2015年
2015/1/1 種智院大学・叡山学院が学術交流協定を締結 1200年の歴史的提携
協定書に署名して握手する村主学長(右)と清原学院長 弘法大師空海が開設した綜藝種智院を起源とする種智院大学(京都市)と、伝教大師最澄の理念を基盤とした僧侶養成機関である叡山学院(滋賀県大津市)は12月9日、教員の派遣をはじめとした学術交流協定を締結した。2015年度の学期から開始する。
京都市内で調印式を開き、種智院大の村主康瑞学長と叡山学院の清原惠光学院長が協定書に署名。真言宗と天台宗の学府が歴史的協定を結んだ。
まずは両校とも教員の派遣から始め、学生間の交流も進める。共同研究や資料の交換も実施する予定だ。その他の協力活動は今後、協議のうえ決める。
村主学長は「歴史的に意義深い。現代の仏教を背負う若い僧への成果となればうれしい」と挨拶し、「弘法大師の教えに反するものではない。同じ真理を見て互いを認め合っていた」と強調。「天台学研究室をつくるのが夢」と抱負を語った。
両校の架け橋となったのが平安仏教学会で設立から20年を迎えた。記念となる年に協力関係を結ぶ運びとなった。清原学院長は叡山学院の歴史を振り返りながら「提携協定を結び喜ばしい」と微笑んだ。
両宗には共通点が多いとの認識で、特に接点となるのは修験道だとし、日本の信仰に大きな役割を果たすと言及。村主学長は「日本仏教の自然観が共通する宗派とは交流できる」と他宗派との提携も歓迎する姿勢を示した。
両校の協力については村主学長が学長に就任した2010年から学生の交流を仮定して検討してきた。叡山学院が全寮制のため難航していたが、教員が動けば可能となることから合意に至った。春から種智院大の教壇に立つ予定の桑谷祐顕・叡山学院学監は「平安前期天台の最初のところを話せたら」と意欲を見せた。
2015/1/1 映画「望郷の鐘―満蒙開拓団の落日」残留孤児の父・天台宗僧侶山本慈昭の献身的活動
終戦後も旧満州に取り残された子どもたちがいる。その子どもたちの肉親を捜し続けたことから「残留孤児の父」と呼ばれた天台宗僧侶、山本慈昭(1902~1990)。ソ連参戦による避難からシベリア抑留、戦後の日中橋渡しなど波乱に満ちた活動を展開した山本慈昭をモデルとした映画「望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」が完成し、上映会が行われている。戦後70年を迎え、改めて戦争とは何か、平和とは何かを問いかける映画である。
孤児とはいえ、すっかり成長した大人が涙を流しながら肉親と再会。そのシーンがテレビや新聞で連日報道された時代があった。それを記憶している人は少なくないだろう。昭和の終わりが近い80年代頃である。
その道筋をつけ孤児たちの帰国に尽力したのが、長野県阿智村にある長岳寺住職の山本慈昭であった。お寺の生まれではなく祖母の勧めで僧侶となった。長野善光寺や比叡山、叡山学院などで修行と勉学に励んだ。ユニークなのは戦前、仏教界の改革運動に取り組み、その影響でハワイに“追放”された経験を有している。郷里の長野に戻ると檀家の少ない長岳寺に入寺すると共に小学校教員となった。
制作は現代ぷろだくしょん(東京都新宿区)。監督は福祉を題材にした映画で知られる山田火砂子さん(82)。12月17日、横浜市内での上映会に先立ち挨拶した山田監督は「いま雲行きが危ないので」と制作動機を説明し、自らの戦争体験を披露。「昭和7年に生まれ、それから13歳まで戦争の中を生きた。戦争とはいかに過酷なことか。まずはご飯がない。食べるものがない。焼け出された人はパンツがない。手ぬぐいでつくったりした」「空襲で焼け野原となり、戦災で親を失った子どもたちがいた。自分は疎開して、東京にいる親が死んじゃう。そういう子どもが山のようにいた」
昭和20年(1945)5月1日、長野県阿智村(当時阿智郷)から開拓団の子ども50人と満州へと出発した慈昭。当初、慈昭は拒んでいたが村の幹部等による説得を受け入れ、1年間の期限付きで妻と一歳と四歳の娘を連れての渡満となった。(続きは紙面でご覧ください)
お寺でも上映会を
映画はすでに長野県内で公開中で、1月以降、全国で上映される。一方で現代ぷろだくしょんでは、寺院や研修会等での上映会企画を呼びかけている。「ぜひお寺さんに見ていただきたいし、ご協力をいただきたい」(山田監督)
上映に関する問い合わせは現代ぷろだくしょん(☎03―5332―3991)まで。
2015/1/1 新春エッセイ 戦後70年、豊かさはどこへ?(宮城泰年)
豊かさとは何かと問われると少年の時の原風景が出てくる。今までにも所々に書いてきたことだが敗戦の秋、中学2年の私は深刻な食料不足のため田舎へ食い延ばしに行かされた。静岡駅で夜行列車の窓から降り足は西に向かった。学校で読んだ岡本かの子の『東海道五十三次』に丸子の麦メシとろろが出ていて、それがあるかも……という幻想にかられていた。
空腹の上、破れかけた布靴で歩く安倍川の橋は長かった。田舎道で出あったおばさんに「麦メシとろろはどこ?」と聞いた。「そんなものある筈ないよ」この子おかしいんじゃないか、と言わんばかり。私は一体どのような顔をしたのだろうか。おばさんは口調を和らげ「家においで、蒸しイモならあるよ」……そして腹一杯食べるようにすすめられた私は幻想から現実に戻り、さつま芋を食べながら涙が止まらなかった。
食い延ばしの日も尽きて帰りのリュックには米2升、さつま芋などやせた背中には痛いが、宝物を運ぶ思いで京都駅に降りたとたんに取り締まり、ヤミ屋と一緒にロープの内側に引き入れられた。悔しさと情けなさのうちに列は取り調べ警官がいる方向へと動いて行く。
ロープの外から警官の声が聞こえた。「ボン一人か、どこ行ってきた?」私の返事に心中の思いが出ていたのだろうか。突然ロープが上がってひと言「行き…」。走りながらまた複雑な涙が止まらなかった。そして家族6人、一週間ほどの豊かな日を過ごすことができた。
70年前、2升の米に家族が喜び、一切れのイモに涙を流したのは食べ物のあることに感謝する気持と、戦後荒廃の中に残っている人情の豊かさという背景があったように思う。
戦後、困窮から右肩上がりの復興の中で何でも手に入るようになると、私もそうであったが、もっと豊かにとか目新しいものにと日本中誰もが眼を輝かせた。日本中にモットモットの鬼が出て…気がつけば、えせ豊かの中で環境は破壊され、格差社会のひずみはモノがあり余る世間なのに、おやつも買えない子どももいるという歪んだ現実も生んでいる。
私たちは太陽・水・土・そしてすべての存在との関わりでなりたっていることを知れば自ずからノリを超えない少欲知足の当たり前のことに気付く筈である。
貧しい心とは不満と貪欲を土台にしている節度を知らない、さながら餓鬼道のえせ豊か地獄であろう。
真に豊かな心とは感謝を土台にした満足でありお互いに生かし合える喜びである。
みやぎ・たいねん/昭和6年(1931)12月28日生まれ。昭和29年(1954)龍谷大学文学部国文学科卒業。聖護院門跡執事、執事長、本山修験宗宗務総長などを歴任。平成19年(2007)聖護院門跡第五十二代門主・本山修験宗四代管長に就任。
現在、龍谷大学文学部客員教授、京都仏教会常務理事 神仏霊場会常任幹事(教学委員長)。日本宗教者平和協議会代表委員・京都宗教者平和協議会理事長、日本山岳修験学会顧問。著書に『修験・葛城行所調査考』(法蔵館)『修験道修行大系』(国書刊行会) 『役行者と修験道の世界(葛城の修験とその遺品)』(毎日新聞社)『山伏入門』著・監修(淡交社)『動じない心』(講談社)など。
2015/1/15 脱原発―子ども、未来への責任 健康被害と再稼働を問う
「申入書」を手渡す会の代表2人 原子力行政を問い直す宗教者の会は8・9の両日、東京都内で全国集会を開催した。テーマは「子どもたち(未来)への責任―健康被害と再稼働問題に、宗教者として、今、すべきことは」で、科学的知見に基づく脱原発への道への学びを深めた。約50人が参加した。
初日は港区の聖アンデレ教会(日本聖公会)礼拝に続いて共同代表の一人、長田浩昭氏(真宗大谷派法伝寺住職)が趣旨を説明。「原発の問題とはどの断面を切り取っても差別の問題であり、人と人との分断の問題であり、そういうものを生み出していく国家そのものの問題である」と断言。同会では北海道で子どもたちの保養活動も行っているが、それも正しい科学的知見に基づかなければ「非常に陰湿な差別を生む原動力になる」と危惧し、科学的な根拠に立ち差別と原発をなくしていくことを強調した。
獨協医科大学の木村真三准教授は放射線についての基礎知識を講義。135ベクレルの放射線を出す衣類が洗濯することで10ベクレル以下になることなどを提示。「答えから言います。その程度で人が死ぬとか病気になるとかそういうことは一切ありません」とし、正しい知識がないゆえに人を傷つけるつもりではないけど傷つけてしまうことに警鐘を鳴らした。
チェルノブイリ原発事故の調査にもあたっている木村氏は、福島第一原発事故との比較をし「チェルノブイリは水蒸気爆発であり、原子炉の蓋が吹き飛んだ。福島は水素爆発で原子炉の容器は破裂しなかったがメルトダウンにより大量の放射性ヨウ素とセシウムが飛散したが、核燃料や放射性ストロンチウムの飛散は少なかった」と指摘し、福島はチェルノブイリに比べて原子炉燃料の飛散は少なかったとも考えられるが海洋汚染は未知数であるとも述べた。
川内原発再稼働反対申し入れも
翌日は千代田区の神田キリスト教会(日本聖公会)で全体討議の後、永田町の参議院議員会館に移動して経済産業省に対し、鹿児島県の川内原発再稼働に反対する申入を行った。①「安全」評価自体が責任不在の中で進められている、②福島原発事故の総括がなされない中で進められている、③火山噴火など自然の猛威に対する謙虚さを欠いたまま進められている、④実効性のある防災対策を欠いたまま進められている、⑤原発ゼロ指向の民意を踏みにじりつつ進められている、の5点を強調。「今はむしろ名誉ある根本的転換を模索するチャンスでもあるはずです」と官僚に書面を手渡した。
福島県二本松市から参加した佐々木道範氏(真宗大谷派真行寺住職)は「人生奪っちゃったんだよ、歴史と文化も、返してくれよ」と涙ながらに訴え、「それでも原発が必要なんですか、俺にはそうは思えないんだけど」と突きつけた。
2015/1/15 真宗大谷派で3参務が交代 初の女性参務が誕生
真宗大谷派(京都市下京区)は6日、3人の参務交代を発表。望月慶子新参務は、教団として初の女性参務となった。同日、里雄康意宗務総長が任命した。
木越渉・富田泰成両参務はそのまま。杉浦義孝・奥林暁・藤戸秀庸3氏は退任した。
新参務は次の通り。
但馬弘(55)担当=総務部、内事部。宗議5期。元参務(三浦内局)。大谷大学文学部卒。大聖寺教区・興宗寺住職(石川県小松市)。
望月慶子(73)担当=組織部、首都圏教化推進本部。宗議3期。県立明石高校卒。山陽教区・浄泉寺衆徒(兵庫県洲本市)。
三島多聞(70)担当=本廟部、教育部、研修部、親鸞仏教センター。宗議3期。京都外大卒、大谷大学院修士課程修了。高山教区・真蓮寺住職(岐阜県高山市)。
2014/1/15 コルモス次期会長 大谷光真前門に
「現代における宗教の役割研究会」(略称はコルモス)は12月27日、4月1日付で大谷光真氏(浄土真宗本願寺派前門)が次期会長に就任する人事を発表した。大村英昭会長(相愛大教授)は名誉会長に就く。26日の理事会で決めた。任期は4年。
大村会長は2期8年間、会長を務めた。名誉会長には研究会員互選理事の上田閑照氏(コルモス前会長、日本学士院会員)も就任する。現職の雲井昭善名誉会長(大谷大名誉教授)と合わせて3人になる。副会長は島薗進氏(上智大教授)と氣多雅子氏(京都大大学院教授)が継続する。
大谷次期会長は昨年6月、門主の地位を長男の光淳氏に法統継承し、前門に就いた。
2014/1/15 真言宗各山会 後七日御修法執行 国家の安泰願い21座
園児に笑顔を振り向ける大阿を務めた立部祐道・仁和寺門跡(8日) 真言宗の最高儀式「後七日御修法」(ごしちにちみしほ)が8日、京都市南区の総本山教王護国寺(東寺)で始まった。真言宗各派総大本山会(各山会)に所属する高僧15人が7日にわたって国家や国民の安泰を祈願した。
午後の開始を控え、8日午前中に弘法大師空海の住まいだった御影堂で読経を捧げた。天皇の御衣が、勅使の坪田眞明・宮内庁京都事務所長によって道場の灌頂院へ届けられ準備が整った。
正午、1回目の祈とうに向かう僧侶らが朱傘を差し掛けられて本坊から灌頂院へと練った。本坊の門をくぐると、待っていた園児らが声をそろえてお経を唱えた。最後尾についた、導師の大阿闍梨を務める立部祐道・仁和寺門跡が笑顔で応えた。
御修法は7日間で21座が行われた。最終日の14日に道場を公開した。
配役は以下の通り(敬称略、カッコ内は所属本山)。
立部祐道(仁和寺)=大阿闍梨▼加藤精一(長谷寺)=御手替▼上村貞郎(泉涌寺)=伴僧▼小池弘三(須磨寺)=咒頭▼仲田順和(醍醐寺)=五大尊供▼黒沢全紹(大覚寺)=十二天供▼鈴木貴晶(朝護孫子寺)=増益護摩供▼神中隆祐(智積院)=舎利守▼真保龍敞(同)=息災護摩供▼長原敬峰(金剛峯寺)=聖天供▼田代弘興(長谷寺)=二間観音供▼東山泰清(金剛峯寺)=伴僧▼森崎隆弘(東寺)=神供▼後藤祐亮(根来寺)=伴僧▼菅智潤(善通寺)=同
2015/1/22 種智院大学 臨床宗教師の養成開始 新設の密教センターで秋から
9月の秋学期から臨床宗教師の育成プログラムを開講する種智院大学 種智院大学(京都市伏見区、村主康瑞学長)は4月に「臨床密教センター」を新設し、臨床宗教師の養成講座を始める。秋からのスタートを目指す。センター長には松本峰哲准教授(人文学部仏教学科)が就任する。
松本氏は、東北大大学院の臨床宗教師を養成する「実践宗教学寄附講座」の受講生。東北大出身ということもあり、同講座の鈴木岩弓教授から養成コース開設の打診を受け、大学側と検討して開講を決めた。
臨床密教センターに講座を置き、9月下旬の秋学期からの実施を見込んでいる。真言宗の僧侶を対象に10人程度を公募するが、差し当たり学生は対象外とした。種智院大が修了証を出す。
東北大のカリキュラムに準拠し、3カ月のコースを準備。スタッフの不足は東北大からの講師の派遣などで対応する。実習先には種智院大の持つ社会福祉学科の実習先や、大学に関係する本山の福祉施設の利用も検討している。医学分野の科目も組み入れる。
東北大のほかにも臨床宗教師の現場への斡旋などを行うNPO法人ビハーラ21(大阪市)や沼口医院(岐阜県大垣市)と連携し、実習生の受け入れを相談している。すでに育成プログラムを開講している龍谷大(京都市)との提携も視野に入れている。
臨床宗教師の育成に関心を示しているという高野山大学(和歌山県伊都郡)について、松本氏は「同じ密教系で連携したい」として、ほかの大学などとも「お互い連絡を取り合って同じ方向を向いていきたい」と強調した。
松本氏は東北大の養成講座の6期生で、2014年12月に修了。実際にいのちの最前線に立った。精神的負担も大きく、「よりどころとする信仰がないと耐えられなかったかもしれない」と語るほど重い体験だった。
そこから宗教者が求められている現場があると実感した。「医師から直接、宗教者に対する要望を聞けたのが大きかった。ニーズにどう応えられるか。きちんと向き合って考えたい」と決意を述べた。
臨床密教センターでは臨床宗教師の養成のほかに、公開講座やフォーラムの開催などを計画していて、学外に情報を発信する。開設にあたって松本氏は「すべての人が救われるまでは涅槃に入らないという密教の精神『普賢行』を理念に掲げたい」と話した。
2015/1/22 大谷光淳門主がご消息を発表「時代の変化に対応する一歩」
大谷光淳門主(左)のご消息を拝して言葉を述べる石上総長(背中)。右は大谷光真前門(16日) 浄土真宗本願寺派(京都市下京区寺、本山・西本願寺)の大谷光淳門主は本山報恩講最終日の16日、「伝灯奉告法要についての消息」を発表した。同法要は明平成28年(2016)から2年かけて本山で執り行われる。門主は同法要を「時代の変化に対応する宗門の新たな第一歩として意義を持つもの」と位置づけた。
伝灯奉告法要は法統継承(門主交代)を仏祖に奉告すると共に浄土真宗の教えと教団の発展を期して勤められる。本願寺派では昨年6月、大谷光真第24代門主(現前門)から大谷光淳門主に法統が継承された。
ご消息発表が行われた御影堂には前門はじめ石上智康総長ら宗派役員らが臨席。門信徒を含め1500人が参集した。
大谷光淳門主は、ご消息をゆっくりと読み上げ、浄土真宗の教えや具体的な社会問題に言及しつつ「仏智に教え導かれて生きる念仏者として、山積する現代社会の多くの課題に取り組んでいく必要があります」と念仏者の使命を提示した。
約900字のご消息は石上総長に授与。これを受けて宗門を代表して石上総長が挨拶し、「その深い思し召しに身の引き締まる思い」と吐露。さらに「時代の変化に対応する新たな一歩」などとの教示について、石上総長は「宗門に集うすべての方々と共に力を合わせて、『自他共に心豊かに生きることのできる社会に貢献』(門主消息)すべく力を尽くしたい」と決意を披瀝した。
本願寺派では、宗祖親鸞聖人生誕850年・立教開宗800年(共に平成35年、2023年)に向けた長期計画が策定される。
核物質の拡散懸念 2代にわたり言及
大谷光真前門は3年前のこの日(1月16日)、親鸞聖人750回遠忌御満座のご消息で、「今回の原子力発電所の事故は、自然の調和を破り、後の世代に大きな犠牲や負担を強いることになりました。これは肥大した人間の欲望のもたらしたところであります」と述べている。東日本大震災による原発事故の背景に人間の欲望があると警告した。昨年6月の門主退任に際してのご消息でも人類の課題の一つとして「核物質の拡散」を挙げた。
今回のご消息で大谷光淳門主は、「世界に眼を移せば、武力紛争、経済格差、気候変動、核物質の拡散など、人類の生存に関わる課題が露呈している」と主張。大震災後、2代にわたり核物質拡散に懸念を示した。
2015/1/22 阪神・淡路大震災から20年 1・17 犠牲者悼む鐘の音
多くの市民が地震発生時刻の5時46分に追悼集会に参加した(神戸市中央区の諏訪山公園) 1995年1月17日5時46分。6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災が発生。今年、震災から20年を迎えた。各地で慰霊や追悼の行事が営まれ、凍てつく寒さの中、遺族や市民らが大切な人を思い合掌する姿があった。
震災の記憶を語り継ぐための「慰霊と復興のモニュメント・希望の灯」がある神戸市東遊園地には、過去最多の10万人が訪れ、市民がメッセージを書き込める寄せ書きには、「私は絶対に忘れません」「震災を語り継ぐのが私たちの使命」との言葉が溢れていた。
一方で、震災を経験していない神戸市民は2013年で42%に達している。震災の体験や教訓を次の世代にどう引き継いでいくのか。「震災の記憶を風化させない」と僧侶や仏教者も犠牲となった人を悼む慰霊追悼の行事を各地で開いている。
神戸市中央区の諏訪山公園では、日蓮宗僧侶の石原顕正氏(山梨県立本寺住職)が理事長を務めるNPOと地元の市民団体が主催する追悼のつどいが開かれた。5時46分、「神戸・希望の鐘」の音が響き渡った。
同時刻。被害の大きかった長田区では、地元神戸と全日本仏教青年会の青年僧らが超宗教での追悼行事に参加。日中には、地元の神戸市仏教会が追悼慰霊法要を営んだ。各地で市民に寄り添う仏教者の追悼慰霊行事を取材した。(続きは紙面でご覧ください)
2015/1/29 興正寺住職罷免問題 特任住職の登記が完了
宗派と罷免住職側の裁判が続く名古屋市昭和区の高野山真言宗別格本山・八事山興正寺で、宗派の特任住職(添田隆昭宗務総長)が法務局に申請していた代表役員登記手続きが28日、完了した。登記完了日は申請した昨年9月17日付。「添田氏が法的に正当な住職だ」と公認された。内局局僚の一人は「特任体制発足に向け、とにかく登記が第一歩だと思ってきた。これで住職としての行動が取れる」と話す。
一方、名古屋高裁から仮処分抗告審の決定が出される矢先の23日、罷免された梅村正昭元住職の子息・昌寛副住職と責任役員3氏が申し立てを取り下げ、新たに本裁判を提訴。裁判は今後も継続することになるが、まず法的に正当な住職となった添田総長が特任住職体制をどうスタートさせるのか、注目される。(続きは紙面でご覧ください)
2015/1/29 浄光会 人質の安否気遣い祈り
挨拶する首相の実弟・岸議員 浄土宗有縁の国会議員の会「浄光会」は23日、東京・芝公園の大本山増上寺で毎年恒例の新年総会「朝粥の会」を開催した。世話人の安倍晋三首相は緊迫した情勢の中で欠席したが、与野党の会員40人のうち代理も含め約25人が出席した。
増上寺の八木季生法主が導師を務め法要を厳修。802年前のこの日、法然上人が一枚起請文を綴られたこともあり、列席者が全員で拝読した。八木法主はシリアで武装勢力「イスラム国」に捕縛され人質となっている2人の日本人の安否に胸を痛め、世界平和を祈った。
世話人の豊岡鐐尓宗務総長も首相ら国会議員が全力を尽くして救出に動いていることに敬意を表明。また会員の石破茂特命大臣が掲げる「地方創生」の政策を「過疎化で存続が怪しくなるお寺もある中、本当にありがたい」と称えた。
首相の実弟でもある岸信夫衆議院議員は人質救出に最大限の努力をすると宣言しつつ、「宗教というものが原因で紛争が起こっている」とも憂慮。安倍政権の外交政策・経済政策には多くの人の期待がかかっているとし、それに応えていきたいと挨拶した。
席はおおむね、議員と菩提寺住職が歓談できるように設けられており、「毎年、ご住職とお話が出来ることをうれしく思っている」との声もあった。出席者の中には今年102歳を迎える奥野誠亮元法務大臣の姿もあった。
記念法話として浄土宗総合研究所の戸松義晴所長がさる11月に発刊されたエンディングノート「縁の手帖」について話した。「こういうエンディングノートを教団として作るのは初めてです」と自負を覗かせつつ、阿弥陀如来の大慈大悲で浄土への往生が約束されるなどといった信仰面を強調している点を他のエンディングノートとは違う最も重要な点に挙げた。また、お布施や戒名の精神が説明されている箇所もあり「檀信徒だけでなく住職方にも読んでいただき、檀信徒の皆さまにお布施の精神を理解していただければ」と、布教の施本として使うことにも期待をかけた。なお頒価は1冊185円。
戸松氏はさらに「浄土宗にとって大切なのは政治心情ではなく信仰」と言い、浄光会会員が当選できるよう協力したいとも話した。
2015/1/29 高台寺 秀吉とねねのキャラ募集 1位賞金は各100万円
秀吉とねねの参考画像を持つ後藤執事長(中央)と北山会長(右) 臨済宗建仁寺派高台寺(京都市東山区)の公開25周年を記念して、豊臣秀吉と秀吉の正室、北政所(ねね)のキャラクター公募が23日から始まった。1位の金賞はそれぞれ100万円。締め切りは3月31日必着。主催は高台寺御用達会、高台寺門前会、京・洛市「ねね」門前会、共催は高台寺。
応募は郵送で1人のキャラにつき1点、A4白紙に1つのキャラの正面と背面を描いたものを提出。賞金はそれぞれのキャラにつき金賞1点100万円、銀賞1点20万円、銅賞3点5万円で、同一応募者による複数受賞を可能とする。
高台寺の後藤典生執事長は「日本で有名な女性は紫式部。ねねさんを2番手にしたい」と意気込みを語った。高台寺御用達会の北山安夫会長は「プロだけでなく、小中学校の子どもたちにも応募してほしい。心温まるものが1位になるのではないか」と話した。
結果は4月18日に高台寺のHPで発表するとともに、本人に通知する。金賞の著作権は高台寺に帰属させるが、使用料は許可を取れば無料とする意向だ。
提出先、問い合わせは京都市東山区高台寺下河原町526高台寺公開25周年記念御当地キャラグランプリ事務局。詳細は高台寺HP。
2015/1/29 「イスラム国」日本人人質事件 諸宗教者集い、解放祈る
官邸前で諸宗教が「後藤さん解放」を祈った 宗派・教派を超えて活動する「平和をつくり出す宗教者ネット」は27日、東京・永田町の総理官邸前と衆議院第二議員会館でイスラム過激派「イスラム国」の人質となった後藤健二さん(47)の解放を祈る祈念集会を開き、宗教を超えて平和への祈りを共有した。
議員会館では、後藤さんが通っていた日本基督教団代々木上原教会の教会員・鈴木伶子さん(76)が「宗教者の一番の力は祈り」と挨拶し、後藤さんがよく教会を訪れ、教会の人々と親しくしていたことを紹介した。
鈴木さんは「私は後藤さんが湯川さんを助けるために飛んで行ったという中にも、キリストに従う姿勢を感じる」と話し、殺害されたと伝えられる湯川遥菜さん(42)の家族の心境にも思いを寄せ、「日本政府は全力で解放のために取り組んでほしい」と話した。
官邸前では、日本イスラーム文化センター事務局長のクレイシ・ハールーンさん(48)らムスリム2人も参加。アラビア語でのイスラム教の祈りに続き、プロテスタント、カトリック、仏教の祈りの言葉が述べられた。
クレイシさんは、「(イスラム国との)パイプを持っていないが、ニュースを聞いてすぐにセンターとしてシリアの友人たちを通じて呼びかけを行った」とし、メッセージの内容は「日本がパレスチナをどれだけ支援しているか、そして日本には宗教の自由があり、人質となった2人は政治的軍事的な目的ではないことなどをアラビア語で書いた」と話した。
一昨日、「ようやくイスラム国の人々に我々のメッセージが届いたはずだとの報告が入ってきた」とも話し、状況が好転することを願った。
宗教者たちは集会に先立ち、人質解放を最優先にするよう内閣府に要請書も提出した。
2015/2/5 WCRP日本委員会理事会 終戦70年、広島で対話行事
公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(杉谷義純理事長)は1月29日、東京・杉並区の立正佼成会法輪閣で第12回理事会を開催した。 平成27年度の事業では、終戦70年記念関連行事を計画。カトリックの国際団体「聖エジディオ共同体」や広島の宗教者らと連携し、8月6日に広島で諸宗教対話行事を企画していることが発表された。
東日本大震災復興支援の一環として3月から3カ月間、「けっして忘れない」キャンペーンを実施。3月16日に宮城県仙台市で開催される「防災と宗教」シンポジウムでは主催団体の一翼を担い、同日には宮城県市名取市の日和山で諸宗教合同の追悼と復興の祈願式を営む。5月19・20両日には東京で「復興のための宗教者円卓会議」を開く。
福島の子ども支援8団体で作る「子どもが自然と遊ぶ楽校ネット」に協力。年間を通じて自然キャンプの運営ボランティアなどを続ける。郷土芸能や祭りなど文化財への支援、放射能被害への取り組み、地域コミュニティの再構築等も継続する。震災復興支援事業の総額は例年同様4500万円を計上した。
イラクの国内避難民への人道支援として防寒具やミルクなどを支給。医療支援等も行う。「イスラームと日本の宗教者の対話プログラム」も策定中。緊張が高まっている東アジアや東南アジア地域の平和と安定に向け、宗教対話を通じて貢献する。
開会前、受け入れ教団を代表して挨拶した立正佼成会の川端健之理事長は「イスラム国」と称する過激派組織の台頭に言及し、テロの脅威が世界に拡散している事態を強く憂慮。「こういう時だからこそ、世界の諸宗教のネットワークを築き上げてきたWCRPが果たしていかねばならない役割と責任がある」と述べた。
日韓両国の戦後70年 KCRP事務総長挨拶
理事会冒頭、韓国宗教人平和会議(KCRP)のキム・クワンジン事務総長(韓国聖公会神父)が挨拶。戦後70年を迎える日韓両国の関係について抱負を語った。
昨年12月の就任後、最初の外国訪問先に日本を選んだというキム事務総長は、「日本では終戦70年だが、韓国では解放70年と言う。同じ70年でも受け止め方が違う。(朝鮮半島では)南北分断70年でもある。日韓両国にとって今年は重要な年になる」と強調。「KCRPとWCRPジャパンの交流を通じ、アジア、世界に日韓の平和への思いを伝えるメッセンジャーの役割を共に果たしてまいりたい」と呼びかけた。
新事務局長に國富氏
理事会でWCRP日本委員会の新事務局長に、國富敬二氏(61・立正佼成会理事)が選任された。前・畠山友利事務局長のACRP(アジア宗教者平和会議)事務総長就任を受けての人事で、1月29日付で就任。國富氏は「スタッフ全員が朝の来るのが待ち遠しい、楽しくてためになる事務局を作らせていただきたい」と抱負を述べた。
【國富氏略歴】1953年6月生まれ。東京大学卒。庭野平和財団、立正佼成会豊橋教会長、同サンフランシスコ教会長、同青年本部本部長、同東京教区長(杉並教会長)等を経てWCRP日本委事務局長に就任(立正佼成会杉並教会長を兼任)。
2014/2/5 龍谷大学と平安学園が法人合併 高大連携を深める
合併を発表した赤松学長 学校法人龍谷大学(京都市伏見区)は1月27日、深草キャンパスで記者会見を開き、4月1日付で龍谷大付属平安高などを運営する学校法人平安学園(京都市下京区)と合併すると発表した。昨年7月に合併が決まり、1月6日に文部科学大臣の認可を受けた。
平安学園が解散、龍谷大学が存続法人となり、教職員を含めた資産を継承する。平安中・高の校長を法人の理事とし、龍谷大学常務理事の副学長1人を平安中・高の担当常務理事とする。学校の運営については現行の体制を継続し、龍谷大学付属平安中学校・高等学校の校名は変更しない。
両校は西本願寺(京都市下京区)を設立母体とする。1995年に覚書を交わし、高大連携を開始。2008年には平安学園の運営校を付属校とした。
記者会見で龍谷大学の赤松徹眞学長は「両校ともに浄土真宗の精神に基づく教育を行い基本的な理念を同一にしている。法人合併を契機に両校の連携を強めて、人間教育の充実にまい進したい」と話した。
龍谷大学としては学生の確保がさらに安定するなどのメリットがある。長野了法総務局長は「学校運営という面において、中高、大学ともに質の高い生徒や学生を安定的に確保できることにつながる」と述べた。
2015/2/5 東西本願寺教誨師研修 台湾の2刑務所視察 過剰収容や薬物累犯多く
「臺北監獄」(台北刑務所)の入り口から視察に向かう参加者(東本願寺提供) 東西本願寺の教誨師らによる海外研修が1月21日から23日まで台湾で行われた。公益財団法人全国教誨師連盟総裁を務める大谷光真・西本願寺前門をはじめ両教団から55人が参加し、専門家による講義や台北刑務所と桃園女子刑務所を視察した。過剰収容や若い受刑者の多くは薬物犯罪である現状を学んだ。
参加したのは本願寺派31人(団長・本多隆朗総務)、大谷派24人(団長・三島多聞参務)。両教団の教誨師関係者による交流は以前からあったが、今回のような海外研修は初めてで3年前から準備を進めてきた。今回は両教団の相互交流のみならず、「海外の矯正事情や今日の犯罪情勢などの課題の共有」を目的としている。
21日、台北市内での開会式に続いて、一橋大学で法学博士号を取得した謝如媛・国立政治大学副教授が講義。謝氏によれば、問題になっているのが過剰収容で130%の刑務所(台湾では「監獄」と表記)もある。薬物による服役者が多いのは、「薬物によって生計を立てているため」だと解説。薬物が入手しやすいこともあり、女子の場合、服役者の7割が薬物関連で、それを繰り返す累犯者も多いという。
死刑制度については台湾内で議論が高じ停止していた期間もあったが2010年に再開された。日本は絞首刑だが台湾は銃殺刑。年に4~6人が執行されていると報告。台湾の教誨師は仏教各派からキリスト教、諸宗派まで幅広いという。
2日目は台北刑務所と桃園女子刑務所を視察。日本では刑期によって刑務所が分かれたりするが、「若い人からお年寄りといった年齢も、そして刑期もバラバラ」。そうした人たちを一緒に収容。日本と同様に焼き物や木工、袋作りなどの作業があり、女子刑務所ではお菓子やパン、キャラメルなどを製造・販売している。食事の豪華さには一様に驚きの顔を見せた。
台北刑務所で中学・高校と学びを深め、卒業後は放送大学に入学できる教育制度がある。「犯罪抑止には、教育が必要なのだろう」という感想も。また女子刑務所では、ミニオーケストラ並の楽曲と舞踊で参加者を歓迎。日本の刑務所に慣れた教誨師たちは、目を見張りながら、この“逆慰問”を拍手で讃えた。
東本願寺教育部の武井弥弘部長は、「全体的に刑務所が明るい雰囲気だったのには戸惑った。加害者である受刑者と被害者の面会が許されることもあると聞き、日本との違いを随所に感じた」と研修成果を口にした。
2015/2/5 緊急寄稿 「イスラーム国」の正体とは?(黒田壽郎・国際大学名誉教授)
官邸前で平和の大切さを強調するムスリム。後藤健二さんの解放を懸命に訴えた(1月27日)『イスラーム国』を名乗る集団が日本人の人質を取り、処刑した。いわれなく人命を奪うという行為は、どのような人間にとっても赦されるものではない。まして特定の宗教を名乗る者たちが、人命を疎かにするような行為はその教えに悖る行いであることは、疑いのないことである。
そもそも平和を尊重し、それゆえアラビア語でイスラームと自称するイスラームは、預言者ムハンマドの演説に明らかなように、人間の〈生命、財産、名誉〉を確かなものにするという具体的な目標をもつ教えである。この公約の第一項を欠いた場合、この教えは成立しないのである。
千四百年に及ぶ歴史の中で、この教えにも様々な過激派が登場している。ところで注目すべきは、時代の別による過激派そのものの質の変換である。例えば上代の過激派ハワーリジュ派は、悪しき支配者の下にある者はこれに抵抗して反抗に決起せよ、これに逆らわず座視する者は正しい信者ではないと主張した。僅か百人で決起して一万人の軍隊と戦ったこの派の執拗な運動は、結局ウマイヤ朝という大帝国の屋台骨を揺るがし、この王朝の没落の遠因となっている。
イスラーム最初の分派、ハワーリジュ派の第一の特徴は、決起した後に戦う対象が、同宗の徒ムスリムであったことである。勇猛果敢な彼らは、異教徒に一切手を出さず、堕落したムスリムだけに敵対した。いまだ教えの光に当たることのない異教徒たちは批判の対象とせず、専ら既に正しい教えを知りながらそれを履行、順守しない者たちだけが戦いの対象となった。事態の成り行きを憂うる者たちの強い非難の対象が、心根の曲がった同宗の者たちであったというのが、初期の過激派の実態である。
しかし時移って現代になり、とりわけ今回の『イスラーム国』の場合となると、話は全く別である。力のない外国人を捉え、不当な口実を作って金品を要求し、ついには殺害するといった行為は、れっきとした犯罪以外の何ものでもなく、何に照らしても許し難いことはいうまでもない。
中世においてイスラーム世界は、寛容で知られた土地柄であった。例えばこの地を襲った十字軍は、出会った人間を婦人、子供の区別なく手当てり次第に殺傷している。しかし防衛に当たるイスラーム軍は、厳格に相手の戦闘員だけと矛を交え、非戦闘員には一切手を下していない。これは豊富な歴史的文献が立証していることである。
過激派と呼ばれる者たちのこのような質的退嬰は、精神的なものであると同時に、政治的な要因によるところも大きい点は見逃されてはなるまい。一つの地域の命運を占うためには、その地の百年の歴史を概観するにしくはないとは、良く口にされる言葉である。中東世界とは近現代において、外国の勢力の干渉に晒され続けてきた地域である。端的にいえばその中心部にイスラエルが建国されて以来、それはこの地域の重篤な心臓病のように、この地の健康の衰弱の原因となってきた。
度重なるアラブ・イスラエル戦争を通じて、パレスティナを始め周辺諸国は勢力を削がれ、これまで抵抗の核として期待されてきたイラク、シリアの弱体化は、誰の目にも明らかであろう。政府軍、反政府軍の間に分け入るように登場したいわゆる『イスラーム国』という勢力は、このような大文字の危機に対処するかたちで登場してきた集団である。自国の統制もままならず、外部からの危機に対して有効な手立てをもたぬ国家の代わりに、この種の集団が登場する由縁はここにある。
力及ばぬ者が言挙げをする場合、その無力に応じて暴力の度合いを強めるのは世の習いである。今回の事件はこの何よりの証拠であろう。百年の長丁場で創り上げられた力の差が、この様な勢力の登場する空間を生み、この種の隙間は中東世界の至る所に広まっている。
一時人々の目をそばだてた〈アラブの春〉の民衆蜂起は、確実な成果も手にしないまま不発に終わっている。中東世界の政治的混乱は、フランスにまで飛び火してヨーロッパ世界の安定までも脅かしているが、このような事態の根源は、米国をはじめとする外部世界の、積年の中東政策にもある点を忘れてはならない。その証拠としては、おためごかしの中東和平交渉が、百年に近く一度も成功していない事実に明らかであろう。
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くろだ・としお/1933年東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒、同大学院文学研究科博士課程東洋史専攻修了。国際大学名誉教授。カイロ大学客員教授、イラン王立哲学アカデミー教授、国際大学中東研究所初代所長などを歴任。世界宗教者平和会議日本委員会平和研究所所員。1974年『イスラーム哲学史』で日本翻訳文化賞受賞。2012年に日本におけるイスラーム研究の第一人者として第19回イラン年間最優秀図書賞を受賞。著書、翻訳書多数。
2015/2/12 大本・開教123年節分大祭 人型200万枚が宙を舞う
祝詞が響く中綾部橋から人型が和知川に流された(3日午後11時55分) 大本の節分大祭が京都府綾部市の教団発祥の聖地、梅松苑で営まれた。祭神の国常立尊(くにとこたちのみこと)が開祖出口なおに宿った開教の日を祝う大本最大の祭典で、3日夕から4日早朝にかけて行われた。露店が並んだ境内では、福引きなどの催しや手作りの甘酒も振る舞われ、参拝に訪れた1万人の地元市民や信徒でにぎわった。
「大本開教123年節分大祭おめでとうございます」。言語や文化の違いを乗り越えるためにつくられた国際語「エスペラント」で挨拶した出口紅(くれない)教主は「人類愛善会創立から90年、終戦とともに第2次大本事件の解決から70年という大きな節目を迎える。苦難を乗り越えて平和への道を歩んできた。歴史は未来を照らす鏡。大本の歴史からも学ぶことがあるのではないかと思う」と話した。
祭典が行われた長生殿では米や魚、野菜や果物などが供えられ、斎主が祝詞を上げた。岐阜道院統掌の大野岳恵氏や綾部市長の山崎善也氏、西オーストラリア大学客員教授のジェーン・ウイリアムスさんらが玉串を捧げた。
全宇宙を清める「大潔斎神事」では、舞姫2人が鈴と麻(ぬさ)を打ち振って壇上を舞った。
大祓詞に出てくる瀬織津姫(せおりつひめ)と祭員が夜を徹し、祈願を込めて人型と型代をつぼに納めた。世界中の国名も共に奉納される。つぼは午後11時と4日午前2時半の2回、近くの和知川まで運ばれる。
たいまつを掲げた瀬織津姫と祭員約130人が旧町内を約30分かけて練り、辻々で祈りを捧げながら和知川に架かる綾部橋に到着。教主と集まった参拝者らによって唱えられた祝詞が響くなか、橋上から放たれた人型が宙を舞い、川に流れた。
信仰の有無にかかわらず寄せられた人型と型代は200万枚に及ぶ。
2015/2/12
京都府私立中高仏教青年会 花園会館で音楽涅槃会
禅語「喫茶去」に由来するキッサコのミニコンサート(2月3日) 京都府内の仏教系中学・高校12校からなる京都府私立中高仏教青年会連盟は3日、右京区の花園会館で恒例の涅槃会のつどいを開催。約300人が参加し、代表生徒が仏前に献灯・献香・献花すると共に音楽で涅槃会に親しんだ。当番校は花園中高。
全員がパーリ語による三帰依文を唱和。仏教讃歌「いまささぐ」「涅槃会のうた」が当番校生徒によって静かに合唱されるなか、生徒代表が献花や焼香した。花園中高の福田篤校長が挨拶し、「今、世界で、国内でいのちを大切にできない残酷な事件が起きている。社会は人が作っているが、人を大切にしない状況がこのままいったらどうなるのだろうかと暗澹たる気持ちがわいてくる。皆さんはこうした集まりや日々の学びの積み重ねによって平和で明るい、人が人を大切にできる社会を作れるよう、努力して頂きたい」と述べた。
記念演奏は(公財)仏教伝道協会の後援によりボーカルユニット「キッサコ」のミニコンサート。メンバーは薬師寺寛邦さん(ヴォーカル・ギター)、山元サトシさん(同)、麻生優作さん(ヴォーカル・キーボード)。薬師寺さんは臨済宗妙心寺派海禅寺(愛媛県今治市)の副住職でもある。一人だけ墨染めの衣にギターを抱えて登場。あたりまえの生活の尊さを描いた「日常」、“君はそのままでいいよ”と呼びかける「伝言」、故郷への思いを綴った「望郷」の持ち歌3曲と、名曲「カントリーロード」を熱唱した。初めて接する生徒たちが多かったが、手拍子でキッサコのメッセージソングを楽しんだ。
つどいの最後は全員で仏教青年会会歌を斉唱して締め括られた。
2015/2/12 生長の家、本部跡地を緑地化 “いのちの樹林”市民に開放
緑の土地に生まれ変わった原宿“いのちの樹林”。奥に見える建物が光明の塔。3月13日から一般開放される(生長の家提供) 都心の一等地にあった教団施設が緑に生まれ変わり、近隣住民やサラリーマンのオアシスとして親しまれそうだ。
一昨年10月、東京・原宿駅近くにあった生長の家(谷口雅宣総裁)の本部が八ヶ岳を望む自然豊かな山梨県北杜市に移転。跡地は歴史的な施設「光明の塔」を残して緑地化。2月2日、谷口総裁を迎えて「原宿“いのちの樹林”」完成祭が執り行われた。教団職員や東京教区の信徒ら百数十人が参列し緑地に新たないのちを吹き込んだ。
谷口総裁は挨拶で、教団の取り組みと教理的な背景を説明すると共に、「土地本来の植生を生かし、生物多様性を重んじた緑地を私たちは造りました。樹木などの植物はまだ植えつけたばかりですから、今後しっかりと根を張って育つかどうかはまだわかりません。その点、東京第一教区の信徒の皆さんにも協力いただいて、この樹林を大きく育成していきたいと念願するしだいです。そうして大都会に生きる多くの人々に、本来の自然が生み出す自然と人間の深いつながりのメッセージを伝え、自然尊重の機運を盛り上げていただきたい」と要請した。
“いのちの樹林”にはアラカシ、クスノキ、ヤマザクラ、カキツバタなどが植えられ、洋風あずまやを配置。都心でじっくりと四季を味わうことができる。また排気ガスを排出しない電気自動車用充電設備も。教団では、公園ではなく宗教施設と位置づけている。
昨年12月には赤坂の事務施設も移転に伴い、一足先に緑地化された。
原宿“いのちの樹林”の敷地は約4350平方㍍。毎週木曜日と祝祭日、年末年始以外に開放。無料。時間は午前10時から午後4時半まで。3月13日から一般開放。
赤坂“いのちの樹林”の敷地は4095平方㍍。開放日と時間は原宿と同じ。
2015/2/12 全日本仏教会加盟団体顧問弁護士連絡会 原発避難寺院に共通課題、進む檀家減少と後継者難
放射能が検出されていないにもかかわらず、地元の野菜が敬遠されていると写真を手に報告する木ノ下氏 公益財団法人全日本仏教会(全日仏)は4日、奈良市の法相宗大本山薬師寺(山田法胤管長)で加盟団体顧問弁護士連絡会を開催。弁護士14人のほか加盟団体関を含め約30人が出席した。間もなく迎える東日本大震災4年を前に、東電福島原発事故による避難寺院の状況や損害賠償の進捗などを研修した。
最初に真言宗豊山派清水寺住職で東電原発事故被災寺院復興対策の会事務局長の林心澄氏が講演。自坊は福島県浪江町だが、放射線量が高いため住民と同様に帰還できず、現在は相馬市で避難生活を送っている。その相馬市から各所に避難している檀家の葬儀や法事に回っているが、「移動距離が長く、1日1軒のお勤めしかできないこともある」と吐露。慣れない道に緊張感もある。
林氏は直面している二つの課題を提示。「檀家減少」「寺院後継者」である。檀家減少は避難生活の長期化により世帯分離が起こり、とりわけ若い世帯は町を離れ、その近くの檀家になるというものだ。そうした状況にあるお寺には後を継ぐ者がいないという。近隣の40数カ寺が同様の悩みを抱えていることも明かした。
真宗大谷派現地災害救援本部福島事務所の木ノ下秀俊氏は、教団の取り組みや県民の苦悩、放射線をめぐる二重基準などについて話した。「空間線量は国の言う0・23マイクロシーベルトに近づきつつあるが、寺院の場合、本堂の屋根に雨樋がなかったり、林を背負ったりすることがあり、その地域のホットスポットになりやすい」と指摘。
一方、環境省は除染ボランティアに対しては年間1ミリシーベルト以内になるよう注意を促しているのに対し、福島県民には年間20ミリシーベルトとしていることに「法律的にどうなのか。ダブルスタンダード(二重基準)になっている」と批判した。同時に不安を口に出せない県民の心境も報告した。
智山伝法院の伏見英俊氏は「原発事故被災寺院補償問題対策有志の会」(有志の会)による東京電力との和解交渉について報告。特に逸失利益に関して「一般の法人向けの損害賠償基準」則って和解となったが、必ずしも「被災寺院が特別に優遇されてのものではなかった」と解説した。
最後に東日本大震災による原発事故被災者支援弁護団副団長の大森秀昭弁護士が登壇。裁判によらずに和解を目指す原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)の 取り組みを中心に語った。原発事故の紛争解決にはADRのほか、直接交渉と裁判所による判断の3種類がある。
質疑応答では、有志の会が弁護士を立てずとも和解交渉が進んだ理由が質問として出された。伏見氏によると、東電神奈川補償相談センターの担当職員が寺院の運営実態をよく理解し、「一定のルールに従って請求を行えば齟齬を生じることなく賠償に応じてくれることが予想されたため」弁護士を通さずに交渉ができたという。
