫首は能登半島地震の犠牲者や、今も避難生活を送る被災者に心を寄せ、「どうぞお励みくださいと心の中で念じてください」と豆まきの際に被災地に祈りを捧げてほしいと語った。

 2021年の貫首就任以来初めて大勢の参拝者とともに節分会を営んだ石附貫首が第一声。寺の習わしにより「福は内」のみの掛け声を、千畳敷の大祖堂に響き渡るほどの大きな声で発声し、勢いよく豆をまいた。

 山口もえさんは「皆さんたくさん福を持って帰ってくださいね」と笑顔を振りまいた。一昨年に死去した同区出身のアントニオ猪木さんの墓所が同寺にあることにちなみ、ものまねタレントのアントキの猪木さんとアントニオ小猪木さんも参加。「元気があれば福は内もある。ダァー!!」と参拝者をわかせた。

 佐々木健介さんと北斗晶さん夫妻は「能登の皆さんに元気を届けましょう。皆さん一人ひとりの力を合わせれば、大きな力になります」と、節分会にあたって同寺が募った被災地支援のための浄財に協力を呼び掛けた。

 ほかにも熊切あさ美さん、桜一花さん、空乃みゆさんらが参加し、豆をまいた。

2024/2/15
大覚寺 神仏習合の架け橋が甦る 観光と防災兼ねた新名所


渡り初めをする山川門跡 千年変わらぬ王朝の風雅を体感できる「日本最古の庭池」大沢池(国指定名勝)の環境整備を進めている旧嵯峨御所・真言宗大覚寺派大本山大覚寺(京都市右京区)。このほど天神島から百人一首に詠われた名所・名古曽(なこそ)の滝跡へと通じる「名古曽橋」が完成し、6日に渡り初めが行われた。

 令和8年(2026)に迎える「大覚寺寺号勅許(開創)1150年記念法会」の目玉事業。中世以来の神仏習合の架け橋が甦り、観光と防災を兼ねた新名所が誕生した。

 大沢池に浮かぶ天神島で、北野天満宮の神職が竣工清祓式を斎行。嵯峨天皇の離宮を大覚寺として開創するに当たって清和天皇への上奏文を起草するなどし、大覚寺の俗別当も務めたと伝えられる菅公(菅原道真)を祀る天神社の前で、祝詞や巫女舞を奉納した。

 名古曽橋の前に移動し、山川龍舟門跡を導師に竣工法会を厳修。伊勢俊雄執行長が慶讃文を奉読した。続く開通式典で、山川門跡と関係者らがテープカット。橋を慶祝しながら進む北野天満宮の神職に続いて、山川門跡と宗内外の関係者、一般参拝者が渡り初めを行った。山川門跡は、「渡りやすかった」と感想。「新しい橋が嵯峨野観光のメインになれば」と期待した。

 名古曽橋は建武3年(1336)の焼失前、中興・後宇多法皇の時代(鎌倉後期)の境内を描いた「大覚寺伽藍図」(南北朝期)にある橋を約700年ぶりに再現。災害時の避難路複数確保という防災上の観点と観光・参拝者の周遊性向上の見地から、広範な資料集めや専門家も含めた委員会の設置、莫大な予算が必要になる「復元」ではなく、歴史的景観に馴染む「令和の橋」(鉄骨橋梁を木でコーティング/施工=㈱宮田工務店)とした。

 令和3年から建設準備に入り、当初は「天神島北橋」と仮称。正式名称を大覚寺職員から募集し、得票数で決定した。

 大沢池の拝観者数は、コロナ禍でも安定して増加。境内整備で収入源の創出を図る施策が奏功している。大沢池エリアの参拝料金は大人300円・小中高生100円。

2024/2/15
大本節分大祭 開祖偲び先人に学べ 震災犠牲者の鎮魂祈る


綾部大橋から和知川に人型が流された 大本(出口紅教主)は開教から132年目を迎えた3日の夜から4日の早朝にかけ、教団最大の年中行事である「節分大祭」を京都府綾部市の聖地・梅松苑で執行した。コロナ収束後ということもあり約2200人が参列。「われよし、強いもの勝ち」の暗黒の世界に国祖である国常立尊が再現したことを寿ぎ、併せて五穀豊穣や出口すみこ二代教主(1883年2月3日生)、出口聖子四代教主(1935年2月19日生)の生誕も祝った。

 大祭に先立ち、出口教主が挨拶。出口なお開祖の『大本神諭』から「日本神国の人民なら、チトは神の心も推量いたして身霊を磨いて世界の御用に立ちて下されよ」といった箇所を引き、「日本の人民とは、日本人はもちろんですが、日本という国の枠や国籍を超えて神様のお言葉を素直に理解して改心することのできる人々のことではないかと思っています」と提示。

 この日発刊された『大本開祖伝―出口なおの生涯』(天声社)で改めて開祖の生涯を偲びつつ、先人たちの姿勢にも学んで、「一人ひとりが潜在的に秘められた力を発揮し、明るく温かい清らかな美しい灯火とならせていただきましょう」と呼びかけた。

 長く続くウクライナや中東の紛争の終結、さらに1月1日に発生した能登半島地震からの速やかな復興のため「世界平安安全祈願ならびに令和六年能登半島地震鎮静復興祈願祝詞」を奏上。「いのち失せたまいし人々のあまたありしはげにも痛ましく憂たき極み」と鎮魂を祈った。玉串捧奠では、教主に続き、山崎善也綾部市長、本田太郎衆議院議員、福山哲郎参議院議員などが恭しく神前に玉串を捧げた。

 宇宙の一切を浄化する「大潔斎神事」、全世界の国土を清める「中潔斎神事」、一身一家を清める「小潔斎神事」が行われ、幸福を願って名前が書き記された人型用紙が素焼きの壺に納められた。人型は女性信徒が役目を務める「瀬織津姫」によって梅松苑の近くを流れる和知川に架かる綾部大橋まで丁重に運ばれ、清流へと流された。

 節分大祭は教団行事というだけではなく、地域住民に開かれた「おまつり」でもある。大本青年部と綾部市料飲組合が協力して提供するうどんは具だくさんで体が芯から温まるもの。大小様々なだるまさんが当たる福引も好評だった。

2024/2/8
全国日蓮宗青年会が戦争体験のアーカイブ事業 毒蝮さんの空襲体験収録 〝坊主しっかりしろよ〟と激励も


戦争体験を語る毒蝮三太夫さん 全国日蓮宗青年会(全日青)は1月24日、東京都台東区の長運寺で「戦争体験のユーチューブ・アーカイブ事業」として、同寺総代で俳優の毒蝮三太夫さんに戦争体験を聞く収録を行った。戦争を体験した世代の話を聞く機会が減る中、体験談を記録し若い世代でも共有してもらおうと企画。毒蝮さんが人を惹き込む独特の語り口で空襲の経験を語った。

 毒蝮三太夫さんは、昭和11年(1936)生まれ。9歳の時、東京・品川の荏原で大空襲を経験した。空襲に備えるための建物疎開で住んでいた同潤会アパートを追われ、転居先の荏原で大空襲に遭った。

 同級生が学童疎開する中、毒蝮さんは父親の判断で残った。二人の兄がすでに戦地に行っており、「後から親父に聞くと、自分たちに何かあったら、疎開から戻っても誰もいない。死なばもろともという思いだったようだ。これが俺の人生のターニングポイントだったね」と振り返った。

 3月10日。荏原からも空襲で燃え盛る下町が見えた。「真っ赤な空にビューという爆風。10万人が3時間の空襲で亡くなったのは知らなかったが、真っ赤で熱かった」。熱心な日蓮宗信者だった母親が一心に拝んでいる時に、「天の啓示があったと言って桐ケ谷の駅の空き地に逃げた」という。

 皇居の南側を襲った5月24・25日の山の手大空襲では、B29の大群から空爆を受けた。焼夷弾が直撃し苦しむ人、防空壕の中で亡くなった人々、悲惨な光景を目にした。

 空襲が終わった町で、自分と同じくらいの子どもの革靴を拾った。「もう片方も拾うと重かった。足首が残っていた。足首を抜いてね、その靴を持って帰りましたよ。おふくろはね、それをなんとなく見てた。でも何にも言わなかった」。後年、母親に当時のことを尋ねたのを回想し、「お前がね、その靴を履いてあげることで、その子の供養になったんじゃないかなと言っていた」と語った。

 聞き手としてインタビューした全日青の森光寛・立正平和運動委員長と梶原亮大・広報委員長が僧侶に期待することを聞くと、「そりゃあ、坊主しっかりしろよ、頼むよ!」と辛口で激励。毒蝮さんは「宗教界が人を救ってない。自分が生きることに一生懸命な僧侶が多い。そりゃ食べていかなきゃなんない。でも、日蓮さんみたいに、一遍や法然、親鸞、空海、最澄みたいに自分を滅してまで人を救おうとしているかね、仏教界が」と毒蝮流のエールを送った。

 収録したインタビューは今月中にユーチューブの全日青チャンネルで公開する予定。企画した若佐顗臣・社会教化委員長は「一流の話し手で檀家さんでもある毒蝮さんに力を借り、これを残していくことで、次の世代にも平和の大切さを伝えられれば」と話した。

2024/2/8
全日仏 被災地支援に「総力」 年頭のつどい 僧侶ボランティアに期待


元気に挨拶する伊藤次期会長。左は大谷現会長 (公財)全日本仏教会(全日仏)は1日、京都市内のホテルで「年頭のつどい」を開催した。僧侶や賛助会員企業、政治家など約200人が参加。本来「新年懇親会」の予定だったが能登半島地震の甚大さを鑑み、急遽「災害支援の呼びかけ」を主要目的とすることに趣旨と会の名を変更。参加者から救援志納金が寄せられた。里雄康意理事長は被災地支援に「総力を挙げる」と話した。

 3月末日までの第35期会長・副会長、ならびに4月1日からの第36期会長・副会長のお披露目も兼ねたつどい。大谷暢裕現会長(真宗大谷派門首)は「災害救援本部からの報告を聞く度に胸が締め付けられるような悲しみを覚えます。被災地支援に尽力されているすべての方に心より敬意を表します」と挨拶。全日本仏教徒会議や世界仏教徒会議への参加を通じ、「皆がともに安らかに生きることのできる世界の実現は思想信条や立場の違い、時代を超えた人類共通の課題だと改めてその思いを強くしました」とし、次期会長をはじめ全日仏が和の精神や仏教文化の宣揚に活躍することを念じた。

 骨折により脚のリハビリ中だという伊藤唯眞次期会長(浄土門主)は車椅子に乗って来場した。しかし元気いっぱいの大音声で「早くこの格好を改めて、二本脚で立ってできるだけのことを尽くしたい」と挨拶。「皆さまはアクティブな方々なので、どうか私の任期の間、絶大なご支援を頂いて務めを全うできますよう」と笑顔を見せた。

 発災直後から現地に救援に入った大阪大学の稲場圭信教授が状況、復興支援の展望について講演し、避難所で悲しみに沈んでいる被災者の元に宗教者が向かうことに期待。「ただ黙って聞いて手を握って温かいお茶を飲む、その営み自体が被災者に安心を与えるんです。そういった被災者の声も聞いている。ぜひ今後、仏教界をあげ、被災地支援に取り組む僧侶を送り出してほしい」とエールを送った。(一社)日本石材産業協会は被災寺院、墓地の様子の写真を展示した。