2015/2/19 本願寺派、ビハーラ全国集会開く 児童向け活動も視野に
ビハーラ本願寺の職員も参加した、一乗座長(左から3人目)の分散会 浄土真宗本願寺派は14、15の両日、京都市下京区の本山・西本願寺で「第15回ビハーラ全国集会」を開いた。全国から集まった会員と一般参加者約380人が交流し、宗派としての今後の課題を確認した。
開会式で大谷光淳門主が挨拶し、「地域や家族のなかにあっても人が孤立化する傾向があるように感じる。ビハーラ活動は関係する人にとっても大切な活動」と話し、多くの人に活動への参加を呼びかけた。
石上智康総長は今後の展開について、「児童養護施設や児童病棟での子どもに向けたビハーラ活動など、より広い新たな視点での事業展開が望まれる」と課題を提示した。
実行委員長の成川和行氏は、がんと闘った経験を語り、周りの人からの優しさに助けられたと振り返りながら、「人間としての本当の優しさとは何だろうか。悲しみや苦悩に寄り添って人生を生き抜いていくことではないか」と話した。
沖縄県うるま市で小児科医院を運営しながら浄土真宗を広める医師の志慶眞文雄氏が「生死を超える道としてのビハーラ活動」と題して講演した。
幼少のころから生死の問題に翻弄されてきたという志慶眞氏は大学院修了後、32歳で広島大医学部に入学。同大仏教青年会の発足に尽力した細川巌氏の読書会で『歎異抄』に出会った。現在は医院の2階で聞法道場「まなざし仏教塾」を主催し、読書会や講演会を開いている。
志慶眞氏は講演で「われわれは死ぬまで穢土からは出られないが、『浄土に居す』とあるように、心は浄土にいることができる。仏法を聞くか聞かないかの違い。命ある間は煩悩でしか生きていない。その自覚が成立したときに初めて、それを超えた一如の世界が視野に入る」と話した。
講演後には25の会場に分かれて講演のテーマについて話し合った。光明寺(福井県大野市)の一乗康純住職が座長を務めた分散会には特別養護老人ホーム「ビハーラ本願寺」(京都府城陽市)の職員が参加。僧侶で介護職の木村吉子さんは「語り伝えることが大切だと感じた。学んだことを持ち帰り日常の活動につなげたい」と話した。
一乗住職は、人とのかかわりのなかで「干渉ではなく、自分のこととして受け止めることが大事」と語った。
15日には8テーマで10の分科会が開かれ、児童に対する活動が初めてテーマとして取り上げられた。児童養護施設の光明童園(熊本県水俣市)の堀浄信施設長と防府海北園(山口県防府市)の岩城淳副園長を招いて意見を交わした。
育児放棄など子どもを取り巻く環境の変化に対し地域の重要性がより高まるとして、地域と子どもを結ぶような活動に期待が寄せられた。
2015/2/19 第2回インターフェース駅伝in京都 平和と復興、タスキに願い込め
全ランナーの最後にインターフェイス駅伝の第一走者がスタートした(西京極総合運動公園、15日午前9時15分) 異なる宗教を持つ4人が1チームとなってタスキをリレーするインターフェース(InterFaith、IF)駅伝が15日、京都マラソンに併せて開催された。昨年に続いて2回目で、海外7人、国内32人が参加。世界平和と東日本大震災の犠牲者追悼と復興への願いを込めて早春の京都市内を駆けめぐった。夕刻には市内のホテルで門川大作京都市長を迎え表彰式が催された。前日には中京区の法華宗大本山本能寺(菅原日桑貫首)で祈りの時間がもたれた。
曇り空のもと午前8時過ぎには、スタート地点の西京極総合運動公園に第一走者10人と駅伝ボランティアらが集合。入念に準備運動を重ねた。京都マラソン参加者は1万6千人。午前9時に号砲が鳴り、15分ほどで全ランナーが出発を終え、その最後にIF駅伝走者がスタートした。
約10キロごとにタスキをリレー。最初の中継点は仁和寺前で、立部祐道門跡も山門前で声援をおくり、走り終わった走者にはねぎらいの言葉をかけた。走者の中には、僧侶らしくランニングウェアの上に薄い衣や袈裟を身につけた人も。第2中継点(北山ふれあいセンター前)と第3中継点(聖ドミニコ女子修道院前)では、時間差がありながらも10チームが無事にタスキをつないだ。
ゴールは平安神宮前。全員完走が目的でタイムレースではないが、最高タイムはJチームの3時間52分13秒だった。全体の最終ランナーとなったのはBチームの女性走者ナジェット・アムリさん(イスラーム、ルクセンブルク)。「沿道から“ガンバッテ”と何度も声をかけられた。励まされました」と笑顔で振り返った。
夕刻の表彰式では、マラソン主催者である門川市長が「京都には誇るべき特性がたくさんある。その根底は宗教であり、京都の最大の特性は宗教都市であることと確信している。このIF駅伝にもっとも相応しい都市である」と挨拶。さらに「今日ほど宗教が、宗派を超え心を合わせ平和のために共同行動をとらなければならない時はない。その意味において2年続いたIF駅伝が未来に向け大きな役割を果たしていくと思う」と評価した。
inta-feisuekidennsaikoureisya (72)の郡山健次郎氏(カトリック)からイスラームのナジェット・アムリさん(ルクセンブルク)へタスキリレー(第3中継点) 2年続けて京都を走ったドイツのハンケ・インゴ氏(プロテスタント)は「これからも家族のように皆さんと交流を続けたい」と述べ、門川市長に特別仕立てのブレスレットを贈った。門川市長は記念の扇子を手渡し交流を深めた。
一人が2度走る
駅伝はAからJまで10チーム40人で構成。直前に病気などで2人が欠場。1人については代走者が決まった。もう一人が決まらず、Eチームの第一走者・鈴川智信氏(本願寺派)が急きょ、Iチームのアンカーを務め計約20キロを走破した。普段からジョギングをしているとあって、無事に務めを果たした。
前日に祈り「異体同心で」
駅伝前日の14日午後、本能寺本堂で走者やスタッフら約100人が参加して祈りの時間がもたれた。読経の中、海外参加者は日本人の作法をまねながら焼香した。
導師を務めた菅原貫首は「駅伝において様々な宗教者が平和というタスキをリレーする」とし、日蓮聖人の説かれた「異体同心」を紹介しながら、「お互いが心を合わせて取り組まなければならない。異体同心の思いを持って明日の行事がうまくいくことを祈念する」と挨拶した。
2014/2/19 BBA勉強会「イスラーム国」を考える 国際情勢が生んだ鬼子
「イスラーム国」の統治について解説する高尾氏 超宗派の青年僧侶が集うBBA(ボーズビーアンビシャス!!)は6日、東京・愛宕の曹洞宗青松寺で勉強会「『イスラーム国』について考える」を開催。イスラーム研究者の高尾賢一郎氏(上智大学アジア文化研究所共同研究所員)を講師に中東情勢や「イスラーム国」について学んだ。
高尾氏はシリアや中東諸国で査を行った経験から、現地の情勢や「イスラーム国」が活動域を広げるシリアやイラクの状況を考察。イラクでの湾岸戦争や2010年に中東諸国に起った反政府運動「アラブの春」で両国が大規模な内戦に突入したことなど背景を解説し、「国際情勢の中で生まれた鬼子がイスラーム国」だと語った。
「イスラーム国」と他の過激派組織との宗教的な違いは、預言者ムハンマドの後継者による統治を意味するカリフ制度を目指し、指導者のバグダーディ容疑者が自らカリフを名乗った点を指摘。「他の組織もカリフ制への移行を言うが、自分がカリフだと言う一線は越えなかった」と比較した。
「イスラーム国」の統治については、イスラーム法に則している部分もあることから、「処刑に対して反対できても、他のイスラーム教徒が反対しにくいことをやっている」との印象を述べた。
高尾氏は今後の問題として「何を正しいイスラームとして付き合うか」を課題に挙げ、イスラームの多様性も解説。聖地メッカにいる指導者が最高権威を持っていないことや、他の宗教宗派と違い「総本山や公会議のようなものがない」こと、同じムスリムの中で「我こそが正統派」だと競合する傾向があることなどを挙げ、「イスラーム教徒を一括りにするのは難しい」と説明。
対話の相手になりやすい中庸・寛容を標榜するムスリムであっても「我こそが寛容だと争いがある」とし、そのため過激主義や中庸・寛容という言葉も「日本語のひびきとは違う印象がある」と安易に日本の感覚でムスリムを推し量ることには、慎重な姿勢を示した。
2015/2/26 東日本大震災から4年 各地で法要や追悼行事
東日本大震災から4年目を迎えるにあたり、3月11日とその前後には教団・本山・寺院などで追悼法要が営まれる。
浄土真宗本願寺派東北教区は3月6日午後2時から仙台別院(仙台市青葉区支倉町1―27)で法要。布教使の久堀勝俊氏が法話する。問い合わせは教務所(☎022―222―8567)まで。
被災寺院である曹洞宗龍昌寺(岩手県山田町後楽町4―5)では3月10日午後1時半から松本哲也さん、NORISHIGEさん、桂枝太郎さんによる追悼ライブを行う。翌11日午後2時からは追悼法要。問い合わせは同寺(☎0193―82―3089)まで。
辯天宗は3月11日午後2時からの総本山如意寺(五条市野原西4―6―25)、冥應寺(茨木市西穂積町7―41)、東京別院(渋谷区渋谷1―11―16)の三寺院で追悼法要を行う。問い合わせは宗務庁(☎072―622―6861)。
郡山市に役場機能を移し、住民の避難生活が続く福島県富岡町主催の慰霊祭は3月11日午後2時半からあおき郡山斎苑(郡山市昭和2―8―8)で。準備の都合上コールセンター(☎0120―33―6466)まで要予約。町の慰霊祭終了後には続いて 富岡町仏教会による追悼法要が行われる。
真言宗智山派大本山川崎大師(川崎市川崎区大師町4-48)では3月11日午後5時から追悼法要・復興支援の第4回献灯会を開催する。大船渡市出身のシンガーソングライター濱守栄子さんのコンサートと献灯法要。献灯料500円。問い合わせは寺務所(☎044―266―3420)まで。
曹洞宗大本山總持寺は3月15日午後2時から鶴見大学体育館(横浜市鶴見区鶴見2―1―3)で「祈りの夕べ」を執り行う。江川辰三貫首親修による法要、福島県立安積黎明高校合唱団によるコンサート、村上美保子さんによる講演・紙芝居「あの日わたしは。震災から学んだこと」が行われる。鶴見大学附属高校生徒からのメッセージも。夕方からは万灯供養。問い合わせは總持寺(☎045―581―6021)まで。
NPO法人災害危機管理システムEarth(アース、石原顕正理事長)は3月11日午前11時から午後6時まで、東京・池袋のサンシャインシティ噴水広場(豊島区東池袋3―1)で「東日本大震災 鎮魂と復興のつどい」を開催する。震災が発生時刻の午後2時46分に、東日本大震災殉難者への鎮魂のため、阪神淡路大震災から引き継がれた「神戸・希望の鐘」を撞き、平和で安全な社会実現を祈る。1日約1万人が行き来する同所で7時間にわたる追悼行事。立正大学吹奏楽部(午前11時)、筑前琵琶奏者の川村旭芳氏(午後1時)、二胡奏者の太田久遠氏(午後1時半)の他、日蓮宗僧侶の声明と琵琶による「声明と琵琶のしらべ」(午後2時)なども予定。午後4時からは二胡・楊琴・笛・香花・香音を追悼コンサート「響け!東北へ」を上演する。無料。問い合わせは、アース(☎055―253―3314)。
(一財)「連帯 東北・西南」主催の東日本大震災被災地自立支援シンポジウム「光に向かって」が3月8日午前9時から仙台白百合学園(泉区紫山1―2―1)で開催される。午前の部には大槌町曹洞宗吉祥寺の高橋英悟住職、午後の部には一関市曹洞宗藤源寺の佐藤良規住職らが登壇。高校生のバイオリン演奏なども。詳細、申込は3月1日までに専用ウェブサイト(https://gicz.jp/open/05961862/index.html)で。
チャリティー公演「東日本大震災復興への祈り『復(ふっ)幸(こう)』~お大師さまとともに」(主催=真言宗豊山派仏教青年会、後援=真言宗豊山派)が3月11日午後7時から、東京国際フォーラム・ホールA(JR東京駅から徒歩5分)で開催される。「復興から復(また)幸(しあわせ)へ」―。東日本大震災から4年目を迎えるこの日、法要とコンサートで被災地復興への祈りのひとときを持つ。青年僧侶100人が復興への祈願をこめ、600巻の『大般若経』を豪快に転読。被災地支援を続けている豊山太鼓「千響」が、勇壮なばち音を響かせる。会場では西新井大師總持寺所蔵の日本最大級(縦・横5メートル)の大曼荼羅を特別開帳。東京5号支所仏教青年会の「弘法大師をたたえる夕べ」の大師尊像掛軸が奉祀される。世界的サックス奏者の渡辺貞夫氏がピアノとのセッションを披露。さらに国際的な和太鼓奏者の林英哲氏と「英哲風雲の会」のメンバーが、青年僧侶らと夢の競演。声明とご詠歌、管楽器の共演もある。S席1万円・A席8千円(税込)。チケット代から必要経費を除いた分を義援金として、東北3県に寄贈。当日は3県の物産販売もある。会場では、日本文化に興味を持つ海外からの来場者にも対応。英語などを話す青年僧侶が案内を行う。 チケット申し込み等は楽インターナショナル(☎03―6427―3239)。
2015/2/26 醍醐寺 五大力さん 餅上げ今年も女子で新記録
新記録で優勝した林真由美さん「五大力さん」の愛称で親しまれる「五大力尊仁王会」が23日、京都市伏見区の醍醐寺で営まれ、約5万人が参拝に訪れた。男性150㌔、女性90㌔の巨大な鏡餅を持ち上げる時間を競う「餅上げ力奉納」には、15~68歳の男女69人が挑戦した。
仲田順和座主が導師を務め、午前9時から国宝・金堂で法要を営んだ。明王の姿をうつしたお札「御影(みえい)」の配布が始まると、参拝者が金堂前に長蛇の列をつくった。
御影には盗難などの厄除けのご利益があるという。仁王会を前に15日から21日にかけて営まれた21座の法要で、1000人以上の僧侶の祈祷が込められている。
金堂前の特設会場で行われた餅上げ力奉納は、五大明王に力を捧げる行事で、無病息災のご利益があるとされる。15~62歳の26人が参加した女子の部では、出場4回目の奈良県橿原市の林真由美さん(46)が、昨年出た最長記録を20秒上回る11分31秒の新記録で優勝。11分3秒の新記録を出しながらも2位となった昨年の雪辱を果たした。
餅上げを訓練する「五大力田中道場」(京都市下京区)で1年間、練習に励んだという林さんは「今年は何がなんでも横綱(優勝)と思っていた。記録は誰かに破ってほしい。感動を味わって」と話した。
21~68歳の43人が参加した男子の部では、京都市中京区の消防士、堀尾泰寛さん(31)が優勝。記録は5分11秒だった。
2015/2/26 各伝統仏教教団が宗会シーズン
各伝統仏教教団の予算や施策を審議する宗議会が、2月下旬から3月上旬にかけて各地の教団本部で開催されている。
曹洞宗 僧堂振興に総長の強い意志
第122回曹洞宗通常宗議会が23日、東京・芝の宗務庁に招集された。2015年度の一般会計歳入歳出予算は約48億4千万円で、前年度の当初予算に比して約2億2千万円減額。級階賦課金は1点あたり161円で9年連続同額。「ともに願い ともに寄り添い ともに歩む」をスローガンに昨年10月に就任した釜田隆文宗務総長は初の施政方針演説で、とりわけ僧堂の振興に取り組む強い意志を表明した。(続きは紙面をご覧ください)
天台宗 60年ぶり根本中堂大改修
17日から始まった天台宗宗議会(小川晃豊議長)は木ノ下寂俊宗務総長による執務方針演説を受けて、代表質問・通告質問、各種委員会などが行われた。19日、提出議案すべてを承認した。木ノ下内局と天台宗は新年(平成27)度が始まる4月1日から7年にわたる第二期祖師先徳鑽仰大法会に入る。事業の柱である総本山延暦寺根本中堂(国宝)の大改修は、平成27年度が修理計画の本格調査工事となり、同28年度から本格修復事業となる。(続きは紙面をご覧ください)
2015/2/26 知恩院 国宝・御影堂の上棟式 100年ぶりの大修復進む
瓦が下ろされ、大きな丸太を使った桔木(はねぎ)などが露わになった御影堂の屋根 京都市東山区の浄土宗総本山知恩院で20日、約100年ぶりの大規模修復が進む国宝・御影堂の上棟式が執り行われた。伊藤唯眞門跡が導師を務め、参列した約140人の僧侶や工事関係者が完成までの無事を祈った。
御影堂は間口45㍍、奥行き35㍍、高さ28㍍で、1639年に徳川家光が再建した。法然上人800年大遠忌に合わせた事業で、2012年1月から半解体修理を始めた。1910年以来の大修復となる。
すべて下ろした8万5000枚の瓦は7割を葺き替える。軒が下がるのを防ぎ、屋根の曲線を維持する桔木(はねぎ)も取り外し、老朽化した木材を補修。113本のうち8本を取り替えた。京都市右京区京北のひのきが使われた。
法要後に行った「曳綱(ひきつな)の儀」では、「エイ、エイ、エイ」の掛け声に合わせ、参列者が棟木に結ばれた紅白の綱を引っ張った。棟木に上った職人が木槌で木材を打つ、「槌打の儀」も行い、建物が長く頑丈であるよう祈願した。工事は2018年末にほぼ完了する予定。
上棟式後に開いた祝賀会で伊藤門跡は「宗教建築の文化財には3つの心がこもっている。浄土宗の場合は念仏の心。祖師の教えを仰ぐ人たちの心。そしてこれらの心を受け取った工匠。三者の精神が集まり、モノに魂がこもって1つの文化財となる」と話した。
2015/3/5 伝統仏教教団宗議会シーズン 多岐にわたり激論が交わされる
2月17日から19日まで開かれた天台宗宗議会(小川晃豊議長)では、女性僧侶(尼僧)の育成と修行施設をめぐって知恵を出し合った。女性僧侶の現状と要望を述べたのは百濟寂仁氏(道興会)。全国で102の尼僧寺院があり、「女性教師は526名、出家得度(未教師)は998名、計1514名」と報告。その上で無住職寺院や後継者不足の地方寺院などに対して、「男性僧侶と違った面から女性パワーを発揮されると思う」と期待した。さらに女性僧侶の組織として「天台尼僧の会(仮称)設立を考えていただきたい」と要望した。
第122回曹洞宗宗議会は2月27日、全議案を原案一部微修正の上で可決し閉会した。一般質問では両会派から旧多々良学園問題について直言が続出。特に先般発足した「旧多々良学園問題を追及する有志の会」のメンバーから民事再生案を疑問視する質問が出た。
高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)の第151次春季宗会(安藤尊仁議長)が2月24~26日、和歌山県高野町の宗務所に招集された。前・庄野内局が行った資産運用の損益が確定したのを受けて詳細が報告され、前内局時代の5年間で被った損失額(利息を加味した実損額)は約5億7千万円になったことがわかった。ハイリスクな運用を独断で行い、損失が膨らんでも正確な情報を隠し続けた前内局の責任が、改めて問われる結果となった。
真言宗智山派(小宮一雄宗務総長)の120次定期教区代表会が2月24~26日、京都市東山区の宗務庁で開かれ、智積院会館の建て替えと宝物館の建設を、8年後(2023年)の弘法大師誕生1250年の記念事業として実施するとの意向が報告された。宝物館は、設備を整えた上で収蔵と展示などを兼ね備えた複合施設とすし、京都国立博物館(京博)に保管を委託している美術品を戻す予定だ。
臨済宗妙心寺派は2月24日、京都市右京区の宗務本所に第128次定期宗議会(鬼頭孝道議長)を招集。栗原正雄宗務総長は、住職規程や安居会規程などの改正案を提出した。将来的な僧侶教育のあり方を審議してきた諮問機関の答申等を踏まえたもので、「本派僧侶の雛僧教育を授業寺(師が弟子に仏の道を授ける寺)と専門道場のみに任せるのではなく本派全体の人的財産として、宗門の将来を見据えた僧侶育成課程を再構築するための施策」と表明した。
浄土真宗本願寺派(石上智康総長)は2月25日、京都市下京区の宗務所に第308回定期宗会を招集した。昨年9月に総長に就任し、発足した石上総局にとって最初の本格宗会となり、新年度の基本方針を「伝灯奉告法要に向けて―つなげる・つたえる・ささえる」と設定。平成28・29年度に実施される同法要に向けたもので、子どもや若者のご縁づくりから過疎地寺院対策、首都圏伝道など8項目の「宗門が抱える喫緊の課題」(石上総長)を掲げた。
浄土宗(豊岡鐐尓宗務総長)の111次定期宗議会(小栗賢亮議長)が2日、京都市東山区の宗務庁で始まり、教師の研修施設として改修する源光院の工事が、年内の完成をめどに5月に開始されることが分かった。2015年度の予算案も発表され、終戦70周年にあたって硫黄島での戦没者供養などを計画した追悼法要費などが計上された。
真言宗豊山派(坂井智宏宗務総長)の第138次宗会通常会(櫛田良豊議長・加藤章雄副議長)が3日から5日まで、東京・文京区の宗務所に招集された。坂井総長は施政方針演説で、東日本大震災と原発事故の復興支援活動として、引き続き「心のケア」を重点的に行うと表明。同派福祉基金から災害救助活動やボランティア活動を行った宗内の有志や団体などに助成金を交付することも決定し、「これにより宗派と各団体の連携を密にしていきたい」と述べた。
(宗議会の詳報は紙面でご覧ください)
2015/3/5 第32回庭野平和賞 ナイジェリアのイバンガ牧師に 女性の立場から平和構築
集会で少女らの解放を求めるイバンガ牧師(左) 公益財団法人庭野平和財団(庭野浩士理事長)は2月24日、宗教的精神や宗教協力に基づいて平和構築に貢献した個人や団体を顕彰する第32回庭野平和賞に、「障壁なき女性たちのイニシアチブ」会長としてナイジェリア国内を中心に女性や社会的弱者のために活動するキリスト教ペンテコステ派の牧師、エスター・アビミク・イバンガ氏に贈ると発表した。
イバンガ牧師は大学卒業後、ナイジェリア中央銀行に16年間勤務。いくつもの要職を経験しながら、1995年にジョス国際キリスト教伝道会を設立し、主席牧師に就任。01年に教会活動に専従するため銀行を退職。2010年、中央部に近いプラトー州で女性や子どもたちが虐殺された事件に遭遇し、「障壁なき女性たちのイニシアチブ」(WOWWI)を創設。女性の立場から平和構築や貧困者への援助などを実施してきた。
イバンガ牧師 今回の受賞にイバンガ牧師はメッセージを寄せた。「平和構築と宗教対話をめざす私たちのささやかな貢献が注目され、そして評価していただいたことに、驚き、胸の震える思いがしました。18年間、私はナイジェリアのジョスで牧師を務めたあと、4年以上にわたり(宗教や民族の異なる)優れたナイジェリア女性のグループと一緒に、母親の声を母国の平和構築プロセスに反映させるための活動を続けてきました」と感謝と活動の一端を報告。さらに「地球の平和と人々の協力に貢献するために、神の恩寵により、私はコミュニティーの平和と発展のために働き続けることを固く誓います」と新たな決意を表明した。
イバンガ牧師は1961年3月生まれ。キリスト教信仰の篤い家庭で育った。アフマド・ベロ大学卒業後、ジョス大学で経営学修士号を取得。夫と2人の娘の母親でもある。受賞者選定にあたっては125カ国約600人に推薦を依頼し、35人をリストアップ。東京で実施された庭野平和賞選考委員会(11人)の議論を経て決まった。イバンガ牧師には賞状と顕彰メダル、賞金2千万円が贈られる。
贈呈式は5月14日、東京・六本木の国際文化会館で。贈呈後、記念講演が行われる。
2015/3/5 青年僧が描く「今」と「未来」の仏教―浄土宗総合研究所シンポジウム
左から石田氏、井出氏、井上氏 寺檀関係の希薄化、葬儀の簡略化や法事離れ、人口減少や過疎問題など様々な課題を抱える仏教界の今後を展望する公開シンポジウム「今考える未来の仏教―次世代を担う立場から」が2月23日、東京・港区の増上寺光摂殿で開かれた。浄土宗総合研究所が主催。多彩な活動を行う青年僧が現在と未来を展望したほか、僧侶養成についても問題提起がなされた。
井上広法氏(栃木・光琳寺副住職)は、ネットの相談サイト「hasunoha」運営、人気TV番組「ぶっちゃけ寺」出演など、メディアを使った「仏教のツタエカタ」を紹介。こうした活動を「五重相伝」「授戒会」「法話会」といった伝統に対し、その土台作りと位置付け、「どんな意味があり、誰がターゲットなのか、明確にすることが大切」と話した。
医療や福祉現場で活動する大河内大博氏(大阪・願生寺副住職)は、3・11以降に始まった臨床宗教師養成などの流れが「仏教を背景としない臨床現場でどんな役割を獲得できるかに力点が置かれている」と説明し、「伝えるから寄り添うへギアチェンジできる存在に」にと指摘した。グリーフケアの現場から「ある方はお通夜でお念仏の話〝しか″しないことで傷つく。今、私がどうしたらいいのかという言葉が法話なく、誰を見て話しているのと思う」という声を紹介し、「目の前にいる人が、何を必要としているかを問い続ける力が欠けてはいけない」と話した。
左から大河内氏、掬池氏、和田氏 掬池友絢氏(静岡・蓮馨寺所属)は初めに「お婿さん」を待つ周囲の言葉に、「僧侶として望まれていない」と感じたと述懐し、固定観念や何気ない言葉に傷ついている女性僧侶の声を代弁した。一方で、自坊での活動のほか、都内で女性たちと悩みを語り合うお茶会を開き、同世代の女性へ仏教を伝える手応えも話した。今後については「病院で女医さんが求められるように、安心感から女性僧侶を求める人も増える」と展望した。
和田典善氏(長野・正満寺副住職)は「菩提寺に携わっている意識」を深めていくための効果的な護寺会の設置、葬儀や法事だけでなく、通過儀礼を行うことで寺檀関係を築き直すことを提案した。
コメンテーターは「未来の住職塾」講師の井出悦郎氏((一社)お寺の未来副代表理事)。井出氏は「この業界では長らく危機意識が叫ばれているがなぜ動けないのかが問題」と提起。「本堂を離れ、袈裟を脱いで一人の人間として勝負できるか」を問うた。「僧侶としての自覚と基本の徹底」、「喪・終末期の伴走者」などを提案し、「欲しいのは百の批判より百のアイデアと実行。それが溢れてくれば必ず変わる」と行動を促した。
質疑応答では、檀家に頼らない寺院運営の在り方を考察したほか、僧侶養成についても議論。カウンセラーの講習を取り入れる、僧籍取得後の教育制度の拡充が提案された。大河内氏は「世襲制になりお坊さんになることが肯定的なものとして持ちづらい。でもそれを言っちゃいけない。そんな僧侶養成には疑問を感じる」とす、「肯定的な自分」となるための支えを要望。井出氏は「どの宗派でも人材像を語ろうとすると祖師に立ち戻るという極端な先祖返りをしてしまう。具体的に機能する人材像について地に足の着いた議論がないの」と苦言。宗門大学の在り方、修行期間の問題にも言及し、人材育成の重要性が共有された。
2015/3/12 真宗大谷派福島5寺、原発ADRで東電と和解 請求額の95%
和解を報告した里雄康意宗務総長(左)と大森秀昭弁護士(中央)、清田に真澄仙台教務所長(右) 真宗大谷派は5日、京都市下京区の本山・東本願寺で会見し、福島県内の同派5カ寺が、東京電力福島第1原発事故に伴う除染費用を東京電力に請求した問題で、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)を通して和解が成立したと発表した。和解は2月27日付。和解金は請求金額の約95%にあたる除染費4100万円と弁護士費用123万円。
申立人は南相馬、福島、二本松(2カ寺)、須賀川の各市の5カ寺。除染対象となる年間1ミリシーベルトを上回り、除染前の放射線量は年間2・58~3・47ミリシーベルトに上っていた。
除染実施計画に入っているものの、寺院は事業所として扱われ、後回しにされていた。優先度の高い住宅や公共施設でさえ除染作業は遅れていて、実施の見通しが立っていなかった。
5カ寺は自主的に除染を始め、土や砂利の除去、入れ替え、植木の切り落としなどを実施。原発被災者弁護団を代理人として、2013年11月27日に申し立てを行った。
東電は、寺院の公共性の低さや、国や自治体の計画から外れた個人の除染費用の請求は不当などの理由で支払いを拒絶。弁護団は、祭りや子どもの遊び場として、地域住民が集う公共的な役割を果たしているなどと反論した。
同派現地災害救援本部の清谷真澄仙台教務所長は「聞法会や報恩講などで人が集まると理解されるのが難しかった」と時間がかかった理由を説明した。弁護団の大森秀昭副団長は「人が集う場所として、除染の必要性が全面的に認められた」と主張。和解金が請求金額の95%だったことついて、坂口禎彦弁護士は「画期的だ」と述べた。
今回の和解が成立したことで、大森副団長は「ほかの被害者に前例としてもらえたら、除染実施のプラスになる。広がっていく契機になれば」と話している。
里雄康意宗務総長は「和解が東電の一連の過誤を容認するものではない」と話した。
また、同派が2013年9月4日に東電に申し立てた、放射能測定器16台の購入費約3080万円の賠償請求の和解が今年3月12日付で成立した。和解金は約45%の約1370万円だった。
2015/3/12 緊急レポート 人質殺害事件、シリア国境で供養を敢行/太田宏人
2月25日午後5時30分頃、シリアとの国境、トルコのカルカミシュ村での供養をする筆者(村人撮影) 現地時間の2月25日の日没後(午後5時30分過ぎ)、トルコ南東部ガジアンテップ県カルカミシュ(Karkamis)村のシリアとの国境線で、シリア内戦犠牲者ならびにダーイシュ(IS)に殺害された湯川遥菜さんと後藤健二さんの慰霊法要を厳修した。
ネットの情報によると、後藤さんの殺害場所はシリア領内アレッポ県マンビジ(Manbij)付近のユーフラテス川沿いで、カルカミシュは同地点から北へ20kキロメートル。トルコ領内で最も近い村だ。
私は、後藤さんの殺害映像の公開後に渡航を決めていた。トルコ国境地帯に外務省が退避勧告・渡航延期の指示を発出していたことは承知だ。
ライターとしては、昨今の国家権力による報道統制への疑問があった。二人の殺害を口実にした自衛隊の海外派遣は言語道断だ。過去の同種事件でもそのようなことは議論されていない。安倍首相は、自説どおりに人道支援を徹底すべきだ。
僧侶としても、SNS上で「暴力拡散の連鎖に反対する仏教者」というページを立ち上げて声を出している以上、行動は義務でもある。「現地まで行かなくても」という声もあろうが、同じ空気の中でしか故人に伝えられない祈りというものがある。それに、日本人僧侶が祈る姿を現地に晒すことが暴力拡散に反対するメッセージの一助になれば、という思いもあった。我々は暴力ではなく慈悲の拡散に努力しなければならない。
私は、下記の優先順位で計画を立てた。①生還の確証あるならシリア領内で供養②トルコ側カルカミシュで供養③トルコ側国境あたりのユーフラテスの川岸で供養。
私は南米のペルーに住んでいたことがあり、危険地帯の取材経験がある。銃弾に掠められたことは数知れず、日本大使公邸人質事件(96~97年)の武力突入の現場にもいた。過去に危険に対処できたからといって、トルコでも大丈夫とは言わないが、自分の流儀に従い、現地コーディネーターや通訳は雇わなかった。
カルカミシュへはイスタンブールから空路と陸路を辿った。ニジプ(Nizip)から先は公共交通手段に出遭わないので、カルカミシュ村への国道の分かれ道で、村の住民らと「知り合いの車」が通るのを待ち、便乗させてもらった。村はどこまでも続く国境線の壁に面していた。要所に国境警備隊の銃座が光る。紛争地帯の国境の緊張感に身震いする。
車でここまで連れて着てくれた村人は「500ドル出すなら、シリアへ入れてやる。あんたが一人で行ったらすぐにダーイシュにつかまってこうだ(首を切る仕草)」と言う。
2月26日午前10時頃、ビレジクのユーフラテス川岸での供養を終えた筆者(タクシー運転手撮影) 英語が通じず、こちらもトルコ語がよく分からないので、彼のいう「密入国」の方法が不確かなのと、後藤さんがそうであったように、トルコ側の人間がダーイシュに外国人を「売っている」ようなので、断った。何より、彼らの要求に応じる金銭的余裕がなかった。
村人に、もっとも国境線に近い公道まで車を走らせてもらった。車が停止すると、目の前50メートルに壁があった。公道から先へは立ち入り禁止で、下手をすれば銃殺。立ち止まるのも駄目なのか、すぐに国境警備隊が何かを叫ぶ。村人は「この日本人は写真を撮りに来た」と返すが、私が改良衣を羽織って、線香に火をつけたためか、今度は兵士が怒鳴り出す。付近の村人も集まってきて、兵士に怒鳴り返す。喧騒の中、私は心を込めて読経を始めた。
途中で、村人の車が走り去った。私の荷物も財布も全部載せたままだったが、構わず、読経を続けた。
回向が終わると、軍のジープが急行してきた。そこで、村人と一緒に走って逃げた。我々の車はワンブロック先で止まっていた。村人は、ホテルのある隣町まで全速力で車を走らせてくれた。
翌日、国境線からさらに20キロ北上した、ビレジク(Birecik)のユーフラテス川の岸辺で、供養と散華をした。キリスト教徒の後藤さんのために、殺害場所の川上で、どうしても献花をしたかった。
ビレジクやイスタンブールでもシリア難民に出遭った。彼らは道端で物売りをしていた。安倍首相肝いりの「人道支援」は届いているのだろうか。
………………………
おおた・ひろと/昭和45年(1970)生まれ。国学院大学卒。曹洞宗僧侶。日系紙「ペルー新報」元日本語編集長。葬送や東日本大震災に関するレポート記事を各方面に発表。著書に『知られざる日本人』『逝く人・送る人 葬送を考える』『110年のアルバム―日本人ペルー移住110周年記念誌』など。
2015/3/12 3・13大阪大空襲から70年 街は火の海、夜通し歩き避難―大阪府佛教会の井桁雄弘会長が語る
大阪・京橋駅南口にある空襲慰霊碑。昭和20年8月14日に空襲に遭い、判明している犠牲者は210名だが、“無縁仏”を含めると500名とも600名とも言われている 戦争末期の昭和20年3月以降、日本は未曾有の大空襲に見舞われた。最初は都市部が狙われた。3月10日の東京大空襲、12日の名古屋大空襲、13~14日の大阪大空襲、17日の神戸大空襲などである。空襲は全国におよび、8月15日の終戦直後まで続いた。大阪府佛教会会長の井桁雄弘氏(浄土宗大圓寺住職)は「記憶が薄くてね」と苦笑しながら、小学生時代の空襲体験を開陳した。
「普段から空襲警報が鳴るたびに足にゲートルを巻いて避難する準備をしていましたよ。小学校でも巻いていましたから、慣れたもの。外に出て、家が焼け落ちるのを見届けてから、母親に抱えられるようにして逃げました」
70年前の3月13日深夜から翌14日にかけて大群のB29が大阪上空に飛来。
「“ザーッ”と、雨に似ているけれども、もっとひどい音だった」と井桁氏は記憶をたどる。B29は大量の焼夷弾を投下した。爆弾ではない。日本の木造家屋を熟知しての焼夷弾である。一面が火の海になると「どれが自分の家かわからないくらい」だった。「夜通し飛んできては焼夷弾を落とした。で、街は全部焼けた。後から聞いた話やけど、一週間ぐらい火が燻っていたらしい」
井桁親子は祖母のいる堺市に避難することになった。住居のある大正区小林町から千島町を経て難波の汐見橋まで防空ずきんをかぶり歩いて逃げた。道路は避難者であふれていた。その最中にもB29はやってくる。随所に遺体があり、助けを求める人もいた。「母親が、遺体を見せまいとしてこうやってね(身体を覆うしぐさ)。見たらアカンとも言われた」「本当に何もできなかった」と唇を噛む。夜を徹して歩いてようやく汐見橋駅(南海電鉄)に着いたものの電車が出ない。なんとか動いた電車に乗り込み堺東駅まで行った。そこから再び歩いて祖母のいる家に避難した。
大阪大空襲は市下だけでも8回あった。最後は8月14日の京橋空襲だった。市外も空襲にさらされた。7月10日、避難先の堺市を大編隊が襲った。「とにかく凄かった。堺市内は全部焼けてしまった。今の堺駅付近ではようけ亡くなった。上に阪堺電車が通って、その鉄橋の下に川があって防空壕があった。みんなそこに逃げたけど、そこで亡くなった。檀家さん5人も」「堺に土居川というのがあって、ここでもようけ亡くなった。川の両側の街が焼けてみんな土居川に向かった。そこに飛び込んだ。川の水が湯になったと聞かされた」
記録では7月10日の堺大空襲で1860人以上が犠牲になった。井桁親子は「祖母の家が仁徳天皇陵のそばだったから助かった」。民家のない御陵は攻撃目的ではなかったらしい。それにより周辺も戦災から免れた。
「確か空襲から2日後くらいかな。醤油さんやと思うが、いれもんを持って、入れてきた記憶があるわ」。忙中閑あり。焼け残った大樽から大量の醤油が流れ出し、子どもたちがそれを瓶や壺に入れていたというエピソードである。
大空襲で一面は焼け野原になったが、残った建物が蔵であった。堺で衝撃的なシーンを目の当たりにした。ある大人が自分の家の蔵を開けようとしていた。井桁少年と仲間たちは遠目から見ていた。「開けた瞬間、ボーンと火が噴き出た。おそらく中は熱がこもっていたから、そうなったと思う。当時は判らんから、爆弾が落ちた!と思った」
最初の大阪大空襲は3月13日。3日前の3月10日は東京大空襲だった。「ラジオを聞いていた父親が、東京が空襲でやられたと教えてくれた。けれども空襲というのがようわからんかった」と井桁氏。間もなく大阪も同じようになるとは、おそらく民間人では考えもしていなかったであろう。
京橋空襲翌日の8月15日。「重大発表があるでと親が言ってたね。それで、今日は遊びに行ったらアカンと」。戦争が終わり、それから日本は復興へと歩み始めた。
僧侶になってからの昭和47年頃から4回ほどフィリピンを慰霊訪問。1回目は遺骨収集もした。「私らは戦争を知らんから、地元ライオンズクラブのメンバーに頼まれてね。戦友がフィリピンのサマールで亡くなったというのでお骨を拾いに行き、ご供養した。ここで死んだとか、戦友の話をよくしてました」。それから井桁氏はサイパンや台湾、そして沖縄へと慰霊の旅を続けた。
戦争末期の度重なる空襲体験と戦後のひもじさから「生きてこられたのが不思議な感じがする」と言い切る。それが慰霊の行動にもつながったようだ。井桁氏は続ける。「当時の人たちは物がない、働くところもないのに一所懸命生きてきた。それが復興につながった。日本人というのは努力家だと思うな。裸一貫からよう短期間にこれだけきたなと思う。批判もあるけれども島国というのも幸いしたと思う。だから団結できた」
戦後70年。井桁氏は最近の少年事件に胸を痛める。原因の一端は家族にあるという。「家族内で会話、対話がない。夫婦もそうだし、子どもたちもゲームや携帯(スマホ)ばかり。月参りしているとそれを感じる。家族でもっと会話してスキンシップせな。それは国と国との関係も同じやと思うわ」
………………………
いげた・ゆうこう/昭和9年(1934)12月28日、現在の大阪・大正区生まれ。佛教大学卒。在家出身で15歳の時にお寺に入った。仏教青年会活動等を経て大阪府佛教会の事務局長、理事長を歴任し平成22年(2010)から会長。総本山知恩院顧問、全日本仏教会監事。住吉区の大圓寺住職。本尊の阿弥陀如来像は快慶作。
2015/3/19 佛教大学 オリジナル日本酒が完成 米作りから醸造まで体験
ジェイアール京都伊勢丹で試飲販売した杉本創さん(左)と小倉早織さん 佛教大学の学生が企画したオリジナル日本酒「佛米! 夢乃酒(ぶっこめ ゆめのさけ)」の今年の新酒が出来上がった。27人の学生が米作りから醸造まで酒造りを体験した。4~10日の1週間、ジェイアール京都伊勢丹(京都市下京区)で試飲販売し、店頭プロモーションも行った。
フィールドワークを通して、学生生活では経験できないものづくりを学ぶ「酒づくりプロジェクト」の企画。キャリア教育の一環として始めて今年で7年目となる。地域連携協定を結ぶ京都府南丹市美山町産の米で何かつくれないかと考えたのが始まりだ。
「田植えを経験してみたかった」と参加のきっかけを話す2年生の小倉早織さん(20)は2014年春、美山町で酒米「五百万石」を植え付けた。
夏の間は2~3週間に1回、草取りに通った。小倉さんは「(プロジェクトの中で)一番大変だった」と手作業の苦労を実感。秋に660㌔を収穫した。
今年のコンセプトは「日本酒でつなぐ親子の絆」。20代の若年層とその親を想定し、ラベルを考案した。淡い水色のビンもイメージに合わせた。
醸造は、京都市伏見区の純米酒にこだわる招徳酒造が協力。精米歩合やアルコール度数を調整し、コンセプトに合う味にした。
無濾過生原酒と火入れした2種の純米吟醸酒を1700本つくった。フルーティーな香りとすっきりとした飲み口が特徴だ。
京都伊勢丹で試飲販売した2年生の杉本創さん(20)は、姉が酒造メーカーに勤めていて興味を持ち参加。「京都の地酒が目当ての観光客が多い中で売るのは大変」と接客に励んでいた。
佛教大近くの4店舗で販売している。各720㍉㍑で税込価格が生原酒1620円、火入れ1512円。
2015/3/19 醍醐寺の菩薩像 国宝に 虚空蔵と判明、重文から格上げ
国宝に指定された虚空蔵菩薩立像真言宗醍醐派醍醐寺(京都市伏見区)が所有する重要文化財・聖観音菩薩像が、虚空蔵菩薩像であることが分かり、13日、国宝に指定された。醍醐寺文化財研究所の副島弘道氏(大正大教授)の調査で明らかになった。
文化庁の文化審議会が「木造虚空蔵菩薩立像」を国宝に指定するよう文部科学大臣に答申した。1本の木から彫り出された像高51・5㌢の彫刻で、平安時代前期の名作として知られている。衣のひだが複雑に乱れる様子を克明に刻み出した表現が美しいとされる。1909年(明治42年)に重要文化財として指定されていた。
虚空蔵菩薩と刻印のある版木に彫られた仏像が、聖観音菩薩像に酷似していることを副島氏が発見。塔頭の菩提寺に虚空蔵菩薩が祭られていたとの記述が、醍醐寺の歴史を記録した『新要録』にあることも分かった。版木は醍醐寺の霊宝館に保存されている。
13日の定期宗会後、仲田順和座主は国宝指定を受けて、「虚空蔵菩薩さまは真言宗の宗祖、弘法大師さまも修された求聞持法の本尊であり、醍醐寺にとっても大切な仏さま。本来の名称、虚空蔵菩薩として国宝に指定されたことを大いに喜び、名称を認めていただいたことに感謝したい」と話した。
2015/3/19 3.11東日本大震災から4年 心の復興の今 宗教者の役割は
回向の日々、亡き人に導かれて 樋口伸生 浄土宗西光寺副住職(宮城県石巻市)
今年の3月11日は午前11時と午後2時45分の2回に分けて五回忌の法要をお勤めしました。午前は250人、午後は100人の方が参拝に来ました。2時46分には街のサイレンが鳴りますが、その音を打ち消すようにお寺の半鐘を強く打ち鳴らして法要を執り行いました。全国から僧侶の仲間が参加してくれました。
西光寺の法要は、参列者が一緒にお経や偈文をお唱えできるように現代語訳にしています。この日もみんなでお経をあげ、お念仏をお唱えしました。来年は六回忌、その次は七回忌。一年一年、たとえ足取りが重くとも、生き遂げてやろうという思いです。
4年が経ちましたが、悲しみが減ることはありません。むしろ、喪失感は大きくなっていると感じます。寂しさが人間を押しつぶそうとしている。4年の節目に、被災者の前向きな強い言葉が報じられていますが、自分を鼓舞しなければつぶされてしまう。強い言葉はその表れでもあります。
被災者といっても、家族を亡くした人と、そうではない人の間には、少しずつズレが出てきています。今年の3月にある会合に参加した時のこと。地元の教育関係の方が「そろそろ追悼ではなく、子どもの教育について考えましょう」と言いました。教育は大事です。しかし、それはご供養することと同時進行でも考えられることです。今までもこのようなズレはあったと思いますが、5年目を迎える被災地ではそれが表に出て来やすくなるかもしれません。遺族の方がより苦しい状況になってしまうのではないかと懸念しています。だからこそ、僧侶の役割は大きいと思います。
11日には五回忌法要、翌12日には遺族たちが集う「蓮の会」を開きました。祈りは深めれば深めるほど、重ねれば重ねるほど、善い導きを得られます。その導きの言葉は、お釈迦さまや法然上人の言葉です。それを信じていこう、というお話をしました。
ただ正直に言えば、今は僕自身も落ち込んでいる状態です。法務をして、お寺の復旧を考えてと、余りにも忙しい。西光寺の再建はまだ2割程度しか進んでいません。私が住職を務めている無量寿庵は津波で流されてしまったままのゼロの状態です。なかなか良くならないことへの焦りがあります。加えて、遺族の方の苦しみが、すっかりと癒えることはない、ということも分かっています。自分自身が体力と気力を充電しなければと感じています。
このような状況のなかで、まだまだ動けていない僧侶がたくさんいるんではないかと、私の目には映ります。「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」。七佛通誡偈は仏教の基本です。どの宗派であっても「悪い事をやめて善い事をしよう」というのは共通するはずです。これを今の時代のなかで、お互いの個性を活かしてやろうよ、と言いたいです。善い事には色々な幅と奥行きがあります。10人いれば10種類の善い事ができる。それを僧侶が自信をもってやっていくことで、被災地支援も重層的で厚みが出てくるはずです。
蓮の会では「お祈りの暮らしをしていこう」というのを合言葉にしています。お祈りの暮らしというのは、つらいことでもあります。より正直に自分を見つめることですから、悲しみが体を突き抜けます。でも、お祈りをすることで誓いや決意が生まれて、亡くなった人に対して愛情を訴えることができるのです。
震災の後、遺族の方たちの中には、ずっと旅行にいけないでいる人がいます。旅行どころか、「外に出るのが嫌」「人混みが嫌」という人がたくさんいます。いまだにスーパーの特売にも行けずにいる。人混みや賑やかな場所にいくと、心がギュッと締め付けられると言います。しかし、人間は外に出て行って、社会性を持たなければいけません。
そこで、2年前に「お勤めに行こう」と声をかけて、九州の大本山善導寺にお参りにいきました。阿川文正法主にお声をかけてもらい、大殿でお勤めをしました。石巻でも同じことをやっているのですが、凄く感動したと言ってもらえました。