2024/2/8
天台宗女性僧侶 宗務庁に性暴力被害告発 加害住職と師僧の大僧正 両者の擯斥求める


 四国の天台宗寺院で14年間にわたって男性住職(60代)から性暴力や恫喝による心理的監禁を受けたとして、女性僧侶の叡敦(えいちょう)氏(55)が同住職とその師僧である大僧正(80代男性・滋賀県内の住職)の擯斥(ひんせき)(僧籍剥奪)処分を求める懲戒審理申告書(1月22日付)を宗務総長に提出した。

 叡敦氏は31日、都内で佐藤倫子弁護士と共に申告書に沿って「仏教における性暴力事案」を告発する会見を実施。「弟子の非違行為を助長させた」大僧正の責任も追及した。

 大僧正は叡敦氏の母のいとこで、日本仏教を代表する苦行・比叡山千日回峰行を成し遂げた数少ない北嶺大行満大阿闍梨の1人。叡敦氏は自身が小学生の頃に阿闍梨となった大僧正を、「生き仏」と「畏敬していた」。

 平成21年(2009)7月に母が死去。遺言に従って大僧正に供養を依頼すると、「一番弟子」である四国の寺の住職を紹介されたため、4日後に面会した。

 程なく住職のつきまといが始まり、ストーカー行為に発展。同10月に叡敦氏を「寺に呼び出し、強制的に性行為に及んだ」。

 住職は「説教を交えつつ頻繁に性行為を強いる」ようになり、「坊主に逆らうと地獄に落ちるぞ」などと繰り返し恫喝。叡敦氏の心身を虐待し続けた。

 叡敦氏は「何度も大僧正に助けを求めた」が、逆に大僧正は現金を彼女に押し付けるなど「隠蔽」に腐心。住職は平成22年3月、彼女の髪を剃って「叡敦」と名付け、偽尼僧として寺に居住させ性行為を強要し続けたという。平成29年(2017)10月、外部の援助で寺を脱出し女性シェルターへ。複雑性PTSD・うつ病と診断された。

 平成31年(2019)1月に住職を告訴。だが令和元年(同)9月嫌疑不十分で不起訴となった。大僧正と住職は叡敦氏に四国の寺に戻るよう宗教的恫喝を行い、同11月に大僧正の自坊で得度させたという。寺に戻ってからも暴力や恫喝は続き、再び心理的監禁状態に。昨年1月、家族によって救出された。

 叡敦氏は「仏様への信仰心や大阿闍梨への敬信を利用された」と振り返り、「民事訴訟による損害賠償ではなく、僧籍剥奪を求めたのは私の被害が金銭では到底解決されないものだから」と強調。「私の被害を広くお伝えし、信仰と性暴力の問題について皆様に一緒に考えていただきたい」と社会に呼びかけた。

 最後に「天台宗は正しい判断を必ずしてくれると信じている」と期待。宗務庁(滋賀県大津市)は、「申告書は(1月23日に)届いている。受理するかどうかも含めて協議中」としている。

 天台宗懲戒規程第十五条2に「僧侶は他の僧侶にかかわる懲戒事犯の事実を認知したときは、宗務総長に申告できる」とあり、僧侶の叡敦氏は申告の権限を有する。受理されれば宗規に則った調査が始まり、司法機関に当たる審理局が審判を行う。擯斥は罷免の上の最も重い処分で、師弟の擯斥を同時に求める今回の申告は極めて異例。

2024/2/8

WCRP日本委員会 女性部会が難民支援で宿泊施設提供呼びかけ



 世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会理事会(戸松義晴理事長)での各種報告の中で女性部会の森脇友紀子部会長が、主に女性の難民申請者や難民申請家族のための宿泊施設の提供を要望した。

 女性部会は認定NPO法人難民支援協会から講師を招いて内部学習会を開いてきた。新型コロナの水際対策が緩和され、難民申請者が急増し、東京入管(東京出入国在留管理局)では面談が追いつかないという。また以前は単身男性が多かったが、女性や家族連れが増え、妊婦もいる。訪日旅行者の増加もあり、宿泊施設の確保が困難な状況が続いている。

 そのため女性部会では、難民申請者のため宗教施設の提供を呼びかけた。また女性用シェルターとして利用できる施設の提供も要請した。支援は難民支援協会と協力して行う。

2024/2/1

石川県七尾市レポート 能登半島地震 被災寺院 復旧ままならず 雪や余震で倒壊の恐れ 宗教法人は補償対象か 途方に暮れる住職たち 


傾いて壁や屋根が落ちた願正寺の本堂。解体を決めた 能登半島地震から間もなく1カ月。能登半島の中央に位置する石川県七尾市内の被災寺院では、復旧作業が進まない状況に置かれている。断水状態が続くなかで生活し、地震で傷んだ建物が雪の重みで倒壊する恐れもあるなかで、「自分たちでできることを」と少しずつ復旧を進めている。

 本堂解体、悔しい
 市街地にある真宗大谷派願正寺(三藤了映住職)は鐘楼堂が全壊、本堂は大きく傾き、屋根や壁は崩落した。寺社専門の建築会社に診断を受け、解体を決めた。「直せると思ったが、莫大な費用がかかるうえ、作業中に倒壊する恐れもあると言われた。雪の重みや余震で倒れる恐れもあり、早急に取り壊す算段を立てている。やむを得ないが安全が第一」と三藤住職は説明する。解体費用はお寺で捻出するつもりだが、本堂再建は今は考えられない。「最悪プレハブでもいい。仏さんと門徒さんがおればお寺になる」と三藤住職は気丈に話すが、歴史が詰まった本堂解体は「悔しいです。見るのも辛い」と吐露する。