昨年は東京の増上寺に、今年は5月に知恩院にお参りに行く予定です。こうやって少しずつ生きることに活動的になっていくことが、亡き人への愛情表現でもあります。同時にこれは、亡くなった方からの回向でもあります。自分を守ってくれている、導いてくれている、ただしてくれている。供養とは双方向にあるということを、を少しずつ感じてくれているかもしれません。(談)
ひぐち・しんしょう/1962年、宮城県石巻市生まれ。西光寺副住職、無量寿庵住職。震災後の津波で倒壊を免れたが土砂や瓦礫が流入し甚大な被害を受けた。毎月11日に遺族が集う「蓮の会」を開いている。
2015/3/19 慰霊と復興に想い捧ぐ 海外含め11宗教団体が祈り
慰霊碑「芽生えの塔」で祈りを捧げる宗教者たち 東日本大震災で甚大な被害を受け、いまだ復興途上の宮城県名取市閖上の日和山で16日、11の教団や宗教組織による「祈りの集い」が営まれた。同日に仙台市で開催された国連防災世界会議パブリックフォーラム「防災と宗教」シンポジウムの後、参加者の有志により行われた。
真言宗智山派宮城教区長の杉田広仁氏が開会の挨拶。「胸が張り裂ける思いだった」と震災当時のことを回想しつつ、「犠牲になられた方々のご冥福と復興をともに祈り、我々の心の誠を捧げたいと思います。我々の想いを亡き人、復興を目指す人に伝えましょう」と語った。
祈りは、8・4メートルの津波の高さと同じ「芽生えの塔」と、黒い石に「亡き人を悼み故郷を想う 故郷を愛する御霊よ安らかに」と刻まれた「慰霊の種」の前で行われた。
杉田氏をはじめとする仏教僧侶は般若心経で供養。続いてカトリック、円応教、イスラム、韓国宗教人平和会議、黒住教、プロテスタント、立正佼成会、世界心道教、神道が次々と祈りを捧げ白菊を手向けた。最後は地元・宮城に本部を置く大和教団が厳かに手を合わせた。午後2時46分を過ぎた時には一同が黙祷した。
閉会の挨拶で円応教教主の深田充啓氏は、阪神大震災の時には東京、東日本大震災の時には京都にいたことを回想。その2度の大震災で教団としての再三被災地を訪れ、超宗派でも祈りを捧げられたことに感慨を表し、今後の一層の復興支援への努力精進を誓い、亡くなった人への冥福と一日も早い復興を祈念した。
その後、参加者がめいめいに白菊を碑前に捧げた。帰路一同は甚大な被害を受けやはり復興進まぬ仙台市若林区荒浜も回り、鎮魂のために建立された「荒浜慈聖観音」にも手を合わせた。 (仏教タイムス3月19日号2面に各地の震災関連記事)
2015/3/26 大正大学 地域構想研4月スタート 地域志向の人材育成開始
地域構想研究所・研究棟の完成予想図(来年4月完成予定) 東京都豊島区西巣鴨の大正大学(勝崎裕彦学長)は4月1日から「地域構想研究所」を始動させる。創立90年を迎える来年4月から新設される予定の「地域創生学部」と連動したもので、人材交流・情報交換・新規産業育成などを盛り上げ、地域志向の教育にチャレンジを始める。今月12日に東京・霞が関でその発表記者会見・情報交換会が行われた。
研究所は、地域構想・地域創生政策の研究や企業支援を行う「研究活動」、地域内外で連携を取りリサーチ活動をする「地域連携活動」、セミナーやシンポジウムの開催や企業家を育成する「人材育成活動」、それに「広報(情報発信活動)」を行う、知と地の連携拠点となる。
注目されるのが広域地域連携自治体ネットワーク事業で、北陸・東北を中心とした「天の河コンソーシアム」と関東以南奄美群島までの「くろしおコンソーシアム」を運営する。これは地域同士を地域構想研究所が連携させ、さらに大学間連携や学生育成などで協力し合うというシステム。現時点では全国36の自治体が加盟している。なお加盟自治体の一つ山形県新庄市の山尾順紀市長は同大OBで、大学設置宗派である真言宗智山派の住職でもある。
また、特筆されるのが構想研の企画・編集による地域創生総合情報誌月刊「地域人」が今年9月に創刊されることで、学生が積極的に関わり、全国一般書店での販売流通も行うという。部数は3万部。
情報交換会で大正大学の柏木正博事務局長は「はっきりいって大正大学は人文系の大学。直接的に世界に役立つ学問をやってきたわけではないが、90年経って学生数も5千人近くなり、この辺りでどんな世界に行っても通用する人材を育てようと考えた。特にグローバル人材を育てる大学ではないだろうと思い、その逆をやろう、地域を活性化させようと考えた」と、発想の逆転によるプロジェクトだと話した。地域からやってきた学生を育て、地域に帰すという使命感も披瀝した。
地域構想研究所のスタッフには顧問として養老孟司・同大客員教授や島薗進・東京大学名誉教授、清成忠男・元米国ブリヂストン経営責任者ら、研究員には北条規・ものづくり研究所代表取締役らが加わる。研究棟は昨年11月に大学はす向かいの北区滝野川に建設中で、来年4月に完成予定。研究所は現在5号館に仮事務所が置かれている。
2015/3/26 築地本願寺 光の映像で築地物語 重文記念しプロジェクションマッピング
築地本願寺の歴史を光で映し出したプロジェクションマッピング(3月14日夕) 東京・中央区の浄土真宗本願寺派築地本願寺の本堂・三門門柱・石塀が昨年12月10日、国の重要文化財に指定されたことを受けて、3月14・15日に記念行事「ごえん」が開催された。14日夕には前夜祭としてプロジェクションマッピング「光がおりなす築地本願寺物語」が行なわれた。
築地本願寺の本堂は関東大震災に伴う火災で焼失し、1934(昭和9)年に再建。日本建築史を創始した伊東忠太博士によって設計された。外観はインド古代仏教建築を素材とした石造風で動物や幻獣のレリーフや彫刻が施されている。一方、その内部の荘厳は伝統的な真宗寺院の造り。伊東博士は建築学研究のためアジア・欧米を留学し、旅の途中で本願寺第22代宗主の大谷光瑞法主率いる大谷探検隊のメンバーと出会い、設計を依頼された。プロジェクションマッピングでは大谷探検隊と伊東忠太との邂逅から築地本願寺ができるまでが表現された。監修は龍谷大学工学部の岡田至弘教授。鮮やかな光の映像に来場者も見入った。
北畠晃融宗務長は「歴史を振り返ってみても、本日の開催行事を見ても、築地本願寺は地域の方々や多くみなさまにお支えいただいている」と謝意を込めた。
前夜祭ではプロジェクションマッピングのほか、同寺雅楽会による舞楽「蘭陵王」が奉納。15日は記念公開や築地・築地本願寺ツアーなど、多彩な催しで賑わった。
2015/3/26 国連防災世界会議 「防災と宗教」シンポ 宗派宗教を超えた防災の時代
カフェ・デ・モンクの活動を語る金田住職 国際連合に加盟するすべての国が参加し、防災への取り組みを高めあう国連防災世界会議が14日から18日まで宮城県仙台市を中心に開催された。16日には同市TKPガーデンシティで、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会、宗教者災害支援連絡会(宗援連)、宮城県宗教法人連絡協議会(宮宗連)の共済によるパブリックフォーラム「防災と宗教」シンポジウムが開催され、東日本大震災やハイチ津波など大規模災害の体験と復興支援に取り組んだ宗教者たちの活躍が紹介された。約400人が参加した。
WCRP日本委会長の庭野日鑛氏は挨拶で「中国の古典に、一年計画なら穀物、十年計画なら樹木を植えるのがいい。終身計画なら人を育てるのに及ぶものはない」と述べ、復興計画でも日頃の防災でも、短期・中期・長期の視点がそれぞれ大切だとし、長期的に「人を育てる」宗教者の活躍を強調した。
世界人道サミット事務局長のジャミラ・マウモッド氏も、自身の故国マレーシアで多様な信仰が存在し協調していることを説明。「宗教界は人道支援が届かない所にもアクセスできる可能性がある」と語った。
日本宗教連盟理事長で地元・宮城県に本部を置く大和教団の教主である保積秀胤氏は、被災時に全国から寄せられた支援に深く感謝。「宗派宗教の違いを互いに乗り越え防災のために互いに歩む時代が到来した」と今後のさらなる宗教協力に期待した。
大震災の体験発表では5人が登壇。石巻市・新山神社宮司の小田道雄氏は「拝殿・社務所はもちろん石造り大鳥居の柱は二つに折れ笠木は50メートル離れた小学校の校門にまで流されていて」と津波の甚大な破壊力を回想。神社本庁の支援で2012年に新宮が竣工し、各地の仮設住宅に散り散りになっている氏子が参集し「人々の目に熱いものを感じました」という。鎮守の森の植樹などで神社の復興は着実にし進んでいるものの、仮設している地域の生活の便利さと高台移転の復興の遅れで日増しに地域に戻るに戻れない人々が増えていることを危惧した。
宗教宗派を超えて被災者の心のケアや死者の弔いを行う「心の相談室」からは通大寺住職の金田諦應氏、昌林寺の松山宏佑氏、玄松院住職の三浦正恵氏の3人の曹洞宗僧侶が発表。傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を続けてきた金田氏が概要を説明、多彩なゲストを招いて被災者を元気付けてきたラジオ版「カフェ・デ・モンク」(全105回)はデイトFMで数々の音楽番組の制作に携わってきた三浦氏の力が大きかったともいい、僧侶としての能力にとどまらない個性による支援の形には驚きの声も上がった。松山氏はもともと内向きな宗教家だったというが「人間性も変わった、開放的になった」と支援により自身が変わったと語った。
シャンティ国際ボランティア会岩手事務所長・山元事務所長の古賀東彦氏は移動図書館による被災者支援を説明。曹洞宗福島県青年会や復興支援室分室などとの連携により広い支援が出来ることになった。「結果を残さなくちゃ行けない」と躍起になりすぎるボランティアもいるが、僧侶による支援は「入れ込みすぎないというか、自分が思っていることを押し付けるようなことがはなく」利用されている方の心を慮るような態度で非常に好評だと話した。
その後学者・ジャーナリスト、宗教者が加わりシンポジウムが行われ、最後には宗教者が防災教育や訓練、災害時の緊急対応、復興期のコミュニティ再生への貢献、行政との連携をすることを謳った「提言文」が発表された(詳しくは紙面をご覧ください)。
2015/4/2 奈良・法華寺に樋口教香住職が晋山 一般出身で初の住職就任
輿(こし)に乗って南大門をくぐる樋口教香住職 光明皇后が創建した総国分尼寺として知られる奈良市の門跡寺院、法華寺で3月29日、住職に就任した樋口教香住職(62)の晋山式が行われた。約300人の参拝者に見守られるなか、伝灯奉告法要が営まれた。皇族や公家出身者以外の就任は初めて。
赤門を出た樋口住職は輿(こし)に乗って進み、南大門から朱傘を差し掛けられて本堂まで練った。京都や名古屋などから参集した職衆9人とともに、法要を営んだ。
樋口住職は、1200年以上の長い間、法灯を絶えることなく受け継いできた多くの尼僧の覚悟があったと述べ、「久我高照門跡の残した遺言の指名により住職の重責を継承する」と決意を表明した。
奈良ホテルで開かれた晋山披露宴に出席した奈良県出身の奥野誠亮元法務・文部大臣が「もう少しで満102歳」とよく通る声で話し、「樋口さんならしっかり法華寺を守ってくれる」と激励した。
東大寺の筒井寛昭管長は「国分尼寺が作られたのは日本で画期的なことだった。光明皇后の考えだったのではないか。法華寺の門跡には光明皇后の意思を全国に広めてもらいたい。特に女性のためになる活動をしてほしい」と話した。
樋口住職は「僧侶になったのは母の一言『あなた尼僧にでもなったら』があったから。御前さまが残された行事や光明皇后の思いを皆さまに引き継いでいかなくてはという使命だけはあり、受けさせていただくことにした」と僧侶になったきっかけや住職就任の心情を明かした。
樋口住職は神戸市の一般家庭の出身。1952年10月生まれ。高野山尼僧学院(現・高野山専修学院尼僧部)を卒業した。2013年3月、法華寺住職に就任。法華寺では代々皇族や公家出身者が門跡を務めてきた。2011年10月に久我高照門跡が死去した後、一般出身者が住職となれるように寺則を改めた。
2015/4/2 仏具の小堀 今年も使用済みろうそく8000本をアフガンへ
日本のお寺から使用済みろうそくを回収して途上国に届ける活動を進めている京仏具㈱小堀(小堀進社長)。今年も集まったろうそく8330本をアフガニスタンへ送る。
同国ナンガハール州では一日1~2時間しか電気が供給されない。ろうそくの明かりは子どもたちの勉強の時間だけでなく日常生活にも役立つ。2004年から始めた活動で寄贈本数は延べ8万4千本、協力寺院も946カ寺となった。小堀進社長は「この活動によって自利利他の精神が世界に広まる一助になれば嬉しい」と活動への思いを込める。釈尊降誕会にあたり4月8日からは新年度の回収キャンペーンも開始する。
2015/4/2 峨山禅師大遠忌記念曲『峨山道』6月初演 作曲家の池辺晋一郎氏が創作
作曲中の『峨山道』について語る池辺晋一郎氏 二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌の正当を迎える横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺(江川辰三貫首)。その記者会見が3月25日、京都市内のホテルで行われ、作曲家の池辺晋一郎氏に依頼していた大遠忌記念作品『峨山道』が6月に横浜で初演すると発表した。
記念曲『峨山道』は、大本山独特の読経法である大悲真読と池辺氏とのコラボレーションで、オーケストラと總持寺雲水等による読経が織りなす新たな調べとなる。
会見に臨んだ池辺氏は、もう一つの『峨山禅師讃歌』はできあがっているものの、『峨山道』はまだ完成はしていないと説明。「真読という言葉は初めて聞いた。真読の読経は細かく時間構成が決まっている。ゆっくりテンポが10分22秒、テンポが速くなって1分3秒。それに併せてオーケストラ部分を作曲している。このような作曲経緯は体験してことがなく非常に興味深くもあり、難しくもある。いま誠心誠意すすめているところである」と述べた。池辺氏はまた、曹洞宗との縁深さについても言及し、意欲をみせた。
記念曲に対して總持寺の乙川暎元監院は、遠忌テーマ「相承―大いなる足音が聞こえますか」と、峨山禅師が能登總持寺(祖院)と初期曹洞宗教団の祖師を祀る羽咋市の永光寺を往来した事績に言及。「峨山禅師は5人の先師の教えを自分に深く刻み、自己の立場を確認する作業があったと確信している。法を訪ねる歩みが大いなる足音でもある。池辺先生は祖院にも大変ご縁があり、あの地を訪ね歩かなければわからないことがたくさんある。そこで研ぎ澄まされた池辺先生の感性として、『峨山道』はこの曲に乗って伝播することを期待したい」と述べた。
新曲は6月23日午後2時から、池辺氏が館長を務めるみなとみらいホールで披露。神奈川フィルハーモニー管弦楽団が演奏し、總持寺雲水等が真読する。指揮は池辺氏。全席指定で2000円。
なお峨山禅師遠忌法要は、6月1日~8日が準法要。大遠忌正当法要は10月7日~20日。20日が宗門役職者が出仕する法定聚会となる。
2015/4/2 花まつりによせて―いのちを味わう(和田重良)
いのちが満開になるこの季節に、くだかけ舎で営む「自覚祭」。花まつりシールを配り、ゲストのお坊さんの話を聞き、山でとれた野菜などを使った料理を味わう 一年に一度この時季は「花まつり」に合わせたように山の中が花、花…になります。ここは標高四百五十メートルの丹沢山塊の西のはずれに位置しているので、下の街中よりちょっと遅く春がやってきます。
それが花まつりに丁度ピッタリなのです。山桜、桃、梅,スモモ、菜の花、レンギョウ、トサミズキ、スミレ、タンポポ、ユキヤナギ、オオイヌのフグリ、キブシ、…そして間もなくキイチゴやヤマブキ、チューリップ、ラッパ水仙、日本桜草や九輪草まで、とにかくいっせいに春のいのちが満開になるのです。
そこで、毎年この山の中の「全真堂」で小さな「自覚祭」と言うお祭りをします。いのちが満開になるのですから、それを味わうよい季節なのです。子どもたちに「花まつりシール」を配って大人たちはゲストのお坊さんのお話を聴きます。宗派はいろいろですが、今年も形山睡峰師のお話と森丹山師の尺八演奏のコラボです。お花の中で「お茶席」もあり、今年は本職のおそば屋さんが天プラそばを作ります。
この山でとれた野菜や山菜の料理に自然養鶏の自然卵のTKG(卵かけご飯)も出ます。とにかく春のいのちを味わうのです。目からも口からも体中でいのちを味わう日です。
◆ ◇ ◆
キリストさまのお誕生日にはサンタクロースが世界中の家々に来て子どもたちにプレゼントしていきます。夢のような話ですから、クリスチャンの家でなくてもサンタクロースは来てくれるのです。親の方も楽しみで、一年に一度子どもたちを信じ込ませるのを楽しみにしています。いろいろ作戦を考えて夢をプレゼントするのですね。とても楽しい企画です。僕も子どものころには貧乏な我が家にもサンタクロースは来てくれました。12月24日ですから、季節的にはこれから冬の厳しい寒さを迎えるのです。ぼくはどうもこの行事前後の季節は暗くてあまり好きになれません。
そこへいくとお釈迦様はなんといい季節に生まれてくれたものでしょう。よく考えると、世の中はクリスマスの時には大騒ぎして「クリスマスセール」なるものも開催してうかれますが、その辺のスーパーでも「花まつりセール」なんてものはあまり聞きませんね。
プレゼントにしてもセールにしてもどうやら仏教にはなじまないのかもしれませんね。
では仏教にはプレゼントはないのか?と言うと仏様はとてつもなく大きなプレゼントをしてくれているのです。大人にも子どもにもなのですが、子どもたちにはなおさら大きなプレゼントをしてくれているのです。
それが「いのちの味わい」なのです。キリスト教が物品に乗せて心を伝えるのに対してお釈迦様はきっと「現実のそのまた奥にある素敵な存在」「いのちの味わい」のプレゼントです。
子どもたちが春になるとこの山にやって来て力いっぱい、せいいっぱい遊んでいます。カエルの卵を見つけたり、ノビルやツクシを摘んで天ぷらにしたり、山に登ってアブラチャンの花を見つけたりしています。物ではないのですが大きなプレゼントを子どもたちに実感してもらうのがぼくらの役割です。
◆ ◇ ◆
サンタクロースの役をしているのは、ぼくの所では「観音様」です。ものすごくプレゼント好きで、前を通っただけで大きなものを気前よく全員に本気でプレゼントしてくれるので「ほんき観音」なんて呼んでいます。
その本気のプレゼントは物やお金ではないのでもう丸ごと「おまかせ」できるものなのです。困った時には手助けしてくれるし、いよいよと言う時にはサインを送ってくれます。もっともすごいプレゼントは「縁」です。
僕は子どもたちが集まるときには毎朝「朝の話」をします。3泊4日か4泊5日の合宿なのですが、たいてい「いのちの不思議」や「おまかせできる力がある」という内容です。物やお金のように得した気はしないのですがとてもあんしんして満足できるものなのです。「ナムカンゼオン」と言えばとてつもなく大きなものがプレゼントされています。「祈る心」はそのまま「おまかせ」ですから欲張って「お願い」するのとはちょっと違うのです。
◆ ◇ ◆
山の中にはシャガが群生している所があります。もう間もなく真っ白な花が満開になります。その光景はまるで「極楽への道」であるかのような美しさです。うっかりするとこの美しさを見過ごしている人もいます。こういう人はどんな花が咲いていようと見過ごしているのです。大事なことをすべて見過ごしていきます。
「見るのだ、見るのだ、いのちを丸ごと見るのだ」「そこに初めて生きているよろこびがあるのだ」と言いたいのです。理屈や科学的知識も役に立たないわけではないのですが、目をつぶって生きていてはもったいない。「生きているよろこび」を感じないで生きていたのでは残念なのです。せっかく生まれてきたのだから、深く味わって生きて行きたいと思うので、大人にも子どもにも『人生の宿題』というものがあることに気づき、それを温めてほしいと願っているのです。
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わだ・しげよし 1948年小田原市生まれ。NPO法人くだかけ会代表、くだかけ生活舎主宰。生活舎を足場にした共同生活(人生科や農作業中心)の実践を通して、青少年や家庭の生活に様々なメッセージを送っている。 平成10年正力松太郎賞受賞。老話作家として「山の茂吉」のペンネームがある。
2015/4/9 立正佼成会 平和運動の原点、モンテンルパ日本人墓地で慰霊供養
庭野欽司郎氏とモンテンルパ刑務所のラヴァル所長が揮ごうした碑の前で供養した 日比友好のシンボルとして、両国の戦争犠牲者の慰霊と世界平和を願い建立されたフレンドシップタワーの40周年記念式典が8日、立正佼成会(庭野日鑛会長)とバターンキリスト教青年会(BCYCC)の共催により、フィリピン共和国バターン州で開催される。同会は総勢123人の特使団(泉田和市郎団長)を派遣し、式典に参列する。式典に先立ち5日に首都マニラ近郊のモンテンルパ日本人墓地に参拝。非戦・平和への決意を新たにした。
フレンドシップタワーは、太平洋戦争中にフィリピン戦線での激戦地であった同国バターン州バガクに1975年4月8日に建立。同地は、日本軍がアメリカ・フィリピン両国の捕虜を収容所に送る際に約80キロの道のりを歩かせたため、1万人以上が死亡したとされる「デス・マーチ」(死の行進)の出発地としても知られている。
特使団は4日に東京・杉並区の第2団参会館で事前学習を実施し、翌5日にフィリピンに入国。まずモンテンルパ日本人墓地に向かった。
42年前、故・庭野欽司朗氏が団長を務めた「第1回青年の船」で、青年らが雑草と石ころだけという日本人墓地の荒れた状態を目の当たりにし、墓地周辺の整備を発願。その後、さらに学びを深め「日本人だけでなく、全戦没者のための施設を建立すべきではないか」と考え、同墓地はフレンドシップタワー建立の契機となった。
特使団による同日本人墓地での慰霊参拝では、献花・献鶴の後、泉田団長を導師に全戦没者への供養をした。東南アジア独特の熱気で頬に汗がつたう中、1時間以上にわたって真心からの供養が勤められた。
「第1回青年の船」に参加した片桐昭次郎講師(87)は当時を振り返りながら、「この場所がなかったら、フレンドシップタワーは建立されなかった。その意味では、立正佼成会の平和運動のスタートは、ここだった」と述懐。参加者は先人から続く、平和への思いを受け継ぐことを誓った。
特使団は6日から、BCYCCの各家庭がホストとなる3泊4日のホームステイ・プログラムに参加。8日の式典当日は、庭野光祥次代会長の参列や、「デス・マーチ」出発点での慰霊も予定されている。滞在中は式典参列に留まらず、宗教協力を軸にした文化交流事業が実施され、日比友好の進展を目指す。
2015/4/9 旧多々良学園問題 宗議会議員に催告書送付“広く薄く損害補填”
旧多々良学園(山口県防府市)をめぐる金融機関との訴訟は昨年6月、広島高裁の仲介により和解金10億円を支払うことで決着をみた曹洞宗(釜田隆文宗務総長)。その後、第三者委員会による検証作業が行われ、報告書は今年1月の宗報に掲載された。2月議会では責任論をめぐり熱を帯びた責任論が飛び交った。3月27日には宗務庁で議員懇談会が開かれ、顧問弁護士や担当部長から説明があり、責任のあった議員には「善管注意義務違反」として催告書が送付されることが伝えられた。
懇談会では顧問弁護士が3月1日付けで、釜田宗務総長宛に提出した「旧多々良学園の破綻に関して発生した損害の処理に関する意見」(意見書)をもとに進行。意見書はこれまでに実施された調査報告書(4種類)や訴訟関連資料、第三者委報告書などに基づいて作成された。(続きは紙面でご覧ください)
2015/4/9 高野山開創1200年法会が開白 衆生済度の悲願届ける
172年ぶりに再建された中門をくぐり、金堂へと向かう高僧。大勢の参拝者が集まった弘法大師空海が真言密教の根本道場として高野山を開創してから今年で1200年。5月21日まで50日間に及ぶ記念大法会が2日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山金剛峯寺で開白を迎え、約1万3千人が参拝した。午前中には僧侶約400人が金剛峯寺から壇上伽藍の中門・金堂までお練りし、開白法会を厳修。午後には僧侶約60人が弘法大師御廟である奥之院の燈籠堂で法会を営み、宗祖の聖地開創の精神に思いをはせた。
172年ぶりに再建された中門では、約5千人が見守る中、大相撲の白鵬・日馬富士の両横綱が地固めの奉納土俵入り。力強く大地を踏み固める横綱の四股に合わせ、参拝者から「よいしょー!」のかけ声が上がった。
僧侶らは落慶成った中門のくぐり初めをしながら、高野山一山の総本堂・金堂へ。中西啓寶管長(総本山金剛峯寺座主)を大導師に、高野山史上で初となる金堂の秘仏本尊を開帳しての法会を営んだ。開白法会には国内だけでなく、海外からも多く参拝。団体でやって来たアジアの仏教徒の姿もあった。
添田隆昭宗務総長は法会後、「ご本尊様は秘仏でしたが、開創法会に合わせて開扉いたしました。ご本尊様の御手の綱に触れ、直接結縁していただきたい」と参拝者に挨拶。「中門も172年ぶりに再建でき、弘法大師が構想された草創期の伽藍に近づけたかなと思っております」と胸中を披瀝し、「弘法大師の衆生済度の悲願を1人でも多くの方に」届けたいと語った。
今生の迷える人を救う 大師の原点に立ち返る
期間中、約30万人の参拝が見込まれている開創法会。1200年目の開白に立ち会った人々は、どのような思いを抱いたのか。
金堂の本尊・薬師如来を初めて開帳。開扉の瞬間、堂内はまばゆい清浄の気に包まれた 鹿児島県出身の大師信者の男性(63)は、「今、〝信仰離れ〟と言われています。1200年という節目は、『今生の迷える人を救い導く』というお大師様の原点に立ち返る良い機会ではないかと思います。高野山にはそのパワーがあります!」と強調。宿坊で大勢の参拝者を出迎える若い僧侶は、「開創法会で、真言宗各派が一つになります。これからの法会期間が楽しみです」と話した。
「高校に入学する孫へのプレゼントとして」東京・調布市から来た佐藤芳彦さん(90)は、「僧侶の行列はきらびやかで立派でした。(開白法会に)もっと多くの信者さんが集まってもいいと感じました」と感想。孫の島貫将輝さん(15)は「初めての高野山ですが、本山ならではの素晴らしさと、弘法大師が作り上げた1200年の歴史があると思いました」と語った。
期間中は連日、宗内の各宗務支所や真言宗各派などにより、1日3座の法会が営まれる。さらに曹洞宗が4日、開創記念慶讃法会を厳修。引き続き念法眞教(26日)、辯天宗(5月10日) 、金峯山修験本宗(同11日)、天台宗(同19日)、華厳宗(同20日)の各教団も慶讃法会を厳修する。
2015/4/16 第39回正力松太郎賞に本願寺派観乗寺土曜会、日蓮宗楠山泰道氏が選出
影絵劇に集中する観乗寺土曜会のこどもたち 仏教精神に基づく青少幼年の教化活動や文化・社会活動を通じて社会教化に長年尽力してきた個人・団体に贈られる「第39回正力松太郎賞」(全国青少年教化協議会主催)の本賞に、観乗寺土曜会影絵劇団もぐら座(藤田英道代表・浄土真宗本願寺派観乗寺住職/熊本県上天草市)と楠山泰道氏(日蓮宗大明寺住職/神奈川県横須賀市)が選出された。青年奨励賞の該当者はなかった。
観乗寺土曜会は、前坊守により1952年に設立された同寺の子ども会。月に2回、夜に行われる土曜会には、小学生を中心に子どもたちが集い、天草諸島の樋島で島民の半数以上が土曜会の卒業生となっている。
15年ほど前から、土曜会の卒業記念として上級生が影絵劇に取り組み始め、一つの劇を作り出していく課程を通じて、子どもたちの自主性や他者を支える力などを養い、教化育成に貢献してきた。「もぐら座」の公演は娯楽の少ない地域に喜びも与え、子どもたちの教化と地域活性化の相乗効果をもたらしていることが評価された。
楠山泰道氏(68歳)は、青年時代から若者を対象とした教化活動を開始。高校教師をしていた70年代には、非行や不登校などの若者に向き合う中で、青少年指導に身を投じた。
「み仏の子を育てたい」との一念で家庭児童相談所の設立に参加し、相談員として活動。さらに自坊に「青少年こころの相談室」を立ち上げ、不登校、いじめ、自死念慮、ひきこもりなどに対応した。
90年代にはオウム真理教問題を契機に仲間とともに現在の「脱カルト協会」を設立。破壊的カルトからの脱会を支援するなど、専門性の高い相談活動にも注力し、その経験から「直すことより、ならない人をつくるべき」として、カルトの予防と啓発活動にも努め、青少年に関するあらゆる相談に応えていることが評価された。
《受賞のコメント》
観乗寺土曜会影絵劇団もぐら座・藤田英道代表
まさか賞を頂けるとは思っていなかったので、嬉しい限りです。「もぐら座」は、大人がやる影絵劇を子どもがやってみたら、大人よりも面白かったのが始まりです。なにより子どもの成長が見ていて楽しく、それに巻き込まれて大人も成長していくことが魅力です。
田舎のことですから、過疎もあって子どもが減っているのが悩みの種ですが、やりたいという子どもたちがいる間は、続けていきたい。卒業生を含め、子どもたちには、「大変な賞をもらったな。あなたたちのお蔭だよ。ありがとう」と言いたいですね。(談)
楠山泰道・日蓮宗大明寺住職
特にカルト問題では、救済活動をしても、評価はされないという覚悟でやってきましたが、オウム事件から20年目にこのような賞を頂くことは、社会がその重要性を認めてくれたのかな、という思いがあります。
この20年間、本当に修羅場の連続でした。正直、辞めたいと思うこともありました。しかし、心を病む若者がいる。誰かがやらなければと思ってやってきました。
家族や多くの人の協力があってできたのだと感謝しています。今回の受賞もそうした人たちのおかげだと考えています。(談)
2015/4/16 世界イスラーム連盟・WCRP日本委 相互理解へ対話プログラム「敵は貧困や不正義」
国内外の宗教者により行われた対話プログラム サウジアラビアのメッカに本部を置き40カ国以上に展開する世界イスラーム連盟(MWL)と世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(庭野日鑛会長)は9・10の両日、東京・六本木のグランドハイアットで「ムスリムと日本の宗教者の対話プログラム―平和のための共通のヴィジョンを求めて」を開催した。日本の宗教者・内外のムスリムら約300人が参加した。共同声明では「イスラーム国」など過激派組織の暴力・殺戮行為に対して「イスラームの平和と慈悲の教えに反する」と非難した。開催には日本ムスリム協会(徳増公明会長)が協力した。
開会セッションでは庭野会長とMWLのアブドッラー・アブドルムハセン・アル‐トルキー事務総長(元サウジアラビア宗教大臣)が基調発題。庭野会長は「過激組織の暴力行為が報道されると人々の心は弱ります。攻撃的な態度もしばしばみられる」と述べながら、「罪を憎んで人を憎まず」、また仏陀の「怨みは怨みによって報いればついに止むことはない」を引き、同じ宇宙船地球号の乗組員として対話で敵意をなくすことが宗教の使命と語った。
アル‐トルキー事務総長は「ほとんどの戦争は宗教が衰え、物欲や植民地主義が横溢することで発生している」と、宗教が戦争の原因という俗説を果断に否定。「イスラーム全体を脅威としてテロと結びつけることでは犯罪組織に対抗できない。イスラーム法に則らない者を厳しく取り締まる15億のムスリムに対する不正」と語り、あくまでもイスラームの教えは正義と平和だと訴えた。
2日間にわたり日本語・アラビア語・英語とそれぞれの言語によりながら、「宗教と平和」「宗教の違いと憎しみの文化」「宗教の価値と共通の課題」「今後の計画」の4セッションが開かれた。
MWLはじめイスラーム側は、「イスラーム国」やアルカイダなど過激派組織を「イスラーム過激派」とマスメディアで紹介されることに不快感を示した。イスラームと非寛容的な過激思想が短絡的に結びつけられることを戒めるもので、ディン・シャムスディーン氏(インドネシアのムハマディヤ会長)はグローバル化した社会を解説した上で「今日の人類の“敵”は貧困や飢餓、不正義ではないか」と提起し過激主義の背景にある貧困や不正義の解決を訴えた。
プログラム2日目には近くの在日サウジアラビア王国大使館に付属するアラブ・イスラーム学院に移動してイスラームの祈りを視察。終了後、昼食を共にした。食文化を通じての相互交流は日本宗教者にも好評だった。
閉会セッションでは共同声明が日本語とアラビア語で読み上げられた。声明は6分野19項目からなり、今回の対話プログラムが「テロリズムの諸現象が増大し、世界の関心がこれに向けられている中、イスラームが平和の宗教であるとのメッセージについて相互の理解を深めるために行われた」と背景を説明。
また「イスラーム国」などの過激派組織を非難し、「イスラームは慈悲と平和を呼びかけ、人間の尊厳を擁護するものである。イスラームは、精神、名誉および資財の神聖性を護るものである」と表明している。
閉会に際して日本委員会の杉谷義純理事長(天台宗宗機顧問)は、「大きなお土産と課題を頂戴した。お互いの違い、憎しみがどこからもたらされるのかといった分析など、それを理解しながら宗教の価値を再確認しつつ共通の課題を追究し、未来への展望を見出せたのではないか」と成果を口にした。
2015/4/16 ダライ・ラマ法王来日 次世代のための環境シンポや大本山總持寺で講演
環境問題のシンポに参加し、1100人の聴衆に笑顔を向けるダライ・ラマ法王 環境問題について考える「変えようくらし 守ろういのち―次世代のための環境シンポジウム」が6日、来日中のダライ・ラマ法王14世や科学者を交えて、東京・有楽町のよみうりホールで開催された。主催は同実行委員会(村上和雄実行委員長=筑波大学名誉教授)。法王は「地球は我々の唯一の故郷」であると語り、地球温暖化や自然災害の頻発など世界規模の環境問題への行動を呼びかけた。
法王は環境問題に対し「人類が生き残れるかどうかの問題。我々の故郷は地球しかない」との認識を提示。「地球の環境に人類がどんな貢献をしているか注目すべき。そうすれば我々の活動を制約することにつながり、破壊的な作業のレベルも下げられる」と提起した。
神奈川県横浜市の曹洞宗大本山總持寺でも11日、ダライ・ラマ法王が「平和へのメッセージ」と題して講演。同寺は峨山韶碩禅師大遠忌で報恩大授戒会を開催している最中でもあり、僧侶や檀信徒、鶴見大学ならびに附属中高の学生・生徒、一般など約1500人が大祖堂を埋め尽くした。
法王は「宗教の名の下に、異なる宗教同士の争いが絶えない。しかし世界の宗教の共通の答えは、愛と忍耐。そして憎しみを持たないということ。それぞれの宗教に従って教えを実践していくべきだ」と訴えかけ、さらに地球の人類70億人のうち10億人が宗教を持たない人ではあるが、そういう人も誰もが本質的に愛情の種を持っているとし、対話と交流で思いやりの心を育んでいくことの必要性を話した。(両講演の詳細は紙面でご覧ください)
2015/4/23
バターンキリスト教青年会×立正佼成会 フレンドシップタワーが建立40周年
高さ27メートルの「友情の塔」 日比友好のシンボルとして、昭和50年(1975)4月8日に戦争犠牲者の慰霊と世界平和を願い建立されたフレンドシップタワーの40周年記念式典が同じく今月8日、フィリピン共和国バターン州バガクで立正佼成会(庭野日鑛会長)の記念特使団(名誉団長=庭野光祥次代会長)と現地のバターンキリスト教青年会(BCYCC)の共催により開催された。タワー建立以来続く、宗教による祈りと懺悔を基盤とした両会の交流事業は、両国の友好と人材育成に寄与し、宗教協力による民間外交の一つのモデルとして注目される。
バターン州は、太平洋戦争で日本軍がアメリカ・フィリピン両国の捕虜を移送する際に歩かせ、熱病などで1万数千人の犠牲者を生んだという「デス・マーチ」(死の行進)の出発点〝0㎞ポイント〟があり、交流が始まる前は同国内でも反日感情が強い地域の一つとして知られていた。
式典に先立ち、0㎞ポイントのモニュメントの前で慰霊供養を行い、その後、両国の参列者がタワーまで「デス・マーチ」と同じ道を地元のマーチングバンドと行進する「ライフ・マーチ」(いのちの行進)を行った。
式典には特使団の他、アルバート・ガルシア州知事、天野哲郎・在マニラ日本国総領事、カルロス・レイエス同国カトリック司教協議会宗教対話委員長をはじめ、市民ら約400人が参列。仏教、キリスト教それぞれの祈りを捧げ、両会の代表者による献花・献鶴、青年による平和と友好を願う祈りの言葉が述べられた。
庭野次代会長はこれまでの両会による日比友好、交流事業での様々な縁に触れ、「こうしたご縁のおかげさまで、本会青年たちは、戦時中の日本軍の蛮行とその被害者、遺族、関係者の強烈な反日感情を深く理解し、あらためて絶対非戦を誓いました」と述べた。(詳細は紙面でご覧ください)
2015/4/23
東京・高円寺に尼僧バーがオープン「仏教知らない人に伝えたい」 5月1日から
尼僧バーの店主の釈さん(右)とスタッフの妙真さん。色が変化する「尼」焼酎も人気 東京・杉並区の高円寺駅北口、庚申通り商店街の一角に「尼僧バー」(高円寺北2―38―14 富士ビル2F―D号室、駅徒歩7分)が、5月1日にグランドオープンする。中野坊主バーの姉妹店。マスターの釈源光さんが尼僧バー店主であるが、接客は尼僧さんが中心。釈さんは「新しい未来の尼僧スタイルをここで作ってほしい」と尼僧スタッフも募集している。
東京や大阪、京都に店を構える「坊主バー」。夜の繁華街の一隅に開かれる布教の場はすっかり定着した。「働くことの喜び、自分自身の生きがいがみえにくい今の時代にこそ、宗教が召喚されている。仏教を知らない人にこそ伝えたい」と釈さん。中野坊主バーが開店して11年。ずっと構想を温めてきたという「尼僧バー」の開店を決めた。「これまでも尼僧さんがやるバーはあったが、○○庵というように、自分の名前を冠したもの。色々な尼僧さんが集う〝尼僧バー〟を作りたいと思っていた」とのこと。
「高円寺・尼僧バー」は昨年12月8日の成道会の日にプレオープンし、5月1日に向けて準備してきた。幸いにも、これまで客足がなかった日はないという。5月は記念月間として、ドリンク一品20%引き、限定200個で大日如来の缶バッジをプレゼント。金曜日限定で尼僧スタッフからオリジナルカクテルの無料サービスも。
スタッフの妙真さん(真言宗)は「自分の修行のつもりでやっています。仏教に興味がない人もいらっしゃいます。そういう方に伝えるのは難しく、良い経験になっています」と話す。
2015/4/23
第一期臨床仏教師が誕生 95人のうち6人を認定
齋藤所長(右)から認定証を受けとる合格者(手前は伊藤竜信氏) 公益財団法人全国青少年教化協議会(全青協)の臨床仏教研究所(齋藤昭俊所長、神仁上席研究員)の「臨床仏教師」養成プログラムで最終考査を終えた人の資格認定式が21日に東京グランドホテル(港区)で行われた。一昨年5月に始まった第1期プログラム、当初は95人の受講者だったのが最終認定は6人という狭き門。合格者は仏教師として現場に生きると誓った。
齋藤氏は「仏教そのものが『臨床仏教』であるので、改めて『臨床仏教』と言うことではない。しかし社会的問題に取り組み、心に寄り添う仏教師が登場するのが喜ばしい」と6人の門出を祝した。
選考報告をしたのは研究所理事で東京大学名誉教授の島薗進氏。当初の座学受講者95人からワークショップ段階で39人にまで絞られ、さらに実践研修では8人になり6人の認定に至ったと語り、実践研修では病院や情緒障害児施設などさまざまな場所で100時間以上に及ぶ臨床をしたことを評価。「どういう形で社会に受け入れられるかは未知数」としながら、東北大学で養成されている「臨床宗教師」の活躍も踏まえ、今後に期待した。
認定されたのは飯島聡子氏(浄土宗・東京)伊藤悠温氏(日蓮宗・愛知)伊藤竜信氏(浄土宗・山形)大草敏憲氏(浄土真宗東本願寺派・埼玉)楠恭信氏(曹洞宗・福島)村上泰教氏(石鎚山真言宗・広島)の寺族1人、僧侶5人。大草氏は「私は今年80歳。残りの人生を臨床仏教師として捧げたい」と熱い決意を語った。楠氏は「2年間で一番感じたのは『現場だな』ということ。現場に行きたい!」とはりきりつつ、原発事故が深刻な影響を及ぼす故郷に想いをめぐらし、被災者の苦しみに向き合いたいと述べた。
研修の場を提供した真言宗豊山派西明寺住職で普門院診療所内科医の田中雅博氏は、自身が国立がんセンターで働いていた青年期を回想。「25歳の若僧に患者さんが『死にたくない』と言うんですよ。これはお坊さんの仕事じゃないかと思った。ところが、がんセンターにお坊さんはいなかった」。イタリアの病院では100ベッドにつき1人のスピリチュアルケアワーカーの就業が義務付けられていることも引き、日本でも臨床仏教師がスピリチュアルケアを行う未来を願った。
神氏は「これはあくまでスタートに過ぎない。臨床仏教師の認定期間は5年間、この間にしっかりと臨床の現場に関わってケアの実績を残していかないと5年後には資格が更新できないということもある」と激励し、生涯かけての精進、社会での活躍を望んだ。現在は第2期のワークショップが始まったばかりで、27人が新たな学びに進んでいる。
台湾で先行して臨床仏教師を育成している財団法人佛教蓮華基金会と全青協の協定調印、さらに国立台湾大学附属病院の陳榮基名誉教授による記念講演も行われた。
2015/4/30・5/7合併号
JNEB交流会 8カ国で原発問題を討議 少欲知足社会促す
4つのグループに分かれて議論が深められた 仏教社会活動家による協同体、ザ・ジャパン・ネットワーク・オブ・エンゲージド・ブッディスツ(JNEB、ジョナサン・ワッツ代表)は4月25日、東京都文京区の東洋大学で交流会「持続可能な『少欲知足』社会へ」を開催した。米韓印、ミャンマー、スリランカ、タイ、バングラデシュそれに日本の8カ国から約40人が参加。原発問題への取り組みが真剣に討議された。日本からは東洋大の竹村牧男学長も出席した。
韓国からの参加者、ミナ・ジャンキム氏は蔚山を中心に原発に反対している仏教者。「韓国は23の原発があるが、密度でいえば世界の10指に入る。1基が爆発したら10基が爆発するとも言われている」とその危険性を指摘。「政府は再生可能エネルギーの発電所も作ろうとはしています。しかしそれ以上に原発を作ろうともしている」とし、放射性廃棄物の処理施設が南部に集中しているという「地域格差」にも触れた。「お金よりも人間の命の方が大切なはずです」と語り、諦めず行動を続けたいと語った。
インドのゴータマ・プラブー・ナガパン氏は、インド最南端タミル・ナードゥ州のクーダンクラム原発の現状を報告。「原発で事故が起きればビルやインフラ、農業などに大打撃があります。スリランカにも被害が及ぶでしょう」と、原発事故は自国のみの問題ではないと語る。インド社会における企業・政府の補償の拙さ、放射性廃棄物の海洋投棄など様々な問題を列挙し、「半径30キロメートル以内に100万人が住んでいるような所にどうして原発を作ったのか」と人口大国ならではの苦悩も吐露。反原発運動では仏教徒やカトリック信徒の活躍が目立っているとも話した。
オックスフォード大学で環境学を学ぶ大学院生のエミリ・パリー氏は「原発は二酸化炭素を出さないクリーンエネルギーだと言われています。しかしよく考えてください、原発を動かすために化石燃料がいるのです」と衝き、原発が環境問題への解決策だとする見方に強い疑義を呈した。
3人の発表後、参加者は「被曝と保養」「先進国から途上国への原発輸出」「価値観の転換と仏教」「地産地消エネルギーの開発」の4テーマに分かれて討議。「被曝と保養」グループでは原子力行政を問い直す宗教者の会の大河内秀人氏が座長となり進行。ミャンマーからの参加者で開発政策の専門家であるタント・ジン氏は「ミャンマー政府のエネルギー政策には原発建設も入っている。当面実際の建設はないと思うが。日本の技術に信頼は高く、私も心配はないとかつては思っていた。しかし福島を見て、人間には原発はコントロールできない力だと思った」と重々しく語った。
なお、海外からの参加者は21日に来日し、22日から24日まで大河内氏の自坊である江戸川区の壽光院や、福島県の仮設住宅、原発対策を行っている寺院を訪れている。
2015/4/30・5/7合併号 ネパールで巨大地震 各教団、緊急支援に着手
4月25日、ネパール中央部を震源とするマグニチュード7・8の大地震が発生。4月30日までに5千人以上の死者が確認されている。各国の救援隊や国連機関、NGOなどが現地入りしているが、行方不明者の捜索や救援は思うように進んでいない。首都カトマンズにある世界遺産も軒並み崩壊した。被害は周辺国にも及んでいる。全日本仏教会(全日仏)はじめ教団や団体の支援も始まった。
マヤ堂は無事
カトマンズから西南へ200キロほど離れたところに釈尊生誕地のルンビニーがある。全日仏はルンビニーにあるマヤ堂の考古学調査を実施。その後、ネパール政府によって新マヤ堂が建設された。現地で「ルンビニホテル笠井」を営む笠井篤信社長によると、マヤ堂の被害はないという。
また専門家によると、家屋が倒壊し道路も寸断され医薬品や飲料水、食糧などが不足がち。そのため、重機を使ったり、緊急救援や医療に従事できる技術者の手が必要だという。
全日仏は27日、齋藤明聖理事長名でお見舞い文を発表。近く駐日ネパール大使館を通じて救援金100万円を寄託する。加盟団体に募金の呼びかけも実施した。
浄土真宗本願寺派はカトマンズにあるネパール開教事務所(カトマンズ本願寺)が外壁の剥離や天井の損傷にあった。現地事務所に100万円の見舞金を交付。27日には都内のネパール大使館に一時見舞金として100万円を届けた。
真宗大谷派は28日、災害救援本部会議で救援金100万円をネパール大使館に届けることを決定。近日寄託される。
真如苑は28日、教団職員が緊急支援金100万円をネパール大使館に届けた。あわせて、カトマンズ南西の古都パタンで活動する地元の青年団体と連携を取り、救急車を寄贈し、ガソリン代や人件費等の必要経費も教団が1年間負担する支援を決定した。救急車は既に現地に運ばれており、今後、救援活動に活用される。さらに現地との調整を図りながら、職員の派遣とサーブ(真如苑救援ボランティア)による支援活動の準備を進めている。
立正佼成会一食平和基金運営委員会(委員長=沼田雄司教務局長)は30日までに、国連世界食糧計画(WFP)と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に各300万円(総額600万円)を緊急支援。現地の食糧支援や救援物資支援などにあてられる。
シャンティ国際ボランティア会(SVA)はアジア地域ディレクターの八木沢克昌氏と緊急救援室から2人、計3人を被災地に派遣し、緊急支援物資の配布を行うと共に、被災状況の調査を実施する。その調査報告をうけて行動を具体化する。(4月30日現在)
復興支援に協力…「ルンビニホテル笠井」を経営する笠井篤信社長の話
現在は日本にいますが、幸いにもうちのホテルやマヤ堂も被害はなく、けが人もありませんでした。周辺で壊れたお寺もないようです。4月28日に日本を出発し、5月4日のブッダジャヤンティ(5月の満月に営むお釈迦様の誕生祭)に出席するはずでした。しかし飛行機と現地の状況により行けそうもありません。現地ではルンビニーのお寺で4日朝、僧侶たちが集い、祈りを捧げる予定です。例年同様、これに参加する僧侶や一般の方たちに食事を提供します。ホテルとしても復興支援のため協力するつもりです。
故郷が壊滅的打撃…ネパール出身の仏教学者、スダン・シャキャ種智院大学准教授の話
今回の地震で私の故郷とネパールは壊滅的な打撃を受けてしまいました。ガレキの中に何人いるか把握できていない状態です。報道にもあるように民家も世界遺産となっている建造物も破壊されました。小さな寺院などはいくつ壊れているかまだわからないです。
人々が互い助け合ってこの状況を乗り越えようとしています。地震に関する備えが不十分なため今は、医療関係、震災救済に関する専門知識を持つ方々の助けを必要としています。震災に関する様々な情報はどんどんと入っています。泊まる場所が確保でき次第、私も現地に向う予定です。
2015/4/30・5/7合併号 真宗大谷派 大谷暢裕氏が初会見 門首後継者として決意語る
飾り気のない笑顔で会見した門首後継者の暢裕鍵役 真宗大谷派の大谷暢裕鍵役(63)が22日、京都市下京区の宗務所で初めて会見し、門首後継者を引き受けた決意や抱負などを語り、「東本願寺は手を取り合って念仏を申す同朋、同行の教団であってほしい。そのために世界の反対側からやってきた」と話した。
暢裕鍵役は昨年4月に門首後継者に選ばれ、今年3月下旬にブラジルから京都市内に移住。今回初めて記者会見に臨んだ。重責を担う決意をした理由として、宗主の役割が東本願寺の創立当初から廟堂の給仕役「留守職」の位置づけにあることなどを挙げた。
暢裕鍵役は「門首はご門徒と一緒に聞法し念仏を唱える仕事。そういう仕事なら私にもできると思った」と話し、素晴らしいことだと率直に語った。
本山の「給仕」任務を果たすため、毎朝のお勤め(おあさじ)に出ていることを明かし、「ご門徒の皆さんも本山に来て、できるだけ一緒にお参りしてほしい」と呼びかけた。
科学者としてこれまで研究職に従事してきた暢裕鍵役は、「真に豊かには科学だけではなれない」と述べ、「ずっと科学で生きてきた。追求すれば自然に宗教が大事と分かる」と深い洞察を示した。
現在の大谷派の状況については、日本だけでなく北・南米でも「仏教離れ」が進んでいると指摘。厳しい状況にあるとしながら、「念仏の教えは父が結んでくれたご縁」と振り返り、「私たちがそうだったように、次の世代を念仏の道に導く」ことに時間をかけて取り組むしかないとの認識を述べた。
ブラジルや米国にも親鸞聖人の教えに共感する人は多く、得度した人が現地の言葉で広めているという。兼務する開教司教として、「キリスト教社会の中では少数派。その人たちの力になりたい」と意欲を見せた。また、自身がブラジル人であることが「親鸞聖人の教えが世界に通用することの確認でもある」と後継者就任の理由の一つを説明した。
暢裕鍵役は暢顕門首(85)のいとこ。大谷派では「お東紛争」の影響で門首後継者が18年間不在だった。改めて紛争問題について問われると、就任時に初めて概要を聞いたとし、「細かい内容はブラジルまで伝わってこない」と回答した。
2023年に迎える親鸞聖人生誕850年、立教開宗800年の節目は8年後。暢裕鍵役は「素晴らしいご縁をいただけることになると思っている」と期待を込めた。門首就任時期は決まっていない。
暢裕鍵役は1951年生まれ。光暢法主(当時)の弟で南米開教使となった父の故暢慶(ちょうきょう)氏と1歳の時にブラジルに渡った。国籍は現在もブラジル。物理学を専攻しサンパウロ大を卒業後、航空技術大学に勤務。プラズマの研究やロケットの部品開発に携わった。
ポルトガル語と英語を話す。京都は観光客など外国人が多いため、言語設備などを充実させたいとして、「グローバリゼーションは絶対大事」と話した。
2015/5/14 原発被災寺院の挑戦―浪江町清水寺、相馬市に「別院」建立へ
見舞いに訪れた宗内有志と共に法楽を営む林住職(手前)。堂内は4年前のまま(4月29日) 原発事故から4年2カ月。福島県浪江町にある真言宗豊山派清水寺の林心澄住職(48)は1日、避難先の相馬市内で大人数の法事が営める住宅兼寺務所の新築工事に着手した。林住職は「帰れる見通しが全く立たないのに、寺が何もしないわけにはいかない」と決意。東京電力との損害賠償交渉も併行しながら、「別院」建立に踏み切った。背景には、「檀家離れ」が進んでしまう危機的事態への強い懸念がある。
清水寺がある浪江町小野田地区は現在、居住制限区域。だが福島第一原発から北西に9・5キロの位置にある寺域は帰還困難区域との境界に近く、放射線量も同区域同様に高い。林住職は「居住制限区域が一番中途半端。国は帰れるとも帰れないとも言わない。寺の移転を話し合っても、総代の意見はまとまらないだろう」とため息をつく。
自坊の状態は「4年前のまま」で、除染も未実施。海岸から10キロ近く離れているため津波被害は免れたが、激震で本堂や境内が大きく損傷している。新築直後だった客殿には鼠の糞尿が放つ刺激臭が漂い、境内には猪が掘った穴があるなど、時が経つにつれて被害は拡大。しかし放射能汚染があるため、片付けもできない。寺の裏山は、住民が桜や紅葉を植樹した「花見山」。鳥がさえずる地域の憩いの場だったが、今では特に線量が高いため立ち入るのは危険な状況だ。
だが境内墓地には、一際新しい墓石が2基。「お骨はお寺の近くに埋葬したい」と希望する檀家が震災後に建立したもので、さらに近くもう1基が建つ予定だ。境内墓地の一画にあるユニットハウスの仮納骨堂では現在、10柱の遺骨を預かっている。
避難先の福島や二本松、郡山、いわきなどに家を建てる檀家が徐々に増加。「親の世代は浪江に帰りたいと希望しているが、次の若い世代になったらわからない。墓地も新居の近くに移すことになるかもしれない」。菩提寺と墓地、檀家の居住地の分断が将来、どのような影響を及ぼすのか、まだわからない。
東電と粘り強く交渉
「別院」が建立される相馬市の土地 林住職は避難当初、「2~3年で帰れると思っていた」。これまでは中古住宅の一間で少人数の法事を営むなどしてきたが、「相馬で長期的に宗教活動をする準備をしないといけない」と決意。相馬駅前の好立地に土地を購入した。新たな住宅兼寺務所では37・5畳を仏間として使う計画で、年内完成の予定だ。
林住職は真言宗の原発被災寺院約20カ寺でつくる「復興対策の会」の事務局長。超宗派の「原発事故被災寺院補償問題対策有志の会」(矢内俊道会長・旧警戒区域内の41カ寺など約100カ寺)と合同で、東京電力と損害賠償をめぐる交渉を続けている。
本堂・庫裏等の建物については「基準となる坪単価が決まり、鐘楼や山門など特殊なものは別個に判断する」など概ね妥結。各寺院の状況に応じた賠償が開始される段階まできているという。今後は地震と原発事故の被害を分ける条件の確認や、多岐にわたる証明書類の準備など煩雑な手続きが必要になる。
地震被害の割合や築年数などで差し引かれた結果、補償額が本堂再建費用に見合わなくなる可能性もある。境内地の補償額は、主に原発事故前の地域の評価額を基準に算出されるという。東電は先頃、初めて尊像や仏具など財物への賠償方針を提示。だが寺院側との考えの隔たりは大きく、今後の交渉に委ねられた。
2015/5/14 大本みろく大祭 「TPP容認できぬ」来夏まで反対活動続ける
懸念を表明した出口紅教主 大本の四大祭の一つ「みろく大祭」が5日、京都府綾部市の長生殿で開かれ、出口紅教主が環太平洋経済連携協定(TPP)に対して懸念を表明した。
出口王仁三郎聖師に、みろく大神が顕現したことを祝う春の大祭に約3000人が訪れ、争いのない平和に満ちたみろくの世の到来を祈った。
祭典では、東日本大震災の復興や原発、放射能汚染の終息とともに、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉からの撤退を願う祝詞が奏上された。
出口教主は挨拶の冒頭で、「ネパール大地震の被害状況に胸が痛む」と追悼の意を述べ、東日本大震災から4年が経つ今年3月に岩手、宮城、福島、茨城を訪れたことを明らかにした。
福島では常磐自動車道を走り、3月に開通したばかりの帰還困難区域を通過したという。大量に積み上げられた除染土を目の当たりにし、「原子力発電の危うさを強く感じる」と述べ、脱原発への思いを新たにした。
また、「日本に長く培われてきた伝統や風習、精神文化を損ない、国民の生活や健康、生命をも軽視する動きが見受けられる」とし、TPP交渉への懸念を示した。
4月下旬にTPP交渉からの即時撤退を求める申し入れ書を政府に提出した浅田秋彦本部長は、「米国などの一部の巨大企業が食品や農業、医療などで自分たちだけがもうけやすい仕組みを世界に広げようとする理不尽な条約だ。大本として決して容認することはできない」と力を込めた。9日に東京、大阪で撤退を求めるチラシの配布を始め、来年7月末まで街頭活動を行うと発表した。
節分大祭で1000体以上の人型と型代を納めた信徒の功績をたたえる表彰式もあり、約1300人が表彰された。1万体以上納めた人が5人、50年連続で納めている人も4人いて、会場から大きな拍手が送られた。
2015/5/14 融通念佛宗開宗900年大法要 恒例の二十五菩薩万部おねり
菩薩から菩薩の手を経て献花(2日、大念佛寺) 聖應大師良忍上人(1072~1132)を祖とする融通念佛宗の開宗900年と、宗門再興に尽力した大通上人(1649~1716)の300回御遠忌にあたる大法要が1日から7日まで大阪市平野区の総本山大念佛寺で厳修された。併せて恒例の万部おねりも行われ、期間中、5万人が参拝し、先人の威徳に接した。
各日とも午前9時30分からのおつとめから始まり、午後の25菩薩の万部おねり、在家勤行式と続いた。4日には北側境内地で世界平和護摩供養を修行した。期間中、仏教災害支援ネットワークによる東北復興支援物産展が開催され、参拝者らは宮城県の名物や飲食商品を手に取った。
融通念佛宗は永久5年(1117)に良忍上人によって開かれた。本来なら2年後に900年正当を迎えるが、大通上人300回遠忌と併せたため2年前倒しとなった。
法要特集号紙面で倍巌良舜管長は、「日本には伝統仏教の宗派は13宗あります。その中でも融通念佛宗は6番目にできた900年もの歴史のある宗派です。それまでの宗派は、中国伝来の仏教でしたが、融通念佛宗は日本で生まれた最初の宗団となります。そして、それまでの貴族と違って、初めて庶民に呼びかけた最初の仏教ということにねなります」と述べている。
天台声明の中興の祖ともされる良忍上人。永久5年5月15日、阿弥陀如来から「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、是名他力往生、十界一念、融通念仏、億百万遍、功徳円満」の言葉を授与されたという。大通上人は大念佛寺第46世として、山内整備に尽力し宝永6年(1709)、奈良・東大寺の大仏殿落慶法要にも招請され導師を務めた。
万部おねりは「阿弥陀経万部読誦・二十五菩薩聖衆来迎会」と言い、第7世法明上人を起源とする「聖衆来迎会」と、近世には入り第49世尭海上人の時代に阿弥陀経1万部を読誦する万部会の二つが合体して今日の万部おねりとなっている。
2015/5/21 原宿で〝瞑想フラッシュモブ〟
街の中で通行人が突然踊り出すなどのパフォーマンスを行う「フラッシュモブ」。それを瞑想でやろうと10日、東京・渋谷区のJR原宿駅周辺で〝瞑想フラッシュモブ〟が行われた。突然のことに通行人たちは驚きを隠せない様子で、多くの注目を集めた。
〝瞑想フラッシュモブ〟の呼びかけを行ったは「東京Wake Up!」の人々。ベトナム人僧侶のティク・ナット・ハン氏が提唱する瞑想法マインドフルネスを実践する若者たちで、口コミやSNSで約80人が参加した。
呼びかけ人のソーヤー・海さん(32)によると、「Wake Up!」は欧米の若者たちが始めた運動で、「マインドフルに生きようとする人たちが一緒に瞑想したり、悩みを共有したり集まり」とのこと。日本では2年ほど前から、これまでに数回瞑想フラッシュモブを開催し、渋谷のスクランブル交差点でも行った。
今回は、ティク・ナット・ハン氏が創設したプラムヴィレッジ僧侶団の来日に合わせて企画され、同僧侶団からも数人が参加。忙しく行き交う人に〝立ち止まり、いまここを感じる〟ことの大切さを伝え、瞑想を普段の生活に取り入れてほしいというPRの意味も込められている。
街中で瞑想することについてソーヤーさんは、「普段はお寺で瞑想する人も多いですが、これは街をお寺にするということ。実際にやってみて、お寺がかなり守られた空間であることに気付いた。街には色々な刺激があって、自分がそれにどう反応していたかも分かりました」という。
フラッシュモブを見た人々は興味津々。「お母さん、これ何してるの?」「修行…かな?静かにね」という母娘や、「なんかすごい雰囲気!」というカップル。立ち止まってその姿をカメラに収める人もいるなど、〝瞑想フラッシュモブ〟は見た人の心に何かを残したようだ。
2015/5/21 妙智會 宮本会長の教団葬執行 常精進の生涯を偲ぶ
宮本会長の尊称「大導師さま」を発表する宮本法嗣 妙智會教団の宮本丈靖会長(享年97)の教団葬が13・14の両日、東京・代々木の教団本部で営まれ、国内外の来賓をはじめ会員代表が焼香し、最期の別れを告げた。2日間で12人が弔辞を読み上げ、宮本会長の遺徳を偲んだ。宮本惠司法嗣は、宮本会長を「大導師さま」と尊称すると発表した。
開式にあたり宮本会長が身延の七面山や思親閣で修行し、指導する記録映像が上映された。その終了と共に幕があがったステージは、思親閣からみた富士山が旬の草花などで荘厳。その中央に行衣姿の宮本会長の遺影と遺骨、そして位牌を安置。位牌に記された「仁生院法導常精進勢至晄大德善士」の法号が示すように、壇上は「常精進」の様子を体現した。葬儀は、行衣をまとった鈴木孝志理事を導師に勤められた。
弔辞では、安倍晋三首相(谷垣禎一自民党幹事長代読)がありがとうインターナショナルやGNRC(子どものための宗教者ネットワーク)の活動に言及しながら、「人種や国籍、宗教の異なる若者や子どもに囲まれていつもにこにこしておられた会長先生は、立場の違いを乗り超えてお互いを理解し、赦し合うことの大切さ、共通の課題を克服するために実際に行動することの尊さを、身をもって教えてくださいました」と感謝の言葉を贈った。
妙智會教団を「兄弟教団」と呼称した立正佼成会の庭野日鑛会長は、「私にとって宮本先生は、手本を示してくださる尊敬すべき大先輩でございましたが、平成11年、私の父であり、本会の開祖である庭野日敬が入寂したのちは、父親のようにも感じられ、お会いできるのを本当に楽しみにしておりました。それだけに宮本先生がご逝去され、寂しくてなりません」と追悼した。
喪主挨拶で宮本法嗣は参列者に謝意を伝えると共に、65年前の開教以来、精進努力を重ね、宗教協力にも熱心に取り組んできた実績を紹介。それらがすべて「先祖供養の功徳」と力説した。その上で、宮本会長を「大導師さま」と尊称するとし、「(宮本孝平)大恩師さま、(宮本ミツ)会主さまと共に妙智の船に同船され、漕ぎ手となられ、自由自在の神力をもって、これからも私たちを導き、ご守護して下さいます」と述べた。
なお教団葬は酒田市の山形教会(17日)と福岡市の九州教会(20日)でも執り行われた。
2015/5/21 智山派次期管長選挙 小峰一允氏が当選
3月27日に告示された真言宗智山派の管長選挙は14日、投票が締め切られ、翌15日午後1時から京都市東山区の宗務庁で開票された。上村正剛氏(73)と小峰一允氏(81)で争われた管長選は、有効票1488票の約64%となる951票を獲得した小峰氏が、537票の上村氏を414票差で破り、次期管長・第71世総本山智積院化主に就任することが決まった。
選挙は投票権のある住職、長老、主管者の2020票による一宗公選制で行われた。選挙長の芙蓉良英総務部長らの立会いのもとで開票され、投票総数は1751票で、投票率は約86・7%。無効票は263票だった。
任期は、寺田信秀管長が任期満了となる6月27日の翌日から4年。入山式は7月6日、晋山式は11月5日に執り行う予定。
智山派では、前回の管長選も選挙戦となった。前回の投票総数は1570票、有効票は1363票、無効票は207票だった。
小峰氏は1933年7月生まれ。早稲田大卒、大正大大学院修士課程修了。東京北部教区・三寶寺住職。菩提院結集、集議。宗務出張所長や教学部長、智山教化センター長などを歴任。2013年に密教教化賞を受賞した。
2015/5/21 本願寺派臨宗 10カ年200億円計画承認
浄土真宗本願寺派(石上智康総長)は12日、京都市下京区の宗務所に第309回臨時宗会を招集。石上総局は、親鸞聖人750回大遠忌宗門長期計画推進費収支計画を今年度5月末日で終了する一方で、翌6月1日から始まる10年にわたる新たな宗門総合振興計画推進費収支計画を策定し、その関係3案を提出。議会は最終14日に承認した。明年と明後年に修される伝灯奉告法要や8年後の親鸞聖人誕生850年および立教開宗800年法要を含めた長期計画は予算は200億円。
石上総は挨拶で、上程議案が宗門総合振興計画大綱策定委員会の答申をもとにしているとし、「法要の修行と記念行事の推進」として、伝灯奉告法要並びに誕生850年と立教開宗800年法要を掲げた。(詳しくは紙面をご覧ください)
2015/5/28 WCRP復興に向けた円卓会議 被災3県、今も苦しみ多く……
宗教者は復興に取り組む人々の呻きに耳を傾けた 世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(庭野日鑛会長、杉谷義純理事長)は19・20の両日、東京・渋谷の国連大学で第4回「復興に向けた宗教者円卓会議」を開催。約100人が参加し、東日本大震災の被災地で今もなお苦しむ人の呻きと、懸命に復興に取り組む希望の声に耳を傾けた。
初日はまず、復興庁・復興推進参与の田村太郎氏が、今年度から実施する「心の復興」事業22プロジェクトの実施を解説。一方で阪神大震災の体験と比較して、最大の問題として人口減少と経済収縮を挙げる。1995年の18歳人口が約177万人だったのに対し2010年は約122万人と55万人も激減した上に、非正規雇用も激増しているなどのデータを示し、「経済が収縮していく中での災害復興というのは初めてのことだと思う」と多難な前途を語った。(続きは紙面でご覧ください)
2015/5/28 念法眞教 サイパンで戦没者法要 御製・御歌碑を建立
スーサイドクリフ崖下のラストコマンドポストに建てられた御製・御歌碑の傍らに立つ東久邇信彦氏(左)、吉子夫人(中央)、桶屋良祐教務総長 念法眞教(大阪市鶴見区)は、太平洋戦争の激戦地だった北マリアナ諸島の米サイパン島の慰霊訪問時に天皇・皇后両陛下が詠んだ御製・御歌碑をサイパン島の2カ所に建立し、24日、現地で除幕式を行った。昭和天皇の孫にあたり碑文を揮毫した東久邇信彦氏と吉子夫人、神社本庁総長代理の田中朋清氏など約150人が参列し、英霊を慰霊するとともに平和への思いを新たにした。
同教団は2007年から毎年、サイパン島で戦没殉難者慰霊法要を執り行っている。終戦70年の今年、05年の両陛下のサイパン島訪問から10年の節目を迎えることから、その足跡を記す歌碑を建てた。
石碑の一つは両陛下が訪れた日本軍最後の司令部壕跡・ラストコマンドポストに建立。高さ・幅2メートル奥行き30センチの白御影で、茨城県笠間市稲田の名産・稲田石を輸送した。東久邇信彦氏が筆を執った天皇の御製一首と、吉子夫人が記した皇后の御歌一首が彫られている。
背後には、投降を拒んだ日本兵や民間人が飛び降り自決した標高250メートルのマッピ山の断崖・スーサイドクリフが切り立っている。1974年に日本政府によって中部太平洋戦没者の碑が建てられた。
法要を営んだ後、祈念の植樹を行った。出席した在サイパン領事事務所の菊池斉所長やサイパン市長のデビット・アバタン氏らが、南国らしい赤い花を咲かせるブーゲンビリア2本の苗木にスコップで土をかけた。
もう一つの石碑も両陛下が足を運んだサイパン島最北端のマッピ岬・バンザイクリフに建てられた。高さ2㍍幅約1㍍奥行き30㌢の稲田石に御製一首が刻まれている。
海抜80㍍の断崖絶壁で、追い詰められた日本人がここから「万歳」と叫びながら身を投げたという。代表的な戦跡となっていて、数十の慰霊碑が立ち並んでいる。
桶屋良祐教務総長は、家族すべてが亡くなって無縁となり、供養されることがない人々がいるとして、「御製、御歌を残すことで途切れることなく見守られ、安らかに眠ることができる」と歌碑の建立に込めた思いを語った。
崖下めがけて花束を投じた参列者は、日本へとつながる広大な太平洋に読経を響かせた。
2015/5/28 緊急寄稿 集団的自衛権行使に反対―「今も山河慟哭す」
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」(日本国憲法前文)したはずの戦後日本。しかし集団的自衛権の行使容認を含む安保法制の全面的な見直しを安倍政権は進めている。戦後70年という節目を迎えての今日の状況について、平和問題に取り組んでいる真言宗豊山派石手寺(愛媛県松山市)の加藤俊生住職に緊急に寄稿いただいた。
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大戦争があって平和が語られる。そして、戦争が忘れられるころ戦争が始まる。
お寺にはパゴダがある。そこはビルマ戦線に戦没した県人5千の戦士が祀られている。その創設は戦後30年。多くの戦友が居られて生き残った何十倍の死者を弔っていた。その口癖は「二度と戦争はしてはならない。どんなことがあってもいけない」であった。いま戦後70年が経ち、戦友は没して集まる人は減り戦争放棄の声は弱まっていく。
もしもである。もしも戦友(前線体験者)がもう少し長生きしていたら、現在の海外武力行使可能の扉を開くことに命を張って反対されたであろう。私は供養を任された祭司として、戦没の方々に誠に申し訳なく思う。そこに刻まれる「今も山河慟哭す」のその意味を伝えたいという、その死と苦難と引き換えに得た真理を、いま正に失おうとしていると思われてならない。
中村元・荒牧典俊両先生が最古の経であるとするスッタニパータ(Sn4章特に15経)には釈尊の肉声と推測できる叫びがある。「武器を手にして恐怖が起こった。私のみならず人々は互いに争う。・・・その闘争の原因は自分に刺さる見えない矢であり、それを抜けば闘争なく苦しみはない」と。
思えば、釈尊の一族は皆殺しにされる。インド16国がマガダ国へと統一される。この闘争の中、釈尊は武器を取り、他人殺しを恐れ、われと人々の欲矢を抜いて和合僧集団を宣揚した。だからサンガは不殺生(殺人や人身売買の禁止)を第一戒律としたし、相手の立場に立って痛みを知るという慈悲を説くし、殊更に人間の平等を説く。たとえば「みんな目も手も足も二つ。違うのは何人だなどの呼称だけであり、人として何処が違うのか(Sn3―9)」と。
その後、アショーカ王がインドをより大きな帝国へと統一するが、そのとき王は「私が殺した人々は何万人もであり、そのなかには優れた人々もいてむごいことをしてしまった」と後悔して先の釈尊の教えを広める。殺戮と悔恨の繰り返しで仏教は世界に広がった。しかしその後、仏教は死後平安の為の教あるいは、万物斉同的空という観念上の諦観教に堕す。
そして、釈尊より2500年後、第二次大戦の累々たる屍の惨禍苦悩をへて、戦争放棄が一国の憲法として確立するのは、まるで釈尊の和合僧集団が膨れ上がって国家となったかのようである。ついに釈尊の平和の夢は国家規模となったのである。
平和憲法には大きく二つのことが書かれる。
①戦争という悲惨さをなくすには、あくまで戦争をしないという方法があること。
②平和を愛する国民が連帯することによって平和が確立すること。
①は不殺生戒であり私はあくまで専守防衛に限ることだと考える。②は相互信頼であり誰でも和合僧になるという「苦の器としての人間」の尊厳の確立である。私は特に②を賛嘆する。あらゆる人間に敬意をはらうことである。釈尊はスニータが入門しようとしたとき、国籍や門地を問わず「よし」とのみ言った。互いに尊厳ある人として認め合い尊重し合うことこそが、仏教の根本精神であり、人種や国籍に拘らない人間の平等観、有情観、これが今の日本国憲法には明快に記されている。
昨年来、今政権は、武器輸出、ODAの軍事転用などを認めて国益を個々人尊重の上位とし、秘密保護法で人権を抑圧し秘密国家の体をなし、そして遂に専守防衛に限っていた自衛隊員を他国での戦闘に当たらせることに繋がるであろう諸法律を超法規的に通そうとしている。この法律が整えば、政権は戦争突入のフリーハンドを持つことは明白である。
イラク戦争の時でさえ、自衛隊は戦争に巻き込まれる瀬戸際に居た。今回は発砲することを許可されているし、しなくては他国を救えない状況となる。あの時、この小さな寺に八十カ寺の賛同が揃って戦争反対したことを思い出す。そして、しなくて良いイラク戦争によって、何十万の人が死にその家族が呻き、そして現在の憎しみの大地があることを日本国もその責任者の一人として正視しなければならない。
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かとう・しゅんしょう/1958年生まれ。京都大学哲学科卒。真言宗豊山派石手寺(四国霊場51番)住職。自殺者供養、電話悩み相談、駆け込み参籠、カレン孤児訪問支援、スッタニパータ原典研究など多彩に活動。著書『本来の仏教 ブッダの真実』など。
2015/6/4 第12回国連ウェーサク祝典 ネパール大震災義援金18万バーツ贈る
バンコク市内の国連会議場には85国・地域から1500人が参集(5月30日) 2年ぶりにタイの首都バンコク市内の国連国際会議センターにウェーサクの日祝賀式典がもどってきた。5月28日から30日までバンコクで第12回式典が、郊外のマハチュラロンコン仏教大学(MCU)アユタヤキャンパスと国連会議センターを主会場に開かれた。85の国と地域から1500人、タイ国内から3200人が釈尊のもとに集い祝福した。今年のテーマは「仏教と世界の危機」で基調講演や分科会が実施された。ネパール大地震に対して各方面から寄せられた浄財18万4千バーツが寄託された。(続きは紙面でご覧ください)
2015/6/4 曹洞宗梅花流全国奉詠大会 横浜に9000人、峨山禅師の奉讃も
鍛錬の成果を一仏両祖の前で披露する講員 曹洞宗梅花流詠讃歌全国大会が5月27・28の両日、神奈川県横浜市のパシフィコ横浜で開催された。両日合わせて9千人の講員が鍛錬の成果を披露。今年は大本山總持寺二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌なのでそれに合わせた特別奉讃奉詠も営まれた。
オープニングは横浜らしく中国獅子舞の演舞。全国から64宗務所の講が代表登壇し、「達磨大師御和讃」「御授戒和讃」などを奉詠。登壇しなかった講員も自席で声を合わせた。
峨山禅師奉讃奉詠では、石川県能登の伝統芸能「御陣乗太鼓」(県無形文化財)の熱烈な演奏と、サンドアーティストの飯面雅子さんによる峨山禅師の生涯を元にしたアートが表現された。江川辰三管長の導師により「大本山總持寺二祖峨山禅師讃仰御和讃」を特派師範や講員が唱えた。
奉詠後、江川管長は「数多くの立派なお弟子を育て、總持寺の基盤を固め、宗門の全国発展への礎を築かれた峨山禅師の遺徳がこの度奉詠によって一段と光を増し、私たちの心は明るく照らされるように感じられます」と讃えた。
2015/6/4 大谷派宗議会 奉仕施設建設に31億円、15年度予算は117億円に
宗務執行の基本方針を述べる里雄総長 真宗大谷派の第61回宗議会(髙木文善議長)が5月28日、京都市下京区の宗務所に招集され、同朋会館などを改修して建設する真宗本廟奉仕施設の追加建設費10億円を含む117億2500万円の2015年度一般会計予算案や14年度一般会計補正予算案などが提出された。真宗本廟奉仕施設の建設費を約20億5000円と見積もっていたが、建設費の高騰や経費が膨らんだことなどで、約31億円が必要となる見通し。決算剰余金の半額を積み立て保管している平衡資金から、不足分の10億円を追加費用として拠出する決議案が提出された。
平衡資金使用の可決には3分の2以上の賛成が必要となる。過半数で可決となるほかの議案に比べ承認されにくいため、予算委員会での議論が注目される。
奉仕施設は、東本願寺境内の同朋会館と研修道場を改修し、2施設をつなぐ共有施設を新築して建てる。18年度までの4カ年計画で、15年度は約8億円を計上した。(続きは紙面でご覧ください)
2015/6/11 おてらおやつクラブ 貧困家庭にお供物を送ろう
お供物のお菓子や日用品を箱詰めして発送 お寺のお供物が貧困家庭を救う―こんな菩薩行が今、広まり始めている。奈良県天理市の浄土宗善福寺副住職、桂浄薫氏が代表を務める「おてらおやつクラブ」だ。全国に120万を越える母子家庭、その約6割が経済的に困難な状態にあるという。そこに、余ったお寺のお供物を寄附する社会福祉である。
これまで関西の母子家庭を中心に支援を行ってきたが、首都圏の貧困問題も深刻であると痛感。(一社)お寺の未来と提携しさらに活動を広げることになった。3日、神谷町の浄土真宗本願寺派光明寺で説明会を開催した。
桂氏によると「果物を食べずに幼少期を過ごす子どもがいる。どうしてもお米などが優先されますから。これは遠い外国の話ではなく日本の話です」と話し、貧困は身近にあると指摘。そういった家庭にお菓子や日用品を送ると心から喜びの手紙が返ってくる。
一昨年にスタートし、協力寺院は全国に120を数えるまでになった。毎月200人以上の子どもたちがおやつを楽しみにしているという。説明会に集まった10カ寺も早速、お菓子や日用品を仕分けして発送を体験。箱の中に手紙や寺報を同封することで仏縁を広げることも歓迎される。檀信徒に貧困問題を知ってもらうきっかけにもなりそうだ。協力の申し出は事務局まで。
2015/6/11 真宗大谷派宗参議会 「非戦決議」を採択、「戦争に向かう状況」懸念
全会一致で「非戦決議」が採択された宗議会 真宗大谷派(京都市下京区)の宗議会は9日、終戦70年の節目を迎え、非戦を誓う決議案が発議され、全会一致で採択した。10日の参議会でも同決議案を可決し、宗参両議会で議決された。戦後50年にあたる1995年の宗会で採択した「不戦決議」から20年が経ち、戦争の悲惨さに対する感覚が風化しているとして、「その風化は現在も基地問題で苦しむ沖縄の人たちの心に向き合おうとせず、戦争に向かう状況を生み出そうとしている」と政権が進める安保政策に懸念を示す内容も盛り込まれている。(続きは紙面でご覧ください)
2015/6/11 人類愛善会90周年綾部集会 「世界平和はアジアから」
初代総裁である出口王仁三郎聖師の業績が再評価された発題(6月6日)「人類愛善」「万教同根」を掲げて創立された大本の外郭団体である人類愛善会(総裁=出口紅教主)は90周年の記念集会を6日から8日まで京都府綾部市の大本本部で開催。「世界平和はアジアから」の主題のもと、創立者である出口王仁三郎聖師の未来ビジョンと今後の方向性について5人が発題。最終日には5つの実行を示した宣言が採択された。集会にはアジア各国やブラジルなど国内外から各日とも約200人が出席する宗際化行事となった。
開会にあたり出口紅総裁が挨拶。90年前の1925年6月9日に発会したことや、それに先立つモンゴル訪問などの史実を紐解きながら、人類愛善会創立は「『われよし』『強いもの勝ち』の世を改め、世界を平和へと導く第一歩であった」と王仁三郎聖師の足跡を紹介。さらに昭和10年の大弾圧を経て戦後に再発足したことに言及しつつ、昭和25年(1950)日本初となる綾部市の世界連邦平和都市宣言を後押しし、55年後の平成17年(2005)に衆院本会議で「世界連邦実現への道の探求」を謳った国会決議を評価した。
一方で出口総裁はその国会決議に逆行する動きに対し「生命の尊厳を軽視する危険な傾向をも感じられる」とけん制。そして「世界各国の人類愛善会員の皆さまと共に手を携え、心一つにこの困難な時代を乗り越えてまいりたいと強く念願いたします」と訴えた。
集会では王仁三郎聖師が普及に努め、大本で採用されている国際語エスペラントが日本語と同等に用いられた。
発題では、浅田秋彦人類愛善会会長「アジアから世界平和を」を皮切りに、サムダン・ツェデンダンバ人類愛善会モンゴルセンター会長「モンゴルから世界平和を」、パウロ・ナセンテス・ブラジルエスペラント連盟代表「エスペラントで世界平和を」、ムハンマド・ダジャーニ・エルサレム大学教授(来日が困難となり代読)「中東から世界平和を」、稲垣裕彦人類愛善会副会長「アジアから世界連邦実現に向けて」の全5氏が登壇し、宗教と国境を超えて平和構築を提言した。
2日目には国内外の来賓祝辞のほか活動報告としてネパールとスリランカの人類愛善会の取り組みが報告された。
3日間の討議の成果は宣言文にまとめられ、実行を強く促すものとなった。平和アピールは8月15日の終戦記念日までに発表される模様だ。(宣言文は紙面でご覧ください)
2015/6/11 立正佼成会・集団的自衛権を考えるシンポ 共生社会に武力は必要か
集団的自衛権と共生社会をめぐる問題について議論した 立正佼成会は5月30日、東京・杉並区のセレニティホールでシンポジウム「信頼に基づく共生社会を築くために―集団的自衛権を考える」を開催した。昨年7月の集団的自衛権の行使を認める閣議決定がもたらす影響を深慮して企画され、研究者や紛争現場を知る専門家らを招いて共生社会のあり方を探った。250人が集まった。
初めに高橋哲哉・東京大学教授が現在の憲法と歴史認識をめぐる問題について基調講演。憲法改正の手続きを経ずに集団的自衛権の行使容認に「この状態は極めて危険だと感じる」と深く憂慮した。戦後70年を迎え「とりわけアジア諸国の人に損害を与えたことは疑うべくもない歴史の事実」とし、共生社会に向けて「求められているのは、周辺諸国との信頼関係の醸成。そのスタート地点に歴史認識の問題がある」と提起。「歴史認識を確立し、東アジアの中での共生、平和、安全保障の秩序を作り、東アジアの軍縮を進めていくこと」を展望した。
自衛隊の取材を続ける半田滋・東京新聞論説兼編集委員は安全保障法制の問題点をあげ、「武力行使のハードルが下がる」ことで「自衛隊員のリスクが高まる」と危機感を強めた。イラクからの帰還兵に多数の自殺者が出ていること、「奇跡的に死傷者が出なかった」が宿営地にはロケット弾が十数回打ち込まれたことを指摘。自衛隊員が負うリスクに「政治家や国民は耐えられるのか、それを覚悟して議論は進んでいるのか」と問うた。
アフガニスタンなどで武装解除の実務に当たってきた伊勢崎賢治・東京外語大学教授はイラクやソマリア沖への自衛隊派遣は、国際法の観点からは「集団的自衛権」にあたるとし、「集団的自衛権の行使の自覚がないまま、自衛隊を出してきた」と論じた。自衛隊には軍法などの法体系がないことの問題点も指摘し、「矛盾を背負うのは現場の自衛隊員。こんな無責任なことはない。自衛隊を海外に送るなら軍にしてからで、そのためには国民に問うべき。閣議決定や法改正で出来る話ではない」と断じた。
日本の地理的条件から「国防の概念は成り立たない」として、「一番いいのは敵を作らないこと」と明言。「戦争」にあたる集団的自衛権の行使ができないよう「憲法に永久条項を作ること」や、非武装による国際平和貢献の選択肢も示した。
フィリピン・モンテネグロ島の飢餓救済のため島民の自立支援を続けてきた前島宗甫・日本基督教団牧師は、構造的飢餓と、援助活動の体験から「グローバリゼーションが民主主義を奪っている。それを乗り越える意識、いのちへの眼差しをどう取り戻すか」を課題にあげた。
2015/6/18 「宗教と社会」学会テーマセッション 戦後宗教の平和主義を問う
憲法9条と宗教教団のあり方も問われたパネル討論「宗教と社会」学会第23回大会のテーマセッション「戦後70年の宗教と社会」が14日、文京区の東京大学で開かれた。宗教界の平和への取り組みや誤解されている靖国神社問題の整理などが行われ、今後の方向性を展望した。
司会者の堀江宗正氏(東京大学)は、「現代の宗教と社会を理解するために戦後70年の過程をどう理解するのか」と問題提起。中野毅氏(創価大学)は、「戦後宗教史と平和主義の変遷」をテーマに発題した。
中野氏は、昭和23年11月にGHQ占領下で伝統仏教の主要11宗派の京都寺院や神社本庁などが結成した戦後初の宗教政党「第三文明党」を紹介。ほとんど活動記録を残すことなく消滅したが、「天理教など新宗教の政治進出への対抗があったのではないか」とした。
戦力を放棄し、国際紛争解決の手段としての武力行使を認めない日本国憲法9条を、「非暴力無抵抗主義の絶対的平和主義の表明」と定義。しかし冷戦構造の中で警察予備隊・自衛隊を組織し、「理想主義的な立場から現実政治的、暴力的抵抗主義に移行した」と見解を述べた。
「創価学会と公明党に見る平和主義の変遷」も解説。宗祖日蓮の位置を説明した上で、「戦前の創価教育学会は非暴力抵抗主義」「戦後の創価学会は非暴力抵抗主義、公明党は非暴力抵抗主義から暴力的抵抗主義になった。非暴力無抵抗主義(絶対的平和主義)に立ったことはない。したがって今のような立ち位置は必然的に出てくるかな、と思う」との見解を示した。
島薗進氏(上智大学)は「国家神道の復興と公共空間」と題して、解体されたはずの国家神道が近年、復興の動きを強めていると指摘。「日本が戦争に負けるような動きになった原因に軍国主義が大きく関わっている。それを経て現在の平和憲法があることを、多くの宗教団体は真剣に受け止めてきた。中でも新宗連、全日仏などが日本の平和主義運動の中で果たしてきた役割は大きい」と評価した。
小島毅氏(東京大学)は、「靖国神社についての語り」をテーマに発表。昭和60年8月15日の中曽根康弘首相による公式参拝から中韓両国との外交問題になったことを指摘した上で、「靖国問題は国内問題」の立場で説明した。
靖国神社の起源は倒幕のために戦った幕末殉難者を顕彰する施設で、「鎮魂追悼施設ではなく、アジア太平洋戦争のための神社ではない」と説明。「『昭和時代の殉難者(A級戦犯14名)』は『安政以来国事殉難者』に倣って顕彰されている」と話し、学術的な立場から「靖国神社は日本土着の神祇信仰に基づいておらず、朱子学の教義を採用した宗教」「(幕末の)内戦の勝者が自分たちの歴史認識に基づいて作った神社」と分析した。
参加者の一人は、「宗教的理念に基づいた平和主義が、(日本社会で)どれほどの影響力とバリエーションを持っているのか」と質問。「憲法9条が強すぎる公共性を持ってしまったがゆえに、それに依存する形になり、特に複数の教団が協力する場合には『9条を守れ!』という平和活動になってしまったのではないか」という指摘もなされた。
2015/6/18 佐々井秀嶺氏が高野山で講演「世界一の知恵者はアンベードカル博士」
銅像なしの台座にブッダとアンベードカル博士の尊影が安置され、支援者と共にジャイ・ビームを行う佐々井氏 ジャイ・ビーム、ジャイ・ビーム(アンベードカル万歳)!――インド仏教の復興を主導する 79歳の佐々井秀嶺氏は支援者らに囲まれた中で一緒に拳を突き上げた。14日、和歌山県高野町の高野山大学黎明館でアンベードカル博士銅像建立奉賛「佐々井秀嶺高野山講演」が行われ、全国から約400人が参集。現代インドの仏教指導者である半面、「南天鉄塔」研究者でもある佐々井氏は二つの顔を披露した。主催は佐々井氏の後援組織である南天会と高野山大学。
2年前に和歌山県とインドのマハーラシュトラ州が交流と協力の覚え書きを交わした。両者とも世界遺産の仏教遺跡を有するという共通点がある。これを記念し同州からインド憲法起草者で不可触民解放の指導者であるB・R・アンベードカル博士(1891~1956)の銅像が寄贈されることになり、建碑地は高野山大学と決まった。
当初は州政府首相が来日して5月初旬に除幕式の予定だったが、直前になって来日が困難になった。そのため高野山大学にはブルーシートで覆われた台座が主を待つ状態が続いている。
佐々井氏は台座に安置されたブッダとアンベードカル博士の尊影に献花し、パーリ語で読経。支援者も一斉に唱和し、最後はジャイ・ビームで締め括った。
講演は2部構成。午前は「私観南天鉄塔」と題し考古学調査の成果を詳らかにしながら、真言界の論争に一定の結論を導き出した。南天鉄塔は南インドにあるとされる鉄の仏塔で、そこに納められている『大日経』と『金剛頂経』を龍猛菩薩が開いて伝授されたという。それゆえ佐々井氏は「全真言宗の根本道場」と位置づけた。
南天鉄塔は実際にあるとする事塔説と理念的な存在とする理塔説がある。栂尾祥雲氏や宮坂宥勝氏、先般死去した頼富本宏氏らが事塔説だが、大多数は理塔説に立つ。佐々井氏は「ナグプールに近いマンセル遺跡こそ南天鉄塔」と言い切り、さらに両者を融合した「理事不二円満」の思想を展開した。
午後は「アンベードカル博士と現代インドの仏教徒」をテーマに行われ、佐々井氏のほか、「B・R・アンベードカル及びエンゲイジド・ブディズム研究会」の4研究者が発表した。佐々井氏は「宗派を起こしてインドの仏教を乱しているのは日本仏教」と痛烈に批判。
最晩年に50万人の不可触民と共に仏教徒となったアンベードカル博士の事績に対する認識のなさも嘆いた。「インド社会は上層階級を含め誰もが知っている。世界一の知恵者はアンベードカル博士だ」と主張した。
佐々井氏は昨年8月、体調悪化で入院し、一時は死線をさまよった。佐々井氏自身、「生き返った」と振り返るほど容態が悪かった。体調もだいぶ快復し、独特のしゃがれ声で「宗教者は、原発に反対しなければならない」とも訴えた。
2015/6/18 戦後70年シリーズ企画「豊かさとは何か…」 自然の豊かさに学ぶ/山田法胤・薬師寺管主
「あらとうと 青葉 若葉の日の光」
奥の細道で詠まれた芭蕉の句です。日本の自然の豊かさをうまく表現しており、私は大好きな俳句です。山色清浄心という言葉もありますが、日本の風景は見る人の心まで浄くしてくれます。
私は昭和15年生まれですから、戦前に生れたことになりますが、幸いなことに岐阜県の根尾村という田舎でしたから、爆撃とか空襲の経験はありませんでした。ところが昭和22年、一家の大黒柱である父が、事故で即死状態の脳内出血で他界しました。私は小学校1年生でした。父がいても貧乏でしたが、母だけになったらもっと貧乏になりました。
戦前のことですから、兄弟(姉妹)は7人で私は6番目。でもおかげさまで、飢え死にすることはなかったです。良寛さんが「焚くほどは 風がもてくる 落ち葉かな」と歌にしておられますが、本当ですね。小学校・中学校でアメリカが配給してくれた、脱脂粉乳のミルクをいただき大きくなりました。家に帰ると、わずかな畑があり、草引き、肥汲み、水やりと、サツマイモやダイコン、大豆、ジャガイモを作っていました。私の母はいつも口ぐせのように「上見れば あれほし これほし ほしだらけ 下見て暮らせ 下に星なし」と言っていました。また、古歌に「苦しみて 後に楽こそ 知らるなり 苦労知らずに 楽に味なし」とあります。今、この歌を味わい幸せを感じています。
「豊かさ」といえば、モノはなかったけれども、自然に恵まれていました。川があり山があり、運動場があり、山から薪を運び出すと、一束五円とかいってアルバイトもありました。川には魚がいっぱいいました。夏は鮎つりも出来ました。この自然の豊かさは、今よりずっと楽しかったです。良寛さんが、「形見とて 何をか残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」といっておられます。21世紀の形見はモノやお金ではないように思います。日本の春夏秋冬、自然が残るような日常生活を心がけたいものです。
私は縁あって、中学3年生のとき薬師寺の小僧として入寺して今日に至るのですが、それまでは山紫水明の美しい田舎の生活でした。今、子どもの頃を思い出すと、石けり、縄跳び、かくれんぼ、缶けり。今の子どもより豊かに体を動かしていたし、遊んでいました。野球などありませんでしたが、石投げ、ソフトボール。おかげさまで、体は健康、今年で75歳になりますが、入院したことはありません。糖尿とか肥満とかいった成人病もなく、足腰も元気です。
豊かさとは、スマホ、パソコンのゲームをやることではなく、自然と共に生きることではないかと、戦後のモノのない時代を思い出しています。心より〝向う三軒両隣〟が懐かしいです。
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やまだ・ほういん/昭和15年(1940)12月生まれ。昭和31年(1956)1月に薬師寺入山。薬師寺執事長・副住職を経て平成21年に法相宗管長・薬師寺主管に就任。