 昨年11月に住職に就任したばかりで、大晦日はぜんざいや年越しそばを振舞った。コロナ禍で中断していた行事を再開し大盛況だった。翌日、本堂で片づけ作業をしている最中に発災。外に飛び出すと、鐘楼堂が倒れ、墓石が倒壊し砂煙が上がった。軋む本堂に入りその日のうちに本尊を運び出した。その後も何往復もして仏具や門徒のお骨を移動させた。「くさらずに、出来ることをやっていきます」と話す三藤住職。坊守の星子さんが心強い存在で、共に復旧作業や門徒回りをする。「今日明日だけを考えようと話しています。皆さんの顔をみると我々も元気が出る」と前を向く。

西勝寺の本堂内。壁が落ちた状態に 人手があれば…
 願正寺近くの同派西勝寺は本堂や鐘楼堂が傾き、掛け軸などを保管していた蔵が倒壊した。「どうすればいいのか見当がつかない」と龍至徳住職は溜め息まじりにこぼす。本堂横の下屋根部分が倒壊して壁面がぽっかり空き、大屋根の瓦が落ち雨漏りしている。「傾きさえ直してもらえれば後は自分でどうにかする。何とかこの形を残したい」と曳家による修復を望んでいる。しかし業者との連絡がなかなかつかず目途が立たない。倒壊したお堂の木材を電動カッターで切りわける。「昨日は瓦、今日は木材を運び出した。人手があればあっという間に終わるが、ボランティアも来ていない。どこもかしこも大変ですから仕方ないです」。蔵にある掛け軸や巻物も取り出したいが、二次災害の恐れもあり1人では作業できないもどかしさがある。

 傷んだ本堂で朝夕のお勤めをする。「諸行無常の娑婆です。親鸞聖人の言葉でいえば自分に〝能わったもの〟。地震というご縁に遇わせていただいた」と言い聞かせる。「とはいえ、朝起きて戸を開けると〝あぁ〟となります」と変わり果てた境内の光景に嘆息する。

本行寺の境内。倒壊したゼウスの塔と小崎住職 120人が津波避難
 加賀藩の祖、前田利家が防御陣地に転用する目的で各宗派寺院(真宗寺院を除く)を配置した「山の寺寺院群(現存16カ寺)」でも山門や灯籠が崩れ「立入禁止」の張り紙が掛けられている。

 本門法華宗本行寺(小崎学円住職)は本堂が傾き一部壁が崩落した。境内は津波の避難所で、約120人が避難して一夜を明かした。「ストーブを全部出した。夜は中に入ってもらったが余震が多くて恐ろしかった。トイレも詰まって大変やった」と小崎住職。職人たちが建物の応急処置をし、自身も重機に乗って瓦礫を片付けた。檀家の少ない観光寺院で2007年の能登半島地震後には自前で復興した。

 隠れキリシタンのお寺で海外からも参拝者が訪れる「ゼウスの塔」も倒れた。塔の一部を指して隠れた十字架のサインを朗々と説明する口ぶりはイキイキとしているが、「いまに目がパッと開いたら元に戻っとらんかなって夢みとる」と、度重なる被災に肩を落とす。

實相寺の山門前の日蓮聖人像も傾いた 日蓮宗實相寺(南谷清覚住職)は山門が歪み、本堂や庫裏が傾いた。境内地にある巨大な日蓮聖人像は台座からずれ、灯籠は倒れた。南谷住職は日中は片づけ作業をして夜は避難所で過ごす。慣れない生活で眠りが浅く「法務ができない」ことも辛いと話す。被災した檀信徒も多く、電話で連絡をとってきたが、「明日からお経参りに伺う」と月参りを再開する。本尊は倉庫に移しそこを仮本堂にするという。

 厳しい再建への道
 七尾市内は上下水道の復旧、ボランティアの受け入れ態勢が遅れている。奥能登地域の甚大な被害への対応など、自治体職員の働きを気遣いながらも、被災寺院は「何から手を付けたらいいのか」と途方に暮れる姿があった。檀信徒も被災しているため寺院再建は厳しい道のりだ。「激甚災害」には指定されたが「宗教法人も補償の対象になるのか」と心配する声も聞こえてきた。宗派の共済制度に加入しているがそれだけでは再建費用は賄えず、民間の地震保険には未加入の寺院も多い。自治体からはまだ明確な回答がない。ある住職は「解体費用が出るとなれば気持ち的に再建に進みやすい」と話す。(棚井)

2024/2/1
日蓮宗総本山身延山久遠寺 次期法主に持田日勇総務


持田次期法主 日蓮宗総本山身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)は1月21日に内野日総92世法主が死去したことを受け、25日に開かれた参与会、祖山常置会、総代会において全会一致で同寺総務の持田日勇・本山藻原寺貫首(87)を93世法主に選定することを決定した。

 持田総務は、昭和11年(1936)東京生まれ。権大僧正。早稲田大学第一政経学部政治学科卒。立正大学大学院文学研究科仏教学専攻履修。昭和41年に東京都墨田区本久寺住職、平成13年に本山藻原寺貫首に就任。宗務院総務課長、宗会議員4期、日蓮聖人700遠忌事務局長、総合企画部長など歴任。平成22年には宗務顧問に就任した。立正育英会理事長や國際佛教親交会理事長、日中友好宗教者懇話会理事長などを歴任し、人材育成や国外の仏教徒との友好親善に尽力している。