2015/6/18 戦後70年シリーズ企画「豊かさとは何か…」 道心の中に衣食あり/半田孝淳・天台座主
比叡山は昔から「論、湿、寒、貧」と言われています。
論とは学問のこと、湿とは湿気が多いこと、寒は寒いことで、冬は仏器の水が凍るほどです。そして貧は貧乏なことです。俗謡に「山の坊さん 何食て暮らす ゆばの付け焼き 定心房(坊)」と歌われております。定心房とはたくあんのことです。
しかし伝教大師は「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」と申されております。
仏道を求めて修行するなら、その目的を達成するための最低限の衣食住は必ずついてくる、と修行僧を励まされたのです。
比叡山で修行された曹洞宗の宗祖道元禅師も「学道の人は、先づすべからく貧なるべし」と言われています。ほとんど、物らしい物もなく、食べることにも事欠くような、質素倹約の中で修行することによって、初めて見えてくるものがあります。
現在のように、豊かな社会に漬かっていると僧侶になる「芯」というものが、ゆるくなってしまうのではないかと、私は恐れます。あれも、これも欲しいという誘惑が、人間を堕落させることは皆さまご存じの通りです。
お釈迦様は「不知足の者は富めりといえども、しかも貧し。知足の人は貧しといえども富めり」と示されました。
ここに、私は混迷する現代を救うキーワードがあるのではないかと思います。
お経に「山川草木悉有仏性」という言葉があります。これらの言葉は、人間や動物ばかりではなく、草木や山川も仏性を持っており、やがては仏に成れるという意味です。
この世に存在するすべてのものは「仏性」という仏に成る種子を持っていると伝教大師様は教えられたのです。このことを常に考えて日々を過ごせば「自分だけがよければそれでよい」というような浅ましい社会もなく、争いも殺しあいもない平和な社会が到来するのではないでしょうか。
宇宙にあるすべてのものは、原子という小さな粒子からできています。つきつめていけば、私たちも、山川もこの大宇宙の中に原子として存在しており、やがてはその巨大なエネルギーの中に帰って行きます。
どんなに小さいもの、取るに足らないと思われるものでも仏様の光があたらないものはありません。ですから、優劣を競ったり、分け隔てすることなく、すべては助け合って生きていくことが必要なのです。
金子みすゞさんの「蜂と神さま」という詩にはこうあります。
〈蜂はお花の中に、お花はお庭の中に、お庭は土塀の中に、土塀は町の中に、町は日本の中に、日本は世界の中に、世界は神さまの中に。そうして、そうして、神さまは、小ちゃな蜂のなかに〉
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はんだ・こうじゅん/大正6年(1917)長野県生まれ。京都・曼殊院門跡門主を経て平成198年(2007)第二百五十六世天台座主に就任。“半田スマイル”で諸宗教協力を実践。
2015/6/25 本願寺派、6月に逮捕者3人 僧侶の資質、他教団も課題
6月に入って本願寺派僧侶の事件が相次ぎ、3人が逮捕された。テレビや新聞でも報じられ、本願寺派の石上智康総長が異例の談話を発表する事態に至った。明年からの伝灯奉告法要や8年後の親鸞誕生850年を柱とした10カ年200億円の宗門総合振興計画(長期計画)が今月1日から始まったばかり。事件は僧侶の資質に関わることであるため、他教団にとっても対岸の火事とするわけにはいかない。
本願寺派の事件は次の3つ。①徳島の僧侶が愛媛で殺人を犯した事件(4日逮捕)、②僧侶養成機関である中央仏教学院の学院生が大麻を所持して逮捕された事件(5日逮捕)、③本願寺派の元職員が詐欺容疑(架空出張)で逮捕された事件(10日逮捕)。
①では、宗門も深刻に受け止め、石上総長は談話で、被害者や遺族に謝罪の言葉を述べつつ、「このたびのことが事実であるとすれば、言語道断であり筆舌に尽くしがたく、当人に対しては、宗派としても厳正に対処します」と表明した。
この事件により、5日予定の高札立札式が延期となった。容疑者の僧侶は昨年12月に事件を起こしており、逮捕までの約半年間、日常的な生活を送っていたことになる。
②は容疑者に大麻所持の前科があり、関係者によれば常習性があったとみられる。石上総長は「一般常識さえ欠いた行為であり、僧侶を志した者として言語道断の出来事」と述べ、両事件に「まさに今、社会に開かれた宗門をめざして積極的に社会的に活動を展開せんとする私どもにとり、これらの不祥事は強い逆風」との認識を示している(共に6月5日の緊急談話、本願寺新報6月20日)。
③は本願寺宗務首都圏センターの職員時代、架空出張を申請し、交通費などを騙し取った容疑である。新聞報道によると、昨年1月に地元下京警察署に告訴していたという。すでに宗門内では処分が行われたという。
石上総長が明言しているように①と②については懲戒規程に即して処分される見通しだ。8種の処分があり、もっとも重いのは「僧籍剥奪」で僧侶身分を喪失させるもの。近年では、公然わいせつで逮捕された僧侶が「僧侶として更生を果たすことはきわめて困難」(監正局)として僧籍剥奪となった例がある。
本願寺派は総合振興計画で、「仏教の精神に基づく社会への貢献」「自他共に心豊かに生きる生活の実践」「宗門の基盤づくり」の3項目の基本方針を掲げた。逮捕劇はそれぞれの項目に水を差すことになった。
石上総長の談話は③事件前の発表であった。しかし、人材育成の課題を提示した上で、「今回の不祥事を宗派内のごく一部の僧侶の問題として片づけることなく、負の出来事を今後の教訓として活かしていくことが、念仏者としての生き方であり、我が宗門の進むべき道でもあります」(同)と全体的な問題意識を述べている。
修行道場での暴力事件、恐喝で逮捕された僧侶、妻を殺害し寺を放火した事件など最近僧侶が社会を騒がせた事件は少なくない。一方で各教団とも人材育成と現役僧侶の再研修という点で課題を抱え、取り組みを始めたところもある。「社会の目は、より厳しくなっていることを自覚すべき」(本願寺派関係者)であり、今回の本願寺派事件を契機に、各教団も再点検と再発防止が迫られよう。
2015/6/25 93歳・瀬戸内寂聴さんが国会前で訴え 怖い戦争に近づいている
国会前でスピーチする瀬戸内寂聴さん 新安保法制に反対する国会周辺でのデモや集会が続くなか、18日には天台宗僧侶で作家の瀬戸内寂聴さんが京都から駆け付けて、「このままではダメ。日本が怖い戦争にどんどん近づいている」と訴えた。
昨年、病気を患いほとんどを寝たきりで過ごしたという93歳の瀬戸内さんは、まだ万全ではないとしながらスピーチに立ち「最近の状況は寝ていられないほど私の心を痛めている。どうせ死ぬならばこちらへきて、〝このままではダメだよ〟〝日本は本当に怖いことになっているよ〟ということを申し上げて死にたいと思った」と挨拶した。北京で終戦を迎え、故郷・徳島に帰ると焼野原だったという戦争体験を振り返りながら、「戦争に良い戦争というのは絶対ありません。戦争はすべて人殺しです、殺さなければ殺されます。そんなことは人間の一番悪いことです。ですから、そういうことを二度と起こしてはならない」と力を込めた。「最近の日本の様子を見ていると、怖い戦争にどんどん近づいているような気がします」と危機感を募らせ、「ここに集まったみなさんは私と同じような気持ちでしょうが、その気持ちを他の人たちに、特に若い人たちに伝えてほしい」と呼びかけた。
国会前では平和をつくり出す宗教者ネットのメンバーらが座り込み祈念行動などを続けている。
2015/6/25 曹洞宗通常宗議会 揺れる宗門校理事の推薦 総長、演説で正当性強調
第123回曹洞宗通常宗議会が22日、東京都港区芝の宗務庁に招集された。現在、駒澤大学・愛知学院で、宗門が推薦した理事を受け入れない状況が続き、対立と一部宗侶の困惑が深まっている状況を受け、釜田隆文宗務総長は施政方針演説であくまでも宗門の推薦による理事に正当性があると強調。両大学は従来通りに内局交代に伴う理事の辞任と、新内局に推薦された理事の受け入れをすべきだと暗に突きつけた格好だ。(詳細は紙面でご覧ください)
2015/7/2 全日本仏教青年会 新理事長に東海林氏
全日本仏教青年会(全日仏青)の新理事長に全国浄土宗青年会の東海林良昌参与(45)が就任し、沖縄での全国大会に併せて6月23日の理事会で新執行部が発足した。任期は2年間。
東海林理事長は、1970年、宮城県生まれ。雲上寺副住職。浄土宗総合研究所研究員。新執行部のテーマは「慈悲の実践」。東海林理事長は「仏さまの慈悲は、前に進む人にも、前に進めない人にも分け隔てなく平等に降り注いでいる。仏教者として誰もが希望を見出せる社会をつくるお手伝いができれば」と抱負を述べており、「各宗派協力して活動している団体なので、自分の宗派だけでは経験できない初めてのことも経験できる。宗派を超えて力を合せ、仏教界全体を若い力で支えていく活動もしたい」としている。
任期中には全日仏青40周年記念事業の他、新たに研修事業なども検討中で、死別の悲しみに寄り添う「安寧僧」の養成や、前執行部から始まった諸宗教対話委員会からの発展として、他宗教の施設で対話や学びを深め「諸宗教対話僧」の養成を目指す。研修は視野を広くもつための学びの入口として位置付け、より深く学びたい者には「臨床宗教師」や「臨床仏教師」資格を紹介していく。「主に20代30代の若い僧侶に多く参加してもらいたい」と話している。
この他、各団体の活動状況をホームページで情報共有することや、英語での情報発信にも取り組んでいく方針だ。
2015/7/2 天台宗 一隅照らす運動東京大会〝仏性を忘れないで〟
導師を勤め、仏性への気付きを呼びかけた神田住職 天台宗東京教区(杜多徳雄宗務所長)は6月25日、東京・台東区の浅草公会堂で第45回一隅を照らす運動東京大会を開催した。満員となる千人以上の檀信徒が集い、運動の意義を噛みしめる法要や天台聲明、雅楽の他、南こうせつさんのコンサートも行われ、運動の実践が呼びかけられた。
第一部は、叡山講福聚教会東京地方本部の和讃詠唱で開始。東京教区寺院が推薦する運動の実践者への表彰や法要が執り行われた。
法要の導師を勤めた寛永寺の神田秀順住職(輪王寺門跡)は、今年数えで88歳の米寿になったことに触れ「最近物忘れが多くて困っている。財布が上着に入っていることに気付かず、買い物ができなかった」とユーモアを交えて挨拶。
「お釈迦さまは、全ての人に悟りを開いて仏になるための仏性が備わっていると説かれている。ただ、その仏性を持っていることに気付かなければないのと同じ。気付かないままでは、私たちはいつでも迷い、悩み、苦しみに捉えられ、心の安らぎを得られない」と説示。本山での結縁灌頂や各教区の授戒会などは、「改めて自分が仏さまとともにあることを感じる機会。一隅大会もその一つ」と話し、「私も物忘れがひどくなっても、仏弟子として自分の中の仏性だけは忘れないようにいたします」と結ぶと会場は大きな拍手に沸いた。
主催者挨拶では、杜多所長や木ノ下寂俊宗務総長、延暦寺の小堀光實執行、同運動総本部の横山照泰部長が登壇。横山総本部長は、「心は見えなくても、心遣いは見える。まずは家から、皆さんの周りから一隅を照らしていただきたい」と運動の実践を呼びかけた。
第二部は寺院の生まれでもある南こうせつさんのコンサート。南さんは、「僧侶である父には、ほとんど怒られたことがなかったが、父は母にいじめられていました」と語り、会場は大爆笑。「そんな父を励ましたいとを思って作ったのが『うちのお父さん』です」と紹介し、同曲や名曲『神田川』『妹』など、アンコールを含め8曲以上を披露した。
2015/7/2 「峨山道」世界初演に千人超
僧侶約50人とオーケストラによる新しい宗教音楽が誕生した 曹洞宗大本山總持寺の基礎を築いた二祖・峨山韶碩(がさんじょうせき)禅師の650回大遠忌の正当を迎え、記念報恩公演「祈りの調べ 池辺晋一郎と僧伽(サンガ)の出逢い」が6月23日、神奈川県横浜市のみなとみらいホールで開催され、千人超が来場した。世界的作曲家・池辺氏が作曲した「峨(が)山道(さんどう) ザ・ロード・オブ・レジェンド」を初公演。新しい宗教音楽の誕生に、会場からは万雷の拍手がわき起こった。
道元禅師から瑩山禅師に承け継がれた正伝の仏法を、多くの弟子たちに余すところなく伝えた峨山禅師。当時、能登にあった總持寺(現在の總持寺祖院)と永光寺(石川県羽咋市)の住職だった峨山禅師が、両寺で日々の法要を営むために往復した約52キロの山道が「峨山道」だ。禅師が永光寺での朝の勤行を終え、總持寺に向かう間、總持寺の修行僧たちはゆっくりとした「大悲心陀羅尼経」の真読で禅師の到着を待ったという。
その独特の読経とオーケストラが一体となった大遠忌記念作品「峨山道―GASANDO ザ・ロード・オブ・レジェンド」の世界初公演。池辺氏の指揮のもと、總持寺の修行僧と神奈川地区の青年僧侶有志の約50人、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が新しい宗教音楽の世界を創出した。
「峨山道」の演奏前、池辺氏と總持寺の前川睦生後堂が対談。池辺氏は「僧侶の読経に対してオーケストラを(自由自在に躍動する)『衆生』の立場にした。(その融合は)あえて言えば偶発的な結果で、それが日常の私たちの生活とお寺のあり方の象徴ではないか」と創作秘話を明かした。
公演を聴いた尾崎正善・大遠忌局学術参与は、「(従来の)声明とは違うアプローチがあったのが良かった。東洋と西洋という見方ではなく、グローバルな視点が必要だ」と感想。世界初公演を終えた總持寺の髙屋継仁・維那補は、「ドキドキしながら指揮者の動きに集中していました」と語った。
2015/7/9 真言宗智山派 小峰一允新管長が入山
多くの人に出迎えられて管長交代時にのみ開く総門をくぐり巡拝に向かう小峰一允新管長 真言宗智山派管長、総本山智積院化主第71世に就任した小峰一允氏が入山する「初登嶺」が6日、京都市東山区の智積院で行われた。朱傘を差し掛けられて境内の諸堂を巡拝した小峰氏は「日々の勤行と菩提心の開発に勤め、お役に立てれば幸せです」と抱負を述べた。山内役職のほか、大本山貫首や別格本山貫主、集議・菩提院結衆など約150人が参列し、新管長の入山を祝った。
金堂など14カ所を参拝した後、講堂で就任式が営まれた。前管長の寺田信秀氏による「管長に当選したことを認証する」とした認証書が読み上げられ、末寺3000カ寺と30万人以上の檀信徒を抱える智山派管長の重責が小峰氏に引き継がれた。
「謁見の儀」が執り行われ、三大本山の成田山新勝寺・橋本照稔貫首と川崎大師平間寺・藤田隆乗貫首、高尾山薬王院・大山隆玄貫首名代をはじめ、二別格本山の高幡山金剛寺・川澄祐勝貫主、大須観音宝生院・岡部快圓貫主や集議、教区代表会の正副議長など17人に、縁起ものの結び昆布が新管長から手渡された。
小峰氏が挨拶し、「皆さまの推挙をいただいた上は、渾身の力を振るって本宗、本山のために努力したい。素晴らしい祖師先徳が続き智山派の活動が活発化してきた。その業績に恥じないように力を注ぎたい」と語った。
小宮一雄寺務長が祝いの言葉を述べ、「智山派最高の依止師となられましたこと心からお喜びします。8年後に迎える宗祖弘法大師誕生1250年についても大切な時期に入りました。大局に立ったご教導をお願い申し上げます」と話した。
川崎純性教区代表会議長は、教学部長や教化センター長などを務めた小峰氏の経歴を振り返り、「敬慕を一心に集めて猊座に登られました。誠におめでとうございます」と述べた。
2015/7/9 花岡事件 70年目の慰霊供養 日中友好の心新たに
供養塔に手を合わせる石飛氏(左から2人目)、蔦谷達元前住職(中央)、達徳住職(右) 第2次世界大戦末期の昭和20年(1945)7月1日、秋田県花岡町(現在の大館市花岡)で中国人労働者が一斉蜂起し、多数の中国人が犠牲となった「花岡事件」。戦後70年を迎え、花岡の曹洞宗信正寺(蔦谷達徳住職)で同日、70周年を記念する慰霊供養の集いが営まれた。実行委員会の代表は40年以上この事件を追ってきたルポライターの石飛仁氏。
食料も満足に与えられない劣悪な環境で鹿島組(当時)の労働力となっていた中国人労工約800人が耐えかねて一斉蜂起し、日本人補導員4人と中国人幹部1人を殺害して事業所からの逃亡を図った。発生時刻は7月1日午後10時20分頃。一帯は騒然とし、特別高等警察を中心とした民間人を含む鎮圧隊、のべ2万人が中国人を追った。中国人は鹿島組から約4キロ離れた獅子が森に隠れるが包囲拘束された。現場で殺されたり、捕縛後に拷問を受けたりして死亡した者は419人を数えた。
この日、石飛氏は「最後の現場検証」として一帯を調査。蜂起が始まった中山寮の場所を推定し、逃走経路を歩いた。当時10歳で殺害現場を目撃した地元住民の記憶も頼りに、事件の全貌を記録した。
夕刻から信正寺裏山にある「華人死亡者追善供養塔」で墓前祭が営まれた。石飛氏や蔦谷住職、蔦谷達元前住職をはじめ花岡町長だった故山本常松氏の長男である山本陽一氏ら約30人が菊を供え、冥福を祈った。
事件の発生日は6月30日説と7月1日説に分かれており、石飛氏は独自に入手した裁判記録などを元に7月1日とする。達元氏は、昭和26年(1951)7月1日に最初の慰霊祭を行い、それから数年間7月1日に執り行っていたと証言。寺院の資料では死亡した中国人の命日が7月1日になっていることも明らかにした。
子どもたちも参加した燈明供養 石飛氏は「蔦谷達元氏の証言は決定的。7月1日に起きたことは確定と言っていい」と語り、「揺るぎない事実に立脚しなければ亡くなった人は浮かばれない。仏教的な意味としてもそうでしょう」と強調する。
その後、信正寺本堂では「花岡平和祭」が開催された。犠牲となった419人一人ひとりの名前を記した紙コップの灯籠に一斉に火がともされ回向。続いてシンガーソングライターのサスケ氏と張麗華氏によるコンサートが催された。石飛氏作詞「花岡川の赤い花」の演奏に一同は耳をすまし、日中友好の心を新たにした。
2015/7/9 本門佛立宗・本山宥清寺で終戦70年法要 「世界恒久平和」を誓う
諭告で争いのない世界を訴える山内日開講有。右は木村総長(7日 宥清寺) 本門佛立宗(木村日覚宗務総長)は7日、京都市上京区の本山宥清寺で「終戦70年戦没者慰霊並びに平和祈念法要」を山内日開講有を導師に執り行った。山内講有は諭告で、不軽菩薩の精神を説きながら「宗門人が戦争を憎み戦争に反対し、争いのない真の平和な国、寂光浄土の実現を目指すことが、高祖(日蓮)大士のみ心にかなう報恩のご奉公」と表明した。宗内役職者ら約130人が参列した。
開式にあたり、木村宗務総長が式文を奏上。戦時下の宗門が国策に追従した歴史を踏まえ、「昭和22年、一宗独立し宗制が制定され我が宗はその中に『世界恒久平和』の確立を祈願する旨を明確に謳います。終戦より70年間、佛立第11世講有日颯上人等、宗内の先達教講は一貫して戦争放棄を支持。浄仏国土実現を目指してきました」と戦後の一貫した取り組みを述べた。平成6年(1994)の戦没者50回忌法要で「宗門は戦争協力を懺悔し、永久不戦の誓いを表明」したことも報告した。
法要では山内講有が「願わくは核兵器及び生物、化学兵器等廃絶、テロ撲滅、戦争終結、世界恒久平和確立なさしめたまえ」と表白。また全員で力強く御題目を唱和すると共に焼香して平和への決意を新たにした。
法要後、山内講有が諭告を読み上げた。焼け野原となった戦後の日本について「復興を果たせたのは戦争を放棄し、平和国家として歩んできたたまもの」と述べ、先人たちに謝意を示した。さらに「不軽菩薩はいかなる仕打ちにあっても、甘んじて受け、慈悲の精神を発揮されました」と法華経に登場する不軽菩薩の姿勢を紹介。「今こそ、世界中の人々が不軽菩薩の精神を体得できるよう、お互いが仏性で妙法の御題目を世界にお広めしなくてはなりません。そして宗門人が戦争を憎み、戦争に反対し、争いのない真の平和な国、寂光浄土の実現を目指すことが、高祖大師のみ心にかなう報恩のご奉公となるのです」と展開した。
前講有が講演 9条に危機感
終了後、前講有の小山日誠氏が東京大空襲の体験を講演。当時13歳(中1)だった小山氏は、猛火のなか清雄寺住職の父(後の第16世講有日幹上人)ら4人で本尊と尊像を運び出し守り通した。
最近の安保法案をめぐる政治状況に顔を曇らせ、「永久に戦争はしない、と誓って日本国民が制定した憲法第9条は、絶対多数を誇る自公の意思で都合よく解釈されてしまう」と危機感を示した。
2015/7/16 輪王寺に小暮道樹新門跡が晋山 拝観券問題解決に前進
歴代門跡らの位牌に諷経する小暮新門跡 栃木県日光市の天台宗輪王寺で7日、小暮道樹新門跡の晋山式が営まれた。新門跡は1200有余年の歴史ある法燈を継いだことで、責任感と実務感を忘れずに日光を発展させたいと決意を表明。東照宮・二荒山神社との共通拝観券が問題解決にも意欲を見せた。
最初に、「平成の大修理」工事中の三仏堂の前で小暮新門跡や式衆が記念撮影。その後、皇族や歴代門跡の位牌を安置する御霊殿に移動して晋山式が営まれた。天台座主の代理として森川宏映探題が小暮新門跡に任命書を授与。散華や般若心経の読誦で、開祖勝道上人をはじめとする歴代先徳に感謝した。(続きは紙面でご覧ください)
2015/7/16 和宗総本山四天王寺に森田俊朗管長が晋山 太子信仰の弘通宣揚を誓願
晋山奉告法要が執り行われる五智院に入堂する森田新管長 和宗総本山四天王寺の第112世管長に就任した森田俊朗氏(73)の晋山式が9日、大阪市天王寺区の四天王寺五智院で執り行われた。520人の参席者を前に新管長は、7年後の聖徳太子1400年御聖忌(御遠忌)と四天王寺に集う人々を視野に、「私の務めは、こうした皆さんの平和のために心を込めて丁寧にお勤めをしていくこと」と表明した。
式衆の先導に続き森田新管長が内陣に昇堂すると,
厳かに晋山奉告法要が営まれた。表白で新管長は、「当山外護の諸賢聖衆の助援を蒙り、身命を賭して、太子信仰の弘通宣揚に尽くし、以て、衆生迷苦救済の細石とならん」と誓った。
2015/7/16 日航機墜落事故から30年、前橋市で「生と死のフォーラム」
「空の安全に時効はない」。事故の風化防止への思いが共有された 520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故から30年。事故が残した教訓を振り返る市民講座・生と死のフォーラム「命の重みを伝え続けて」が7日、群馬県前橋市内のホテルで開かれ、250人超が参加した。「事故被災者家族の会 8・12連絡会」の美谷島邦子・事務局長が講演し、30年間の遺族の歩みと事故の風化防止への思いを語った。フォーラムは、新義真言宗僧侶の浅川煕信氏が主宰する七施精舎(高崎市)が主催。浅川氏は参加者に、8月12日の慰霊登山を呼びかけた。
昭和60年(1985)8月12日、お盆の帰省客を乗せた日航ジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落。単独機としては航空史上最悪の事故となったが、原因はボーイング社の修理ミスだった。
美谷島さんは9歳だった息子を亡くした。「初めての一人旅だった。プールで25メートル泳げたことのご褒美として飛行機に乗った」
何としても息子を迎えに行きたい一心で、夫と事故現場へと向かった。4時間歩いて山頂にたどり着くと、「目に飛び込んできたのは地獄絵だった」。息子の座席を探したが、「わかるはずもない」。大破した機体に息子が好きなジュースをかけると、「ジューっとすごい音がした」。後日、息子の遺体を確認。息子に「もう、一人ではないよ」と伝えた。
「こんなに人の命を粗末にしていいものだろうか」。事故当時は「被害者支援という認識がない時代」で、美谷島さんたちは遺族会を結成。会報と文集の発行など現在までの歩みを振り返り、「被害者は自分自身の足で歩き出さなければならない。一人一人に備わっている心の復元力は十人十色。月日が悲しみを深くすることもある。歩みがゆっくりな被害者をおいてきぼりにしないでほしい」「『支えてくれる人たちがいる』と感じた時、新たな一歩が踏み出せる」と訴えた。
さらに「事故調査と被害者支援は車の両輪」とし、「事故後の被害者が情報を迅速かつ平等に得られ、経済的・精神的支援を包括的に受けられる社会の仕組みを構築することが大切」と強調。国が平成24年に「公共交通事故被害者等支援室」「事故被害者情報連絡室」を設置したことを説明した。
美谷島さんは講演後、事故や災害などの被害者支援における宗教者の役割について、「宗派に関係なく支援活動をされることは、(遺族の)心の拠り所になる。ぜひ、そういう場をたくさん作っていただきたい」と話した。
七施精舎主宰の浅川氏は毎年、慰霊登山を継続。30年前の事故直後、地元仏教会の一人として「(遺体が安置された)藤岡の体育館にお経をあげに行った。何をしたらいいのか、全くわからなかった」と振り返り、その後の被害者家族の活動が「遺族支援のあり方を開拓し、宗教者がなすべきことを教えてくれた」と語った。
2015/7/16 全日本仏教徒会議愛媛大会、3カ月後に迫る テーマ「浄心の道―巡礼」
愛媛県内はじめ各地に配布されている告知ポスター「浄心の道―巡礼」をテーマに今秋10月30・31日、愛媛県松山市で第43回全日本仏教徒会議愛媛大会が開かれる。全日本仏教会(全日仏)主催の一大イベントである。愛媛県仏教会(福村俊弘会長)は平成24年(2012)に受け入れを決めた。四国では、第19回四国大会(1971、高松市)、第32回徳島大会(1985)以来、30年ぶりとなる。大会実行委員長で県仏教会の内藤卓洲副会長(曹洞宗円成寺住職)に聞いた。
県仏教会は数年前から大会受け入れの準備を進め、第41回栃木大会(2010)、第42回高野山・和歌山大会(2013)には代表を派遣し、企画や運営などを視察してきた。この間の平成24年(2012)、「県仏教会評議員総会で、全日仏の要請を受けて第43回仏教徒会議を愛媛県で開催することを決定しました」と内藤氏は説明する。
日本全体が巡礼地
テーマの「浄心の道―巡礼」については、お遍路に代表されるように四国には巡礼のイメージ根強い。「お遍路というと四国霊場に限定されやすいのですが、そのことも含めて広い意味で『巡礼』としました。弘法大師空海が開かれた四国八十八カ所霊場は昨年、1200年を迎えました。それに各地を巡った一遍上人は松山の出身(宝厳寺)です。西条市には霊場の石鎚山があります。また全国各地に観音さまやお地蔵さまなど様々な霊場があり、正月には七福神巡りがあります。ということは、日本全体が巡礼地なのです。このように巡礼は日常の中に、身近にあることを感じてもらえればと思っています」
確かに四国霊場をはじめ、全国には多くの霊場がある。しかも宗派を超えて存在する。「旅をすることも一つの巡礼」と内藤氏の言葉に頷かされる。それにお参りすることによって心は浄められる。
愛媛県特に松山市は、様々な面で巡礼と縁深い。正岡子規をはじめ高浜虚子、河東碧梧東といった俳人は有名だが、各地を巡ってこの地で最期を迎えた自由律の俳人が禅僧・種田山頭火(1882~1940)である。市内にある一草庵は山頭火の頃を再現している。他方、松山市に隣接する砥部町には「坂村真民記念館」がある。坂村真民(1909~2006)の代表的な詩に「念ずれば花ひらく」があるが、この言葉や他の詩を刻字した詩碑は日本全国に700余基ある。新たな霊場の誕生であろう。
愛媛から新風を
近年の大会テーマは40回大会「地域の縁・アジアの縁」、41回大会「社会参加仏教」、42回大会「宗教と環境」で、社会との関係性を問う内容となっている。今回は宗教性の濃いテーマであり、個々人の内面に迫るものとなる。巡礼は自分自身をはじめ、人間の生き方を見つめる機会ともなるからだ。
2日間にわたる大会は、初日に全日仏会長の加藤精一氏(真言宗豊山派管長)が基調講演を行う。空海研究者として大正大学で長く教鞭を執った学僧である。2日目に登場する直木賞作家の天童荒太氏は地元出身だ。「天童さんの『悼む人』を読んだ人は、すぐに巡礼とつながると感じるようです。映画化もされましたし、話題の人ですね」(内藤氏)。もう一人は、最近は芸術家としても活躍する俳優の片岡鶴太郎氏。「奥さまが松山市出身で、しばしば松山に来られています。それに片岡さんが最初に描いたのが『椿』だったそうです。椿は松山市の市花なのです」(同)と地元とのつながりを力説する。
「ほかにも巡礼サミットとして、四国八十八カ所やスペインのサンディアゴ巡礼など、世界各地の巡礼に関するシンポを予定しています」 「今年4月、愛媛大学に法文学部附属四国遍路・世界の巡礼センターが開設されました。センター長の寺内浩教授もコーディーネーターとして参加します」
県仏教会に加盟する寺院は約600カ寺。各地と同じように高齢化と過疎化が進行している。そのため「地域によっては仏教会活動が困難なところもある」とため息が漏れる。今回の開催で「県内寺院、僧侶、檀信徒の一体感が強まり、愛媛から新しい仏教の風が起こることを期待して、この大会を成功させたい」(大会趣意書)と意気込みをみせる。
10月末は愛媛に巡礼を!
問い合わせは大会実行委員会事務局(電話089―911―1755)まで。
2015/7/23・30 青年僧×牧師 宗教超え“喪失の悲しみ”語る
仏教とキリスト教の来世感も語りあった「喪失の悲しみをどう乗り越えるか? 宗教を超えて語ろう!」が19日、東京・府中市の日本聖公会聖マルコ教会で開催された。市内にある浄土宗蓮宝寺の小川有閑副住職が同教会の中村邦介牧師と対談。実際の活動経験から、仏教者とキリスト者によるグリーフケアについて語りあった。市民と介護を考えるカフェ「オリーブの木」(脇濱由佳代表)が主催し、市民ら約50人が参加した。
司会の脇濱代表(歯科医)が両氏に、「最愛の人を亡くした喪失の悲しみをどう受け止めるか」と質問。自死遺族支援などの活動をしている小川副住職は、「(病死、事故死、自死など)死に方で遺族との接し方を変えない。その人の感情をそのまま受け止めるためには、こちらも構えたりせずに〝空っぽ〟でいることを心がけている」と答えた。
病院チャプレンでもある中村牧師は、子どもを亡くした親の深い悲嘆と向き合ってきた経験に言及。「(遺族から)牧師の後ろにいる神に激しい怒りがぶつけられる。それは〝どうしてこんな目に遭わせるんだ〟という叫び。答えるのではなく、一緒に嘆き、悲嘆に寄り添うことが大事」と述べ、「その時、〝お子さんの死にはこういう意味がある〟とか、信仰深い言葉で捉えてはいけない。宗教家は遺族の悲しみに寄り添おうとする時、(自分が神の代弁者であるかのように)死の意味を解釈しようとするが、宗教による二次被害に繋がる恐れがある」と警鐘を鳴らした。
小川副住職は「悲しみは時間では計れない。七回忌より十三回忌の方が寂しいと言う檀家さんもいる」とし、「悲しい時には徹底的に悲しむしかない。悲しみを乗り越えようと思ってはいけないのではないか」と吐露。中村牧師は、「悲しみや嘆きを共にしてくれる人が必要」と応じた。
仏教とキリスト教の来世観にも言及。小川副住職は、「(死を)この世の別れとは捉えるが、仏様の世界に往ってからも関係は続き、亡き人と再会できる。あの世とこの世は地続き」と説明した。
中村牧師は、「我々は限られた時間の中を生きて、その先で神様が待っている。神様によってゆるされ、新しくされた自分になる」と語った。
2015/7/23・30 お坊さんって何するの? 京都光華女子大で“宗教語り場”
同年代の僧侶とざっくばらんに語らい、時に熱心に耳を傾けた学生たち 京都市右京区の京都光華女子大で17日、僧籍を持つ大谷大の大学院生と対話する授業「宗教語り場」が行われた。新入生向けの大学導入講座として初めて実施され、約90人が同年代の僧侶と語り合った。
真宗大谷派関係学校の同大では今年から、仏教に基づく建学の精神を伝える新入生への授業を開始。その一環として、若手僧侶と接して仏教に親しみを感じてもらおうと企画した。大谷大からは真宗学専攻の大学院生約20人が参加し、5人ほどのグループに僧侶1人が入り進められた。
最初は固い表情をしていた学生らも、「お坊さんってどんなことをしているんですか」と素朴な疑問をぶつけたり、「正座が苦手」と院生が打ち明けたりするうちに緊張もほぐれた様子で、活発に意見を交わしていた。
修士2回生の淺井勇輝さん(23)は、「自分が大事だと思っていることでさえ伝えることは難しかった」と反省。ほかの院生は「ふだん学んでいることをできるだけ日常の言葉で表現した」と話した。
参加した学生は「お坊さんは遠い存在だと思っていたが、身近に感じられた」との印象や「仏教には一つひとつに意味があり、自分を助けてくれるものだと思った」などと感想を話していた。
見学した学長の一郷正道氏は、「実学に重きが置かれる今日にあって、人間性も共に学び取り、建学の精神である『慈悲の心』を備えた女性となって欲しい。人生を歩む中で、悩みにぶつかったときに思い返してもらえたら」と期待を込め、毎年続けていきたいと述べた。
大谷大の担当者は「院生たちは話を引き出すよう努めていた。お寺での法話など将来の訓練につながるのでは」と手応えを語った。
2015/7/23・30 戦争体験を語る 爆弾が降る中で生と死を考えた(上)―豊原大成さん(浄土真宗本願寺派元総長)
焼夷弾にさらされながら、火災を免れたお寺の前に立つ豊原住職 70年前の3月10日の東京大空襲、同13日の大阪大空襲などに続いてB29が神戸を襲ったのは3月17日だった。「私の記憶では神戸の空襲は、大きいのが2回、小さいのが何度かあった。1回目の3月17日は焼夷弾攻撃で、一面が焼け野原になった。学校へ行く道の両側もすっかりと焼けた。2回目は5月11日で海沿いの工場地帯を爆弾攻撃した」
◇ ◇ ◇
元本願寺派総長の豊原大成氏は昭和5年(1930)生まれ。終戦の昭和20年は神戸一中(現神戸高校)の3年生だった。校舎の屋上には高射機関銃が据え付けられていた。5月11日の空襲時、工場地帯の爆撃で校舎が揺れた。「危ないから裏山に避難することになった。横穴式のかなり大きな防空壕があって、入ろうと思ったら満員。兵隊さんにほかに防空壕はありませんかと聞いたら西方にあるという。一人で豪を捜しながら山肌の小道を小走りしていたら、ザーッという音がしてね。B29の編隊が降下してきて爆弾を落としたんです。それをめがけて機関銃や尾根の高射砲が発射した。その途端、大きな破裂音と地揺れがし、高射砲の音がピタッと止んだ。高射砲陣地が全滅したのです」
生々しい証言が続く。「昨年の秋に御嶽山が噴火して大小の石が降るように落ちてきた。あんな感じなんです。当たるなよ、当たるなよと思いながらしゃがみ込んでおりました。もし当たっていたら、その後の人生はなかった。その間にいろんなことを考えた。自分がここで死んだら誰が見つけるだろうか、死んだことを誰が家に知らせてくれるだろうか……自分の生い立ち、家族のことなど、時間にして何秒間ですが、あんなに頭が働いたのは、それ以前も以後もないくらい(苦笑)」
九死に一生の出来事だった。続いて広島原爆前日の8月5日から6日にかけて自坊(西福寺)のある西宮周辺が焼夷弾攻撃にさらされた。母や祖母、妹は避難。軍医として召集されて不在の父大潤師(戦後、本願寺派総長)に代わって寺を守っていた。一つが門の北側の屋根に突き刺さった。ちょうど本堂軒先に大きなハシゴがかけてあった。それを弟と二人で運ぼうとするが、動かない。「なんとか押したらうまいことに門の屋根にひっかかった。酒蔵からもらった樽を防火用水にしていたので、それをバケツで汲んでのぼって消した」「やれやれと思ったら中庭側が明るくなった。それも消し終わって、本堂の階段に坐っていたら、今度はピューという音がした。今までの音と違う。あわてて逃げたら、すごい音がした。サッカーボール2周りぐらいの大きさの半円形がさっき坐っていたところに刺さっていた。後から分かった。焼夷弾を束ねている蓋だった。坐っていた真上、本堂の前廂に径3メートルほどの穴があいていた」
火災もなく本堂と庫裡も無事だったと喜んでいた。ただ秋になると雨漏りがひどい。「戦争に負けたら屋根までガタがきたなと半ば冗談で総代さんらと話していた。ハシゴをかけて登ってよく調べたら焼夷弾が30~40発突き刺さっていた。瓦の下に盛り土があって、そこで止まっていた」。まさに紙一重だった。屋根の北面に落ちたのは、道の向こうの家の方へ跳ね返って一面火災と後で知った。
学徒動員で農家の稲刈りの手伝いをしたり、海浜の高射砲陣地の土盛りをしたり、神戸の川崎造船所に行ったりした。「私ら3年生と4年生が動員された。理数科の成績の良い20~30人ぐらいは学校に残って勉強。デキの悪い私らが工場へ。実際には何もすることはなくて、電気溶接の練習だけをしていました。上手にはできませんでしたね」「溶接の光で目をやられて痛い。8月15日、行くなと家族に引き留められて、寺で玉音放送を聞いた。雑音がひどかったけれどもだいたいわかった。悔しいというよりも虚無感ですね。負けたんだな、終わったんだなと。その後、ボヤーとこの辺を歩き回りました」(「下」は次号紙面に掲載予定です)
2015/7/23・30 国会で「兵戈無用」の抗議 “戦争法案”廃案呼びかけ仏教者ら300人集結
国会裏側の参議院会館前で安保関連法案の廃案を訴える宗教者ら 自民党・公明党がすすめる安保関連法案に反対する宗教者・僧侶・門信徒による抗議行動が24日、東京・千代田区の国会周辺で行われた。僧衣を身につけた僧侶を中心に参議院議員会館前で約300人が集まり、法句経の「殺すな殺させるな」や無量寿経の「兵戈無用」と記した仏旗のプラカードを掲げ、法案の廃案を訴えた。今回の抗議行動の賛同団体には6団体が名を連ね、キリスト教や神道からの参加もあった。
国会周辺は、安保関連法案に賛否を示す様々な団体が終結。警察の警備や交通規制が厳しくなっている中、「我々は平和を願う宗教者です」と第一声を発し、念仏や題目などが記されたのぼり旗の下に集結した袈裟姿の僧侶らが、独自の存在感を示した。
各団体の代表者が法案に反対するメッセージを述べ、呼びかけ人の一人である念仏者九条の会の小武正教氏(本願寺派)が「『殺さない殺させない』『兵隊も武器も用いない』この言葉が私たちの信じる教えの根底をなす真理である」「『戦争法案』は平和憲法を投げ捨てるだけでなく、私たちの真理とする『教え』に全く背くものである」とのアピール文を読み上げ、廃案を訴えた。
呼びかけ人の戦争法案に反対する宗教者の会の山崎龍明氏(本願寺派)は、「皆さん、声を上げようじゃありませんか。安倍さんにとって一番苦しいのは、支持率が下がること。そのためにはこの声をどんどん上げ、言い続けるしかない」と強行採決を行わせずに、法案が廃案となるよう宗教者の結束を呼びかけた。
当日は、抗議行動に初めて参加したという副住職世代の若い僧侶の姿も見られた。茨城から参じた岩松知也氏(31)は「法案の内容以前に、立憲主義の面で今の進め方はおかしい」と意見。鞠川卓史氏(41)は「お寺でこの問題は話しにくいが、まず茶飲み話の中から門徒さんに話していきたい」、本田章一氏(32)は「ニュースを見て居ても立ってもいられず、自分のこととして思いを確かめに来た」とそれぞれの思いを胸に集会や抗議行動に参加していた。
抗議行動に先立って東京・中央区の築地本願寺で行われた集会では、呼びかけ人の一人である原子力行政を問い直す宗教者の会の長田浩昭氏(大谷派)が「戦争で多くの門徒や信者を死に追いやったのは宗教だった。現在の戦争法案、まさにまた命の犠牲を強いるようなこの国のあり方に対して、止むに止まれぬ心をもって声をあげなければならない」と訴えた。
戦時中に軍事教練を受けた経験のある宗教者九条の和の宮城泰年氏(聖護院門跡門主)は、「何宗だからではなく、戦争をしてはならないという一点で、もっと広く宗教者が集まらなければいけない」と連帯を呼びかけた。
2015/8/6 東京芸大美術館「うらめしや~、冥途のみやげ」展 うらみの美術史をたどる
「うらみ」の幽霊画が並ぶ展覧会 東京・台東区の東京芸術大学大学美術館(上野公園12―8)で「うらめしや~、冥途のみやげ」展が開催されている。主催は東京芸術大学・東京新聞・TBS。本展に協力する谷中・全生庵に所蔵されている明治の噺家で怪談を得意とした三遊亭圓朝(1839~1900)ゆかりの幽霊画50幅を中心にした展示で、日本美術史における「うらみ」の表現をたどる。
白い装束に身を包み、腰から下がかき消された女性の姿。「怨念」や「心残り」といった人間の感情が表現された幽霊図は、おぼろで、哀しく、どこか美しくもある。
円山応挙、長沢蘆雪、曾我蕭白、浮世絵の歌川国芳、葛飾北斎、近代の河鍋暁斎、月岡芳年、上村松園など、美術史に名をはせた画家たちによる「うらみ」の競演。暑い夏の昼下がりに、ヒヤリとした涼を呼び込む展覧会だ。
11日午後5時から同大正木記念館で、平井正修・全生庵住職を導師に圓朝忌法要。21日午後1時からは記念の能楽公演も行われる。出演は武田孝史氏(宝生流)、関根知孝氏(観世流)。
会期は9月13日まで。観覧料は一般1100円、高校・大学生700円。
2015/8/6 全日本仏教会と曹洞宗が戦後70年談話を発表
公益財団法人全日本仏教会(全日仏)は7月27日、齋藤明聖理事長名で「戦後70年目の年にあたって」と題する談話を発表した。談話では仏教界の戦争協力に言及した上で、「二度と戦争をしない、させないという思い」を述べている。
全日仏は昨年7月1日に、集団的自衛権行使容認の閣議決定に懸念を表明した理事長談話」を発表している。
一方、曹洞宗は8月3日、「アジア・太平洋戦争終戦70年を迎えて」という釜田隆文宗務総長名の談話を発表。宗門の戦争協力の歴史を反省し、非戦の立場を貫くという意思を表明した。
6月の宗議会で複数の議員から戦後70年の社会的メッセージを出すことが要請されていた。
全日仏理事長談話
第2次世界大戦の終戦から70年目の年を迎え、深い感慨を覚えるものであります。
日本で310万人、全世界を見れば8500万人という方々が、戦火によって、尊く、かけがえのない生命を犠牲にされました。
ここに、追悼のまことを捧げ、仏教界が戦争に協力したという過去に反省とともに真摯に向きあい、殉難されたお一人おひとりの願いを受けとめて、二度と戦争をしない、させないという思いを強く、新たにするものであります。
私ども公益財団法人全日本仏教会は、財団創立以来一貫して仏教文化を宣揚し、もって世界平和の進展に寄与してまいりましたが、戦後70年目のこの年にあたり、改めて加盟団体とも仏陀の「和の精神」を基調として、非戦・平和の誓いを共にしていきたいと考えます。
曹洞宗宗務総長談話
アジア・太平洋戦争の終戦から70年目の年を迎えました。私たちはこの節目の年に当たり、先の戦争で亡くなられたすべての方がたへ心から哀悼の誠を捧げます。
また、当時、宗門が政治情勢や世論の流れに迎合することで戦争に協力してしまったという事実を反省し、平和のために果たすべき責務を見据え、二度と同じ過ちを繰り返さないよう決意を新たにするものであります。
生きとし生けるものの命は、かけがえのないものであり、その尊厳は価値観の相違によって脅かされるものではなく、戦争という破壊は許されるものではありません。
私たちは、戦争の讚美や暴力の誘引に結びつく行為や思想に同意しないという「非戦」の立場を貫きます。
そして、一人ひとりが、生かされている真実に感応し、「ともに生きる喜び」を自他ともに享受できる平和な世界の実現を目指し、「ともに願い、ともに寄り添い、ともに歩む」の実践を続けてまいります。
2015/8/6 第49回仏教伝道文化賞 本賞に金光寿郎氏、奨励賞にビハーラ医療団
公益財団法人仏教伝道協会(沼田智秀会長)は7月23日、第49回仏教伝道文化賞・沼田奨励賞の選定委員会(木村清孝委員長)を開き、仏教伝道文化賞に金光寿郎氏(87、元NHKチーフディレクター)、沼田奨励賞にビハーラ医療団(田代俊孝・代表世話人=同朋大学大学院教授)を選定した。贈呈式は10月15日に東京・芝の仏教伝道センタービルで執り行われる。
仏教関連の研究や論文、美術や音楽、仏教精神を基に活動する実践者など、幅広い分野で仏教精神と仏教文化の振興と発展に貢献した人物や団体を顕彰する文化賞。沼田奨励賞は、今後の仏教伝道を通じた文化活動の振興が大いに期待できる人物や団体に贈られる。
文化賞の金光氏は宗派の枠を超えて、全国から無名の優れた仏教者を発掘し、テレビやラジオ番組等を通じて仏教の伝道に尽力した功績を讃えた。奨励賞のビハーラ医療団は、医療と仏教の協働の輪の広がりを願って結成され、各地で研修会を開催し、多くの医療関係者が関心を掘り起こしつつ活動を進めていることを評価した。
仏教伝道文化賞には賞金300万円、沼田奨励賞には200万円と記念品が贈られる。
受賞者の声
金光寿郎氏
私と仏教との縁は、NHKへ就職して4年目、昭和33(1958)年に北海道から京都の放送局へ転勤した時が始まりで、3年後に東京の宗教班へ転勤になってから、本腰を入れて宗教というものに取り組み始めたので、それからもう半世紀が過ぎました。
考えてみれば、私は自分自身の問題として宗教を追求したことは一度もなく、いつも他動的に仕事を続けてきたので、この度の受賞も、内心、受け取る資格があるのだろうかと思うことがあります。ただ、長年の聴聞の結果か、現在は、宗教というものは究極のところ、個々人の体験が根本で、頭の中での辻褄合わせだけでは、まだ真実信心とはいえないと思うようになっていました。
田代俊孝・ビハーラ医療団代表世話人
長年ビハーラ運動に関わり、生命倫理学も専門としきましたが、仏教を勉強している医師はたくさんいます。ビハーラ推進のためには、そうした医療関係者とタッグを組まないといけません。1998年に会が発足しましたが、医療関係者は現実に患者さんと向き合いながら、生死の問題を問うている人たちであり、みなさん本当に熱心な聞法者です。
発足当初は20人程でしたが、今は80人が集い、実際に僧籍をもつ方も増えています。今回の受賞は生死を超え、往生の問題に向き合うビハーラ活動として評価されたのだと思いますし、本物のビハーラ活動をしていくため、今後も医療関係者が仏教を学ぶネットワークを広げていきたいです。
2015/8/6 立正佼成会 KAICIID事務総長来日で宗教対話、分断超える協力を
KAICIIDの取り組みと対話の宗教について語るファイサル事務総長 立正佼成会(庭野日鑛会長)は2日、東京都杉並区の大聖堂で「アブドッラー国王宗教・文化間対話のための国際センター」(KAICIID)のファイサル・アブドルラハマーン・ビン・ムアンマル事務総長らを迎え、宗教対話を考える集い「宗教の対話/対話の宗教―新しいモノガタリをつむぐ」を開催した。宗教界・政界・NGOなど各界からの来賓と会員ら約5000人が参集し、宗教の対立と分断から対話と協力の歴史を学び、平和構築のための「対話」のあり方を探った。
KAICIIDはサウジアラビアのアブドッラー前国王の構想と主導で2012年に設立。オーストリアのウィーンに国際本部を置き、仏教、キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、イスラームの五大宗教の代表者からなる9人の理事によって運営され、立正佼成会の庭野光祥次代会長が理事として参画している。
ファイサル事務総長は「世界は紛争や暴力が増え続け、憎しみや怖れによって人々の中が引き裂かれています。このような暗い時代でも、私は将来に向けて3つの希望があります」と語り、「理解ある政治家や世界の指導者の努力」「宗教指導者のビジョンと叡智」に加えて「対話そのもの」を提起。中東やアフリカでの対話の促進活動や各国での研修プログラムを紹介し、「異なる宗教や文化を持つ人がどれだけ出会うことが出来るかが重要」とし、対話によって「人々の間に橋を架けることが出来る」とした。
KAICIID設立初期にはイスラームへの偏見から本部前で非難のデモも起きた。これに対しても根気強い「対話」を続けたことでデモは収束。「対話を世界に広げていきたい。平和を達成するためには、軍事力ではなく、それと同じくらいの力をもつ対話をもってしなければいけません」とその願いを語った。
光祥次代会長はKAICIIDの理事就任に際して、祖父の庭野日敬開祖の宗教対話の活動を肌で感じる環境に育ちながら「新しい動きに対し、疑いと不審の目を向けた。他者を疑い怖れる心は私の中にもあった」と率直な思いを吐露。「同時に、これをきっかけに大きなものを乗り越えられるという予感もあった」と述べ、イスラーム主導のKAICIIDの活動が「本当の意味での多様性を豊かさにできる社会を実現するチャンス」とも指摘。日本国内の原発や安全保障、ヘイトスピーチ、無縁社会の問題にも触れながら、「私たち自身の対話を見直すきっかけにしなければいけません」と問いかけた。
鈴木寛・東京大学教授はグローバル化で「世界は急速に小さくなっている」とし、「指導者や政治家だけでなく一人ひとりの市民の対話が大切になる」と主張。宗教者、NGOなどフロアからの発題を通して草の根の対話の重要性も共有した。
KAICIIDは4日の「比叡山宗教サミット」、6日に広島で行われる「原爆投下70年シンポジウム」にも参加する。
2015/8/20 本願寺派、戦後70年総長談話発表 孝道教団は安保廃案声明
浄土真宗本願寺派(石上智康総長)は10日、「戦後70年にあたって非戦・平和を願う総長談話」を発表した。京都・西本願寺で記者会見した石上総長は、「最近の動向と今後の宗門の非戦・平和への方向性等を含めて総長談話としてまとめさせて頂いた」と説明。議論の場が参院に移った安保法制について、談話では「多くの国民が納得できるよう、十分な説明と丁寧な審議が尽くされることを願っております」と表明している。また総合研究所で研究してきた内容を「近々に、その成果《平和に関する論点整理》を中間報告する」としているが、公表時期は明言しなかった。
孝道教団(岡野正純統理)は始祖・岡野正道初代統理の祥月命日の15日、横浜市の孝道山本佛殿で38回忌の法要を営み、このなかで「『安全保障関連法案』に関する声明」を発表し、同法案の撤回・廃案を求めた。
声明では集団的自衛権の行使が憲法9条に違反し、閣議決定による憲法解釈の変更が立憲主義に反すると断じ、「誰もが安心して暮らせる社会は、人類すべての悲願です。平和のあり方が根本から問われるいま、同法案の本質である武力の行使では、平和はつくれない」と訴えている。
岡野統理は「偏見と暴力の連鎖に加担することなく、慈悲の心と智慧に基づく対話によって、真の平和を実現することを心から願います」と話した。
天理教有志の「天理教平和の会」(矢野太一代表)は15日、「『戦争法案』の廃案を求める声明」を発表。教祖の教えにもとづき、「戦争の準備、武力の行使を絶対にみとめません」と表明。「9条を守る声を広げることが教祖の教えに添う唯一の道」とし、廃案を求めた。
2015/8/20 WCRP日本委、聖エジディオ共同体、世連 広島で原爆投下70年シンポ 核兵器廃絶は「共通善」
世界各国から宗教者・市民ら250人が参加し、核兵器廃絶を議論 広島に原爆が投下さえてから70年を迎えた6日、広島市内のホテルでシンポジウム「二度と戦争を起こさない―核兵器廃絶をめざして」が開催された。主催は(公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会、聖エジディオ共同体、世界連邦日本宗教委員会。宗教界や政界の代表者、専門家、市民など約250人が参加し、核兵器がもたらす甚大な被害の実態など、その非人道性を広島で改めて学び、“核兵器廃絶は「共通善」”との認識を深めた。また軍縮や不拡散のため国際的・多元的な連携を強めていくことを確認した。
開会にあたり広島市の松井一實市長が「志を同じくするものとして大変心強く、その成果を大いに期待しています」と歓迎。各国の為政者を巻き込んだ核兵器廃絶の行動を後押ししていくためにも「都市や市民、NGOなどの果たす役割が重要となってくる」と述べ、その行動を力強くリードしていくよう期待。次いでジョセフ・チェノットゥ駐日バチカン大使がローマ教皇の平和メッセージとして、「戦争を回避するには、対話と交渉が必要です。どれだけ困難でもそれが唯一の方法です。そして平和には勇気が必要です。戦争以上に勇気が必要です」と寄せた。
基調発題は杉谷義純氏(WCRP日本委員会理事長・天台宗宗機顧問)とアルベルト・クワトルッチ氏(聖エジディオ共同体事務局長)。杉谷氏は「70年前の今日、この地で一体何が起きたのか、決して忘れてはならない」と強調。被爆者の平均年齢が80歳を超えるなかで、その体験と平和への思いを学び、次世代と世界へ伝えていく責任があるとし、「そのために残されている時間は十分ではない」とも指摘。「核兵器の非人道性」「核兵器禁止条約締結の推進」「核兵器の非正当性」の3点から核兵器廃絶の具体的な取り組みを提言した。
クワトルッチ氏は「戦争が人の心から生まれるように、平和もまた我々の心から作り出さなくてはなりません」と述べ、「今日は広島の悲劇を思い出しましょう。平和な未来を築くには過去の痛みを忘れてはなりません」と70年前のこの日に思いを寄せた。また「戦争は常に深刻な被害を、環境と人の文化的豊かさにもたらします。このリスクを増幅するのが核兵器と生物兵器」と指摘し、「二度と戦争を起こさない」と繰り返し強調した。
広島東照宮宮司の久保田訓章氏が被爆者証言として、悲しみや憎しみを乗り越え、復讐ではなく和解の道を選んだ「広島の心」を語った。
セッションでは「核兵器廃絶の課題」と「今後の核兵器廃絶への行動」をテーマに議論。閉会にあたってシンポジウムの成果を踏まえた「共同アピール文」を発表した。アピールでは核兵器禁止条約締結の交渉を始めるよう政府に促す諸活動、次世代を担う若者に対する核軍縮・不拡散などの平和教育の展開、社会の関心を高めるために、国連が定める9月26日の『核兵器全廃のための国際デー』に世界の宗教共同体に連帯を呼びかけることなどを提言。核兵器の廃絶という「共通善」の実現に向けた行動を呼びかけている。
2015/8/20 終戦70年 絶対非戦誓う―新宗連、50回目の8・14式典
広島の「平和の灯」を六角堂に献じる女子青年 公益財団法人新日本宗教団体連合会(新宗連)と新日本宗教青年会連盟(新宗連青年会)は14日夕、東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑で今年で50回目となる「戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典」(8・14式典)を開催。半世紀にわたる式典の意義と共に、平和国家として歩んできた戦後70年の歴史を改めて確認した。22教団約2800人が、広島平和公園の「平和の灯」から採火された献灯のもとで祈りを捧げた。
主催者を代表して挨拶した保積秀胤理事長(大和教団教主)は、戦争犠牲者に追悼の言葉を述べ、「私たちは、宗教者の原点に立ち還り、これまでの戦争で犠牲となられた方々への慰霊と感謝を礎(いしじ)として、平和実現に向けた行動を進めていかなければならない」と訴えた。
女子青年による献灯は「平和の灯」によって行われた。種火は広島市の協力により7月に採火され、東京・代々木の妙智會教団で護持。当日、分灯され抱えられた灯は、夕闇と六角堂内を照らした。広島の「平和の灯」は昭和39年の建設時、新宗連に加盟するパーフェクトリバティー教団、妙智會教団、立正佼成会3教団の聖火などが合灯されたもの。
六角堂に教団の代表が揃いそれぞれの作法にのっとって儀式を同時執行。これに併せて各教団の会長や理事長、教主クラスが順次六角堂に歩を進め、平和を誓った。
終了後、新宗連青年会の岩渕明大委員長(松緑神道大和山)が平和へのメッセージを発表。「核兵器が地球上から廃絶されるまで、世界の平和が訪れるその日が来るまで燃え続ける」という願いが込められている「平和の灯」の意味を紹介。そして「『すべてのいのちを尊ぶ世界』の実現に向けて、すべての戦争犠牲者の御霊に慰霊・供養の誠と感謝を捧げ、世界の平和と人類の幸せを願い、絶対非戦をここにお誓い申し上げます」と結んだ。
午後7時30分過ぎ、参列者全員が起立し、1分間の黙祷を捧げた。
2015/8/27 厚労省が厚生年金加入促進を一時停止
日本年金機構が寺院を対象にした厚生年金の加入を各地で進めている問題で、全日本仏教会(全日仏)が同機構の監督官庁である厚生労働省年金局に加入促進活動を停止するよう申し入れたことにより、年金局がこれを受け入れて7月上旬に促進活動を一時停止したことがわかった。先月下旬の全日仏加盟団体の連絡会で報告された。
同機構による寺院を対象とした厚生年金の加入促進は、昨年末から同機構の中国ブロックで加入促進に関わる文書が宗教法人代表役員宛に送付され、今年3月からはその動きが本格化。同機構の担当者が数宗派の包括法人を訪問したため、加盟団体から全日仏に相談が寄せられ、同機構への対応が進められた。
4月下旬には、同機構の厚生年金保険部の担当者と全日仏の倉澤豊明事務総長、奈良慈徹総務部長らが懇談の場を設けたが、その後、全国各地で加入通知が発送された。
なかには、自主的な届出の場合はその月から保険料を納めれば済むが、「立入検査を実施した場合は、最大2年間遡っての加入となるため、その場合は、24ヶ月分の保険料が一挙に発生する」など、決断を迫るケースもあったことから、7月2日に全日仏の代表者が厚生労働省年金局を訪問。これまでの宗教法人に対する加入促進活動への対応や経緯、寺院の現状を説明し、意見を交換した。
全日仏によると、年金局は「納得して加入してほしい」との意向を示しており、「宗教法人に対する加入促進の停止」を求める全日仏の要請に応じ、加入促進活動の一時停止を同機構に指示した。
今後、全日仏と年金局は「これまで宗教法人を加入義務のある法人の事業所として扱ってこなかったため、加入の周知が不足していた経緯を踏まえ、まず情報の周知を行い、そのための論点整理をしながら、現場に混乱が起こらないよう対応を協議していく」という。
ただし、宗教法人の厚生年金への加入自体は停止しているわけではない。また加入促進活動の一時停止が地域により前後する可能性があるため、全日仏では「加盟団体所属の寺院に万一加入の通知があり、判断がつかない場合は、所属宗派や全日仏総務部にご相談頂きたい」としている。
2015/8/27 仏教系大学で安保法案に反対の声明相次ぐ
仏教系大学でも安全保障法案に反対する有志の声明が相次いでいる。
非常勤を含む教職員ら41人が賛同する「花園大学有志の会」は11日、国会で審議されている安保法案に反対する共同声明を発表した。呼びかけ人6人のうち2人は学長経験者。
共同声明では、先月、安全保障法案が強行採決されたことに抗議の意志を表明すると共に、多くの憲法学者が同法案を違憲としていることや、世論調査でも否定的な状況であり、首相自身、理解が進んでいないと認めながら強行採決を行ったことを列挙し、「主権者としての国民の意思を踏みにじり、立憲主義および民主主義を破壊する暴挙」と強い口調で批判。
そして花園大学の有志一同として、「法案を廃案にし、立憲主義と民主主義を堅持するために、国民とともに考え得るあらゆる行動を実行します」と表明している。
花園大学有志の会呼びかけ人は次の通り。
河野太通(元学長)西村惠信(元学長・名誉教授)小野信爾(名誉教授)八木晃介(同)中尾良信(教授・人権教育研究センター所長)吉永純(教授・同センター副所長)
また、愛知学院大学では5日に教員有志が安全保障法案に反対する声明を出した。「私たちの大学では、曹洞宗の教えを尊重した教育を行っています。曹洞宗は、先の大戦で国策に迎合して戦争協力をしたことを反省した「懺謝文」を1992年に発表し、その精神を引き継ぎ2003年にはイラク戦争反対の声明を発表しました」と述べ、曹洞宗の理想の実現につとめてきた愛知学院としても法案成立を許せないとしている。呼びかけ人は曹洞宗学の伊藤秀憲教授ら8人、現時点での賛同者は79名。
佛教大学の教職員有志は7月27日、49人の賛同を経て安保法案廃案を求める声明を出した。「日本がその『戦力』をもって戦争に参加すると他国からみなされざるをえない」とし、憲法の条文が言葉の力で平和と命と自由と権利を守ってきたと強調している。呼びかけ人は社会学部の野﨑敏郎教授ら。
日本福祉大学は7月11日に11人の教員の呼びかけ人により「福祉を学ぶ私たちは戦争する国づくりに反対します」の声明を出した。「WARFARE(交戦)ではなくWELFARE(福祉)を!」と青年たちの未来を守ることを訴えている。
龍谷大学はいち早く6月24日に教職員有志による安保撤回を求める声明を出したほか、「ARAW(オール・龍谷・アンチ・ウォー)」という教職員と学生の連合による反対運動を行っている。
2015/8/27 宗教者ら500人超が国会前でデモ 創価学会員も参加のサプライズ
国会に向かって「いのちが一番」と訴える宗教者ら「戦争法案に反対する宗教者・門徒・信者全国集会」が24日午後、東京・永田町の星陵会館で開催された。約350人が参加し、「兵戈無用」「殺さない 殺させない」をスローガンに、宗教の力で安全保障法案を廃案に追い込むうねりを広げた。続いて国会前で抗議の祈念行動。500人超が参加し、国会議事堂に向かって一斉に「武力で平和は作れません!」「戦争に大義などありません!」「安倍総理は国民の声を聞いてください!」「この国の主権者は私たちです!」「戦争法案廃案!」とシュプレヒコールを上げた。
呼びかけ人の1人で「『戦争法案』に反対する宗教者の会」の山崎龍明代表(浄土真宗本願寺派僧侶)は挨拶で、「多くの方々と連帯して一過性ではなく持続して声を上げていきたい。安倍首相は口を開けば丁寧に説明するというが、安倍さんの丁寧とは自分の言うことをとにかく聞けということ。丁寧でもなんでもない。一方通行だ」と国政を厳しく批判した。
一橋大学の渡部治・名誉教授が講演し、「自衛隊の海外派兵・集団的自衛権容認は、安倍首相が言い出しっぺではない」と指摘。戦争に参加させたいアメリカや、軍事産業で儲けたい財界の強い圧力があると説明した。
一方で民主党・共産党・社民党の連携による総がかり行動や、地方議会で高まる自民・公明両党からの安保法案反対の声など、運動の連帯に期待。安倍首相は「70年談話」で急落する内閣支持率のために「村山談話」を踏襲せざるを得なくなったと分析し、「安倍談話はアジアの人々の心をなんら打つものではありません。戦争法案の廃案!これこそが我々の70年談話なのです」と声を大にした。
仏教・神道・キリスト教から6人が報告。日本山妙法寺大僧伽首座の吉田行典氏は、「憲法より日米安保条約が優先するところに問題がある」と対米追従路線を批判。「非戦平和を願う真宗門徒の会」の石橋純誓氏は、「私の属する浄土真宗本願寺派では未だに安保法制について明白に反対していない」と謝罪。宗門の動きに期待する一方、真宗有志の活動につなげていくと話した。
天台宗僧侶で作家の瀬戸内寂聴氏と、愛知県在住の創価学会員・天野達志氏から激励のメッセージ。異例のサプライズに、参加者の志気が上がる場面もあった。
国会前に移動し、抗議の祈念行動。500人超となった参加者が一斉に国会議事堂に向かって、「戦争法案に賛成する議員は絶対に当選させないぞ!」「いのちが大事、いのちが一番!」「子どもを守ろう 大人の責任 戦争反対!」と声を上げた。
公明党の支持母体である創価学会の会員3氏も駆け付け、「戦争法案許しません」と書かれたプラカードを持ちながら自民党に従うだけの公明党の現状を非難した。特に「この戦争法案は創価学会の教えに絶対に反していると考えます」「国民多数の意見を無視した強行採決は許されない」と涙に咽びながらに訴えると、盛大な拍手がわき起こった。
2015/8/27 戦時中の民間徴用者115人の遺骨、韓国に返還へ
東京、京都、広島などで営まれる追悼会への参拝を呼びかけた殿平住職 太平洋戦争中に朝鮮半島から日本の民間企業に動員されるなどして北海道で死亡した民間徴用者115人の遺骨が9月、韓国に返還される。戦後70年を機に、日本と韓国の市民や宗教者でつくる「強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会」が計画した。東京や京都、広島などの本願寺派寺院で追悼会を開きながら下関港へ行き、ソウルに向かう。委員会共同代表の浄土真宗本願寺派一乗寺(北海道深川市)の殿平善彦住職は、「追悼会は韓国での葬儀式を前に、遺骨を弔う通夜のように思っている。多くの人にお参りに来てほしい」と呼びかけている。
遺骨返還はこれまでに、2004年の日韓首脳会談後、朝鮮半島出身の旧日本軍人・軍属の遺骨の一部が返還されてきた。民間徴用者をめぐっては日本政府が企業や全日本仏教会に情報提供を求めるなどして調査してきたものの、日韓関係の悪化などにより難航している。
北海道では、1970年代から市民による発掘が行われ、これまでに16人分の遺骨が韓国に返還された。今回、返還されるのは旧三菱美唄炭鉱、雨竜ダム工事、旧陸軍浅茅野飛行場建設の労働者と本願寺札幌別院に残されてきた道内の遺骨計115人分。遺族不明の遺骨も多くある。
遺骨は当初、韓国の天安市にある国立墓地「望郷の丘」に納骨する意向だったが、身元の分からない遺骨の受け入れに難色を示したため、ソウル市の協力により進められることになった。
奉還団は9月11日、一乗寺を出発。曹洞宗天祐寺(浅茅野飛行場の遺骨を安置)、元真宗大谷派の旧光顕寺(雨竜ダム)、本願寺派常光寺(美唄炭鉱)の道内各寺で保管されている遺骨を受け取った後、13日午後1時から札幌別院で法要を営む。
その後、東京・築地本願寺(14日午後7時)、京都・本山西本願寺(15日午後3時半)、大阪・津村別院(同7時)、広島別院(16日午後5時)、山口・光明寺(17日午後1時)の本願寺派寺院で追悼会を執り行う。韓国の遺族・金敬洙さんも同行する。
下関港からフェリーで韓国に入りソウルへ。19日に市庁前広場で葬儀式、20日に市立追慕公園で焼骨式と納骨式を執り行う。10日間の移動距離は3500キロに及ぶ。
京都市下京区の西本願寺で19日に会見した殿平住職は、「平和への願いを込めた遺骨の返還を通して東アジアの和解の歩みが進み、歴史の傷を癒やしていきたい」と話している。
2015/9/3 仏教看護・ビハーラ学会 地域連携と〝仏教者〟を模索
医療関係者、仏教者130人が集まった第11回大会仏教看護・ビハーラ学会は8月28~30日まで、石川県金沢市の真宗大谷派金沢東別院で第11回年次大会(幸村明大会長=真宗ビハーラの会石川会長)を開催した。「医療看護福祉の地域連携と仏教者」をテーマに地域の社会資源としての寺院・仏教者と医療がどう連携していけるのか、その可能性を考察した。約130人が参加した。
シンポジウム1「地域連携の展望」では、医療・看護・福祉の分野から5氏が発題。シンポジウム2「仏教者の可能性」では、大阪市内で高齢者や障がい者への住宅提供と、介護・福祉サービスを行っているNPOビハーラ21の三浦紀夫氏(真宗大谷派瑞興寺衆徒)、グリーフサポートや終活に取り組む遠山玄秀氏(千葉県・日蓮宗上行寺副住職)、自坊で「グリーフシェアリング小松」を開く能邨勇樹氏(石川県小松市・真宗大谷派勝光寺住職)が各活動を報告した。
この後、シンポジウムの発題者8人に、コメンテーターの榊原千秋氏(保健師/NPO法人いのちにやさしいまちづくりぽぽぽねっと理事長)、谷山洋三氏(東北大学准教授)を加え、「地域連携」の課題を討論した。
榊原氏は仏教者の個々の活動から宗教的資源の大切さを確認し、「かかりつけ僧侶」の存在を展望。谷山氏は「僧侶と医療関係者にそれぞれの視点がある。その専門性を活かし、どうマッチングできるか」と提起。また檀信徒などの寺院コミュニティには多様な職種の人材があり、寺院・僧侶は「それをつなげることができる」と指摘した。
在宅医療に従事する黒瀬亮太氏(金沢ホームケアクリニック院長)は「現場で思うのは、みんな自分の話を聴いてほしいということ」、がん患者の心のケアのための「がん哲学外来」を開設した山田圭輔氏(金沢大学准教授/麻酔・蘇生学)は「絶望的な状況で落ち込んでしまう人もあれば、創造に切り替えられる人もいる。どうすれば苦境を人は乗り越えることができるのか」と問うた。能邨氏は「本質的な問い。宗教者であれ医者であれ求め続けていくことが大事。私が仏教を教わってきたのは悩んでいる人から」と応答した。
三浦氏は医療関係者と「看取り」について話した際に、「お医者さんは患者さんの御臨終まで話す。こちらはご臨終からお通夜、四九日や一周忌、三回忌と続いていく。視点は大分違う思うが、それは当たり前で、その視点を共有するのが大事」と主張した。
フロアからは地域連携のために具体策を求める声も。榊原氏は「地域にある課題を共有していくこと」、僧侶で精神保健福祉士の石井了恵氏は、認知症問題に取り組んできた経験を踏まえて、当事者たちの悩みや問題を集めていくことから始まったと話した。
2015/9/3 絵本『おじぞうさん』チャリティーパーティ 山折哲雄氏と永田萠氏創作
完成した絵本について語り合う山折氏と永田さん 宗教学者・山折哲雄氏の詩と、妖精画で知られる絵本作家の永田萠さんの作画という異色のコラボレーションで話題となっている絵本『おじぞうさんはいつでも』。その出版記念チャリティーパーティーが地蔵盆の8月24日、京都市内のホテルで開かれた。参加費の一部は東日本大震災被災地に贈られる石像地蔵の制作にあてられる。約300人が参加した。
登壇した山折氏と永田さんは創作の経過をユーモアを交えて報告。
山折氏は大震災から1カ月後、70名以上が犠牲になった石巻市の大川小学校を訪れた。一年後、再び訪問。「門の前にお地蔵さんが祀られていて、50人ぐらいの方が般若心経を唱え、ご詠歌をお唱えしていた。シーンとした気持ちになった。そのとき初めて、お地蔵さんが日本人にとっていかに重要な存在であるかを感じた」と振り返った。
ちょうど同じ頃、山形県の葦原正憲氏(曹洞宗僧侶)を中心とした、お地蔵さんを被災地に届けようという「お地蔵さんプロジェクト」を手伝うことになり、お地蔵さんがどんな存在かを書いて欲しいという依頼をうけた。「生まれて初めて人様に見せるために詩を書いた」「この詩をある時、ある場所で永田さんにお見せした。即座にこれを絵本にしましょうとおっしゃった」と山折氏。
永田さんは、ある時、ある場所とは伊吹山から下山したあとのビヤガーデンだったことを明かした。「まじめな顔で、小さな紙をとりだしてこれを読んでとおっしゃった。浮かれた気分を冷たい水で頭から冷やされた気分になりました。即座に申し上げたというのは、先生の詩はまさに絵本のテキストに合っているから。長からず、短からずで絵本にぴったりだった」と応じた。
こうして生まれたのが今年2月発行の絵本。山折氏は「絵本は、永田さんの絵があってできたもの」と感謝。永田さんは「絵本は生まれた時点から作り手の手を離れて、読まれることで人から人へと伝わる。妖精や天使を描いてきましたが、お地蔵さんを描いたことを信じられないのが私自身です」と微笑んだ。
石像の地蔵は京都伝統工芸大学校の学生が制作する。来年3月11日の完成を目指す。届け先の自治体は未定。
絵本は講談社から発売中(1400円+税)。
2015/9/3 呪殺祈祷僧団再び結成 安保・原発「死者が裁く」
霞が関に「死者の叫び声」響き渡る 公害問題が日本列島を覆っていた1970年、真言宗や日蓮宗の僧侶らにより結成された「公害企業主呪殺祈祷僧団」。それから45年を経て「呪殺祈祷僧団四十七士」(JKS47)と名を改め再結成された。中心者は日蓮宗本國寺住職で劇作家の上杉清文氏。「四十七士」は忠臣蔵にならったもので現時点のメンバーは約10人。
JKS47最初の行動は8月27日、東京・霞が関の経済産業省前の脱原発テントで始まった。周囲にはおよそ100人が集まり、曼荼羅を掲げ観音経を読誦して原発廃止や安保法制廃案を祈願。団扇太鼓や編集者の末井昭氏によるサックス演奏で雰囲気を盛り上げた。
法華宗本門流法昌寺住職で絶叫歌人として知られる福島泰樹氏が表白文を奉読。上原専禄の「死者が裁く」の思想に立脚し「高らかに使者と連帯し、死者と共闘する」と宣言。「『呪殺』とは、『呪い殺す』の意ではない。虐殺された死者たちからの、切羽詰まった伝言であり、叫び声であり、怨嗟をこめた『最後の言葉』に他ならない」と訴えた。
上杉氏は回向文で、米国政府への批判を滲ませながら、「安倍政権の速やかなる退陣を願って止まない」と奏上した。
メンバーの澁澤光紀氏(日蓮宗善龍寺住職)は祈祷後の取材に、詳細は未定としながら今後も活動を続けていくとした。今回は法華系だけだったが禅宗や真言宗などの僧侶による参加も歓迎という。多くの批判が予想されるが、上杉氏は「ドンときてほしい」と受けて立つ構えを見せた
死者が現代人に〝目覚め〟促す
【解説】「仏教を貶める」「僧侶としてあるまじき姿」などネット上では早くから呪殺に対して厳しい意見が集まった。だが、表白でも明言しているように呪殺は「呪い殺す」ことではなく、死者たちの声を聞くことだと力説している。
伏線がある。シリーズ日蓮(春秋社)の第5巻『現代世界と日蓮』(今年5月刊行)の序章を執筆した上杉氏は、丸山照雄(日蓮宗僧侶)松下隆洪(真言宗僧侶)梅原正紀(宗教評論家)3人から始まった公害企業主呪殺祈祷僧団を歴史的社会的な観点から俯瞰すると共に再結成を示唆した。動機や意義など全体像を描きだしてもいる。同巻ではさらに、表白文を記した福島氏が歴史学者上原専禄の『死者・生者』を引いて「死者が裁く」意味を説いている。
福島氏は表白で、国内外の虐殺死者、原爆や空襲による死者らと共に60年安保で死した樺美智子が遺した詩を紹介し、「死者と連帯」「死者と共同」を主張している。
45年前は深刻な社会問題となっていたため「公害企業主」と対象を明示したが、今回は特定していない。「呪殺」という語は確かに刺激的である。しかし、東京電力福島原発事故や原発再稼働、安保関連諸法案、沖縄の米軍基地といった諸課題に直面している今日、死者を媒介として現代人に〝目覚め〟を促す言葉と考えれば、問題を直視する機会になりうるだろう。
ちなみに忠臣蔵にならったJKS47は、「歌って踊れる者が望ましい」と上杉氏は記しているが、そうしたパフォーマンスはなかった
2015/9/3 8・30国会包囲デモ 僧侶も「安保廃案」叫ぶ
「南無阿弥陀仏」の幟が国会議事堂前の天を貫いた「絶対に止める」「8・30決戦」をスローガンに全国から国会周囲に安保法制反対デモの大衆が集った8月30日。主催者側発表12万人、警察側発表3万人と60年安保に次ぐ規模となった大行動だったが、宗教者も「安保廃案」を叫んだ。
「宗教者九条の和」からは代表として宮城泰年・聖護院門跡門主が国会正門前での演説に参加。「戦時中に竹やり訓練をさせられ、『こんなんで勝てるんか』と呟くと、教官室に呼ばれ、丸太の棒で血が出るほど尻を叩かれた」と戦時中の体験を回想。憲法をないがしろにし、戦争できる国に戻すような行状を強く批判した。
また日本山妙法寺の僧侶は国会周辺各所で団扇太鼓と題目でアピール。創価学会員の有志もデモに参加、「三代会長」の写真を掲げながら廃案を求める署名活動を展開し、公明党に想いを伝えようとしていた。
檀信徒とともに参加したという関東地方の臨済宗僧侶は「憲法という枠組みを破壊する行為は認めるわけにはいかない」と解釈改憲を批判し、「和を以て貴し」と仏旗をはためかせた。
2015/9/10 日本宗教学会「震災と記憶」でパネル討論 宗教者のケア活動を総括
改めて「声にならない声を聴く」宗教者の役割が提起された 東京都八王子市の創価大学で開かれた日本宗教学会第74回学術大会で5日、第9部会パネル討論「震災と記憶―声にならない声を聴く」が行われた。東日本大震災後、宗教者が被災地で行ってきた「心のケア」等の活動を学術面から総括。東北大学の鈴木岩弓教授は「被災地における死者の記憶」のあり方について提起し、今後の宗教者の活動について問いかけた。
震災被災地の「心霊現象」を調査している東北大学の高橋原准教授は、「死者の記憶と向き合う人々と宗教者の対応について」発題。「恐ろしい形相の死者たちに取り囲まれて襲われそうになる悪夢を見た」「津波避難の時、『助けてくれ』という声を後にして逃げざるを得なかったが、その声がずっと耳に付いて離れない」などの訴えを挙げ、「(復興の陰で)言うに言われぬ被災地の想いは残り続け、それを受け止める役割の一端を宗教者が果たしている」と話した。
金沢豊・浄土真宗本願寺派総合研究所研究員は、被災地での傾聴活動を報告。「仮設住宅や災害公営住宅を2人一組で訪問している」と述べ、「私たちの目的は『被災された方の死にたいほどの苦悩を和らげること』」と話した。
話を聴く際、「〝被災者はこういう気持ちのはずだ〟と決めてはいけない。誰一人として同じ体験をした人はいない」と注意点を指摘した。
同じく被災地で傾聴活動をしている高野山大学の大下大圓客員教授は、「1人ではなく2人一組で訪問するのは被災者への(心理的)圧力にならないか。私の経験では1対1の関係だからこそ、内面の深い思いが出てくることが多い」と質問。金沢氏は、「2人で行くことで、その日の傾聴活動の振り返りがきちっとできる。1人だと継続性も担保できない」と回答した。
東北大学の佐藤弘夫教授は、「葬祭形態の過去と現在」を俯瞰。「記憶される死者の系譜」について発表した。「死後は浄土に生まれ変わることが理想とされ、埋葬者の名前を記した墓碑が建立されなかった」中世では、「死者は基本的に匿名化」されたと説明。江戸時代に安定的に継承される「家」が形成されたことで、世代を超えて家族に記憶される死者が誕生したと解説した。
自然葬などの個人的な葬送が出現した現代では、「故人の記憶」が故人と縁の深い人々に個人化されていくと指摘。従来の「家」制度主体で継承されてきた「先祖」とは異なり、「死者の記憶」が短縮化していく変化がみられると概観した。
2015/9/10 「浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会」奈良市ごみ焼却場建設の撤回求め署名活動
浄瑠璃寺の庭園で、ごみ焼却場候補地の方向を指さす佐伯副住職。樹林から煙突が突き出て見える可能性がある 奈良市が京都府との府県境にごみ焼却場を移転する計画について、候補地近くの寺院などが計画の撤回を求めている。周辺は、石仏群や寺跡が残る貴重な地域で、候補地から京都府側に最短で380㍍の真言律宗浄瑠璃寺(木津川市)付近一帯は、府の歴史的自然環境保全地区に指定されている。同寺の佐伯功勝副住職は「自然への悪影響が懸念されるだけでなく、文化や宗教的にも重要な地域。奈良市だけの問題でない」として、反対の署名活動を行っている。
移転候補地は奈良市中ノ川町と東鳴川町にまたがる約33㌶。隣接する木津川市南東部の加茂町当尾地区は、奈良仏教の影響を色濃く受けた地域で、平安時代には浄瑠璃寺や真言律宗岩船寺(木津川市)などの寺院が建てられた。浄土信仰の霊場としても栄えた。鎌倉時代を中心に岩壁に多くの石仏が彫られ、府の磨崖仏文化財環境保全地区にもなっている。
当尾の歴史や文化、反対活動を広く知ってもらおうと、般若寺(奈良市)の工藤良任住職や佐伯氏らが発起人となり「浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会」が発足、7月から計画撤回を求める署名活動を始めた。
呼びかけ人には、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんや、宮城泰年聖護院門跡門主、添田隆昭金剛峯寺執行長、東京大大学院の蓑輪顕量教授ら有識者16人が名を連ねる。8月末までに100人余りが賛同し、約4300人の署名が集まっている。
「まもる会」は、ごみ焼却場が建設された場合、煙突や煙によって当尾や浄瑠璃寺の庭園(国特別名勝・史跡)の景観が損なわれることや、文化財が損壊する恐れがあると懸念。また候補地の一部は、東大寺戒壇院受戒式を定めた実範上人が平安時代に開いた中川寺成身院跡の可能性が高いと指摘している。
「まもる会」によると、奈良市はこの地域が文化や宗教的に重要だと認識しながら、候補地は環境保全区域ではないとして計画を進める意向を示しているという。佐伯氏は「計画策定委員には、宗教や歴史、観光の専門家がいない。文化遺産の伝承を推進する奈良市の価値を下げる判断になりかねない。視野を広げて再度、深い議論をしてほしい」と話している。
署名や賛同人を公式サイト(http://save-joruriji.org/)などで募っている。年内には賛同人名簿を奈良市に提出する予定。3万人の署名を目指している。
2015/9/10 高野山真言宗宗会、前内局2人の責任追及へ 「背任・横領」で告訴も
秋季宗会の2日目、全会一致で前内局2人の責任追及を決議(10日、宗務所) 高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)の第152次秋季宗会(安藤尊仁議長)が9・10両日、和歌山県高野町の総本山金剛峯寺宗務所に招集された。約6億8900万円の資産運用巨額損失「粉飾」疑惑に端を発した前内局の放漫財政に対し、「善管注意義務違反」での責任追及を決議。財政担当者だった森寛勝・前財務部長と宗務の総責任者だった庄野光昭・前宗務総長を相手取り、損害賠償請求訴訟を提起することも今後の選択肢に加えた。添田内局では8月中旬、両氏宛に第三者委員会の弁護士名で法的責任の判断材料とする質問書を再度送付。両氏に1カ月以内の回答を要求している。
宗会初日、前内局の財政全般を調査している第三者委員会(代表=釘宮正徳・公認会計士)が、新たな調査報告書(総括)を発表。前内局のハワイ口座に数百万円に上る使途不明金があったことや、その口座残額が日本に送金されて解約されていた事実を指摘した上で、「明確な説明が得られなければ、背任・横領による告訴も視野に入れざるを得ない」と厳しく迫った。
今回、新たに公表された使途不明金問題については8月18日、第三者委員会の久恒三平・榊原史乃両弁護士が前総長と前財務部長に質問書を送付。ハワイ口座の入出金記録のありかや預金引き出しの権限者について質している。宗会初日、久恒・榊原両弁護士が質問書と前内局2人の法的責任について説明し、現時点で両氏からの回答は届いていないことなどを報告した。
同宗ではまもなく、十数年ぶりに末寺約3700カ寺の財務状態を把握する財務調査に入る。調査結果は、末寺がその規模に応じて納める宗費の額を算出する基礎数値「指数」に反映される。調査は通常5年ごとに実施されるが、今回は高野山開創1200年記念大法会を挟んだため、平成16年以来の「指数見直し」になる。宗派財政の規模を決める重要な調査を前に、全国末寺の間からも前内局の責任追及と財政混乱の総括を求める声が噴出。末寺などから預かった宗派資産を守る義務を怠り、宗派財政を破綻の危機に陥れた善管注意義務違反を問うべきとの気運が高まっていた。
7日、宗会本会議に先立ち、宗派の監査機関で宗会議員の代表7人から成る参事会が開かれ、安藤議長ら参事と内局が出席。参事の全会一致で庄野・前宗務総長と森・前財務部長の責任追及を決議した。
添田内局では巨額損失の回復を求め、損失の大半を占めるハイリスク金融商品を集中的に販売した野村證券を相手に金融ADR(裁判外の紛争解決手続き)を申請。今春から交渉を開始した。しかし野村證券側は、販売責任を問う高野山側の主張を全面的に否定。7月に野村證券との交渉が決裂したことで、逆にリスクを一切顧慮しないで問題債券を購入した前財務部長と前総長の責任が一層強く問われる事態になっていた。
前内局が就任翌年の平成19年、突如として乱脈な運用に陥った動機は、今も解明されていない。第三者委員会が前総長と前財務部長に送った質問書では、巨額損失を集中させた「日経平均リンク債」などを極めて危険な金融商品だと「十分理解した上で購入していたか(野村證券から十分な説明を受けたか)」や「(就任直後の)平成18年に資産運用規定を改定した際、誰のアドバイスを受けたか(あるいは独断で改定したのか)」を追及。参事会の席上では、前内局を擁護する参事の一人から、両氏に「弁明の機会を与える」よう求める意見も出た。
2015/9/10 立正佼成会 安保関連法案の廃案を求め声明
参院での審議が大詰めを迎えた安保関連法案に対して立正佼成会(庭野日鑛会長)は2日、いのちの尊重の観点から同法案廃案を求める声明を発表した。声明は8月22日付けで、交流のある政治家や宗教者、識者らに直接手渡している。
「すべてのいのちを守るために『安全保障関連法案』への重大な危惧」と題する声明では、諸宗教に共通する不殺生と非暴力を掲げながら、「対話と協力を通して世界に貢献する努力を続ける。それこそが相互信頼にもとづく真の安全保障であると信じます」と主張し、いのちを守るために「重大な危険をはらむ『安全保障関連法案』の廃案を求めます」と訴えている。
同会は昨年3月、「日本国憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認に対する見解」を発表。しかし同年7月、政府は解釈変更に踏み切った。同会はこうした一連の流れに懸念を持ち、声明発表に到ったもようだ。
2015/9/10 高野山真言宗宗会、前内局2人の責任追及へ 「背任・横領」で告訴も
秋季宗会の2日目、全会一致で前内局2人の責任追及を決議(10日、宗務所) 高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)の第152次秋季宗会(安藤尊仁議長)が9・10両日、和歌山県高野町の総本山金剛峯寺宗務所に招集された。約6億8900万円の資産運用巨額損失「粉飾」疑惑に端を発した前内局の放漫財政に対し、「善管注意義務違反」での責任追及を決議。財政担当者だった森寛勝・前財務部長と宗務の総責任者だった庄野光昭・前宗務総長を相手取り、損害賠償請求訴訟を提起することも今後の選択肢に加えた。添田内局では8月中旬、両氏宛に第三者委員会の弁護士名で法的責任の判断材料とする質問書を再度送付。両氏に1カ月以内の回答を要求している。
宗会初日、前内局の財政全般を調査している第三者委員会(代表=釘宮正徳・公認会計士)が、新たな調査報告書(総括)を発表。前内局のハワイ口座に数百万円に上る使途不明金があったことや、その口座残額が日本に送金されて解約されていた事実を指摘した上で、「明確な説明が得られなければ、背任・横領による告訴も視野に入れざるを得ない」と厳しく迫った。
今回、新たに公表された使途不明金問題については8月18日、第三者委員会の久恒三平・榊原史乃両弁護士が前総長と前財務部長に質問書を送付。ハワイ口座の入出金記録のありかや預金引き出しの権限者について質している。宗会初日、久恒・榊原両弁護士が質問書と前内局2人の法的責任について説明し、現時点で両氏からの回答は届いていないことなどを報告した。
同宗ではまもなく、十数年ぶりに末寺約3700カ寺の財務状態を把握する財務調査に入る。調査結果は、末寺がその規模に応じて納める宗費の額を算出する基礎数値「指数」に反映される。調査は通常5年ごとに実施されるが、今回は高野山開創1200年記念大法会を挟んだため、平成16年以来の「指数見直し」になる。宗派財政の規模を決める重要な調査を前に、全国末寺の間からも前内局の責任追及と財政混乱の総括を求める声が噴出。末寺などから預かった宗派資産を守る義務を怠り、宗派財政を破綻の危機に陥れた善管注意義務違反を問うべきとの気運が高まっていた。
7日、宗会本会議に先立ち、宗派の監査機関で宗会議員の代表7人から成る参事会が開かれ、安藤議長ら参事と内局が出席。参事の全会一致で庄野・前宗務総長と森・前財務部長の責任追及を決議した。
添田内局では巨額損失の回復を求め、損失の大半を占めるハイリスク金融商品を集中的に販売した野村證券を相手に金融ADR(裁判外の紛争解決手続き)を申請。今春から交渉を開始した。しかし野村證券側は、販売責任を問う高野山側の主張を全面的に否定。7月に野村證券との交渉が決裂したことで、逆にリスクを一切顧慮しないで問題債券を購入した前財務部長と前総長の責任が一層強く問われる事態になっていた。
前内局が就任翌年の平成19年、突如として乱脈な運用に陥った動機は、今も解明されていない。第三者委員会が前総長と前財務部長に送った質問書では、巨額損失を集中させた「日経平均リンク債」などを極めて危険な金融商品だと「十分理解した上で購入していたか(野村證券から十分な説明を受けたか)」や「(就任直後の)平成18年に資産運用規定を改定した際、誰のアドバイスを受けたか(あるいは独断で改定したのか)」を追及。参事会の席上では、前内局を擁護する参事の一人から、両氏に「弁明の機会を与える」よう求める意見も出た。
2015/9/17 共生レポート① シャンティ国際ボランティア会、100以上の学校を建設、女性シェルターも
公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)では大地震直後から現地ヌワコット郡・ラスワ郡にスタッフを派遣。食料品、日用品の配布と調査を同時に行った結果、山間部における学校の倒壊などで100万人以上の子どもたちが教育面で甚大な被害を受けたことが判明。SVAは特に教育支援に重点を置く方針を打ち出した。
5月末から子どもたちが安心して学び、遊べる仮校舎の建設を進めており、9月4日までに郡内で90棟の学校が完成している。
衣食住に比べると教育支援は優先順位を低くされがちだが、子ども時代の一日一日はとても貴重な時間。学校生活が災害から心に傷を負った子どもたちを癒し、大人たちが元気にもなる。
SVAといえばアジア各国の子どもたちに絵本を配布する事業を行っているが、ネパールの仮設校舎でも絵本を配布。学用品やサッカーボールなどの遊具を詰めたスクールキットを配布すると、どこでも村人から大歓迎と感謝の声が聞かれるという。今後10月末までにさらに32校の建設を予定している。
直接的支援で学校を立て直すだけのことはそう難しいことではないというが、ボランティアが終了してからも村人たちが「自分たちの学校」として管理していく意識を育てることこそ大切でもあるという。そこで村の大人たちにがれき撤去、竹や木材の工作などで建設の手伝いをしてもらったり、学校運営委員会と協力をしていくことを心掛けている。
一方、8月には現地のNGOと共同で女性のためのシェルター建設に着工した。ネパール全土で男性の海外への出稼ぎが相次いでいるため、女性に対し家事・子育てなどの負担が集中している。さらに男性社会のネパールでは夫がいる家庭でも家庭内暴力や人身売買などに悩まされる場合があり、女性たちが一時的に避難したり生活相談をする場所が求められているという。
子どもが安心して遊べるフリースペースも併設する予定。地震により住居がなくなった家庭の大きな支えになることが期待されている。
今後は支援者による現地視察も予定されている。
2015/9/17 共生レポート② 高法寺「虹の種」 タイにふんどし工房設立、クラウドファンディングで就労支援
「下着はふんどしに限る」と愛用している僧侶も多いのは仏教界の常識。そんな中、タイの貧困地区の支援として草木染ふんどし工房を設立した住職がいる。高知市の浄土真宗本願寺派高法寺の玉城秀大氏だ。天然素材バンブーコットン、草木染の温かみのある手作りふんどしは早くも大好評となっている。
もともとNPO法人「虹の種」代表として様々な分野での国際貢献、地域おこしをしてきた玉城住職。ふんどし工房というユニークなアイデアは2008年にタイ・カンチャナブリ県サンクラブリ村に「虹の学校」という孤児養護・教育の施設を開校したことに始まる。20人以上の子どもたちが先生たちと暮らしているが、そこで学び、遊んで成長した子どもたちは「極貧地域であるため、そもそもの仕事がない」。そこで、むしろ仕事を作り職業訓練や経営について学ぶ支援を考えたというのだ。子どもたちでも布を縫い、染めるといった作業は十分に可能。「さらに私自身が健康オタクでふんどしの愛用者。多くの人に使ってほしいという考えもあります」。過度な締め付けがなく血行を良くし、通気性も高いふんどしは健康に益するところ大なようだ。