2024/2/1

曹洞宗管長交替 南澤貫首が2回目の就任


南澤・永平寺貫首 曹洞宗の石附周行管長(86)が任期満了に伴い21日付で退任し、大本山永平寺の南澤道人貫首(96)が22日付で管長に就任した。

 管長は両大本山の貫首が2年交替で就任する。南澤貫首が管長を務めるのは2回目。

 南澤貫首は1927年生まれ。長野県出身。駒澤大専門部仏教科を卒業後、長野県千曲市の龍洞院住職に就任。宗議会議員、永平寺監院、札幌市の中央寺住職などを経て、2008年に永平寺副貫首。福山諦法前貫首の退董に伴い、2020年9月に貫首に就いた。

2024/2/1
WCRP日本委員会理事会・評議員会 ACRP大会、再び立候補 創設50年にあたる2026年開催


 (公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(庭野日鑛会長、戸松義晴理事長)は1月25日、東京・杉並の立正佼成会法輪閣で理事会と評議員会をそれぞれ開き、4月から始まる新年度の事業方針案や予算案などを審議し、ほぼ原案通り承認した。前回(2021)に続いて2026年開催予定の第10回アジア宗教者平和会議(ACRP)に日本が開催国として立候補することが決まった。同年がACRP創設50周年に当たり、記念行事も検討していく方針で、5月のACRP執行委員会で決定する見込みだ。2大会続けての同一国は初めて。

 ACRP事務総長でもある日本委の篠原祥哲事務局長が経緯を説明。昨年12月にACRP執行委員会が開かれ、規約で大会を5年に1回開くことが規定されていることから2026年に開催すると決定。創設50周年に相当し、記念行事を視野に大会準備委員会が発足し、テーマやプログラムなどを討議していく。篠原氏は今年5月のACRP執行委員会で「第10回大会を日本で開催する意思を表明させて頂きたく提案します」と述べた。

 評議員会では「日本開催は歓迎だが、他の国の立候補はなかったのか」といった質問が寄せられた。篠原氏は「昨年5月の会議でパキスタン委員会が手を挙げたものの、テロが発生したりと安全面に問題がある」と説明し、他国の委員会も不安視していたという。他方、各国委員会はコロナ禍で停滞していた活動がようやく再起動したばかりで、受け入れる状況にない。篠原氏は「非公式ながら日本において対面による大会開催を希望している国もある」と報告し理解を求めた。

 日本委はこれを承認。5月のACRP執行委で正式に決定する見込み。

 能登半島地震に対しては1月10日に災害対策タスクフォースの緊急会合を経て、被災障がい者らを支援している認定NPOゆめ風基金に100万円を寄託。同タスクフォース責任者の黒住宗道理事(黒住教)は「女性部会が作成された冊子(『災害時に備えて-発達障がい児者受け入れのてびき』)にあるように災害弱者への観点から、それに関係する団体を支援することになった」と説明した。今後も支援と勧募を行っていく。

2024/2/1

曹洞宗 富山尼僧堂121年の歴史に幕 2専門僧堂が閉単

 
 曹洞宗の教師育成機関としての役割も担う専門僧堂のうち、富山専門尼僧堂(富山市)と智源寺専門僧堂(京都府宮津市)の2僧堂が昨年末に閉単した。8僧堂を閉単とする僧堂改革が行われた2022年10月以降、専門僧堂が閉単するのは初めて。

 宗務庁学事課によると、いずれも僧堂側の意向で閉単が決まった。これにより全国の専門僧堂数は、本山僧堂を除いて15僧堂になった。専門尼僧堂は愛知専門尼僧堂の1カ所のみとなった。

 富山専門尼僧堂は明治35年(1902)の開設(当時は富山尼僧学林、1950年に改組)。121年に及ぶ尼僧育成の歴史に幕を下ろした。

 2006年に堂長に就いた長谷川慧能氏(76)は「大変残念だが、教えをひたすら守るかつてのような修行によって僧侶を育てていくのは難しい」と説明。「時代の流れの中で、尼僧が安居に求めるものも変わった」と話した。尼僧堂として結制の人数確保が困難だったことも理由に挙げ、「尼僧だけで人を集めるのは限界がある」と厳しくなった制度も運営に影響したと、悔しさをにじませた。

 2003年に堂長に就任した智源寺専門僧堂の高橋信善氏(74)は「申し上げることはない」とコメント。同寺ホームページでは、「出家希望者の修行に対する考え方と僧堂側の指導方針の相違」などと説明しているが、関係者によると、問題を起こした同僧堂に対し、宗務庁が調査、指導を行っていた。こうした事態を受け、自主閉単したと見られる。

 両僧堂の閉単時の掛搭僧は富山専門尼僧堂が0人、智源寺専門僧堂が4人。学事課によると、修行を続けたい僧侶には、希望する僧堂に移籍できるよう対応するという。同課担当者は1世紀を超える歴史があった尼僧堂の閉単に触れ、「寂しい気持ちは当然あるが、時代が大きく変化する中で、やむを得ないところもある」と述べた。

 僧堂改革は、掛搭僧の減少や僧侶の資質向上が課題となる中、釜田隆文元宗務総長が打ち出した僧堂活性化策として実施。新たに設けた運営基準に満たない専門僧堂が閉単となった。

2024/1/25
展望2024 ポストコロナの布教と寺院 なぜ葬送の簡略化は止まらないのか? 故人を送る物語 伝える努力を 薄井秀夫・(株)寺院デザイン代表

 コロナ禍前の流れが加速しただけ

 コロナ禍の長いトンネルを抜けたものの、コロナ禍の影響は、社会の各所に大きく傷跡を残している。

 仏教界でその影響が顕著なのは、葬送の簡素化である。コロナ禍においては、三密を避けるため儀式そのものを行わない直葬が少なくなかった。儀式を行ったとしても、家族のみで親族すら呼ばない葬儀というのも当たり前になっていた。首都圏ではさらに、通夜を行わず一日で完結する一日葬が一般化した。