次は土嚢建築
実はこのふんどし工房の設立にあたってはインターネットを利用して不特定多数から寄付を募る「クラウドファンディング」を使った。当初の目標額は150万円だったが、179人の支援を受け330万円超が寄せられた。金額によりリターンがあり、例えば3千円の寄付者にはふんどし1枚、感謝状、メールマガジン送付、NPOの公式ウェブサイトに名前掲載。100万円の寄付者にはふんどし900枚ほか多数を送った。この成功には「友だちが多かったから」と玉城住職。友人のアルファブロガー、イケダハヤト氏のアドバイスも要因に挙げた。
玉城住職は次のプロジェクトとして、自坊内に土嚢建築の宿泊施設建立を発願している。土嚢建築とは木材などをほとんど用いず土嚢を積み上げて作る工法で、日本ではマイナーだが中東をはじめ世界中で用いられているエコロジーな建築。タイの虹の学校ではすでに建設されており、「本当に素晴らしい」(玉城住職)ということから高知工科大学准教授渡辺菊眞氏の協力により自坊にも建設することになったという。このクラウドファンディングも現在募っている。問い合わせは虹の種ウェブサイトまで。
2015/9/17 共生レポート③ 天台宗一隅運動、インドで白内障回復プロジェクト
手術を必要とする患者たち 比叡山延暦寺で修行し、本国インドに天台宗寺院「禅定林」を開山したサンガラトナ・法天・マナケ住職。禅定林はインド中央部のナグプールにある。宗教面のみならず教育や福祉などにも取り組んでいる。こうした社会活動の母体となっているのが禅定林の外郭組織であるパンニャ・メッタサンガ(PMS)であり、これらをバックアップしているのが天台宗一隅を照らす運動総本部である。
PMSはインドで多方面にわたって活動中だが、昨年から医療分野に白内障手術プロジェクトが加わった。岡山市に本部を置く国際的な医療支援団体、特定非営利法人AMDA(アムダ)と提携したものだ。
つまり、このプロジェクトは一隅を照らす運動総本部・PMS・アムダの三者が合同することで実現したのである。白内障は、水晶体が白く混濁してくる病気だが、加齢によって発症する。しかしインドでは、「50度近くまで上昇する気温、乾燥や埃といった過酷な気候のため」(機関紙)白内障に罹る割合が高い。
もともと巡回医療をしていた頃から白内障患者が多いことにサンガ住職が気付いていた、とPMJ(パンニャ・メッタ協会日本委員会)の荒樋勝善事務局長は解説する。「見えない苦しみ、それに伴う精神的な苦痛と二重の苦しみを抱えているのです」と顔を曇らす。そのうえ貧しいため手術ができずにいた。
何とかできないか――。こうした思いから、問題意識を共有した三者がそれぞれ協力し合って無料手術を可能にした。
昨年2月、禅定林で最初の検診があり191人が受診。白内障患者は74人であった。そのうち39人が手術した。今年7月は病院での実施ということもあり、受診した30人がすべて白内障で手術となった。これまでに8回行われ、143人が手術し光を取り戻した。治療にはアムダの現地人医師があたっている。
あきらめていた視力回復に住民からは喜びの声が届いている。
いったんは途絶えがちだった巡回医療も三者によって再開された。日本でいう無医村地域をまわった。診察と同時に「基本的な衛生観念や予防知識を啓蒙することにもつながっている」(荒樋氏)。今年2月には一隅を照らす運動総本部の横山照泰総本部長が現地を視察した。
ちなみに今回の巡回医療で訪れた場所は、禅定林より南東300キロにある原住部族の村、シロンチャ。この地域の施設名は、「薬師如来移動病院」と命名されている。
一隅を照らす運動総本部の話 パンニャメッタの支援は、学校建設支援、孤児への支援、教育里親支援等があるが、巡回医療では、インドにおいて文明社会から取り残された無医村地域をサンガ師が選定し、それに対して支援を行っている。
この度訪れた地域は、まさに文明社会から隔絶した村であり、電気も近年ようやく通ったところである。支援を通じて、現地の人たちの素直な喜びの表情を見ると、この人たちのために支援を続けていかなければと、逆に元気をいただくあり様で、私たちの活動における何よりの励みでもある。これも日本全国の一隅を照らす運動の支援者よりのご協力があればできることであり、そこには、伝教大師の「忘己利他」のご精神が生かされていることを実感する。
2015/9/17 大谷派議員団が安保に抗議行動「念仏者として認めない」
国会前で行われた大谷派議員団の抗議行動 真宗大谷派宗会議員でつくる宗政会派の一つ、同朋社会をめざす会は11日、東京・千代田区の星陵会館で「安全保障関連法案に反対する真宗門徒の集い」を開催した。終了後に国会前に移動し、同会の現職議員15人を中心に僧侶・門徒約100人が抗議行動に参加して安保法案反対の声を上げた。
集いでは、里雄康意総長のメッセージの紹介や意見発表が行われ、平川宗信氏(名古屋大学名誉教授)が「本願に背き、憲法に違反する安全保障関連法案」と題し講演。安保関連法案の成立で拡大する自衛隊の活動など法案の概要やその違憲性を解説した。平川氏は「経済、軍事に頼る生き方ではなく、本願に頼るのが念仏者。憲法は真宗の願い、本願とほとんど重なる。念仏者として絶対に認めることはできない」と法案廃案に向け、念仏者の行動を呼びかけた。
大谷派宗議会の釈氏(きくち)政昭副議長は「大谷派では声明文をたくさん出してきたが、どういう行動でそれを反映していくのかがこれまで欠けていた。総長が出した声明を実体化する一歩を歩もうと議会に呼びかけたが、残念ながら与党体制の下では協力はできないとの悲しい現実があり、我々議員団として初めてやることになった」と経緯を説明。
さらに「大谷派の議員として、何もせずに指をくわえているのは信仰者と言えるのか。法案を通さない、通ったとしてもその後も反対をするのが教団の一つの姿ではないか」と教団を挙げた行動を念願した。
国会前の抗議行動では、力の限り法案に反対するという僧侶の言葉が続き、聴衆から拍手が起る場面も。「私たちの衣は飾りですか。お寺に戻っても伝えましょうよ」と寺院でこの問題を話し合うことも呼びかけ、「さぼっている宗教者がいたら、叱ってください」と具体的な行動をする覚悟を新たにしていた。
2015/9/17 関東・東北豪雨で寺院に被害 常総市市内では2カ寺が避難所に
避難所になっている浄土宗大楽寺 今月上旬から中旬にかけて、関東から東北地方を記録的な豪雨が襲った。茨城県常総市では鬼怒川の堤防が決壊して大規模な洪水が発生するなど、各地に甚大な被害をもたらした。常総市では避難所として、浄土宗報国寺と同宗大楽寺を指定。停電・断水の中、両寺に身を寄せた住民は、最多時で合わせて約220人に及んだ。大水害の発生から6日目となる15日も浸水被害は続き、「いつ排水が終わるのか、見通しが立たない」(工事関係者)状況だ。
市内のあちこちで、浸水した自宅の掃除に汗を流す住民の姿が見られた。周辺自治体からの応援や、多くの救援ボランティアも参集。浸水した家財道具は学校の校庭などに設けられた仮置き場をはじめ、歩道にもあふれていた。堤防が決壊した現場では、重機を使った修築工事に着工。しかし周辺地域は浸水したままで、洪水で傾いた電柱や破壊された道路、損壊した住宅、流された車などがそのままの状態で置かれていた。線路が浸水した関東鉄道常総線も該当区間の運休を余儀なくされ、交通の混乱が続いている。
鬼怒川では、過去にも度々浸水被害が発生。特に77年前の昭和13年9月の台風では、今回のように堤防が決壊する大災害となった。地元ではこの時の記憶が大切に語り継がれており、「大水(洪水)の時は高台にあるお寺に避難した」という古老の証言もあるという。
報国寺の避難所指定は、隣接する高校に避難所が集約されたことで12日に解除。瀬戸隆海住職(60)が災害に備えて準備していた井戸などの諸設備が、地域住民を窮地から救った。高校の避難所に身を寄せている男性は、「この井戸の水はおいしいよ。本当に助かっています」と話した。
堤防決壊現場(15日) 大楽寺には15日現在で、約30人が避難。先が見通せない中、長谷川良則副住職(41)は、「気持ちと生活が落ち着くまで、お寺に居ていただいて構いません」と話す。大楽寺は避難者と近隣住民への炊き出し・給水を行う災害救援ステーションとしての役割も担っている。
各宗派の関東・東北豪雨の被害状況は以下の通り(16日現在把握分)。
【本願寺派】
東北教区の宮城県と福島県の3カ寺で境内の裏山崩壊の被害が報告されている。このうち1件は庫裡の床下浸水や雨漏りの被害も出ている。東海教区の三重県の1カ寺でも土砂崩れが起きている。茨城県では門徒の自宅で全壊9件の被害が報告されている。(14日9時現在)
【大谷派】
茨城県の2カ寺で浸水被害が報告された。
【浄土宗】
茨城県内の4カ寺で床下・床上浸水などの被害が確認されている(11日時点)。また自治体の避難所指定を受けていた2カ寺が避難所として開放、両寺で約150人の被災者を受け入れている。
【曹洞宗】
宗務庁広報係によると茨城県常総市では鬼怒川から200㍍ほど離れた興正寺で浸水被害が発生。栃木県では日光市の高徳寺で山の土砂崩れによる被害が発生している。比較的軽微な被害は両県のほか宮城県でも発生している模様。
【天台宗】
茨城県の1カ寺で床上浸水の被害が発生した。
【日蓮宗】
現在被害は報告されていないが、調査中。
2015/9・24-10・1合併号 花園大学新学長に丹治光浩氏が就任
花園大学(京都市中京区)では4月から不在だった学長に社会福祉学部教授の丹治光浩教授(59)が就任した。任期は9月18日から2019年9月17日まで。同氏は4月から学長代行を務めていた。
丹治教授は浜松医科大学大学院を経て2000年から花園大学に勤務。博士(医学)。専門は臨床心理学。就任の挨拶で「日本一面倒見の良い大学にする、アクティブ・ラーニングの拡充、地域連携の推進」の課題に取り組むとした。
同大はこれまで学長に「師家分上の者又は学徳・識見共に優れた者」を認容するという規定を設けていたがこのほど改訂。条件を緩和し、広く人材を登用できるようにした。一方、師家分上の者が任命される「総長」を新設した。学長が師家分上の場合は総長を置かない。
2015/9・24-10・1合併号 中村元東方学術賞に三友健容氏
公益財団法人中村元東方研究所とインド大使館が共同主催し、学術及び文化活動の優れた業績を顕彰する「中村元東方学術賞」に、立正大学教授の三友健容氏(日蓮宗高応寺)が選出された。新設の若手研究者を対象とした「中村元東方学術奨励賞」には手島崇裕氏(韓国・慶熙大学校准教授)が選ばれた。
三友氏は昭和20年生まれの70歳。上座部仏教最大の学派「説一切有部」研究、特に有部最後の論書『アビダルマディーパ』研究の功績が評価された。三友氏は1982年に北京大学に招待され、所在不明だった『アビダルマディーパ』の写本を民族文化宮の貴重図書保存庫で発見。その後カリフォルニア大学のジャイニ博士のもとで2年間、解読と研究を行い、その成果は『アビダルマディーパの研究』として2007年に平楽寺書店より出版された。
学問研究の社会への還元として、環境問題の解決に仏教が果たす役割を提唱。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の開設とチベット難民救済、バングラデシュやスリランカの仏教徒救済事業などにも尽力してきた。
授賞式と祝賀会は中村元博士の命日にあたる10月10日午後5時から、東京・千代田区のインド大使館(九段南2―2―11)で行われる。同日午後2時からは記念講演会「中村元先生を偲ぶ」を開催。講師は保坂俊司氏(中央大学教授)、金光壽郎氏(元NHK放送ディレクター)、奈良康明氏(駒澤大学名誉教授)。
2015/9・24-10・1合併号 広島で日中韓仏教友好交流会議 原爆供養塔前で般若心経3国同時読経
原爆供養塔前で般若心経を読経する3国僧侶ら 創設から20年を迎えた日中韓仏教友好交流会議の第18回日本大会が9月15日、被爆70周年を迎えた広島市の広島国際会議場で開かれた。3カ国から約300人が参加し、代表らが原爆慰霊碑に代表が献花した。さらに原爆供養塔の前ではそれぞれの言語で同時に般若心経を読誦し、戦争犠牲者や被爆者に祈りを捧げた。主催は日中韓国際仏教交流協議会(武覚超理事長)。
最初に会議場に集合し、日本側会長の伊藤唯眞浄土門主が開会挨拶。開催意義に言及しつつ、「平和な共生和合の世界を願うわれら仏教徒が非人道的な核兵器の使用を廃絶し、いかなる暴力をも否定する釈迦の精神を原点に、いのちの尊厳を訴え続けることが今日ほど求められているときはない」と述べた。
続いて参加者がそろって原爆記念碑へ行進し、日本の伊藤会長、中国代表団団長の明生法師(中国仏教協会副会長)、韓国代表の慈乗法師(韓国仏教宗団協議会会長・曹渓宗総務院長)の3師が献花。続いて原爆供養塔に移動し、3国で般若心経を唱和した。異なる言語ながら一度に同じ経典の読経は大会史上初めて。さらに隣接する韓国人原爆犠牲者慰霊碑に移動し、黙祷を捧げた。
署名した宣言文を手にした3師。左から韓国の明道法師。日本の武理事長、中国の明生法師 大会テーマ「原点回帰―心の平和の構築を願って」に即して、3国代表が基調講演と補充発言を行った。日本の武理事長は一千年にわたる3国の交流史を踏まえながら、故趙樸初・中国仏教協会会長が提唱した「黄金の絆」を再確認。その上で▽祈りの大切さ、▽衆生への布教、▽諸宗教対話の3点を提示した。
中国の明生法師は三毒を社会に対応させながら「資源大国に対して、強要せず、略奪せず」(貪)、「異なる国と人民の文化を広く受け入れて(略)、他の民族にその文化や信仰を放棄させるようなことはしない」(瞋)、そして「衝突が現れた場合には、客観的で、公正で、事実を重視し、中立的な立場をとる。(略)利益の競い合いで是非をわきまえない愚痴を防ぐ」(癡)を説いた。
韓国の泓坡法師(宗団協議会副会長・観音宗総務院長)は、広島での開催を評価し、具体的な実践を主張。「ブッダは三毒の解消手段として八正道を展開し、八正道の実践は永遠なる解脱をもたらすとおっしゃった。八正道の実践により平和な世の中を創ろう」と訴えた。
大会は最後に共同宣言文を採択。①仏教徒としての祈りを改めて大切にする、②衆生への布教についての姿勢を見つめ直す、③諸宗教間対話のさらなる実践――が盛り込まれた。3国代表が宣言文に署名して大会は幕を閉じた。
2015/10/8 大本山總持寺 大遠忌記念の地上回廊落慶
本山百年の計である宿願の地上回廊 曹洞宗大本山總持寺(横浜市鶴見区)で峨山禅師650回大遠忌記念事業として建築が進められていた北通霽廊(通称地上回廊)が9月30日に竣工、江川辰三貫首を導師に落慶法要を営んだ。4月の地鎮祭から約5カ月間の工期。大遠忌唯一の新築となる。
地上回廊は放光堂から仏殿裏を通り大祖堂を結ぶ地上廊下で延べ面積約172坪。車椅子の人や高齢者のためにエスカレーター、エレベーターを併設したバリアフリー設計。完成により伽藍を地上で一巡できるようになった。「本山百年の計を鑑みた宿願」の達成に喜びが湧きたった。工事の委託料は約1億7千万円、工事請負は竹中工務店。
また耐震基準を大幅に下回っていたため使用禁止になっていた祥雲閣、天真閣の改修もなり、それぞれ乙川暎元監院と新美昌道大遠忌局長の導師により落慶法要が厳修された。腐食の激しい木材に新たな材料を継ぎ足す「根継」の技法が用いられ、まさに「相承」といえる改修となっている。
なお瓦葺きを新調した祥雲閣は焼香師控室、3階建てから2階建てに装いを新たにした天真閣は直歳寮、檀信徒控室などに用いられる。境内整備はこの後も続けられる。
2015/10/8 龍谷大学 テヘラン大学と協定締結「宗教間対話 実現したい」
覚書に調印し握手を交わす赤松学長(左)とアーマダバディ学長 龍谷大学(京都市伏見区)とイランのテヘラン大学は5日、研究情報の交換や研究者の受け入れなどに協力する大学間協定を締結した。中東の大学との協定は2校目となった。龍谷大の赤松徹眞学長は「宗教間対話を実現していきたい」と意欲を示した。
龍谷大学長室で締結式を開き、赤松学長とテヘラン大のムハマド・ニリ・アーマダバディ学長が覚書に署名した。若原雄昭副学長、駐日イラン・イスラム共和国大使館のハスティ参事官などが出席した。
赤松学長は「教職員や学生間で積極的に交流できるよう期待している」と協力関係の進展に向けて力を込めた。さらに、「この協定をきっかけに日本とイランの友好関係でも、何らかの貢献ができるように尽力したい」と述べた。
日本の大学では東京大や東北大などと協定を結んでいるテヘラン大のアーマダバディ学長は4年間、日本に留学した経験から両国の教育、研究交流が発展する可能性は大きいと説明。「今回の協定を目に見える具体的な形で進めていきたい」と話した。
龍谷大では数年来、国際学部の佐野東生教授とイランのコム宗教大で仏教学を研究しているアボル・ガセム・ジャーファリー教授と学術交流を重ね、両大学は2013年5月に協定を締結した。
佐野教授らがイスラム教シーア派の聖典「雄弁の道」を日本語訳したことなどがきっかけで交流が深まり、テヘラン大とも協定を結ぶことになった。佐野教授は「テヘラン大も宗教を中核として総合大学になったため、共通性がある」と両大学の協定に期待を寄せた。
今回の協定を含め龍谷大は32カ国、80大学・機関と協定を締結している。
2015/10/8 淑徳大学創立50周年式典 建学の精神は「利他共生」
長谷川良信学祖による大学歌歌碑の除幕後、挨拶する長谷川理事長(千葉キャンパス) 学校法人大乗淑徳学園(長谷川匡俊理事長)は淑徳大学(足立叡学長)の創立50周年を迎え9月26日、千葉市中央区の千葉キャンパスで記念式典と祝賀会を挙行。社会福祉を担う人材育成に尽力した浄土宗僧侶で初代学長の長谷川良信学祖(1890―1966)が掲げた大乗仏教の「利他共生」を改めて確認し、「福祉の淑徳」をアピールした。学祖作詞の大学歌歌碑の除幕式も行われた。来賓や卒業生ら550人が参集した。
式典では浄土宗大本山増上寺の八木季生法主が垂示を述べ、「50年の歴史と伝統を持つ学校は、卒業生の数と共に社会に貢献する度合いにおいて喜びと誇りを持っていい」と祝福し、激励した。
続いて長谷川理事長が式辞。50年前、61名の新入生を迎えて社会福祉学部社会福祉学科の単科大学として発足したが、「今では千葉・埼玉・東京の4キャンパスに7学部13学科4500人余の学生と3万人の卒業生を擁するまでに成長し、現在では学校法人大乗淑徳学園における学生・生徒・児童等の総数も約40%強を占め、社会的にも経営的にも大きく貢献してきたが、いよいよこれからが正念場を迎えた」と気を引き締めた。
さらに開学2年目に遷化した学祖の理念を説明し、「建学の精神である大乗仏教の『利他共生』の理念、すなわち学祖の言うフォア・ヒム(彼のため)ではなく、トゥギャザー・ウィズ・ヒム(彼と共に)でなければならない」と強調した。
また実父である学祖の最晩年に接した長谷川理事長は「満身創痍にあって大学運営への鬼気迫る学祖の姿を目の当たりにしていたことが、今に到るまでの支え」と感慨を口にした。
来賓祝辞では、下村博文文部科学大臣、豊岡鐐尓宗務総長、森田健作千葉県知事、大沼淳日本私立大学協会の4氏が述べた(一部代読)。
式典後、長谷川良信学祖作詞の大学歌(大石みつ作曲)を刻んだ歌碑の除幕式が行われた。長谷川理事長は、「歌詞の中に建学の精神が込められている」と紹介した。自然石の凹凸をそのまま活かした歌碑は、長谷川理事長の思いも込められている。
式典に先立ち、学園に隣接する浄土宗大巌寺で長谷川良信学祖50回忌法要が大本山増上寺の八木季生法主を導師に営まれた。住職の長谷川理事長はじめ親族、学園関係者、檀信徒など有縁の人たちが焼香した。
総本山知恩院の北川一有執事長は挨拶の中で在りし日の故人の思い出を披瀝した。
2015/10/8 大和が沈む海、坊ノ岬沖 洋上で戦没者慰霊祭
献花する乗組員の遺族たち 終戦70年の節目に合わせて、海で亡くなった人を追悼する神職と僧侶による神式と仏式の洋上慰霊祭が9月29日、戦艦「大和」が沈没した鹿児島県の坊ノ岬沖で執り行われた。大和の乗組員の遺族を含む約450人が参列し、沈没したとされる午後2時23分頃に海に向かって花を投じた。
大阪府神社庁と念法眞教(大阪市鶴見区)でつくる「大東亜戦争終結七十年洋上慰霊祭実行委員会」が主催した。9月28日に神戸港から客船で出港し、坊ノ岬沖の南海上を目指した。
慰霊祭はデッキで行われる予定だったが、荒天のため船内で営まれた。祭壇に「洋上戦没者の霊」と記された標柱を安置。神職13人と僧侶14人が参進し、念法眞教の御詠歌踊りが奉納された。
はじめに神道政治連盟大阪本部が神式で斎行。山根眞人斎主が祭詞を奏上した後、戦没者を慰霊する「みたまなごめの舞」が奉納された。
続いて、念法眞教が仏式で厳修。桶屋良祐導師が表白を奏上し、観音経世尊偈が唱えられた。祭壇には、信徒らから申し出のあった洋上で亡くなった3128柱の御霊を供養する塔婆と全国の10名水が供えられた。
大和で戦死した叔父の遺影を手に法要に臨んだ岸本さん 大阪府神社庁の寺井種伯庁長が挨拶。船の揺れに合わせて、神饌が供えられた台がゆらゆらと揺れていたことが、「英霊がうなずき、喜んでいるように思えてならなかった」と話した。終戦の年に小学校6年生で、学校で竹やりの練習をしていたとして、「当時は日本中の誰もが国を守ろうと考えていた」と述べた。
念法眞教の桶屋良祐教務総長は、開祖小倉霊現燈主(親先生)が軍歌を歌いながら涙ぐんで戦友を思い出していたという逸話を述べ、「日本の繁栄は英霊の土台の上に築かれていることを忘れないように」との親先生の言葉を紹介。さらに、海で亡くなった人の遺骨収集が困難な現状を鑑みた上で、「洋上慰霊祭を勤められたことに深く感謝したい」と語った。
この後、参列者らはデッキに出て大和が沈んだ海上に汽笛を合図に献花した。臨済宗大徳寺派南宗寺(大阪府堺市)の田島碩應住職がお経を唱えていた。
大阪府豊中市の元府立高校教諭、岸本修武さん(67)の叔父中島博さんは、大和の乗組員として21歳で戦死した。兵庫県養父町の寺院に安置されている遺影を持参した岸本さんは「英霊のおかげで今の日本がある。私も命ある限り日本のために頑張りたい」と話した。
岐阜県多治見市の谷公子さん(72)は、沈没した大和の数少ない生還者の故小林健さんが、乗組員の同僚を偲んで作った歌を託された。小林さんの妹で同市の眼科医、岩瀬愛子さんから海上で詠んで欲しいと渡された。
谷さんは、10年前に同市で開かれた小林さんの講演を聞いたことにより、今回の慰霊祭に参加。小林さんは、米軍のレイテ島侵攻を阻止する1944年10月の捷一号作戦、そして沖縄海上特攻により沈没した1945年4月の天一号作戦で、前部主砲射撃指揮所員として出撃した。復員後は、同市の小中学校長や教育長を務めた。
海に酒を注いで供養した桶屋教務総長「きみいかに 眠り給うや 支那海の 荒波深く 大和いだきて」
谷さんは、献花の際に歌を詠んだ。「戦死した大勢の乗組員を慰める歌。小林さんに代わってほんの少しでも込められた思いを伝えることができていれば」と話した。
航行中、靖国神社遊就館の松本聖吾氏、産経新聞編集委員の宮本雅史氏などが講演した。(板倉純平)
2015/10/15 関西臨床宗教師フォーラム 医療現場の公共性を超宗教・多様性が担保
左から鍋島教授、松本教授、谷山准教授、大河内研究員で行った公開討論 大阪市北区の上智大学大阪サテライトキャンパス(カトリック大阪梅田教会)で9月27日、「関西臨床宗教師フォーラム2015」が行われた。臨床宗教師を提唱した故岡部健氏の命日にあたるこの日に、約110人の宗教者や医療従事者が参加し、東北大学大学院の谷山洋三准教授らが、苦悩や悲嘆を抱える人に寄り添う宗教者の課題を探った。
関西臨床宗教師会、東北大学実践宗教学寄附講座、いのち臨床仏教者の会が主催した。主題は「終末期におけるスピリチュアルケア」。
谷山准教授は「生と死に寄り添う臨床宗教師―公共性を担保した宗教者」を表題に講演。寺院などから出て医療現場などで活動する臨床宗教師の「公共性の担保」というコンセプトは、「超宗教を前提としているからこそ実現しやすい」と指摘。多様な価値観を認めることがケアの基礎になると述べた。
そのためには自分自身の理解が必要として、死生観の確認や遺言書を書くことを勧め、ワークショップを行った。参加者は数人一組で自分の死生観について話し合い、会場では死後の世界があると考える人が多かった。
谷山准教授によると、自分は死ぬと無になるが、祖父母などは死後の世界で生きているという非合理的な考えが一般的に多く見られるという。「正解はない。どんなふうに思っていても構わない」ため、前もって考えておくことがケアの準備になると主張した。
さらに、相手の気づきを「待つ」スピリチュアルケアと、「提供する」宗教的ケアの違いを明確に意識することに注意を促した。相談者の支えが何かを見つける手助けが、スピリチュアルケアだと述べた。
その上で、両者に共通領域があるとして、宗教的行為が伴う寺院などへの観光のように、宗教的だが信仰を求めていない状況があると説明。お守りや腕輪念珠、千羽鶴などの祈りや儀式が癒やしにつながることを例に挙げ、「ケアの現場でも応用できる」と話した。
上智大学グリーフケア研究所の大河内大博研究員が、川西病院(兵庫県川西市)でのスピリチュアルケアの実践報告をした後、公開討論を行った。種智院大学の臨床密教センターで臨床宗教師の養成を始める松本峰哲教授がコメンテーターとして参加した。
はじめに、司会を務めた龍谷大学大学院の鍋島直樹教授が、「岡部先生の祥月命日に臨床宗教師の役割や未来について考えることができて不思議な感じがする」と故人を偲んだ。
松本教授は、宗教者が非合理性を語ることに対し、人間の生死などを合理的に捉えようとして生まれたものが宗教であるとして、「宗教者は非合理性を偏重しているわけではないとの理解のもとで、医療と宗教が歩み寄って本当の意味で協力関係が生まれる」と考えを述べた。
超宗教の活動で注意が必要なのは、キリスト教も理解できる僧侶などと勘違いすることだと指摘。超宗教の集まりでは、自分の信仰が揺らぐ傾向もあるが、「自分の信仰を固めているからこそ、相手の信仰も尊重できる」と多様性のあり方について意見を示した。
2015/10/15 真言律宗総本山西大寺開創1250年 昼夜を徹して土砂加持大法会
荘厳な雰囲気に包まれた本堂で開創記念法会鵜を営んだ導師の大矢管長(4日) 奈良市の真言律宗総本山西大寺で3~5日の3日間、昼夜を徹して修法する光明真言土砂加持大法会が営まれた。同寺の開創1250年を迎えた今年は、中日法要の4日午後2時に合わせて記念法会が執り行われた。記念法会に参拝した約300人が、光明真言を唱えながら堂内を回る僧侶の姿に見入っていた。
同大法会は1264年から一度も途切れずに続く宗門の最重要法会。内陣を取り囲む灯籠と幡で飾られた本堂は、荘厳な雰囲気に包まれた。
4日の記念法会では、特別に導師の大矢実圓管長が表白を奏上。奈良時代に孝謙上皇の「鎮護国家」の願いのもとで造営が始まり、鎌倉時代に叡尊上人が「興法利生」の精神で再興した西大寺の1250年の歴史を振り返り、「歴代先師尊霊の報恩謝徳と当山開創の慶讃仰徳の為に、我が一門の精誠を抽んでて、宗門伝承の光明真言加持土砂の法筵の功徳を以て報賽せんとするものなり」と述べた。
東大寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺、法隆寺の南都隣山会や朝護孫子寺、中山寺、清澄寺、須磨寺など六山会も法会に参列した。
2011年に着工した西室と寺務所の修理、建て替えが今年9月末に終わり、完成を祝う落慶奉告法要が3日、土砂加持大法会の開白前に執り行われた。工事費は約1億8000万円だった。
一見和合「大茶盛」
特大の茶碗で茶を回し飲んだ参列者 開創1250年記念法会が営まれた後、特大の茶碗で茶を回し飲む「大茶盛」が行われた。南都隣山会や六山会など参列者に振る舞われた。女性参拝者らは、直径30~40センチもある大きな茶碗を支えてもらうなどして互いに助け合いながら飲んでいた。
叡尊上人が、1239年正月の御修法を終えた際に、八幡神社に奉納した茶の余りを参拝者に配ったのが由来で、800年近く続く伝統行事。
寺で禁じられている「酒盛」ではなく、当時貴重な薬とされていた茶を振る舞う「茶盛」には、叡尊上人が目指した「戒律復興」と「民衆救済」の二つの宗教的意義がある。また、一つの茶碗で同じ茶を飲んで結束を深める「一味和合」の意味が込められている。
2015/10/15 アイバンク運動半世紀、勸山弘氏の叙勲祝う “思いの深さが未来を開く”
高校時代に角膜移植を受けた渡辺さんから花束が贈られた 半世紀にわたるアイバンク運動が評価され、今年春の叙勲で旭日双光章を受章した真宗大谷派真楽寺(静岡県沼津市)前住職の勸山弘氏。そのお祝いの会が9月30日、沼津市のホテルで催され、96歳の受章者は「思い入れの深さが未来の扉を開いていく」と啓発し、アイバンク運動への協力を呼びかけた。
お祝いにはNPO法人日本アイバンク運動推進協議会をはじめ勸山氏と共に運動を支えてきた沼津市および静岡県のライオンズクラブのメンバー、そして地元仏教会、檀信徒ら260人が参集した。
その中の一人、渡辺小百合さんは開眼体験を話した。中学時代からの視力低下が気にかかり、高3の時に「軽い検診のつもりで眼科医の検診を受けた」。そこで重い目の病気であることを知らされ、「あなたの眼は数年後には失明するでしょう。手術も難しい」と宣告された。眼が見えなくなる恐怖で死を考えるようになった。
そんな頃に勸山氏と出会い、都内の病院を紹介された。医師から「角膜移植で治る」と言われ、17歳の冬に左目の角膜移植を受けた。ちょうど勸山氏やライオンズクラブの尽力で実現していたスリランカから贈られた角膜によってであった。手術から3日目に眼帯をとると「ベッドにかけられた真っ白いシーツの色」が飛び込んできた。「白ってこんないろだったの」と驚いた。それから1年後には右目を手術した。
「私は2人の尊い角膜をいただき、こうして生きていくことができます。あの手術から3人で生きてきました。スリランカの人の左目、日本の人の右目。そして私の3人で生きてきた実感があります」。渡辺さんの体験談に会場は静まり、熱心に聞き入った。
愛の伝道者に
勸山氏は謝辞で、「叙勲の最大の功労者は献眼者。私ではない。にもかかわらず、私が古くからアイバンク運動をしているということでいただいただけ」と謙遜。昭和39年に一人の檀家の葬儀で献眼の場に接してからアイバンク運動を担ってきた勸山氏は、思いやりの実践を説き「才能ではなく、幸運でもなく、財力でもない。思い入れの深さが未来の扉を開いていく」と力を込めた。
さらに善導大師の言葉「洪鐘(こうしょう)響くといえども、必ず扣(たた)く人を待ちて鳴る」を紹介し、「洪鐘とは釣り鐘のこと。ここにお集まりの方はまず、釣り鐘を撞く人になってください。人間愛を人から人に伝える愛の伝道者になっていただきたい」と呼びかけた。
2015/10/22 浄土宗宗議会議員選挙 新人11人無投票当選、3選挙区で選挙戦
任期満了に伴う浄土宗の宗議会議員選が14日、告示された。定数70に対し、現職58、新人15の計73人が立候補。47選挙区のうち埼玉、滋賀、京都で選挙戦となった。無投票当選する新人11人のうち東京の稲岡春瑛氏は、36年ぶりの女性議員となる。投票は24日。(続きは紙面でご覧ください)
2015/10/22 妙智會教団開教65周年記念式典 6教団代表が子どもへ祈り
宮本惠司法嗣(中央)と各教団の代表が登壇した記念式典 妙智會教団は12日、東京・代々木の本部本殿大講堂で「開教65周記念年式典『世界の子どものために祈る日』」を執り行った。来賓の各教団代表と会員が世界の子どもたちへの祈りを捧げた。宮本惠司法嗣は会員一人ひとりに「自分の開教の日」に立ち返るよう呼びかけ、「入会から入信へ」の道を説き示した。
式典は献灯・献花の儀で須彌壇を荘厳し、宮本法嗣がご祈願を奏上。昭和25年10月12日、法華経による先祖供養の実践と世界平和に貢献することを使命に発会し、その精神を具現化するため開教40周年に子どものためのより良い環境づくりに取り組む「ありがとうインターナショナル(当時は「ありがとう基金」)」を設立した歩みを振り返り、「世の為、人の為の母体となり、一人でも多くこの素晴らしい教えをお伝えする」と誓った。宮本法嗣を導師に一同で「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」を読誦した。
式典には来賓として神習教の芳村正徳教主、神道扶桑教の宍野史生管長、神道禊教の坂田安弘教主・管長、孝道教団の岡野正純統理、玉光神社の本山一博宮司、金光教泉尾教会の三宅光雄教会長が登壇。各教団の儀式に則り、それぞれが世界の子どもたちの健やかな成長と平和のために祈りを捧げ、そのあと各氏からは妙智會65年の歩みに祝辞が寄せられた。三宅氏は2008年に、国連子どものための特別総会で宮本丈靖大導師のスピーチを聞き、「真の宗教指導者のお姿であった」と当時の様子を感激と共に回想した。
宮本法嗣は「皆さんのお蔭様でこの日を迎えられた。これほど嬉しいことはありません」と感謝の言葉を述べ、「今日からさらなる精進努力をさせていただきます。みなさんも一緒に歩んでいただけますか」と呼びかけると、「はい!」という大きな声と拍手が起きた。
開教記念の日にあたって「皆さん自身は妙智會に入った時が開教です。入会したらその次は入信。信仰の道を歩むということです。妙智の教えを頂いて、修行をすることが大事です」と呼びかけ、「入会したあと、入信し続けてきたのか。私自身も顧みています。顧みて懺悔をし、感謝の心を持つ。今日は自分の開教の日に戻る日です。一緒に頑張りましょう」と力強く指導した。
2015/10/22 強制労働犠牲者の遺骨を韓国に奉還 いのちを運ぶ旅3500キロ(殿平善彦)
戦時中、日本に強制連行され犠牲となった朝鮮半島出身者の遺骨に関しては、日韓両国政府で合意がなされ、全日本仏教会を通じて各教団や寺院で調査が行われた。しかし遺骨の存在が明らかになっても奉還が進まない。そうした中で、北海道深川市の殿平善彦氏(浄土真宗本願寺派一乗寺住職、70歳)は、早くからこの事実に気づき活動に取り組んできた。9月の遺骨奉還について報告いただいた。
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京畿道坡州市のソウル市立追慕公園に遺骨を納めて、記念の写真に収まる遺族と参加者たち。前列左から2人目が殿平氏 さる9月20日、70年前の北海道で死亡した朝鮮人犠牲者の115体の遺骨が、日本と韓国の市民が作る「強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会」の人々の手で、韓国京畿道坡州(パジュ)市にあるソウル市立の追慕公園に安置された。納骨に集まった遺族など100人ほどの参拝者は、すべての遺骨が納骨場所に安置されたとき、一様にほっとした表情を浮かべて笑顔が生まれていた。北海道からバスに乗せて日本列島を縦断してきた遺骨が、3500キロメートル、10日間の旅を終えて故郷の地に納まり、ご遺骨もようやく安らいだように思えた。
放置されてきた遺骨
戦時下に、労働力不足を補うため、日本へ連れて来られた朝鮮人は70万人ともいわれている。多くの犠牲者が出たが、残された遺骨が遺族に届けられることなく、異郷に置かれ続けた例も少なくない。特に北海道は朝鮮半島とは地理的にも遠く、タコ部屋労働が偏在していたので、朝鮮人も拘禁労働を強いられ、食事なども粗末に扱われた。
私たちは2003年に「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」という市民団体を結成し、戦時下に強制労働の末死亡し、北海道内に残されてきた、日本人タコ部屋労働者、朝鮮人強制労働犠牲者の遺骨調査と発掘を試みてきた。その結果、浄土真宗本願寺派札幌別院にも朝鮮人などの遺骨100体余りが残されてきたことが判明した。
私たちは現地の老人の証言をもとに、犠牲者が埋められたままの場所があることも知り、1997年から日本人、韓国人、在日朝鮮人の若者に呼びかけて遺骨を発掘してきた。幌加内町朱鞠内では16体、猿払村浅茅野では34体の遺骨を地上に導いた。
本願寺派札幌別院に置かれてきた101体の遺骨は、戦前に道内の企業が別院に預けた遺骨だが、1997年に合葬に付され犠牲者名簿はあるが、遺骨は誰のものか判断できなくなっていた。
本願寺派札幌別院での法要終了後、北海道朝鮮学校の生徒によって運ばれる犠牲者の遺骨 2004年12月、日本と韓国の首脳会談の席で、韓国大統領は、日本に残されている犠牲者の遺骨返還を求め、小泉総理は調査を約束した。それ以来、日韓政府間では遺骨返還の協議が続いているが、軍人、軍属以外の遺骨返還は実現していない。
2013年12月、ソウルで数人の韓国人遺族に対面したが、その席上、遺族から「長く遺骨が帰る日を待ってきたが実現しない。合葬遺骨は再分骨してでもいいから返してほしい」と強く求められた。
遺骨に導かれる旅
遺族の思いに応えようと、日本と韓国の研究者や宗教者、市民が合同で「強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会」を結成し、これまでに北海道で見つかった遺骨を合わせて115体の返還を決めた。本願寺派札幌別院は、遺骨を返還することに努力すると表明し、遺骨奉還に後援団体として参加した。
戦時下に犠牲者を使役した企業には遺骨奉還に責任ある対応をするよう要請し、いくつかの企業は遺骨奉還への資金を出し、追悼法要に参拝した。北海道や札幌市は哀悼のメッセージを法要に寄せ、韓国総領事も参拝した。
9月12日に北海道を出発した遺骨は東京築地本願寺や京都西本願寺などで法要を営みながら日本列島を縦断して、下関から韓国に渡った。
韓国では、ソウル市が支援を申し出て、坡州の市立墓地を納骨場所に提供し、市庁前広場で盛大な葬儀が営まれた。
現在の日韓をはじめ東アジアの関係は、ナショナリズムの影響を受け、ぎくしゃくし続けている。そのため、政府間の遺骨返還は滞ったままである。困難な時こそ、市民や宗教者の役割が生まれる。この度の遺骨奉還の旅の主人公は115体の朝鮮人犠牲者だ。私たちはむしろ遺骨に導かれて国境を越え、韓国や在日などの新たな市民や宗教者との出会いに恵まれた。日本にはまだ多くの遺骨が残されている。
私たちは武器を持つのではなく、遺骨発掘のスコップを持ち、過去の歴史を学ぶことが必要だ。遺骨を届ける旅から生まれる知恵が東アジアの緊張を溶かし和解を生みだすだろう。(了)
2015/10/29 釜堀行者「堂入り」戦後13人目の成満 今後は化他の行に
僧侶に抱えられながら明王堂から出堂する釜堀行者(代表撮影) 千日回峰行の最難関とされる九日間の断食・断水・不眠・不臥の念誦修法である「堂入り」を行じていた天台宗総本山延暦寺一山善住院住職の釜堀浩元行者(41)が21日未明、大津市坂本の比叡山明王堂から無事出堂した。8年ぶり戦後13人目の成満者となった。
琵琶湖と大津市を見下ろす比叡山中腹の明王堂。狭い境内地には600人余の信徒らが参集した。零時15分頃、本尊不動明王へ供える最後の取水を行うため、裏門から姿を現した。伴僧に支えられながら水を汲みに行き、天秤棒で運び、再び堂へ。最後の法要を営んだ後、堂入り直後から締められていた正面入口の閂が開けられた。信徒らは不動真言を唱えて、出迎えた。白装束の釜堀行者は僧侶の手を借りながらも、しっかりとした足取りで階段をおり、境内を練り歩いた。
釜堀行者は、不動明王の化身である「當行満阿闍梨(とうぎょうまんあじゃり)」となった。これまでの700日間は自行であったのに対し、これからは衆生済度の化他(他者)の行を修する。
来年は800日(赤山苦行)、再来年に900日(京都大廻り)、千日を達成する予定。
2015/10/29 インド東南部アンドラ・プラデシュ州 仏教の“新”聖地をPR 大乗仏教発展の地
先月幕張メッセで開催された旅行をテーマとしたイベント「ツーリズム・エキスポ2015」。仏教発祥の地インドからは政府のブースとは別にアンドラ・プラデシュ州も出展した。PRのために来日した同州観光・文化局秘書官のネラブ・クマール・プラサド氏は、日本の仏教者に「我が州に是非訪れてほしい。その理由があるのです」と話す。
ネラブ氏によると、日本の仏教関係者がインド周辺を旅行することは多いが、その場所はいわゆる4大聖地の「ルンビニー、ブッダガヤ、サールナート、クシーナガラに限られている」という。
なぜ日本の仏教者が同州に行くべきなのか。ネラブ氏はその理由を「アンドラ・プラデシュ州こそがインドで大乗仏教が発展した場所なのです。瞑想や大乗仏教のことを知りたければ、アンドラ・プラデシュ州が一番です」と胸を張る。
雨の日の瞑想で使われたという洞窟寺院(アンダバリ石窟) インドでは4世紀以降に栄えた大乗仏教。同州には大乗仏教を体系化したと伝えられる龍樹が作った大学など、当時の遺跡、遺物が各所に多く残され、悠久の時を超えた古の仏教遺跡群を見ることが出来る。
新州都の候補地、ヴィジャヤワーダから40キロの位置にあるアマラバティ周辺には、ナーガルジュナコンダ遺跡がある他、ダライ・ラマ法王がブッダガヤの菩提樹を植樹した時輪タントラ博物館もあり、発掘された古代の仏教彫刻や仏教美術も見ることができる。
大乗仏教遺跡をぜひみてほしいと語るネラブ氏 同州は日本でこそまだ知名度は低いが、実はアジアの仏教者には知られた存在で、「特に近年は中国の仏教者の間で人気があり、旅行者が増えている」という。
古代の僧侶が雨の日に瞑想した洞窟寺院や石塔などの古代仏教を体感できる遺跡群が点在する一方で、海に面した同州にはビーチや自然豊かな景勝地があり、「レジャーに適したリゾート地」としても発展が期待されている。
ネラブ氏は「アンドラ・プラデシュ州には上座部仏教、大乗仏教、密教という仏教の3要素が揃っています。その中でも大乗仏教の遺跡がこれほどある場所は他にはない。〝大乗仏教のゆりかご〟と覚えて頂き、是非、日本の皆さんに来ていただきたい」と話した。
同州観光局への問い合わせは、メール(secy_trsm@ap.gov.in)。
2015/10/29 大垣市・沼口医院に国内初の臨床宗教師駐在ホスピス開設
完成した共同住宅型ホスピス「アミターバ」の前で記念撮影する関係者 国内初となる臨床宗教師の駐在する共同住宅型ホスピス「メディカルシェアハウス アミターバ」が完成し、岐阜県大垣市の現地で18日、竣工式が行われた。医療と仏教の協力に力を入れる沼口医院(医療法人徳養会、岐阜県大垣市)が建て、傾聴喫茶「カフェ・デ・モンク」を併設する。約80人が出席した式典で、真宗大谷派僧侶で内科医の沼口諭理事長は、長年にわたり模索してきた命に向き合う医療のかたちの一つを実現できた思いに時折声を詰まらせながら、「医療と宗教のコーディネーターという役目で、全国に発信したい」と述べた。
2階建て延べ991平方メートルで、沼口医院に隣接する。スタッフは看護師6人と介護士8人、相談員3人。終末期のがんや難病の患者を対象に18室があり、瞑想室なども備える。総工費は約2億5000万円。
すでに沼口医院で働く臨床宗教師の田中至道氏(本願寺派)に加え、中部臨床宗教師会の野々目月泉さん(大谷派)らが「カフェ」に立ち、入居者のケアにあたる。また、全国の病院で活躍できることを願い、養成講座を終えても活動する場の少ない経験の浅い臨床宗教師の研修も行う。
併設の「カフェ・デ・モンク」で語らう沼口氏、金田氏、鈴木氏(左から) 臨床宗教師の養成に携わる東北大大学院の鈴木岩弓教授が式典に出席。超高齢多死社会のターミナルケアに必要とされる臨床宗教師が定着することは、「日本の宗教史を大きく変える」と力を込め、「アミターバ」や臨床宗教師の営みが、「かつて密接だった宗教と医療の関係を現代風に良くして近づける」と期待を寄せた。
東日本大震災をきっかけに「カフェ」を立ち上げた金田諦應氏(曹洞宗)も駆けつけ、「臨床宗教師、日本の医療の基地になる」と激励。「声なき声に耳を澄ませながら、いつも何となく暇そうな佇まいを心がけて」と「カフェ」での心構えを指南した。市民病院長や県内の医師らも声援を送った。
式典後と翌日の内覧会には、2日間で約900人の医療関係者や地域住民が参加。オープンは11月11日。
2015/11/5 金峯山修験本宗、五條良知管長が晋山 菩薩教団へ精進誓う
法要が営まれる蔵王堂へ向かう五條良知新管長 今年6月1日に総本山金峯山寺第31世管領・金峯山修験本宗第5世管長に就任した五條良知氏(51)の晋山奉告法要並びに管長上任式が26日、秋晴れの奈良県吉野町の金峯山寺蔵王堂で執り行われた。若き新管長は第2代五條順教管長が唱えた蔵王一仏信仰のもと「金峯山菩薩教団となるよう精進して参りたい」と抱負を述べ、1300年の伝統に新たな歴史を刻んだ。
正午前、五條管長の自坊である別格本山東南院に修験者や出仕者が集合。法楽の後、参道を練り歩いた。住民や参拝者は合掌して見守った。
蔵王堂には約300人が参席。新管長導師のもと観音経、般若心経、諸真言が唱えられ、本尊・金剛蔵王大権現に奉告した。
法要後、五條管長は「就任以来、今日まで約4カ月。慣れない重責に戸惑いながらも、身を奮い立たせながら過ごさせていただいたが、今生において両親の下に生を授かって以来の愚鈍と怠惰を反省し、懺悔する毎日を送ってきた」と謙虚に挨拶。さらに「(五條)順教大僧正の唱えられた蔵王一仏信仰のもと、金峯山菩薩教団となるよう私自身、精進してまいるので、寺門・宗門一丸のお力添えをお願いしたい」と呼びかけた。
来賓を代表して、大峰山護持院・櫻本坊の巽良仁住職が「ご本尊のもと我々が敬愛してやまない開祖役行者さまのご名代として世界の平和、すべての人の魂の安らぎ、社会の浄化、すべてのいのちの幸福のために、私たちをお導きいただきたい」とエールを送った。