 コロナ禍が収束したら、本当にもとに戻るのかを心配していた僧侶も多かった。もしかしたら戻らないのではないかと。新型コロナ感染症が5類に移って、社会は日常を取り戻しつつある中、簡素化は止まったように見えなくもない。

 しかし現実は、もとに戻ったわけではない。スピードは緩んだものの、簡素化は確実に進んでいる。特に首都圏では、コロナ禍が収束しても、一日葬は当たり前になってしまった。コロナ禍前、一日葬という言葉はあったが、現実にそれを選択する人はほとんどいなかった。それが今では、半数以上が一日葬だというお寺も少なくない。この流れは確実に地方にも伝播していく。そして簡素化の流れが続くのは、必ずしもコロナ禍の影響とも言えないところがある。

 思い返せば、コロナ禍前も、葬送は簡素化の流れを突き進んでいた。コロナ禍は、それを加速させただけである。

 故人をあの世に送るという実感

 簡素化の原因は、地域社会と家族親族のあり方が変化したことが大きい。亡くなる人の高齢化も原因のひとつである。そうした外的要因のほかに、葬儀の意味をわかっていない人が増えたということがある。

 葬儀の意味をわかっていない人が増えている原因は、一般的に、現代人が葬送を大切に思わなくなっている、供養心がなくなっていることだと思われている。ただ私はそれ以上に、葬儀という儀式のあり方に問題があるのではないかと思っている。現代の葬儀の形式は、そんなに長い歴史があるわけではない。

 今は葬祭ホールで行うのが当たり前であるが、それ以前は自宅で行うのが一般的であった。さらにその前は、野辺送りと言って、家族親族が棺とともに列をなして、自宅からお寺、お寺から墓地に練り歩く葬儀が当たり前の時代が長かった。

 戦後すぐくらいまでは、都市部を除いた場所では、全国どこでも行われていたし、平成に入ってからも野辺送りを行っていた地域は少なくない。 そしてこの野辺送りが現代の葬儀と異なるのは、「家族親族が自ら故人を墓地に送る」ということである。

 会場に座って僧侶がお経を読むのを聞いているという受け身ではなく、自ら故人を送っていくという参加型の儀式である。 「故人を墓地に送る」という体験は、故人をあの世に送る体験に等しい。体験を通して、故人をあの世に送っている実感を持つことができるのだ。

 果たして現代の葬儀という儀式で、参列者が、故人をあの世に送っている実感を持つことができるだろうか。

 現実は、葬儀の参列者の多くは、眠気と戦いながら会場に座っている。僧侶が前のほうで何かをやっているが、何をやっているかはわからない。僧侶と遺族参列者の間で意味が共有されていない。そんな状況で、葬儀の意味を理解しろと言っても無理だと思う。

 野辺送りの葬儀から、葬祭ホールで行う葬儀に変化する中で、あの世に送る体験と理解が失われてしまったのだ。

 現代の葬儀を見直す

 現代の葬儀のあり方には、葬儀の意味を理解してもらおうという姿勢が感じられない。

 「葬儀の意味がわからない」の次に待っているのは、「葬儀における僧侶の必要性がわからない」であろう。それが表面化するのは、そう遠い未来ではないような気がする。 そうした状況を改善するためには、野辺送りを復活させるのが理想であるが、それは現実的ではない。

 提案したいのは、せめて葬儀のプログラムを参列者に説明することである。儀式を始めるまえに、プログラム全体を説明するか、式が進む中で逐次、次のプログラムは何かを説明するか等、いろんな方法があるだろう。紙に書いたものを配布してもいい。

 注意したいのは、決してお経の現代語訳などが必要なわけではない。なぜ、ここで、このお経を読むか、なぜここでこうした作法を行うかである。

 場を浄める、仏さまに供物を捧げる、仏さまを称える、戒を与える、故人を称える、引導をわたす――宗派によって異なるが、それぞれには意味があるはずだ。そしてそれが全体として、故人を送る物語になっているはずである。

 せっかくの故人を送る物語が、誰にも理解されていない。物語を理解すれば、参列者はもっと儀式の中に没入していけるはずである。言葉で語らなくとも、自ずと体験で葬送の意味を理解できるはずである。

 うすい・ひでお/1966年群馬県生まれ。東北大学文学部卒(宗教学専攻)。中外日報社、鎌倉新書を経て、2007年に株式会社寺院デザインを設立。寺と人のコミュニケーションサポートに努めている。著書に『10年後のお寺をデザインする』『人の集まるお寺のつくり方』など。近著に『お寺のための弔い委任実践マニュアル』(共編著)。

2024/1/25
真言宗智山派 次期総長に三神栄法氏 初の一宗選挙で当選 投票率82%


三神次期総長 初の一宗投票となった真言宗智山派の宗務総長選挙(選挙長=深澤照生教区代表会議長)の開票が18日、京都市東山区の宗務庁で行われ、現内局の総務部長を辞任して立候補した三神栄法氏(京阪教区・京都府京田辺市草内南垣内・法泉寺住職)が当選した。3月28日に就任。任期は4年。

 三神次期総長は、「芙蓉内局の事業を踏襲しながら、学山智山の伝統である子弟教育と指導者育成を一層充実させていきたい」と抱負。「全国檀信徒の安心感得に寄与する教化活動に宗団を挙げて取り組んでまいりたい」と力強く語った。

 17日に投票を締め切り、18日に開票を行う選挙会を実施。深澤選挙長と共に、立会人として倉松俊弘教区代表会副議長と佐𦚰貞憲(京阪)・反町秀明(福島第1)の両教区代表が出席した。