地元吉野町の北岡篤町長は「往古より金峯山寺の盛衰が吉野の住民生活の浮沈に大きく関わってきたと申し上げても過言ではない。金峯山寺が発展されることは、吉野の住民の幸せにつながると信じている。五條良知猊下が人々の安寧のため、金峯山寺ご発展のため、ひいては吉野のためにますますご健康で、ご活躍くださいますよう祈念申し上げる」と期待した。
このあと一行はバスと近鉄の臨時特急で大阪市内のホテルに移動。約700人が参集して祝賀会が催された。6人が祝辞。聖護院門跡の宮城泰年門主は「若き新管長を迎えて、より一層発展していくであろう」と歓迎。比叡山延暦寺の小堀光實執行は、白寿を迎えた半田孝淳天台座主のメッセージを紹介しながら、「あと50年一緒に頑張ろうと言うことです」と述べ、会場を沸かせた。
五條新管長は昭和39年京都府綾部市生まれ。大正大学仏教学卒。平成4年に金峯山寺に奉職後、金峯山寺執行、修験本宗教学部長、金峯山寺執行長、修験本宗宗務総長等を歴任。また平成19・20年度の全日本仏教青年会理事長を務めた。田中利典元宗務総長は実兄。
2015/11/5 黄檗宗、近藤博道管長が晋山 相次ぐ禅問答に力量発揮
祝国開堂式に臨む第62代堂頭に就任した近藤管長 京都府宇治市の黄檗宗大本山萬福寺で10月27日、第62代堂頭、同宗管長に就任した近藤博道氏の晋山式が執り行われた。近藤管長は、新住職の力量を試そうとする宗門の僧侶と禅問答を繰り広げながら入寺し、各宗派の管長や総長など500人を超える関係者が祝った。
総門から出発した近藤管長は、諸堂を巡拝しながら晋山。自坊の塔頭萬壽院を出て、俗世との境界となる三門に差し掛かかったとき、一人の僧侶に呼び止められた。監寺の盛井幸道宗務総長が、問答を挑み行く手に立ちはだかった。応答に満足した監寺が道を開けると、一行は三門をくぐり天王殿や大雄寶殿などを経て法堂へ入った。
管長のみに着用が許される袈裟をまとって式に臨み、入寺を祝う山門疏を村瀬光春宗会議長から受けた。須弥壇に登った近藤管長は、住職の就任を宣言し国家の平和安泰を祈願する「祝国開堂」の言葉を述べた。
百槌師の第60代堂頭、仙石泰山東堂が垂語を述べたのを合図に、4人の僧侶が問答を浴びせかけた。「いかなるかこれ、須弥壇からの景色」などの禅問答が交わされ、僧侶らは「萬福、萬福、萬萬福」と言いながら納得した様子で立ち去った。
黄檗会会長で福寿園の福井正憲会長が祝辞で、師家養成を掲げる近藤管長の自坊では優秀な弟子を輩出しているとして、「有言実行、身をもってのご教授を拝察する」と讃えた。
近藤氏は1948年4月生まれの67歳。三観寺(神奈川県伊勢原市)住職を兼務。出身は瑞應寺(同湯河原町)。71年駒沢大卒。教学部長、宗会議長などを歴任。2000年に萬福寺禅堂師家。岡田亘令・前管長の死去に伴い、3月25日付で管長に就任した。任期は7年。
2015/11/5 全日本仏教徒会議・愛媛大会 巡礼はみ仏への道 2日間3500人参集
四国とサンディアゴの巡礼について話し合った巡礼サミット(10月30日) 全日本仏教会(全日仏)と愛媛県仏教会主催の第43回全日本仏教徒会議・愛媛大会が10月30・31両日、「浄心の道―巡礼」をテーマに松山市のホールで開催された。巡礼サミットが行われた初日は1000人、2日目は2500人と2日間で3500人が集まった。四国らしく遍路姿の観客もあった。大会宣言では「わたしたちは、みほとけの慈悲の心へと通じる『浄心の道』を日々の生活として、自らを見つめながら、一日一日を大切に励んでいくこと」を誓った。
初日は全日仏の加藤精一管長(真言宗豊山派管長)を迎えて開会式を挙行。主催者を代表して全日仏の齋藤明聖理事長は「2日間にわたって巡礼の心を訪ねることを通して今日的課題について考えて参りたい」と挨拶。愛媛県仏会長の福村俊弘大会会長は「今年は戦後70年という大きな節目に当たる。人間として最も愚かで恐ろしい戦争を決して再び起こさぬよう、すべての人が平和で安心して暮らせるよう切に願い、この大会が人の心の道標となるよう願っている」と述べた。
基調講演を加藤精一会長がテーマに即して話した。空海研究者でもある加藤氏は、空海の生涯や思想、四国遍路に言及しながら「アメリカの宗教学者はさまざまな宗教に共通するものとして灯明をあげることだと指摘した。先を明るく照らす光。宗教は光と関係があると思った。聖地巡礼も光を求めて歩く」と解説した。
続く巡礼サミットは、地元の聖カタリナ大学学長でカトリック司祭のホビノ・サンミゲル氏、四国八十八カ所霊場会会長の吉川俊宏氏、テレビ番組で四国遍路を体験したプロ卓球選手の四元奈生美さんをパネリストに迎え、愛媛大学に今春開設された四国遍路・世界の巡礼センターの寺内浩センター長(法文学部教授)をコーディネーターに行われた。
最初に寺内氏が巡礼には、回遊型と往復型があると説明。これを受けサンミゲル氏は往復型であるスペインのサンティアゴ巡礼について発題した。吉川氏は、四国の道のルーツは辺地(へじ)にあるとし、「お大師さまが42歳の時に開かれたが、弟子や修験者たちがお大師さまの修行の地を巡るようになった」と紐解いた。四元さんは、お遍路体験の前にアキレス腱を痛めていたが、「この状態で歩ききれるのかと心配したが、自然に囲まれていて、自然治癒力があるのを感じた」と述懐した。
2日目は豊山派青年会の勇壮な太鼓に併せた般若心経で開幕。
続いて地元出身の作家、天童荒太氏を迎えて座談会。聞き手は総合司会を担当するアナウンサーの大下香奈さんと映画化された『ボクは坊さん。』の著者、白川密成氏(第57番札所栄福寺住職)。直木賞受賞作の『悼む人』(2009年作品)をモチーフに進行した。
主人公は新聞の死亡記事を手がかりに、事件や事故で死亡した場所を巡り歩き独特な形で死者を悼む。の執筆の背景には2001年の9・11同時多発テロがあったという。「人が死を怒りに替えて殺しに行く」ことになった米国のアフガニスタンへへの報復攻撃。「ニューヨークで亡くなった人に比してアフガンで亡くなった人は顧みられず、死が平等ではない。ということは生きることも平等ではない」と心境を語った。
記念講演は片岡鶴太郎さんが「流れのままに」と題して壇上を右に左に闊歩しながら“漫談”。ギャグあり、芸術論、文化論ありと多彩な話芸に会場は沸き立った。
次期大会は福島県に
閉会式典で大会宣言が採択された後、次期大会は福島県開催と発表された。大会旗が愛媛県から全日仏に返還され、福島県仏教会の石田宏寿会長に手渡された。
石田会長は「昨日から福島県仏の7名が大会を見学させていただいた。2年後、全日仏60周年の節目、東日本大震災七回忌にあたり、追悼の法要を営む予定である。併せて阪神淡路大震災についても勤める。現在、福島は復興の中途にあり、多くの課題を背負っている。また全国に避難されている方々に今後ともご支援をお願いしたい。皆さん方を迎えるため、これから準備に入る」と表明した。
2015/11/12 山科別院で蓮如上人誕生600年祝う 浄土真宗本願寺派宗門初の記念法要
蓮如上人木像を動座した本堂で法要を営む大谷光真前門 本願寺中興の祖、第8代宗主蓮如上人(1415~99)の誕生から今年で600年を迎え、京都市山科区の浄土真宗本願寺派山科別院で6、7日、大谷光淳門主、大谷光真前門を導師に記念法要が営まれた。実行委員長の稲岡義證氏は「蓮如上人のご生誕を祝う法要は宗門で初めて。両門さまご親修のもとで執り行うことができ無上の喜び」と語った。両日とも満堂となり、約1200人が参拝した。
初日に光淳門主が導師を務め、佐々木鴻昭執行長が出席した。山科別院は、蓮如上人が築いた山科本願寺が起源。10月末に中宗堂に安置する蓮如上人木像を本堂に動座。記念事業として作成した御絵伝を中宗堂に奉懸し、法要に臨んだ。
2日目に光真前門の導師で法要を修行。石上智康総長が挨拶し、「山科の地で法儀を守り伝えてこられた先人の熱き思いをこれからもしっかりと受け継ぎ、山科別院が伝道教化の中心道場として発展することを心から念願する」と話した。
法要で前門は、消息で教義を伝える「御文章」での分かりやすい布教や、門徒らが日常の勤行に用いられるように「正信偈」「和讃」を刊行した蓮如上人の功績や、山科に本願寺を再興した歴史を振り返った上で、「上人のご研鑽に基づく発想豊かなご教化により、多くの人々がご本願に出会われ、今日の宗門の礎が築かれた」と表白を奏上した。
法要後に前門が法話を述べた。山科本願寺に親鸞聖人の木像を安置して活動したことにより、蓮如上人の時代から真影の前で自分の思いを語るなどの習慣が始まったと説明して、「ご真影を中心に念仏生活を送るという意味も見出してくださった」として、上人のもう一つの功績だと語った。
また、蓮如上人500回遠忌を記念して作成した、ひらがな版の御文章のうち毎月14日の晨朝で読まれる書の「機法一体」について、弥陀にたのむ信心と弥陀の法が一体となったのが南無阿弥陀仏であると説明。「この世のどこへ向かって進んで行くかという根本問題は阿弥陀さまのお働き、南無阿弥陀仏のなかに解決されていると味わうことができる」と述べた。
法要前には約40人の稚児行列が行われ、門徒以外の子ども約30人が参加。実行委員会は「地域住民と一緒になってお祝いできたことが嬉しい」と話した。
2015/11/12 末期がんで余命数カ月の田中雅博医師の願い 医療と仏教の再結合を
講演する田中氏(10月24日) 医師で僧侶の田中雅博氏(69)は、末期のすい臓がんで余命数カ月の状態にある。氏は、栃木県益子町の真言宗豊山派西明寺住職、その境内に併設された普門院診療所内科医師として地域医療を担いながら、医療現場における宗教者の必要性を訴えてきた。さる10月24日、「田中先生の最後の言葉をじかに聴いて心に留め」よう(発起人)と、宇都宮市内のホテルで講話会が開かれた。田中氏は、集まった大勢の医療従事者や宗教者らに、自身の願いを力強く託した。
……………………………
私は25歳から13年間、国立がんセンターに勤めた。先輩医師や患者から多くのことを教わった。進行がんを扱う医者になったため、研修医の2年目、25歳の時に最初に受け持った患者は同じ25歳の胃がんの女性だった。
できることが何もなかった。「死にたくない」という患者の側にいて、話を聴くだけ。病院内に「命の苦しみ=スピリチュアル・ペイン」のケアを担当するスピリチュアルケアワーカーがいなかった。他の先進国ではスピリチュアルケアワーカーがいなければ、病院の設立許可さえおりない。これが世界の常識。「WHOが認める世界一の日本医療」の唯一の欠陥だ。
命より大事なもの
自分の命よりも大事なものがある。それを、その人にとっての宗教と言う。文学や哲学、宗教等を学んだスピリチュアルケアワーカーが医療現場に必要だ。私が40年来、実感を持って主張し続けてきたことだ。
「患者の権利に関する世界医師会リスボン宣言」(1981年)には「宗教的支援を受ける権利」が明記され、「患者は、患者自身が選んだ宗教の聖職者による支援を含めて宗教的および倫理的慰安を受ける権利を有し、またこれを辞退する権利も有する」と書かれている。
リスボン宣言の翻訳をインターネットで検索すると、たくさんの訳が出てくる。だが、そのほとんどが間違っている。「宗教的慰安を受けるか、受けないか、選ぶ権利がある」と訳しているが、とんでもない。「受ける権利がある」と訳さなければならない。日本では、この権利が無視されている。
イタリアのローマ・テヴェレ川の中洲のティベリーナ島にある病院は、100ベッドに1人、スピリチュアルケアワーカーが配置されている。ケアワーカーは、カトリック・バチカンの大学で教育している。哲学を主に2年、宗教学を中心に4年、医療を2年の合計8年間勉強して資格を得た後、病院に勤務する。そうした人たちの勉強会に招待されたことがある。
参加者に「どういう人を対象にするのか」と尋ねると、「入院したら必ず、その日のうちに患者に会う。自分たちは、主治医や病棟長の許可は受けなくてよいことになっている。患者の苦しみを聴くとともに、医療従事者のスピリチュアル・ペインにも対応している」という答えが返ってきた。
「8年間勉強して病院に入っても、最初の数年間、知識はほとんど役に立たない」という声もあった。スピリチュアルケアワーカーの仕事は、それほど難しい。その人は、「『自分が死ぬ』という覚悟をする修行が大事だ。それは患者から教えてもらうんだ」と話していた。
緩和ケアとは、「死を避けられない病人とその家族の生存の質を高める方便(アプローチ)」だ。〝もう何もできない〟という状況でこそ、非常に多くのことが提供できる。
死にゆく人の尊厳
〝何もできない〟というのは、医者が何もできない状況だということ。日本ではそうなった時、それに対応するスピリチュアルケアワーカーがいないから、なかなか患者に本当のことが言えない。だから本人に内緒で、家族に進行がんの病名を話してしまうなどということが起こる。とんでもない話だ。家族に話していいかどうかは、患者本人に聞かなければならないことだ。
死にゆく人の尊厳を守り、患者本人が自分の人生に価値を見出すこと。その手伝いをするのが、スピリチュアルケアワーカーだ。死は仏教以前からインド哲学の課題だった。お釈迦様は歴史上初めて「不死」を得て説いた。仏教は誕生時からスピリチュアルケアだった。
スピリチュアルケアワーカーは、患者の話を傾聴して、その苦痛を共有する。ヒンドゥー教でもイスラム教でも、患者自身のあらゆる宗教に対応し、無宗教にも対応する。一方で、ケアワーカー自身の宗教を布教しない。
この態度は自己執着を空にする般若心経に共通し、お釈迦様以来の仏教本来の姿でもある。
私の願いは、明治維新以後に分かれてしまった医療と仏教の再結合だ。資格認定が始まった臨床宗教師・臨床仏教師の育成に期待したい。
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たなか・まさひろ/昭和21年3月生まれ。同49年、国立がんセンター入職。同センター研究所内分泌治療研究室長等を務める。平成2年、西明寺境内に普門院診療所を建設。介護保健施設看清坊、在宅介護支援センター金蓮坊、金蓮坊訪問看護ステーション、グループホーム能羅坊を運営し、僧侶医師として地域医療を担っている。著書に『般若心経の秘密』(電気情報社)『がんで死ぬのは怖くない』(阿吽社)。
2015/11/12 全日本仏教会理事会 戦後70年非戦決議を承認「戦争しない、させない」
「非戦決議」について経緯を説明する齋藤理事長 公益財団法人全日本仏教会(全日仏、齋藤明聖理事長)は6日、京都市のしんらん交流館で理事会を開き、終戦70年に関する理事長諮問の答申に基づいて、非戦決議「戦後70年目の年にあたって」を全会一致で承認した。決議では、『法句経』の一節を引用する一方で過去の戦争協力に言及し、「二度と戦争をしない、させない」と明記している。また来年4月から始まる第32期の会長に真言宗智山派の小峰一允管長の就任を承認した。現行より3人増となる6人の副会長も決まった。
非戦決議について齋藤理事長は自ら経緯を説明。戦後30年、50年と全日仏では特に発言がなかったため、「その点について忌憚なく意見を出してもらうよう、社会・人権審議会に諮問させて頂いた。『戦後70年にあたり、全日仏としての対応について』と極めてシンプルな諮問であった。審議会も、理事長の平和に対する思いを加盟団体の中で共有したいという思いを受け止めて頂いた」と報告した。
社会・人権審議会(佐々木基文委員長〈高野山真言宗〉、15委員)は2度の協議を経て10月2日に答申。その中で「文書の作成に当たっては、すでに出されている理事長談話を基本とし、仏陀の言葉を引用して、平和を願い、非戦を誓う文書にすること。また、戦争に加担した反省を盛り込むが、戦争に抵抗した教団や僧侶がいることも加えること」と記述。これらを柱とした約700字強の文案を同委員会が作成した。
理事会では、「非戦決議」か「非戦の誓い」かで多少の議論があった。最終的に、より行動を促す言葉として原案通り「非戦決議」で落ち着き、承認。齋藤理事長は「全会一致を頂いたことで本当の決議となった。ありがとうございます」と安堵の表情で感謝した。
全日仏のこうした決議に類するものは、「湾岸戦争に対する全日仏平和アピール」(1991)、イラク戦争に際しての「日本仏教者の非戦・平和への願い」(2003)、東電福島原発事故をうけての宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」(2011)がある。
「終戦70年目の年にあたって」非戦決議
先の大戦では、日本で約310万人、全世界を見れば約8500万人という方々の尊く、かけがえのない生命が戦火によって犠牲になりました。ここに、衷心より哀悼のまことを捧げるものであります。
仏陀は『法句経』に、「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」「すべての者は暴力におびえる。すべての〈生きもの〉にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」と、平和を実現するために反平和的手段〈武力行動〉をとることを最も戒められました。
戦時中、教団や僧侶の中には非戦をつらぬいた者もありましたが、多くは戦時体制に呑み込まれ、追従し、人類としてもっともおろかな行為である戦争に加担・協力してきました。仏陀の教えに照らして、こうした過去に慚愧とともに真摯に向きあい、犠牲になられたお一人お一人の願いを受けとめて、二度と戦争をしない、させないという思いを強く、新たにするものであります。
平和とは、ただ戦争がないということにとどまるものではありません。すべての「いのち」の尊厳がまもられ、基本的人権が尊重され、言論・思想信仰の自由が大切にされている社会であることが肝要であります。
私ども公益財団法人全日本仏教会は、財団創立以来一貫して仏陀の「和」の精神を基調に仏教文化の宣揚と世界平和の進展に寄与することを目的としてまいりました。戦後70年目のこの年にあたり、いまだ世界の各地で紛争が絶えない今日、本会は、あらためて加盟団体挙げてこの理念に立ち、真の平和を希求して非戦の誓いを決議するものであります。
2015(平成27)年11月6日
公益財団法人全日本仏教会
2015/11/19 WCRP 福島でコミュニティづくり 郡山で復興活動者集う
震災復興演劇について語る平田誠剛氏 世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(杉谷義純理事長)は10日、福島県郡山市のビッグパレットふくしまで「フクシマコミュニティづくりプロジェクトの集い」を開催。避難地域や仮設住宅における住民同士の支え合いや放射能対策、伝統芸能への復興などについて、被災者・支援者ら39団体の代表から約100人が議論。復興途上の生活で苦しむ人々に寄り添い、希望を育む活動が語られた。一方で原発事故の賠償金に絡むトラブルも発生している苦衷が報告された。
午前の部は8人が発表。フリースクールや心理カウンセリングを長年行っているNPO法人ビーンズふくしまの冨田愛氏は、仮設住宅や避難先で暮らす親子の支援を報告。県外避難をしている母親は「福島のママ友を裏切って逃げた思いが強い」、避難しなかった母親は「さまざまな報道を見るたびに避難した方がよかったのでは」というように、それぞれに苦しい胸の内に抱えているという。
そこで地域の多世代の居場所として「みんなの家@ふくしま」を今年3月から運営。同じ悩みや不安を抱える親の交流や、子どもたちが遊びをすることで健全に育つ支援をしている。また、「家族と離れ単身生活する父親のストレスや体調が限界」という声も多く、父親のために交流会「ぱぱカフェ」を実施。「パパにも居場所の必要性を感じた」と訴えた。
東京都千代田区に本部を置くNPO法人「大震災義援ウシトラ旅団」の平田誠剛代表は、原発事故警戒区域の富岡町大沼高校から避難転校した生徒が教師と共に作り上げた震災復興演劇「シュレーディンガーの猫」の公演協力を行っている。「この演劇は放射能を消すとかそういう現実を変えるわけではないが、心を変える」という評価を受けたとし、心に希望を満たす活動が求められていると話した。
午後の情報交換会では、郡山市の仮設住宅にあるNPO法人「昭和横丁」の志田篤代表が「賠償金の入った老人の所に、高額な健康器具やサプリメントの訪問販売が相次いでいる」という問題も指摘。また賠償金を妬まれ避難先で近隣住民からつきあいを拒絶されたり、家族関係がぎくしゃくする事例もあるなど、原発事故が避難先の生活さえも傷つけている苦しさが吐露された。
日本委は昨年10月、東日本大震災・原発事故から地域を復興させるコミュニティづくりをしている団体に財政支援を行うプロジェクトを開始し、これまで59団体に合計1140万円を支援している(現在も募集中)。
2015/11/19 浄土宗 総長に豊岡氏再選
記者会見で抱負を述べる豊岡氏 浄土宗の宗務総長選挙が17日、京都市東山区の宗務庁で行われ、豊岡鐐尓氏(74)が再選した。立候補者が豊岡氏一人だったため、無投票当選となった。記者会見した豊岡氏は、「やるべきことはたった一つ。広い視野と深い知識を持って、社会や檀信徒と接していける僧侶を育てたい」と決意を述べた。正副議長選挙も行われ、議長に木村弘文氏(京都)、副議長に寺井孝嗣氏(北海道第一)が選出された。
宗議会議員の改選に伴い、第113次臨時宗議会が招集された。被選挙権があるのは浄土宗の全教師で、15人の推薦を受けて立候補できる。豊岡氏の推薦人は、47教区を振り分けた9ブロックすべてから出た。
推薦者代表の幸島正導氏(尾張)が演説し、人口減少や檀家制度の崩壊など寺院を取り巻く厳しい環境の中で、「豊岡候補は、僧侶はどうあるべきかという大命題に取り組んできた」と推薦の理由を説明。宗務庁内の意識改革、教化研修会館の建設、被災地への積極的な支援などの実績を残してきたとして、「一宗の行政を託すには前宗務総長、豊岡候補ただ一人と判断」したと述べた。
演説を受けて豊岡氏は、内局や職員、議員の協力によって任期の4年間を務めることができたと感謝の言葉を述べ、「浄土宗を動かしていくのは宗議会のパワーが必要。一生懸命に奢ることなく、愚者の自覚を忘れずに業務に励んで参ります」と訴えた。
総長選に先立って、議員らのグループ「一条会」(木村弘文代表)が4日、臨時総会を開き、宗派の目標に向かって職務を果たしてきたとして、豊岡氏を支持する意向を固めた。総長選の前日には、京都市内のホテルで再選への決起集会が開かれ、支持者約40人が参加した。一方、「宗政研究会」は候補者を擁立しようとしたものの、調整がつかず見送った。
僧侶の不祥事根絶に努める
宗務総長の無投票当選は、2003年の水谷幸正氏から12年ぶり。総本山知恩院(同区)で、当選した豊岡氏の認証式が執り行われ、伊藤唯眞・浄土門主から辞令を受けた後、宗務庁で記者会見が開かれた。教師の資質向上に取り組んできた豊岡氏は、僧侶の不祥事について「根絶するようがんばっていきたい」と話した。
議長選は議員の定数70人で行われ、有効投票68票のうち木村氏が42票、光成範道氏(石川)が23票、里見嘉嗣氏(神奈川)が2票、山本正廣氏(和歌山)が1票だった。
副議長選も同数の議員で行われ、有効投票69票のうち寺井氏が36票、時田敏孝氏(福島)が31票、杉山俊明氏(千葉)、光成氏がそれぞれ1票だった。
豊岡氏は1941年8月生まれ。伊賀教区、念佛寺住職。1964年に早稲田大を卒業後、78年まで東京12チャンネル(現テレビ東京)で勤務。同年に伊賀教区浄土宗青年会会長。1994年から宗議会議員を務め7期目。総長公室長、法然上人800年大遠忌事務局長、浄土門主・法主推戴委員などを歴任し、2011年に宗務総長に選出された。2期目の就任は当選日の11月17日付。任期は4年。
2015/11/19 浄土系4大学フォーラム 家族のつながり意識を 『寺院消滅』著者と学生が対話
宗門大学の8人の学生が率直な意見を展開 大正大学地域創生学部創設、埼玉工業大学創立40周年、淑徳大学50周年、東海学園大学20周年という浄土宗系4大学の節目を記念してのフォーラムディスカッション「共生―地域と世代を超えて」が7日、東京都豊島区の大正大学で開催された(主催=4大学+浄土宗)。学生たちは故郷や家族、仏事に関する意識の多様さを明かした。
淑徳大学(千葉市中央区)の学生は、全国でも初めて大学内に設置された学生消防隊(2009年結成)の活動を発表。各地域の寺院とも連携した活動も展望した。
埼玉工業大学(深谷市)の学生は、「子どもたちの理科離れを理化場慣れに」をコンセプトに活動している「集まれ!!科学実験教室プロジェクト」を報告。スライム作成や液体窒素実験など、子どもでも簡単に体験できる楽しい教室で理系大学の特色を活かした活動をしている。
東海学園大学(愛知県みよし市)の学生はスポーツ健康科学部が中心になって取り組む、高齢者向けの公園体操や「なごや健康カレッジ」での運動教室を紹介。
大正大学「鴨台学生スタッフ」からは、地域商店街をたくさんの花で飾る「すがも花街道プロジェクト」や、豊島区と連携しての「豊島学講座」、小学生を対象とした地域交流や職業体験などの活動が語られた。
これらの報告を受け、日経BP記者で『寺院消滅』著者の鵜飼秀徳氏(浄土宗僧侶)と8人の学生が対話。鵜飼氏は学生の活動を称讃しつつも「私が記者をしていて最近思うのは、地域の問題で一番重要なのは家族のこと、自分たちのことではないか」と当事者性を学生に問いかけた。
「大学を卒業したら地元に帰るか」という問いでは「地元が好きだから離れるつもりはありません」という学生もいれば、「地元が嫌いではないけれど、やっぱりこっちの方が便利だから」と首都圏での生活を希望する学生も。「両親を介護するような状況になったら、親もそうしていいと言っているので容赦なく施設に入れると思う」といった率直な発言もあった。
またこの1年間で実家に墓参りに行った学生は8人中6人いたものの、法事・葬儀に参列した学生は2人にとどまった。
鵜飼氏は「自分たちの心の中にある家族に対するつながりの意識」を普段から考えていくことが、学生たちに20年後の未来(高齢化社会)を生きる道しるべになるのでは学生たちにアドバイスした。
2015/11/26 総本山醍醐寺、三宝院開創900年法要を厳修 修験道当山派の流れ伝える
庭儀曼荼羅を供法要を営む仲田順和・三宝院門跡 京都市伏見区の真言宗醍醐派総本山醍醐寺で21~25日、今年で開創900年を迎えた修験道当山派の流れを現代に伝える塔頭・大本山三宝院の記念法要が営まれた。23日には庭儀曼荼羅供法要が執り行われ、各山の管長や宗務総長ら約500人が参拝した。
法要に先立って柴燈護摩供が行われた。修験装束に身を包んだ度衆約30人が進列。五重塔前で法楽を上げ、法螺貝を吹き鳴らして不動堂前の護摩道場まで進んだ。
岩鶴密雄・宗会副議長が願文を読み上げた。祭壇の火が護摩壇に点火されると、白い煙が吹き出し、火柱が上がった。読経が響く中、獅子座に着いた大祇師の仲田順和・第52世三宝院門跡が乳木を放つと、炎は勢いを増した。道場を取り囲んだ参拝者が、願いを込めた護摩木を護摩壇に投げ入れ祈りを捧げた。
午後からは庭儀曼荼羅供法要を厳修した。雅楽が奏でられる中、職衆約30人が南門からゆっくりと進んだ。金堂前で庭讃を唱えて入堂。法要に合わせて来山した中国河南省の大準提寺の信徒と醍醐華道学会が献華した。
導師の仲田順和門跡が表白を奏上。平安時代後期の永久3年(1115)11月25日、勝覚第14世醍醐寺座主によって開創された三宝院の歴史を振り返った上で、「遠く九百年の日を迎え、無辺の恩岳に酬い奉って、伝承の重宝、永世護持に心廻らし、精舎の威容、二法流の弥栄を願い、念を込め真摯に祈り奉る」と述べた。
法要中、節をつけた理趣経を唱える職衆が中曲行道する間、参拝者は順番に焼香した。壁瀬宥雅・醍醐寺執行長が挨拶し、三宝院は豊臣秀吉によって再興され、修験道当山派本山として栄えたと紹介。「本日は桃山文化の優美を味わっていただきたくお茶席を用意しました。ご参集の皆さまには、三宝院にてゆっくりとお過ごしいただきたい」と話した。
2015/11/26 緊急寄稿 パリ同時テロの衝撃(杉谷義純・WCRP日本委員会理事長)
世界に衝撃を与えたフランス・パリの同時多発テロ事件。オランド大統領は「戦争状態にある」と明言し、有志連合と共に犯行声明を出した過激派組織「IS」への空爆強化を表明した。テロとの戦争が叫ばれる中、過激派掃討のための戦闘行為がさらなるテロの温床になっているという指摘もある。真に平和な世界の構築に向け、宗教者はどうあるべきか。世界的視野で平和活動に取り組む杉谷義純氏に緊急寄稿してもらった。
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去る11月13日夜、フランスのパリで同時テロが発生、死傷者29人、負傷者300人以上という大惨事が発生、世界中を震撼させました。狙われた場所は、ロックコンサートが開かれていた劇場、独仏代表による親善試合中のサッカー場、それに食事中のレストランと、いずれも市民がくつろぐ憩いの場所でした。
IS(イスラム過激派組織)が事件発生後、インターネットを通じて犯行声明を出しましたが、ISの標的は常に政府機関だけでなく、非イスラム文明、特にキリスト教文明に向けられているように思われてなりません。
世界宗教者平和会議(WCRP)は、国際事務総長ベンドレー博士の名で直ちに声明文を全世界に向けて発信しました。その骨子は、まず犠牲になられ、不慮の死を遂げられた人々に対し哀悼の意を発表し、犠牲者の家族友人に対し心を寄せて祈りを捧げていること。次に、暴力を正当化するために宗教が捻じ曲げられ、誤って用いられることに深い悲しみを覚えること。さらにこのように宗教の名においてなされた暴力を強く非難し、あらゆる法的手段によって対処されるべきであること。またこのような宗教共同体を分断しようとする行為に対し毅然として立ち向かい、誹謗を受けるような人々がいるならば、我々はお互いに味方となって連携して守り合うことなどであります。
さて今回のテロをみると、その根絶は容易なものでなく、まさに歴史的な視野で立ち向かわなければならないでしょう。1789年フランス革命によって、自由と平等を獲得したはずのフランス市民が、それから2世紀、いつの間にか抑圧する側に立っていると見なされているわけです。それ故テロの対象に、政治経済の中枢でなく、市民の憩いの場がなったのでしょう。その憩いの輪に入りたくても入れない人々が存在し、その心の傷に寄り添おうという人がどれほどいたのか、身につまされる思いがします。
もちろんどんな不当な扱いを受けようとも、いかなる理由があろうとも、テロは絶対に正当化されるものではありません。対症療法としては、各国が連携して、人々の往来のチェックや、銃器の取締の強化、犯罪組織の情報の共有など、いろいろあるでしょう。さらにはIS打倒のための空爆など、大国の軍事的行動もあります。しかしこれらがテロ問題の根本的解決にならないことは明らかです。憎悪と排他的ナショナリズムの衝突の連鎖が、問題を一層複雑かつ深刻にするからです。
私たちが今一番危惧することは、テロが宗教の名で行われていることです。そのことによって善良で真面目なイスラム教徒までも、危険視されたり白い目で見られ、差別されているからです。WCRPとしては、そういう問題に取り組むために諸宗教間の連帯を一層深めていきたいと思っています。
その意味でも本年4月には、東京で世界イスラム連盟の代表と対話の会合を持ちました。そこで問題になったのは、サウジアラビア政府が取った、イエメンの過激派に対する武力攻撃の評価でした。政教一致のイスラム教の立場からは、政府の行った武力行使は正当なものであり、支持するということでした。しかし日本の宗教者の立場からは、武力行使は当然支持できません。そこで激論となりましたが、意見を闘わせることでお互いの距離が縮まっていくものです。このような針に糸を通すような営みから、共通認識や信頼が次第に生まれ育つのです。
また明年4月には、ミャンマーの宗教代表を日本に招いて対話を行います。その中にはイスラム教徒であるロヒンギャ族と対立している仏教過激主義といわれる、民族宗教保護協会(マタバ)の会長も含まれています。予断は許せませんが、対話が進むことを願っています。
さらに今回のテロ事件の犯人像を知り、決して他人事のように思えませんでした。オウム真理教事件を思い出したからです。オウムの過激な体制変革思想に次々と、真面目で優秀な若者が絡め取られ、地下鉄サリン事件を起こしました。格差社会の到来といわれ、若者の正規就業の機会が少なくなっています。不公正な社会には宗教的過激主義が生まれ、若者の心の隙間に忍び込まないとは限りません。宗教者の役割も問われます。
2015/11/26 愛知学院が曹洞宗を提訴 不法行為による業務妨害で
「正規の手続きを経ることなく」学校法人愛知学院寄付行為を変更し、宗門秩序を乱したとして審事院から分限停止2年の審決をうけた中野重哉愛知学院理事長(元曹洞宗人事部長)は16日、不法行為による業務妨害だとして宗教法人曹洞宗(釜田隆文宗務総長)を名古屋地方裁判所に提訴した。損害賠償請求額は約162万円。
昨秋の内局交代後、釜田内局が愛知学院に宗門推薦理事と監事の就任を要求したことが発端となった。学院側は欠員が生じた理事と監事は宗門推薦者から選任したが、釜田内局は推薦理事全員(5人)の就任を重ねて要求した。従わない場合、「懲戒審判の申告」をちらつかせた。学院側はこうした求めに応じなかった。
そのため曹洞宗は釜田総長が申告人となって中野理事長を懲戒事犯として審事院に申告。後に田中千春教学部長も申告人に加わった。審判などを経て9月25日、中野理事長に審決が下された。
訴状では、懲戒にいたる一連の経緯について「手続き上はもとより、その内容についても多数の事実誤認を犯しているのであり、本件処分が違法、不当なものであることは明らか」と批判。
また審決の中で、「正規の手続き」を経ずして学院寄付行為を変更し理事任期を2年から4年としたことについても、詳細に反論している。
そして「被告(曹洞宗)による不法行為さえなければ、行う必要が全くなかった各対応を取ることを余儀なくされた」として、本来の業務を行えなくなるという損害を被り、「これらが原告(愛知学院)に対する業務妨害」にあたるとした。
損害賠償額は、8月27日の審判会出席以降の学院理事会や評議員会など、この問題のために支出された費用と弁護士費用から算定された。
2015/12/3 立正佼成会一食平和基金 UNHCRとWFPのシリア難民支援報告会を開催
シリア難民の児童労働や児童結婚の問題を指摘するUNHCRの小尾氏 立正佼成会一食平和基金(沼田雄司委員長)は20日、東京都杉並区の大聖堂で「シリア難民支援緊急報告会」を開催した。同基金は、シリアからヨーロッパへと逃げた難民に対し国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連世界食糧計画(WFP)を通じて2500万円の支援を行っている。報告会には職員ら約50人が参加した。
UNHCR駐日事務所副代表の小尾尚子氏は、今年ついにシリア内戦によって外国に逃れた難民が400万人、さらに「国内での避難民化した760万人を合計するとシリア人口の半数に達する」と危機的状況を報告。近隣国がこれまで「兄弟」として受け入れをしてきたが、この状況下で受け入れ国に疲弊も出ているという。
とりわけ、シリア難民の家族は「兵役、あるいは反政府組織への加入で父親がいない場合が目立つ」といい、国外に逃れても児童労働をせざるを得ないと指摘。難民はアパートを借りることを拒否されたり暴利を取られたりすることもある。酷い例では富裕層との児童結婚を強いられるケースもあるという。
ハンガリーなど移民に厳しい処置を取る国も出てきている中、難民を自国で積極的に受け入れるのみでなく、受け入れをする諸国への経済支援も大切だとした。人道支援を外交の重要項目とする日本政府がより強い支援をするよう働きかけると共に、宗教界にも協力を要請した。
WFP駐日事務所民間連携推進マネージャーの吉村美紀氏は、緊急食糧支援のほか、バウチャー(引換券)の配布によるマーケット重視の食糧支援の方式を紹介。「受入国にとっても、何十万人も人が来るとどうしても治安や雇用の不安が出てくる」という。しかし、バウチャーシステムで市場を回転させることで雇用・税収が増えたり、「難民は食料をタダでもらえるのに自分たちはなぜもらえないのか」という不満を抑える効果があるという。バウチャーの配布額は月額一人あたり14~28ドル。
「シリア難民の食料支援に対しては毎週30億円の費用がかかっている」とも解説。「1千万円の寄付があると、レバノンにいる約4千人の難民が1カ月間の食事ができ、あるいはヨルダンの学校に通う2万人の子どもの学校給食になる」と述べ、宗教界の支援を重ねて要望した。
2015/12/3 大阪府佛教会が50周年大会 心の問題、真剣に取り組みを
結成50周年大会で挨拶する井桁会長 大阪府佛教会(井桁雄弘会長)は11月25日、大阪市中央区のホテル日航大阪で結成50周年記念した「第50回大阪府佛教徒大会」(共催=大阪府佛教青年会)・結成50周年記念祝賀会を開催した。井桁会長は、60年70年と大会の継続を訴えて、「お互いに力を合わせ、お釈迦さまの教えを心に留めて共々に進めて参りたい」と語った。
今大会では真言宗が職衆を担当し、高野山真言宗太融寺の麻生弘道氏が導師を務めて、同会会員物故者や全国災害物故者の他、戦後70年として戦没者を追悼する法要が営まれた。
井桁会長は、結成初期の苦労を振り返るとともに、平成2年に再び大阪で開催された第34回仏教徒大会が盛大に行われたことを回顧。さらに、「今、社会が混迷しイスラムの問題や色々な事件が起きている。仏教徒は社会の浄化のために、共生と対話、そして心の問題に真剣に取り組まねばならない」と呼びかけた。
(公財)全日本仏教会や大阪府知事、四天王寺の森田俊朗管長、大念佛寺の倍巌良舜法主などが祝辞。近畿宗教連盟の荒木元悦理事長は「京都は大阪の活発な行動力を見本にしている」とエールを送り、「50年から100年、300年と続いてほしい」と同会のさらなる繁栄を願った。
記念講演では、曹洞宗愛知専門尼僧堂堂長の青山俊董氏が登壇。「今ここをどう生きる―人生を円相で考える」と題して講演した。青山氏は、「時間は全ての人に平等に24時間あるが、これを24時間で過ごすか、30時間で過ごすか。それとも闇で埋めるのか、光で埋めるのか」と問いかけ、「たった一度の命をどう生きるか。真剣に選ぶことが大事」と説いた。
「仏教は人生を円で考える」とも話し、人生は「どの一点においても出発点であり、終着点となり得る」と教示。「1日24時間、1年365日、何を考え、何を語り、どう行為したか。誤魔化しはきかない。その生き様の一つひとつが目に見えないノミとなって人格を刻み続ける。今のこの姿がここまで生きてきた人生の総決算の姿なのです」と諭した。
同会は昭和37年(1962)に難波別院、四天王寺を会場に大阪で開催された第10回全日本仏教徒大会を契機として昭和40年に結成。当初は十数団体から始まったが、現在では約60団体の広域仏教会となっている。
2015/12/ 仏教伝道協会設立50周年 世界へ仏教 平和を願い
式典で感謝と父、惠範師への思いを語る沼田会長 仏陀の教えを世界に広げるために1965(昭和40)年に設立された(公財)仏教伝道協会(沼田智秀会長)が今年で設立50周年を迎え、11月27日に東京・紀尾井町のホテル・ニューオータニで「設立50周年記念式典」が執り行われた。浄土真宗本願寺派の大谷光真前門をはじめとする来賓など、370人が集まり、発願者・沼田惠範師の功績を讃えると共に、混迷する世界の平和に貢献するための「仏教伝道」の意義を改めてした。
式典では同協会50年の歩みをビデオで上映。発願者・沼田惠範師(1897―1994)が仏教伝道の資金調達のために1934年に精密測定器マイクロメータの国産化のため㈱ミツトヨを創業し、1965年に仏教伝道協会を設立。「世界の平和は人間の完成によってのみ得られる。人間の完成を目指す宗教に仏教がある」という信念のもと、『仏教聖典』の普及や大正新脩大蔵経全100巻の英訳事業、世界主要大学での仏教講座の開設など、その取り組みが紹介された。
1971年の仏教伝道センタービルの上棟式に臨んだ沼田惠範師(協会『50年史』より) 挨拶に立った沼田会長はこれまでの多くの支援に感謝し、創立者の恵範師が「仏さまのお仕事をお手伝いをするためにこの世に誕生し、97年間の生涯を文字通り、一心不乱に、粉骨砕身の精進を重ね、伝道の種まきをして還っていったに違いないと感じます」と披瀝した。紛争やテロが絶えない世界の現状に、「私共が仏教思想を広めようとしているのは、世界の平和と人類の幸福を願っているから」とし、仏教の「怨親平等」の教えをあげて「人類共通の課題に、宗派はもちろん宗教の枠をも超えて、真摯に取り組みたいものです」と呼びかけた。
祝辞では大谷光真前門が「宗派に偏らない伝道活動、宗派や宗門ではなく、民間の活動で、これだけの成果をあげられた組織は日本では例がない」と讃え、「世界の平和という意味ではまだまだ頑張っていただかなければいけないし、我々も仏教徒として頑張らねばならないと痛感します」と述べた。全日本仏教会の齋藤明聖理事長は「慈悲と共生の仏教精神を世界に伝え、人類の平和と幸福に貢献したいと願う惠範師の理念の尊さ、深さに感銘を覚えるものです」と敬意を表した。
同協会の活動の柱である「仏教聖典」は現在までに46の言語に翻訳され、国内外のホテル、学校や病院に頒布されており、その数は累計で880万冊以上に及んでいる。
2015/12/10 池上本門寺で菅野日彰貫首が法燈継承 不惜身命の決意を表明
此経難持坂を登る菅野貫首 日蓮聖人入滅の霊場として知られる日蓮宗大本山池上本門寺は2日、東京・大田区の同寺大堂で法燈継承式を執り行った。当日は天候にも恵まれ、第83世に就任した菅野日彰貫首(78)は霊山橋付近からお練りし、自らの足で此経難持坂を上がり入山した。
宗立谷中学寮で長らく寮監を務めた菅野貫首を慕い、全国から約250人の卒寮生が集結。唱題とともに団扇太鼓を打ち鳴らし、本門寺へと歩みを進める菅野貫首に随喜した。総門をくぐり、『妙法蓮華経』見宝塔品第十一の偈文96字を表した此経難持坂へ。到着を待つ檀信徒が声援を送る中、菅野貫首は偈文の一字一字を確かめるように、一段一段を踏みしめて石段を登りきった。
退隠する酒井日慈貫首(97)は五重塔改修などの境内整備や諸事業を奉告文で回想。さらに「加齢を重ねること97年、体調の老衰を覚える。〝本門寺の猊座は気力体調ともに万全たるべし〟との自らの信念に基づき、退隠の手続きす」と退隠への信念を明かした。
菅野貫首は晋山奉告文で「法燈格護の決意に些かの迷いなし」と寺門興隆に尽くすことを宣言。宗門布教の根本道場の伝統を守り、布教伝道に挺身する若き僧侶を育成していくことを誓った。晋山の挨拶では「絆を守り、不惜身命の決意でこの大法城にてお給仕をさせていただきたい」とその決意を表明した。
祝辞の挨拶に立った本門寺の筆頭檀家総代の池上幸保氏は感極まり、「複雑な気持ち。淋しい気持ちと嬉しい気持ちがないまぜになった気持ちです」と吐露。酒井貫首が開かれた寺院とすべく様々な企画を打ち出したこと回顧して、涙とともに感謝を語った。
菅野貫首へは「一方でこれは感激の涙。子弟教育、そして行学二道に秀でたこんなに素晴らしい貫首さまをお迎えしたことは感激の一言。我々檀信徒にとってこの上ない喜びです」と気持ちを綴り、両貫首への思いが列席者の涙を誘った。
法燈継承式と都内ホテルでの集いを通じて、小林順光総長、本山会の上田日瑞会長など宗門要路が祝辞し、菅野貫首が布教師として全国に赴き、生涯をかけて言説布教に取り組む姿勢を称賛。総本山身延山久遠寺法主の内野日総管長も「酒井猊下は、〝これから本門寺は栄えていくだろう〟とおっしゃられたと聞いたが、小衲も同じ思い」と晋山を祝した。
2015/12/10 立正佼成会が本部組織を改編 局制を廃止し5部1機関に
立正佼成会(川端健之理事長)は本部組織を改編し、教務・総務の2局を廃止。新たに「部―グループ(部署)」を核とした新組織に1日から移行した。従来、「部」に位置づけられていた青年本部は青年ネットワークグループに名称を変更し、新設の「習学部」の傘下に入った。5部1研究機関体制は平成30年(2018)の創立80周年に向けた組織となる。
「布教に資する本部組織・体制の具現化」(総務部渉外グループ)を目指しての組織改革。平成20年(2008)に導入された局制を廃止し、「受信機能の強化」「総合力の発揮」「専門性の向上」の3点を柱に据えた。「各部門を統合・再編し、業務の集中と一層の簡素化を図る」(同)という。
「習学部」の名称はかねてから庭野日鑛会長が提示していた「ご法の習学」に基づいたもの。「会員にとっては普段から教学研修というよりも習学の方がやわらかく、受け取りやすいということで、この言葉を使われております」(同)というように、会員にとっては馴染みのある名称とのことだ。この傘下に名称変更した青年ネットワークグループ、教育グループ、学林関連の3グループと研究部門(家庭教育研究所、佼成カウンセリング研究所)が入る。
青年ネットワークグループは、教区・支教区・教会で展開される人づくりを総合的に支援するために新設。「本部組織は変わりましたが、各教会ではこれまで通り、青年5部(男子、女子、学生、少年、婦人)体制は変わりません。信仰者を育成する視点で、年齢や階層などの区分を越えて、一貫性のある支援を行います」(同)
外務部も廃止され、総務部に一元化された。その下に総務、渉外、人事、管財施設の各グループがある。社会や諸宗教の窓口となる広報関係は渉外グループが担当する。
また理事長を補佐する「常務理事」が置かれ、中村憲一郎氏が就任した。
新体制は3年後の創立80周年に向けたものだと教団は発表しているが、一部からは「近い将来、庭野会長と庭野光祥次代会長の交代を見据えた布石ではないか」という見方も出ている。