 投票総数1607・有効投票数1531で、得票数は三神氏1151・楠宗融氏(福島第1教区・勝行院住職)380。押印・記入不備等による無効票数63、白票数13。

 選挙人(有権者)は住職・教会主管者・長老の計1947人で、投票率は82%だった。

 平成26年の第119次定期教区代表会で、激論の末に「宗務総長一宗公選制」を可決。28年の総長選から導入されたが、候補者は2期続けて1人だったため一宗投票には至らなかった。「一宗公選制」を可決した当時の教区代表の一人は、「今回は、せっかく導入した一宗投票を行ってみたいという雰囲気があった」と証言。8割超の投票率が、宗内の関心の高さを裏付けた。

 小宮一雄総長(平成24年)、芙蓉良英総長(同28年・令和2年)、そして今回と、連続で前内局の総務部長が総長に就任する流れとなった。

 三神氏は昭和36年4月14日生まれ、62歳。大正大学真言学科卒。昭和59年に宗務庁入庁。総務課など各課課長職を経て、平成22年に京阪教区支所長就任。同28年から法務部長(第1次芙蓉内局)、令和2年から総務部長(第2次同内局)。

2024/1/25
曹洞宗調査 15年間で10~30代若手僧侶30%減 低級階寺院で減少大きく 2040年に教師数は45%減


 曹洞宗は、10~30代の若手僧侶を対象とした人数変動の調査結果を、12月に公開した。2020年の僧侶数は6829人で、減少傾向が強まった2005年からの15年間で約30%減少していることが分かった。

 調査は運営企画室が実施。宗務庁が管理する1950年以降の僧侶情報をもとに、2020年までの動向をまとめた。報告書では、僧侶数などのデータを5年ごとに出している。

 僧侶数は9788人だった85年頃をピークに減少に転じ、近年の僧侶数は55年(6533人)頃の水準にまで落ち込んでいる。教師数も3535人だった85年頃をピークに減少局面に入った。20年に2233人となり、10年間で約23%減少した。報告書では、同じペースで減少すれば、20年から40年までの20年間で僧侶数は約40%減の約4千人、教師数は約45%減の約1200人になると推計している。

 僧侶数減少の要因である年間得度者数は50年からの50年間は約400~600人で増減していたが、00年から減少傾向が続く。20年に246人となり、20年間で約50%減少。教師1人が在籍中に得度授戒を行った徒弟数(得度者数)を算出した指標では80年に3・05人だったが、20年に0・81人となり1人を切った。

 僧侶数と寺院規模の関係を見るため、級階別に00~20年の減少率も調査。10~15年の間に、39級以下の寺院に属する僧侶の減少率が40級以上を上回り、最も減少幅の大きな19級以下は20年間で34%減った。報告書では「若手僧侶の減少に級階が関係している可能性がある」と指摘。規模の小さな低級階寺院の僧侶がより顕著に減少していることが浮き彫りとなった。

 さらに、人口減との関連を調べようと、10~30代の国内人口と比較したところ、若手僧侶の減少率の方が高いことが分かった。05~20年の15年間で国内人口が約21・4%減に対し、若手僧侶は約27・6%減だった。

 同室担当者は「若手僧侶の減少は人口減の影響だけでないことを示唆している」と分析。その上で今回の調査結果について、「深刻なのは減少のペース。縮小スピードに合わせ、迅速に対応策を考えねばならない」と話した。

2024/1/25
被災地・石川訪問記 遅れるとトラウマ固定化、急がれる被災者ケア  行政・社協は機能不全、望まれるプロのコーディネーター 神仁・全青協代表執行理事


 全国青少年教化協議会(全青協)代表執行理事で東京慈恵会医科大学附属病院SCW(チャプレン)の神仁氏が被災地の石川県に入り、寺院や自治体を巡った。特に自治体の機能不全に直面した。神氏に聞いた。

 被災地の状況確認と支援のあり方を探るため11日から14日まで石川県内を回りました。小松空港で四輪駆動車をレンタルしました。これまで何度も国内外の被災地を訪れ、5年前の台風15号(2019年9月)では千葉県内で直接災害も体験した。悪路は慣れているつもりでした。しかし途中、前が見えないほどの猛吹雪に遭い、どこにがれきや段差があるのか、わからないぐらい。七尾から先は道路状況が悪く、被災地の方にご迷惑をお掛けする可能性があったので、奥能登に行くのは諦め、羽咋(はくい)市と金沢市周辺のお寺や自治体の対策本部を回りました。

 最初に全青協協力者である金沢市内北部の高野山真言宗宝泉寺を訪問しました。辻雅榮住職によると、灯籠や墓石がいくつか倒れたものの断水や停電はなかったそうです。しかし現状では自身がすぐに被災地に入るのは難しいと話していました。

加賀市内の2次避難所に並べられた支援物資 被災者による支援は困難

 羽咋市の日蓮宗本成寺では中山観能住職から当時の状況を聞きました。建物の壁の一部が落ち、灯籠や墓石が倒壊。震災当日は「檀家数十名が客殿で過ごした」とのことです。電気水道は前日(11日)に復旧。「ようやく全国の寺院から支援物資が届くようになったが、タイミングを逸し、不要となってしまったものもある」と零していました。中山住職も支援の気持ちはあるものの、被災地に行くのは難しいと。

 その気持ちはよく理解できました。私も5年前の台風被害で道が寸断され停電と断水を経験しました。被災直後は、被災者自身が支援活動を行うことは困難なのです。当時、県知事が県庁に不在だったため初動が遅くなり、自治体も有機的な支援が出来なかった。それが被害を大きくし長期化した要因だと思っています。県南ではいまもブルーシートの家屋が残っているほどです。

 これと同じことが今回の地震で起きました。発災時、県知事は県内にいませんでした。その後の支援は後手後手にまわった。実際に社協(社会福祉協議会)を訪ねてそれを実感しました。(続きは紙面でご覧ください)

2024/1/18
展望2024 少子化時代の寺院サバイバル 修行僧減は少子化だけにあらず 山本文匡・元臨済宗妙心寺派教学部長


 令和5年上半期の出生者数は過去最低の37万人でしたので、年間出生者数も令和4年の77万人をさらに下回る見込みです。この急激な少子化は日本社会の様々な分野に影響を及ぼしていますが、仏教界もその中の一つでしょう。臨済宗妙心寺派では、妙心寺派の道場に在籍する修行僧と他派の道場に在籍する妙心寺派の修行僧に補助を行っていますが、修行僧の数はここ20年で半減しています。多くの人は「これも少子化のせいだ、仕方ない」と考えているようですが、本当にそうでしょうか。

 令和5年9月発表の文部科学省の資料を見ると、令和4年(2022)の18歳人口は112万人でした。平成14年(2002)は150万人でしたので、18歳人口はここ20年で38万人、26%減少した訳ですが、同期間の修行僧は55%も減少していて、減少率は18歳人口の2倍以上です。つまり少子化だけが修行僧の減少理由ではないのです。

 管見ながらその原因には二つあると考えます。一つは経済的な問題です。浄土真宗本願寺派が令和3年に実施した「第11回宗勢基本調査」によると年間収入が1千万円を上回る寺院は全体の約2割でした。曹洞宗が平成27年に実施した「宗勢総合調査」でも1千万円を上回る寺院は約2割にとどまり、どちらも全体の約6割が500万円以下の収入しかありません。こうした傾向は他の教団でも同様でしょう。

 妙心寺派の場合、寺院は特例地から8等地まで11区分されますが、1等地以上は全体の約2割です。一方、等地が低い寺院ほど専任住職のいない割合が高く、そうした被兼務寺院の数は年々増え続けていて、今後さらなる増加も予想されます。一人の住職が多数の寺院を兼務することは負担も大きく、様々な問題の要因にも成りかねませんが、これといった解決策も見当たらないのが現状です。

 もう一つは寺院や僧侶の社会的価値の低下です。令和5年3月に全日本仏教が発表した「仏教に関する実態把握調査」を見ると、高齢者ほど寺院や供養に対する関心の低い傾向が伺えます。例えば「菩提寺の有無」を尋ねた質問に対し、60代・70代の約3割が「菩提寺は無い」と回答していますが、そのうちの約7割は将来にわたって「菩提寺を持つことを考えていない」と回答しています。また葬儀や年忌法要に関しても、菩提寺の有無に関わらず、高齢者ほど普通の葬儀よりも一日葬を希望する割合が高く、法事も一周忌や三回忌迄でいいという傾向が見られます。

 従来は高齢者ほど信心深いというイメージがありましたが、どうしてこうなったのかを推察すると、一つには回答者の殆どが戦後生まれだということがあげられます。核家族化し仏壇の無い家で暮らしてきた人達には、仏事に関わる習慣が無いのでしょう。

 もう一つは経済状況です。内閣府の「令和5年版高齢白書」によれば、昭和55年には65歳以上の高齢者のいる世帯の半数が三世代同居でしたが、令和3年では1割にも満たない9・5%に減少しています。一方、夫婦のみの世帯と単独世帯がそれぞれ全体の約3割を占めるほか、未婚の子と同居の高齢者も約2割にのぼります。また厚生労働省の「令和4年度版国民生活基礎調査」によると、これら高齢者世帯の平均年収は300万円程度で、年金等を受給している高齢者世帯の44%には年金以外の収入がありません。

 こうした社会状況から、戦後の寺院経済を支えてきた先祖供養も今後は期待できません。そのため、仏事を司る僧侶や先祖を祀る場としての寺院の価値も低下しているのです。

 一般的に報酬が安く、社会的価値の低い職業を希望する優秀な若者はいません。ですから、もし仏教界が将来を担う人材を獲得したいと考えるのであれば、先ずは現在の僧侶や教団が変わるべきではないか、というのが私の提言です。自然淘汰に任せる、という考えの方も多いようですが、それでは日本の仏教そのものが滅んでしまう気もします。何故なら、生き残りをかけてお骨や葬儀を奪い合う姿には和合僧の欠片も感じないからです。

 ではどう変わればいいのでしょうか。やはり迷った時は基本に立ち返るべきです。とはいえ、今さら肉食妻帯を禁止もできませんし、大乗仏教は時代や地域に応じて変化してきました。ですから形式よりも、その本質が仏法に適っていることが重要です。

 仏教徒の基本は三帰依ですが、現在の教団が僧伽だと言えるかどうかが問題です。戦後、各寺院は独立した法人になりました。その結果、住職の婚姻とあいまって寺院の公共性は失われました。本来、托鉢で自分の鉢に入ったものは僧伽でシェアされるべきものです。そうした観点から法人格を各寺院単位から教区などの行政単位に移行して、資金と人材の共有化を提案します。

 もし、それが実現できたならば、日本仏教は再び息を吹き返し、高齢化する社会の諸問題解決に貢献出来ると共に、必ずや後継者も現れることでしょう。

やまもと・ぶんきょう/1964年高松市生まれ 1977年下呂市禅昌寺磯部文保老師に就いて得度。1987年佛教大学仏教学科卒。虎渓山専門道場掛搭。1990年同暫暇。2000年妙心寺派布教師。2012〜14年常任布教師。2014〜17年教学部長。2018年高松刑務所教誨師。同年宗議会議員、現在2期目。高松市實相寺住職。